2023年4月10日月曜日

【映画感想】『映画ドラえもん のび太と空の理想郷(ユートピア)』

『映画ドラえもん
のび太と空の理想郷(ユートピア)』

内容(映画.comより)
国民的アニメ「ドラえもん」の長編映画42作目。「リーガルハイ」「コンフィデンスマンJP」シリーズなど数々のヒット作や、2023年放送の大河ドラマ「どうする家康」などで知られる人気脚本家の古沢良太が、映画「ドラえもん」の脚本を初めて手がけた。空に浮かぶ理想郷を舞台に、ドラえもんとのび太たちが繰り広げる冒険を描く。
空に浮かぶ謎の三日月型の島を見つけたのび太は、ドラえもんたちと一緒にひみつ道具の飛行船「タイムツェッペリン」で、その島を目指して旅立つ。やがてたどり着いたその場所は、誰もがパーフェクトになれる夢のような楽園「パラダピア」だった。ドラえもんとのび太たちは、そこで何もかも完璧なパーフェクトネコ型ロボットのソーニャと出会い、仲良くなる。しかし、その夢のような楽園には、大きな秘密が隠されていた。

 九歳の娘といっしょに映画館で鑑賞。

 古沢良太氏脚本ということで期待して観にいった。『リーガルハイ』『コンフィデンスマンJP』もすばらしかったからね(しかし今年の大河『どうする家康』もやってて、仕事しすぎじゃないすかね)。

 期待通り、どころか期待を上回るすばらしい出来だった。ドラえもんの映画はだいたい観てるけど(主にテレビやAmazonプライムでだけど)、その中でも個人的ナンバーワンかもしれない。


(一部ネタバレあり)


グレート・マンネリズム

 ちょっと前に「ドラえもんの映画はだいたい同じ展開でワンパターンだ」っていう批判的な記事を読んだんだけどさ。

 わかってないなー! だいたい同じでいいんだよ。ドラえもんの映画のメインターゲットは何十年も映画を観つづけている大人じゃなくて(ぼくもそうだけど)、数年たったら劇場から足が遠のく子どもなんだから。わくわくする新しい世界を見せてくれて、異世界の住人との間に友情が芽生えて、敵が現れて窮地に立たされて、知恵と勇気と友情で強大な敵に立ち向かって、敵を倒して平和を取り戻してのび太たちは日常に戻る……でいいんだよ。むしろある程度はお約束通りに進むからこそいい。グレート・マンネリズムというやつだ。

 大枠が決まっているからこそ、「どんなきっかけで冒険をスタートさせるのか」「どんな新しい世界を見せてくれるのか」「理想的とおもえたその世界にどんな不都合が起こるのか」「どうやって敵の強大さを見せつけるのか」「その敵に各人がどう個性を活かしながら立ち向かい、どんな戦いをするのか」「どうやって収束させるのか」といった細部の設定で出来不出来が大きく変わる。

 そして、今作『のび太と空の理想郷』は細かい設定がどれも効果的だった。


ほら話

 おもしろいドラえもんの映画にはおもしろいほら話がある。

「いつも霧がかかっていて航空写真を撮れない〝ヘビー・スモーカーズ・フォレスト〟という森がある」「バミューダトライアングルは古代帝国が仕掛けた自動防衛システムだった」「アラビアンナイトは創作だが元になった話は事実だった」なんて、もっともらしいほら話を聞かせてくれる。

『空の理想郷』では、理想郷・パラトピアが時代や空間を超えて移動をくりかえしていることから、世界各地に伝わる空中都市伝説や竜宮城の伝説はパラトピアの目撃談だったのだというほら話が語られる。

 こういうの大好き!


道具をいかに封じるか

 ドラえもんの映画において最も重要なタスクが「ドラえもんの道具の力をいかに封じるか」である。

 ドラえもんの道具はうまく使えばほとんど無敵だ。時間も空間も飛び越えられるので、どんな困難な問題でもあっさり解決させてしまえる。それでは緊張感ある冒険にならない。

 だからほぼすべての映画で、「道具が故障して使えない」「ドラえもんが故障する」「四次元ポケットが失われる」「あえて道具を置いてくる」「道具の使えない世界を用意する」「ドラえもんの道具より優れた道具を敵が持っている」といったギミックをかますことで、道具の力を封じてきた。

 だがドラえもんをドラえもんたらしめているのは未来の道具であるので、封じすぎてもつまらない。

 この「どうやって道具を封じるか」「どこまで封じるか」が映画の成否を決めるといってもいい。

 『のび太と空の理想郷』はちょうどいい塩梅だった。序盤に「どこでもドアが壊れて四次元ごみ袋に入れてリサイクルする」という設定が提示されるが、それ以外の道具はほぼ使用可能。

 ほぼすべての道具が使用可能であるにもかかわらず、敵の策略によって知らぬ間に追い詰められていくドラえもんたち。このシナリオが絶妙だった。

 しかも、この「四次元ごみ袋」が終盤でキーアイテムとなるという周到さ。うーむ、隙が無い。


ほどよい伏線

 ドラえもんに限った話ではないのだが、最近のドラマや映画はどうも「伏線回収」が重視されすぎているきらいがある。

 もちろん伏線は物語をおもしろくしてくれるスパイスではあるが、それはあくまで調味料であってメイン食材にはなりえない。だから「あなたはラストであっと驚く!」「もう一度はじめから見直したくなる!」「映像化不可能と言われたトリックを初映像化!」などの伏線回収をメインに据えた物語はほぼ確実に失敗する。ほら、アレとかアレとかつまらなかったでしょ?

 古沢良太氏の脚本は、いつもうまく視聴者をだましてくれる。あっと驚く仕掛けを用意しているが、それは決してストーリーの中核にはならない。ストーリー自体は水戸黄門のように王道で、その中にほどよい伏線をピリリと効かせているからおもしろいのだ。

『のび太と空の理想郷』では、冒頭の「カナブン」「天気雨」などうまい伏線が用いられているが、観客である小さい子どもには理解できないかもしれない。だが、理解できなくてもちっとも問題ない。気づかなくても物語は十分に楽しめる。気づけばよりおもしろくなる(ところで種明かしの仕方は『コンフィデンスマンJP』っぽいよね)。

「小さい頃はわからなかったけど、数年後に観返してみたらこういうことかと気づく」と、二度楽しむこともできるかもしれない。


強すぎる敵、怖すぎる展開

 いっしょに観ていた娘は二度泣いていた。後で聞くと、「一回は怖くて泣いちゃった。二回目は感動して泣いた」とのこと。それぐらいおそろしい敵だった。

 なにがおそろしいって、すごく賢いのだ。『月面探査機』のようにとにかく物理的に強い敵ではなく、『空の理想郷』の敵は賢すぎておそろしい。のび太たちはほとんど戦う間もなく、知らぬ間に敵の罠にはまってしまう。

「住民みんなが勤勉で優しくてにこにこしているユートピア」が出てきた時点で、ある程度フィクションに触れた大人であれば「ああこれは裏で悪いやつが統制してるやつね」とわかるけど、たぶんほとんどの子どもはわからないだろう。で、ユートピアに見えたものが一枚めくると人間性を奪う管理社会だとわかったところで、途方もない恐怖におそわれるはずだ。

 さらに追い打ちをかけるようにジャイアンとスネ夫としずかの感情が奪われ、ドラえもんが自由を奪われた上に退場させられ、残ったのび太までも感情を支配される。絶体絶命のピンチ。これまでのドラえもん映画の中でも一、二を争うほどのピンチだったかもしれない。これまで「ドラえもんが機能不全」や「五人中四人が捕まる」なんてことはあったが、全員戦意喪失させられるとは。

 そしてピンチの度合いが大きいほど、切り抜けたときのカタルシスも大きい。のび太たちが感情を取り戻して立ち上がる瞬間は大人のぼくでもわくわくしたし、敵との戦闘の後にもさらなるピンチが訪れて最後まで息をつかせない。

 手に汗握る、一級品の活劇映画だった。


出木杉問題

 映画ドラえもんでは恒例となっている「序盤は登場する出木杉が冒険には連れていってもらえない」問題。

 出木杉ファンのぼくは、毎度悔しいおもいをしている。

 今回なんかは連れていってもよかったとおもうけどなあ。出木杉までが感情を支配されてしまったほうが怖さが増したとおもうし。元々いい子だから洗脳されていることに気づきにくいのも、うまく使えばプラスに働いたんじゃないかな。

 ま、前作『のび太の宇宙小戦争 2021』に比べればぜんぜんマシだけど。前回なんか、序盤は出木杉もみんなといっしょに映画をつくってたのに途中で「塾の合宿」という名目で退場させられて、いない間に他のみんなが冒険したどころか映画まで完成しちゃってたからね。ひどすぎる。だいたい出木杉って塾(しかも四年生から合宿するってことは相当な進学塾)に行くキャラじゃないとおもうんだけど。

 今回は「ただ誘われなかっただけ」だからまあいいや。前回は「途中からのけ者にされた」だからかわいそうすぎた。


お約束のあれやこれや

 映画ドラえもんではぜったいにやらなきゃいけない「ぼくはタヌキじゃない!」と「しずかちゃんの入浴シーン」。

 前者はどうでもいいとして、後者に関しては時世を考慮して、入浴シーンがあるものの「鎖骨から上あたりがちらっと映るだけ」である。

 ……やる意味ある?

 元々やる意味ないんだけど。まあ当初はファンサービス的なシーンだったんだろうけど(原作漫画だとけっこう大胆に裸が描かれていたりする)、エロくもなんともなくて、もはや何のためにやっているのかさっぱりわからない。そこまでして入れないといけないシーンなのか? とおもう。

 最初に「グレート・マンネリズム」って書いたけど、これは単に何も考えてないただのマンネリだよね。


メッセージ

 ぼくは「ドラえもん映画にしゃらくさいメッセージはいらない」と考えている。一時、ドラえもんの映画の中で環境保全だとか他の生物との共存だとかを訴えていたが、ああいうのはいらない。大事なのは一におもしろさ、二におもしさ、三、四がなくて五におもしろさ。

 おもしくするために必要であればメッセージがあってもいい。メッセージ性なんてしょせんその程度だ。

『空の理想郷』にもメッセージはある。「完璧な人間なんていない。欠点こそがその人らしさを作っている」といったことだろうか。「桃源郷であるパラトピアの住人と欠点だらけののび太」「パーフェクトネコ型ロボットであるソーニャとポンコツロボットのドラえもん」という対比を示し、後者は欠点があるからこそ愛おしいというメッセージを伝えている。

 これがとってつけたような説教ではなく、ストーリーに深く結びついている。このメッセージが背骨となることで、シナリオが頑強なものになっている。おもしろさのために必要不可欠なメッセージだ。


 そしてこのメッセージってさ、今作だけの話じゃなくて『ドラえもん』すべてに通底するメッセージじゃないかな。

 のび太ってまったくもって成長しないじゃない。話の中で気づきを得たり決心したり反省したりすることはあるけど、次の話ではまた元の怠惰な小学生に戻っている。いつまでたっても成長しない。

 そんなダメなのび太を、ドラえもんは決して見捨てない。バカな子なのに、いやバカな子だからこそ愛する。のび太に対するドラえもんの視点は友情ではなくほとんど母性だ(逆にママはあまりのび太を愛しているように見えない)。

 バカでもダメでもなまけものでも成長しなくても、それでも愛してくれる人がいる。『ドラえもん』で描かれているのはそういう物語だ。

『空の理想郷』は、それを二時間足らずで表現した映画だった。藤子・F・不二雄先生の遺志が今の脚本家や監督にもきちんと受け継がれていることを感じて、ぼくはうれしくなった。


【関連記事】

【映画感想】『のび太の宇宙小戦争 2021』

【映画感想】『のび太の月面探査記』

出木杉の苦悩

2023年4月7日金曜日

ツイートまとめ 2023年1月



なぞなぞ

美麗

優良

高級布団

喫煙

神経衰弱

共食い

自然食品

唯一解

人間性

横顔だけ有名人

ひのえうま

2023年4月6日木曜日

ズッコケ三人組シリーズを全部読んでの感想

 那須正幹さんの『ズッコケ三人組』シリーズを全巻読んだ(『中年三人組』除く)。

 26作目までは小学生のときに読み、27作目からは大人になってはじめて読んだ。

 その上で、自分なりに全作をランク付けしてみた。


■S(児童文学史に残る大傑作)

  4. あやうしズッコケ探検隊
 11. 花のズッコケ児童会長
 13. うわさのズッコケ株式会社


 やはりこの三作は別格。『探検隊』は『ロビンソン・クルーソー』や『十五少年漂流記』と肩を並べる(どころか上回る)サバイバルものの白眉だし、『児童会長』は正義のあぶなっかしさについて教えてくれる、那須正幹氏らしい名作。そして『株式会社』は経営学の教科書としてもすばらしい。もちろんどれも物語自体がパワフルでおもしろい。

 子ども時代に読んでおもしろかったという思い出補正もあるが、大人になっても十分読める。

 おもしろい作品に共通しているのは、三人組が主体的に行動を起こすこと、努力や知恵で状況を打開するが最後はズッコケること。やっぱり最後にズッコケてこそのズッコケ三人組。


■A(おもしろい!)

  1. それいけズッコケ三人組
  3. ズッコケ㊙大作戦
  7. とびだせズッコケ事件記者
 10. ズッコケ山賊修業中
 17. ズッコケ文化祭事件
 19. ズッコケ三人組の推理教室
 20. 大当たりズッコケ占い百科
 22. ズッコケTV本番中
 36. ズッコケ三人組のダイエット講座
 42. ズッコケ家出大旅行
 44. ズッコケ怪盗X最後の戦い


『㊙大作戦』『山賊修行中』『事件記者』『TV本番中』あたりは子どもの頃は「そこそこ」の印象だったのだが、大人になってから読むと当時よりもおもしろく感じる。

『事件記者』は、派手さこそないものの三人のキャラクターの活かし方や起承転結のうまさは随一といっていいかもしれない。『TV本番中』も、少年の喧嘩を繊細に描いた秀作。

 人間の心の暗部を描いた『㊙大作戦』『ダイエット講座』『占い百科』、カルト団体を描いた『山賊修業中』、ホームレスの生活に飛びこむ『家出大旅行』など意欲的な作品は、賛否わかれるだろうが個人的にはけっこう好きだ(娘は『占い百科』や『山賊修行中』は怖いから好きじゃないと言っていた)。

 ただ少年が元気に活躍するだけじゃない、嫌なところや醜いものをしっかり描いているのも初期ズッコケシリーズの魅力よね。お化けや幽霊が出てくる怪談じゃなくて、人間の怖さを書いた児童文学ってあんまりないもんね。わかりやすく悪い人じゃなくて、思想や価値観が大きく違う人の怖さ。


■B(まずまず楽しめる)

  2. ぼくらはズッコケ探偵団
  6. ズッコケ時間漂流記
  8. こちらズッコケ探偵事務所
 12. ズッコケ宇宙大旅行
 15. ズッコケ結婚相談所
 16. 謎のズッコケ海賊島
 21. ズッコケ山岳救助隊
 23. ズッコケ妖怪大図鑑
 25. ズッコケ三人組の未来報告
 26. ズッコケ三人組対怪盗X
 27. ズッコケ三人組の大運動会
 28. 参上!ズッコケ忍者軍団
 31. ズッコケ発明狂時代
 33. ズッコケ三人組の神様体験
 37. ズッコケ脅威の大震災
 40. ズッコケ三人組のバック・トゥ・ザ・フューチャー
 41. 緊急入院!ズッコケ病院大事件
 45. ズッコケ情報公開㊙ファイル
 46. ズッコケ三人組の地底王国

 このあたりは、児童文学としては悪くないんだけど、ズッコケならでは、という感じがしない作品が多い。よくある冒険もの、という感じで。とはいえ登場人物たちが生き生きと動いているので十分おもしろい。


■C(ズッコケシリーズとしてはハズレ)

  5. ズッコケ心霊学入門
 14. ズッコケ恐怖体験
 24. 夢のズッコケ修学旅行
 30. ズッコケ三人組と学校の怪談
 32. ズッコケ愛の動物記
 35. ズッコケ三人組ハワイに行く
 38. ズッコケ怪盗Xの再挑戦
 39. ズッコケ海底大陸の秘密

 読みどころはあるものの、全体として見ると単調だったり話運びに無理のある作品。

 あと個人的に心霊ものが好きじゃないんだよね。怖いとおもえないから。「心霊学入門」や「恐怖体験」は単なる怪談じゃなくて蘊蓄や歴史の要素を盛り込んだりしている点は良かったけど。


■D(つまらない)

  9. ズッコケ財宝調査隊
 18. 驚異のズッコケ大時震
 29. ズッコケ三人組のミステリーツアー
 34. ズッコケ三人組と死神人形
 43. ズッコケ芸能界情報
 47. ズッコケ魔の異郷伝説
 48. ズッコケ怪奇館 幽霊の正体
 49. ズッコケ愛のプレゼント計画
 50. ズッコケ三人組の卒業式

 特に見どころのない作品。流行りに乗っかって書かれたであろうものが多い。ラスト四作がここに並んでいるのが切ない。



 こうして見ると、ズッコケシリーズが輝いていたのは20作目ぐらいまで、徐々にパワーダウンしてそれでも30作目ぐらいまでは十分におもしろい作品も多かった。

 30~40作目ぐらいはそのとき話題になったものを取り入れている(怪談、推理もの、震災など)のがかえって痛々しい。時代についていこうと必死になって、けれどついていけなかったんだろうな。パソコンが出てきたりするが「がんばって調べて書きました」という感じがする。当然ながらおもしろさにつながっていない。

 40巻ぐらいからは、世間の流行りに迎合せずに独自路線を進む兆しがみえはじめる。伝染病、ホームレス、情報公開、新興宗教など、ユニークなテーマを取り入れだす。が、大人にとってはわりとおもしろいテーマでも、やはり子どもにはウケない。最後のほうは「これは作者自身も楽しんで書いてないだろうな」とおもえる作品が多かった。


 ぼくにとっては、前半(26作まで)は小学生時代に読んだものの再読で、残りの24作は大人になってはじめて読んだ。ちょうどそのへんで小学校を卒業して児童文学を読む年齢じゃなくなったんだよね。

 今にしておもうと、半分ぐらいまででやめといてよかったのかもしれない。そのへんでやめたからこそ「おもしろかった児童文学シリーズ」として美しい思い出になっていたのだ。あのまま読み続けていたらその印象もずいぶん違ったものになっていただろう。

 人に勧めるとしたら20作目ぐらいまでかなあ。


【関連記事】

【読書感想文】『それいけズッコケ三人組』『ぼくらはズッコケ探偵団』『ズッコケ㊙大作戦』


2023年4月5日水曜日

【読書感想文】笹沢 左保『人喰い』 / タイトルだけが期待はずれ。

人喰い

笹沢 左保

内容(e-honより)
熾烈な労働争議が続く「本多銃砲火薬店」の工場に勤務する、花城佐紀子の姉・由記子が、遺書を残して失踪した。社長の一人息子の本多昭一と心中するという。失踪から二日後、昭一の遺体は発見されたが、由記子の行方はわからない。殺人犯として指名手配を受けた姉を追い、由記子の同僚でもある恋人の豊島とともに佐紀子は必死の捜索を続けるが、工場でさらなる事件が起こる。第14回日本推理作家協会賞を受賞した傑作長編ミステリー。


 さほど古い本ではないのに、内容や文体が妙に古い。奥付を見ると、2008年刊。あれ? それにしちゃあ登場人物の考えや行動が古すぎるぞ? 銃砲店とか労働組合とか、あらゆる小道具が現代的じゃない。

 調べてみると、1960年刊行の本の復刊だった。あー、どうりで。




 1960年というと、今から60年以上昔かー。うわー、古典だなー。

 60年って長いよね。明治維新から昭和のはじまりまでがおよそ60年。ちょんまげ結ったお侍さんが歩いてた時代から、洋服着て映画館行って洋食食べる時代になるぐらいのスパンだ。とんでもなく長い。

 でありながら『人喰い』は今読んでもちゃんとおもしろい。使われているトリックも、推理の道筋も、ほとんど現代でも有効なものばかりだ。今だと無理があるのは「ライターがあるのにマッチを使うはずがない!」という推理ぐらいかな。

 まあ交際を反対された男女が心中するとか、会社と第一組合と第二組合が三つ巴でいがみあっているとかは今の感覚では理解しがたいけど。でもそれはそれで当時の人々の人生観をうかがい知れるものとしておもしろい。




 意外性のあるトリック、ほどよく意外な真犯人、論理的な謎解き、丁寧な心中描写など上質な本格ミステリ。まあトリックはかなり無理があるというか「いくら疑われないためとはいえそこまでやらんだろ……」という感じではあるのだが。また、かなり難しい連続した犯行をほぼノーミスでやり遂げているところも都合がよい気はするが、まあそれは小説なのでしかたがない。

 いちばん引っかかったのは、タイトル『人喰い』。一応最後でタイトルの意味が明かされるけど、あまりピンとこない。もっと猟奇的なストーリーを想像しただけに、肩透かしを食らった気分。『人喰い』だけに人を食ったようながっかりタイトルだった。


 ところどころ穴は目立つが、総じていえばちゃんとおもしろいミステリでした。60年以上前の小説ってことで期待せずに読んだのだけど、いい意味で裏切られた。


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死者がよみがえる系ミステリの金字塔/山口 雅也『生ける屍の死』【読書感想文】

【読書感想文】小森 健太朗『大相撲殺人事件』



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2023年4月3日月曜日

【読書感想文】『ズッコケ愛のプレゼント計画』『ズッコケ三人組の卒業式』

   中年にとってはなつかしいズッコケ三人組シリーズを今さら読んだ感想を書くシリーズ第十七弾。

 今回は49・50作目の感想。ついにこれでおしまい!


『ズッコケ愛のプレゼント計画』(2004年)

 バレンタインデーが近づき、今年こそは女子からたくさんチョコレートをもらいたいともくろむハチベエ。そんな折、ケーキ屋がチョコレート作りの講習会とコンテストをやるので審査員をハチベエにお願いしたいと依頼する。意気揚々と審査員を引き受けたハチベエだったが、おもわぬハプニングが……。


 五十作のズッコケシリーズの中で恋愛をテーマにした作品は意外にも少なく、『ズッコケ㊙大作戦』ぐらいしかない(『結婚相談所』は恋愛というより家族の話だし、『修学旅行』などでもエッセンス的に使われているけどメインテーマではない)。『㊙大作戦』がすばらしい作品だったので、あれを超えるものはもう書けないとおもったのかもしれない。

『愛のプレゼント計画』はひさしぶりに恋愛がテーマかとおもいきや、タイトルに反して恋愛要素は皆無。ハチベエの頭にあるのは「モテたい」「女の子たちからチョコレートをもらいたい」という欲望だけで、特定の異性と交際したいなんて発想はまるでない。六年生にしては幼稚すぎないか? 子どもは子どもらしくあるべし、性愛に興味を持つなんてとんでもない、みたいなお行儀のよい思想に立ち向かっていたのが初期のズッコケシリーズの魅力だったのに、『愛のプレゼント計画』でのハチベエたちはすっかり「大人が理想とする子ども」になってしまっている。なっさけない。今にはじまったことではなく、三十作目ぐらいからはずっとそうだけど。

 この作品に関しては、三人組が「大人が理想とする子ども」になっているだけでなく、女子たちが「男子が理想とする少女」になっていて、二重にしょうもない。かわいくて、頭からっぽで自我なんてなくて、男の子に優しいというエロ漫画に出てくる少女そのものだ。ただただ都合がいいだけの存在。

 その子たちが、わけもなくハチベエをちやほやする。ハチベエがいいところを見せることもなく、裏に少女たちのたくらみがあるということもない。ただただわけもなくハチベエに好意を寄せる。人間らしさというものがまるでない。

『結婚相談所』でハチベエにひどいいたずらをしかけたり、『占い百科』で嫉妬からクラスメイトに嫌がらせをしかけたりしていた少女たちのほうがずっと魅力的だったぜ。

 中盤以降は少女たちの出番は減り、講習会で出会ったお金持ちのおばあさんが実は認知症で……と話がシフトしてゆく(この頃は認知症という呼び名は一般的でなかったので痴呆と呼んでいる)。なんだそりゃ。いや、べつに認知症をテーマにしたっていいんだけど、なぜバレンタインデーと認知症なんだ。ものすごく相性の悪い取り合わせ。

 ほとんど見どころのない作品だった。


『ズッコケ三人組の卒業式』(2004年)

 卒業を前に、クラスみんなで埋めるタイムカプセルとは別に、三人だけのタイムカプセルを校内に埋めることにしたハチベエ・ハカセ・モーちゃん。穴を掘っていると先人の埋めたタイムカプセルが見つかり、中には古い演歌のCDが。だがそのCDをハチベエが持ち出したことで思わぬ事態が発生し……。


 二十六年続いたズッコケシリーズもこれにて完結。

 序盤には「二十六年ぐらい小学生をやっていたような気がする」「六年生の夏休みが何度もあったように感じる」なんてメタなギャグを入れたり、過去作品に言及したりとちょっとしたファンサービスが準備されてはいるが、基本的にはいつものズッコケシリーズ。最終巻だからといって特にいつもと変わらない。

 ここまで五十作読んできた人間からすると、もうちょっと最終巻らしい内容でもよかったなーとおもう。過去の冒険をふりかえるとか、なつかしい人(マコとか若林先生とか浩介とか)が再登場するとか。

 一応「六年生たちの卒業にあわせて宅和先生が教師をやめる」というストーリーが今作中で語られるけど、それどうでもよくない? だって六年生からしたら、卒業したらどうせ会わなくなるわけでしょ。だったら教師を続けようがやめようが教育委員会に行こうが、どうでもいいじゃない。作者自身の姿を宅和先生に重ねたかったんだろうけど、どうでもいいことにページを割いてるなあという印象(それにしても、この頃は六十手前で仕事をやめてのんびり余生を過ごせた時代だったんだねえ)。

 どうでもいいといえば、「卒業式は国歌斉唱は君が代だけでなく、いろんなルーツを持つ生徒たちを尊重して諸外国の国歌も歌う」という作者の政治的なメッセージがしつこく語られること。主張自体には反対しないけど、それをむりやり作品の中にねじこむなよ……。


 あと気になったのは、三人組の性格がいつもとちがう。それも悪いほうに。これは最終巻だからなのか?

 くだらないことで喧嘩をするし(ハチベエはともかくモーちゃんがこんな些細なことでいらつくのは過去にない)、トラブルが起こったときに自分たちだけで解決しようとするんじゃなくて校長先生に相談するし、これまで読者を楽しませてくれた三人組がどこかにいってしまったよう。卒業って「もうおれたち仲良く冒険するような歳じゃないぜ」ってこと? そんな卒業のしかたはひどすぎる。

 最後でハチベエが誘拐されるという事件が起きるが、犯人の「何の準備もなくおもいつきで誘拐して身代金を要求する」という場当たり犯行が愚かすぎる。犯人との知恵比べにもならない。当然ながらすぐ警察に捕まって三人組が活躍する間もない。


 宅和先生が教師をやめる際に「今の時代の教師にふさわしくなくなった」という台詞を吐く。これはたぶん作者の心情そのものだろう。じっさいその通り。時代がどうこうというより、作者が子どもから遠ざかりすぎたんだとおもう。


 ということで、ズッコケシリーズ(小学生篇)をすべて読了!

 シリーズすべてのふりかえりはまた今度別記事で書きます。


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