2016年5月20日金曜日

【エッセイ】捨てなくてよかったアジスロマイシン

みんな、余った薬ってどうしてる?


風邪ひくよね。
病院いくよね。
薬もらうよね。1週間分。

3日で治るよね。
薬飲まなくなるよね。
その、残り。


一応おいとくよね。
ぶりかえすかもしれないからね。

で、そのまま。
その薬を後に飲んだことはあるだろうか、いや、ない。


数ヶ月後にまた風邪をひく。
たしか前にもらった薬があったはずーと思って冷蔵庫をさぐると(あたしは薬を冷蔵庫にしまう)、薬が出てくる。

やったー!
捨てずにおいててよかった!



でも。

こわくて飲めない。

たぶんこれは風邪薬だと思う。
たぶん。
けど、この「アジスロマイシン錠250mg」が風邪に効くという確証が持てない。

もし、風邪薬じゃなかったらどうしよう。
下剤だったらどうしよう。
耳を溶かす薬だったらどうしよう。


そもそも。
これはほんとに飲み薬なのか。

粉末にして水にとかして注射器で静脈に打ちこむのがただしい服用方法かもしれない。

飲んで大丈夫か。

飲んだら耳が溶ける薬だったらどうしよう。



そんな不安に負けて、結局いつも冷蔵庫の薬は飲めない。

結局、病院にいく。

また薬をもらう。

出されたのは、カルボワシステイン錠500mg。

ああよかった。
冷蔵庫にあるアジスロマイシン錠とはちがう薬だ。
家にあるのと同じ薬だったらもったいないもんね。


で、新しくもらったカルボワシステイン錠を全部飲む前に、また風邪がなおる。

そしてまた、何の薬だったか忘れられるカルボワシステイン錠。



こうして、あたしの冷蔵庫には耳が溶ける薬ばかりがたまってゆく。




2016年5月17日火曜日

【読書感想文】奥田英朗『どちらとも言えません』

内容(「BOOK」データベースより)
スポーツに興味がなくても、必読。オクダ節エッセイ集。
サッカー後進国の振る舞いを恥じ、プロ野球選手の名前をマジメに考え、大相撲の八百長にはやや寛容?スポーツで読み解くニッポン。
スポーツはやって楽しく、観て楽しく、そして語ってこそ楽しい!プロ野球に大相撲、サッカーW杯からオリンピックまで、スポーツ大好き作家が勝手気ままに論じます。サッカー後進国の振る舞いに恥じ入り、プロ野球選手の名前をマジメに考え、大相撲の八百長疑惑にはやや寛容?オクダ流・スポーツから覗いてみるニッポン!
「Number」に連載されたスポーツエッセイ。毎回ワンテーマ10枚で、連載全26回+2010年サッカーW杯臨時増刊4回分。 基本的に特定の選手やチームには一切取材せず、一ファンとして、あるいは単に観戦した者として、フリーの立場から綴っているので極めてニュートラルな書き方になっているのが特徴です。そのため、とりあげた選手や競技について読者の側に知識がなくても、スポーツを中心にすえた文化論として読めます。もちろん、著者ならではの軽妙な語り口は健在。著者の若い時代に見聞きした話も多数入っているので、40代以上の読者には特にお薦めな一冊。

奥田英朗氏ってこんなにエッセイがうまかったのか。

スポーツのことをこんなにおもしろく語れる人は多くない。
スポーツはもちろん、社会一般や他国の文化や人の心の機微にも造詣が深く、それなのにあくまで観戦者の立場を守りつづけた文章を書けるのはすばらしい。

スポーツライターには無理だろうね、このほどよい温度感でエッセイを書くのは。
関係者だと利害関係が生じるから思いきったことは書けないし、どうしたって「世間一般の人は知らない、入念な取材に基づくここだけの裏話」になってしまう。
それだといいルポルタージュにはなってもおもしろいエッセイにはならない。

その点、奥田英朗氏は本業が小説家なので、スポーツ業界からどう思われたっていいやぐらいの気持ちで書いているのだろう。肩に力を入れずにあることないこと書いていて気持ちがいい。
たとえば、2010年のサッカーワールドカップについて書いたこんな文章。
 ところで、今大会最大のスターはC・ロナウドとメッシだろうが、彼らがハンサムかどうかという議論はさておき、印象的な顔であることは間違いない。ロナウド君は、粋がった町のチンピラ顔なんですね。ラテン女にモテモテで、目一杯自分を飾るが、どこか安いムードが漂う。ギャング映画だと序盤に殺されそう。一方のメッシ君は学生顔。ノートと教科書を抱えてキャンパスを歩くのが似合っていて、青春学園物のネクラな脇役によいのではないか。ついでにパク・チソンは丁稚顔。岡崎は柴犬顔。中澤はEEXILE顔。いやすまない。さっきから失礼なことばかり書いている。
どうです、こんな無責任なことを書ける人がスポーツライターにいますか。いないでしょう。
匿名掲示板にだって書くのを躊躇していまいそうな“適当発言”。
これを由緒あるスポーツ情報誌『Number』に署名入りで書いてしまうのだから、根性がすわっているというかなんというか。


ぼくはほぼ毎年高校野球を観るために甲子園に行くのだが、友人とビールを飲みながら下劣なことばかりしゃべっている。
やれ「□□高校の監督は顔に知性が感じられない。学校の偏差値の低さが顔に出ている」だの、やれ「○○県は民度が低いからアルプススタンドの応援もダサい」だの、当事者に聞かれたらぶん殴られても文句のいえない低俗な軽口を叩いている。

これは友人しか聞いていないから言える冗談だけど、だからこそおもしろい。
『どちらとも言えません』もそれと同じ。
無責任だからこそ辛辣で痛快。
野球場で酔っぱらいが飛ばしているヤジみたいなもの。
妙にヤジがうまいおっさんっているもんね。
そういうおっさんはえてして改まって意見を求められると言葉に詰まっちゃったりするもだけど、おもしろいヤジをそのまま文章にできるのが奥田英朗氏の才能なんだねえ。

あくまで「観客の目線」。
エッセイのほとんどは、テレビ中継や新聞記事に基づいて書かれたもの。つまり、我々読者と同じ条件。
それにちょっとした考察や思いつきの要素が加えられることで、ぐっと読みごたえが増す。
 わたしはふと思ったのだが、もしかしてアメリカの野球って、日本の大相撲みたいなものなのではなかろうか。ワールドシリーズ(このネーミングからして傲岸不遜でしょう)が唯一無二の晴れ舞台で、五輪もWBCも眼中にない。ファンはグローバル化など少しも望んでおらず、おらが町のチームの勝敗のみに一喜一憂する。その証拠に、彼らは日本が優勝しても、「おめでとう。でもイチローも松坂もメジャーの選手でしょ」くらいの余裕の態度でいる。大相撲も同様で、仮に相撲の国別対抗戦をやったら、今なら文句なくモンゴルが勝つと思う。しかし日本人はそれほど危機意識を持たないような気がする。なぜなら朝青龍も白鵬もほぼ日本人として受け入れられているし、相撲は日本の国技で、その座が揺らぐことは永遠にない。世界の中心にいるという自負心が、国民の上から目線を増長させるのである。
さすがは小説家。
異国の文化も、このようなストーリーを持たせることで腑に落ちる。
「わかったような気になる」だけなんだけどね。
でもそれでいい。
だってスポーツ観戦自体ってそんなもんだから。スポーツ解説者なんて、勝手に選手の心情を憶測して、さも真実であるかのように説明してるだけだから。
スポーツ観戦に必要なのは真実ではなく物語性なんだよね。

そういやぼくは小学生のときに近藤唯之(元スポーツ新聞記者)のプロ野球エッセイをよく読んでいたけど、あれなんか完全に報道じゃなくて物語だったもんなあ……。


奥田英朗氏のエッセイは、正確性よりも「わたしはこう思う」というホンネを大事にしている。そして皮肉や警句もほどよく効いている。
これがまたスポーツをした後のような爽快感を味わわせてくれる。
たとえばこんな一節。
 これはマスコミ自身が一番わかっていることと思うが、スポーツ報道には、どこか「本当のことは言いっこなし」という雰囲気があるんですね。多少強引にでも盛り上げないと、新聞は売れないし、テレビの視聴率も上がらないのだ。
 たとえばバレーボール。なんでバレーボールのワールドカップが毎回日本で開催されるのか、考えてみるとよろしい。おかしいでしょう。永年開催権なんて。小さな声で言うと、興味がないんですね、他国は。好きにやっていいよ、なのである。
あーあ、言っちゃったよ……。
それをわかってても口に出さないのが大人のふるまいなんだけど、改めて言われると「いややっぱりそうだよなー」と苦笑。
みんなうっすら思ってるんだよね。


ちなみに、ぼくが思う「本当のことは言いっこなし」は、「みんな柔道なんかまったく好きじゃないんでしょ?」ってこと。

いやほんとつまんないもん。
そりゃ豪快に一本背負いとかきめてくれたらおもしろいよ?
でも、スポーツとしての柔道って(特にレベルの高い人同士の試合だと)点数稼ぎ & 時間稼ぎだからね。
でかい選手が胸ぐらつかみあったままじりじりじりじりすり足で歩くだけの競技なんて誰がおもしろがるんだって話ですよ。
ほんとはみんな興味ないけど、日本人選手がメダルを稼いでくる競技だから、オリンピックの時期になったら応援してるふりしてるだけでしょ?

もしもだよ。
国際オリンピック連盟が
「次のオリンピックから柔道はなしね」って言い出したとするよね。
けっこうな数の日本人が反対すると思う。
でもそれって、「日本の獲得メダル数が減るから反対!」じゃない?
「柔道をオリンピックで見たいから反対!」って人は柔道家以外にいる?

日本がすごく弱くなってメダルを1個もとれなくなったとしても柔道を見つづける人ってどれだけいる?


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2016年5月15日日曜日

【考察】答えは404 not found

「日本の中学・高校の教育は詰め込み型で、答えのある問題を解かせることしかやっていない」

みたいな偉そうな批判をする輩がいるけど、
てめえがテストで点とるための勉強しかしてこなかったことを日本の教育の問題にすりけてんじゃねえよ!

やるやつはやってるし、やらないやつはどんな環境でもやらねえよ!

ってうちの2歳児が言ってました。

2016年5月12日木曜日

【考察】失われしトキを求めて

佐渡島でトキが飼育されているというニュースが、「子どもたちに命の大切さを知ってもらいたい」というメッセージとともに流れていた。

命の大切さを知ってもらいたいなら、
もう保護なんてやめて、「かつて日本にはトキという鳥がいましたが、完全に絶滅してしまいました。決してトキの存在が戻ることはないのです……」
とやったほうが効果的だと思いますよ。

2016年5月11日水曜日

【エッセイ】妖怪キャベツ持たせ


見知らぬ女性につかまれながらキャベツを運んだときの話。




大学生のときのこと。
当時住んでいたアパートの近くには中高一貫の女子校があった。ぼくはその女子校の横を通って大学に通っていた(誤解しないでいただきたいが、女子校のそばを通っていたのは決して不純な動機ではなく、うら若い乙女の甘い香りを嗅ぎたいというきわめて純粋な気持ちによるものだ)。

少し肌寒い昼下がり。
ぼくが歩いていると、三十半ばの女とすれちがった。
“ふらふら”と“よたよた”の中間のような、おぼつかない足どりだった。
赤塚不二夫が生前100パーセントのアル中状態でテレビに出演していて、ガゼルがこの震え方してたらヤバい病気もってると思われて逆にライオンに狙われないぐらいだわってぐらいに震えていたが、ちょうどそのときの赤塚不二夫みたいな歩き方だった。

ゆっくりと歩いていた女はやがて歩みを止め、くずれるように道端に倒れこんだ。

あっ倒れた、と思った。
ほんとうに親切な人ならここで何も考えずにすぐさま駆けよるのだろうが、なにぶんぼくは性根が腐っているので、あら倒れちゃったよ、一応様子見に行った方がいいかしら、でも早めに大学行って空き教室で昼寝したいしな(かなりどうでもいい用事)と逡巡していた。

きっかけをくれたのは、ちょうど真ん前の学校から出てきた二人の女子高校生だった。
彼女らも女の人が倒れたことに気づいて「うわっ。人が倒れたよ」「やばいんじゃない?」と言い合っている。
女子高校生の存在に気づいてからのぼくの行動は素早かった。
すぐさま女の人に駆け寄り「どうしました? 救急車呼びましょうか?」と、どちらかといえば女子高校生たちに聞いてもらうためにつとめて優しい声をかけた。

倒れた女の人をあらためて見ると、顔に血の気がなくて、ものすごく痩せていて、ぼくが保健所の職員だったらとりあえずトラックの荷台に詰めこんでしまいそうなぐらい不健康なオーラを醸し出していた。
彼女は消え入りそうな声で「救急車は……呼ばなくても……いいです……。よくあることなんで……」と言い、しかし立ち上がるわけでもなく路上に座り込んでいる。
いやいやあんた立てなさそうじゃん、だいたいよく道に倒れますって第二次世界大戦のバターン死の行進かよ。

と、この時点で早くもめんどくさくなってきて(なにしろ性根が腐っているから)、さっさと救急車呼んで隊員に引き渡してしまおうかと思ったのだが、本人が呼ぶなって言ってるのに勝手に呼んで恨まれても嫌だしなあ、だってシッダルタが断食修行しすぎて死にそうになったときにスジャータが無理やり乳がゆを飲ませて助けたら感謝されるどころか修行の邪魔したみたいに言われてたしなあとか手塚治虫の『ブッダ』のストーリー思い出してたら、さっきまで心配そうに見つめていた女子高校生たちが、女の人の生命に別状はなさそうなこととぼくが声をかけたことで安心したみたいで、あっさり立ち去ってしまった。

こうなるともういい人のふりをする理由もないのだが、かといって「じゃっ、お元気で!」とさわやかに言ってこの場を離れるのも、高校生の前でいいかっこしたいという魂胆が見え見えなので、女の人の心配をするふりしながら突っ立っていた。

「ほんとに救急車呼ばなくて大丈夫ですか」

「ええ……。ちょっと……休めば治るんで……。ありがとうございます……」

べつにあなたのことを気遣ってるわけじゃなくて、救急車呼ぶなり立ち上がるなりしてもらわないと、一度声をかけた手前、この場を離れづらいじゃん。

それにほっといてもし今晩のニュースで「女性がのたれ死にました。都会の冷たさが生んだ悲劇とでもいいましょうか」とか古舘伊知郎がしゃべってんのを聞いちゃったら寝覚めが悪いしさ。
とはさすがに口に出して言うわけにもいかず「立てないようなら肩貸しましょうか」と云ってしまった。

そしたら女はまってましたと言わんばかりに「ほんとですか。ありがとうございます!」と若干元気よく食いついてきて、さっきまでの「ええ……ちょっと……」みたいな息も絶え絶えなかんじのしゃべり方はどこいったんだよ、と少し
イラっとしたものの、一度言いだした以上は今さら「やっぱ疲れるの嫌だからさっきのなしで」とも言えず、肩を貸すことになった。

そんで隣にしゃがんだら、信じられないぐらい強い力が肩にのしかかってきた。
うそでしょ?
だってこんなに細い人なのに。
体重以上の圧かかってない?物理法則ちゃんと機能してる?
立つために必要な分の倍ぐらい力かけてない?

あーこれ読んだことあるやつだ。
子どもの頃持ってた『ようかいだいずかん 日本のようかい編』で。
そう、こなきじじい。
おんぶしたら石に変わるっていう、人の善意につけこむ鬼畜妖怪。
いたんだ。現代にも。


で、左肩むしりとられんじゃねえかってぐらいの力でしがみつかれながらもなんとか立ち上がった。
そのときはじめて気づいたんだけど、この現代版こなきじじい、いっちょまえに荷物持ってんの。
ハンドバッグと、キャベツ。


キャベツ……?


なぜだかわからないけど、キャベツ1個だけ持ってる。
袋とかなくて、丸のままのキャベツ。
買い物帰りなんだろうけど、ふつうキャベツ裸で持ち歩くかね。
しかもおかず買いに行ったら、肉とか魚とかも買うと思うんだけど。
キャベツだけをバリバリかじっているなんて、ますます妖怪じみている。


そんでさ、立ち上がった拍子にハンドバッグ落としちゃったわけ(キャベツは無事)。
そりゃそうだよね。
だって全身全霊の力をこめて、ぼくの肩肉に指をくいこませてるんだもの(たぶんもう肩が紫色になってる)。
そんなに肩に力かけてたら、ハンドバッグ持ってる方の手に力なんか入るわけない。

だからね。見かねて云ってやったわけ。
「荷物持ちましょうか」って。
もう女子高校生もいないのによ。
純粋な親切心で。

そしたらその女、ちょっとためらって断るんだよ。
あ……いや……いいです……。
なんつって。

まあわからんでもないよ。
貴重品とか入ってるだろうし、初対面の男に荷物預けるのは不安って気持ちは。
でもさ。
こっちは倒れてるところを助けてやった(っていっても肩の肉を紫色になるまでつかませてやっただけだけど)恩人なわけよ。
そんな人間が盗みをはたらく悪人だと思うのか! 失礼な!

もし盗むんなら倒れた直後にハンドバッグひったくって、すぐに走って逃げて、角を曲がったところの自販機の下あたりにハンドバッグ押し込んで万が一捕まっても証拠が残らないようにしてその場を離れてから、ほとぼりが冷めた頃を見計らって金品だけ回収に来るわい!(まあなんて計画的な悪人)

と思ってたら、それが顔に出ていたのか、女の人もせっかくの申し出を無駄にしちゃ悪いと思ったらしく、
「じゃあ……これ、持ってもらってもいいですか……」
とキャベツを差し出してきた。

というわけで、ふらふらの女に左肩をわしづかみされながら、右手でキャベツを裸のまま抱えて、近所に住んでいるという女の家まで歩くことになった。


道中はほとんど会話なし。
訊きたいことはキャベツの繊維の数ほどあった。
なんでキャベツ1個だけ買ってんの?とか
なんでそんなに痩せてんの?とか
なんでよく倒れんの?とか
なんで救急車呼ばないの?とか。

でもどの質問しても返ってくる答えは「お金がないから」だろうなってことがその頃にはもう薄々わかってきてたから、結局何も云わなかった。明らかにお金なさそうな風貌だったし。
うかつにお金の話題になって、見ず知らずの女から「お金貸してもらえませんか」って云われたら困る。
そりゃあ、こっちも貧乏学生だとはいえ、そして性根が腐っているとはいえ、人の命に替えられるならいくらかはカンパしてあげたいとは思う。
だけどこの女、さっき立ち上がるために必要な分以上の力をぼくの肩にかけたことから察するに、生きていくために必要な分以上を要求してくる可能性がある。ガーデニングしたいんで肥料買うお金貸してもらえませんか的な。

そんなわけでお金の話にならないように警戒しながら送ってやったのだが、その人の家に着く前に「あ……ここらへんでいいです……。あと少しで家なんで……。ありがとうございました……」って云われて、ああ見ず知らずの男に自宅を知られないように警戒されてるんだなあと思ってちょっと悲しくなった。

一応人助けしたのに、よほど心の汚さがにじみ出ていたみたいで、ハンドバッグは預けないわ、自宅は知られないようにするわで、とうとう最後まで警戒されたままだった。
ぼくはただ純粋に、女子高校生の前でいいかっこしたかっただけなのに。
でもぼくも借金を申し込まれないかとずっと警戒していたわけで、そのへんはお互い様だ。


というわけで人助けなんていうと聞こえはいいけど、実際は助けたり助けられたりしながらもけっこう腹のさぐりあいをしているものよね。