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2021年12月20日月曜日

M-1グランプリ2021準決勝の感想(12/4執筆、12/20公開)


 オンライン配信で鑑賞。

 感想自体は準決勝の翌日に書いていたが、ネタバレ禁止とのことだったので決勝終了後まで公開を待っていました。もういいよね?

 以下感想。


滝音 (ダイエット)

 おもしろかった。特に「ブブブブブンブブン」。

 滝音は安定しておもしろいんだけど、その安定感が滝音の弱みでもあるような。ボケがツッコミで笑いを取るためのフリにしかなってないから、加速しながら笑いが増幅していきにないんだよね。

 ボケが強くなったら文句なく決勝だろうな。


ヨネダ2000 (YMCA寿司)

 ほぼ全編音声カットされてたので内容わからず。でも動きだけでもシュールでおもしろそうだった。

 

ニューヨーク (ドラマ)

 演技力を見せつけると言いながら、差別発言を口にしまくるというネタ。

 すっごく好きなんだけど、これが決勝に行けなかったのもよくわかる。テレビではまずいよ、これは。

「昨今はちょっと問題のある発言をすると、たとえそれが芝居の台詞であっても炎上する」を前提知識として持っていれば笑えるけど、そういう人ばかりではないからなあ。

 問題提起で終わるオチはすごく好きだった。


カベポスター (文化祭)

 好きだったフレーズは「道の駅みたい」。

 個人的には好きだけど、コンテストの準決勝にかけるネタとはおもえないほど地味な題材。まあこの地味さこそ彼らの魅力なのでこれはこれでいいけど。


マユリカ (結婚相談所の仲人)

 最初のボケ「パソコンとかないんですか」がピークだったなあ。

 結婚相談所という設定だったら、誰しもが「魅力のない相手ばかり紹介される」を想定するだろうけど、想定通りのボケが続く。はじめは紹介相手ではなく仲人にスポットを当てたボケでおもしろかったんだけど。こっち方面で続けていってほしかった。


ハライチ (ダイエット)

 ウケてなかったなあ。3回戦でもやったネタなので客もほとんど見たことあったんだとおもう。

 最初に見たときもおもったけど、このネタって大麻を扱ってるからチャレンジングなことしてるようで、ネタの構造的にはすごく単純なんだよね。おれたち大麻をネタに入れちゃうんですよ、すごいでしょ、っていう狙いが透けてしまう。

 とはいえ表現力はすごい。そのへんはさすがハライチ。


真空ジェシカ (一日市長)

 好きだったのは「ハンドサイン」「名門のタスキは重い」。

 オーソドックスな漫才コントなんだけど、ボケもツッコミも一発一発が重たい。全部のボケがはずしてなかった。このネタ、台本を読んでもおもしろいだろうな。

 この人たちのネタ、はじめて観たんだけど、これからもまだまだおもしろくなりそう。今これだけウケるんなら、キャラが浸透すればものすごくウケるだろうな。


東京ホテイソン (スマホゲームのガチャ)

 配信の最初に審査員が紹介されてるんだけど、年配の人ばかりなのね。五十前後の。はたしてこの題材、審査員に伝わるんだろうかと心配になった。そして決勝審査員にはもっと伝わらないんじゃないだろうか。

 そしてネタの中身も、単発大喜利の連続で一本のネタとしてのつながりがほとんどなかった。「ゲームのガチャで出てきたのはどんなキャラ?」というお題だから、なんでもアリになっちゃうんだよな。


見取り図 (地元のスター)

 好きだったボケは「飛沫エグい」「ラルフローレンのワクチン」。しかしまだテレビでネタにしていい時期じゃないかも。

 後半怒涛のボケが並ぶので、ああ勝ちにきてるなあと伝わってきた。Mー1に向けて作ってきたネタだなあ。

 おもしろかったとはいえ去年までの見取り図と比べて飛躍的に良くなったかというと、うーん……。でも、準決勝の審査員はそんなこと気にせず、「このメンバーの上位9組に入ってるか」だけで選んでほしいな。だったら入ってるでしょ。


ゆにばーす (ディベート)

 登場するなり拍手で盛り上げてからツカミ、は見事。一気に会場をつかんだ。

 個人的には好きなネタじゃなかった。根本のテーマが古いんだよね。こいつは女として見れないとか男としてアリどか、百年前から男女コンビがやってたようなテーマなので。古さをひっくり返すような展開があればよかったけど、古いままで終わってしまった。


ロングコートダディ (天界)

「ワニになりたい」で兎さん(ややこしいけど芸名)のほうがボケとおもわせておいて、まさかの堂前さんがボケというパターン。いや、ツッコミはいないからふたりともボケか。

 シンプルな漫才コント。ロングコートダディは好きなんだけど、個人的には昨年の「棚を組み立てる」ネタの方がずっと好きだった。漫才としての完成度も高いし、他にいないタイプのネタだし。


男性ブランコ (焼肉屋)

「メニュー名うるせえ」がおもしろかった。あと、いろいろやった後のシンプルな「生レバー」と。

 おもしろいボケはいくつもあるけど笑いどころが多くないので、しゃべり中心の漫才に対抗するのはむずかしいよな。コントに専念してもいいんじゃないかな。


アインシュタイン (宇宙からのお迎え)

 そんなにウケてなかったけど、個人的には今まで見たアインシュタインのネタの中ではいちばん良かったな。身の周りの題材ではなく、これぐらいぶっとんだシチュエーションのほうがアインシュタインには向いてるんじゃないかとおもう。和牛は逆に身近な題材を扱うようになってよくなったけど。


もも (決めごと)

 いつもの「なんでやねん、○○顔やろが」パターン。基本的には見た目とのギャップとあるあるネタなので何本か見ると飽きてしまう。わかりやすいし、はじめて観る人にはウケるだろうけど。

 しかしうまいというか、うますぎるというか。練習の痕が見えてしまうなあ。

「このパターンだけで大丈夫か」と余計な心配をしてしまうが、ハライチや東京ホテイソンのようにいったんワンスタイルで顔と名前を売ってからいろんなパターンに挑戦するのが売れるための早道なんだろうね。


オズワルド (友だちがほしい)

 いやあ、よかった。好きなフレーズは「お気に入りのズボン」「足の遅い友だち」など。

 準決勝観て「これはまちがいなく決勝行ったな」とおもわせてくれたのはオズワルドだけでした。非の打ち所がない。

 ツッコミのセンスはそのままに、ボケの狂気性がパワーアップ。これぐらい狂気みなぎるボケなら、かなり強めのツッコミでもバランスが取れるよね。優勝候補筆頭でしょう、これは。


ランジャタイ (高校最後のバスケの試合)

 著作権の事情で半分ぐらい音声カットされてたけど、だいたい何をやってるかがわかるのがランジャタイのすごさ。

 しかし、準決勝の客だから大ウケただけで、初見の客の前ではここまでウケないだろうという気もする。

 まあここは決勝に上がった時点で勝ちだよね。半端に五位とかにならずにぜひ最下位をとってほしい。


金属バット (スーパーのカート)

 金属バットにしちゃあ毒っ気が少なかったな。

 というのは、個人的な話で申し訳ないけど、ぼくが住んでるところは民度が低いのでスーパーのカートを持って帰るババアがいっぱい生息してるんだよね。だから「カートは無料」のボケが笑えなかった。実践してるやつがたくさんいるんだもん。

 どや顔の「もうええわ」は、準決勝イチ笑った。しかしあれは金属バットを知ってるから笑えるだけだな。


ダイタク (葬式)

 良かった点は「アメリカの未亡人スタイル」。

 他はだいたい「双子が葬式を題材にしたネタを作ったら」の想像の範囲内。


からし蓮根 (先輩刑事と後輩刑事)

「キッザニア」「人間の外来種」あたりがおもしろかった。

 あとは特に印象に残らず。


インディアンス (怖い動画)

 アンタッチャブルのコピーとよく言われるけど、このネタはノンスタイルみたいだったな。

 前説みたいな漫才だった。笑わせるというより盛り上げる漫才。今年も決勝トップバッターやってほしい。


ヘンダーソン (街コン)

 なかなか漫才中のコントに入らない……というネタ。これは完全に漫才を題材にしたコントだな。

 ちょっと台本に表現力がついていってなかったかなあ。


キュウ (境目をとっつかまえる)

 漫才で遊んでる。漫才の枠組みで何ができるかを実験してるようだった。この人たちのネタは「いかにすごいとおもわせるか」「いかに客の想像を裏切るか」が強すぎて、肝心の「いかに笑わせるか」がおろそかになっているようにおもう。


アルコ&ピース (鳥になりたい)

 アルコ&ピースらしいメタ視点のネタ。

 ウケてたけど、準決勝の客向けのネタだったなあ。他のコンビを引き合いに出してるので、これが決勝1組目だったら成立しない。

 ヘンダーソンと同じく完全にコントだけど、こういうネタってキングオブコントでは評価されないのかね。


錦鯉 (合コン)

 ボケのばかばかしさは昨年通りだが、ツッコミにスピード感が。渡辺さんに自信がみなぎっている。

 大会に向けて作りこんできたなー。

 個人的には、錦鯉にはあんまり「M-1で勝ちやすい」タイプのネタをやってほしくないな。彼らはおじさんであることが最大の強みなんだから。博多華丸大吉みたいに、おじさんにしかできない漫才をやってほしい。


モグライダー (さそり座の女)

 ほぼ全篇音声カットだったのでよくわからず。たぶん3回戦の玉置浩二のネタとほぼ同じ構成かな?


さや香 (かけ算は必要ない)

 序盤から熱量がありすぎた。余裕がなさすぎて見ていてしんどい。ギアを上げる場所はそこじゃないだろう。

 笑わせようとしてるんじゃなくて、勝とうとしているように見える。客よりも審査員を見ているというか。

 最近のさや香を見ていると、晩年のハリガネロックを思いだす。若くしてM-1グランプリで高評価をされてしまったがために、その後M-1にふりまわされて自分たちの漫才を見失ってしまったコンビ。ハリガネロックもボケとツッコミを入れ替えたりしてたなあ。

 ハリガネロックは解散してしまったけど、同じ道をたどらないことを願う。




 去年もおもったけど、準決勝の配信は決勝放送後にしてくれたらいいのに。

 準決勝で落ちた組がどんなネタをやったのかは観たいけど、決勝進出組のネタは当日まで楽しみにしておきたいから。

 去年、マヂカルラブリー以外のコンビは準決勝のネタを決勝一本目で披露した。多少のアレンジは加えていたけど。
 今年もほとんどの組がいちばん自信のあるネタ(準決勝のネタ)を決勝一本目に持ってくるだろうから、先に準決勝を見てしまうと決勝のおもしろさが目減りしてしまうんだよね。

 だから準決勝の配信は、決勝放送後にしてくれたらいいのになー。ネタバレも気にしなくていいし。




 今年の決勝進出組は、

  • 真空ジェシカ
  • ゆにばーす
  • ロングコートダディ
  • もも
  • オズワルド
  • ランジャタイ
  • インディアンス
  • 錦鯉
  • モグライダー
  • (敗者復活組)

 去年もそうだったけど、準決勝の出番順前半の組は極端に進出率が低い。去年は8組目のマヂカルラブリーまで合格者なし、今年も7組目の真空ジェシカまで合格者なし。だいたい3分の1ぐらいが合格してるのに、明らかに前半組の分が悪い。

 決勝は独特の空気もあるからしかたないけど、準決勝はもうちょっと冷静に審査してあげてほしいなあ。運も実力のうちとはいえ。


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2021年10月4日月曜日

キングオブコント2021の感想

 キングオブコント2021の感想。


審査員

 準決勝敗退組芸人による審査制度が終わってから、はじめて納得できる審査員だった。

 2015~2020年はひどかったもんな。審査員がひどいんじゃなくて審査員構成がひどかった。
 そりゃ個々の審査員がどう審査するのは自由なんだけど、だからこそバランスよくいろんな角度からの意見が聞きたい。それなのに、たった3組の芸人なんだもの。
 おまけに照れてるのか言語化できないのかしらないけど変にふざけてコメントするし。まじめなコメント+ボケではなく、単なる悪ふざけみたいなコメントもあった。
 しかも「他の審査員と点数が近いことにあからさまに安堵する審査員」がいたし。いやいや、みんな同じ傾向だったら頭数ならべてる意味がないだろ。他人と違うことを誇れよ。

 今回は審査員によって点数にばらつきがあってよかった。
 やっぱり東京03飯塚さんは構成を重んじるんだねとか、ロバート秋山さんはキャラの濃いコントが好きなんだなとか、やっぱりかまいたち山内さんやバイきんぐ小峠さんはサイコパス感漂うネタを評価するんだなとか、それぞれが書くネタの傾向が審査にも反映されててよかった。5人とも「ウケ量」以外の部分をちゃんと評価できる審査員だった。

 やっぱり審査員は最低限の条件としてネタ書く人にしてほしいよね。


出番順

 詳しくは知らないけど、抽選で出番順を決めたんだよね……。なんか出来すぎだったけど。
 前半に初出場組が続き、中盤はリベンジ組。終盤に前回惜しかったニューヨークや空気階段がきて、ラストがRー1、Mー1との3冠のかかるマヂカルラブリー。ウソみたいによくできた出番順だった。誰かの意思の介入を感じてしまう並びだな。


観客について

 客がひどかったな。ジャブ程度のボケで手を叩いて笑ってた。どう考えても笑いすぎ。全員マリファナきめてんのか。
 感染対策で人数を入れられない分、大げさに笑うように指示でもされてたんだろうか。コントの大会なのに笑い声がじゃまだった。

 笑わない客よりは笑う客のほうがいいに決まってるけど、それにしたってなあ。フリになるところで手を叩いて笑うなよ。見た目のおかしさだけで大爆笑するなよ。



ネタ感想(1本目)


1.蛙亭

 自我を持ってしまったホムンクルス(人造人間)と研究者。

 出番順に泣かされたなあ。後半出番だったら4位くらいにはなっていたんじゃないだろうか。最初のインパクトが強烈だったけど、途中で失速することなくその勢いのまま最後まで走り抜けた。
 ストーリー展開自体は平凡なSFだったけど、キャラクターや関係性を表現するコントだったから変に凝ったストーリーにしなくて正解だったかも。

 露骨にキモがるんじゃなくて、「キモがっていることを見せないようにしているけどついつい出してしまう」表現がいい。

 ホムンクルスの「ピュアであるがゆえの怖さ」は、中野さんの「ただのお人好しっぽい見た目なのにじつは何でも軽くできちゃう人」というキャラクターとよくあっていた。

 

2.ジェラードン

 痛々しいカップルと転校生。

 今大会の個人的最下位。キャラクター押しのコントは好きじゃない。

 もう「キモい見た目のやつがキモいふるまいをして、それをキモいと指摘する」で笑える時代じゃないとおもうんだよね。この〝多様性の時代〟に。
 たとえば蛙亭のコントでは「見た目はキモいけどすごく心はまっすぐで、だからこそかえって周囲に気を遣わせる」という設定だし、この後に出てくるザ・マミィなんかはもっと先に進んでて「誰に対しても分け隔てなく接しましょう、ということの欺瞞」をコントの中で鋭く指摘している。

 そういうコントと並べるには、ジェラードンのこのコントはあまりに古い。
 彼らの「化け物みたいな見た目のやつが実は敏腕FBI捜査官」などのネタを見たことがあるからこそ余計に、「キモいやつをキモく演じる」で終わってしまったこのネタは残念。


3.男性ブランコ

 ボトルに入れた手紙で知り合った男女が初めての対面。

 この導入のコントだと「美しい女性を想像してたらとんでもない女が来た」となることは誰しもが予想できるとおもうが、その予想をほんのわずかに裏切ってくるのが見事。そっち方面で裏切ってくるかーという感じ。すごくセンスを感じた。

 引き合いに出してしまって申し訳ないが、ジェラードンのコントに出てきたような「誰が見てもヤバいと感じる、わっかりやすい変な人」ではなく「たしかにこういう人は実在するけどこのシチュエーションには似つかわしくない人」という程度の裏切りなのが、リアリティと意外性を両立させている。この設定はすごい。

 さらに、他者の見た目を一方的に審判しないところや、変な女性に対して男性が寛容であることで、すごく上品なコントに仕上がっている。

 冒頭に大きな裏切りがあるのでへたしたら出オチになりかねない設定なのに、その後もワードセンスや会話の展開でおもしろさを持続させているのもすばらしい。

 ただ個人的には終盤の「……こんな人だったらいいのにな」という展開は好きじゃなかった。夢オチみたいで。


4.うるとらブギーズ

 迷子センターの従業員と、息子が迷子になってしまった父親。

 ここまで3組強烈なキャラクターが全面に出てくるコントが続いたので、やっとふつうの人がストーリーで魅せてくれるコントが出てきてほっとした。職人による正統派のコント。コントというよりはコメディといったほうがいいかもしれない。

 前半、父親が迷子の奇抜な特徴を伝えるシーンは「おもしろくないな」とおもいながら観ていたのだが、これはフリだったんだね。後半ではボケとツッコミが逆転して、前半を見事に回収してくれた。

 ただ、それだったら前半は「誰にでもわかるわかりやすい異常性」ではなく「実際にいるかいないかぐらいの絶妙なダサさ」ぐらいにしてほしかったな。ニューヨークがそういうの上手なんだけどね。

 感心したのは、笑いをこらえる演技のうまさ。素人が「笑いをこらえてください」と言われたら漫画みたいににやにやして「プッ、ククク……」ってやっちゃいそうだけど、ウルトラブギーズは顔をこわばらせたり顔の体操をしたりで「笑いをこらえる」演技をしていた。うまい。


5.ニッポンの社長

 バッティングセンターにいる高校生に勝手に指導するおじさん。

 個人的にはすごく好きなネタなんだけど、こういう展開で優勝するのはむずかしいよなあ。笑いどころが2種類しかないもんな。深夜のコント番組でやるようなコントだ(『関西コント保安協会』にぴったりのネタだ)。
 でも、だからこそ「ボールが当たるのを気にしない」というひとつのボケで延々引っぱる勇気に感心した。
 過剰に痛がるわけでもなく、凝った言い回しのツッコミをするわけでもない。なのにずっもおもしろい。

 この次のそいつどいつが「怖がらせる」ネタをやっていたが、ほんとに怖いのはニッポンの社長の世界のほうだ。
 ラストで明らかになる「ただの厄介なおじさんではない」という事実によってよりいっそう気味悪さが浮きだつ。

 しかし、審査員にも指摘されてたけど、ほんとに「ボールが当たる演技」がうまいなあ。ボールが見えるようだった。大げさに痛がらず、けれど我慢しているだけで痛くないわけでもないのが感じられるという、絶妙に〝抑えた〟演技だった。


6.そいつどいつ

 同棲中の彼女が顔パックをしている。

 恐怖を感じるコントは嫌いじゃないのだが、これは「怖がらせようとしているのを感じるコント」で、怖さは感じなかった。

 わかりやすすぎる。怖さって、そういうもんじゃない。不気味なマスクつけて不気味な動きしてたら怖いわけじゃない。
 怖いというのは結局「わからない」なのだ。なのにそいつどいつのコントでの女性の動きは全部「怖がらせようとしてる動き」だった。わかりやすい。だから怖くない。ストーリーも予想できるものだったし。

 めいっぱい怖がらせれば緊張を緩和したときに笑いが起こるものだが、怖さが半端なので笑いも半端になってしまった。
「この人は何のためにこんな行動をとっているのだろう?」とおもわせてほしかったな。


7.ニューヨーク

 ウェディングプランナーと新郎。

 ただただバカバカしいだけのコント。わっかりやすいダメなやつがダメダメなふるまいをする。

 ウェディングプランナーの描き方が単純だったんだよな。
 ダメなやつをコントで描くのはいいけど、ダメなやつにはダメなやつなりの論理があるはずなんだよ。「私はこう考えたのでこうしました」「失敗したことを怒られるのがイヤだからごまかすためにこんな行動をとりました」っていう論理が。
 このコントにはそれがなかった。失敗するためだけに失敗をしている。だからキャラクターがすごく平板だ。コントのためだけのキャラクターで、生きた人間じゃない。

 あと、ウェディングプランナーと新郎が初対面であるかのような設定が気になった。
 結婚式なんだからこれまでに何度も打ち合わせしてたわけでしょ。この人が担当だったんなら、その時点で「変えてくれ」ってならなきゃ嘘でしょ。
 この人と初対面という設定にするなら「これまでお客様を担当しておりました〇〇が急遽休職することになりまして。ですが打ち合わせ内容はすべて引き継いでおりますのでご安心ください」みたいなセリフが最初に必要になるんだよね。
 かまいたちが優勝を決めたネタ(ウェットスーツが脱げないネタ)では、冒頭にそういうセリフを置いていた。笑いにはつながらないけど、設定の違和感をつぶすネタはぜったいに必要なんだよね。

 でも「賞味? 消費? どっち?」は笑ったよ。終始「コントのためだけのキャラクター」だったけど、あそこでちょっとだけキャラクターにリアリティが感じられた。

 コントの作りとしては雑だったけど(特に後半のセットが倒れたり外国人の画像を出したりするとこ)、じっさいぼくも笑ったし、ぜんぜん悪いコントではないんだよね。去年は似た系統の「むずかしいことを考えずにただ笑えるばかばかしいコント」で2位になったわけだし。
 これが最下位になったことが、今大会がいかにハイレベルだったかを物語っている。


8.ザ・マミィ

 街中で終始怒っているおじさんに一切の偏見も持たない青年。

 今大会の個人的ベストコント。

 コントって芝居である以上、「ただ笑えるだけ」では物足りない。たとえばサンドウィッチマンのコントはたしかにおもしろいけど、でもおもしろいだけなんだよね。だからあれはおもしろいけれど優れたコントとはおもわない。

 笑いをとるだけならコントより漫才のほうが効率がいい。セットがない分、表現できる幅が無限に広がる。時間も空間も軽々と飛び越えられる。
 だけど、怒らせたり悲しませたり困らせたり喜ばせたり、感情を揺さぶるのにはコントのほうが向いている。だから「笑わせるだけでなく感情を揺さぶってくれるコント」をぼくは期待する。

 ザ・マミィのコントは、ただ笑わせるだけじゃなかった。はぐれ者の悲哀や他者に対する愛おしさを感じさせてくれるものだった。ニューヨークのコントの後だからこそ「生きた人間」を描いているところが光った。だってこのふたりの「これまで」や「今後」も想像させてくれたんだもの。ちゃんと「それまで別々の人生を歩んできたふたりの人間がたまたま出会った一瞬」を切り取ったコントだった。

 ちなみに空気階段にも「ちょっと頭おかしいように見えるおじさんの意外な一面」を描いたコントがあるが(電車内でおじさんが他人に注意するコント)、あちらはツッコミ役が終始傍観者にとどまっていたのに対し、こちらは両者がきちんとからんでいるのでぼくはザ・マミィのほうが好み。

 ところで終盤のミュージカルは力ずくで笑いをとりにいったようで、あまりおしゃれでなかった。
 でもそうは言いながらミュージカル部分では笑わされたけどね。力技で笑わせようとしてくるのがわかっているにもかかわらず。
 特に、あんまり歌がうまくないのがよかった。リアルなおっさんのミュージカルって感じで。


9.空気階段

 SMプレイ中に火事に遭ったふたりのおじさん。

 うーん、ぼくはあんまり笑えなかったな。新しさを感じなかったので。

 笑いとしては最初がピークで、あとは見た目のおもしろさぐらい。「ダメな人かとおもったらだんだんかっこよく見えてくる」という単純な構成で、深みが感じられなかった。

 さらば青春の光の『ヒーロー』というコントがある。噂では、キングオブコント2018で最終決戦に進んでいたら披露する予定だったというコントだ。こちらも同じく火事場を舞台にしている。
 詳しいネタバレは避けるが、空気階段とは逆に「火事現場で逃げ遅れた人を助けるヒーローかとおもわれた男がとんでもないクズだったと判明する」というストーリーだ。
 ぼくは、さらば青春の光版『ヒーロー』のほうが好きだ。保身と打算にあふれた人間くささが根底にあるからだ。空気階段のヒーローは、性癖を除けばフィクションの中にしか存在しない完全無欠のヒーローで、共感できる要素がなかった。

 作りこまれた、感情を揺さぶってくれるネタを数多く作っているコンビなので余計に期待外れだった。


10.マヂカルラブリー

 深夜の心霊スポットでコックリさんをする学生ふたり。

 マヂカルラブリーのラジオを毎回聴いているぐらい好きなんだけど、いや好きだからこそ、「えっ、こんなもん?」という印象だった。

 前回決勝進出のときもおもったけど、マヂカルラブリーって漫才は「既存の概念をぶち壊してやる!」みたいな破戒的なパワーを感じるのに、コントはすごく丁寧に作りこまれてるんだよね。抑えるべきところは抑えて、説明すべき点は説明して。それはいいことなんだけど、でもマヂカルラブリーにはもっとむちゃくちゃな展開を期待してしまう。
 漫才だと、時間も空間も軽く飛びこえて自由自在に演じられるのに、コントだとセットがある分、表現が窮屈になってしまう。

 ふたりとも漫画やアニメが好きだからだろう、表現が漫画やアニメの枠を超えてこない。漫画のネタを実写化したみたいなコントなので、これだったら漫画で読んだほうがおもしろいやという気になる。そう、ギャグ漫画みたいなコントだった。

 でも「指先に操られる人間」というむずかしい演技をやってのける身体表現能力の高さには舌を巻いた。特に指先に立たされるとことか。あの身体の使い方はすごかったなあ。

 点数が伸びなかった原因のひとつに、死体が操られることに対する生理的な嫌悪感もあったのかもしれない。野田くん死んじゃうし。死んだまま終わっちゃうし。やっぱり人の死を笑いに変えるのはむずかしいよ。


 最終決戦進出は、1位空気階段、2位ザ・マミィ、3位男性ブランコ。

 ぼくが選ぶなら空気階段の代わりにニッポンの社長を入れるな。


ネタ感想(最終決戦)


男性ブランコ

 レジ袋をケチった男の末路。

 レジ袋有料化という根拠の明確でないおもいつきのような政策にふりまわされる国民の姿をシニカルに描いた(ウソ)時代に即したコント。
 レジ袋有料化される2020年より前には存在しえなかったネタだし、来年だったら「いいかげんレジ袋ないことに慣れろよ」とおもってしまうので、今がこのネタをできるギリギリのタイミングだったね。

 一本目のネタの感想でも書いたけど、すごく上品なコントを作るコンビだ。最小限のセット、最小限の動きに、最小限の感情の揺れの表現。それでいて大きな効果を上げるのだからすごい。

 レジ袋をケチった男は明らかにダメなやつなんだけど、ニューヨークのコントで描かれたダメ男とちがって、彼にはダメなやつなりの論理がちゃんとあるんだよね。レジ袋を買わなかったのは袋代が惜しかったからだし、だからレジ袋をもらったらお金を払わなきゃいけない、他人の手を煩わせたらお礼を言わなきゃいけない。彼には確固たる信念がある。

「あなたはあのときケチったレジ袋ですか」なんて、その人間に深く入りこまないと出てこないセリフだよ。〝笑わせるためだけに生みだされたキャラ〟には言えない。

 強引に笑いを取りにいくコントではなかったので点数は伸びなかったが、そこがまたかっこいい。今大会もっとも評価を上げたコンビじゃないかな。


ザ・マミィ

 ドラマっぽいセリフを言いあう社長と社員。

 キングオブコントのオールドファンなら誰しもが、しずるが2010年のキングオブコントで披露したコント『シナリオ』を思い浮かべたのではないだろうか。審査員の秋山さんが「観たことがあるような」と暗に示していたのもおそらくこのコントだろう。


 とはいえパクリだという気はさらさらない。もっといえば25年ぐらい前にビリジアン(小藪一豊さんが組んでいたコンビ)が「演技でしたー!」というコントをやっているのを観た記憶があるし、小学生だって「演技でしたー!」をやる。
 ドッキリ番組が数十年定番コンテンツであることからわかるように「人が芝居に騙されて真に受ける」というのは人間が根源的に好きな笑いなのだろう。

「演技でしたー!」はかんたんに裏切りを起こせるのでコントにしやすいのだろうが、裏を返せば裏切りのパターンが予想されやすいということでもある。「演技でしたー!」が二度続けば誰もが次も同じパターンがくることを予想するし、そうなるともう「演技でしたー!」か「演技と見せかけて実はほんとでしたー!」の2種類しか道はない。どっちを選んでも想定内だ。

 韓国ドラマ、音楽再生、ボイスレコーダーなど随所に工夫はあったものの全体的な展開は観客の想像を大きく超えるものではなく、この設定を選んだ時点で負けは決まっていたのかもしれない。


空気階段

 オリジナル漫画を題材にしたコンセプトカフェのマスターと客。

「変な店員と客」という設定はありがちだが、実はコントにするにはむずかしい。
 漫才コントであれば「店員をやりたい相方に練習をつきあってあげる」または「客の練習をしたいので相方に店員役をしてもらう」という導入があるので、どれだけ変な店員が現れてもかまわない。
 だがコントは芝居なので、入った店に変な店員がいた場合、客には「店を出る」という選択肢があるし、場合によっては店を出ないと不自然だ。
 だから「変な店員と客」は、コントの舞台としては設定の強度がもろい。

 空気階段のこのコントは「雨が降ってきたのでカフェで雨宿り」という笑いにはつながらない導入を入れることでそうかんたんに店を出られないシチュエーションを作りだし、「変だけどさほど不愉快ではない」程度の仕掛けを並べることで「怒って席を立つ」状況を回避している。すごく丁寧な作りだ。

「小学校のときにノートに描いていたオリジナル漫画」というのはわりとよく見る題材だけど、接客セリフ、メニュー表、登場人物などディティールまできちんと作りこまれている。 もぐらさんのキャラクターを活かしたばかばかしい設定でありながら、ちゃんとマスターのこれまでの人生を感じさせてくれる。

 だからこそ気になったのが、コーヒー豆にはこだわっているという設定。あれ自体はすごくおもしろいのだが、だったら注文してからあんなに瞬時に出してきちゃだめだろ。時間をかけて煎れてくれなきゃ。
 全体的に丁寧だったからこそ、あそこの雑さが気になった。

 ところでロバート秋山さんが設定の着眼点を褒めていたが、たしかに「異常なコンセプトカフェ」ってものすごくロバートのコントにありそうな設定だよな。
 コンセプトカフェに行ったら変な店員にからまれる……というロバートのコントが容易に頭に浮かんだ。この設定を先に使われた秋山さん、悔しかっただろうなあ。


総括

 いやあ、いい大会でしたよ。
 こうして感想を書いていても楽しい。
 笑えなかったのはジェラードンだけだったし、ジェラードンにしてもぼくの好みじゃないネタだっただけで腕があることは十分伝わったし。

 空気階段は、今回のネタはぼくの好みとはちょっとちがったけど、昨年の定時制高校のコントはまちがいなく大会トップのネタだったとおもうので今年やっと優勝できたことは喜ばしい。
 見た目のコミカルさ、導入のわかりやすさ、細部へのこだわりなどを随所に見せつけてくれるコンビなのでいつかは優勝できていただろう。

 M-1グランプリ以前と以後で飛躍的に漫才の技術が進化した(第1回大会の決勝ネタなんか今だったら全組2回戦か3回戦で敗退だろう)ように、コントのクオリティも全体的に大きく向上したなあと感じさせてくれる大会だった。

 とにかくたくさん笑わせれば何でもいいという時代は終わり、人間模様を感じさせる完成度の高い芝居でないと評価されない時代になった。
「きちんと人間の内面を描けているか」「そのメッセージを作品に昇華させるにあたり題材選びは適切か」といった、まるで純文学賞の選評みたいなハードルを越すことが求められる大会になってきた。

 もちろんコンテストなので優勝を決める必要はあるのだが、ことキングオブコントに関してはあんまり優勝だけにこだわる必要はないとおもうんだよね。上位に関してはほとんど出番順とその日の雰囲気だけで決まるような感じだし。

 だから優勝賞金1000万! よりも、総額1000万円にして、1位○万円、2位○万円、3位○万円、審査員特別賞○万円、みたいな感じのほうがいいのかもしれない。演劇のコンクールみたいに。


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2021年8月16日月曜日

【映画感想】映画おしりたんてい スフーレ島のひみつ /深海のサバイバル!

映画おしりたんてい スフーレ島のひみつ
/深海のサバイバル!
(2021)

内容
「映画おしりたんてい スフーレ島のひみつ」…見た目はおしり、推理はエクセレントな名探偵・おしりたんてい。今度の舞台は、人々が風に乗り空を飛びながら移動して暮らすスフーレ島だ!
「深海のサバイバル!」…サバイバルの達人ジオとその仲間たちが、アンモナイト型の潜水艇に乗って深海をサバイバル。持ち前の勇気とアイデアでピンチに立ち向かう。

 小学二年生の娘といっしょに鑑賞。
 観客は全員子どもとその親。そりゃそうだね。




『映画おしりたんてい スフーレ島のひみつ』


 ふうむ、いい映画ですね。

 毎週テレビ放送しているものも(娘といっしょに)ときどき観ているのだけど、
「おなじみのやりとり」と「劇場版ならではの取り組み」がいい具合にミックスされていて、「これぞ劇場版!」っていう出来だった。

 テレビシリーズを映画化すると、力が入りすぎて「いやそこまでのものは求めてないんだけど……」となることがある。とはいえ時間も制作費もぜんぜんちがうのにいつも通りにつくるわけにはいかない。

 その点この『スフーレ島のひみつ』はふだんと同じく「めいろ」や「おしりをさがせ」もあるが、「かいとうUに協力者がいる」「かいとうUの変装が観客にははじめから呈示されている」などちょっとした仕掛けが施されていて、先が読みにくい展開になっている。クライマックスの「しつれいこかせていただきまさ」も定番のやりとりでありながら発射までにひと工夫凝らされている。

 またいつものおしりたんていであれば「なぞをとく」「犯人を捕まえる」「かいとうUからお宝を守る」が達成された時点でストーリーは終了するが、この劇場版ではなぞときだけでなく「島の外に出たいが代々続く灯台守の家系なのでそれが許されずに不満を抱える少女」というストーリーも並行して語られており、単なるなぞときで終わっていない。

 終始風の吹いている演出や、激しい動きなど、劇場版ならではの派手な演出も多く、観客の「金を払って劇場に来てるんだから特別なものを観たい」という欲求と「とはいえいつものおしりたんていらしさも捨てないでほしい」という願望の両方をうまく両立させていた。

 テレビアニメの劇場版としては完璧に近い内容じゃないでしょうか。




深海のサバイバル!


 子どものいない大人は知らないかもしれないが、『サバイバル』シリーズが小学生の間で大人気だ。
 元々は韓国の学習漫画だが、日本国内でのシリーズ累計発行部数は1000万部を超え、世界では3000万部を超えているという大ヒット児童書だ。

 子どもの頃、学研の『○○のひみつ』シリーズが好きだった大人は多いとおもうが、今は『サバイバル』シリーズが主役の座についている。『○○のひみつ』よりも『サバイバル』のほうが漫画がだんぜんおもしろいんだよね。
『サバイバル』シリーズは漫画九割+解説文一割で構成されているのだが、解説部分は大人でも勉強になる。内容も新しいので「なるほど、今は環境問題に対する考え方ってこうなってるのか」と学ぶことが多い。子どものときに教わった〝常識〟って、変わっててもなかなか気づかないからね。


 そんな人気シリーズから『深海のサバイバル!』が映画化。

 海底調査の潜水艦にもぐりこんだサバイバルの達人・ジオと野生少女・ピピ。めずらしいものだらけの深海に興奮を隠せないふたりだが、事故により潜水艦に電気と空気を供給するケーブルが切断。艦内には三人、だが深海耐久スーツは二着だけ。はたしてジオとピピは無事に潜水艦を海上へと引きあげることができるのか……。
 というワクワクドキドキの王道冒険活劇

 ストーリー展開は山あり谷あり一難去ってまた一難という感じで、ハリウッド映画にも引けを取らないレベル。いやほんと、こんなストーリーのハリウッド映画ありそうだもん。
 子ども向けだから粗いところもあるけれど(潜水艦に子どもがふたり密航してることに誰も気づかない、序盤で密航に気づいたのに引き返さない、ひとりで乗船するはずだったのに深海スーツが都合よく二着積んである、深海スーツの充電器が潜水艦内にあるなど)、そういうところに目をつぶって深く考えなければ大人も楽しめる。

 ただ映像作品なので仕方ないのだけれど、肝心の科学知識がほとんど披露されなかったのは残念。それこそが『サバイバル』シリーズの原点のはずなのに。
 ダイオウイカやマッコウクジラは出てくるだけで生態に関する知見はないし、せいぜいメタンハイドレートぐらい。個人的にいちばん気になったのは深海から連れてきたカニが海面でもぴんぴんしてたこと。これは深海生物の生態を伝えるという根幹のテーマを壊してしまうぐらいのミス。ストーリーは強引でもいいけど、科学知識に関するところで嘘ついちゃだめでしょ。




 某子ども向け作品は鑑賞中に寝てしまったが、この映画はどちらも大人も楽しめた。大人料金1,800円の元はとれた。

 しかし気になったのは対象年齢。
『おしりたんてい』と『サバイバル』のセット上映なのだが、この二作は対象年齢がちがう。おしりたんていのメインターゲットは未就学児(娘は五歳ぐらいのときにどっぷりハマっていた)、サバイバルは小学校中学年ぐらい。けっこう離れている。

 うちの娘は小学二年生なのでぎりぎり両方楽しめるぐらいの年齢だが、周囲の五~六歳ぐらいの子は『サバイバル』のケーブルの切れた潜水艦が深海に沈んでいくシーンや、ダイオウイカに襲われるシーンでは「こわい……」と声をあげていた。そりゃそうだよなあ。

 この二作を抱き合わせで売るのはちょっと無理があるとおもう。
 観客からすると単独上映で半額にしてくれるのがありがたいけど、いろんな事情でそうもいかないんだろう。

 ネット配信してくれたらいいのにな。そしたら上映時間を気にしないで済むし。感染予防にもなるし。

『ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021』も2022年に上映延期されたけど、一年も遅らせるぐらいだったらネット配信してくれたらいいのにな。そっちのほうが売上も増えるだろうに。映画館には申し訳ないけど。


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2021年6月24日木曜日

『一周だけバイキング』に感動した

『テレビ千鳥』というテレビ番組の『一周だけバイキング』という企画がすばらしかった。

 おもしろいのはもちろんだが、ただおもしろいだけでなくぼくはちょっと感動してしまった。テレビにはこんなこともできるのか。もう三十年以上テレビを観てきて「テレビってこんなもん」というイメージがあったけど、いやいやまだまだテレビの可能性はあるんだな。こんなことでおもしろいテレビ番組が作れるなんて知らなかった。
 それぐらいすごい企画だった。




『一周だけバイキング』はこんな内容だ。

 ホテルのバイキングが用意されている。
 内容はかなり豪華。ステーキとか揚げ物とかが並んでいるので、朝食バイキングではなく夕食だ。和洋中、いろんな料理が並んでいる。シェフが立っていて、注文を受けてから目の前で調理してくれるコーナーもある。

 そこに芸人がやってきて、料理を取る。トレイを持ち、皿を何枚か載せ、そこに自分が食べたい料理を載せていく。ごくごくふつうのバイキングだ。
 ふつうのバイキングとちがうのは一点だけ。料理を運べるのは一度だけということ。ふつうのバイキングであれば「料理をテーブルに持っていき、食べたらもう一度料理を取りにいく」ができるが、『一周だけバイキング』ではそれができない。
 あとはふつうのバイキング。もちろん、一度皿に取った料理を戻すことはできない。

 それだけ。




 これに、何人かの芸人が挑戦する。
 芸人だからといってボケたりしない(ボケる人もいるがたしなめられる)。奇をてらわずに、真剣に自分が食べたい料理だけを皿に取る。
 つまり、ぼくらがホテルの夕食バイキングに参加したときと同じことをするだけだ。
 で、それを他の芸人がモニターで見ながら、料理のチョイスについてあれこれ言う(その音声はバイキング参加者には聞こえない)。

 ごくふつうの場所で、ごくふつうのことをする。それだけ。
 観たことない人はそれのどこがおもしろいんだとおもうかもしれないが、これがめちゃくちゃおもしろかった。

 もちろん芸人がコメントを入れるので、ワードの選定とかツッコミのタイミングとか比喩とか、そういうのはおもしろい。
 それもおもしろいが、でも『一周だけバイキング』のいちばんのおもしろさは芸人のトークよりもバイキングそれ自体にある。


 大人であれば、人生において何度もバイキングに参加したことがあるだろう。ホテルの朝食はバイキング形式のことが多い。結婚式の二次会などちょっとしたパーティーでもビュッフェスタイルのことがよくある。
 バイキングを食べ終わって、「ああすればよかった」と後悔したことはあるだろうか。ぼくは毎回後悔する。

 まちがいなく取りすぎる。
「取り放題」「どれだけ取っても同じ値段」「準備も後片付けもしなくていい」という甘い誘惑が理性を狂わせる。
 おまけにホテルの料理はどれも見栄えがいいしおいしそうだ。
 あれもこれもと皿に載せ、気づけばパン三個とベーコンエッグとウインナーと海苔とチーズとコーンフレークとヨーグルトとゼリーとスクランブルエッグと生卵を取っている。朝からこんなに食えないのに。でも無理して食う。苦しくなる。

 何度取りにいっていいのだからちょっとずつ取ればいいのに、大量の食べ物を目の前にするとそんな理性はどこかへ行ってしまう。
 人類がバイキングをするようになったのはたかだかここ百年ぐらいの話。常に飢餓の恐怖と隣り合わせだった人類が数万年かけて身につけた「食えるときに食っとけ」という本能の前に、理性など太刀打ちできるはずがないのだ。


『一周だけバイキング』でも、やはり芸人たちは失敗する。
 わざと失敗を狙っているわけではない。食べたいものを取るだけなのに失敗する。

 エビフライを取ったら、その後にシェフがその場で天ぷらを揚げてくれるコーナーがあって、「揚げたてのエビ天があるんならエビフライいらなかった」と後悔する。

 だし巻き玉子を取って、スクランブルエッグがあるのでそれも取って、そしたらその後にふわふわのオムレツ(これもシェフがその場で焼いてくれる)があって「玉子ばかりになってしまった!」と後悔する。

 前半に揚げ物をごっそり取ったら、後半に上等のステーキが待っていて「こんなに揚げ物取るんじゃなかった!」と後悔する。

 匂いに誘われてカレーライスをとってしまい、すべての料理がカレーの匂いに包まれてしまう。

 あれもこれもと取っているうちに皿がトレイに載りきらなくなる。

 全部よくある失敗だ。ぼくもよく玉子だらけにしてしまう。

 テレビに出ている芸人だから、きっと収入も多いだろう。一流レストランで食事をする機会も多いだろう。自腹でなく料理をごちそうしてもらえることも多いだろう。
 それでも失敗する。
 目の前に並んだごちそうを見て、理性はあっという間に雲散霧消する。

 その様子がおもしろい。
 人間、どれだけ立派になっても結局は食欲のままに生きる動物なのだということをバイキングは知らしめてくれる。




 何がすごいって、ぜんぜん特別なことはしてないわけよ。
 ごくふつうのバイキング。ただ「一周だけ」というルールがあるだけ。それだって無茶を言ってるわけじゃない。実際、チェックアウトの時刻が迫っていて一周で決めなければならない状況もある。

 ごくふつうの場所で、ごくふつうのことをする。それだけですごくおもしろい。
 画期的だ。テレビってこれでいいんだ。

 この手法、バイキング以外にも使えそうだ。
 荷造りをするとか、保護者会で自己紹介をするとか、10人でバーベキューをするためにスーパーで買い物をするとか、家具を選ぶとか。そういう「みんなやったことあるけど数年に一回ぐらいしかやらないから失敗しがちなイベント」を真面目にやる。

 それをそのまま撮るだけで十分おもしろくなりそうだ。




 ところで『一周だけバイキング』だが、芸人以外の唯一の参加者が長嶋一茂さんだった。
 この人のバイキングは見事だった。皿を贅沢に使い、いろどりも良く、肉に野菜にスープに果物と栄養バランスもばっちり。取りすぎることもなく、ほぼ完璧といってもいい出来。しかもそれを自然にやってのけていた。
 育ちの良さはこういうところに出るのかと感心した。


 ところで、以前テレビで元プロ野球選手が語っていた。
 昔、ジャイアンツの宿舎には選手のための食べ物がどんと置いてあった。夏になるとスイカが切って並べてある。
 三角形に並んだスイカを次々に取り、てっぺんの甘いところだけを食べて他は全部残す選手がいた。それが長嶋茂雄だった、と。

 親子でこんなにもちがうものなのか。


2021年4月27日火曜日

【芸能鑑賞】『ドロステのはてで僕ら』


内容紹介(映画.comより)
「サマータイムマシン・ブルース」などで知られる人気劇団「ヨーロッパ企画」の短編映画「ハウリング」をリブートした劇団初となるオリジナル長編映画。とある雑居ビルの2階。カトウがテレビの中から声がするので画面を見ると、そこには自分の顔が映っていた。画面の中のカトウから「オレは2分後のオレ」と語りかけられるカトウ。どうやらカトウのいる2階の部屋と1階のカフェが、2分の時差でつながっているらしい。「タイムテレビ」 の存在を知った仲間たちは、テレビとテレビを向かい合わせて、もっと先の未来を知ろうと躍起になるが……。

『サマータイムマシン・ブルース』などで知られるヨーロッパ企画の映画。

 70分ほどの映画だが、もしかしてこれ全部1シーン? 細かくチェックしてないけど場面転換が一度もないよね?(調べてみたらさすがに全編1シーンではないらしい。そう見えるけど)。
 映画というより芝居を鑑賞しているような気分になる。
 時間ものという難しいテーマを、場面転換を使用せずに処理しているのがすごい。


 2分後の未来(また2分前の過去)の自分と会話ができる〝タイムテレビ〟を手に入れたカフェのオーナー。カフェの常連客たちはあれこれとテストをして、ついに2分より先の未来を知る方法を発見するが、それがおもわぬピンチを引き起こす……。
 ヨーロッパ企画らしい(っていってもぼくは『サマータイムマシン・ブルース』しか観たことないんだけど)SFコメディ。
 未来を知ることができるのだが「2分だけ」というのが、絶妙に「あまり役に立たない」ライン。じっさいに登場人物は「コンビニのスクラッチくじを当てる」「ガチャガチャで狙っている商品をあてる」といったくだらないことに使う。このあたり、『サマータイムマシン・ブルース』でタイムマシンを「壊れる前のエアコンのリモコンを取りに行く」というくだらない目的のために使っていたのをおもいだす。

 中盤はひたすら〝タイムテレビ〟の使い方実験が続くのでやや退屈だが、「未来の自分の言っていたことが現実にならない」などのアクセントが効果的。
 そしてケチャップ、シンバル、ゼブラダンゴムシといった小道具の登場が実にニクい。まあシンバルは「これは後で何かあるな……」って感じだったけど。

 ストーリーはとにかくよくできていた。終盤で〇〇(ネタバレのため伏字)が出てきてからはちょっと説明くさい感じがしたけど。でもあそこのばかばかしい展開も嫌いじゃない。

 あととにかく撮影がたいへんだっただろうなと感心した。一発勝負だもんな。ちょっとだけカメラワークを失敗しているところがあるが、それはそれで新鮮でおもしろい。

 脚本はすごく緻密でよくできてるんだけど、登場人物のキャラクターはおもしろみにかける。みんな呑み込みが早いしいい大人だから落ち着いてるし。もっとバカなキャラクターがいてもよかったかな。

 とはいえ時間ものSFが好きな人ならまちがいなく楽しめる作品。


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2020年12月23日水曜日

【映画鑑賞】『万引き家族』

『万引き家族』

(2018)

内容(Amazonより)
高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れそうな平屋に、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀の4人が転がり込んで暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主である祖母の初枝の年金だ。それで足りないものは、万引きでまかなっていた。社会という海の、底を這うように暮らす家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、口は悪いが仲よく暮らしていた。そんな冬のある日、治と祥太は、近隣の団地の廊下で震えていた幼いゆりを見かねて家に連れ帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘として育てることにする。だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく──。

 カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した作品……っていってもパルムドールが何なのか知らないけど。なんかおいしそうな響き。

 評判にたがわぬいい作品だった。
 あっ、ぼくのいう〝いい作品〟ってのはいろいろ考えさせられる作品ってことね。感動するとかスカッとするとか老若男女誰でも楽しめるとかドラ泣きとかそういうのを求めている人の入口はこっちじゃありません。あしからず。

 しかし、リリー・フランキーの芝居はいいね。
『そして父になる』『凶悪』『万引き家族』と観たけど、どれもすごく印象に残る。


(ネタバレ含みます)


 ほんでまあ、作品名そのまんまなんだけど、万引きをやっている家族の話。っていっても万引きで生計を立てているわけじゃなくて、一応おとうさんは日雇いの仕事してるし、おかあさんはクリーニング屋で働いてるし、おかあさんの妹は女子高生リフレみたいな準風俗店みたいなとこで働いてるし、おばあちゃんも年金もらってるみたいだし、ってことでみんなそれぞれ働いてるわけ。
 でもおかあさんはクリーニング屋でポケットの中の金目のものをくすねちゃうし、おばあちゃんがもらってるのもどうやら年金じゃないみたいだし、おとうさんと男の子はタッグを組んで万引きをするし、家出してきたちっちゃい女の子をかくまっちゃうし、みんなそれぞれあかんことをやってるわけ。

 で、観ているうちにどうやらほんとの家族じゃないってことがわかってくる。どうもそれぞれおばあちゃんの家に転がりこんできてるみたい。年金や土地家をあてにして。
 とはいえおばあちゃんも騙されているわけではなく、そこそこ頭はしっかりしているようだし、騙されたふりをしているような感じで家に入れている。
 あんまり説明がないから想像するしかないんだけど。

 みんな悪いことをしながら、でもけっこう楽しくやっている。
「貧しいながらも楽しい我が家」って感じで、観ようによっちゃあ『三丁目の夕日』みたいな古き良き日本の暮らしをしているわけ。『三丁目の夕日』観たことないから完全にイメージで書いてるけど。


 この家族(血はつながっていないがまぎれもなく家族)は万引きに代表されるように数々の法律違反をしているわけだけど、観ていると「べつに悪いことはしていないんじゃないか」っていう気持ちになってくる。

 学校では「法律違反=悪いこと」って教わるし、だいたいの人はそうおもって生きているわけだけど、でもそこって完全にイコールではないんだよね。

「警察が取り締まってなければちょっとぐらい制限速度を超えてもいい」「ちょっとだけだから駐車禁止だけど停めてもいっか」「赤信号だけど急いでるし車も来てないから」「労働基準法なんかきちんと守ってたら会社がつぶれちゃうよ」みたいな感じで、ほとんどの人は法律違反をしている。

 こないだM.K.シャルマ『喪失の国、日本』という本を読んだ。インド人が見た日本の印象について書かれているんだけど、シャルマ氏は
「インド人は観光客には高い金をふっかけるし、土地に不慣れな人がタクシーに乗ってきたら遠回りして高い料金を請求する。日本人は『インド人は悪い』と怒るけど、インド人からしたら交渉や自分でチェックをしない日本人のほうが悪いとおもう」
というようなことを書いていた。
 インド人と日本人のどっち悪いということではなく、単なる文化の違いなんだとおもう。所変われば品変わるというように、それぞれの土地には土地のしきたりや慣習がある。そしてそれはときに成文法よりも強力にはたらく。
「ちょっとでも隙間があいていれば行列に割りこんでもいい」「一秒でも置きっぱなしにしているものは持っていってもいい」という文化は、世界中あちこちにある。
 海外のあまり治安の良くない地域で「財布の入ったカバンを置いてちょっと目を離しただけなのに盗られた!」と怒っても、それは「置いとくほうが悪い」という話だろう。

 万引き家族がやっていることも「そういう文化」だ。

 彼らは「お店に置いてあるものはまだ誰のものでもない」「店がつぶれなきゃいいんじゃないの」「家で勉強できないやつが学校に行く」と、独特のルールを設けている。日本の法律からは外れているが、一応彼らには彼らの論理があるのだ。
 だからどこでもかまわず万引きをするわけではないし、近所の人や同僚ともうまくやっていけるし、困っている人に手を差し伸べたりする。

 悪というより「日本の法律とは別の枠組みで生きている人たち」なのだ。
 万引き家族のような人たちはあまり可視化されていないだけで、日本の中にもけっこういるとぼくはおもう。ブラック企業経営者だって同類だし。




 児童虐待やネグレクトの本をたくさん読んで、
「子育ては親がするもの」という考えはおかしいとおもうようになった。

 いや、子育てしたい親はすればいい。ぼくも自分の子は自分で育てたい。
 でも、育てたくない親や、育てられない親や、育てちゃいけない親はたくさんいる。親が十人いたら、そのうち三人ぐらいは「親に向いていない人」なんじゃないかとおもっている。

 だが「親に向いていない人」から子どもを引き離すことは、今の日本では非常に難しい。どんなに実子をネグレクト・虐待をする親でも、殺しさえしなければほとんど罪に問われない。
 なにしろ、NHKスペシャル「消えた子どもたち」取材班 『ルポ 消えた子どもたち』によると、18歳になるまで家の中に子どもを監禁して学校に一度も通わせてもらえなかった親に下された判決がなんと「罰金10万円」だ。人間ひとりの人生を台無しにしても罰金10万円で済むのだ。司法が「親は10万円払えば子どもの人生をむちゃくちゃにしてもいい」と認めているに等しい。

「ぜったい親に育てられないほうがあの子は幸せだよね」と隣人や学校や児童相談所がおもったとしても、親が手放そうとしなければ、親から子どもを引き離すことはできないのだ。どう考えても制度の方がおかしい。


『万引き家族』で描かれる血縁以外でつながった家族は、子育てに向いてない親の下で育った子どもにとっては理想に近いんじゃないだろうか(もちろん万引きはダメだけど)。

 血縁ってそんなにいいもんじゃないとおもうんだよね。『おとうさんおかあさんは大切に』『親の子への愛情は海より深い』とか、うそっぱちですよ。中にはそういう親もいるってだけで。

「新卒で入った会社で定年まで働けるのがサラリーマンにとって何よりの幸せ」っておもう人がいるのは認める。会社にとっても労働者にとっても理想かもしれない。
 でも「だから新卒で入った会社がどんなにブラックでも辞めちゃだめ」ってのはまちがってる。
 それと同じように「実の親に育てられて大人になるのがいちばんいい」ってのも間違いなんだよね。現状が悪ければ、転職するように育つ家庭を変えたっていい。


「子育てに向いていない親」が悪いと言ってるわけじゃないんだよ。
 よく「子育てできないのに産むな」っていうけど、そんなの無理な話だよ。ぼくだって子どもをつくるときは一応ある程度の覚悟はしていたけど「五つ子が生まれてくる想定」とか「難病で年間数百万円の医療費がかかる子が生まれてくる想定」とか「出産直後に大地震に遭って家も財産も失う想定」まではしてませんよ。ほとんどの親がそうでしょう。そんなこと考えてたら誰も子どもなんか産めない。

 どんな子が生まれてくるかは産んで育ててみなきゃわからないし、自分の健康状態だって夫婦仲だって仕事だってどうなるかわからないわけじゃん。

 だから、産んでみて、育ててみて「あっやっぱ無理そうだわ」っておもったらかんたんに手放せる(または「手放させる」)仕組みがあったらいいとおもうんだけどね。誰にも責められることなく。
「うちら付き合ちゃう?」みたいなノリで付き合って「なんかおもってたのとちがうわ」で別れる。そんな感じで親や子を手放せてもいいとおもう。

 中世以前の日本は、わりと手軽に養子をとっていたという。次男坊や三男坊は家督を相続できないから子どものいない家の養子になる、みたいな感じで。
 むずかしい手続きを経なくても、お互いの利害が一致すればふらっと移籍できてもいいんじゃないかな。

 血のつながった家族でもなく、児童養護施設でもない、もっとゆるやかにつながれる枠組みがあってもいいのにな、と『万引き家族』を観ておもった。


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2020年12月22日火曜日

M-1グランプリ2020の感想

 M-1グランプリ2020の感想


大会の運営について

 今年はコロナ禍の開催ということでいろんなものをそぎ落とした大会だった。結果的に、余計なものがなくなってすごく良かった。
 ほんと、M-1大好き芸能人に集まっていただきましたとか、アスリートによる抽選とか、誰がうれしいんだって感じだもんね。
 そういう無駄な要素がなくなって、その分審査員コメントとかが長くなって見ごたえがあった。コロナが収束してもこのままでやってほしい。

 あと、「一本目の上位組から、最終決戦の出番順を決める」→「一本目一位が三番手、二位が二番手、三位が一番手」になったのもよかった。
 あれ毎年無駄な時間だったもんね。みんな後から選ぶから。
 ぼくの記憶にあるかぎりでは、そうじゃない順番を選んだのは麒麟ぐらい。

 無駄な時間だった上に、最終決戦進出組にとっても「漫才と漫才の間にバラエティ的な立ち居振る舞いを求められる」ことでけっこう負担になってたんじゃないかな。あれがないほうがネタに集中できるよね。


1.インディアンス(敗者復活)

「昔ヤンキーだった」

 速いテンポで完成度の高い漫才をやっているからこそ、ところどころの穴が目立つ。構成の雑さが。
 去年は「おっさんみたいな彼女がほしい」というわけのわからん設定を客に納得させる前に話が進んでたが、今年は「ツッコミ側がわざと言い間違いをしてボケをアシストする」が打算的すぎて笑えなかった。
 わかるんだけど。フリの時間を短縮して笑いを詰め込むために、「ツッコミのフレーズそれ自体が次のボケにフリになっている」テクニックだということは。
 でもなあ。インディアンスの笑いって「どこまでが素のキャラクターなのかわからない笑い」だとおもうんだよね。練習の跡が見えてはいけない漫才。
「言い間違えた」ことにするんだったら、その後にハモリボケみたいな「がんばって練習しました」ボケを入れてはいけない。「罵声を美声と間違える」はボケ側がやらなきゃいけないとおもうよ。
 個人的にはこういう台本の粗さがあると笑えない。

 ただ去年よりは格段におもしろかったし、トップバッターとしてはこれ以上ないぐらいの盛り上げ方をしたので、そのへんはもっと評価されてもよかったのにな。毎年トップバッターで出てほしい。


2.東京ホテイソン

「謎解き」

 東京ホテイソンのスタイルを知っていたらおもしろいんだけど、これって初見の人はどう見たんだろう。
 一つめの笑いが起こるまですごく時間がかかるから序盤に自己紹介的な軽いボケがあってもよかったんじゃないかなとおもう。ツカミって大事だなあと改めて感じた。ツカミがあればもっとウケたんじゃないかな。
 劇場でおじいちゃんおばあちゃんの前でネタやってる吉本芸人だったら、「自分たちのことを知らない人でもまず笑えるツカミ」を入れるんじゃないかとおもう。

 あと、フレーズはおもしろいんだけど、自然な流れで出たフレーズではなく突然湧いて出てきたものだからなあ。話の流れで「アンミカドラゴン新大久保に出現」ってなったらめちゃくちゃおもしろいんだけど、脈略なく出てきたら「なんでもありじゃん」って気になってしまう。

 ちなみに数えてみたらボケ数が6個だった。もしかしたらM-1史上最少かもしれない。


3.ニューヨーク

「トークに軽犯罪が出てくる」

 時代にマッチしたネタ。「無料でマンガ全部読めるサイト」とか絶妙にいいとこを突いてくるなあ。でも審査員は全員わかったんだろうか。

 あぶなっかしい題材を笑いに変える技術はさすが。この題材を他のコンビがやってたらドン引きされてしまいそう。
 「現実にいる」レベルの悪いことを、後半「犬のうんこを食べた」とか「献血」とかで壊してくるところはよくできている。ただ、軽犯罪の対比として出てきた「選挙に行く」はべつに善行じゃないからなあ。選挙に行くのは自分のためだし。

「マッチングアプリで知り合った人妻とゲーセンでメダルゲーム」はすごくよかった。よく考えたらぜんぜん責められるようなことじゃないんだけどね。マッチングアプリで知り合った人妻とゲーセンでメダルゲームをしたって何の罪にもならないんだけど。でもなぜだろう、そこはかとなく漂うあやうさ。絶妙。


4.見取り図

「敏腕マネージャー」

 前にこのネタを観たときもおもったけど、見取り図はこういうコント漫才のほうがあってるとおもうんだよな。
 見取り図はツッコミの出で立ちや声量が強すぎて、ボケを上回ってしまうことがある。「そこまで厳しくツッコまなくても」と。
 その点、このネタはボケがとんでもなくヤバいやつなので、ツッコミが強くても違和感がない。立場的にも「大御所タレントとマネージャー」だったら強く言っていい関係だし。

 このコンビにマッチしたすごくいいネタだとおもう。二人の見た目も大御所芸人とマネージャーみたいだし。


5.おいでやすこが

「カラオケで盛り上がらない」

 ネタの強度がすごいね。元々こがけんがピンでやってるネタだから、ボケ単体でも笑える。そこにあの笑えるツッコミが乗っかるんだからそりゃあおもしろいに決まってる。ネタを前に観たことあるのに、それでもはじめて観たときと同じところで笑わされた。

 両者の持ち味がちょうどいい配分で発揮された、ピン芸人同士のコンビのネタとして完璧な出来栄え。
 またボケの「違和感があってすごく気持ち悪いんだけどでも即座におかしいと切り捨てるほどでもない」ぐらいの曲の作り方が絶妙。だからこそ、あの力強いツッコミでどかんと吹き飛ばしてくれるとすごく気持ちいい。ツッコミが飛ぶたびに爽快感があってもっともっと観たくなる。

 しかしあの絶叫ネタは漫才を正業にしていないコンビならではだよなあ。一日に何度も舞台に立つ正業漫才師だったら無理じゃなかろうか。


6.マヂカルラブリー

「高級フレンチ」

 準決勝のネタ(電車)を観たとき、いちばんどう評価されるかわからないと感じたのがマヂカルラブリーだった。文句なしにおもしろいんだけど、でも漫才としての掛け合いはぜんぜんないので、審査員からの評価は厳しいものになるかもしれないと感じていた。

 で、決勝。
 まずつかみが最高。せりあがってきた瞬間に大きな笑いが起こった。過去最速のつかみ。さらに「どうしても笑わせたい人がいる男です」で完全に場の空気を制した。
 あれだけつかんだからその後丁寧にフリをきかせても客はちゃんと聞いてくれる。いい構成。

 ネタも良かった。何がいいって、ナイフとフォークを斜めに置いて「終わりー」があること。あれがあるのとないのじゃ安心感がぜんぜん違う。ここまでが一連のボケです、というのがはっきりわかる。ショートコントのブリッジのような。
 むちゃくちゃをやっているようで、ああいうわかりやすいボケをちょこちょこ挟む構成がほんとに丁寧。バランスがすごくいい。
 ただ後半のデモンのくだりは……。


7.オズワルド

「畠中を改名」

 ネタの構成も完璧に近いし熱量もすごいし、これが最終決戦に行けないの? という気がした。シュールなボケを丁寧にツッコみながら、ツッコミでも笑いを取る。
 しっとりとしたしゃべりだしから、後半はどんどん盛り上がる。「ザコ寿司」「ボケ乳首」「激キモ通訳」など独特のフレーズもウケ、ラストの「てめえずっと口開いてんな」も完璧。悪いところがひとつもなかった。

 このネタで5位に沈んだのは、もう順番のせいとしか考えられない。おいでやすこがとマヂカルラブリーが根こそぎ笑いをとっていったので笑い疲れが起こったんじゃないだろうか。審査員も、ちょっとここらで点数下げとこうみたいな気持ちになったのではと邪推する。


8.アキナ

「地元の友だちが楽屋に来る」

 四十歳前後がやるネタじゃないよね。もっといえば四十前後のコンビが五十歳前後の審査員の前でやるネタじゃない。
 ローカルアイドル漫才師の成れの果て、って感じのネタだった。女子高生からキャーキャー言われてる二十代の漫才師がやるネタだよね。なんかかわいらしさを出そうとしてて。
 アキナが好きな人はおもしろいんだろうけど。「ふだんそれ俺が担当してんねん」って動き、何それ? アキナファンじゃないから知らんけど。せめて登場後にやっといてよ。

 準決勝を観たときもアキナはなんで決勝進出できたんだろうとふしぎだったけど、決勝でもやっぱり見てられなかったな……。


9.錦鯉

「パチンコ台になりたい」

 後半出番で錦鯉が出てきたら優勝もあるとおもってたんだけど、意外とウケなかったな……。まあでも錦鯉が最終決戦に進んでたら、おいでやすこが、マヂカルラブリー、錦鯉と掛け合いをしないコンビばかりになってたので大会的にはよかったとおもう。

 序盤にもっとバカさを伝えていればな。さっきも書いたけど、ほんとにつかみって大事だね。「この人はバカにしていい」ということが周知されればもっと素直に笑えたのに。
 つかみの「一文無し、参上」は失敗だったのかもね。冷静に考えれば49歳で貯金ゼロ、って笑える話じゃないもんね。
 はじめにもっとばかばかしい自己紹介してたら違う結果になったんじゃないかな。


10.ウエストランド

「マッチングアプリ」

 おもしろいんだけど、まあこういう結果になるよね。どう考えても万人受けするネタじゃないもん。これは決勝に上げた審査員が悪い。
 恨みつらみを並べるには、風貌がそこまでひどくないんだよね。多少かわいげがあるし。どうしようもない見た目とか、生い立ちが悲惨とか、「これなら世を儚むのもしょうがない」と思わせるほどのバックグラウンドがあれば素直に受け止められるんだけど。

 かつて有吉弘行氏が悪口芸で一世を風靡したとき「没落期間が長かったしみんなそれを知ってたから俺は悪口を言っても許される」みたいなことを言っていた。
 マツコ・デラックス氏も歯に衣着せぬ物言いをするけど、あの巨大な女装家なら世の中に対して不満を言いたくなる気持ちもわかるよな、と納得できる。
 ウエストランドはそこまでじゃないんだよね。もうちょっとがんばれよ、とおもってしまう。

 あと言ってる内容がわりと納得できる話だったので、ただのボヤキ漫才に終始してしまった。「芸人はみんな復讐のためにやっている」ってのもけっこう当たってるっぽいし。中盤まではそれでいいんだけど、後半は「もはや誰も共感できない突き抜けた偏見」にまでいってほしかったな。
 10組中9位だったけど、キャラクター的には最下位だったほうが得したとおもう。ここは上沼恵美子さんが怒ってあげたほうがよかったんじゃないかな。


 最終決戦進出は3位の見取り図、2位マヂカルラブリー、1位おいでやすこが。
 まあ順当。ぼくが選ぶなら見取り図の代わりにオズワルドを入れたい。


見取り図

「地元」

 持ち味なんだけど荒々しいなあ。大柄な男が荒っぽい言葉で怒ってたら怖い。
 キャラクターに入っているコント漫才のほうがいいなあ。

 しかし地元の話題で喧嘩になるかね。兵庫出身で大阪人を多く見てきたぼくにはわかるが、大阪人は東京と京都以外は下に見てるので、和気郡なんか喧嘩相手にならない。


マヂカルラブリー

「吊り革につかまりたくない」

 ネタの選択がすばらしい。こっちを先に持ってきてたら優勝できなかったんじゃないかな。このネタは掛け合いがまったくないので、1本目だったら辛い点を付けた審査員もいたとおもう。でも最終決戦は審査員全員から評価される必要がないので、これだけぶっとんだネタでも優勝できる可能性がある。
 もうすでにマヂカルラブリーを知っているから、むちゃくちゃをやっても受け入れられる土壌があるしね。意外と策士だね。


おいでやすこが

「ハッピーバースデー」

 1本目に比べるとツッコミが弱い。ほんとに1本目で体力を使いすぎてちょっと疲れてるやん。
 こっちはボケ主体で引っ張っていくネタだけど、おいでやす小田がキレてるところを見たいからなあ。もっともっと怒らせるネタをやってほしい。
 1本目は「何度言われても知らない曲ばかり歌う」「約束が違う」「誰の曲か答えない」「話を聞かない」という強くツッコむべき理由があるけど、こっちのネタは曲が独特なだけで祝っていること自体は間違ってないしね。長い曲を歌うこともそれ自体がおかしいわけじゃないし。


 優勝はマヂカルラブリー。おめでとう。納得の優勝。
「あれは漫才か、コントじゃないか」みたいな議論もあるみたいだが、ぼくはマヂカルラブリーのネタは完全に漫才だとおもう。あれがコントだったら異常なのは野田クリスタルじゃなくて電車なのでおもしろくないし。
 漫才の定義は「立って話すか」「掛け合いがあるか」とかではなく、「言葉に人のおもしろさが出ているか」どうかだとぼくはおもう。そしてマヂカルラブリーのネタにはそれが存分に発揮されていた。




 今年もおもしろい大会だった。アキナ以外はおもしろかった。

 ところでマヂカルラブリーの1本目は何年か前の敗者復活戦でやっていたネタ。こんな感じで、昔のおもしろいネタをどんどんやったらいい。
 一方、キングオブコントは「準決勝でやった2本のネタを決勝でしなければならない」というルールだ。あれはよくない。毎年観ている審査員やわざわざ準決勝会場に足を運ぶ熱心のファンにウケるネタと、テレビでウケるネタは違うのだから。

 



 思いかえせば十年ほど前(今調べたら2008年だった)。M-1グランプリの敗者復活戦で観たマヂカルラブリーに衝撃を受けた。当時まったくの無名に近い状態で準決勝まで進出したマヂカルラブリー。「のだでーす、のだでーす、のーだーでーす!」の自己紹介で一気に引きこまれた。「いじめられっこ」のネタもおもしろかった(ちなみにやっていることは今とあまり変わってない)。
 これは近い将来決勝に行くだろうとおもっていたがずっと遠かった。ようやく出場した2017年も最下位。
 M-1には恵まれないコンビなのかとおもっていたが、一気に優勝。しかし今回も出番順や会場の空気によっては最下位になってもふしぎじゃなかったネタだった。最下位も優勝もあるコンビってすごく魅力的だね。


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M-1グランプリ2020 準決勝の感想(12/3執筆、12/22公開)

 昨年から映画館でパブリックビューがはじまったM-1グランプリ準決勝。
 観にいきたかったが、平日夜は子持ちの人間にはちょっと生きづらくて断念。

 だが今年はオンライン配信、しかも見逃し配信も可能ということで3,000円のチケットを購入して観てみた。
 感想自体は準決勝の翌日に書いていたが、ネタバレ禁止とのことだったので決勝終了後まで公開を待っていました。もういいよね?


ラランド

 料理番組をやってみたい。

 キューピー3分クッキングのテーマに乗せて料理番組を進行。
 ボケのクオリティは安定しているのだが、あまり練られてない感じがした。このネタを改良し続けたらもっともっとおもしろくなるだろうなという気がする。

 でも後半のってきておもしろかった。サーヤの狂気が随所に感じられてよかった。


タイムキーパー

 幼稚園の先生をやりたい。

 大人びた口調の子ども、子どもが真理を突く、というのはベタ中のベタなので前半は退屈だった。既視感があるからよほど新しい視点がないときついよなあ。

 でも後半は「幼稚園の先生をやりたい」ではなく「芸人で売れなかったら幼稚園の先生をやりたい」という導入をフリに使っていたり、アンパンマンのマーチを回収したりと、構成が見事だった。

 まったく知らないコンビだったけど、構成もいいし技術もあるし今後が楽しみなコンビ。


金属バット

 結婚をためらっている。

 いやあ、おもしろいなあ。
 よく聞くとそこまでたいしたことを言ってないんだけどね。
 でも口調とか所作で笑わされる。たいしたこと言ってなくてもおもしろいって、これぞ漫才師という感じ。
 罪人面、つくね、ヘキサゴンのOBなど力のあるワードをさりげなく挟むのもいい。

 個人的にはすごくおもしろかったけど、決勝進出できなかったのもわかる気がする。差別的だからねえ。ゴールデン番組でやらすのは怖いよね。


ウエストランド

 マッチングアプリで彼女を探す。

 恨みつらみが心の底から出ている。「誰も傷つけない笑い」に対するアンチテーゼが痛快だった。
 どこまでがネタかわからない魂の叫びという感じで、なんかちょっと感動してしまった。

 しかしよくこれが決勝に行けたなあ。おもしろかったけど、決勝で評価される気がしないんだよなあ。


ニッポンの社長

 ラーメン屋の大将をやりたい。

 言葉と動きがあってない、というボケをひたすらくりかえす。
 とはいえ、一点突破でいくにはボケが弱かったのかもしれない。後半はもっとむちゃくちゃになってもよかったのかなあ。


ランジャタイ

 ポケットから友だちが出てくる。

 トム・ブラウンを彷彿とさせるむちゃくちゃさ。
 ずっと何やってるのかわからない。
 はまればおもしろいんだけど個人的にはまったくはまらなかった。


祇園

 ポリティカルコレクトネス的に正しい桃太郎。

 こういうの、バカリズムライブで数年前にやってたなあ。
 ちょっと前半急ぎすぎた気がする。「クレームがつきにくいようにする」という説明が雑だったかな。ここをもっと丁寧に説明していれば惹きつけられたのかも。

 しかし同系列・同クオリティのボケが並ぶので中盤からは客の想像を下回っていた。


マヂカルラブリー

 吊り革につかまりたくない。

 マヂカルラブリーらしいばかばかしさがあふれていてよかった。だいぶ早い段階で吊り革がどうでもよくなるが、もうそんなことは気にならない。
 以前決勝戦に進出したときは「同じボケをひたすらくりかえす」だったのだが、今回はリセットすることなく「どんどんエスカレートしていく」構成なので、中盤以降どんどんおもしろくなってきた。

 ただ気になったのは、導入部をのぞいてコンビ間の掛け合いがまったくないこと。
 野田がボケ、村上がツッコみ、野田が一切耳を貸さずにボケ続ける。
 このスタイルは審査員に評価されにくいんじゃないかな……。


からし蓮根

 居酒屋の店員をする。

 導入の「いじられろ」のツッコミはおもしろかった。
 他にもおもしろいフレーズが随所にあったんだけどね。でも何十組が観たときに「からし蓮根が特におもしろかった!」とはならないんだよねえ。


カベポスター

 古今東西ゲーム。

 すっごくよく考えられてるなあ。
 ボケ・ツッコミとも必要最小限の言葉で堅実に笑いをとってくる。
 よくできているけど、逆に言うと、台本が見えてしまうことでもある。

 独特のセンスが光るネタをやっていたのに、後半の岐阜いじりはちょっと安易だったなあ。


ゆにばーす

 ドッペルゲンガーにきれいな彼女がいた。

 自分たちでも「人の見た目をいじって笑いを取る時代は終わったよ」と言ってたけど、まさしくその通りで、「おまえは見た目がブス」「おまえは性格が悪い」「俺は彼女ができない」で素直に笑える時代ではない。

 ってことで、終始古くさい印象のネタだった。


キュウ

 ルパン三世と質量保存の法則。

 独特のセンスが光るんだけど、これは漫才じゃなくてコントだよね。完全に芝居だもん。
 この人たちはコントやったほうがいいんじゃないかな。テレビじゃなくて舞台で。小林賢太郎も引退したことだし。


アキナ

 友だちの女の子が単独ライブに来る。

 全体的に身内向け感が漂ってたなあ。アキナファンにはたまらないだろうな、という感じのネタ。二人のいろんな顔が見られるネタだもんね。アイドル漫才師みたいなネタだ。

 秋山が文句を言いながらも山名にずっと従う理由がないんだよなあ。説得力に欠ける。


おいでやすこが

 カラオケで盛り上がらない。

 いやあ、すごかった。本人たち(というかおいでやす小田)の熱意もすごかったし、R-1グランプリから強制的に締めだされた直後だったので観客も全員応援している空気だった。

 そこまで強いボケじゃないのに、ツッコミのパワーで強引に笑いをかっさらう。
 すごいなあ。漫才師でもここまで強いツッコミはそうそういないよね。
 もう地団駄踏みすぎてタップダンスみたいだったもんな。もう何言っても笑える状況だった。


オズワルド

 ハタナカを改名したい。

 いなり寿司、試合前のゴールキーパー、君もそっち側。
 ワードのセンス、強弱のつけかた、絶妙な不条理さ、そしてクライマックスでの「口開いてんな」ツッコミ。盤石。

 こういうローテンション系の漫才ってM-1で勝てないイメージがあるんだけど、もしかしたら今年オズワルドがそのジンクスをくずすかもなあ。


ロングコートダディ

 組み立て式の木の棚を作る。

 以前にも観たことがあったが、めちゃくちゃ好きなネタ。
「マウントとってこようとする男っているよね」みたいな導入にしたほうがわかりやすいんだけど、そこを説明しないところがおしゃれ。
 センスの塊って感じだ。
 ただまあ万人受けするネタではないよね。あとここも完全にコント。

 このネタをするには兎の演技力がちょっと追い付いてないんだよね。


インディアンス

 人助けをした話。

 脱線に次ぐ脱線。中川家の漫才のようだが、自然に脱線するのではなく、脱線することが目的になってるように感じる。脱線しすぎて本筋がわからなくなってしまう。
 テンポが速すぎるのかもなあ。これだけテンポが速いと「がんばって練習したね」という感じがしてしまう。そしてインディアンスは練習の跡が見えたらだめな芸風なんだよね。


東京ホテイソン

 謎解きゲーム。

 いやあ、数年前にM-1準決勝に進出したときは若くしてスタイルを確立させているものだと感心したけど、その独特の芸風を貫きつつもちゃんとネタを進化させてるのがすごい。まだ完成していなかったのか。
 構成の巧みさと不条理さのバランスが絶妙でいいネタ。

 しかし答え合わせが必要で、ほんとに謎解きゲームみたいなネタだね。


コウテイ

 学校の先生をやりたい。

 バッファロー吾郎を思いだす。小学校の休み時間みたいなネタ。
 熱意はすごいけど、ぼくにはまったくおもしろさがわからないんだよね。これはコウテイの問題じゃなくて、ぼくがもう若くないってことなんだろうね。おっさんにはついていけんわ。


学天即

 宇宙旅行。

 うまい、うまいけど……。
 劇場で安心して笑える漫才って感じで、コンテストで数千組のトップに立つ漫才ではないよなあ。

 ボケる→ツッコむ で終わっちゃうのがなあ。銀シャリはその後さらに応酬が発生するので、それと見比べると学天即は見劣りしてしまう。


ダイタク

 出国管理局。

「何年双子やってんだよ」などのフレーズはおもしろいけど、このコンビはそろそろ双子ネタを脱却してもいいんじゃないかとおもう。
 それだけの腕があるコンビなんだから。


見取り図

 マネージャー。

 数年前の見取り図は、ツッコミはうまいけどボケが弱いコンビだった。
 でもここ数年でボケが強くなり、コンビバランスがよくなった。
 特にこのネタはボケが異常者なので、ツッコミの強さがちょうどいい。「これだけ無茶なことされたらこれぐらいきつく注意するのも仕方ない」という説得力がある。


ぺこぱ

 不動産屋。

 いやあ、絵に描いたように迷走してるな。個人的には準決勝でいちばんおもしろくなかった。
 自分たちのスタイルを逆手に取ったネタなんだが、正直ぺこぱのスタイルはまだそこまで浸透してないよ。
 たった一年であのスタイルに見切りをつけるのはまだ早い。本人たち的には飽きられる前に次の一手を探してるんだろうけど。でも東京ホテイソンがスタイルを貫きつつ新境地を開拓したのを見た後だから余計に低い評価になる。


滝音

 不動産屋。

 ワードはおもしろい。が、いかんせんネタの内容が薄い。何の話だったかほとんど覚えてない。
「ナックル投げあうキャッチボール」とか「ミニチュアなヘルニア官房長官」とかの言葉のおもしろさは抜群なので、あとはそれに見劣りしないストーリー展開があればなあ。


ニューヨーク

 コンプライアンス違反のエピソードトーク。

 時代にマッチした話題。ニューヨークって常に「時代に乗っている」感がある。
 ニューヨークの「意地の悪いツッコミ」は一般受けしなさそうだけど、このネタはボケ側が全面的に悪なのでキツめの言葉をぽんぽんぶつけても嫌な感じがしない。
 よくできている。


錦鯉

 パチンコ台になりたい。

 いやあ、ばかだなあ(褒め言葉)。来年五十歳のおじさんがこれをやってるというのがめちゃくちゃおもしろい。
 出番順もよかったね。若手や中堅がさんざん練りに練ったネタをやって、最後に出てきた49歳がいちばんバカやってんだもん。そりゃ笑うって。
 ツッコミもうまいよね。熟練の味という感じ。いい意味でフレッシュさがないのがいい。

 本選でも後半の出番順になってほしい。



 決勝進出を決めたのは、

  • ウエストランド
  • マヂカルラブリー
  • アキナ
  • おいでやすこが
  • 東京ホテイソン
  • 見取り図
  • ニューヨーク
  • 錦鯉

 準決勝を観るかぎり、だいたい納得のメンバー。

 ぼくが選ぶなら、アキナをはずして金属バットを入れるかな。


2020年12月4日金曜日

【映画感想】『凶悪』

 

『凶悪』

(2013)

内容(Amazonより)
史上最悪の凶悪事件。その真相とは?
ある日、雑誌『明朝24』の編集部に一通の手紙が届いた。それは獄中の死刑囚(ピエール瀧)から届いた、まだ白日のもとにさら されていない殺人事件についての告発だった。彼は判決を受けた事件とはまた別に3件の殺人事件に関与しており、その事件の 首謀者は“先生”と呼ばれる人物(リリー・フランキー)であること、“先生”はまだ捕まっていないことを訴える死刑囚。 闇に隠れている凶悪事件の告発に慄いた『明朝24』の記者・藤井(山田孝之)は、彼の証言の裏付けを取るうちに事件に のめり込んでいく……。

 実際にあった事件(上申書殺人事件)を元にした映画。

 ピエール瀧演じる須藤という男は、なんとも凶悪。暴力団組長であり、死体を切り刻んで焼却したり、土地欲しさに生き埋めにして殺したり、保険金目当てに大量の酒をむりやり飲ませて殺したり、殺人、死体遺棄、レイプ、覚醒剤、放火、ありとあらゆる犯罪をおこなう。一切のためらいもなく。

 そしてもうひとりの「凶悪」が、リリー・フランキー演じる〝先生〟と呼ばれる人物だ。
 先生は自分で手を下すことこそ多くないが、殺人や保険金詐欺を計画して須藤に実行させる。

 このふたりの怪演が光る。電気グルーヴの映像作品を何度も観て、『東京タワー』や『おでんくん』の作品に触れたぼくでも、ピエール瀧とリリー・フランキーを大嫌いになりそうになる。それぐらい悪人の演技が見事。

 しかしピエール瀧が大麻所持で逮捕されたときでも、ピエール瀧が覚醒剤を取り扱うこの映画の配信を止めなかったAmazon Primeの判断はすごい。
「役者のプライベートと作品の価値は無関係だろ」とおもっているぼくですら、「これ公開しても大丈夫なの?」と心配するレベルだ。


 ストーリーとしては、須藤が捕まり、週刊誌記者の執念深い取材の結果〝先生〟も逮捕されて懲役刑を下されるのだが、わかりやすい「悪 VS それを追いつめる正義の記者」でないのがいい。

 記者はたしかに使命感に燃えて事件取材にあたるのだが、彼の行動も決して褒められたものではない。
 認知症である実母の介護を妻に押しつけ、家庭のことは一切顧みない。妻は追いつめられ、記者の家庭は崩壊する。
 家庭人として見たら、この記者もまたクズ野郎だ。

 そして、凶悪犯である須藤や〝先生〟も、大笑いしながら見ず知らずの人間を殺す一方で、子どもと楽しくクリスマスパーティーをしたり、弟分をかわいがったり、近しい人物から「情に厚い」と評されたりする。

 こういう描写があるからこそ、余計に彼らの凶悪さが際立つ。
 決して彼らは別世界の住人ではなく、我々の隣人で愛想よくしている人間なのかもしれない。いやそれどころか、我々の中にも「凶悪」は眠っているのかもしれない。


 いちばん凄惨だったシーンが「老人にむりやり大量の酒を飲ませ、スタンガンで危害を加えるシーン」だ。
 このシーンで、須藤と〝先生〟はめちゃくちゃ楽しそうに笑うのだ。電気ショックを受けて苦痛に身をよじらせる老人の真似をして、息ができなくなるぐらい笑う。ほんとに心の底から爆笑しているという感じ。

 まるで、バラエティ番組で身体を張っている芸人を見る我々のような顔で。


2020年9月28日月曜日

キングオブコント2020の感想


【ファーストステージ】


■滝音 (大食いファイター)

大食い選手権の最中にラーメン屋の店員が接客をしてくるので邪魔になる……というコント。

やりとりはおもしろく、ワードセンスが光った。たっぷり時間を使った導入から「大食い選手権なのよー」で笑いをとってからは、持続的に笑いが生じる丁々発止のやりとり。
シンプルなセットで会話のみで笑いをとる。好きなタイプのコントだ。

ただ、芝居としての完成度を求めると、いくつか粗が目立った。

まず食材がラーメンであること。
なんでラーメンにしたんだろう。
はじめにラーメンの丼が二つ置いてあり、さらにお代わりを要求することで、観ている側は「ん? これはふつうの客じゃないな」とおもってしまう。ふつうの人はラーメンを二杯も三杯も食べないのだから。
その違和感があるので「大食い選手権なのよー」の驚きが目減りする。「そうだったのか!」ではなく「ああそういうことね」になる。
寿司とか天ぷらみたいにいくつも食べるものにしたらよかったんじゃないかな。天ぷらを大食い選手権で食うかは知らんけど。

そもそも大食いの選手がべらべらしゃべるのがいただけない。時間との戦いをしてるのにラーメンほったらかしで店員としゃべってはいけない。おまけにしゃべる姿から焦りとか苦しさとかがまったく感じられない。
たとえば、時間切れになり、店員に対して「おまえのせいで負けたじゃないか」と詰問する……という設定であればすんなり観れたのだが。

また「金とんのかい」のオチは首をかしげた。
そりゃ店側は金をとるだろう。おかしいのは金をとることではなく、出場者から金をとること。言葉のチョイスとして「金とんのかい」は不適切では。

このコンビの漫才を二度ほど見たことがあったが、そっちのほうが素直に笑えた。
凝りすぎた言い回しはコントの中でやると浮いてしまうので、そもそもこのコンビはコントが向いていないんじゃないだろうか……。
あの独特の口調もコントの中では不純物になってしまうし。
この大会で名前を売って今後は漫才で評価されてほしい。滝音の漫才おもしろいし、キャラが浸透するにつれどんどんおもしろくなるタイプのコンビだから。


■GAG (心が入れ替わる)

中島美嘉と草野球のおじさんがぶつかったことで心が入れ替わり、さらにはフルートを練習している少女の心とも入れ替わってしまうコント(こう書くとすごい設定だな)。

昨年大会の「公務員の彼氏と女芸人の彼女」がものすごくよかったので(あれは笑いと悲哀がふんだんに描かれていて昨年大会でいちばん好きなコントだった。オチも完璧だったし)期待していたのだが、今作は期待外れだった。

漫画的なばかばかしさは嫌いじゃないが、こういう方向にいくんならもっともっとばかをやってほしかった。
入れ替わりが明らかになってからの展開は予想通りで、「中島美嘉と草野球のおじさんが入れ替わる」というインパクトが強烈すぎるので、その後にフルートと入れ替わる、フルートになったおじさんを吹くぐらいでは驚かない。
またテンポも遅かった。深く考えずにこのばかばかしさを笑ってよ、とするなら中盤以降はテンポアップしたほうがよかったんじゃなかったのかな。

フルートとの入れ替わりというビジュアル的にわかりやすい方向にいくのではなく、入れ替わった後の心境を掘りさげて描いたらもっともっとおもしろくなったような気もする。
昨年のネタを見るかぎり、それができるトリオだとおもうし。

せっかくGAGの「流れをぶったぎる力強いツッコミで笑いをとる」スタイルが浸透してきた中で違うパターンを持ってきたのはもったいなかったな。


■ロングコートダディ (バイトの先輩後輩)

A1、A2、B1、B2、C1、C2、D1、D2の段ボールの中から指定されたものを取り出すバイト。マッチョな先輩の行動が明らかに非効率で……。

まず個人的な思いを書くと、『座王』というテレビ番組でロングコートダディの堂前さんはそのセンスの良さを存分に見せつけている。たたずまいもセリフもすべてがおもしろい。
なのでものすごく期待して観たし、どうしても贔屓目に見てしまう。

その上で感想を書くと、すごくおもしろかった。
都会的な不条理ネタかとおもいきや、先輩の「頭が悪い」ところが徐々に明るみに出てくるところはわかりやすく笑える。それでいて「ほら、おれ、頭悪いからさ」「段ボールはじめてか」のような絶妙に噛みあわない会話。

また、先輩が悪い人じゃないのもいい。すごく頭悪いし非効率だけど、仕事に対してはまじめだし、後輩には優しく教えてあげるし、「それぞれ好きなやりかたでやればいい」と自分のやりかたを押しつけようとはしないし。
めちゃくちゃ非効率だけどいい人だし結果的に他の人と同じぐらいの仕事をこなしてるから誰も注意できないんだろうな……。
この奇妙なリアリティ、すごく好きだ。

個人的には大好き。大好きだけど……大会で勝てるネタじゃないよなあ。
単独ライブの一本目でやるような自己紹介的なコントだ。
じわじわとずっとおもしろいけど、爆発的な笑いが起きるネタじゃないし。「めちゃくちゃ重い」というオチも弱い。

最初の笑い所までにあれだけたっぷり尺を使ったのだから、その後はよほど大きな笑いが起きるだろうと期待してしまう。
かといって強いフレーズや衝撃の出来事を後半に持ってくればいいかというと……それはそれでこの空気感が壊れてしまうしなー。
個人的には堂前さんのおもしろさが全国区に伝わっただけで満足。


■空気階段 (霊媒師)

霊媒師におばあちゃんを降霊してもらおうとするが、近くのラジオ電波を拾ってしまう……。

内容と関係ないけど、空気階段を見るたびにどうやってコンビを組んだのだろうとおもってしまう。コントがなかったら一生交わることのなさそうなふたりだもんな。コント以外に共通の話題があるんだろうか。

コントの内容だが、序盤のストーリー展開はわりとベタ。降霊術で別の人にアクセスしてしまうという発想は目新しいものではないし、おばあちゃんが出てきたのにチャンネル(?)を切り替えちゃうとことかは予想できた。
それでも飽きさせずに見せたのは、やはり鈴木もぐらという人間の持つ魅力のせいか。
風貌や語り口調のおかげで何をやってもおもしろいんだよね。圧倒的な存在感。芸人やめても役者として一生食っていけるだろうな。

中盤以降は、霊媒師がラジオのヘビーリスナーであることがわかったり、破産寸前であることがラジオネームからわかったり、霊媒師ラジオを通して自分の声が聞こえてきたり、ストラップの伏線を回収したり、霊媒師の変な名前を時間がたってから処理したりと、話がどんどん転がっていってひきこまれた。
キャラクターとスピード感で気づきにくいけど、めちゃくちゃしっかりした脚本だなあ。
終わってみれば非常に完成度の高いコントだった。
さほど笑えはしなかったが、芝居としてはここまででいちばん好きなコントだった。


■ジャルジャル (競艇場での営業の練習)

競艇場で歌うことになった新人歌手。ヤジに慣れるため、事務所社長にヤジを飛ばしてもらいながら歌うのだが……。

基本的には、社長が過激なヤジを飛ばす → 真に受けた歌手が歌うのをやめる → 続けるように言われる のくりかえし。
同じセリフをくりかえすあたりなど、ジャルジャルらしいコント。
基本的にやっていることは同じで、展開もだいたい読めるのに、それでも飽きさせずに客を引きつけていたのはさすが。同じ台本でもジャルジャル以外の人が演じていたらこううまくはいかないだろう。

基本的に同じことのくりかえしなので序盤でつかまれたらどんどん引きこまれるのだろうが、残念ながらぼくはあまりは入りこめなかったので最後まで笑えないままだった。
ジャルジャルは好きなんだけど。
この設定に入りこめなかった理由について考えてみたんだが、福徳さんの声質のせいじゃないかな。
競艇場のおっさんの声じゃないんだよね。ちょっと怪しい事務所社長の声でもない。少年の声。声質がぜんぜんちがう。
たとえばこの役を滝音・さすけやさらば青春の光・森田のような汚いだみ声(ここでは褒め言葉ね)の持ち主がやってたらずっとおもしろくなったんじゃないだろうか。


■ザ・ギース (退職祝い)

退職するおじさんのためにハープを演奏するコント。

序盤にしんみりした芝居をするネタフリ、舞台の夢を追いかけていたという伏線など、構成のうまさはさすが。コント巧者という感じ。
うまいコントをしながら、ラストはハープを弾きながら紙切りをするというシュールな絵で、このばかばかしさがおもしろかった。

個人的には他の番組でハープを演奏しているのを観たことがあったので「楽器ってハープか!」という驚きはなかった。
また、GAGがフルート吹いた(ふりをした)後だったので、余計にハープの衝撃が小さくなってしまった。

ハープはたしかにうまいんだけど、「がんばって練習したんだね」という余興レベルのうまさで、うますぎて笑えるというほどの技術には達していなかったのが残念。
ハープをコントの中心に持ってくるなら、東京03のハーモニカやにゃんこスターのなわとびのようにプロ級でなきゃ。
切り絵もクオリティが高くなく、ハープを弾き終わるタイミングと切り絵を切り終わるタイミングがずれていることなど細かいところが気になった。
この設定なら、驚くほどうまくないとダメだよなあ。

あと細かいことだけど、序盤の「この新聞販売所を辞めちゃうんですか」という説明台詞は個人的に大きくマイナスポイントだった。現実にはぜったいに言わないセリフなので。
こういうところを大事にしてほしい。


■うるとらブギーズ (陶芸家の師弟)

気に入らない作品を割ってしまう陶芸家。だが出来のいい作品まで割ってしまい、それを弟子のせいにする……。

昨年二位だったコンビだが、昨年の「サッカー実況」ネタはなんであんなに評価されたのかわからなかった。演技力こそあったものの「サッカーの実況と解説が別の話で盛り上がって試合を見逃してしまう」というのは安易な設定だったので(というか現実の解説者にもそういう人いるし)。

このネタにも似た感想を抱いた。
うっかりいい壺まで割ってしまうというのは、「陶芸家の師弟の設定でコントをつくってください」と言われたらまず思いつくボケじゃないか?
もちろん、師匠のキャラがどんどん変化するとことか、師弟の関係性が徐々に変化していって最後には逆転してしまうとことかはうまいんだけど、入口が平凡だった分、それを発展させたところで驚きはなかったかな。

あと、国宝級の壺を割ってしまう姿を見ると、それがウソだとわかっててもちょっと胸が痛むんだよね。「あっ、もったいない!」という気持ちがチクリと胸を刺す。
その胸の痛さを跳ね飛ばせるほどの不条理さがなかったかな。

ちなみに小学一年生の娘はこのコントでいちばん笑っていた。
そうそう、ぜんぜん悪くないんだよね。一般投票だったら上位になっていたかもしれない。
ぼくは「さあ次はどんな新しいコントを見せてくれるんだ?」と思いながら観ていたので、肩透かしを食らってしまっただけで。カトちゃんケンちゃんがやっていてもおかしくないコントだもん。


■ニッポンの社長 (ケンタウロス)

下半身が馬の少年。クラスのみんなから疎外されるが、ある日牛の頭を持つミノタウロスタイプの女性と出会い……。

いやあ、笑った。今大会でいちばん笑った。
ただコントのストーリーはあまり関係なく、ケツのあの風貌で全力でイキって歌やラップを披露する姿がおもしろかっただけなんだけど。

個人的に、ありものの曲をネタの中心に持ってくるコントが好きじゃないんだよね。曲とのギャップがおもしろいんだけど、それは曲の力じゃんっておもっちゃって。

票は伸びなかったけど、初期キングオブコントの芸人審査方式だったら相当高得点になったんじゃないだろうか。
今大会いちばんインパクトを残せたコンビ。もう一本見たかったなあ。


■ニューヨーク (結婚式の余興)

結婚式の余興のために一生懸命ピアノを練習したという新郎友人。ピアノの技術があまりに高く、さらにはハーモニカやタップダンスなど次々に余興とはおもえないレベルの芸を披露しはじめ……。

バカバカしくて好きだった。出番順も良かったのかも。ニッポンの社長のシュールなコントの直後だったので、わかりやすく笑えたのがよかったのかも。
根底にずっと「結婚式の余興なんてしょうもないもの」という底意地の悪さがあって、そのへんもニューヨークらしくてよかった。
よく考えたらべつに笑うようなことじゃないもんね。芸が見事だったからって。
じっさいの結婚式で玄人はだしの芸を披露した人がいたら、拍手喝采になるだけで、誰も笑わない。
ニューヨークって、そういうところをつっつくのがうまいよね。フラッシュモブで踊ってる人とかさ。本人はいたって一生懸命で、周囲の人も「まあおめでたい席だから」と優しい気持ちで見守っているのに、わざわざ「それってほんまに拍手に値するか?」と意地悪な指摘をしてくる。
その底意地の悪さ、好きだ。

また「芸のレベルがすごい」だけでなく、ばかみたいな歩き方をはさんだり、中盤からは大岩やドリルといった視覚的なボケ+「すごいけど危険すぎてひく」という新たな方向、とただばかをやっているようで意外と巧みな構成になっていた。

審査員にもウケて高得点だったけど、数年後に思い返したときに記憶に残っているコントかというと、どうだろう……。


■ジャングルポケット (脅迫)

男たちに監禁され、企業秘密を渡せと脅されるサラリーマン。男たちはサラリーマンの娘の情報を握っていることを明かして脅すが、その情報が深くなりすぎていき……。

娘を使った脅しから、ご近所ゴシップの話になり、どんどん話がエスカレートしていく展開はジャングルポケットらしい。
忘れた頃に脅迫の話に戻ったり、フリップを使った関係図を登場させたりと飽きさせない仕掛けがたくさん。

にもかかわらずぼくはまったく入りこめなかった。
前にも書いたけど、ジャングルポケットは芝居が過剰すぎる。
熱演をするのはいいけど、三人が三人とも早い段階でヒートアップしていくと、観ているほうはついていけなくなる。せっかく三人いるんだから、一人は抑えた芝居をしてほしい。
静かなやつがいるからこそ熱さが際立つし、熱いからこそ冷めたやつが不気味に写る。

やっぱりトリオでやる以上、「三人いる意味」ってのが常に求められるとおもうんだよね。
でもこのコントに関しては、三人いる意味がなかった。太田・おたけの役回りがいっしょで、一人の台詞をただ二人で分担して言っていただけだった。
あの二人が「ボス/手下」「感情的/冷静」「冷徹/まぬけ」のように違った役どころであれば、ぐっとおもしろくなったんじゃないかな。
交互にしゃべるだけでなくドラマ仕立てで不倫関係を再現してみせるとか。

「体育会系 宇宙系 劇団系 」というキャッチコピーがついていたけど、「宇宙系」の部分がぜんぜん活きてなかったな。せっかくバラエティ番組でキャラクターが浸透してきてるのに、もったいない。

ところで「企業秘密を出せと脅す」という設定で、「は?」と首をかしげてしまった。
企業秘密を探るのに直接的に脅さないでしょ。秘密はこっそり盗むから価値があるんでしょ。反社との付き合いに厳しい時代にあんなやりかたしたら、どう考えても秘密を盗んだほうが損をするだけじゃん。
マフィアの攻防とかでよかったんじゃないかなあ。


【ファイナルステージ】


■空気階段 (定時制高校)

定時制高校で、後ろの席の男性に恋をしている女子生徒。授業中にこっそり手紙のやりとりをしてお互いの想いをさぐりあう……。

……というストーリーを書くとどこがコントなのだという気もするが、じっさいボケらしいボケもツッコミもなく、変なところといえばただ「おじさんが何を言っているか(観ている側には)わからない」という一点のみだ。
と書くと大したことのないコントにおもえるが、いやこれはよかった。今大会でひとつ選ぶとしたらぼくはこのコントを挙げたい。

「何を言っているのかわからない」というボケ自体はさほど強いものではないのだが(ニッポンの社長のコントでも用いられていた)、しかし「手紙の読み上げナレーションもやはりわからない」「まったく日本語の音をなしていないのになぜか女性には完璧に理解できる」という不条理な設定をつけくわえることで、かえって観ている側にも理解できるようになるのがふしぎだ。
おじさんの言動が変であればあるほど、女性の想いの強靭さが伝わってくる。
伝えようとするのではなく、観客に「理解しようとさせる」表現。これはすごい。

コントとしての笑いどころは前半で終わっていて、後半はもはや完全に恋愛ドラマ。
表情やしぐさや間の使い方が実にうまい。ふたりの恋の行方はどうなるんだろう、と世界に入りこんでしまった。コントなのに、笑いどころがない。笑いどころがないのに、いいコントを見たとおもわせる。ふしぎな作品だった。

番組では化粧に時間をかけたことをつっこまれていたが、これは女性のほうがきれいじゃないと成立しないネタだから化粧はぜったいに必要な時間だった。

惜しむらくは、男性の想いが明らかになるところで安易にわかりやすい曲(『出逢った頃のように 』)に頼ったところ。
せっかく緻密な芝居でここまで世界をつくりあげてきたのだから、演技だけで見せてほしかった。

あと、すっごく細かいところだけど、後ろのおじさんが持っていたのがシャーペン(ボールペン?)だったのが気になった。
あのおじさんが持つのは短くなった鉛筆だろ!


■ニューヨーク (ヤクザと帽子)

ヤクザの親分と子分。ずっと帽子をかぶっているわけを尋ねられた子分は「髪を切りすぎたから」だという。帽子をとってみろという親分に対し、子分は強情なまでにそれを拒否し……。

本人たちがヤクザ映画みたいな芝居をしたかったんだろうな~という感想。
ヤクザ映画を好きな感じが節々から感じられる。いったん笑顔を見せてから脅しつけるとことか。

「それほど変じゃないんですよ」とか「八方塞がりなんすよ」とか微妙な心理描写はおもしろかった。
ただ、空気階段の強烈かつ繊細な芝居を観た後だからか、どうも小ぢんまりした印象を受けた。
「ヤクザが切りすぎた前髪を気にする」ってのはたしかにギャップがあるんだけど、笑うほどの落差じゃないんだよなあ。ヤクザって伊達男が多いからじっさい切りすぎたら気にするだろうし。

「たかが帽子をとるとらないぐらいで命を賭ける」ってのもばかばかしいんだけど、帽子をとりたくない側の論理もそこそこ筋が通っているから「筋を通すためならそこまでやるのもわからんでもない」ってなっちゃうんだよなあ。
どっちの言い分もわかるから。

その流れで殺すオチを見せられても後味の悪さしかない。
「それなら殺すのもわかる」でもないし、かといって「そんなことで殺すわけあるかいw」というほど無茶でもない。
コントに死を持ちこむなら、「死なせるだけの重大な理由」か「くだらない理由で死んでしまう軽妙さ」のどっちかが必要だとおもうんだよね。


■ジャルジャル (泥棒)

ある会社に泥棒に入った二人組の泥棒。だがひとりがなぜかタンバリンを持ってきたせいで大あわて……。

ううむ。これまでにジャルジャルのコントを三十本は見たとおもうけど、これはいちばん笑えなかったかもしれない。

ドジなやつがまぬけな失敗をくりひろげるわかりやすいドタバタ劇。古い。まるでコント55号のよう(ちゃんとコント55号のネタ見たことないけど)。

これは、令和二年の今あえて昭和感丸出しの古くさいコントをやるというひねくれた笑いなのか……?

感想を書くにあたって、いいところと悪いところを両方書こうと決めて書いていたのだが……。
ううむ。このコントにはいいところが見つからなかった。
笑えないだけでなく、意図すら理解できなかった。
あえて挙げるとしたら、「おまえ置いて逃げるわけないやん」の台詞と、金庫からもタンバリンが出てきたとこかな。
とはいえそれらも唐突に出てきて、その後の展開に発展するわけでもなかったのが残念。



総評

個人的に三組選ぶなら、ニッポンの社長、ロングコートダディ、空気階段かな。

まあコントは好みが分かれるものだし、審査にケチをつけるつもりはない。
ニッポンの社長やロングコートダディの点が高くなかった理由もわかるし。

ただ、全体の傾向として、ここ数年わかりやすいものが評価されているようにおもう。
新奇なものよりも、深く考えずに笑えるもの。
かもめんたるとかシソンヌとか、最近の審査傾向だったら優勝できなかっただろうな。

まあコントなんて千差万別だから本来同じ土俵に並べて点数をつけるようなもんじゃないもんな。それをたった五人の審査員がやればどうしても客席の笑いの量で決めることになってしまうのはしかたないのかもしれない。

だから審査員を変えろとは言わないけど、ぼくとしては、以前みたいに全組が二本ずつネタをする制度に戻してほしい。
一本目で下位に沈んだ組が逆転優勝をすることはまずないだろうけど、そんなことはどうでもいい。こっちはただいろんなコントが見たいんだ!


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キングオブコント2017とコントにおけるリアリティの処理

(2019年の感想は書いてません)

2020年8月19日水曜日

【映画鑑賞】軍隊とは洗脳機関 / 『フルメタル・ジャケット』

 フルメタル・ジャケット
(1998)

内容(Amazon Prime Videoより)

ジョーカー、アニマル・マザー、レナード、エイトボール、カウボーイ他、新兵たちは地獄の新兵訓練所ブートキャンプに投げ込まれ、残忍な教官ハートマンによってウジ虫以下の扱いを受けていくのだった。

  ↑ もう、この内容説明文がほぼすべて。

「地獄の新兵訓練所ブートキャンプに投げ込まれ、残忍な教官ハートマンによってウジ虫以下の扱いを受けていくのだった」

清水 俊二『映画字幕の作り方教えます』という本に、『フルメタル・ジャケット』日本公開時の“事件”が書かれていた。

日本公開版の字幕は戸田奈津子さんが担当することになっていたのだが、スタンリー・キューブリック監督自らが日本語字幕をチェックして(日本語わからないのに)、セリフの本来の持ち味が失われているとして急遽担当者変更になったのだそうだ。

それほどまでにこだわりぬかれたセリフ、いったいどれほどのものだろうとおもって観てみたのだが……。

なるほど。こりゃすごい。

たしかにこの口汚い罵倒の数々、これをマイルドな言葉に訳しちゃったらこの映画は台無しだよなあ。

新兵の人間性を徹底的に破壊するハートマン軍曹役のロナルド・リー・アーメイ氏は、もともと演技顧問として招聘された人らしい。

ところが彼の罵倒の迫力がすごすぎたので急遽キューブリックから出演を依頼されたのだとか。

そりゃあなあ。こんなすごいキャラクター、ふつうは放っておかんわなあ。




この映画のハイライトは、前半の海兵隊訓練キャンプ部分といっていい。

訓練のひどいしごきに比べたら、後半で描かれるベトナムでの本物の戦争が生やさしく見えてしまう。

リアルなのは、新兵間でのいじめの描写。
ほほえみデブ(レナード)の出来があまりに悪いので(おまけにドーナッツを隠しもっていたりする)、ハートマン軍曹は、ほほえみデブがやらかしたときは本人には一切罰を与えず、他の訓練生全員に罰を与える。
ほほえみデブは訓練生全員の恨みを買い、夜中にリンチを受ける。

いじめの構造ってどこも同じなんだなあ。
自分に直接ストレスを与えている存在(この場合はハートマン軍曹)には矛先が向かわず、攻撃しやすいところ(ほほえみデブ)に向かう。

この陰湿さこそがきわめて人間的。


デーヴ=グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』にこんなことが書いてあった。

 こうして第二次大戦以後、現代戦に新たな時代が静かに幕を開けた。心理戦の時代──敵ではなく、自国の軍隊に対する心理戦である。プロパガンダを初めとして、いささか原始的な心理操作の道具は昔から戦争にはつきものだった。しかし、今世紀後半の心理学は、科学技術の進歩に劣らぬ絶大な影響を戦場にもたらした。
 SL・A・マーシャルは朝鮮戦争にも派遣され、第二次大戦のときと同種の調査を行った。その結果、(先の調査結果をふまえて導入された、新しい訓練法のおかげで)歩兵の五五パーセントが発砲していたことがわかった。しかも、周辺部防衛の危機に際してはほぼ全員が発砲していたのである。訓練技術はその後さらに磨きをかけられ、ベトナム戦争での発砲率は九〇から九五パーセントにも昇ったと言われている。この驚くべき殺傷率の上昇をもたらしたのは、脱感作、条件づけ、否認防衛機制の三方法の組み合わせだった。

人間は基本的に、他の人間を殺したがらない。
武器を持っていて、敵が眼の前にいて、殺さなければ自分が殺されるかもしれない。そんな状況にあっても、個人的に何の恨みもない人間を殺すことはなかなかできないのだそうだ。

だから軍隊で教えることは、戦闘技術よりも「どうやって殺人への抵抗を抑えるか」のほうが大事だ。

軍隊の歴史は洗脳の歴史でもある。

『フルメタル・ジャケット』を観ると、改めて軍隊とは洗脳機関なのだということがよくわかる。
いかに兵士の人間性を破壊するか。
訓練の目的はほとんどそれに尽きる。

ハートマン軍曹の訓練生の中でいちばんの成功者は、ほほえみデブだろう。
靴ひもも結べないような役立たずだった彼が、しごきと罵倒といじめの結果、誰よりも優秀な成績を挙げる優秀な狙撃兵になる。人間性は完全に失われ、銃と会話をするような「殺人マシーン」になる。

殺人マシーンになった結果、ハートマン軍曹を射殺し、自らに向けて銃の引き金を引くのはなんとも皮肉なものだ。

あれは軍隊教育の失敗ではなく、「成功しすぎた」結果なのだ。


【関連記事】

【読書感想文】字幕は翻訳にあらず / 清水 俊二『映画字幕の作り方教えます』

【読書感想文】人間も捨てたもんじゃない / デーヴ=グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』

2020年5月19日火曜日

座王


『千原ジュニアの座王』という深夜番組がある。
これがおもしろい。毎週欠かさず観ている。
おおさかチャンネルというのにも入って(無料会員だが)過去の放送分も全部見た。

関西ローカルだとおもうけど、おおさかチャンネルだとどこにいても観られるはずなのでぜひ多くの人に観てほしい。

観たことのない人に説明すると、芸人たちが椅子とりゲームをする。
最初は十人、椅子は九つ。ひとつずつ椅子を減らしていき、最後まで座っていた人が優勝。
もちろんテレビでやるわけだからただの椅子とりゲームではない。

誰かひとりが座れないところまではふつうの椅子とりゲームといっしょだが、座れなかった芸人は座っている芸人の中から誰かひとりを指名して対戦する。
何で対戦するかは、椅子に書かれているお題で決まる。
「大喜利」「写真(写真で一言)」「モノマネ」「モノボケ」「ギャグ」「1分トーク」「歌(メロディにあわせて歌う)」などのお題にくわえ、「寝言」「叫び」「中継」「プロポーズ」「キス」などちょっと変わったお題もある。
椅子に座れなかったほうが先攻、指名されたほうが後攻で対戦。
で、大喜利なら大喜利で対戦し、審査員が勝敗を判定。負ければそこで退場。勝てばそのまま椅子とりゲームを続ける。
最後はふたりが対戦し、勝った方が「座王」となる。



このルール、よくできている。
まず、芸人のいろんな一面を引き出せる。ふだんはギャグをしない人がギャグの椅子に座ってしまったために指名されたり、ものすごく音痴な人が「歌」で対戦するはめになったり。

苦手だからといって弱いとはかぎらないのがまたおもしろい。「モノマネなんかやったことない……」と言いながらめちゃくちゃおもしろいモノマネを披露する人がいたり。
「モノマネならまず負けない」という人が大喜利であっさり負けたりするのも勝負の妙だ。

また、通常ネタを披露して審査される場合、後からやったほうが有利になりやすい。
直近で観たネタのほうが印象に残りやすいからだ。

だが『座王』においては、先攻の勝率のほうが高い。
なぜなら自分でお題や対戦相手を選べるから。
先攻のほうが有利、だが先攻になるということは椅子に座れず対戦しなくてはだならないということ。対戦数が多いほど決勝戦まで残れる確率は低くなる。
じゃあ座りつづけたほうがいいかというと、不得意なジャンルの椅子に座ってしまった場合、不得意なお題で勝負しなくてはならない。

だから座るほうがいいのか、座らないほうがいいのかというのは一概にはいえない。
これも駆け引きが生まれる要素になる(じっさいあえて座らない人もいる)。

ほんとによくできたルールだ。
(ところで、これ十年ぐらい前の大晦日か正月にテレビ東京でやってたよね? かすかに記憶にあるのだが。
 それがなぜ最近関西テレビの番組になったのかの経緯は謎だ。
 テレビ東京の番組には千原ジュニアも出演していたのでパクったのではなくフォーマットを持ってきたのだとおもうが)



この番組では笑い飯の西田さんが圧倒的な強さを誇っているが、ロングコートダディ堂前さん、ミサイルマン岩部さん、R藤本さんなど、他の番組ではあまり観ることのない芸人が『座王』では大活躍しているのもおもしろいところだ。
実力があればどんどん起用される。
R藤本さん(常にベジータのモノマネしてる人)なんか、はじめはたぶん「ためしに出してみた」みたいな感じだったとおもうのだが、初登場からいきなり二連覇して意外になんでも器用にこなせるところを見せつけ、今ではほぼレギュラーみたいな扱いになっている。
まさに実力で勝ち取った椅子、という感じだ。

ミサイルマン岩部さんは序盤はあまり強くなかったのだが、対戦以外のところでも武将キャラを押しだしているうちにそのキャラが認知され、座王になくてはならない存在になった(そして対戦でも勝つようになった)。
対戦だけでなく、椅子取り部分や敗退後のコメントで活躍する芸人もいて、見どころが多い。



『座王』、六歳の娘も大好きだ。
はじめはぼくに付き合って観ていたのだが、最近は娘のほうから「座王観よう!」と誘ってくる。

以前、『座王』の中で「この番組は意外にも子どもにも人気だ。たぶん子どもは椅子取りゲームパートだけを楽しんでいるんだろう」と語られていたが、そんなことはない。
うちの娘はちゃんと対戦やコメントを楽しんでいる。
(とはいえ大喜利やモノマネなんかは理解していないことのほうが多いが)

何度も観ているうちに各芸人のキャラをおぼえて
「えー、さいしょから西田さんに挑戦するなんて!」
「ベジータは1分トーク嫌いやから座らんかったわ」
「この人はギャガ―やから先攻が勝つんちゃうかな」
などと言いながら観ている。

ちゃんと駆け引きを楽しんでいるのだ。たぶんテラスハウスとかを観るのと同じ楽しみ方をしている。
テラスハウス観たことないから知らんけど。

2019年12月23日月曜日

M-1グランプリ2019の感想 ~原点回帰への祝福~

M-1グランプリ2019の感想。

ここ数年(というかこのブログでは)感想を書いていなかったんだけど、今年はいろいろおもうところがあったので。
そのおもうところは後で書くとして、まずは各ネタの感想を。



ニューヨーク (ラブソング)


今年のM-1グランプリはおもしろかったという声が多かったが、その最大の立役者は彼らだとおもう。殊勲賞をあげたい。というか個人的にはネタもめちゃくちゃおもしろかった。

歌ネタということでポップで楽しく、それでいて持ち味のどす黒い偏見や悪意がさりげなく散りばめられているネタ。
トップとして満点だった。
もともと彼らの悪意に満ちたネタは大好きだったんだけど、こういう大会には不向きだろうともおもっていた。
だがこのネタでは「自作の歌」にツッコむ、という形をとることでその嫌らしさをうまく隠すことに成功した。ほんとの悪意は安易な作詞をするミュージシャンだったりそれに共感する女性だったりに向いているのだが、表面的には嶋佐個人が攻撃されているように見えるのでバレにくい。
また「『100万回』って言っときゃ喜ぶ」みたいなさりげない悪意を撒きちらしながら、それを後からボケに活かしているところなどはつくづく見事。ただの悪口が笑える悪口になった。

間奏をつくってその間にまとめてツッコむところなんかほんとに感心した。昔、銀シャリが「いっぺんにボケて後からまとめてツッコむ」という形の漫才をよくやっていたけど、同じことでも歌に乗せればまとめてツッコむ必然性が生まれて違和感なく聞ける。

ネタ、テクニックともにハイレベル。個人的には2位ぐらい。
なんでこれが最下位なんだよ!



かまいたち (UFJとUSJ)


いやあすごい。UFJとUSJをまちがえるってめちゃくちゃしょうもない題材だよ。他の芸人なら1秒でボツにするぐらいの。それを発端にあそこまでのネタに仕上げるってとんでもない技術だよね。表現も多彩、緩急も自在でぜんぜん飽きさせないし。
芸歴数十年のコンビを入れても、今いちばん腕のある漫才師じゃないかな。

めちゃくちゃおもしろくてめちゃくちゃうまくて非の打ち所がひとつもなくて、でもだからこそ「もう君たちM-1出なくていいやん」って思っちゃうんだよね。知名度もあるわけだし。藤井聡太棋士が全国高校生将棋コンクールに出てきたみたいな感じというか。もう優勝しても得られるものほとんどないでしょ。



和牛 (不動産屋の内見)


コントへの導入が見事だよね。
台詞の途中でいつの間にか不動産屋に変わっているというボケで軽く笑いもとりつつ、スピーディーかつスムーズにコントに入る。

とはいえネタは、ボケがほぼ2パターン(「住んでる」と「事故物件を喜ぶ」)なので、ちょっと物足りない。
コントへの入り方とか、ツッコミがいつのまにかボケになるとか、動きのおもしろさも見せるとか、テクニックでいえばまちがいなくトップなんだけど。
どうしても過去の和牛と比べちゃうんだよね。2018年のオレオレ詐欺ネタと比べると、ねえ……。

ところで敗者復活戦も観ていたのだが、敗者復活戦ではやらなかった細かいボケがいくつか足されていた。たった数時間の間に。
たぶん、敗者復活は時間オーバーに厳しい(強制終了になる)から削っていた台詞を、時間制限のゆるい決勝戦で足してきたんだろうね。測ってないけど、決勝はけっこう時間オーバーしてたんじゃないかな。
そのへんのしたたかさも含めてさすが。



すゑひろがりず (合コン)


おもしろいし笑ったし大好きなんだけど、基本的には言い換えのおもしろさの一点勝負なので、そこまで評価されないだろうなあとおもっていたら意外と点数が高かったので驚いた。
発想自体は第1回キングオブコントでチョコレートプラネットが披露していた「ゴルゴンコンパリオン」だったり、関西ローカルで武将様(ミサイルマン岩部)がやっている「戦国でやっていたシリーズ」だったりとほぼ同じで、とりたてて目新しいものはない。
とはいえ間の取り方や鼓の打ち方扇子の広げ方、表情にいたるまでどこをとってもよくできていて(本物に近いというより我々の頭の中にある「能や狂言ってこんな感じ」という雑なイメージにぴったり)、どんなくだらないことでも継続って大事だなあと感じ入る。

鼓の音を聞いただけで笑っちゃうんだけどもうDNAレベルで何か刻まれているとしかおもえない。たぶんどんなにふつうのことを言っても鼓をぽんと打つだけで笑っちゃうんじゃないかな。

このコンビに関しては決勝進出しただけで大勝利だよね。




からし蓮根 (教習所)


関西賞レースの常連なので何度もネタを観たのだが、どうもぼくの好みからは外れている。何が悪いというわけじゃないんだけど、新しさを感じないんだよなあ。

このネタに関しても、ボケる → ツッコむ → 終わり。またボケる → ツッコむ → 終わり。という流れが単調で、深みがない。ツッコミを受けてさらにボケる、それをさらに広げて……みたいな転がってゆく展開がぼくは好きなので。

生徒がバックで逃げるという盛り上がるシーンをラストにもってくる構成は好き。
でも、そのために「教官が生徒を残して車を降りる」というリアリティに欠けるストーリーを用意したせいで説得力に欠ける。ディティールを大事にしてほしいなあ。




見取り図 (お互いを褒めあう)


個人的には前回大会のネタのほうが好み。
とはいえ、ずっと圧倒的なツッコミ高ボケ低だったコンビが、ボケが強くなってバランスのとれたコンビになりつつあるのはいいことだ。
これだけ腕のあるツッコミがいるんだから、きれいに整ったボケだけでなく、もっと理不尽なボケを投げつけてもいいんじゃないかとおもう。
せっかく腕のいい板前がいるのに切り身の魚しか料理させないようなもったいなさがある。



ミルクボーイ (コーンフレーク)


今からすごくダサいこと書きますけど、
ぼくはずっと前からミルクボーイおもしろいとおもってたからね!

いやほんとほんと。優勝してからこういうこと言いだすのはめちゃくちゃダサいけど。
去年の記事にも書いてるし。

それからミルクボーイはいつ決勝に行くんだろう。毎年準々決勝止まりなのがふしぎでしかたない。独自性もあるしめちゃくちゃおもしろいのに。元々おもしろかったのにひどい偏見を放りこんでくるようになってさらにおもしろくなった。
近いうちに決勝に行ってくれることを切望する。

とはいえぼくも決勝に行くことは願っていたが優勝するとまではおもっていなかった(今年の決勝進出が決まった後でさえも)。
理論で構築していくタイプのコンビだから、勢いが評価される決勝ではあんまりウケないんじゃないかとおもっていた。

数年前のオールザッツ漫才ではじめて彼らの漫才を観て
「こんなにうまくて新しくておもしろい漫才をするコンビがいるのか!」
と驚き、そう遠くない将来いろんな賞を獲ることになるだろうと期待していたのだが、賞を獲るどころか大会で姿を観ない。
あのネタだけが良かったのか? とおもっていたら、翌年のオールザッツ漫才で『滋賀』のネタを観てもう一度衝撃を受けた。さらにおもしろくなっとる……!
『叔父』『デカビタ』など、どのネタもフォーマットは同じでありながら安定しておもしろい。なのにオールザッツ漫才でしか姿を観ることができない。関西はわりと土日の昼間とかに漫才番組をやっていて若手も出るのだが、ミルクボーイはそこにも出ない。M-1グランプリも準決勝まで行けない。決勝はともかく準決勝に行く実力はあるだろ!
……と他人事ながらずっとほぞを噛む思いをしてきただけに、今回の出場→優勝はちょっと信じられない。当人たちが「こんなことありえない」というリアクションをしていたことにもうなずける。

今回のネタは、客席との一体感も含めて完璧な出来だった。中盤以降は何を言ってもウケる状態。突飛なことを言っているわけではないのにずっとおもしろい。2005年大会のブラックマヨネーズがこんな感じだった。こんなにウケることはもう二度とないんじゃないかとおもえるぐらい。

「おお、ミルクボーイがM-1の決勝でウケてる……!」と万感の思いで観ていたので、肝心のネタの内容はあんまり覚えていない。
予選動画でも観たネタだったけど、何度観てもおもしろいよね。
「あの五角形は自分の得意分野だけで勝負してるからやとおれは睨んでる」「朝の寝ぼけてるときやから食べてられる」「浮かんでくるのは腕を組んだトラの顔だけ」
あれもこれもと話題を詰め込むのではなく、ワンテーマをとことん突き詰めたからこそ出てくる珠玉のフレーズ。
よかったなあ。




オズワルド (先輩との接し方)


由緒正しい東京スタイル、って感じの漫才だった。おぎやはぎのスタイルでPOISON GIRL BANDのシュールなネタをやっている、って印象。

出で立ちや声のトーンにどうしても目が行ってしまうけど、ネタの作りがすごく丁寧だった。寿司だけに。
「理論上は」「国民の意見」などのセンスあふれるフレーズを散りばめながら寿司屋から自然にバッティングセンターに移り、「回転寿司」「高速寿司捨てマシーン」という強いワードへ。うまい。
大会では評価されにくいこのタイプのスタイルにしては大健闘。




インディアンス (おっさん女子)


個人的に、楽しいだけの漫才って好きじゃないんだよねえ。あさましいとか見苦しいとかねたましいとかみじめったらしいとか、そんな負の感情を刺激してくれる笑いが好きなんだよ。

中川家礼二がコメントしていたように、素が見えないせいでずいぶん無理をしてるように感じてしまう。明るさが痛々しい。強弱もないし。
この道の先にはアンタッチャブルという巨人がいて、そこと比べるとボケ・ツッコミとも小粒感がぬぐえない。内面からにじみ出てくるものがないんだよねえ。

そしてネタの導入に無理があった。
「おっさんみたいな彼女っていいよね」が共感を得られないまま話を進めていっちゃったものだから、ずっと入っていけないままだった。時間をかけてでも「おっさん女子がなぜいいか」をプレゼンする丁寧さがあったらなあ。

今回の個人的最下位。



ぺこぱ (タクシー)


予選動画ではじめてこのスタイルを観てそのときはたしかにおもしろかったんだけど、2回目にしてもう飽きてしまった。“型”を壊す笑いだから、これ自身が“型”になってしまったらもうおもしろくないんだよね。
(ついでにいうと壊される“型”っぽい漫才をやっていたのがからし蓮根だとおもう。だからからし蓮根の直後の出番順だったら最高だった)

ぼくはこの人たちのネタを他に観たことないんだけど、このネタを観るだけでも
「ああ苦労していろんなスタイルを模索しつづけた末にたどりついた形なんだろうなあ」
という悲哀が感じられてよかった。しっかり作りこまれたネタなのに、それでも魂の叫びが漏れ聞こえてくるようだった。



【最終決戦】

ぼくが3組選ぶなら、ミルクボーイ、かまいたち、ニューヨーク。
ニューヨーク以外の順位についてはおおむね納得。

ぺこぱ (電車で席を譲る)


彼らにとって不運なことに、1本目最後出番→2本目トップ出番 と2本続けてネタをすることになってしまった。
さっきも書いたように、型を壊すタイプのネタなのでからくりがばれている2本目はただでさえ弱くなるのに、連続出番ということでさすがに飽きてしまった。

とはいえ「キャラ芸人になるしかなかったんだ」などの“魂の叫び”は一本目よりさらに強烈。
人間的魅力は十二分に伝わった。


かまいたち (となりのトトロ)


1本目と同じく、くだらない題材を大きく膨らませる技術は圧巻。
他の芸人だったら
「おれとなりのトトロ一回も見たことないわ~」
「だからどうしてん。おんねん、こういうしょうもない自慢するやつ」
みたいな(学天即がやりそう)、せいぜいあるあるネタのひとつにする程度の題材なのに、それをここまで掘りさげられることに恐れいる。幅が狭い分、深みがとんでもない。
どんなお題をもらっても4分の漫才にできるんじゃないだろうか。

共感しやすい話から宗教っぽい語り口のぞくぞくするボケまで持っていく話術は見事の一言。
ほんと、うますぎて若手ナンバーワン漫才師を決める大会にふさわしくない。



ミルクボーイ (もなか)


何が悪いというわけでもないのになぜか好かれない最中(もなか)、という渋い題材でたっぷり4分間。
技術もあって安定しておもしろいのにずっと売れないミルクボーイの漫才を最中に重ね合わせているんじゃないだろうか。そんな気すらした。それほどまでにこのスタイルに対する執念が感じられた。

ミルクボーイのスタイルは何年も前から完成されていた。「ほな〇〇やないか」「ほな〇〇とちゃうやないか」のくりかえし。数年前からほとんど変わっていない。
どのネタも安定しておもしろい。ちゃんとウケる。でも評価されない。

何年も結果が出なければ限界を感じてスタイルを変えそうなものだ。スタイルを変えたことで新しい道が開ける芸人も多い(たぶんぺこぱもそうだろう)。
だが自分たちのスタイルを信じ、貫いた。そして最高の栄誉を勝ち取った。どちらの姿も美しい。

ミルクボーイは、今年勝てなかったら来年以降勝つのはむずかしかっただろう。
正直、2本目のネタは1本目よりウケていなかったようにおもう。ネタが劣っていたというより新鮮さが落ちていたせいだ。

それでもほとんどの審査員はミルクボーイを評価した。
ぼくが票を入れるなら、やはりミルクボーイに入れたとおもう。
「笑いの量とか技術とか総合的な評価でいえばかまいたちのほうが上。しかしミルクボーイには新しさがあった」
という理由で。
きっと似たような理由で票を入れた審査員もいたはずだ(あとかまいたちは既にキングオブコントの称号を手にしているからもういいだろという気持ちもはたらいたとおもう)。

「その日いちばんおもしろいコンビを決める」という趣旨からいえば、新しさとか過去の実績とかで評価をするのはフェアでないのかもしれない。
けど、それでいいとおもう。M-1グランプリは、同じぐらいのおもしろさであれば、より新しいもの、より陽の当たらないものを照らす大会であってほしいとぼくはおもう。



ぼくが2019年のM-1グランプリを観終わって抱いたのは、ぼくの好きだったM-1グランプリが帰ってきた! という感覚だった。

うまさよりも粗削りでも新しいものを評価する大会、知名度や人気ではなく「なんだかわからないけどおもしろい」を評価する大会、当初のM-1グランプリはそういう大会だった。
まだまだ技術的には下手で全国的な知名度も低かった麒麟、笑い飯、千鳥、南海キャンディーズ、POISON GIRL BANDらを決勝に上げて世に問うてきた大会。
その頃のM-1グランプリは、「今いちばんおもしろい」というよりどっちかといったら「次にいちばんおもしろくなる」コンビを決める大会だった。毎回一組は「こんな漫才観たことない!」とおもわせてくれるコンビがいた。

でも、2006年から2008年ぐらいを潮目にその流れが変わってきた。
既に評価されているもの、技術の高いもの、万人から笑いをとれるもの、そういったものが評価されるようになった。

2015年に復活して芸歴15年まで参加できるようになってからはよりその傾向が強くなった。
トレンディエンジェル、銀シャリ、スーパーマラドーナ、和牛……。復活後のM-1を彩ったコンビたち、そのネタはおもしろいしぼくも好きだが、「なんだこれ!」という驚きは感じなかった。
うまい、達者だ、よくできているネタだ、がんばって稽古したんだろうな、しっかり対策立ててきたんだな。そうおもうことはあっても「こいつら次は何するんだ!?」というわくわく感はなかった。

その流れが再び動きはじめたのは2017年。
和牛、ミキ、かまいたち、スーパーマラドーナといった並みいる“達者な漫才師”を抑え、とろサーモンがチャンピオンに立った。
正直いって、「笑いの量」という点でいえばあの日のとろサーモンはぼくの中では1位ではなかった。
だが何を言いだすかわからない、どこまでが台本でどこからがアドリブかわからない、そういう即興性、破壊力ではダントツの1位だった。
他の出演者が美しい交響曲を聞かせる中、型破りなジャズでその場の聴衆の心をわしづかみにしたのがとろサーモンだった。

そのとき撒かれた種は2018年にも花を咲かせた。
和牛のネタ構成や表現力は見事の一言だった。ジャルジャルの稽古量は圧巻だった。ミキのしゃべりのうまさにはますます磨きがかかっていた。
けれど大会を機に大きく評価を上げたのは独自のスタイルを持ちこんだ霜降り明星であり、トム・ブラウンだった。
うまさよりも新しいものを。その要求は高まりつつあった。もちろん霜降り明星もうまくて達者だったが、何より評価されたのはその革新性だった。

そして2019年。新しさを求める気運は満開の花を咲かせた。
次から次へと披露される新鮮な漫才。
演者の知名度が低かったこともあり、ほとんどのコンビが笑いとともに驚きを届けてくれた。

そうだよ。M-1はこうでなくっちゃ!
一流の商品が高い値札をつけられて並ぶデパートではなく、なんだかわからないけど大化けする可能性を秘めた原石が発掘される蚤の市であってほしいんだよ!


そろそろ芸歴10年までに戻してもいいんじゃないかなあ。

「10年やって準決勝にも行けないやつは才能ないからやめなさいよ」ってのが大会創設の意図だったわけだしさ。



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2019年11月27日水曜日

【映画感想】『アナと雪の女王 2』

『アナと雪の女王 2』

内容(ディズニー公式より)
命がけの妹アナによって、閉ざした心を開き、“触れるものすべてを凍らせてしまう力”をコントロールできるようになったエルサは、雪と氷に覆われたアレンデール王国に温かな陽光を取り戻した。そして再び城門を閉じることはないと約束した。それから3年――。
深い絆で結ばれたアナとエルサの姉妹は、王国を治めながら、失われた少女時代を取り戻すかのように、気の置けない仲間たちと平穏で幸せな日々を送っていた。しかしある日、エルサだけが“不思議な歌声”を聴く。その歌声に導かれ、仲間のクリストフやオラフと共に旅に出たアナとエルサは、エルサの持つ“力”の秘密を解き明かすため、数々の試練に立ち向かう。果たしてなぜ力はエルサだけに与えられたのか。そして姉妹の知られざる過去の“謎”とは? 旅の終わりに、待ち受けるすべての答えとは――。

そうそう、こういうのでいいんだよ。続編って。
ちゃんとエルサはエルサ、アナはアナのままでいてくれてる。

最近ディズニーの続編といえば『シュガー・ラッシュ:オンライン』『トイ・ストーリー 4』と、立て続けに「前作の世界観をぶっ壊す」作品が続いていたので、こういう「ちゃんと前作までのキャラクター造形を尊重する」作品を観てほっとした。

『シュガー・ラッシュ:オンライン』も『トイ・ストーリー 4』も、「この作品さえおもしろけりゃいいだろ」って感じで作ってんだよね(その狙いすら成功してるかどうか怪しいけど)。
でもこっちは「ディズニー作品」を楽しみに来てるわけ。映画一本だけを楽しめればそれでいいわけじゃない。過去の作品もあわせて楽しむために新作映画を観にいってるの。そういう心情を理解してねえんだろうなあ、『シュガー・ラッシュ:オンライン』『トイ・ストーリー 4』の制作陣は。

あ、いかんいかん。また愚痴が長くなる。

愚痴を読みたい奇特な人は以下からどうぞ。
【映画感想】『トイ・ストーリー 4』
【映画感想】『シュガー・ラッシュ:オンライン』



前作『アナと雪の女王』、ぼくは数年前にDVDで観た。
そのときおもったのは
「たしかにおもしろい。よくできている。でも、社会現象になるぐらいヒットするほどかなあ。他のディズニー作品もこれに負けず劣らずだとおもうけど。どうしてこれだけがそこまでヒットしたんだろう」

『2』を観てその謎が解けた。
映像、そして音楽に圧倒されたのだ。
なるほど。前作が大ヒットしたのもこれが理由か。
これは劇場で観なきゃだめだ。

はっきりいって『2』のストーリーは難解だ。
過去と現在が交錯するし、エルサが何のために行動しているのかもわかりづらい。

行動目的がシンプルだった前作とは対照的だ。
「追われたから山へ逃げて一人で生きていくエルサ」「エルサを追いかけるアナ」「アナの具合が悪くなったのでお城に向かうクリストフたち」「捕らえられたので逃げるエルサ」「氷漬けになったアナを助けようとするエルサ」
と、前作の行動はすごくわかりやすい。
人物の善悪もはっきりしている。

『2』でははっきりと悪人として描かれるのは××××××(ネタバレのため伏字)ぐらい。しかし××××××はもう死んでいる。あとの登場人物はわけもわからず右往左往としているだけだ。
観ているこちらも戸惑う。誰に感情移入していいのやら、何を期待すればいいのやらさっぱりわからない。

だが。
CGによる壮大な映像と迫力ある音楽がそんな疑問をふっとばしてくれる。
観終わった後は「なんだかわからんがすごいものを観た!」と感じる。そう、感じるのだ。

『アナと雪の女王2』がDVD化されたときの評価はあまり高くないのではないかとおもう。
なぜならストーリーが前作に比べて不明瞭だから。こういうのが好きな人もいるだろうけど万人受けはしづらいから。
映像や音楽の迫力はDVDで観ても伝わらないだろうから。
音楽ライブをYouTubeで観るようなもので、富士山を写真で観るようなもので、形は伝わるんだけどその匂いや手触りや温度は伝わらない。

だから興味のある人はDVD化を待たずに劇場に行くことをおすすめします。
そして小難しいことを考えずに迫力に浸ってほしい。

いやーすごかった。映像と音楽が。
ぼくはピクサースタジオを好きなんだけど、ピクサーの映像技術はディズニースタジオに完全に抜かれてしまったな。


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2019年7月17日水曜日

【映画感想】『トイ・ストーリー 4』

『トイ・ストーリー 4』

内容(ディズニー公式より)
“おもちゃにとって大切なことは子供のそばにいること”―― 新たな持ち主ボニーを見守るウッディ、バズら仲間たちの前に現れたのは、彼女の一番のお気に入りで手作りおもちゃのフォーキー。しかし、彼は自分をゴミだと思い込み逃げ出してしまう。ボニーのためにフォーキーを探す冒険に出たウッディは、一度も愛されたことのないおもちゃや、かつての仲間ボーとの運命的な出会いを果たす。そしてたどり着いたのは見たことのない新しい世界だった。最後にウッディが選んだ“驚くべき決断”とは…?

≪公開中の映画に関するネタバレを含みます≫

ぼくは『トイ・ストーリー』シリーズの大ファンだ。
これまでの3作、および短篇作品もくりかえし観た。『4』の公開は何年も楽しみにしてきた。
ほかのファンと同じようにぼくも「あんなに完璧な『3』の後に続編を作れるのか?」とおもったが、同時に「でもピクサーならその不安をふっとばしてくれるすばらしい作品を生みだしてくれるはず」と信じていた。

で、『4』を観賞。
結論からいうと、不満がたくさん残る作品だった。
ぼくが大ファンじゃなかったら素直に楽しめたんだろうけど、思い入れが強い分、わだかまりも多く残った。

1~3までの作品とはずいぶん毛色がちがうなあとおもって調べてみたら、やはり『トイ・ストーリー』の生みの親であるジョン・ラセターが制作から離れたということで(離れた理由については自分で調べてください))、どうりでまったく別物になっているわけだ。
換骨奪胎。
変わったところが、ことごとく好きじゃなかった。




変えることが悪いとはおもわない。
同じようなことをくりかえすだけではマンネリを生む。『トイ・ストーリー3』ではウッディたちをアンディの元から去らせるという大転換をおこなって見事に成功を収めた。

今回の『4』では最終的にウッディがボニーやバズ・ライトイヤーたちと別れて新しい世界へと旅立つが、その決断自体は否定しない。

置かれた境遇が変われば心境も変わるし、「おもちゃは子どもに愛されるためにある」というウッディの自我は前三作で常に危機にさらされてきた。結果的にウッディたちは「子どもと一緒にいる」を選んできたが、唯一無二の選択だったわけではなく「悪いこともあるけどまあしょうがないよね」という妥協を内に含む決断だった。
だから今さらウッディの信念が揺らいだとしても驚かない。

ただ、これまでのウッディたちの決断を否定するのであればそれなりの理由が必要だ。『4』には「なるほど、それならウッディの信念が変わるのもしょうがないよね」と観客に思わせるだけの説得力がまったくなかった。

ひとことでいうと「」。
ストーリー展開、心理描写、リアリティ、整合性。ひたすらに雑。
いや『4』がほかの映画にくらべて悪いわけではない。『3』までがきめ細やかすぎただけ。『4』ではそれが受け継がれていないだけ。

もう少し具体的にいうと、前作までは「課題があって、おもちゃたちが100点ではないけど一応納得できる解決を導きだす」というストーリーだった。
だが『4』では「まず解決があって、そのために課題を設ける」という作り方をしている。

まず「ウッディがボニーやバズたちと離れる」というゴールがあり、そのために
  • ウッディがボニーやその親からないがしろにされる
  • ボニーの心の支えになるフォーキーというおもちゃを登場させる
  • 子どものおもちゃから離れて自由闊達に生きている、ボー・ピープというキャラクターと出会わせる
など、着々と「ウッディ引退のための花道」が準備されてゆく。いや、花道というより追い出し部屋か。
以前のウッディならフォーキーに対して嫉妬ぐらいは抱いていたはずなのに、まるで自分の引退を悟っているかのように己の持てるものをフォーキーに譲りわたしてゆく。

そして、自分自身が不要になったことを(それなりの葛藤があるとはいえ)あっさり受け入れて新天地へと旅立つ。

まるで、社内に居場所がなくなってきたと感じているベテラン社員が、会社が用意した早期退職制度に応募して「おれの実力なら独立してもやっていけるっしょ」と起業するみたいに。
アンディ社でエースを張り、子会社のボニー社で不遇を強いられてきたウッディが、脱サラして喫茶店のマスターに。どう考えてもこの先うまくやっていけるとはおもえない。
独立するのであれば、追い立てられるような逃避的独立ではなく、前向きな理由でのリスタートであってほしかった。




制作者の敷いたレールを最短距離で走らせるために、前作までで丁寧に描いてきた
  • 常に自分が主役でいたいというウッディの人間くさい欲
  • アンディとボニーが交わした、おもちゃを大切にするという約束
  • ボー・ピープは陶器のおもちゃだからアクションができないという制約
  • 直情的なウッディに比べて思慮深いバズのキャラクター
  • ウッディとバズの深い友情
といった設定はあっさり無視されている。

そしてなにより、「子どもの友だちでいることがおもちゃにとってなによりの幸せ」というウッディの信念、ときにはそのせいでバズに嫉妬心を燃やし、プロスペクターやジェシーとの約束を反故にし、居心地の良い保育園やおもちゃの仲間たちに別れを告げたほどの頑固な信念は、「あっちのほうがなんとなく良さそう」ぐらいの軽いノリであっさり捨てられてしまう。


ほぼ称賛一色だった前作とはちがい今作は賛否両論だそうだが、その"否"はほとんどここに向けられているのだろう。
過去三作に対する思い入れの強い観客ほど、ウッディやボニーの豹変っぷりには戸惑いを感じるはずだ。

主役の座から降ろされることも、子どもが成長すればいずれ遊んでもらえなくなることも、子ども部屋の外にはいつまでも子どもと遊んでもらえる場所があることも、ウッディはこれまでの三作で味わってきた。
それでも愚直なまでに信念を曲げなかったウッディが『4』ではさしたるきっかけもなくあっさり考えを転向させてしまう。

よほど現状がつらいとか、よほど移動遊園地が魅力的な場所であるとかの「これまでの決断を覆すほどの根拠」は描かれない。これこそぼくが「雑」と思うゆえんだ。

ボニーの元を離れて生きていくという決断を見せられても、「だったらあのときサニーサイド保育園に行ってたらよかったじゃない」としかおもえない。
強権的政治を敷いていたロッツォが退場したサニーサイド保育園はおもちゃの楽園だ。しかもボニーの家からおもちゃでも移動できる距離にあるから今からでも行ける。
「他のおもちゃといっしょにサニーサイド保育園」に背を向けたウッディが、なぜ「単身で移動遊園地」は受けいれるのか?

移動遊園地がサニーサイド保育園に勝っているところはただひとつ。
「ボー・ピープがいる」という点だけ。
それだけでウッディがあっさりボニーやバズを捨てちゃうの? 子どもと遊んでもらえなくなってもかまわないの?
まさか「恋愛はすべてに勝る」ということをトイ・ストーリーを通して伝えたいわけじゃないよね?

トイ・ストーリーの世界観において、おもちゃは単なる子どもの友だちではない。制作者たちも語っているように、彼らの役割は「保護者」だ。
おもちゃたちは子どもを守るために行動している。第一作でウッディが憎いバズを助けにいくのも、『2』でさらわれたウッディを他のおもちゃたちが連れ戻しにいくのも、理由は「アンディが悲しまないように」だ。
だからこそ『3』ではアンディが家を出ていくときにアンディのママが感じる我が身を引き裂かれるようなつらさがおもちゃの視点を通して描かれる。あのシーンは時間にすればわずかだったが、強烈な印象を放っていた。
『4』でも、ボニーがはじめて幼稚園に行くときに寂しがらないようにウッディがついていったり、モリー(アンディの妹)が寝るときに怖がらないようにボーがついていたことが語られたり、おもちゃは子どもたちの保護者としてふるまっていた。
なのに、ボーと出会ったウッディはあっさり保護者であることをやめてしまう。


「新しい生活のほうがなんとなく良さそう」とボニーのもとを離れるウッディの姿は、まるで新しい男を見つけて子どもを置いて去ってゆく母親だ。
母親には母親の人生があるからそういう選択を否定する気はないけど、でもピクサー映画で見せる必要はあるか?
ぼくは、自分が母親に見捨てられたような気分になった




『3』までと『4』の制作者の「おもちゃへの愛」は、アンディの母親とボニーの両親のちがいにはっきりと描かれている。
アンディがおもちゃを大切にする気持ちをよく理解しているアンディの母親。一作目では最後の最後までウッディを捜すアンディに寄り添うし、『2』では高値を付けてウッディを買い取ろうとするアルに対していくら積まれても売らないと言い切る。

だがボニーの両親はアンディのママとはちがう。
ボニーのおもちゃを平気で踏んづけるし、旅行先でボニーのお気に入りのおもちゃがあるかどうかも確認せずに車を出そうとする。おもちゃがなくなっても「まあそのうち出てくるだろう」ぐらいで済ませる。
「おもちゃなんてなくなればまた買えばいい」ぐらいの気持ちなんだろうな。それは制作者の気持ちがそのまま表れたものだ。
ボニーの父親のもとにアルが現れて「あなたのお子さんのおもちゃを300ドルで売ってください」と言ってきたら喜んで手放すだろうな。『トイ・ストーリー4』の監督も。




不満を書きだしたら止まらなくなってきた。
いいところも書こうとおもっていたのに。ファンにはうれしい、ティン・トイのさりげない登場シーンやコンバット・カールの再登場とか。

ティン・トイ
迷子のシーンを通して「自分より弱いものを守る立場に置かれることで強くなる」ことを表現していたこととか。

それでも思いかえすほどに、納得のいかないところが次々に出てくる。

ボー・ピープのキャラクター変化とか。
内面が変化するのはぜんぜんかまわない。環境が大きく変わったのに同じ性格でいるほうが不自然だ。
でも、物理的な制約を飛びこえてしまうことはいただけない。
さっきも書いたけど、ボー・ピープは陶器の人形だ。激しいアクションには耐えられない。服は着色されているから着替えられない。折れたらかんたんに修復できない。
だから『2』では留守番を強いられたし、『3』では姿すら見せない。『4』ではそういった設定をぜんぶ無視している。
「おもちゃの材質や形状に応じた動きをする」ってのがトイ・ストーリーの魅力なのに、それがかんたんに捨てられている。

『4』におけるボー・ピープのキャラクターは、いかにもここ数年のディズニーヒロインという感じだ。
『シュガーラッシュ』シリーズのヴァネロペに代表される、旧習に縛られずに自分がもっとも輝くフィールドで戦うかっこいいヒロイン。
いっしょに観ていたうちの六歳の娘も「ボーがかっこよかった! ボーがいちばん好き!」と言っていた。そりゃそうだろうな。かわいくてかっこいいお姉さん。女の子は大好きだろう。
そういうキャラクターが出てくることには大賛成だ。
でもその役目を担うのはボー・ピープじゃないでしょ。陶器製の電気スタンドじゃないでしょ。ウッディを役立たず呼ばわりするのは、ウッディが誰よりも仲間思いなのを間近で見てきたボーじゃないでしょ。




『4』が雑な印象を与えるのは、キャラクターたちのその後の描かれ方が投げやりだからでもある。

これまでの作品では、キャラクターたちにしかるべき居場所が与えられていた。
たとえば『3』では、序盤に家を出た軍曹やグリーンアーミーメンたちはラストでサニーサイド保育園にたどりつき、そこではケンやバービーを中心におもちゃにとって居心地のいいコミュニティがつくられている。
ロッツォの手下として強権的支配に手を貸していたおもちゃたちも心を入れ替えて仲良くやっている。
最後まで無慈悲だったロッツォにすら居場所が与えられていた(ひどい目には遭うが彼を拾うのはおもちゃを愛している人物だ)。『2』でウッディを傷つけたプロスペクターも同じだった。

だが『4』はすべてがなげっぱなしだ。
移動遊園地に残ったウッディたちのその後が描かれるが、ダッキーとバニーは子どもにもらわれたいと願っていたのに叶わなかった。おもちゃを大切にしない家に残されたバズたちに明るい未来が待っているのだろうか? ベンソンは最後まで感情のないロボットとして描かれていて、ギャビーギャビーとはぐれた後にどうなったのかはわからない。不気味な存在から一転してかわいらしい赤ちゃんの心を取り戻した『3』のビッグベビーとは対照的だ。

おもちゃだけではない。ボニーというキャラクターの造形もひどかった。
ボニーがウッディを気にするシーンあった?
ウッディに話しかけたり、ウッディをさがしたりするシーンあった? ウッディから保安官バッジを引きちぎるシーンだけじゃない?
あれが、アンディが信頼しておもちゃを託した子?




愚痴はまだ続く。
ギャグシーンがうわすべりしていたこと。

デューク・カブーンが笑い担当だったんだろうけど、百人が百人ともケンを思いうかべるだろう(あと『トイ・ストーリー・オブ・テラー!』のコンバット・カールと)。つまり既視感しかない。

あとはダッキーとバニーの妄想コント。
ありえない展開がくりひろげられた後に「実はこれ、ダッキーとバニーの妄想でした!という流れが何度かある。
これ、おもしろくないとか以前に、完全に話の流れを妨げていた。
せっかく物語の世界に没入してるのに、「はいこれはぜんぶ作り物ですからね」といちいち現実に引き戻される。
しかも『2』のスターウォーズパロディや『3』のバズのスパニッシュモードのようなストーリーの流れにからんだギャグではなく、このシーンがあってもなくても本筋にはまったく影響を与えないようなとってつけたギャグパート。
「さあ、ここは笑うとこでっせ!」という制作者の声が聞こえるようで、完全に鼻白んでしまう。いかりや長介の「だめだこりゃ。次いってみよう!」という声が聞こえてくるようだった。
劇場でもほとんどウケていなかった。

おもしろかったのも鍵を手に入れるとこぐらい。でもあれも場面を区切って回想にしないでほしかった。
前作までは、ほぼすべて時系列にそって描かれていた。
回想が入るのは、ジェシーがエミリーとの思い出を語るシーンとロッツォが持ち主と離別するところぐらいかな。それでも単純な回想にはせずに「今語っている」という形をとっていた。
あれも、観客が物語の世界から現実に引き戻されないための工夫だったのだろう。時系列順に描かれることで、「この物語はまさに今目の前で起こっている」かのような気持ちで見ることができる。
『4』ではその約束も壊されてしまった。観客は(数分前の)回想シーンを通して「これはしょせん作り物ですよ」という野暮な事実をつきつけられる。


そう、ありていにいえば「野暮」なのだ。すべてにおいて。
永遠の友情なんてありえない、おもちゃなんてしょせん替えの利くモノにすぎない、このお話はつくりもの。この映画は、いちいち現実を突きつけてくる。
そんなことはわかっている。わかってるけど、なんで金を払ってつまらない現実を見せられなきゃならんのか。こっちは夢を観にきてるのに。




不満ばかりになってしまった。
書く前は「『昔は良かった』ばかりだと老害くさくなるから、良かった点と悪かったとこを半々ぐらいで書こう」とおもっていたのに。

でも、そうなんだよ。観ているときはおもしろかったんだよ。観終わったときの感想も、少なくとも半分は「良かった」が占めていたんだよ。これはほんと。
ピクサー作品の中でも平均以上の出来だとおもうよ。

ただ、高級イタリアンの店に入ったら出されたのがサイゼリヤの料理だった、みたいな気持ちにはなるよね。
ええ、おいしいですよ。サイゼリヤ。ぼくは大好きですよ。
でも高級イタリアンで出されたら「サイゼリヤはおいしいからまいっかー!」とはならない。味の問題じゃない。

要するにまったくべつの物語を作りたいならトイ・ストーリーの看板掲げて商売すんじゃねえよ、ってことなんですよ。
『トイ・ストーリー4』という名前の映画をつくる以上は、壊しちゃいけない部分がある。なのにこの映画では深い考えもなくそこを踏みにじっている。


「おもちゃが動いてしゃべるけどトイ・ストーリーじゃない」物語を作ればよかったんだよ。それならなんの不満もない。
ジョジョとスティールボールランとジョジョリオンみたいに、設定だけ活かしてまったく別のキャラの物語にすればよかったのに。


願わくば、『5』をつくってウッディに「あの決断は失敗だった」と語らせてほしい。
それが、おもちゃを愛する少年だったぼくの願いだ。


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2019年4月1日月曜日

【映画感想】『のび太の月面探査記』

『のび太の月面探査記』

内容(映画.comより)
国民的アニメ「ドラえもん」の長編劇場版シリーズ39作目。直木賞受賞作「鍵のない夢を見る」、ドラえもんのひみつ道具を各章のタイトルに起用した「凍りのくじら」などで知られる人気作家の辻村深月が、映画脚本に初挑戦し、月面を舞台にドラえもんとのび太たちの冒険を描いた。月面探査機がとらえた白い影がニュースとなり、それを「月のウサギだ」と主張したのび太は、周囲から笑われてしまう。そこで、ドラえもんのひみつ道具「異説クラブメンバーズバッジ」を使い、月の裏側にウサギ王国を作ることにしたのび太。そんなある日、不思議な転校生の少年ルカが現れ、のび太たちと一緒にウサギ王国に行くことになるのだが……。監督は「映画ドラえもん」シリーズを手がけるのは3作目となる八鍬新之介。ゲスト声優に広瀬アリス、柳楽優弥、吉田鋼太郎ら。

劇場にて、五歳の娘といっしょに鑑賞。

「娘といっしょにドラえもんの映画を観にくるのははじめてだな」とおもっていたけど、よく考えたら、ドラえもんの映画を劇場に観にいくこと自体はじめてだ。

子どもの頃、テレビでやっているのを観たり漫画版で読んだりしていたので、すっかりよく観ていた気になっていた。
1作目『のび太の恐竜』 ~14作目『のび太とブリキの迷宮』あたりまでは、読んだりテレビで観たりしていた。
そのへんでぼくが大きくなったのと、内容が説教くさくなってきたので、しばらく遠ざかっていた。
昨年、娘がドラえもんを楽しめるようになってきたので、AmazonPrimeで『のび太の南極カチコチ大冒険』を鑑賞。 「最近のドラえもん映画ってこんな複雑なストーリーなのか……」とおもった記憶がある。
(あと『緑の巨人伝』を観て「これはひどい……」とおもった)



さて、『のび太の月面探査記』である。
映画館の入場時に、特典グッズ(ドラえもんのチョロQ)をもらえる。子どもだけかとおもっていたらおっさんにももらえる。うれしい。
これこれ、子どもの頃こういうグッズほしかったんだよなー。テレビで予告編を観るたびにほしいとおもっていた。

べつにぼくのうちが貧しかったわけではないけど、田舎だったので映画館まで行くためにはバスと電車二本を乗りつがないといけなかった。だから基本的にぼくらの町の人間にとって映画というのはテレビかビデオで観るもので、そもそも「映画館に行く」という発想がなかった。

今回の『月面探査記』だが、原作が辻村深月氏だと聞いていたのでおもしろそうだとおもっていた(とはいえデビュー作『冷たい校舎の時は止まる』が好きになれなかったのでそれ以降の作品は読んでないんだけど)。
『凍りのくじら』でドラえもんを扱っている人、という知識だけはあったので。読んでないけど。


映画の感想だけど、まず、「これドラえもんの映画にしてはむずかしくない?」とおもった。

[異説クラブメンバーズバッジ]という道具が出てきて、これが今回のキーアイテムになる。
というかほとんど他の道具が出てこない。他に目を惹くのは[エスパー帽]ぐらいで、あとは映画でおなじみの[どこでもドア][タケコプター][ひらりマント][空気砲][コエカタマリン]などで、使用にあたって説明すらされない。

[異説クラブメンバーズバッジ]がなかなかややこしい。
天動説やツチノコ生存説のように、異説として一定の支持のある説をマイクに吹きこむと、メンバーズバッジをつけている人たちにはその説が実現しているように見える、という道具。
ううむ、むずかしいね。
「異説として一定の支持がある説じゃないとダメ」「バッジをつけている人にしか共有されない」という制約があるので、なんでもやりたい放題&全人類に適用される[もしもボックス]の劣化版という感じの道具だね。

しかしこの制約がストーリー上重要なカギを握っている。特に終盤の大逆転は、[異説クラブメンバーズバッジ]によく似た道具が登場することで実現する。
が、[異説クラブメンバーズバッジ]がすでにわかりにくいのに(うちの五歳の娘はぜんぜんわかっていなかった)、それに似ているけど異なる効力を持つ道具が登場するので(しかも簡素な説明しかない)、「え? つまりどういうこと?」とおもっている間にどんどんストーリーが進んでしまう。
ラスボスとの戦闘中なのでくだくだ説明する時間がないんだろうけど、メインストーリーにからんでくる話なのでもう少しわかりやすく表現することはできなかったのかな……とおもってしまう。


また、今作には[カグヤ星][エスパル][エーテル][ムービット]という独自の概念がいくつか登場する。
[エスパル]は[カグヤ星]から脱出して千年前から月に住んでいた種族、[ムービット]は月に住んでいるがのび太たちが[異説クラブメンバーズバッジ]によってつくりだした種族。

のび太たち地球人を含めれば三種類の種族が月にいる(さらにカグヤ星にはカグヤ星人もいる)わけで、このへんもややこしい。


観終わった後で娘に「どんな話だった? おかあさんは観てないから、おかあさんにわかるように教えてあげて」と言ったところ、エピソードひとつひとつはちゃんとおぼえていたが、やはり「どういう種族がいて何のために戦ったのか」「[異説メンバーズクラブバッジ]がどういう役割を果たすのか」については理解できていなかった。



だがストーリーがこみいっているからといって、おもしろくないかというとそんなことはない。
娘は「おもしろかった! 来年も観にいきたい!」と言っていた。

細部はけっこう練っているし登場人物も多いが、
・のび太やジャイアンなどの主要キャラはきちんと自分に与えられた役割をこなしている。
・敵味方、善悪がはっきりしている。敵はいかにも邪悪な容貌・声をしている。
「悪人とおもったら実は善人」「悪人にも悪人なりの正義があり同情すべき点もある」といった多面性もほぼない。
・ストーリーの骨格は「仲間を守るために悪を助ける」というシンプルなものから大きく逸脱しない。

といったところはきちんと押さえられていて、だから五歳児が観ても(全部はわからなくても)楽しめるのだろう。
このへんはさすがドラえもん映画だ。



この映画の見どころのひとつは
「のび太たちが一度家に帰った後、さらわれた仲間を助けにいくために再結集する」というシーン。
ポスターにもなったシーンだ( https://corobuzz.com/archives/133477 )。

台詞はほとんどないが、「死をも覚悟して心の中で家族に別れを告げる」姿が胸を印象的だ。
特にスネ夫に関してはへたれであるがゆえにその葛藤も大きいであろうことが想像できて、より胸を打つ。

のび太やジャイアンは映画版だとやたらかっこいいが、スネ夫は映画でも臆病で保身的な人間として描かれる。
『のびたの恐竜』では、命の危険を背負ってでもピー助を故郷に送りとどけようとするのび太(とジャイアン)に対して、スネ夫はピー助をハンターに売りわたして自分たちの命を助けてもらおうとする。
のび太とジャイアンの男気が光るシーンだが、ぼくだったらスネ夫側につく。他者(しかも恐竜)を救うことよりも自分の身を守ることを真っ先に考える。ほとんどの人間はそうだろう。
じつはスネ夫がいちばん人間らしいキャラクターなんだよね。だからこそ『のび太の宇宙小戦争』で活躍するスネ夫にはぐっとくる。

『月面探査記』で、再集合の時刻にスネ夫だけは姿を現さない。
怖気づいてしまったのかという雰囲気が漂う中、ジャイアンが「もう少しだけ待ってみようぜ」と言う。
そこに現れるスネ夫。「前髪が決まらなくって」と言い訳。

このシーンが、いちばん好きだった。


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2019年1月28日月曜日

【DVD鑑賞】『悪の教典』

『悪の教典』

(2012年)

内容(Amazon Prime Videoより)
「2010年ミステリーベスト10」、「このミステリーがすごい!2011」でともに第1位を獲得した貴志祐介原作『悪の教典』を、鬼才・三池崇史監督が映画化。高校教師・蓮実聖司は、自らの目的のためには、たとえ殺人でも厭わない。そして、いつしか周囲の人間を自由に操り、学校中を支配しつつあった。全てが順調に進んでいた矢先、小さな綻びから自らの失敗が露呈してしまう。それを隠滅するために考えた解決策は、クラスの生徒全員を惨殺することだった…。 『海猿』で人命救助の海上保安官を演じた伊藤英明が、他人への共感能力を全く持ち合わせていないサイコパスの人格を持つ高校教師・蓮実聖司を演じる。生徒役には『ヒミズ』で、ヴェネチア国際映画祭で日本人初となる新人俳優賞をW受賞した二階堂ふみと染谷将太。 

小説がおもしろかったので鑑賞。
やはり上下巻あるボリュームの小説を二時間の映画にするのは相当無理がある。数十人の登場人物がいる話だし。
ぼくは原作を読んでいたのでかろうじてついていけたが、そうでない人には何がなにやらわからないだろうな。
少なくともアメリカのエピソードなんかはカットでよかった。
また「屋上に避難するように」というアナウンスは入れながら、それが罠だという説明をしないのはあまりに不親切だ。表面だけ映像化しているからこういうことになる。


なにより残念なのが、後半の学校での大量殺戮シーン。
三文オペラの軽快な音楽に乗せて蓮見教師が生徒たちを次々に殺していくところはこの映画の最大の見どころだと思うし、じっさいよくできている。殺戮シーンにこういう表現が適当かどうかはわからないが、痛快で楽しかった。生徒たちが誰ひとり立ち向かおうとせずに逃げまどうだけなのはリアリティに欠けるが。

だがこのシーンだけを切り取れば名シーンといえなくもないが、残念ながらこの作品の中ではとんでもなく浮いてしまっている。
なぜなら、蓮見教師が「楽しんで」殺戮をくりかえしているように見えてしまうから。

原作小説を読んだ人ならわかると思うが、蓮見教師は快楽殺人者ではない。ただ単に他人に対する共感能力をまったくもたない人間(サイコパス)であり、彼にとって殺人は単なる手段であって快楽でもなければ苦役でもない。
我々が「客が来るから家を掃除しなきゃ。めんどくさいけど、でもどうせ掃除するなら好きな音楽でもかけながらやろう」と思うぐらいの感覚で、蓮見教師は殺人をする。

そこが彼のおそろしさであり魅力なのだから、ここは何がなんでも丁寧に描かなければならない。
楽しそうに見えてしまったら凡庸な快楽殺人者にしかならない。
他の些事には目をつむるが、この点のみが大いに残念。
主役・伊藤英明の演技は「共感能力からっぽのイケメン好青年」にぴったりですばらしかったけどね。

あっ、あとエンディングのEXILEはひどすぎて笑うしかなかった。いやEXILEが悪いわけじゃなくて、この映画に合わなさすぎて。
だって学校で数十人の生徒が惨殺されるという事件が起こった直後に流れる歌が
「もっとポジティヴになってLive your life♪」だよ? 笑わせようとしてるとしか思えない。

サイコパス・蓮見よりもこの映画の主題歌をEXILEにしようと思ったやつの考えのほうが怖いわ。

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2019年1月17日木曜日

『ホーム・アローン』と己の成長


五歳の娘といっしょに『ホーム・アローン』を観る。

「なんだかつまらない。ディズニーがよかった」と娘がいうのを、
「もうちょっと待ったらすごくおもしろくなるから」と説得しながら。

「ほら。この子が家にひとりで置いていかれちゃったんだよ」
「おかあさんはケヴィンを置いてきちゃったことにまだ気づいてないよ」
「この人たちは悪い人で、ケヴィンの家に泥棒に入ろうとしてるんだよ」
と解説をしながら。

そういえばぼくがはじめて『ホーム・アローン』を観たときも(小学生だった)、父がストーリーを説明してくれたっけ。

途中まで退屈そうにしていた娘も、後半になってケヴィンが泥棒をやっつけるところでは大爆笑。
げらげら笑いながら楽しんでいた。

「ほらね、おもしろかったでしょ」とぼくも満足した。



中学生のとき、友人三人と「カルキン・クラブ」というクラブを結社していた。

カルキンとは『ホーム・アローン』の主役だったマコーレー・カルキンのこと。
『ホーム・アローン』で一躍スターになったカルキン坊やの家庭が、大金を手にしたことで家族内に不和が生じて一家離散し、カルキンも後に薬物の不法所持で逮捕されたという絵に描いたような転落人生を送ったことを知ったぼくらは、それをおもしろがって「カルキン・クラブ」をつくったのだ。中学生とはなんて残酷なんだろう。

「カルキン・クラブ」の活動は、たまに誰かの家に集まってビデオを観ること。
はじめは『ホーム・アローン』『ホーム・アローン2』『リッチー・リッチ 』など、マコーレー・カルキン主演の作品を観ていたが、そのうちカルキンとは無関係の映画を観る会になった。

そんなわけで、ぼくは今までに『ホーム・アローン』を何度も観ている。



純粋におもしろがっていた小学生時代、
「主演子役の転落人生」という裏側を意地悪く冷笑していた中学生時代、
そして子どもの反応を楽しむようになった今。

いろんな楽しみ方ができる『ホーム・アローン』は名作だ。


2018年12月25日火曜日

【映画感想】『シュガー・ラッシュ:オンライン』

『シュガー・ラッシュ:オンライン』

内容(Disney Movieより)
 好奇心旺盛でワクワクすることが大好きな天才レーサーのヴァネロペと、ゲームの悪役だけど心優しいラルフ。大親友のふたりは、アーケード・ゲームの世界に暮らすキャラクター。
そんなふたりが、レースゲーム<シュガー・ラッシュ>の危機を救うため、インターネットの世界に飛び込んだ!そこは、何でもありで何でも叶う夢のような世界――。しかし、思いもよらない危険も潜んでいて、ふたりの冒険と友情は最大の危機に!? 
果たして<シュガー・ラッシュ>と彼らを待ち受ける驚くべき運命とは…。

(『シュガー・ラッシュ:オンライン』のネタバレを含みます)

劇場にて、五歳の娘といっしょに鑑賞。

うーん、おもしろかったかと訊かれたらまあおもしろかったんだけど、ぼくは好きじゃないな。
というかディズニーがこんなの作っちゃだめでしょと言いたくなる作品だった。

世俗的すぎるというか。いや、率直に言おう。低俗だ。
ゲームの世界を舞台にした前作『シュガーラッシュ』でも、「ん? これは子ども向けなのか?」と首をかしげてしまうシーンが多かったけど、今作はインターネットの世界が舞台ということでもっとひどい。

ポップアップ広告が出てきてクリックしするとあっという間にべつのWebサイトに連れていかれるとか、検索エンジンに単語(「バレエ」とか)を打ちこむとものすごい勢いで検索候補(「バレエ教室」「バレエシューズ」「バレエダンサー」とか)を出されるとか、「インターネットあるある」がそこかしこにちりばめられているんだけど、ぼくには理解できるけど五歳の娘はさっぱり理解できていなかった(パソコンやスマホをさわらせないようにしているので)。

あげくにラルフが動画投稿サイト「BuzzTube」に動画を投稿して金を稼いだり炎上したりするという展開は、あまりにも時代性が強すぎてたしなみがない。
いやディズニーにそういうの求めてないから。何年たっても変わらないおもしろさを期待してるから。

さらに、予告篇でも話題になったプリンセス大集合のシーン。
白雪姫、シンデレラ、オーロラ姫、ポカホンタス、ムーラン、ジャスミン、アナ、エルサ、ラプンツェル、モアナ、メリダといったディズニーの歴代プリンセスが一堂に会してくっちゃべっている。
うちの娘はこれを観るために映画館に行ったようなものだ(プリンセスだけでなく、バズ・ライトイヤーやベイマックス、ニック・ワイルドといったキャラクターも出演している)。
ぼくも歴代プリンセス勢ぞろいに、「おおっ、豪華キャスト!」とテンションが上がった。
だが、その内容には失望した。

プリンセスたちが愚痴をこぼしたり、「プリンセスが夢を語るときはスポットライトが当たって歌いはじめるのよ」なんて台詞を当のプリンセスに言わせたり、メリダが話した後に他のキャラクターに「彼女だけべつのスタジオの制作だから」と言わせたり(『メリダとおそろしの森』はピクサースタジオ制作)。
とにかくセルフパロディや内輪ネタがひどい。
一時的なウケを狙いにいくあまり長い時間をかけて築いたブランドを棄損していることに気づいてんのかな(ちなみに劇場でもぜんぜんウケてなかった)。
もう一回言うけど、ディズニーにそういうの求めてないから

無関係の人が「ディズニーランドのキャラクターの中の人が……」と言う分にはおもしろくても、当のキャラクター自身が着ぐるみ脱いで「ほら着ぐるみでしたー!」ってやってもぜんぜんおもしろくない。
こっちはわかってて騙されてんのに、ディズニー自身がその夢を壊したらダメ。

ぼくは「宝くじなんて買えば買うほど損するだけだよ」という意見だけど、宝くじ売り場のおばちゃんがそれを口にしてはいけない。
それを言っちゃあおしめえよ、というやつだ。



何もディズニーに変わるなといっているわけではない。
逆説的だけど、ずっと同じように愛されるためには、ずっと同じでいてはいけない。
だが変わるということは、それまで築いてきたものを破壊することではない。古きを残しつつもその上に新しさを構築することだ。

『アナと雪の女王』があれだけヒットしたのは、「女性はすてきな男性に愛されることが幸せ」という古い価値観から脱却したことが大きな要因だろう。
だがアナやエルサという存在は、オーロラ姫やアリエルのような「王子様に守られるかよわいプリンセス」を否定しているわけではない。新しい価値観を提示しただけだ。
だからこそ、旧来のディズニーファンにも受けいれられたし、新たなファンを獲得することにもつながった。

『シュガーラッシュ・オンライン』も新しい価値観の提示に挑戦していた。
パーカーを着たプリンセスがいてもいい、危険なダウンタウンで命を賭けたカーレースに興じるプリンセスがいてもいい。
その試み自体はすごくよかった、だがヴァネロペというキャラクターの夢と対比させるために、歴代プリンセスを茶化す必要はなかった。
「女性がもっと働きやすい社会にしよう!」というメッセージ自体は大賛成だ。だが、専業主婦という存在まで否定すべきではない。



『シュガーラッシュ・オンライン』はおもしろかった。特にラストのプリンセスたちがそれぞれの強みを生かしてラルフを助けるシーンなんて最高だ。ディズニーファンなら昂奮することまちがいない。

だが、同時にディズニー史に残る失敗作でもある。
ディズニーにとってはこの映画によって得たものより失ったもののほうが大きかったんじゃないだろうか。長期的に考えれば特に。

一言でいうなら「悪ふざけが過ぎる」映画だった。ディズニーがまた迷走期に入らなきゃいいけど。


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