【読書感想文】福岡 伸一『生物と無生物のあいだ』

『生物と無生物のあいだ』

福岡 伸一

内容(「BOOK」データベースより)

生きているとはどういうことか―謎を解くカギはジグソーパズルにある!?分子生物学がたどりついた地平を平易に明かし、目に映る景色をガラリと変える。

分子生物学研究者による科学エッセイ。
数十万部発行という科学書としては異例のヒットとなった新書だけど、読んだ後に考えても、どうしてそんなに売れたのかがふしぎでしかたない。

いや、たしかにおもしろいんですよ。
でも内容はばりばりの分子化学だし、明快なテーマはないし、わかりやすい図表を用いた説明にも乏しいし、万人受けをする要素はほとんどない。

科学者としてはうまい文章を書くけど、頻繁に出てくる情景の描写は文章がうまいだけに他の科学的記述から浮いてしまっていて、メインテーマの邪魔をしているようにすら感じられる。

しかし、もしかするとかえってそのへんの欠点が、売れた要因なのかも。
わかりにくい本だから(とはいえ新書なのでまったく理解できないわけではない)、「わかりにくいけど理解できるオレ」という自尊心を絶妙にくすぐったのかもしれないね。


さて、タイトルになっている<生物と無生物のあいだ>だけど、この本の中では「何が生命を生命足らしめているのか」という根元的な問いについて、著者は<動的平衡>というキーワードを用いて答えようと試みている。

<動的平衡>は単純な概念ではないので説明しにくいのですが、あえて要約するとこんな感じでしょうか。

生物も精密機械も複雑な働きをする多くの部品からできている。ただ機械は静的なので、技術的にはさておき、理論上はどのパーツからでも作ることができる。自動車のエアコンを担当するパーツを取り除けばその車はエアコンの調子が悪くなるし、パーツを復元すればまたエアコンは作動するようになる。
しかし生物はそうではない。あるパーツを取り除いても、また同じパーツができることもあるし、他のパーツが取り除かれたパーツの仕事を代行することもある。また、パーツを復元しても機能は二度と戻らないこともある。
生物が動的な存在なので、平衡を保つために、発生、回復、代償、廃棄などの行為を頻繁におこなっているからなのだ。


この<動的平衡>の考え方を読んで、ぼくはカラシニコフという銃のことを思い出した。

カラシニコフはロシア人のカラシニコフさんが開発した銃なのですが、他の銃と比べてずっと造りがおおざっぱなんだって。
にもかかわらず、精緻につくられた銃よりも世界中で広く長く愛用されている。
それは、造りが雑であるがゆえに、修理やメンテナンスが容易だから。

時を刻むだけのアナログ時計なら壊れたときに修理できる人はたくさんいますが、複雑な機能をたくさん兼ね備えたデジタル時計を分解して修理できる人はほとんどいない。
特に銃のような、物資の少ない場所で使用され、故障が使用者の生命に関わるようなものであればなおさら、「自分で修理できる」ということのメリットは大きくなる。


生物の体も同じ。
ちょっと体調が悪いとか軽いけがをしたときでも身体が勝手に治してくれる。これは非常にありがたいシステムだ。
これは、身体のパーツそれぞれが、なんとなくの役割しか持っていない、いわば「融通の利く」システムを持っているからなのです。


ぼくは仕事上、かんたんなプログラムをつくって、売上管理や顧客管理のシステムを構築することがよくある。
そういうとき、はじめに精密な設計書を書いて細部までガチガチに指定したシステムを作ると、必ず失敗する。
いざ運用してみると想定しなかった事態は絶対に発生しますし、実際にシステムを使う人から完成後に「やっぱりこんな機能もほしいんだけど」と言われることもまちがいなく起こる。

だから、はじめは必要最小限の機能だけを搭載しておき、後から項目や機能を追加しやすい「ゆるいシステム」にしておくのが、うまくいく秘訣だ(何がいいって、制作者である自分への精神的ストレスが少なくなるのがいい)。


「ちゃんとしない」「適当に済ませておく」ことのほうがいい状況もたくさんあるんだよね。



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