ぼけっと歩きながらくしゃみをしたら、思ってた以上に大きなくしゃみが出て、自分のくしゃみにびっくりして、持っていた荷物を落としてしまった。
で、そのことにまたびっくりした。
もう30年以上生きているのに、まだ耳は自分のくしゃみに慣れていないし、まだ手は自分の感情に慣れない。
生物として生きるって、なんて難しいんだろう。
2015年5月11日月曜日
尻エントロピーの増大
風呂上がりに尻を掻いていたら妻に怒られた。
「尻を掻かないでよ」
「自分の家で尻を掻いて何が悪い。
だったら代わりに掻いてくれるのか」
「掻くわけないじゃない。
汚い尻を掻いた手で洗いものする気でしょう?
汚いじゃない」
そこまで言われては、一家の副大黒柱として黙っているわけにはいかない。
「知らないのか。尻の表面よりも手のひらの方がずっと雑菌が多いんだぞ。だから手で尻に触れたとしても、エントロピー増大の法則により手の菌が尻へと移動するから、手がきれいになることはあっても手が汚くなることはない。文句を言うなら科学的に正しい表現をしなくちゃならん。『あなたのきれいなお尻が汚れちゃうから汚い手でさわらないでよ』こういう言い方をするのが……ってあの俺まだしゃべってる途中なんだけど
「尻を掻かないでよ」
「自分の家で尻を掻いて何が悪い。
だったら代わりに掻いてくれるのか」
「掻くわけないじゃない。
汚い尻を掻いた手で洗いものする気でしょう?
汚いじゃない」
そこまで言われては、一家の副大黒柱として黙っているわけにはいかない。
「知らないのか。尻の表面よりも手のひらの方がずっと雑菌が多いんだぞ。だから手で尻に触れたとしても、エントロピー増大の法則により手の菌が尻へと移動するから、手がきれいになることはあっても手が汚くなることはない。文句を言うなら科学的に正しい表現をしなくちゃならん。『あなたのきれいなお尻が汚れちゃうから汚い手でさわらないでよ』こういう言い方をするのが……ってあの俺まだしゃべってる途中なんだけど
2015年5月10日日曜日
気功マスター
数日前から気功の本をたくさん買ってきて読みあさっている。
気功というものにうさんくささも感じるけれど、現在数量化できないからといって存在を否定するのも科学的な営みでないと思い、身をもって研究することにしたのだ。
そして今日。
正座&瞑目して気功の呼吸法をしていると、腕が自然に動き出した。
「おっ。おっ。なんだなんだ」
身体が意識を離れて勝手に動いたのだ。
錐体外路系運動というらしい。
時間にして1分くらいで止まったが、たしかに身体の気の流れが変わるのを感じた。
この調子だと、ぼくが気功マスターになって、
他人の病気をなおしたり、
気だけで敵をふっとばしたり、
スプーンを曲げたり、
シルクハットから鳩を出したりできるようになる日もそう遠くないにちがいない。
気功というものにうさんくささも感じるけれど、現在数量化できないからといって存在を否定するのも科学的な営みでないと思い、身をもって研究することにしたのだ。
そして今日。
正座&瞑目して気功の呼吸法をしていると、腕が自然に動き出した。
「おっ。おっ。なんだなんだ」
身体が意識を離れて勝手に動いたのだ。
錐体外路系運動というらしい。
時間にして1分くらいで止まったが、たしかに身体の気の流れが変わるのを感じた。
この調子だと、ぼくが気功マスターになって、
他人の病気をなおしたり、
気だけで敵をふっとばしたり、
スプーンを曲げたり、
シルクハットから鳩を出したりできるようになる日もそう遠くないにちがいない。
生命保険親子
歩道のない狭い道路で、少し前を歩いていた母と娘(10歳くらい)の会話。
母「ほら車きたで。もっと端っこ寄っとき」
娘「大丈夫や」
母「あぶないやないの」
娘「へーきへーき」
母「ひかれたら困るやないの。あんたは生命保険はいってへんねやから!」
んー、大阪っぽい会話だ。
母「ほら車きたで。もっと端っこ寄っとき」
娘「大丈夫や」
母「あぶないやないの」
娘「へーきへーき」
母「ひかれたら困るやないの。あんたは生命保険はいってへんねやから!」
んー、大阪っぽい会話だ。
2015年5月8日金曜日
タンスの裏のホコリほど
思い上がりがちな己を戒めるために胸に刻み込んでいるできごとがある。
高校2年生の冬。
それまで7年間ずっとメガネをかけつづけていたぼくは、はじめてコンタクトレンズをつけて学校に行った。
それはもうドキドキものだった。
「気どってやがると思われるんじゃないだろうか」
「ぼくの素顔を見た女子たちがその美しさに次々と卒倒するんじゃないだろうか」
そんな心配でぼくの頭はいっぱいだった。
実際には、惜しくも卒倒者こそ出なかったものの、
「なかなかかっこいいじゃない」とか
「メガネないほうがいいよ」といったありがたい言葉をかけてもらい、ぼくは無事にコンタクトデビューを果たした。
事件はその3ヶ月後に起こった。
当時ぼくにはKという同級の友人がいた。
ぼくとKは毎日のようにおしゃべりに興じていた。学校帰りにKの家に寄ることもしばしばだった。
ある日ぼくはいつものようにKの家に遊びに行き、ベッドに寝そべってテレビを見ていた。
するとKはまじまじとぼくの顔を見つめ、信じられない言葉を口にした。
「あれ? おまえ、今日はメガネかけてないな。どうしたん?」
ぼくは絶句した。
だってぼくがコンタクトデビューを果たしてから、Kとは少なく見積もっても50回は顔を合わせているのだ。
なのに、その間ずっと彼はぼくがメガネをかけていないことに気がついていなかったのだ。
はじめはKが冗談を口にしているのかと思った。
だがKの表情は真剣そのものだった。
「おまえ……」
しぼりだすように言った後、ぼくは二の句が継げなかった。
このできごとは、重要なことをぼくに教えてくれた。
<世の中の人間は、タンスの裏に落ちているホコリほどもぼくという人間に興味を持っていない>
この事実に気づかせてくれたKには感謝している。
おかげでぼくは謙虚さを学ぶことができた。
誰かに何かを語るとき、
誰かに読ませる文章を書くときは、
「世界はおまえに興味がない」
と自らに言い聞かせながら語るようにしている。
と同時にぼくは世の女性たち(特に妻)に言いたい。
メガネを外したことに3ヶ月気づかない人もいるんだから、
君が髪を切ったことに気づいてあげられないのも仕方ないことだと思わない?
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