2017年7月24日月曜日

知恵遅れと言葉の変遷


 知恵遅れ、という言葉を最近聞かない。
 ぼくが小学校のときは、子どもも大人もふつうに使っていた。
 あの子は知恵遅れだからしょうがないね、というように。

 今だったら発達障害とかADHDとか自閉症とかダウン症とかいろいろ難しい名前が付けられるんだろうけど、当時は「知恵遅れ」とひとくくりにされていた。

 今、「知恵遅れ」は差別的だとして放送禁止用語になっているという。
「知的障害者」というのが正しいらしい。


 言われた側がどう受け取るかわからないけど、ぼくにとっては「知恵遅れ」のほうが寛容な言い方だという印象を受ける。
「知的障害者」というと、何かが決定的に欠けている人で、彼我の差は何があっても埋められないイメージ。
「知恵遅れ」のほうは、ただ遅れているだけ、そのうちそれなりの域に達するさ、いろんな人がいるからね、という懐の広さを感じる。

 まだ自転車に乗れない子。まだ逆上がりができない子。まだ背が低い子。まだ上手にしゃべれない子。まだ九九を覚えていない子。
「知恵遅れ」もそれと同列のような感じだ。まだ十分な知恵がついていない子。



 でもこれは「知恵遅れ」という言葉が公的に使われなくなったことで、イメージが変わっただけなのかもしれない。

 昔は「便所」というのは丁寧な言い回しだった、と聞いたことがある。
「厠」を丁寧に言い換えたのが「便所」だったのだとか。
 でもその言い方が普及するうちに、「便所」に汚いイメージがついた。便所はきれいな場所ではないから当然だが。今では「便所」と言われると汚いトイレ、というイメージだ。
 そこで「トイレ」が使われるようになった。「便所」より上品な言い方として。だが「トイレ」のイメージもだんだん汚れてきて、さらに上品に言いたい人は「お手洗い」と呼ぶようになった。
 きっと近い将来「お手洗い」も汚い言葉になってしまい、また新しい言葉が代わりに用いられることだろう。

 一方、ほとんど使われなくなったことで「厠」には汚いイメージがなくなった。ときどきトイレの入り口に「厠」と書かれた居酒屋がある。耳になじみの薄い言葉になったことで、逆に粋な言葉に昇格したのだろう。

「知恵遅れ」も同様に、使われなくなったことでマイルドなイメージになっただけなのかもしれない。トイレで例えて申し訳ないけど。

これは「便所」ではない



「ボケ」が「認知症」になり、「デブ」が「メタボリック」になり、「オバサン」が「熟女」になった。
 いずれも差別的なイメージを和らげるために考案された言葉なんだろうけど、人口に膾炙したことで、いずれの言葉も差別的なイメージを持ちつつある。

 こないだ病院に行ったら「AGAの方はご相談ください」というポスターが貼ってあって、AGAって何だろうと思って見てみたら「男性型脱毛症」(AGA:Androgenetic Alopecia)だと書いてあった。「ハゲ」が「AGA」になったのだ。
 きっと10年後の小学生は、ひたいの広い友人を「やーい、AGA!」と言ってからかっていることだろう。


 マイナスイメージのある言葉を次々に言い換えることに意味があるのだろうか、と思う。
 そんなことをしても、くさいものにふた、いやこれは差別的表現なので訂正しよう。臭的障害物質にふたをしてるだけじゃないだろうか。


2017年7月23日日曜日

喫茶店のモーニングを食べるために早起きした


そういや喫茶店のモーニングセットって食べたことないな。

そもそも朝食を外で食べることがほとんどないもんな。早起きなほうだから家で食べる時間あるし。
ぼくにとって喫茶店って時間をつぶしたり誰かと座って話したりするために行く場所であって、決してコーヒーを飲みにいく場所ではない。朝早くから時間をつぶすことも人とこみいった話をすることもないから、朝に喫茶店に行く理由がない。

しかし喫茶店のモーニングセットというのはすごくお得らしい。特に名古屋の喫茶店のモーニングは信じられないぐらいのボリュームがあってびっくりするぐらい安い、と聞いたことがある。

お得。
人類史上、この言葉に抗えた人物はひとりとしていない。誰しもお得には弱い。お得最強説だ。

もちろんぼくもできることならお得を享受したいと考えている。
お得にまみれて生きて、お得の内に死んで、葬儀で遺族から「いろいろあったけどまあお得な人生でしたよね」と言われたい。


しかしモーニングを食べるために機会はなかなか訪れなかった。
ふだんは妻が朝食を作ってくれる。「明日飲み会だから晩ごはんいらない」とは言えても、「明日モーニングだから朝ごはんいらない」と言うのは気が引ける。

まあそのうちモーニングチャンスもくるだろうと思っていたのだが、気づけばぼくも三十代なかば。若いころのように気ままに生きるわけにもいかず、自分の人生を自分で選択しなければならない。
ぼくは人生の選択を迫られていた。このままモーニングとは無縁の人生を送るか、それともモーニングに手を出すのか。

歳をとると、新しいことにチャレンジするのは難しくなってくる。モーニングに失敗したときに向けられる世間の目も、中年になるほど厳しくなるにちがいない。

ちょうど、妻が子どもを連れて実家に泊まりに行くことになった。
家にはぼくひとり。ふだんなら惰眠をむさぼるところだが、今がラストモーニングチャンスかもしれない。
ぼくは決意した。
モーニングを食べよう。決戦は日曜日だ。



数日前から妻に「日曜日、モーニングに行くから」と宣言した。
決意を公言することで自らの退路を絶つ作戦だ。
さらに「パンも納豆も日曜日までに切れるようにしといて」と伝えた。もう後戻りはできない。背水の陣でモーニングにのぞんだ。

モーニングのデビュー戦の舞台は決めてあった。
自宅から歩いて5分のところにあるコメダ珈琲店。
今では全国に600店舗以上を抱える大手チェーンだが、もともとはモーニングの本場・名古屋市発祥だという。
すばらしい。デビュー戦の舞台にとって不足なし。というよりいきなり武道館でデビューコンサートをやるようなものかもしれない。多少気後れしたが、退路を絶っている以上、今さら逃げるわけにはいかない。

事前に店の前をうろうろして、営業時間を調べておいた。全曜日午前7時開店。
日曜日でも7時からやってることに驚いた。そんな早くから喫茶店に来る人がいるのか?

だがぼくにとっては好都合。コメダのモーニングは午前11時まで提供しているらしいが、10時を過ぎると朝食というより「ブランチ」だ。やはりモーニングを食べるのはモーニングにかぎる。



土曜日の夜、ぼくは24時に床についた。ふだんはもっと夜ふかしすることもあるが、万全の体調でモーニングを楽しめるよう、早めに寝た。

6時半にセットしていたアラームが鳴る。
開店と同時に店に入ることも考えたが、あまり気負っているように思われるのも気恥ずかしい。
あえて家でゆっくりして時間をつぶした。時間をつぶすために喫茶店に行くことはあるが、喫茶店に行くために時間をつぶしたのははじめてのことだ。

8時にコメダ珈琲店に到着。
日曜日の8時といえば、まだ寝ている人も多いだろう。こんな時間に喫茶店に来るなんて相当奇特な人だけだろうと思ったが、あにはからんや、店内は9割の入りだった。
あと少し遅かったら店の前で待たなくてはいけなかったかもしれない。少々モーニング人気をあなどっていたようだ。

席について、モーニングメニューを熟読。
コメダ珈琲店のモーニングはA~Cの3種類。トーストにつけるものをゆで卵、たまごペースト、小倉あんの中から選べるというものだ。
なるほど、小倉あんがあるのがいかにも名古屋らしい。せっかくなので小倉あんのCセットにしよう。

コメダ珈琲店ホームページより

「たっぷりカフェオーレ」とCセットを注文。さらに「北海道生乳100%ヨーグルト(はちみつ添え)」も追加した。

待っている間にモーニングの値段をチェックしようとして、首をかしげた。値段が書いていない。
隅々まで見てみると、端のほうに小さな文字でこう書いてあった。

お好きなドリンクをご注文で、さくふわトーストとA~Cのいずれか1つ無料

無料!

まさか無料とは。モーニングがお得と聞いてはいたが、プラス100円でトーストがつきます、ぐらいのものだと思っていた。
しかも「無料」を小さな文字で書いている。ぼくがメニューを作る人なら、「無料!」といちばんでかいフォント&赤文字で書いてしまうだろう。それをせずに小さく書く、このつつましさがいい。

なるほど無料でトーストが食べられるのか。そりゃあみんな日曜の朝早くから足を運ぶわけだ。いやもちろんドリンクを注文しないといけないから無料ではないんだけど。

周囲のテーブルを見まわしてみると、客層はばらばらだった。
一人で本を読んでいるお姉さん、勉強している学生、老夫婦、子ども連れの家族、デート中のカップル。
老若男女がそれぞれモーニングを楽しんでいる。

昼間の喫茶店の客に比べて、みんな表情が弛緩しているように見える。まだ少し眠くて、でも疲れてはいなくて、リラックスしている。白熱した話をしたり、大笑いをしたりしている人もいない。ゆっくりとコーヒーを味わいながら、小さな声でぼそぼそと言葉を交わしている。隣の老夫婦はお墓参りの予定について話し、向かいの家族連れは昨日テレビで観た人工知能の話をしている。
とても穏やかな空間だ。

ぼくは携帯を取り出して、このブログ記事を書いている。家で書くときよりも筆が進む。刺激の少ない空気と、見知らぬ人がそばにいることから生まれるほどよい緊張感。

ふうむ。
この穏やかさを1時間以上満喫できて、カフェオレとトーストと小倉あんとヨーグルトで660円。これはお得だな。

モーニングは三文の徳。


2017年7月22日土曜日

【DVD感想】『ミスター・ノーバディ』

ミスター・ノーバディ(2009)

内容(Amazonプライムより)
2092年、世の中は、化学の力で細胞が永久再生される不死の世界となっていた。永久再生化をほどこしていない唯一の死ぬことのできる人間であるニモは、118歳の誕生日を目前にしていた。メディカル・ステーションのニモの姿は生中継されていて、全世界が人間の死にゆく様子に注目していた。そんなとき、1人の新聞記者がやってきてニモに質問をする。「人間が“不死”となる前の世界は?」ニモは、少しずつ過去をさかのぼっていく――。

ううむ。難解な映画だった。
事前に友人から「ストーリーが分岐している映画なんで、何も知らずに観たら矛盾だらけで混乱するよ」と聞かされていたので大混乱はしなかったが、それでも話の流れから振り落とされないようにするのでせいいっぱいだった。
なにしろ、同一人物のぜんぜんちがう人生が並行に語られる上に、時代も100年ぐらいのスパンの間をいったりきたりして、さらに心象風景もさしこまれるのだから。

「ん? これはどの人生のいつの時代の話だ?」と常に考えていないといけないような感じ。
途中で「この映画は完全に理解するのは無理だ」と気付いて、ストーリーを追うのやめてぼんやりと観ることに切り替えた。

モザイク画のように、部分をじっくり見るのではなく全体の雰囲気を味わう映画なのかも。
映像が美しいから絵画を楽しむように観るのがいいのかもしれないけど、ぼくは左脳型の人間で、絵画鑑賞も苦手なので、観ているのはまあまあつらかった……。


とはいえ、「あのときああしていたら今ごろはどんな人生だっただろう」ということは誰しも考えることだし、SFの永遠のテーマのひとつであるけれど、「あったかもしれない」過去・現在・未来という難しいテーマをうまく映像化したとは思う。




ところでこの作品を観ながら、ぼくは「映画というのは観客を拘束できるメディアだな」と考えていた。

ぼくは『ミスター・ノーバディー』を「退屈な映画だな」と思いながらも最後まで観た(途中で昼寝休憩をはさんだけど)。
それは「映画というのは序盤は退屈でも後半まで観たらおもしろくなることが多い」ということを経験上知っているからだ(もちろん最後までつまんないものもあるけど)。
これがテレビ番組だったら、3分も観ずに離脱していたと思う。
映画だと思うから最後まで観たし、ましてレンタルビデオ屋で借りてきたビデオとか、映画館で観た映画とかだったら、どんなにつまらなくてもお金がもったいないから途中で停止するとか上映中に席を立つとかはしないと思う(寝ちゃうことはあるだろうけど)。


エンタテインメントは、どんどん手軽になってきている。
音楽を例にとれば、昔だったら音楽家の生演奏を聴くしかなかったものが、レコードやCDでいつでも聴けるようになり、カセットテープやMDといった記録メディアで複製もできるようになり、今ではデータで遠く離れた人ともやりとりができる。
が、接触がかんたんになるのと比例して、離脱も容易になっていっている。
コンサートに足を運んだ人が途中まで聴いて席を立つということはほとんど起こらないが、CDを途中停止することにはさほど抵抗がない。

インターネット上にあるコンテンツは、手軽に消費される分、ものすごくかんたんに捨てられる。
本を買って1ページだけ読んで読むのをやめる人はほとんどいないが、WEBサイトを3行だけ読んで「戻る」ボタンを押す人はすごく多い。
テレビも同様で、つまらない時間が1分でも続けばみんなチャンネルを変えてしまう。
だからテレビ番組やWEBサイトでは、逃げられないように「この後驚きの結末が……」みたいな煽りを入れたり、過剰に目を惹くタイトルをつけたり、クライマックスを冒頭に持ってきたりする。
その結果コンテンツがおもしろくなっているかというと、そんなことはない。むしろ逆。

おもしろそうなタイトルに釣られて読んだらがっかり。冒頭がいちばんおもしろい、いわゆる出オチ。タイトルと見出しですべてを表していて本文を読む必要がまったくなかった。
WEBサイトなんてそんなものであふれている。

意味があって序盤にピークを持ってきているのならいいんだけど、耳目を惹くためだけにやっているのであれば、作り手にとっても受け手にとってもマイナスにしかならない。


その点、映画は「基本的に観客は最後まで観る」という前提があるから、いちばんおもしろくなるための構成にすることができる。
序盤はたっぷりと世界観の提示と状況説明に時間を使い、中盤から徐々に観客をひきこんで、ラストにクライマックスを持ってきて「最初はつまんないかと思ったけど終わってみればいい映画だったね」と言われるような作りにすることができる。
これは今の時代においては本当に贅沢なことだと思う。


しかしこれは「映画は最後まで観るもの」という認識を持っているおっさんだからであって、ずっと無料動画や見放題の動画提供サービスに親しんでいる若い人からすると、やはり映画も「つまんなかったらすぐにやめるもの」なのかもしれない。
「10分くらい観たけど退屈だからやめたわー。星1つ!」って考えの人が増えたら、映画もやはり過剰に序盤を盛り上げるストーリーと必要以上に期待を煽る演出ばかりになるのかもしれないな。

そんな時代になったら『ミスター・ノーバディー』のような「最後まで観ないとわけわかんない映画」は誰も観なくなっちゃうんだろうなあ……。



2017年7月20日木曜日

自殺者の遺書のような私小説/ツチヤタカユキ 『笑いのカイブツ』【読書感想】

ツチヤタカユキ 『笑いのカイブツ』

内容(「e-hon」より)
人間の価値は人間からはみ出した回数で決まる。僕が人間であることをはみ出したのは、それが初めてだった。僕が人間をはみ出した瞬間、笑いのカイブツが生まれた時―他を圧倒する質と量、そして“人間関係不得意”で知られる伝説のハガキ職人・ツチヤタカユキ、27歳、童貞、無職。その熱狂的な道行きが、いま紐解かれる。「ケータイ大喜利」でレジェンドの称号を獲得。「オールナイトニッポン」「伊集院光 深夜の馬鹿力」「バカサイ」「ファミ通」「週刊少年ジャンプ」など数々の雑誌やラジオで、圧倒的な採用回数を誇るようになるが―。伝説のハガキ職人による青春私小説。

「笑いに生きた」「笑いに人生を捧げた」なんて言葉があるけど、この本を読んでしまったらもうその表現は使えない。なぜなら、これほどまで笑いに生きた、いや笑いに狂った人間は他にいないだろうから。

「こんなところで止まってたまるか!」と思った。僕はもっと、加速したかった。21歳で死ぬつもりで生きていた。次第にアルバイトという行為は、時間の空費だと感じるようになった。すべての時間を大喜利に費やしたいと思うようになった。
 ある夏の暑い日、給料を受け取るとそのままバイトを辞めた。
 僕は実家にいながら無職になった。
 母の冷たい視線をまるっきり無視し、起きている時間を大喜利に費やせる状況になった僕は、一日に出すボケ数のノルマを1000個から2000個に増やした。
 朝から晩までクーラーのない部屋で、裸で机にかじりついて、自分でお題を考えて自分で答え続けていた。ノート一冊を一日で使い切るくらい大喜利をした。
 とにかく、もっともっと加速したかった。誰よりも速く、濃く、生きたい。光の速さで生きて、一瞬で消えていきたかった。
 だけど、そんな気持ちとは裏腹に、いつもボケが1500個を超えたあたりで、誰かに殴られているみたいに、頭がガンガンして、死にたい気分になった。加速したい気持ちに、脳と身体が全然ついてこれていなかった。
 それでも毎日、ノルマの2000個に到達するまで、僕は絶対に、全力疾走をやめなかった。

イカれてるなあ。
誰に強制されたわけでもないのに、誰に賞賛されるわけでもないのに、ひたすら大喜利のボケを考えつづける。自分にノルマを課し、起きている時間のすべてを大喜利に費やし、寝る時間も削り、食べるものも減らし(「バイトする時間があれば大喜利のボケを〇個考えられるから」というのがその理由)、ひたすら大喜利に没頭する。ラジオ番組で採用されるための傾向を探り、戦略を立てる。大喜利の素材をインプットするために次々と本を読む。
彼にとっては趣味でもなければ努力でもない。「やらなければ死ぬ」呼吸のようなものだ。
どえらい人間だ。ここまで何かに打ち込める人間はまずいないだろう。テレビや舞台で活躍しているどの芸人よりも真摯に笑いに向き合っているはずだ。


で、誰よりもお笑いに打ちこんできたツチヤタカユキ氏がお笑いの世界で成功を収めるのかというと、そうではない。構成作家や漫才作家として何度もチャンスを棒に振り、挫折をくりかえす。
それは、お笑い以外のことがまったくできないから。

「お笑いと関係あらへんサラリーマンみたいなことやっとるだけや」
「おまえもやったらええやん」
「できんからこうなっとんのじゃ。お笑いの世界やのに、売れるのに、お笑いの能力関係ないって時点でな、オレの構成作家としての敗北は決定してん。それ以来な、なんかな、本気でお笑いやっとることが、アホらしくて、しょうがなくなってもうてん。オレ、これ何やってんねやろ?って。なんのためにこんな一生懸命やってんねやろ?って。何一つ報われへんのに。誰一人、見てくれてへんのに。でもな、そう思っててもな、どんどん技術とかセンスが上がって、オモロなっていっとんねん。先輩作家に1分しか使わんといたらな、1分でめっちゃええボケ出せるように、進化していきよんねん。それがホンマにむなしいねん。マジで、死にたなるねん。どうせやったら、もうお笑いに関する能力、全部、なくなってくれた方が幸せやわ、こんなんやったら」

お笑いのためならなんでもできるのに、人付き合いや社交辞令がまったくできない。
笑いを追及するために注いでいる情熱の半分、いや1割でも他のところに向けていれば「変わったやつだけどすごいやつ」としてもうちょっと評価されていたんだろうけど、その1割さえも振り分けることができない。
それでも彼の才能を見抜いてチャンスをくれる人もいる。だが彼は自らそのチャンスから逃げてしまう。そして苦しみ、のたうち回る。
10年間そのくりかえし。

努力の方向性が違うのだ。
めちゃくちゃキレのいいフォークボールを投げられるのに、他の変化球は投げられないしキャッチャーのサインは無視するし、守備はからっきし。それなのにフォークボールの練習ばかりしている。そんな感じ。

でも方向性が違うことは周囲にはさんざん言われているし、自分自身でもよくわかっているんだと思う。この人はうだうだ考えているだけじゃなく、ときどき思い切った行動を起こしている。吉本の劇場に飛び込んだり、漫才の台本を書くために東京まで移住したり。きっと自分自身でも「自分を変えなきゃ」という気持ちを持っているのだろう。

それなのに曲げられない。ちょっと迂回すれば壁の向こう側へ行けるのに、ずっと壁にぶちあたってはもがいている。

なんて不器用なんだ。いや狂っている。笑いに対して。



笑いの世界以外にも、「狂人と紙一重」と呼ばれる人は存在する。
ゴッホ、アインシュタイン、ヴェートーベン……。天才と呼ばれる人は、たいてい異常なエピソードをいくつも持っている。
それでも彼らはその圧倒的な才能で評価されている(その何百倍もの、評価されなかった「天才と紙一重」の人がいたんだろうけど)。
彼らが評価されているのは、ちゃんと才能を見抜いてくれたり、プロモーターとして売り込んでくれたりする人に恵まれたというのが大きいのだろう。

ツチヤタカユキの不幸は、その圧倒的な才能を「笑い」という、人付き合いとは切っても切りはなせない分野に向けてしまったことにある。
彼がその執念を、文学や絵画や音楽や陶芸に向けていたなら、あるいは超一級の天才として認められていたかもしれない。
なぜならそれらの芸術作品は基本的に作者の人間性とは無縁に評価されるものだから。石川啄木も太宰治もモーツァルトも才能がなければただのクズ野郎だけど、作品は作者の振る舞いとは関係なく(むしろマイナスがプラスになって)今でも燦然と輝いている。

でも「笑い」はきわめて属人的な表現手段だ。
同じことを同じ間で同じ調子で言ったとしても、明石家さんまが言うのとまったく無名のお笑い芸人が言うのとでは笑いの量は変わってくる。
親しい友人の冗談はおもしろく聞こえるし、クラスの人気者はたいしたことを言わなくても笑いがとれる。
表舞台に立つ芸人なら言わずもがなだし、台本を考える裏方だって、挨拶すら返さない愛想のない男が考えた台本は採用されにくいだろう。

そういう世界をリングにして、それでも台本の中身だけで勝負してやると闘いを挑みつづけているツチヤタカユキという男の人生は「そのストロングなスタイルはかっこいいけど、さすがにどっかで折り合いをつけないと死んじまうぞ」と言いたくなる。

ぼくみたいなリングに立ちもしない外野の勝手な意見なんてツチヤタカユキ氏は唾棄するだけだろうけど、やっぱり言わずにはいられない。たぶんもう百回以上も言われてきたんだろうけどね。



『笑いのカイブツ』を読んで、自殺者の遺書ってこんな感じなのかなと思った。読んでいて、鼓膜の奥がわんわんと震えるような魂の咆哮が聞こえた。
「これを書き終えたらこいつ死ぬんじゃないか」ってぐらいの迫力。

今さら彼が要領よく世の中を渡ってゆくことはできないだろうけど、きちんとマネジメントしてくれる人に出会ってくれたらいいなあと切に願う。
彼ほどの才能が埋もれたままであるのは、社会にとっても大きな損失だから。


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2017年7月18日火曜日

ミツユビナマケモノの赤ちゃんを預けられて/黒川 祥子 『誕生日を知らない女の子』【読書感想エッセイ】

内容(「e-hon」より)
ファミリーホーム―虐待を受け保護された子どもたちを、里子として家庭に引き取り、生活を生にする場所。子どもたちは、身体や心に残る虐待の後遺症に苦しみながらも、24時間寄り添ってくれる里親や同じ境遇の子どもと暮らし、笑顔を取り戻していく「育ち直し」の時を生きていた。文庫化に際し、三年後の子どもたちの「今」を追加取材し、大幅加筆。第11回開高健ノンフィクション賞受賞作。

ファミリーホームとは、保護を必要とする子どもを自宅で5~6人受け入れて養育する仕組み。
児童養護施設とはちがって家庭で子どもを育てることができ、複数の人で複数児童の面倒を見るという、施設と里親の中間のような制度だ。

ノンフィクションライターである著者がいくつかのファミリーホームを訪れ、虐待されて保護された子の状況を取材したルポルタージュ。
著者の気迫が伝わってくるようなノンフィクションだった。



ぼくはずっと子どもをほしいと思っていたので、もし自分に子どもができなかったら里親になろうかなと考えて、資料を取り寄せたこともある。
実子が誕生したので今のところ里子を引き取るつもりはないが、この本を読むと里親になるのは、ぼくが考えていたほど甘くかんたんなものじゃないとわかる。
「生い立ちで少々苦労した子でもふつうに育てていれば他の子と同じように成長するはずだ」という考えがいかに浅はかだったか、よく思い知らされた。

虐待を受けた子は発達障害のような状態になることが多いのだという。他の子や里親との協調関係を築くことができず、それどころか育ての親に対して怒りの矛先を向ける子も多い。

 なぜ、あたたかく迎えてくれた人を苦しめるのだろうか。前出のあいち小児・診療科の新井康祥医師はこう話す。
「虐待を受けた子どもたちが抑え込んでいた怒りは、保護されて安心や安全を感じるようになることで、次第に表に出てきます。本来、その怒りは虐待をした親に向けられるべきなのでしょうが、子どもにとってそれは危険極まりないことです。親を攻撃すれば、もっと激しく親を怒らせてしまい、仕返しをされるのがわかっているので、怖くてできない。そして、そのやり場のない怒りは、優しく保護してくれる人たちに向かってしまうのです」

子どもが新しい家庭に慣れ、ためこんでいたものを少しずつ吐きだせるようになると、自分でも制御できない怒りを周囲にぶつけ、ののしったり、ときには刃物で傷つけることもある。
育てている側からすると、信頼されればされるほど怒りを向けられるわけで、なんともやりきれない話だ。
それこそが心に負った傷を癒すために必要な過程なのだ、と部外者なら言えるけど、当事者にしてみれば耐えられないだろう。
自分の子ですら「こっちはがんばって育ててあげてるのに!」と腹立たしく思うことがあるのに、まして血のつながりのない子で、しかも問題行動ばかりを起こす子を育てるなんて並大抵の苦労じゃないだろうな。


何年か前に声優が養子を虐待死させたとして逮捕される事件があった。
それだけ聞くとひどい人だという印象を持つけど、わざわざ養子を引き取っているわけだから愛情を持って育てていたのだろうし、そんな篤志家でも追いつめられてしまうからにはよほどの難しさがあったのだと思う。詳しい事情は知らないけど、部外者が「なんでひどい親だ」と軽々しく言えるようなものではない、ということは想像がつく。

「愛情を向ければ向かうほどこちらに牙をむいてくる子を愛情込めて育てなくちゃいけない」という立場に置かれても、辛抱強く付き合いつづけられるだろうか。
ぜったいに虐待はしません! と断言することは、ぼくにはできない。



『誕生日を知らない女の子』では、かつて虐待を受けていた子が、ファミリーホームに来てからもその"後遺症"に苦しめられる様子が書かれている。

 横山家に来てからも美由ちゃんは夜、何度もうなされた。
「うわーっ、うわーっ、ううー」
 身体の奥からふりしぼるような咆哮に、久美さんは飛び起き、美由ちゃんに駆け寄る。
「みゆちゃん、大丈夫? もう、こわくないからね。大丈夫だよ」
 美由ちゃんを一旦起こし、身体を撫でて「大丈夫、大丈夫」と耳元でやさしく言い聞かせる。身体を抱きしめ、背中を撫でて「もう、大丈夫だからね」と繰り返す。そうしなければならないほど、久美さんの腕の中で美由ちゃんは激しい恐怖におののいていた。あまりに夢が怖いので、眠ることもできない日が続いた。
 朝になって、落ち着いた時にどんな夢なのかを聞いてみた。
「みゆちゃん、怖い夢を見たの?」
「声がするの。お母さんのコワイ声がするの。『おまえなんか、連れてってやる。こんなところで幸せになったらだめだ。おまえなんか、不幸にしてやる。おまえみたいなやつはだめだ。おまえなんか、ぶっ殺す』って……」
 それは、実母の声だった。

このくだりを読んでぞっとした。母親の呪縛とはこんなに強いものかと。

「幼いころに親から受けた愛情はその後の人生において大きな支柱となる」という話をよく聞くし、じっさいそのとおりだと思う。ふだん意識はしないけど、「何があっても母親は自分の味方だろう」と思うし、そういう存在がひとりでもいるのといないのでは世の中の生きづらさはずいぶん変わってくるだろう。大人になってからもその経験はずっと支えになっている。

ということは逆に、幼いころに親からひどい目に遭わされた人は、ずっと苦しみつづけることになるのかもしれない。
新しい養育者がどれだけ愛情いっぱいに育てたとしても、その記憶は上書きされることがないのかもしれない。幼少期の虐待は、刺青のように永遠に消えることがないのではないだろうか。
実母から「おまえを不幸にしてやる」と願われる人生なんて、ぼくには想像もつかない。



もうひとつ衝撃的だったのは、虐待する親のもとに帰ろうとする子どものエピソードだった。

実母からの虐待を受けて育った小学五年生の女の子がファミリーホームに引き取られ、いろいろと苦労もあったが少しずつ家庭や学校でうまくやっていけるようになった。その矢先に、実母から「うちにおいで」と言われた。
実母としては考えなしに言った言葉であり、異父兄弟である弟妹の面倒を見たり家事をしたりする子、つまりは「都合のいい働き手がほしい」と考えての言葉だった。だが、その子は大喜びしてしまった。「お母さんといっしょに暮らせる!」と。
ずっと虐待・育児放棄をしてきた母親であり、その再婚相手は自分の子どもしかかわいがろうとしない男。誰がみたって、母親のもとに戻れば不幸になることは目に見えている。
だが今の制度では、実親が引き取ることを希望した場合、里親やファミリーホームがそれを止めることはできない。たとえどんなに虐待の危険性が高かろうと。

母親から「うちにおいで」と言われた女の子がとった行動は、ファミリーホームや学校で「居場所をなくす」ことだったという。
わざと嫌われるようなことを言ったり、小さい子をいじめたりする。
自らすべてを捨てて「母親のもとに行くしかない」という状況をつくった。

「もう、なんでもいいから帰りたかったんだろうね。福祉司も止めたし、医師も反対だった。でも『奴隷でもいいから、帰りたい。おかあしゃんは女神さまのようにやさしくて、どんな願いもかなえてくれる』って最後は現実逃避にまで行ってしまった」

ファミリーホームの運営者の言葉だ。
子どもを虐待する実親と、自分の人生を投げだして子どもの世話をする育ての親。どちらにいたほうが幸せかは客観的には明らかだが、それでも、子どもは実親を選んでしまうのだ。「奴隷でもいいから」と言って。

そして彼女に待ち受けていたのは、奴隷以下の生活だった。学校にも通わせてもらえず、弟妹の面倒を見て、罵声を浴びるだけの生活。
ほどなくして彼女は別の里親のもとに引き取られ、病院に通う生活を送ることになったという。

「子どもの虹情報研修センター(日本虐待・思春期問題情報研修センター)」の増沢高研修部長は、「施設の子、里親の子もほとんどが、実の親のところへ帰りたいと言います。それほど親とのつながりというものは強い」と語る。
 なぜ、それほどまでに親を希うのか。一度は「捨てられた」も同然だったというのに。増沢氏は、キーワードは「喪失」なのだと説明する。
「子どもは、養育者に依存して生きる存在です。”捨てられた”も同然のように施設や里親に措置されても、それを認めたくない。”見捨てられる”ことへの不安と恐怖を強く抱いています。しかし時間と共に、事実として向き合わなければいけなくなった時、それは大きな喪失体験となって子どもを苦しめます。虐待はトラウマという、傷つけられた体験で語られがちですが、一番重要なキーワードは、喪失なのだと思います」

子どもにとっては、身体的な虐待を受けることよりも「親から捨てられたことを認めること」のほうがずっとつらいことなのだろう。

だからこそ子どもは、親から「おまえのために殴っている」と言われたら信じてしまう。そう信じたいから。
そして多くの虐待は表に出ることなく、くりかえされる。世代を超えて。



この本では、かつて虐待を受けて育った女性が子どもを産み、育て方がわからなくて苦悩する姿が紹介されている。

 子育てをしていく中、判断不能になる場面に沙織さんは多々出くわすという。
「たとえば、給食のランチョンマット。これ、毎日替えるのかどうかがわからない。気づかないからそのままにしていたら、学校から『毎日、替えてください』と注意されて、ネグレクトを疑われる。そんなん、私、一回だって洗ってもらったことがないからわからない」

ぼくにも4歳の娘がいるが、子どもと接してしていると自分が親にしてもらったことを思いだす。
風邪をひいたときはリンゴをすりおろしたやつを食べさせてもらったな、とか。ケガをしたことを隠していたらめちゃくちゃ怒られたな、とか。おもしろい話をしたときに「おもしろいねー!」と笑ってくれたけどあれは愛想笑いだったんだろうな、とか。
で、気がつくと自分が親にしてもらったことをそのまま子どもにしている。かつて親から言われたのと同じことを娘に言っている。
それは意図してやっているわけではなく、記憶の奥底に染みついたものを無意識にとりだしているだけだ。

ネグレクトで育った人にはその経験がないから、どうしたらいいかわからないのだろう。
上に書かれているランチョンマットを洗うかどうかは些細なことで、関係のない人からすると「まあ少々洗わなくても大丈夫でしょ」と思うけど、万事がその調子だったらすごくストレスだろう。

何の知識もない状態でミツユビナマケモノの赤ちゃんを預けられて「はい、このミツユビナマケモノをふつうに育ててくださいね」と言われるようなものかもしれない。ふつうに育てろっていわれても、その "ふつう" がわかんねーよ! という状態だろう。

まあ今はインターネットで人に訊けるからまだましなのかもしれない。
Yahoo!知恵袋で「こんなこともわからないのかよ。常識でわかるだろ」といいたくなる質問を見かけることがあるけど、もしかしたら親に育ててもらっていない人の疑問なのかもしれない。



虐待やネグレクトといった痛ましい事例を見ると「親が自分の子を育てる」というシステムは無理があるのではないかと考えてしまう。

今でこそ親が自分の子の面倒を見るのはあたりまえだけど、それってせいぜいここ100年くらいの話だ。人類の歴史からいえば、共同体単位で子どもの面倒を見ていた(というか親が放置していた)時代のほうがずっと長い。
親が子育ての全責任を負うほうがおかしなことなんじゃないだろうか。

以前、『ルポ 消えた子どもたち』 という本の感想として、こんなことを書いた。
ぼくは、子どもの教育に個人情報保護を持ち込むべきではないと思う。
教育というのは公的なものであって、各家庭に属する私的なものではない。
「人に迷惑をかけてはいけません」と教えるのはその子のためじゃない。社会のためだ。
憲法にも「教育を受けさせる義務」があるように、親には「子どもを教育する義務」はあっても「子どもを好きなように育てていい権利」はない。
私的な行為じゃないから当然ながら個人情報保護の対象とすべき事柄じゃない。

そのへんが勘違いされているのが近代の病だね。
どうにかしてみんなで育てる仕組みを作れないものだろうか。7歳になったら強制的に親から引き離して寮に入れる、みたいな。
教育費はすべて国の負担。ただし一定の能力がないと高校、大学には進学できなくする。
これは平等だ。社会主義国家みたいだな。
でも親の経済状況と関係なく能力のある人に学べる機会を提供する、というのは社会全体で見たらいいことだと思うな。
親の負担はぐっと減るし、虐待やネグレクトもずっと少なくなるだろう。7歳まで育てればお役目終了だから次の子どもも作りやすい。
いろいろな事情があって実親に育ててもらえない子どものつらさも、だいぶ和らぐことだろう。


ぼくは、自分の娘をとてもかわいいと思う。とてもかわいいからこそ、こう思う。「かわいがりすぎちゃ、いかん」と。

少子高齢化の弊害が叫ばれている今、なすべきことは「親を大切に」「子どもには愛情を持って接しましょう」という考えを捨てるべきことなんじゃないだろうか。

今の世の中、「親の介護のために仕事を辞める」「仕事をしながら子どもの世話ができないから子どもを産まない」なんてことがめずらしくないよね。
どう考えたって生物としておかしい。老親を介護したって遺伝子を残すことにはまったく貢献しないからね。
ぼくたち生物は遺伝子の乗り物なんだから、遺伝子様ファーストで生きていかなくちゃならない。

今いろいろと話題になっている2分の1成人式なんかもってのほかだよね。
教育勅語の復権をと主張している大臣もいたが、それも論外。
むしろ「自分の親や子を大事にしてはいけません」と教えなくちゃいけない。
昔の人が親を大切にしてなかったからこそ「親を大切に」「親の言うことは聞きなさい」という儒教や教育勅語の教えが意味を持っていたわけで、今はむしろ逆のことを言わなくちゃいけない。

「親なんか大切にしなくていい」「子どもなんかほっときゃいい」という考えがあたりまえになれば、少子高齢化の問題はだいぶ緩和されるだろうね。

もちろんそのときは他の問題が出てくるんだろうけど。


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