居酒屋をさがして歩いていたら客引きの兄ちゃんに声をかけられた。
「お店決まってないなら、うちはどうですか!」
「どんなお店ですか?」
「系列グループでやってるんです。和食居酒屋と韓国居酒屋がありますよ!」
「へえ。どっちがいいかな……」
「おいしいのは韓国料理店です! どっちにします!?」
「そんな言い方されて、和食選ぶ人います……?」
2016年4月10日日曜日
【エッセイ】入浴裁判
二十歳ぐらいのころ、肺に穴が開いて入院したことがある。
片方の肺には穴が開いたがもう片方は無事だった。
咳は出たが熱も痛みもなく、さほど苦しい思いはしなかった。
ただ、肺から漏れた空気が胸の中にたまってしまうのを防ぐために胸にチューブをつながれたのだが、これは不自由した。
チューブの先は小さなポリタンクにつながっており、どこへ行くにもポリタンクと一緒に移動しなければならない。
立ったり歩いたりするときは常にポリタンクを支えていないとはずれそうなので、片手が使えないのは不便だった。

そんなとき、若い看護師さんが訊いてきた。
「お風呂どうされますか?」
「あー。片手が使えないしチューブにつながってるから身体を洗うのがたいへんそうですよねー。シャワーで汗を流すぐらいにしときます」
「よかったら身体洗うの手伝いましょうか?」
えっ!?
思わぬ一言に、ぼくの頭は真っ白になってしまった。
なにしろ若い女性から「身体を洗いましょうか?」なんて、二十歳のころのぼくは、一度も言われたことがなかったのだから。
ていうか今もない。
身体を洗ってもらうということは、ここここれはつまり、いいいいいっしょにお風呂に入るってことですよね!
ということはつまり、ななななんらかの過ちが起こってしまってもいいいいいいたしかたないということですよね!
なんらかの過ちが起こったとしても、
「被告乙がかのような行動にいたってしまったのは当人の責に帰すべき事由には該当しない」
ってな判例が下るやつですよね、裁判長!
という考えももちろん脳裏をよぎったのだが、ぼくはすっかりびびってしまって
「裸を見られる。恥ずかしい」
ということを先に考えてしまい、
「いや、ひとりで大丈夫です!」
と即答してしまったのだ(実際にはそのコンマ数秒のうちにものすごい妄想をくりひろげていたわけだが)。
ああもうほんとあの瞬間に戻れるなら、自分をこちょばしてやりたい(やっぱりわが身はかわいいから殴ったりはできない)。
合法的に、ほぼ初対面の素人女性といっしょにお風呂に入れるチャンスだったのに!
次にこんなチャンスがくるのはきっと八十を過ぎてからだぞ、おい!
2016年4月7日木曜日
【エッセイ】レーシック手術のにおい
何年か前にレーシック手術をした。
無事に成功して、メガネなしではトイレにも行けなかったぼくが、今では裸眼で生活している。
メガネやコンタクトレンズから解放されると、ちょっとしたことがすごくありがたい。
メガネはほんと不便だ。
小雨で傘がないときに、メガネが濡れるのを防ぐためにうつむいて歩かなきゃいけない。
寒い日に暖房の利いた屋内に入ると曇って何も見えなくなる。
メガネが曇るからマスクがつけられない。花粉症なのに。
コンタクトレンズは眼がかゆいし。
美容師から「これぐらいでどうでしょう?」と聞かれても鏡に写った自分がまったく見えないから適当にうなずくしかない。
ほんと不便。
しかし、今挙げたことはどれも些細な問題だ。
ぼくが視力が悪いことでいちばん不便を感じたのは、せっかくプールに行っても水着の女性がまったく見えないということだった。
しかしそんな悲劇からは、レーシック手術によって解放された。
今は裸眼で車の運転もできるし、もちろんプールでもばっちりよく見える。
手術代として十数万円かかったが、手術をしてほんとうに良かったと思う。
でも。
ぼくは、他人に「レーシック手術いいよ」と勧めたことは一度もない。
自分がやって良かったが、人にはおすすめしない。
なぜなら。
手術のとき、レーザーで眼球を焼くから。
自分の眼球が焼けるこげくさいにおいを嗅ぐことになるから。
焼けた眼球に目薬をさしたときに、熱々のフライパンに水を落としたときと同じ「ジュワッ!」という音を己の瞳から聞くことになるから。
あれはほんと怖かった。
ほんとあれでぼくの寿命が5年は縮んだと思うから、他人には勧めない。
無事に成功して、メガネなしではトイレにも行けなかったぼくが、今では裸眼で生活している。
メガネやコンタクトレンズから解放されると、ちょっとしたことがすごくありがたい。
メガネはほんと不便だ。
小雨で傘がないときに、メガネが濡れるのを防ぐためにうつむいて歩かなきゃいけない。
寒い日に暖房の利いた屋内に入ると曇って何も見えなくなる。
メガネが曇るからマスクがつけられない。花粉症なのに。
コンタクトレンズは眼がかゆいし。
美容師から「これぐらいでどうでしょう?」と聞かれても鏡に写った自分がまったく見えないから適当にうなずくしかない。
ほんと不便。
しかし、今挙げたことはどれも些細な問題だ。
ぼくが視力が悪いことでいちばん不便を感じたのは、せっかくプールに行っても水着の女性がまったく見えないということだった。
しかしそんな悲劇からは、レーシック手術によって解放された。
今は裸眼で車の運転もできるし、もちろんプールでもばっちりよく見える。
手術代として十数万円かかったが、手術をしてほんとうに良かったと思う。
でも。
ぼくは、他人に「レーシック手術いいよ」と勧めたことは一度もない。
自分がやって良かったが、人にはおすすめしない。
なぜなら。
手術のとき、レーザーで眼球を焼くから。
自分の眼球が焼けるこげくさいにおいを嗅ぐことになるから。
焼けた眼球に目薬をさしたときに、熱々のフライパンに水を落としたときと同じ「ジュワッ!」という音を己の瞳から聞くことになるから。
あれはほんと怖かった。
ほんとあれでぼくの寿命が5年は縮んだと思うから、他人には勧めない。
2016年4月6日水曜日
【読書感想文】筒井康隆 『旅のラゴス』
久しぶりに読んだなあ、筒井康隆。
中学生のときにはよく読んだのだけれど、初期の暴力的で疾走感のあるSFから、難解で思索的な“文学”になったのに辟易していつしか手に取らなくなった。
で、10年ぶりぐらいに読んだのだけれど『旅のラゴス』はおもしろかった。
そして筒井康隆らしくない小説だった。
というと筒井康隆がおもしろくないみたいだけど、そういうことではないよ。
一般的に小説家を形容する言葉といえば「文豪」だったり「巨匠」だったり「天才」だったり「女王」だったりするけど、筒井康隆の場合は「奇才」もしくは「鬼才」だ。
それだけ独自路線を突き進んできたということなんだろうけど、どうも「奇才」がひとり歩きしているきらいがある。
ファンは筒井康隆に「奇才」らしい小説を期待して、筒井康隆もまたそれに応えようとして実験的な小説を次々に生み出していった。
その結果、コアなファン以外はどんどん取り残されていき、一部の熱狂的ファンだけに支えられる作家になってしまったように思う。
『旅のラゴス』の話に戻るけど、いい小説でした。
つまんない感想だけど、「いい小説」としか言いようがない。いい小説ってのはそういうもんだね。
異世界を部隊にしたSFファンタジーなんだけど、細部まできっちり書き込まれている。かといって「こんな細かいとこまで考えてるんでっせ。どやっ!」という押しつけがましさはない。
登場人物には血肉が通っていて 、けれど必要以上に感情移入しすぎてもいない。
ほどほどに刺激的で、ほどほどに叙情的。
すべてがちょうどいい。
アイロニカルな視点もこめられていて、寓話としても楽しめる。
ただラストだけがちょっと不満。
あまりにも唐突に終わってしまうのが残念。
ま、裏を返せば、もっと読みたかったいい小説だったということでもあるんですが。
2016年4月4日月曜日
【思いつき】五穀米がつん!
やめてくれ。
ラーメン屋で「コラーゲンたっぷりでヘルシー」とか書くのはやめてくれ。
こっちは不健康なうまいラーメンを食べたくてラーメン屋に来てるんだ。
健康を求めるならそもそもラーメン屋になんぞ来てないから。
健康の押しつけは暴力だと自覚してくれ。
そっちがその気なら、こっちだって、マクロビオティックなんたらの女子が好きそうな五穀米ランチに
「胃袋にがつんとくる濃厚な旨さ!」
って書いてやるからな!
ラーメン屋で「コラーゲンたっぷりでヘルシー」とか書くのはやめてくれ。
こっちは不健康なうまいラーメンを食べたくてラーメン屋に来てるんだ。
健康を求めるならそもそもラーメン屋になんぞ来てないから。
健康の押しつけは暴力だと自覚してくれ。
そっちがその気なら、こっちだって、マクロビオティックなんたらの女子が好きそうな五穀米ランチに
「胃袋にがつんとくる濃厚な旨さ!」
って書いてやるからな!
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