逃亡小説集
吉田 修一
恋愛関係に落ちてしまった女教師と男子高校生が沖縄への逃避行をする『逃げろ純愛』、覚醒剤使用が明るみに出て逃走する元アイドルとそれをかくまうファンの心理を描いた『逃げろお嬢さん』、網走のショーパブで働く男のもとに元妻の弟が郵便配達中に失踪したというニュースが飛び込む『逃げろミスター・ポストマン』など、「逃亡」を元にした短篇集。
小説とはいえどれもモデルとなった実話があり、どれもいつかのニュースで耳にしたことがあるような気がする(覚醒剤使用で逃亡した元アイドルはかなり大きなニュースとなった)。
強く印象に残ったのは『逃げろ九州男児』。
些細な交通違反で警官に呼びとめられた男は、ふいに何もかもがどうでもよくなり警察官の制止をふりきって車で逃走してしまう。どんどん増える警察の追っ手をかわしながら、無茶ともいえる運転で暴走をする男。後部座席には母親を乗せたまま……。
逃走しながら男は人生を回想する。高校卒業後に製鉄所に就職したがすぐにやめたこと、先輩の連帯保証人になって借金を背負ったこと、暴力団に入った友人から声をかけられたが助けを求めずまじめに働いて借金を返済したこと、体調を崩して仕事をやめたこと、転職したものの契約解除され住んでいるアパートも立ち退かねばならなくなったこと……。
ほどほどに道を外れたものの、総じて見ればまっとうに生きてきたと言える男。だが様々なめぐりあわせて市役所に生活保護の申請をすることに。
その帰り道に交通違反で捕まり、張り詰めていた糸が切れてしまったかのようにアクセルを踏みこんでしまう。逃げたところでどうなるものでもない、状況は悪くなるだけだとわかっているのに――。
この心境、なんとなくわかる気がする。幸いにしてぼくは今のところ何もかも放り出して逃げだしてしまったことはないけれど。
思いだすのは小学生のときのこと。書道の宿題が出た。作品展に飾るので、クラス全員提出すること。
ぼくは提出していなかった。担任の教師が毎日催促する。提出してないのはあと六人だぞ。あと三人。そしてとうとう、あと一人になった。
担任が言う。「一枚足りないぞー。出してないの誰だー」
もちろんぼくにはわかっている。出していないのは自分だけだと。でも手を挙げることができなかった。わかっていた。作品には名前が書いてあるので、調べたら出していないが誰かなんてすぐにわかると。それでもぼくはすっとぼけた。このまま知らぬ顔をしていたらひょっとしてどうにかなるんじゃないかと。何かのまちがいで提出しなくてもよくなるんじゃないかと。
もちろんそんな奇跡は起こらず、みんなの前で叱られた上に結局家で書道の作品を書いてくることになった。もしもあのとき自動車と運転技術があったなら、アクセルを踏んで逃亡していたことだろう。
面倒なこと、やらなきゃいけないこと、嫌なことから逃げ出したくなることはよくある。
突然バイトや仕事に来なくなる人を何人も見てきた。どう考えたって、何も言わずに行かなくなるより、おもいきって「辞めます」というほうが後々のことを考えればずっと楽だ。今は退職代行会社が流行っているが、よほどのブラック企業を除けば、ふつうに退職するほうが楽だ。代行会社を使ったってやらなきゃいけない手続きはどうせ一緒だもん。
それでも多くの人が逃げ出してしまう。逃げない方が楽な場面でも。きっと誰の心にも逃避願望があるのだろう。
しかし吉田修一さんって逃亡する小説が好きだよね。
『元職員』は横領した公社の職員がタイを訪れる話、『怒り』『悪人』でも殺人を犯して逃亡する男が書かれる。
そしてぼくはこれらの小説が好きだ。逃げる、追われるという行為に何か惹きつけられるんだよね。
ぼくはときどき追われる悪夢を見る。「悪いやつに追われる」夢ではない。「自分が悪いことをして追われる」夢だ。なんかずっと後ろめたさが脳内にこびりついてるんだよね。追われるほどの悪事はしてないはずなのに。
吉田修一作品は、そんな「いつか逮捕されるかもしれない」と考えている人間にぐっと刺さるんだよね(くりかえすけどほんとに逮捕されるようなことはしてないんだよ、まだ)。
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