本屋で働いていたときのこと。
店に駐輪場があった。
よくそこに自転車を放置して、どこかへ出かける人がいた。
あるとき、開店前に三十歳くらいの白人男性が自転車で駐輪場にやってきた。
自転車を置いてバス停へと歩いていこうとしたので、呼び止めて注意をした。
「すみません。ここに自転車を置いていかないでくださいね」
「ドウシテデスカ」
「ここはお店を利用する方のための駐輪場なんで」
「アーハイハイ。ワタシ、コノ店ヨク利用シテマスヨ」
「えーっと。そうかもしれないですけど、今はまだ開店前ですよね。店を利用する時間だけ、駐輪場を使ってもいいんです」
するとその男性、突然顔を赤らめて
「ドウシテデスカ! ドウシテワタシダケニ言ウデスカ! 他ノ人モ停メテルジャナイデスカ! コノ人モコノ人モコノ人モ!」
その言葉を聞いて、ぼくはちょっとうれしくなった。
よく「みんなやってるからオレも」というような思考が日本人的だと言われているけど、なんだ外人もけっこう長いものには巻かれてんじゃないか。
2016年9月1日木曜日
2016年8月30日火曜日
【ふまじめな考察】勝者の論理
そうだのう。
昔もいじめはあったが、わりとみんなあっけらかんとしていたなあ。
ガキ大将が堂々とぶん殴ってたから、いじめられた側も根に持ったりしなかった。
わしもいっぱい殴ったし、同じくらいいっぱい殴られた。
みんなそこから社会のありようを学んだりしていたもんだ。
殴るほうもちゃんと加減をしていたんだ。
でも今のいじめは、ほら、インターネットを使ったりして陰湿だろ?
外で遊ばなくなったことや、教師が体罰をしなくなったことが原因なんだろうな。
それから、昔の戦争は、今みたいに陰湿じゃなかった。
剣や銃で正々堂々と闘ったから、殺されたほうも恨んで幽霊になったりせずにあっけらかんとしていたものだ。
イギリスやアメリカみたいなガキ大将が力でねじ伏せる戦争をしてたからな。
みんなそこから国際社会のありようを学んだものだ。
でも最近はインターネットを使って情報収集をしたり、コンピュータを使って遠くから空爆したりして、やり方が陰険だろう?
だから兵士が帰国後に精神病になったりするんだ。
昔はちゃんと残党狩りをしたり敗戦国に無茶な講和条約を押しつけて力を削いだりしたから、復讐の連鎖なんてものも生まれなかった。
今は敗戦国を民主化しようとしたりするから、テロが生まれたりするんだ。
それも、子どもが外で遊ばなくなったことや体罰がなくなったことが原因なんだ。
昔の戦争はからっとしててよかったなあ。
2016年8月29日月曜日
【エッセイ】ぼくがヒーローじゃない理由
たとえばぼくが空を飛べるとして。
一撃で敵を倒す必殺のパンチをもっていたとして。
頭を切られても何のダメージも受けないぐらい頑強だったとして。
自分の頭がおいしいアンパンの味だったとして。
食べられた後は、工場長的な人が代わりの頭部を補修してくれるとして。
目の前におなかがすいた人がいたら、アンパンマンのように
「さあぼくの顔をお食べよ」
と微笑みながら言えるのか?
って考えてみたわけです。
うーん……。
無理だろうな……。
たとえノーリスクだとしても、できることなら自分の顔面は食べさせたくない。
痛みがなくても、なんか嫌だ。
相手のおなかのすきぐあいによるかもしれない。
「おなかすいたよー! えーん、えーん!」
ぐらいだったら、まちがいなく食べさせない。
「そうは言ってもまだ我慢できるよね?」
「つばとか飲み込んだらちょっとは気がまぎれない?」
「市役所とかに相談に行ってみた? 意外と公的なサービスって充実してるよ?」
と、口頭だけで解決をはかると思う。
スジャータが思わず乳粥を飲ませてしまったほどガリガリに痩せていた断食中の釈迦(手塚治虫『ブッダ』参照)。
あれぐらいになってはじめて、自分の顔面を食べさせることを検討する(あくまで検討ね)。
でも、もし食べさせるとしても、せいぜい眉毛とか、唇の皮とかだと思う。
頭からかじられたら「おいこら! ショートケーキでもイチゴは後半だろ!」って怒る。
だから、肉体的な理由だけじゃなく、精神的にも、ぼくはヒーローにはなれないなと思う。
あっ、でも相手がとびきり美人な女性だったら話は別ね。
それだったら、彼女がお昼過ぎに
「あーちょっと小腹がすいたなー」
って言ってただけで、すぐに
「ぼくの顔をお食べよ!」
って言う。
「どこからでも食べていいよ!」
って言う。
「あっ、でも耳だけは最後まで残しておいてよ。きみがぼくの顔を咀嚼する音を聴いていたいから」
って言う。
痛みもなく、美女の整った歯によって噛み砕かれてゆくワタクシの顔。
おお。ぞくぞくする。
これってヒーローの素質ですかね?
2016年8月28日日曜日
【読書感想文】福岡 伸一『生物と無生物のあいだ』
福岡 伸一『生物と無生物のあいだ』
分子生物学研究者による科学エッセイ。
数十万部発行という科学書としては異例のヒットとなった新書ですが、読んでみたがどうしてそんなに売れたのかがふしぎでしかたがない。
<続きを読む>
2016年8月27日土曜日
【エッセイ】一休さんの水あめを食べた話
中学生のとき。
旅先のみやげ物屋で、「一休さんの水あめ」という商品を見つけました。
瓶にはアニメ版一休さんのイラスト。
すごくチープなデザインがかえって魅力的で、思わず買ってしまいました。
300円くらいだったと思います。
当時おこづかいとして月に1,500円もらっていましたから、月収の2割。
まあまあの額です。
一休さんの水あめといえば、もちろんあの有名な話に由来するものでしょう。
たしかこんなお話でした。
「このはし渡るべからず」「屏風の虎を捕まえろ」に次ぐ、一休さん界で三番目に有名な話(たぶん)です。
ところでみなさん。
水あめを食べたことがありますか?
ある、という方は少数派だと思います。
ぼくの周りの人に訊いてみましたが、食べたことないという人ばかりです。
Wikipediaには
ぼくが月収の2割もの大金をはたいてまで買ったのは、そんな水あめを食べてみたかったからです。
なにしろ、『一休さん』によれば、厳しい戒律を守って生きる徳のある僧侶(和尚さん)ですら独り占めしたくなるほどの食べ物なのです。
なにしろ、『一休さん』によれば、一休ひきいる小坊主たちが、師の大事な壺を割ってまでして食べようとしたほどの食べ物なのです。
おいしくないはずがありません。
和尚さんは、「これは毒だから食べてはいけないよ」と嘘をつきました。
山本 健治『現代語 地獄めぐり』(三五館)によれば、人を正しい道に導くべき立場にある僧侶が私腹を肥やすために妄言(ウソ)を口にすると、大叫喚第十六地獄【受無辺苦処】に落とされ、炎を吹き出す鋭い金属の口と歯を持った地獄の魚によって頭から噛み砕かれ、さらに腹の中で燃えさかる炎によって焼かれて苦しむという責めを味わうことになるそうです。
それだけのリスクを承知の上で、和尚さんは「これは毒だから......」と云ったのです。
どれほどおいしいのでしょう。
また、一休さんたちは水あめをなめる瞬間、こう考えたのではないでしょうか。
「和尚さんは『これは毒だ』と言った。私たちに食べさせないための嘘に違いない。でも万が一、ほんとに毒だったらどうしよう......」
一休さんは賢明な少年ですから、当然こんな思いが頭をよぎったはずです。
ふつうだったら、それだけで思いとどまるのに十分です。
知人から「この瓶の中身は毒だから絶対に食べたらだめだよ」と真顔で言われたら、たぶん冗談だろうと思ったとしても、万が一を考えて手はつけないでしょう。
ぼくだったらぜったいに食べません。
それでも一休さんは食べずにはいられなかった。
どれほどおいしいのでしょう。
......というようなことを考えて、ぼくは期待で胸をいっぱいにして水あめを口にしたのです。
え? おいしかったかって?
それは秘密です。
ぜひみなさんも一度食べてみてください。
そうすると、昭和40年頃までは食べられていたのに今では誰も食べない理由がよくわかると思います。
旅先のみやげ物屋で、「一休さんの水あめ」という商品を見つけました。
瓶にはアニメ版一休さんのイラスト。
すごくチープなデザインがかえって魅力的で、思わず買ってしまいました。
300円くらいだったと思います。
当時おこづかいとして月に1,500円もらっていましたから、月収の2割。
まあまあの額です。
一休さんの水あめといえば、もちろんあの有名な話に由来するものでしょう。
たしかこんなお話でした。
「このはし渡るべからず」「屏風の虎を捕まえろ」に次ぐ、一休さん界で三番目に有名な話(たぶん)です。
ところでみなさん。
水あめを食べたことがありますか?
ある、という方は少数派だと思います。
ぼくの周りの人に訊いてみましたが、食べたことないという人ばかりです。
Wikipediaには
昭和40年代頃まで盛んに行われていた街頭紙芝居には水飴が付き物で、子供たちが水飴を割り箸で攪拌して遊びながら、おやつとして食べていた。とありますから、今の60歳以上はわりとよく食べていたのかもしれませんが、今ではまず目にすることのないおやつです。
ぼくが月収の2割もの大金をはたいてまで買ったのは、そんな水あめを食べてみたかったからです。
なにしろ、『一休さん』によれば、厳しい戒律を守って生きる徳のある僧侶(和尚さん)ですら独り占めしたくなるほどの食べ物なのです。
なにしろ、『一休さん』によれば、一休ひきいる小坊主たちが、師の大事な壺を割ってまでして食べようとしたほどの食べ物なのです。
おいしくないはずがありません。
和尚さんは、「これは毒だから食べてはいけないよ」と嘘をつきました。
山本 健治『現代語 地獄めぐり』(三五館)によれば、人を正しい道に導くべき立場にある僧侶が私腹を肥やすために妄言(ウソ)を口にすると、大叫喚第十六地獄【受無辺苦処】に落とされ、炎を吹き出す鋭い金属の口と歯を持った地獄の魚によって頭から噛み砕かれ、さらに腹の中で燃えさかる炎によって焼かれて苦しむという責めを味わうことになるそうです。
それだけのリスクを承知の上で、和尚さんは「これは毒だから......」と云ったのです。
どれほどおいしいのでしょう。
また、一休さんたちは水あめをなめる瞬間、こう考えたのではないでしょうか。
「和尚さんは『これは毒だ』と言った。私たちに食べさせないための嘘に違いない。でも万が一、ほんとに毒だったらどうしよう......」
一休さんは賢明な少年ですから、当然こんな思いが頭をよぎったはずです。
ふつうだったら、それだけで思いとどまるのに十分です。
知人から「この瓶の中身は毒だから絶対に食べたらだめだよ」と真顔で言われたら、たぶん冗談だろうと思ったとしても、万が一を考えて手はつけないでしょう。
ぼくだったらぜったいに食べません。
それでも一休さんは食べずにはいられなかった。
どれほどおいしいのでしょう。
......というようなことを考えて、ぼくは期待で胸をいっぱいにして水あめを口にしたのです。
え? おいしかったかって?
それは秘密です。
ぜひみなさんも一度食べてみてください。
そうすると、昭和40年頃までは食べられていたのに今では誰も食べない理由がよくわかると思います。
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