罪の轍
奥田 英朗
(少しネタバレを含みます)
息詰まる迫力のクライムサスペンス。
北海道の礼文島で漁師をしていた青年。記憶力が悪いため周囲から「莫迦」と呼ばれ、道徳心が低くあたりまえのように窃盗をはたらく。放火と窃盗をはたらいて逃げるように東京に出てきてからも悪気なく窃盗をくりかえす。
やがて青年の周囲で殺人事件が起きる。殺人を犯したのは窃盗常習犯の青年なのか。警察の捜査の手が青年の近くまで伸びたとき、日本中を揺るがす誘拐事件が発生。はたして誘拐事件の犯人は「莫迦」と呼ばれる青年なのか……?
作中では「吉夫ちゃん誘拐事件」となっているが、明らかに戦後最大の誘拐事件とも呼ばれる 吉展ちゃん誘拐殺人事件(Wikipedia) をモチーフにした事件。
ただしあくまでモチーフであり、酷似している箇所もあれば、ぜんぜんちがう創作の部分もある。
この年に黒澤明の『天国と地獄』が公開され、その影響で身代金目的の誘拐事件が増えたそうだ。背景には電話機の普及もあるそうだ。なるほど、電話はスピーディーかつ匿名でのやりとりができるから誘拐事件に向いているのか。考えたこともなかったな。
吉展ちゃん誘拐事件は日本で初めて報道協定が結ばれた事件であり、テレビで犯人の音声を公開して大々的に公開捜査がおこなわれた事件であり、この事件を契機に電話の逆探知が可能になった事件でもあり、様々な面で日本誘拐事件史における転換点の事件だったようだ。
それはつまりこの時点で警察に誘拐事件捜査のノウハウがなかったということでもあり、『罪の轍』ではそのあたりの警察のドタバタを丹念に描いている。
警察署ごとの面子争いのせいで連携がうまくとれなかったり、身代金として用意していた紙幣の番号を控えわすれたり、急な予定変更に対応できず身代金から目を離してしまいその隙に持ち逃げされたり、テレビで情報提供を呼びかけたせいで有象無象の情報が寄せられて混乱をきたしたり……。
これらの大部分は、実際の吉展ちゃん誘拐事件でも実際にあったことだという。戦後の日本の誘拐事件で、犯人が捕まらず、身代金奪取にも成功したのは0件だそうだ(もっとも警察に知らされなかった事件があった可能性はあるが)が、それもこうした失敗を踏まえて捜査が洗練されてきたからなのだろう。
犯人側の視点から描いたクライムサスペンスはいろいろ読んだことあるが、『罪の轍』が特異なのはその犯人像だ。
通常、そうした小説で描かれる犯人は、知能が高く、用意周到で、落ち着いて計画を遂行する実行力を持った人物として描かれる。
だが『罪の轍』に出てくる宇野寛治はそうした人物像とはかけ離れている。記憶力が弱く(ただし思考力が低いわけではなさそう)、いきあたりばったりに生きている。その刹那的な生き方ゆえに逮捕されることをあまり恐れておらず、それが犯罪に対する実行力につながっている。実行力があるというより理性が弱いといったほうがいいかもしれない。
この人物像がなかなか新鮮で、悪いことをしでかしてもどこかユーモラスで憎めない。落語に出てくる滑稽な泥棒みたいな感じ。また生い立ちが不幸なのもあいまって、もちろん本人も悪いけど社会も悪いよね、という気になってしまう。
大きな犯罪を成功させるのって周到に計画を立てる知能犯じゃなくて、案外こういういきあたりばったりのタイプなのかもしれないな。いきあたりばったりで無駄な行動が多いから警察も行動パターンが読みにくいし。自分が捜査する側だったら、「なんも考えてない犯人」がいちばん恐ろしいかもしれない。
犯人側、その周囲の人々、警察の動き、どれも丁寧に書いていてそれぞれおもしろかった。
ただ、ラストの復讐のための逃亡劇だけは違和感をおぼえた。ここだけ人が変わったようになるんだもの。無目的に生きてきた犯人が、突然使命感に燃えて行動しはじめる。きっかけがあるとはいえ、ころっとキャラクターが変わってしまうのにはついていけない。
そもそも、何を考えているかわからないこそ不気味で魅力的だったのに、最後は復讐のためというわかりやすい行動。凡庸な人間になってしまった。
ところでこの小説、同著者の『オリンピックの身代金』の登場人物がかなり登場している(書かれたのも、作中の時系列的にも『罪の轍』のほうが先)。
単独の犯罪者 VS 警察組織 という物語の内容も似ているが、個人的には『オリンピックの身代金』のほうが好み。『オリンピックの身代金』の犯人のほうが心理がわかりづらくて不気味だったのと、国民の命よりも面子のほうを重視する警察や国家という組織の姿をも描いていたから。
やっぱり人間も組織も、わからないからこそ魅力的だしわからないからこそ怖いんだよね。
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