2018年4月10日火曜日

【読書感想】毎日新聞取材班『枝野幸男の真価』

『枝野幸男の真価』

毎日新聞取材班

内容(e-honより)
野党の混迷に終止符を打ち、政権交代も視野に入れる代表・枝野幸男のビジョンとは?徹底取材によるドキュメント。

毎日新聞取材班ということで客観的なドキュメントを期待していたのだが、前半は枝野氏に肩入れしすぎ。ファンブックみたいだったのでもうちょっと引いたスタンスで書いてほしかった。
ただ第4章『離合集散の野党史』と第5章『立憲民主党を待つ試練』は読みごたえがあった。新進党や民主党の躍進と没落の原因を分析することで、立憲民主党がなぜ支持を集めたのか、そして今後何をしたら零落するのかが理解できた。歴史はくりかえしているんだねえ。



「権力は憲法によって制約される、これが立憲主義です。立法権、内閣総理大臣の権力は何によって与えられているか。選挙と言う人がいるかもしれません。でもそれは半分でしかない。選挙で勝った者に権限を預けると憲法で決められていると同時に、無条件で預けるのではない。こういう規制の中でしか権力を使っちゃいけない。この両方を憲法で決めてセットで私たちは委ねられている」
「立憲主義とセットになって初めて民主主義は正当化されます。多数の意見でものを決める考え方は、それだけでは決して正義ではありません。多数の暴力によってこそ、少数者の人権侵害が生じるからです」

昨年秋、この演説を聴いたとき、ぼくも「これだよ! このあたりまえのことを言う人を待ってたんだよ!」と思った。
立ち上がったばかりの立憲民主党はまたたくまに支持を拡大していったところを見ると、同様に感じる人が多かったのだろう。

いやほんと、至極当然のことなんだけどな。政治家、内閣の権力には憲法による制限があるなんて、あたりまえすぎて誰も言ってなかった。そして誰も言わないうちに、いつしかその重要性が忘れられ、権力者が立憲主義を軽視するようになった。

権力は憲法によって制約される、こんなあたりまえのことを言う政治家が大きな支持を集めるのだから、いかに現在民主主義が危機にさらされているか。



ぼくは立憲民主党のすべての政策に賛成なわけではないし、現政権の政策に賛同する部分もある。
けれど、ぼくが投票時にもっとも重視するのは「現行法を守ろうとしているか」だ。重視というかすべての根本だと思っている。
だから憲法を解釈でねじ曲げようとする政権は、その一点をもって打倒すべきだと思っている。たとえ他の政策がどんなにすばらしくても。
スポーツ選手がどれだけすばらしい成績を残してもドーピング使用が発覚したらすべての実績がゼロになるように、法律、特に憲法を守ろうとしない政権は何も信用することができない(憲法改正に反対しているわけではない。憲法に定められた正当な手続きに従って改正することには何の異論もない)。

まあここまで書いたから言わずもがなだとは思うが、ぼくは現政権に早く退陣してほしいと思っている。それは政権全体として法に対する誠実性が感じられないからだ。「結果さえ良ければ法の枠からはみだしてもいい」と考えているようにしか見えない。
「権力に対して抑制的であるかどうか」という問題に比べれば経済政策や外交なんて屁みたいなものだ。


ときどき現首相をアドルフ・ヒトラーのような独裁者と重ね合わせる意見が見られるが、ぼくはその意見には賛成しない。良くも悪くも、歴史に名を残した残虐な独裁者と肩を並べられるほどの資質は現首相にはない。
ただ、現政権は「いつか邪悪な独裁者が現れそうになったときにそれを阻止する制度」を破壊することにためらいがない。
もっと邪悪でもっと能力の高い人物が政権を握って「過去にも『解釈の違い』で乗り切ったことがあったから今回も少々法の枠からはみだしたっていいよね。一定数の民意さえ集めれば法で定められた手続きを少しぐらい省略したっていいよね」という論理をふりかざす日のことをまるで考えていない。



立憲民主党は広報戦略が非常にうまいと言われている。Twitterの使い方が実にうまい。

広報だけでなく、党執行部も「どう見られているか」「何が求められているか」を的確に把握している。

 市民団体の集会に野党の党首が参加する形式で、志位と社民党の吉田忠智党首は壇上で並んで演説した。しかし枝野は、直前までNHKの番組出演で2人と一緒だったにもかかわらず、あえて2人が立ち去った後に会場に到着するように時間を調整した。
「社民党さんも共産党さんもそれぞれ、決めている候補者を下ろすのがいかに大変か、私もよーく分かっています。それぞれの立場を超えて努力された両党の皆さんに、私は敬意と感謝を申し上げたい」と候補取り下げへの謝意を示したものの、自らとのスリーショットの写真は撮らせなかった。
 枝野自身は、希望の党という保守系野党と、共産党の「間」の政策を求める有権者のニーズを意識していた。その受け皿となるために、共産党と同一視されるリスクを徹底的に回避していた。

インターネットを見ていると先鋭化した右派と左派が活発に論争をくりひろげているけど、左右に分けるのであれば世の中の人の大半は「やや右」か「やや左」だと思うんだよね。かつては自民党と社会党がそれぞれの人の受け皿になってきたんだろうけど、55年体制崩壊後はそうかんたんにはいかなくなってしまった。
自民党には幅広い議員がいるけど最近は右派が多数を占めている(ように見える)。政権を握ったときの民主党も似たような状況だった。
そして2017年の衆院選挙時には民主党の中の右派が希望の党と合流し、中道左派、リベラル派の受け皿がなくなってしまった。
親しい人と話していても「安保法案や海外派兵には反対。だけど共産党は嫌」という人はすごく多い。感覚的にはいちばん多い層なんじゃないかとさえ思う。特に女性に多い。
ぼく自身もその考え方に近い。で、選挙のたびに「特にどこも支持したくないけど『たしかな野党』も一定数いたほうがいいから……」という消極的な理由で共産党や社民党に票を投じていた。

そういう層に立憲民主党はぴったりとはまった。そこを理解しているから、共産党や社民党とは選挙協力はするが近づきすぎないようにしている。希望の党や旧民進党と合流すると「結局政権を狙うための烏合の衆か」と思われて支持者が離れていくのを知っているから、距離を保っている。
こうした立ち位置のとりかたがすごくうまい。


ただ、政権交代を狙うと、政策の異なる政党とも協力関係を築かざるをえなくなる。ここの戦略を見誤ると有権者に愛想を尽かされることになる。

「少なくとも(下野後の)この5年間自分が思っていたことが、いかに間違いだったかを痛感する(選挙戦の)日々だった。こんなに政党の合従連衡が嫌われていた、こんなに『政権交代のために一つにまとまる』のが嫌われていたのか、と。1+1がせめて1.5なら(合併も)考えるけど、今は1+1が0.8になる状況だ」

一度政権をとると、ポジションを守ることが自己目的化して、当初の方針は二の次になってしまう。自民党、民主党、公明党、みんな同じ道をたどっている。

いつか立憲民主党が政権をとったとしても、同じことが起こるんじゃないかと思う。党が力を持てば持つほど、政権を狙えるという理由で様々な考え方の人が入ってくるから。そうなったら立憲民主党も終わりだろうね。民主党と同じ道をたどって見放されてしまうだろう。
ぼくは今は立憲民主党を応援しているが、第一党になってほしいとは思わない。少なくとも数年間は。「発言力のある野党」としての立ち位置を期待している。

つくづく二大政党制って良くない制度だと思う。小選挙区制も。これに関してはこのブログでも何度か書いているから詳しく書かないけど、たったふたつの政党に民意が拾えるとは到底思えないんだよね。



最後に、ほんまかいなと言ってしまったエピソード。

枝野氏と前原誠司氏はカラオケ友達なんだそうだ。

 それから半月が過ぎたころ、2人は知人を交えて久しぶりに歌おうと計画した。臨時国会の開会を10日後に控えた9月18日にセッティングされた。しかしその前日の17日、「月内に衆院解散」という情報が永田町を駆け巡る。前原は会合を欠席。枝野は「選挙前の歌い納め」のつもりで短時間参加した。歌ったのは欅坂46の「不協和音」である。

 ここで同調しなきゃ裏切り者か
 仲間からも撃たれると思わなかった

この直後に前原誠司氏は希望の党への合流を決め、枝野幸男氏は新党立ち上げを決意する。そして希望の党は立憲民主党の候補者に対して刺客候補者を擁立する……。

ちょっと話ができすぎじゃない?


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2018年4月9日月曜日

【DVD感想】東京03『自己泥酔』


『自己泥酔』

東京03

内容(Amazon プライムビデオより)
2017年5月~9月に行われた「自己泥酔」全国ツアー(全11ヶ所、全27公演)の最終公演を収録。オール新作コント、映像ネタ、音楽が一体となった、東京03ならではの完成度の高い本編公演。 社長と部下が語り合う「自慢話の話」 / 「エリアリーダー」角田は部下を庇う理想の上司になれるのか? あの事件がコントになりました「トヨモトのアレ」 / 「ステーキハウスにて」声を荒げるクレーマーが思わぬ展開に…。 同僚の結婚報告を聞くために芝居を求められた飯塚は…「小芝居」/ 病室でアキコが婚約者サトシについた「悲しい嘘」 東京で経営者として成功している豊本が後悔していることを「謝ろうとした日」、友人2人は彼を受け入れるのか…。

第19回東京03単独公演「自己泥酔」をAmazonプライムビデオで鑑賞。
特典映像がないとはいえ、2時間近い公演を324円で観られるのはいいね。そうです、Amazonのまわしものです。

単純な笑いの量でいうともっともっと笑いをとる芸人はいるけど、コントとしての完成度でみると芸人・劇団含めて文句なく東京03はトップクラスだね。しかも年々クオリティが上がっていっているのがすごい。
このライブでは音楽も効果的に使われている。脚本・演者・音楽それぞれがハイレベルで、それらが組み合わさって途方もなく上質な空間を作りあげられているんだからただただ感心するばかり。


自慢話の話

IT会社の社長が飲み会の席で、すぐに自慢をはじめる社長ばかりで嫌になる、自分は自慢話は嫌いだ、と社員たちに語る。すると社員のひとりが「それって"自慢話しない"自慢ですよね」と言いだし……。
まず「同じITベンチャーの人間が集まるパーティーで……」という一言で自然かつ的確に状況を説明してしまう鮮やかさ。違和感なくすっとコントの世界に入らせてくれる。

「おれは他の社長とちがって自慢をしない」というのも自慢といえばそのとおりなんだが、このへりくつのような主張から「社長、固まってんじゃねーか」で笑いにつなげ、ただの理屈をこねくりまわす展開にせずに「生意気な後輩キャラ」で現実的な方向に着地させる。
大笑いするものではないけどワンアイデアを膨らませて複層的なコントに仕上がっている。


主題歌『自己泥酔で歌いたい』


角田氏による主題歌。
やたらポップな音楽に乗せてどこかで聞いたような歌詞を歌いあげている……と思ったら中盤の「自分に完全泥酔」でバッサリ。

愛と未来 自由と未来 光の先へただ進め
めぐり合い それは奇跡 広い世界で ようは奇跡
会いたくて 愛を叫び 鳴らないスマホに涙流し
I miss you 思い届け 結果どうあれ みんな踊ろう
現実を見ない 希望の啓示
自分に完全泥酔してなきゃ こんなの歌えない

マキタスポーツや岡崎体育がやっている「J-POPを皮肉った歌」と同系統だけど、ここで大きな笑いは狙いにいかずにあくまであっさりと。今や「J-POPあるあるを皮肉をこめて茶化す」すらもはやありがちな手法になってしまったからね。
音楽的にも笑い的にも、あくまで「コントライブのオープニング」に収まるちょうどいいサイズ感の曲。


エリアリーダー

部下が上司に叱責されているのを見たエリアリーダー、間に割って入り「悪いのは彼に仕事を任せた私。責任はすべて私にあります」と部下をかばう。ところが部下はエリアリーダーに感謝している様子がなく……。
こうなるだろうな、という観ている側の予想通りの展開だが、ちゃんと演技力で魅せてくれる。
「本当にぼくが悪いみたいに言ってくるんすよー」
「ちゃんと憧れろー」
など、エゴ丸出しの発言をくりかえすエリアリーダー。コミカルに描かれているけど、これは本心だよね。ぼくも部下の失敗をかばったことはあるけど、やっぱり「自分がよく思われたい」からであって、部下を助けるためではないもん。


(幕間映像)えりありーだー憧れられ四十八手


様々なシチュエーションで「部下に憧れられる方法」を紹介する映像。途中からエリアリーダーが弾丸を日本刀で真っ二つにするなど天才剣士であることが判明……。


トヨモトのアレ

不倫をしていることが社内中に知れわたり、さらに不倫相手に送ったLINEの内容を全社に知られてしまった豊本が落ちこんでいる。同僚の飯塚と角田がからかったり慰めたり叱咤激励したりするが、どうも角田の様子がおかしく……。
2017年3月に週刊誌報道で不倫が発覚した豊本氏。その一件を早速コントにしたのが本作。
「会社の受付嬢と不倫をしていた」という設定になっているが、その他の設定はほとんど事実のまんま。「LINEで『お尻なめたげる』と送った」などのインパクトのある設定も現実通り、なんだそうだ。

身内ウケを狙ったコントか、と思いきやそこで終わらせずに後半は「不倫を叱るふりをしながら手口を学ぼうとする同僚」に対してツッコミを入れることで不倫の一件を知らない人にも伝わるようにしているところがさすが。
そうそう、不倫をした人に対する世間のバッシングって「自分だけいい思いをしやがって許せない」っていう嫉妬心も混ざってるよね。少なくともぼくは「ちょっとうらやましい」って思ってるよ。


(幕間映像)トヨモトの反省


豊本と飯塚の会話を、昔のFLASHアニメのような小気味いいテンポで描くアニメーション。不倫行為を反省しているのかと思いきや「どうすれば世間に許してもらえるか」ばかり考えている豊本。その空想がどんどん飛躍していき……。


ステーキハウスにて

ステーキハウスで食事中の男がワインをこぼしてしまい、あわてて拭きにきた店員もワインの入ったデキャンタをこぼしてしまう。すると客は店長に対してクリーニング代、食事代、お食事券を要求しはじめる。ところが店員があることに気づき……。
「理不尽な因縁をつけるクレーマー」だけでも十分コントとして成立しているのに(「髪の毛全引っこ抜き」は笑った)、そこで終わらせずに「素性を知られてしまったクレーマーの葛藤」を描く後半につなげているのがすばらしい。
他人の目に映る自己の姿を意識して「たちの悪いクレーマー」と思われないように見苦しくあがくあまり、「たちの悪いクレーマーな上に"ええかっこしい"な人」に転落していく姿は滑稽を通りこして悲哀すら感じる。
利己心と虚栄心の間で揺れる心情がコミカルかつ丁寧に表現されていて、東京03のいいところが詰まったコントだった。


(幕間映像)MINIMUM REACTION GIRL『MMR』


ステーキハウスに来ていた客がプロデュースしたガールズユニットの曲。無駄に完成度が高い。


小芝居

こっそり社内恋愛していた角田と女上司の豊本が結婚することに。以前から角田の相談に乗っていた飯塚だが、角田から「知らなかったことにしてほしい」と頼まれて小芝居を打つことにする。ところがその芝居に角田が感動してしまい……。
東京03の魅力は練りこまれた脚本もさることながら(特に飯塚・角田両氏の)演技力の高さにもあると思うのだが、その飯塚氏の芝居のうまさが存分に発揮された傑作。
演技力が高くないと成立しないコント、という高いハードルを設定しておきながら、そのハードルを悠々と飛びこえている。観客の想定をはるかに上回る「意外な事実を聞かされて驚く演技」を披露して観客からの拍手をかっさらっていた。「芝居がうますぎて拍手が起こる」というのはすごい事態だよね。

全体的にハッピーな笑いがくりひろげられるコント……と思いきや背筋が凍るような衝撃のラスト。後味は悪いけど、個人的にはすごく好きなコント。


(幕間映像)劇団小芝居


「リアリティのある芝居」ではなく「わかりやすさのためにリアリティを排した小芝居」をする劇団の稽古を描いたアニメーション作品。
「なんで言えば伝わることを感じとってもらわなきゃいけないんだよ!」は安っぽいコントへの痛切な皮肉だね。
いまだに多いよね。「あー、付きあってる彼女から話があるっていってこんなところに呼びだされたけどいったいなんの話だろうな-」みたいな説明台詞から入るコント。
以前にも書いたけど、コントにおけるリアリティって軽視されがちだよね。自然さがないと笑えるものも笑えなくなるんだけどな。


悲しい嘘

入院中の彼女が「他に好きな人ができたから別れて」と言いだした。彼氏が当惑しながらも問いただしてみると、悪性の腫瘍が見つかったので余命が長くないことがわかる。何があっても支えてやると誓う彼氏だが……。
これも「こうなるだろうな」という予想通りの展開。そしてもうひと展開あるわけでもなくそのまま終わってしまうので拍子抜け。
「ただの本当」「腫瘍と好きな人どっちもできたってこと?」など、一部のフレーズはおもしろかったけどね。


(幕間映像)私、嘘をつきます


『悲しい嘘』の登場人物による歌。そしてライブ物販の宣伝。

謝ろうとした日

豊本の軽率な発言により絶縁状態になっている豊本と角田。豊本は共通の知人である飯塚に頼んで、角田に謝る場を用意してもらう。だが豊本の言動には誠意が感じられず、おまけに角田は来る途中にハプニングにまきこまれてはじめから不機嫌。さらに大事にしていたTシャツやタオルを勝手に使われたことで飯塚まで怒りだし……。
よくできたコント、なんだけど、うーん、予定調和的というか……。
構成作家のオークラ氏の脚本らしいが、いつものオークラコント、って感じなんだよな……。バナナマンのコントライブでも最後のコントはだいたいこんなパターン。いざこざが描かれ、伏線が丁寧に回収され、すべての問題は解決しないけど少しだけ前向きな未来が提示され、軽いメッセージとともに叙情的なラストを迎える、というパターン。パターンというほど形式化されてるわけじゃないんだけど、でも毎回「最後はちょっといい話」だと飽きてしまう。
東京03の魅力って小ずるさ、虚栄心、妬み、僻みといった「誰しもかかえる醜い部分」の心理描写だと思うんだけど、このコントはその部分が弱い。「都会で成功している豊本に対する角田の嫉妬」はあるんだけど、それってすごくわかりやすいものだしね。「自分もそれなりにやってきたという自負」とかをもう少し掘りさげてほしかったな。

ただ、終盤で安易に「許す」と言わずに
「すぐには許せそうにないけど、そうなれるようにがんばってみるよ」
という台詞を言わせるところはすごく感心した。そうだよなあ、何年も恨んでいた相手に頭を下げられて「許すよ」と言ったらそれは嘘だもんなあ。小手先の感動狙いではない、実感のこもった台詞だ。


エンディングテーマ



後半は少し失速気味だったものの、総じて高いレベルの安定感。
腹を抱えて笑うという感じではないが、おっさんたちの無理のない演技が続くので疲れることなく観ていられる。こちらもおっさんなので「異質なもの」をずっと観るのはしんどいのよね。
118分というコントライブとしてはかなりの長さだが、音楽ありアニメーションありで退屈させない。コントの質の高さはもちろんだが、全体的なパフォーマンスとして見ても完璧といっていい出来だね。


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バカリズムライブ『類』


2018年4月8日日曜日

四歳児としりとりをするときの覚書



四歳の娘としりとりをするときに考えていること。

ボキャブラリーを増やしたい


意図的に「娘が使わなさそうな言葉」で返すようにしている。
ただし物の名前をそのまま表す言葉は、それを見ないと理解しにくいのでなるべく使わない。たとえば「アリジゴク」「すだれ」などは、それを見せて説明するのがいちばん正確なので、しりとりでは教えない。というより、それを見たことない四歳児に説明するのは不可能に近い。

四歳児でも理解できそうな概念的な言葉をよく使うようにしている。物そのものの名前ではなく、物のグループの名前とか。
昨日のしりとりでは「交代」「下着」「昔」「植物」などを言った。案の定、娘が「どういう意味?」と訊いてきたので、「代わりばんこすること」「パンツとかシャツとか、服の下に着る服」などと説明した。


同じ言葉で攻める


しりとりをしていると、「りんご」→「ゴリラ」→「ラッパ」→「パンダ」→「ダチョウ」のように流れが定型化してしまうことがよくある。
なるべく新しい単語を身につけてもらいたいので、意図的に同じ文字で攻める。「また『に』か~」と言わせる。
脊髄反射的に返せなくすることで新しい単語を必死に探すだろうし、そうすることで自分の語彙として定着するのではないかと思うので。


ヒントを与える


ほとんどの親がやっていると思うが、娘が答えに詰まったときにはヒントをあげる。
「砂漠にいる背中にこぶのある動物」など。答えたときは大げさに褒めてあげる。


動詞や形容詞は禁止しない


通常のしりとりでは用言(動詞、形容詞、形容動詞、助詞など)は禁止だが、娘とのしりとりでは禁止はしていない。「名詞だけだよ」と言ってうまく説明できる自信がないので。
禁止しているわけではないけど、ぼくは使わない。そうすると娘も意外と言わないものだ。
動詞や形容詞の語彙も増やしたいけど、語尾の文字がほとんど同じだからしりとり向きじゃないんだよねー。


恐竜の名前は勘弁してくれ


とまあいろいろ考えながらやっているのだが、恐竜がすべてを台無しにしてしまう。

娘は今恐竜にはまっていて、子どもの記憶力ってすごいからあっという間に数十種類の恐竜の名前を覚えてしまった。
しりとりをしていても「アロサウルス」「タルボサウルス」「カスモサウルス」「ケラトサウルス」「ワンナノワウルス」「ニッポノサウルス」「アンキロサウルス」「アルゼンチノサウルス」など、すぐに恐竜の名前で返してくる。
で、今書いたようにほとんどの恐竜の名前は「ス」で終わっている。
「ス」で終わらないのはミンミとかマイアサウラとかごく一部だけだ(ぼくもだいぶ恐竜の名前を覚えた)。

せめてもの抵抗としてぼくも「スイス」「スライス」「スタンス」「スペース」など "す返し" をするのだが、それすらも「ステゴサウルス」「スピノサウルス」「スティラコサウルス」「スコミムス」などではじき返されてしまう。


ほんと、恐竜の名前を次々に言われると「絶滅しろ!」と叫びたくなる。


2018年4月7日土曜日

音の発信源を特定する能力


四歳の娘とかくれんぼをしているときに気づいたんだけど、どうやら四歳児は「音の聞こえてくる方向」がわかっていない。

「もういいよー」と大声で言っているのに、ぼくのいる場所とは反対方向を探しにいく。

大人だったらそんなことはない。正確な位置までわからなくても、右から聞こえてきた音を左からだと間違うことはない(音の反射とかあればまたべつだけど)。

まあ四歳児だからな、と思っていたけど、こないだ六歳の男の子とかくれんぼをしたらやはり音の発信源を特定できておらず、見当違いの方向を探しにいっていた。

「音を聴いてその発信源を探知する」という能力は、どうやら生得的には備わってないらしい。



ぼくが小学校三年生ぐらいのときに友だちとかくれんぼをした際は、
「『もういいよー』と言うとどこにいるのかわかってしまうから、鬼は百秒たったら探しにいくこと」
というルールを採用していたと記憶している。

つまり、九歳頃には音を聴いて発信源を探す能力はある程度身についており、かつそれが当然のこととして共有されていたということになる。

個人差もあるだろうが、だいたい七歳ぐらいで「音発信源探知能力」が身につくようだ。


……遅すぎね?

生物として、生きのびる上でかなり基本的な能力じゃない?

たとえばオオカミのうなり声が聞こえてきたとき、きょろきょろあたりを見回してオオカミの位置を確認しているようじゃ、もう遅い。

現代では野生の生物に襲われる危険性はかなり低いけど、自動車やバイクという凶暴な物体が走りまわっている。
クラクションを聞いたら反対方向に逃げようとするのは本能的なものかと思ったけど、どうやらそうではないらしい。学習によって後天的に身につけないといけないもののようだ。

人間、初期スペック低すぎない?


2018年4月6日金曜日

巨乳を測るニュートン氏


いわし氏(@strike_iwashi)、花泥棒氏(@hanadorobou)と酒を呑みながら話していて、
「温度の『摂氏』『華氏』って、なんであんな漢字を書くんだ?」
という話になった。


で、Wikipediaを見てみるとどうやら
摂氏は、考案者のセルシウスさんを中国語で「摂爾修斯」と表記するから、
華氏は、考案者のファーレンハイトさんを中国語で「華倫海特」と表記するから、
だそうだ。
つまり「摂氏」とは「セルシウス氏」ということらしい。

この表記はおもしろい。
人名に由来する単位は他にもたくさんある。たとえば力の大きさを表す「ニュートン(N)」。


「『10ニュートン』を『ニュー氏10度』と表記したらおもしろいのにね」

「そんなの『ニュー』を漢字で書いたらぜったいに『乳』でしょ」

「『乳氏10度』って書いたら、巨乳が重力で引っ張られる力を表す単位みたいな感じがしますね」

「あの巨乳にかかる力は乳氏88度、みたいなね」


というばか話をした数日後、中国語で「ニュートン」をどう表記するか調べたところ、「牛頓(niu-dun)」だった。
「乳」ではなかったが乳っぽさは残った。