2022年12月27日火曜日

2022年に読んだ本 マイ・ベスト12

 2022年に読んだ本は100冊ぐらい(子どもと読んだ児童書除く)。年々減っていってるなあ。

 その中のベスト12を選出。

 なるべくいろんなジャンルから。

 順位はつけずに、読んだ順に紹介。



白石 一郎
『海狼伝』


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 時代小説。

 時代小説はほとんど読まないのだが、そんな人間でもわくわくが止まらなかった。

 航海士、戦闘員、商人、船大工などそれぞれの才能を持った一味が快進撃をくりひろげる、まさに戦国版『ONE PIECE』。手に汗握る冒険小説。

 そしてしゃらくさい正義や友情を語らないのもいい。ちゃんと海賊をしている。

 続編『海王伝』では、成熟しきった海賊となってしまっているので、こちらのほうがずっとおもしろい。



鹿島 茂
『子供より古書が大事と思いたい』


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 エッセイ。

 フランス古書蒐集に人生を捧げる著者によるエッセイ。人生を捧げるというのは決して大げさでなく、借金をして本を買ったり、車に本を詰めないから家族を置き去りにしたりしている様子が描かれている。

 うーん、狂っている。なにしろ「絶滅の危機に瀕している本が私に集められるのを待っているのだ」である。そして、狂っている人の本はまずまちがいなくおもしろい。



キム・チョヨプ
『わたしたちが光の速さで進めないなら』


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 SF小説。

 小説のおもしろさは「いかにうまくほらを吹くか」だとおもっているのだが、この作品はどの短篇もほら話の加減が絶妙だった。

 そんなわけないだろうけど、未来や異星人だったらひょっとしたらありえなくもないかも……とぎりぎりおもえるライン。設定もおもしろいし、それだけにとどまらず「この設定でどんなことが起こるのか」の展開もよくできている。




藤田 知也
『郵政腐敗 日本型組織の失敗学』



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 ノンフィクション。

 日本郵政が骨の髄まで腐敗しきっていることがよくわかる本。ここから立ち直れることはないだろうなあ。政府にべったりになっているからこそ余計に。

 不正を隠す、不正を指摘した人を守るどころか逆に罰する、下に詰め腹を切らせて上は逃げおおせる。日本郵政という組織だけでなく、日本政府、さらに大企業全体にも通じるものがある。




藤岡 換太郎
『海はどうしてできたのか ~壮大なスケールの地球進化史~』


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 ノンフィクション。

 海が誕生からこれまでにたどってきた変遷を、ダイナミックに解説してくれる。

 なにがいいって、とにかく著者が知に対して誠実なところ。「わかっていません」「可能性もあります」「という説もあります」「まだ立証されていません」「かもしれません」ときちんと書いている。わからないから曖昧なのではなく「自分がどこまで知らないか」を正しくわかっているからこその曖昧さ。信用のおける人だ。

 同じ著者の『山はどうしてできるのか』も読んだが、おもしろいのは圧倒的にこっち。



東野 圭吾
『マスカレード・ホテル』


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 小説。

 押しも押されぬ大作家の、キムタク主演で映画化もされた大ヒット小説をいまさらとりあげるのもいささか気恥ずかしいが、おもしろかったのだからしかたがない。

 ホテルマンの仕事内容がわかるお仕事小説としてもおもしろいし、刑事がホテルマンになるという設定も秀逸だし、散りばめられたエピソードも秀逸だし、伏線の張り方はさりげないのに印象に残るし、構成は無駄がないし、どこをとってもほぼ完璧。

 ほんと、小説巧者だよなあ。



井手 英策
『幸福の増税論 財政はだれのために』


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 ノンフィクション。

「増税」と聞くと、反射的に嫌悪感を示す人が多いだろう。ぼくもそうだった。でもそんな人にこそ読んでほしい。

 しかし税というのは大半の人にとって「お得」な制度なのだ。一握りの大金持ち以外は、払っている分より恩恵を受けている額のほうがずっと多いのだから。税金が高いのが問題ではなく(それはむしろいいこと)、その徴収の仕方や使われ方が不公正なのだ。

 著者が提言する「ベーシック・サービス」はかなりいい制度だとおもう。実現可能かどうかはおいといて。



上原 善広
『一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート』


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 ノンフィクション。

 やり投げ選手・溝口和洋の評伝。酒もタバコも女遊びもやり、指導者につかず、独自の研究とハードなトレーニングで、日本人に不利とされる投擲種目で世界トップに肉薄した不世出の奇才だ。

 やっぱり変な人の話を読むのはおもしろい。



麻宮 ゆり子
『敬語で旅する四人の男』


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 小説。

 すごくおもしろいことが起こるわけじゃないし、ためになる情報も多くない。でもなぜか心地いい。なんともふしぎな味わいの小説だった。

 女性作家の作品なのに「男同士の距離感のとりかた」の書き方がすごくうまい。男同士って親しくなればなるほど深刻な悩みを相談したり、親身になってアドバイスしたりしないものなんだよ。

 デビュー作とはおもえないほどうまい短篇集だった。



ロバート・ホワイティング
『和をもって日本となす』


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 ノンフィクション。

 ぼくの大好きな「外国人が見た日本」に関する本。野球という切り口で、日本がいかに奇妙な文化を持っているかをアメリカ向けに紹介した本だ。めったらやたらとおもしろかった。絶版なのが惜しい。

 30年以上前の本だが、今でも十分納得できる批判が日本に向けられている。書かれているのは野球界のことだが、これを読めばなぜ日本経済がこの30年で衰退したのかがよくわかる。



アゴタ・クリストフ
『悪童日記』



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 小説。

 いろんな本を読んできたが、この本に関してはうまく表現する手をもたない。抽象的なのに具体的、不道徳なのに道徳的、残酷なのにユーモラス。

 感動するわけでも、新しい知識が得られるわけでも、手に汗握る展開があるわけでもない。なのにぞくぞくする。ふだんは「社会人」として隠している部分を暴かれるような小説だった。



岸本 佐知子
『死ぬまでに行きたい海』




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 エッセイ。

 摩訶不思議エッセイの名手(本業は翻訳家だが)による紀行エッセイ。紀行エッセイなのに、有名観光地へもおもしろスポットにも行かない。「過去に住んでいた町」だったり「変な名前の駅名」をめぐる旅。

 なんてことのない街なのに、岸本さんの文章によって「自分の記憶の片隅にあったあの街」が呼び起こされる。



 来年もおもしろい本に出会えますように……。


2022年12月26日月曜日

食物と調理器具で見る共生関係

 特定の食材専用の調理器具ってあるでしょ。

 たとえば炊飯器。ごはんを炊くことに特化している。まあ最近のやつはパンを焼けたりするけど、基本的には米専用の調理器具だ。

 あとトースター(食パンを縦に入れるタイプのやつ)、ゆでたまごを切るやつ、パイナップルスライサー、ピザカッター……。こういうのも基本的には単一の食材を調理することに特化している。


 ところで、ある種のイソギンチャクはヤドカリの殻に付着する。イソギンチャクは自分では早く移動することができないが、ヤドカリの殻にくっつくことで生息範囲を広げることができ、補色や生殖に有利になる。一方、ヤドカリとしても、毒のあるイソギンチャクを殻にくっつけることで外敵から身を守ることができる。こうした、お互いにメリットのある依存関係を双利共生という。アリとアブラムシも双利共生関係にある(アリはテントウムシからアブラムシを守り、代わりにアブラムシはアリに甘露を与える)。


 米と炊飯器も双利共生関係にある。

 米がなければ誰も炊飯器なんて買わない。パンを焼くためだったらホームベーカリーのほうがいい。炊飯器は絶滅してしまうだろう。

 逆に、米としても炊飯器があることで主食の地位を保っているといえる。釜や鍋で米を炊くこともできるが、今の時代、そこまでして家庭で米を炊く人は多くないだろう。ほとんどの人は「だったらパンや麺でいいや」となるにちがいない。

 もち米と臼と杵は三者間の双利共生関係にある。臼と杵があるからもち米は栽培されて食べられるし、もち米と臼がいるからこそ杵は存在していられる。もち米と杵がいなければ、臼はただの「サルの上から落ちてくるためだけの存在」だ。

 調理器具ではないが、少し前に流行ったタピオカと、太いストローも双利共生関係だ。あの太いストローがなければタピオカは流行らなかっただろうし、タピオカがなければあのストローも生まれなかった。

 石焼きビビンバと石鍋も双利共生関係といえる。本場韓国ではどうか知らないが、少なくとも日本ではあの石鍋はビビンバにしか用いない。たこ焼き器やたい焼きの型なども、それがなければたこ焼きやたい焼きは生まれなかったし、逆にたこ焼きやたい焼きを誰も作らなくなればあれらの食材もすぐに絶滅する。


 食パン専用トースターやゆでたまごを切るやつやパイナップルスライサーやピザカッターは、そこまで相互に依存しているわけではない。たしかにピザカッターがあるほうが便利だが、なくてもそこまで困らない。お好み焼き用のへらや包丁やナイフで代用できる。ピザカッターが絶滅したとしても、ピザの個体数にはさほどの影響はないだろう。

 こういう関係を片利共生関係という。片方だけが恩恵を被る関係だ。


 逆に食べもの側が器具に大きく依存しているケースもある。たとえばプリンとスプーンの関係を考えてみよう。

 プリンがなくてもスプーンは生存できる。スプーンの活躍する場面は多い。一方、スプーンがなければプリンは食べられることがないだろう。コンビニでプリンを買ったのにスプーンをつけてもらえず、やむなく箸でプリンを食べたことのある人なら、二度とあんなみじめなおもいはしたくないだろう。

 これもまた片利共生関係だ(スプーンがなくなればゼリーも個体数を減らすだろうが、一口ゼリーとして生きていく道があるので絶滅は免れる)。


 このように、我々のまわりにある食物や調理器具・食器はお互いに絶妙なバランスをとりながら生存しているのである。

 よく嫌いな食物について「○○なんて滅んでしまえばいい」という人もいるが、その食物も生態系の中で重要なポジションを占めており、消滅すれば他の食物に多大な影響を引き起こしかねないのだ。

 生態系を大事に!


2022年12月23日金曜日

【読書感想文】西 加奈子『漁港の肉子ちゃん』 / 狙いスケスケ小説

漁港の肉子ちゃん

西 加奈子

内容(e-honより)
男にだまされた母・肉子ちゃんと一緒に、流れ着いた北の町。肉子ちゃんは漁港の焼肉屋で働いている。太っていて不細工で、明るい―キクりんは、そんなお母さんが最近少し恥ずかしい。ちゃんとした大人なんて一人もいない。それでもみんな生きている。港町に生きる肉子ちゃん母娘と人々の息づかいを活き活きと描き、そっと勇気をくれる傑作。


 映画化もされた、「笑って泣ける」ハートフルな小説……なんだろうな。きっと。そういうつもりで書いたんだろうな。作者は。


 なんていうか、ことごとく狙いが透けて見えるんだろうな。

 ああ、この肉子ちゃんの口癖や言動は「ユーモア」のつもりで書いてるんだろうなあ、ここで笑ってほしいんだろうな、とか。

 ああ、「人じゃない生き物の声が聞こえる」「死者らしき人の姿が見える」「問題を抱えた子」などを書くことで「単なる平和な漁港の日常」にさせないつもりなんだろうなあ、とか。

 ああ、明るく悩みなんてなさそうな人のつらい過去を書くことで感動を誘ってるんだろうなあ、とか。


 作者の意図がとにかくわかりやすい。この小説は国語のテストの文章題にしやすそうだ。

「作者はなぜここで肉子ちゃんに傍線部1と言わせたのでしょうか」

「この小説を一文で説明するとしたら次のうちどれでしょうか。正しいものを二つ選べ」

なんて問題をすごく作りやすそうな小説だ。作者の狙いがわかりやすいから。


 まあそんなことを言ったらほとんどの小説が、作者の意図の下に書かれたものなんだろうけど。どんな作家だって「ここで笑わせたい」「ここで驚かせたい」という意図をもって書いてるんだろうけど。でも、それが透けて見えちゃあだめなんだよね。やっぱり。

 漫才師のボケの人は「これで笑わせてやろう」とおもってわざと変なことを言って、ツッコミの人もどんなボケが来るかを知っているのにはじめて聞くような顔で驚いたり怒ったりたしなめたりする。そこがわざとらしいと、たとえどんなおもしろいネタでも笑えない。

『漁港の肉子ちゃん』は、ひとことで言ってしまうと「芝居の下手な小説」だった。

「さあここで笑うんやで!」という顔をしながらボケて、「そういうとおもってたわ!」という顔をしながらツッコむ漫才のような小説だった。




 何が良くなかったのか、自分でもよくわからない。文章も悪くないし、構成も悪くない。ギャグはぜんぜんおもしろくないけど、もともと小説のギャグにそこまで高いレベルを求めてはいない。

 これといって悪いところは見つからない。なのになんだか妙に「著者の意図」が透けて見える。


 仮にさ。全智全能の神様がいるとして。

 世の中の人間も動物もことがらもすべてそいつの思い通りに動いてるとして。

 そうだったとしても、人生は変わらずおもしろいとおもうんだよ。どきどきしたり、喜んだり、悲しんだり、笑ったりする。

 でも。それは全智全能の神様が見えない場合の話であって。

 もしもそいつの姿が見えたら、すべてが興醒めだ。ぼくらが恋愛を成就させても、がんばってきたスポーツで負けても、仕事で成功しても、愛する人を失っても、そのたびに全智全能の神が現れて「ほらね。ワシの想定通り」って言ってきたら、人生なんてなんにもおもしろくない。きっと自殺率もはねあがるだろう。


 小説における著者ってのはその世界の神様だから、ぜったいにその姿が見えちゃいけない。存在を感じさせてもいけない。

 なのに『漁港の肉子ちゃん』からは著者の存在がびんびんと伝わってきた。まるで読んでいる横に著者が立っていて(どんな人か知らんけど)、「そこはこういう意図で書いたんだけどおもしろいでしょ?」と逐一説明されているかのような気がした。

 脚本は悪くないけど演出がダメダメな芝居、って感じだったなあ。


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2022年12月20日火曜日

仮名文学

 田中(仮名)は山下(仮名)を殴った。殴られた藤本(仮名)はかっとなって、杉浦(仮名)を殴りかえした。こうなるとあとは果てしない殴り合いだ。上田(仮名)の拳が上条(仮名)の顔面に当たり、お返しに上田(仮名)のキックが上条(仮名)の腰にヒットする。松井(仮名)のバットが秀喜(仮名)の背中に直撃した。

 さらに斉藤(仮名)は齋藤(仮名)の髪をつかむと、斎藤(仮名)めがけて頭突きをくりだす。これには齊藤(仮名)も齋籐(仮名)もダメージを受けてひっくり返る。先に立ち上がったのは齎藤(仮名)だった。

 亀井(仮名)と亀居(仮名)はふたりの喧嘩を呆然と見ていた。

 千葉(仮名)は地面にひっくりかえったまま昔のことを思い返していた。
 千葉(仮名)は山梨(仮名)出身だった。山梨(仮名)の奈良(仮名)という小さな港町で育ったのだった。幼い頃はよく岐阜(仮名)まで自転車を走らせて日が暮れるまで海を見ていた。群馬(仮名)の海はきれいだった。地元の少年たちにはモンゴル(仮名)の海のほうが人気だったが、千葉(仮名)はウズベキスタン(仮名)から見える海のほうが好きだった。

 甲(仮名)は乙(仮名)のことが好きだった。申(仮名)にとってZ(仮名)はただの親戚ではなかった。だが由(仮名)は己(仮名)に思いを伝えぬまま郷里を出たのだった。

<つづく>


2022年12月19日月曜日

M-1グランプリ2022の感想

 


 イタいと言われようと、書くのが楽しいんだから書かせてくれ。

 まず決勝メンバーについて。各コンビそれぞれで見るとなんの不満はないんだけど、敗者復活以外の9組を並べてみると、準決勝審査員の「俺たちのセンスを見せてやる」感が鼻につく。

 いやわかるよ。新しい角度の笑いを生みだしているコンビを評価したいことは。M-1グランプリってそういう大会だしね。ただ単に笑いをとればいいわけじゃなくて、唯一無二のチャレンジングなことをしているコンビを評価する大会。麒麟とか笑い飯とか千鳥とかPOISON GIRL BANDとかスリムクラブとかトム・ブラウンとかに光を当ててきた功績は大きい。うまくいかないこともあったけど。

 でもそれはあくまで、大きな笑いをとるコンビがいるから光り輝くのであって「単純な笑いの量だけでは評価できないおもしろさ」のコンビばかりをそろえるとくすんでしまう。

「笑いの量が多い」系のコンビをもっと増やしてほしかったなあ。


敗者復活戦

 THIS IS パン(恐竜映画)、ヤーレンズ(ラーメン屋)、令和ロマン(ドラえもん)に投票。森山直太朗を熱唱したダンビラムーチョもおもしろかった。

 THIS IS パンは去年の予選動画がすごくおもしろかったんだよなあ。どんなネタか忘れちゃったけど。今年もおもしろかった。いちばんおもしろい男女コンビだとおもう。声質もいいし。男女コンビで女がツッコミってめずらしいよね。

 THIS IS パンとかヤーレンズみたいに「斬新なことをしてるわけじゃないけどただただ笑える」系のコンビが今回の決勝に行ったらかきまわしてくれたんじゃないかなあ。


1.カベポスター(大声大会)

 ABCお笑いグランプリの優勝ネタ。観るのは二度目だが、改めてよくできたネタだとおもう。ネタの美しさではダントツ一位だよね。歴代トップクラスかもしれない。まったく無駄もない。さりげなく挟まれた「そのときもトップバッターやって」もかっこいい。

 特に好きだったのは「盛り下がらんように大会側がテコ入れしてきてるやん」の部分。大声大会の主催者もテコ入れしてるんだから、M-1主催者もいいかげんにトップバッターが不利になりすぎないようにテコ入れしてよ。敗者復活組をトップにするとかさ。

 落ち着いて聞かせる漫才をするコンビなのでコンテスト向きではないかもしれないけど、こうして決勝に進んでくれただけでもうれしい。採点方式ではなくゴングショー形式(つまらないとおもった人が手を上げ、それが一定数を超えたら脱落する)だったら、カベポスターが最強かもしれない。


2.真空ジェシカ(シルバー人材センター)

 共演者の信頼 → 高齢者の人材 というダジャレボケからシルバー人材センターコントにつなげる導入はすばらしい。

 内容もおもしろかったが、カベポスターの見事な構成の作品を観た後なので、その「大喜利回答の寄せ集めっぽさ」が目立った。とはいえやっぱり一発一発のボケは力強かった。


3.敗者復活組 オズワルド(明晰夢)

 悪いネタではないのだけど、どうしても、一昨年や昨年のオズワルドと比べると見劣りしてしまう。それほどまでに「改名」や「友だちがほしい」のネタが良かったから。四年連続の決勝進出、そして敗者復活からの勝ち上がりとなるわけだから、新しいものが見たかったなあ。個人的にはぜんぜん好きじゃなかったけど、去年の敗者復活組・ハライチはその点でよかったな。新しいことにチャレンジしていた、という一点で。

 しかし敗者復活戦のシステムもテコ入れしてほしいなあ。完全に人気投票だもんな。知名度ランキングとほとんど変わらない。ミキなんて、同級生の名前を挙げていくだけで三位だぜ。そんな中、そこまで知名度もないのに二位に食い込んだ令和ロマンはすごい。実質一位だよね。

「決勝に進出したことのある組は敗者復活戦に出場できない」ってルールにしてほしいなあ。


4.ロングコートダディ(マラソンの全国大会)

 中盤は完全にコント、ツッコミ不在、ずっと走りっぱなしという変則的なスタイルでありながら、ちゃんとウケてちゃんと評価されていた。三年ぐらい前のM-1だったら評価されていなかったんじゃないだろうか。いろんな型を破ってくれた先人たちに感謝しないといかんね。

 去年もそうだったけど、客がとりわけロングコートダディには温かい気がする。ふたりのギラギラしていない風貌がそうさせるのかな。

 ワンシチュエーションで次々にボケを出すスタイルだとどんどん奇想天外な方向に進みそうなものだけど、エスカレートするだけでなく唐突に「太っている人」のようなシンプルなものを持ってくる緩急のつけかたがほんとに見事。


5.さや香(免許証の返納)

 三十代で免許証を返納する。それ自体はささやかなボケだが、そこから大きく広げられる話術が見事。昨年の準決勝の感想で「ボケとツッコミを入れ替えたりして迷走している」と書いたが、迷走期を経て、ボケツッコミの枠にとらわれない伸びやかな漫才になっている。晩年のハリガネロックもこういうことをやりたかったのかなあ。

 ただ、ふたりの表現力の高さには感心したものの、個人的にはあまりおもしろいネタとはおもわなかった。特に後半の地方いじりが古すぎてねえ。

 しかしまだまだ進化しそうなコンビ。


6.男性ブランコ(音符運び)

 音符を運ぶ仕事をしたい、というシュールな導入。どうしてもバカリズムの名作『地理バカ先生(都道府県の持ち方)』を思い出してしまうが、音符を運ぶところだけでなく、その後の展開でもきちんと笑いをとっていた。平井さんはいかにも運べなさそうな体格だしね。

 死亡事故に着地する展開は少年向けギャグマンガ的で「男性ブランコにしてはずいぶんベタな着地だな」とおもったけど(インポッシブルとかバッファロー吾郎のコントみたい)、よくよく考えるとあのわかりやすさがいいのかもしれない。設定がシュールで展開も複雑だとついていけないもんね。


7.ダイヤモンド(レトロニム)

 男女兼用車両、有銭飲食、農薬野菜などのレトロニム(新しい概念が生まれたことで元々あった概念を指すために作られた言葉)を生みだす。つっこまれると、全身浴、裸眼などもそうだと反論する……。

 この視点は好きだ。ぼく自身も、数年前に レトロニム というエッセイを書いている。

 とはいえやっぱりレトロニムを羅列しても漫才としてはそこまでおもしろくない。3回戦の予選動画でこの動画を観たことがあったのだが、そのときですら「3回戦ならギリギリ通過できるかな」という印象だった。まさかそれを決勝に持ってくるとは(だいぶ改良されているとはいえ)。文字で読んだらおもしろいだろうけど、耳で聞いて処理できる内容じゃないんだよね。

 久々に「M-1の会場で静まりかえっている雰囲気」を感じた。準決勝の審査員が悪い。


8.ヨネダ2000(イギリスで餅つき)

 イギリスで餅をついて儲けたいという導入から、餅つきのリズムに乗せて広がってゆくネタ。個人的にはぜんぜん好きじゃない。

 でも左脳的なダイヤモンドのネタの直後だったから余計に、理屈じゃなく直感に訴えるこのネタがハマったんだろうなあ。

 ランジャタイと比べられていたけど、「徹頭徹尾意味のないことをやる」という点ではジャルジャルの『ピンポンパンゲーム』や『国名わけっこ』に近いものを感じた(ランジャタイはわかりにくいだけで一応意味がある)。ジャルジャルは無意味なりに、一応ルールを設けてわからせようとはしてくれていた。今思うとあれでだいぶ受け入れられやすくはなってた。場数の差だな。


9.キュウ(ぜんぜんちがうもの)

 ぜんぜんちがうもの → なぞかけ → まったく同じもの。いつものキュウ、って感じだった。

 審査員からは「順番に恵まれなかった」とか「他のネタをやっていれば」とか言われてたけど、何番だろうと、どのネタだろうと、キュウが上位になることはなかったとおもうけどなあ。


10.ウエストランド(あるなしクイズ)

 いいフォーマットを見つけたねえ。これまでウエストランドはド直球で偏見や悪口を放りこんでいくネタしか見たことなかったけど、「クイズに対する答え」という形式にすることですごく笑いやすくなった。

 毒舌は好きだけど、毒舌漫才ってやっぱりちょっと距離をとっちゃうんだよね。必然的に攻撃的になるから。「笑っていいのかな」と一瞬おもってしまう。でもクイズに対する回答形式にすることで、悪口を言う理由が(一応)あるし、どんなに罵詈雑言を並べても「クイズに答えようとしてまちがえた」という形をとっているからストレートに受け取られにくい。安心して笑える。いやあ、すばらしい発明だね。「警察につかまりかけている」という名誉棄損になるかならないかギリギリの悪口もいい。

 特に今大会は練りに練った隙の無いネタをするコンビがほとんどだったので、ウエストランドの「ウケるまで同じ言葉を何度もしつこくくりかえす」パワースタイルはかえって新鮮だった。「多くは説明しませんからわかる人だけ笑ってください」みたいなおしゃれコンビばかりの中ではウエストランドの「何が何でも笑わせてやるぞ」の泥臭さは逆に光り輝く。

 おっと。分析するお笑いファンはうざいんだった。



 最終決戦進出は、1位さや香、2位ロングコートダディ、3位ウエストランド。

 この時点でぼくは「ロングコートダディはパンチが弱そうだしウエストランドは芸風的に優勝させてもらえなさそうだからさや香かな」とおもっていた。



最終決戦1 ウエストランド(あるなしクイズ)

 2019年にぺこぱが10組目で3位→最終決戦1組目になったときは、連続してネタをやったことで「またこのパターンか」と飽きてしまった。ところがウエストランドの場合は凝ったことをしていないので、連続してネタをやることがマイナスどころかかえってプラスになったんじゃないだろうか。客がアツアツの状態でネタをやれるアドバンテージ。

 さらに一本目は路上ミュージシャンだのYouTuberだの、比較的安全圏から悪口を言っていたのに、二本目ではコント師、お笑いファン、R-1グランプリ、M-1アナザーストーリーなど身の周りまで次々にぶった切ってゆく。敵陣に乗りこんでいって、自分が傷つくこともかえりみずに刀を振りまわす。ぼくには井口さんの姿が一瞬『バガボンド』で吉岡一門七十名を相手にする宮本武蔵に重なって見えた。そういや武蔵も岡山県出身だった。

 毒舌漫才師は数いれど、ここまで身近な関係者を斬りまくった人はそういまい。欲をいえば、ついでに審査員にまで斬りかかってほしかった。立川志らくさんあたりに。

 ラストにほっこり系長尺コントを入れることにうんざりすることについては、ぼくも同感だ。あれは特定の芸人というよりオークライズムだろう。ぼくが知るかぎりでは、ラーメンズやバナナマンあたりがやりだした(どっちもオークラ氏がかかわっている。ぼくが知らないだけでシティーボーイズなんかもやってるのかもしれないけど)。で、その流れを組んで東京03もラストはしっとり系長尺コントをやり(これまたオークラさんだ)。それに影響されたのか、猫も杓子もラストにしっとり系長尺コントをやっている。たしかにラーメンズの『鯨』のオーラスコント『器用で不器用な男と不器用で器用な男』はすばらしかったしその時点では新しかったのだが、誰もがやるようになるとすっかり陳腐化してしまった。

 ちなみに偶然にもこの後ネタを披露したロングコートダディもほっこり系長尺コントをやっている。やめてほしい。

【DVD感想】ロングコートダディ単独ライブ『じごくトニック』


最終決戦2 ロングコートダディ(タイムマシン)

 2021年あるあるを散りばめた、今しかできないネタ。古いネタを焼きまわして使うのではなく、今年できた新鮮なネタを持ってくるところに勢いを感じる。

 ダーツの旅の曲がたまらない。絶妙にチープだもんなあ。もっともっと長尺で観たいネタ。


最終決戦3 さや香(男女の関係)

 新ネタを持ってきたロングコートダディとは逆に、去年の準決勝ネタを持ってきてしまったさや香。守りに入っちゃったなあ。

 3回戦動画で観た『まずいウニ』のネタはすごくよかったんだけどなあ。「ヒザでするんかい」はめちゃくちゃ笑った。あっちを観たかったなあ。



 ということで優勝はウエストランド。おめでとう。タイプ的に優勝するとおもってなかったからびっくりした。革新的なスタイルのコンビが多かったからこそ、「新しいスタイルじゃなくてもとにかく笑いをとれば勝てる」ってのを見せつけてくれたね。

 ちなみにウエストランド井口さんは東野幸治のお気に入りの玩具として、関西テレビの『マルコポロリ!』でいつもおもちゃにされている。R-1グランプリ(関西テレビ)をこきおろしたウエストランドが『マルコポロリ!』でどんな扱いを受けるのか、今から楽しみだ。


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