2024年4月26日金曜日

小ネタ13

馬鹿の故事

 秦の政治家が鹿を馬だと言い張り、部下たちに「これは馬だな」と訊いた。彼を恐れた部下は「鹿です」と答えた。正直に「馬です」と答えた部下もいたが、その部下たちは殺された。

 ……という逸話から「馬鹿」という言葉が生まれたという説がある。

 なかなかよくできたエピソードだ。というのは、「知らないこと」「まちがえること」をバカと呼んでいるのではなく「まちがいに気づいていながら気づかないふりをすること」「まちがいを認めないこと」をバカと呼んでいるからだ。知見に満ちている。

 つまり、思考することが苦手な首相がとんちんかんなことを言ってしまうのが馬鹿なのではなく、それに対して記者会見で見解を求められた官房長官が「その指摘はあたらない」と回答することが馬鹿だということだ。


高度なダジャレ

 青酸カリの生産管理


小さなお葬式

 うちの5歳児がよく「ちいさなお葬式♪」ってCMソングを歌うんだけど、今日会った友人の子(6歳)も「ちいさなお葬式♪」と歌ってた。こないだは近所の8歳の子も歌ってた。

 あのメロディには子どもに刺さる何かがあるんだろうか。

 子どもが葬儀屋のCMソングを歌っていることにぎょっとするから余計に印象に残るのかもしれないが。


好景気

「今の日本は賃金も上がってるし失業率も低いから好況だ!」と主張している人がいて、それに対し「こんなに庶民の生活が苦しいのにどこが好景気だ!」と反論してる人がたくさんいた。

 今が好景気かどうかは知らないが、少なくとも「庶民の生活が苦しいのにどこが好景気だ!」という反論は誤っている。

 勘違いされがちだが、好況下においてべつに庶民の暮らしは良くならない。漫画サザエさんを読むと、高度経済成長期にニュースで物価値上がりを伝えていて、サザエさんが「家計が苦しいわ」とぼやいているようなシーンが出てくる(はっきりした記憶ではないが)。

 好況であれば物価が上がり、物価が上がれば貯金は目減りする。ふつう賃金の上昇は物価上昇よりも遅れてやってくるから、安定した職についている人、年金受給者、貯金で食っている人などの生活は苦しくなる。そういう人たちにとってはデフレ不況のほうがむしろありがたい。

 逆に、投資家や求職者、借金を抱えている人などにとっては好況のほうが得をすることが多いだろうが、どちらかといえば好況で生活が苦しくなる人のほうが多いのではないだろうか。

 本来「好況」と「暮らしが楽になるか」はまったくべつのものなのだが、そこを一緒に考える人は多い。

 なぜかというと、漢字のせいだろう。

 好況、好景気という漢字を見ると、さも良いことずくめのようにおもえてしまう。好転、好評、好機、好人物、好青年、好印象と好がつく熟語はプラスの意味を持っている。だから「好況」「好景気」という単語を見ると良いものとおもってしまうのだ。そして「不評」「不人気」などに引っ張られて、不況、不景気は悪いものとおもってしまう。

「好況」は英語だと「boom」である。「boom」には他に「急激な増加」とか「ドーンという大きな音」とかの意味があるので、「好」というよりは「大」とか「拡」とかの意味が近いのではないだろうか。

 好景気とは単純にいえば経済の拡大であり、拡大にはいい影響もあれば悪い影響も伴う。「好景気=いいもの」「不景気=悪いもの」という思い込みから脱するために、「好景気」「好況」ではなく読みはそのままに「広景気」「広況」の字を充てるのはいかがだろう。「高」の字でもいい。対義語は、経済の動きが鈍るという意味で「歩景気」「歩況」で。


2024年4月25日木曜日

小ネタ20

ウソ豆知識

 大阪には喜連瓜破(きれうりわり)という地名があるが、この地名の成り立ちは喜連+瓜破ではなく、喜+連瓜破(き+れうりわり)である。


すずめの戸締り

『すずめの戸締まり』を観た。地上波放送で無料で観たのであんまりえらそうに言える立場じゃないけど……。

 家族での視聴だったので最後まで観たけど、ひとりだったら途中で止めていたな。細かいところが雑なんだもん。

 地震を引き起こす存在がいるとか、それを鎮める力を持った人がいるとか、人が椅子に変えられるとかは、べつにいい。そういう設定だから。

 でも「ふくらはぎぐらいの深さがある水たまりに、主人公の女子高生が靴も靴下も脱がずにいきなり入っていく」「椅子に変えられた男が、物理法則を無視して空間を自由自在に飛び回れるようになる」「男の友人の器が琵琶湖より広く、車が事故って壊れても笑って許す」とかは雑すぎて許せない。

「そうしないと制作者がおもう方向にストーリーを持っていけないから」以上の理由がないんだよなあ。

 実際にあった東日本大震災を扱った映画でその雑さはないんじゃない?


対義語

「冷たい」の反対は「厚い」ではなく「熱い」だが、「冷遇」の反対は「熱遇」ではなく「厚遇」だ。

「厚顔」はあつかましいという意味だ。その反対の意味の漢字を使って「薄顔」という熟語を作ってみる。「薄顔」という字を見て「ひかえめ、謙虚」という意味だとおもう人はいないだろう。ほとんどの人は「薄情そうな顔」あるいは「単純に薄い顔(特徴のない顔)」という意味だと推測するんじゃなかろうか。

 顔は厚くても薄くてもいけないらしい。



【読書感想文】渡辺 佑基 『ペンギンが教えてくれた物理のはなし』 / マグロはそこまで速く泳がない

ペンギンが教えてくれた物理のはなし

渡辺 佑基

内容(e-honより)
ペンギン、アザラシ、クジラにサメにアホウドリ…大自然を生き、その生態が多くの謎に包まれた野生動物たち。彼らに直接記録機器を取り付ける「バイオ(bio=生物)+ロギング(logging=記録)」によって明らかにされた、驚きの姿とは?若き生物学者が七転八倒しながら動物たちの背景にある物理メカニズムを読み解き、進化的な意義に迫る!第68回毎日出版文化賞受賞作。

 おもしろかった!

 バイオロギングという手法(生物に記録装置をとりつけてなるべく自然な行動を測定する方法)を使って野生生物の生態を研究している生物学者による、研究ルポ。

 「生物学者なのになぜ物理の話?」とおもうかもしれないが、読めばわかる。生物の行動を知るには物理の知識がかなり有用なのだ。それを、ぼくのようにたいして物理の知識がない人間にも(なんとなく)わかるように伝えてくれる。文章も軽妙で、おもしろい。



 たとえば。

 マグロという魚は、他のあまたの魚類とは根本的に異なる生理的な特徴をひとつもっている。
 体温が高いのである。種やサイズにもよるが、マグロ類はまわりの水温よりも一〇度ほど高い体温を常に保っている。血管や筋肉の配置が特殊化しており、尾びれの往復運動によって発生した熱を体内にため込むことができるからである。
 魚類は変温動物であり、体温は周りの水温と常に等しいというのが一般的な常識である。けれども中にはマグロのような常識外れの魚がいることを覚えておこう。
 ともあれ体温が高ければ筋肉の活性が上がるので、マグロは尾びれをすばやく振り続けることができる。尾びれの振りの速さはそのまま遊泳スピードに直結するので、マグロは他の魚に比べて速く、持続的に泳ぐことができる。
 そして速く泳ぐことができれば、途方もない長距離の回遊も限られた時間内に成し遂げることができる。たとえば東西に八〇〇〇キロも広がる太平洋を、もしも時速二・五キロのイタチザメが横断しようとすれば、片道一三三日もかかる計算になる。いっぽう時速七キロのマグロなら、わずか四八日でそれができる。ただし実際の魚は矢のように直進するのではなく、水平的にも鉛直的にもうろうろするので、それよりはずっと長くかかる。

 マグロが速く泳げるのは、体温が高いからだという。運動効率を上げるためには体温が大事だとは知らなかった。変温動物であるにもかかわらず体温を高められるように進化したマグロは、他の魚よりも速く泳げるようになった。生物はいろんな進化をするものだ。

 また、体が大きいほど速く移動できるという。代謝速度はおおよそ体重の3/4乗に比例するが、水の抵抗は体表面積(体重の2/3乗)に比例する。だから体が大きくなるほど代謝速度の余剰が生まれるというわけ。

 そういや短距離走のトップ選手もみんな身体でかいもんなあ(たとえばウサイン・ボルトの身長は195cn)。移動の無駄をそぎ落としていけば、最終的には身体の大きさの勝負になるのか。


 ところで、マグロはどれぐらいのスピードで泳ぐか知っているだろうか?

 ぼくは「80km/hを超える」という話を聞いたことがある。本によっては「100km/h以上の速度で泳ぐ」と書いてあるそうだ。ところが著者によるとそれはとんでもない大間違いで、せいぜい7km/hぐらいなんだそうだ(それでも海中ではダントツで速い)。

 100km/hと7km/hではぜんぜんちがうじゃないかとおもうが、それぐらい海中の生物の生態のことはよくわかっていなかったそうだ。実験場で計測した値(速度ではなく力を測ったりするらしい)と、野生のマグロを計測した値ではそれぐらい違うらしい。

 ちなみに「マグロ 速度」で検索すると、わりと信頼あるサイトでも「マグロ100km/h近い説」を掲げている。

 ほんとはどっちが正しいかはぼくには判断できないけど、やっぱり水中で100km/hってのは無理がある気がする。水中の移動は空気中の十数倍の抵抗を受けるんだから。



 渡り鳥などの移動を記録するジオロケータの説明。

 動物の移動はGPSを使って計測しているのかとおもいきや、そうでもないらしい。GPSは、位置情報を装置自体に記録しているため、動物につけて移動を記録した後、再度同じ動物を捕まえて装置を回収しなくてはならないらしい。しかし一度放した野生生物をふたたび捕獲するのは至難の業。GPSを回収しないことにはどこにいるかもわからないしね。

 そこで、GPSを使わずに位置情報を計測するのがジオロケータだ。

 ジオロケータは数分に一回程度、周りの明るさ(照度)を記録する。測位に使うパラメータはそれだけ。ジオロケータが小型化できるのも、そのわりに長もちするのも、電波を発信したりせず、ただ黙々と照度を記録していくだけだからである。そして一年間の照度の記録から、一年間の鳥の移動経路を算出することができる。
 照度から移動経路がわかる。これは狐につままれたような、でも言われてみればごく簡単な、大航海時代の船乗りも使った天測である。
 一日のうちの照度の変化に注目すれば、照度が急に上がった日の出の時刻と、照度が急に下がった日の入りの時刻がわかる。そして日の出の時刻と日の入りの時刻がわかれば、その日の昼間の長さがわかる。さらに日の出と日の入りの真ん中をとれば、南中の時刻もわかる。必要なのは昼間の長さと南中の時刻。さあ、これで測位の準備は早くも完了。
 地球スケールで見たとき、昼間の長さは緯度(南北方向)によって変化する。夏の間は緯度が高くなるほど昼は長くなるし、逆に冬の間は、緯度が高くなるほど昼は短くなる。だから昼の長さがわかれば、おおざっぱな緯度を推定することができる。
 次に南中の時刻。再び地球スケールで見たとき、南中の時刻は経度(東西方向)によって変わる。たとえば東京とロンドンとでは九時間の時差があるから、南中の時刻もだいたい九時間ずれている。だから南中の時刻がわかれば、ざっくりとした経度を推定することができる。
 このようにして照度の記録から、地球上のだいたいの緯度、経度を推定するのがジオロケータの測位システムである。シンプルこのうえなし。

 なんと時刻ごとの照度の推移がわかれば地球上のどこにいるかがわかるというのだ。

 精度が粗い、春分の日と秋分の日の前後はは機能しない(地球上どこにいても昼と夜の長さが同じになるので)などの問題はあるそうだが、「明るさを計測するだけで場所が特定できる」ってのはすごい仕組みだなあ。

 緯度が低いほど昼の時間が長いとか、南中時間は東に行くほど早いとか、理科の授業で習うから知識としては知っていても、こうやって実際に活用することはむずかしい。

 生物学と物理学と天文学の知識が結びつく。わくわくする話だ。



 あとおもしろかったのは、鳥の翼の話。

 烏にとって飛行速度を下げられるメリットは大きい。ゆったりと空中を舞いながら周辺を広く見渡し、食べ物を探すことができるし、グンカンドリの場合は空中で速度を落とし、ターゲットの鳥にいやらしく付きまとうことができる。そのうえ遅く飛ぶことができれば、上昇気流に乗って上空で円を描く際、円の半径を小さくできるので、規模の小さな上昇気流をうまく利用できるというメリットがある。
 これには少し説明が必要かもしれない。上昇気流に乗って円を描くとき、烏の体には外向きの遠心力がのしかかる。遠心力が強すぎると、カーブで曲がりきれない車のように鳥の体も円の外にはじき出されてしまう。 遠心力は「(速度)の二乗(回転半径)」に比例する。外にはじき出されないよう遠心力を低く保つためには、分子である速度を下げるか、分母である回転半径を増やすか、どちらかしかない。大きな翼のおかげで速度を下げることできれば、回転半径は増やさないで済む。つまり小回りができるようになる。しかも遠心力に対して速度は二乗で効く。ということは、速度をほんの少しでも下げることができれば、回転半径はずっと小さくて済む。
(中略)
 意外なことに、鳥の普段の生活で重宝するのは遅く飛べる能力である。遅く飛べる鳥は速くも飛べるが、速く飛べる烏が遅く飛べるとは限らない。

「速く飛ぶより遅く飛ぶ能力のほうが大事」ってのはおもしろいね。なるほどなあ。ふつうは遅く飛ぶと落っこちちゃうもんな。遅く飛べるってことはそれだけ飛行技術が高いってことか。

「自転車は速く進むよりも遅く進むほうがむずかしい」にも似ているかもしれない。子どもの自転車はたいてい速すぎるし、年寄りの自転車は遅いせいでふらふらしている。



 著者が自分で書いているように、後半になるほどどんどんおもしろくなる。

 科学解説のパートだけでなく調査にまつわるエッセイ部分もおもしろい。科学好きにはおすすめの本。


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2024年4月23日火曜日

【読書感想文】三井 誠『人は科学が苦手 ~アメリカ「科学不信」の現場から~』 / 宗教と科学が共存しない国

人は科学が苦手

アメリカ「科学不信」の現場から

三井 誠

内容(e-honより)
子どものころから科学が好きだった著者は、新聞社の科学記者として科学を伝える仕事をしてきた。そして二〇一五年、科学の新たな地平を切り開いてきたアメリカで、特派員として心躍る科学取材を始めた。米航空宇宙局(NASA)の宇宙開発など、科学技術の最先端に触れることはできたものの、そこで実感したのは、意外なほどに広がる「科学への不信」だった。「人は科学的に考えることがもともと苦手なのではないか」―。全米各地に取材に出かけ、人々の声に耳を傾けていくと、地球温暖化への根強い疑問や信仰に基づく進化論への反発の声があちこちで聞かれた。その背景に何があるのか。先進各国に共通する「科学と社会を巡る不協和音」という課題を描く。

 世界でいちばん多くノーベル賞受賞者を輩出し、科学の分野でトップを走るアメリカ。

 その一方で「地球温暖化は陰謀」など誤ったことを四六時中垂れ流すドナルド・トランプ氏を大統領に選ぶ国でもある。

 アメリカ特派員となった科学を愛する著者が見た「アメリカ人の科学に対する考え方」とその背景とは――。



「アメリカでは進化論を否定していて、神が全生物を創造したと信じている人が多くいる」という話を聞いたことがある。

 んなアホな、とおもった。

 そりゃあどの国にだってアホな人はいるだろう。日本人だって進化論をきちんと理解している人は少ない。現生のサルが進化してヒトになったと勘違いしている人も多い。

 でも、どうやら「どこにだって一定数のアホはいるよね」という話でもないようなのだ。

 米ギャラップ社の世論調査(2017年5月)によると、「神が過去1万年のある時に人類を創造した」との考え(創造論)を支持する回答が38%に上った。米国人の3人に1人は今でも、数百万年にわたる人類の進化を否定し、神が突然、人類を創造したと考えているのだ。「人類は数百万年にわたり進化してきたが、そこには神の導きがある」とする回答への支持も同じく38%だった。このグループは、「神が約6000年前に人類を創造した」とする保守的なキリスト教のグループとは違って数百万年にわたる人類進化を認めつつも、そこには「神の導き」があるとする。化石などの証拠との矛盾はないが、「神のおかげ」という考え方は維持している。

 神が1万年前に人類(今の人類と変わらないヒト)を創造したと考える人が4割近く。進化したことは認めつつも生存競争と自然淘汰によるものではなく神のお導きによるものだと考える人も4割近く。あわせると4人に3人が神の介入を信じている。

 アメリカには「創造博物館」なる博物館もあり、そこでは進化論をまっこうから否定して、「恐竜と人類が同じ時代に生きていた展示」などがおこなわれているらしい。


 まあ日本にも「南京大虐殺はでっちあげ!」派など歴史捏造が好きな人たちがいる。たぶんどこの国にもそういう人はいるのだろう。

 アメリカがすごいのは、この手の「創造論支持者」が政治的な力を持っていて、「学校で進化論を教えるな! 創造論を教えろ」という運動になり、州によっては州法で「創造論を教えること」「進化論に対する懐疑的な姿勢を育てるように」などと定められたこと。さすがは自由の国。自由の国にするということはこういうことも引き受けないといけないってことなんだなあ。


「創造論支持者」の考えは、何度読んでも理解しづらい。

 日本にも熱心な仏教徒やクリスチャンはいるが、科学を否定する話は聞いたことがない。

 生まれ変わるとか天国や地獄があるとか、科学と矛盾することについては「それはそれ、これはこれ」って感じで、わりと割り切っている。たぶん僧侶ですら、経典の教えを文字通り信じているわけではないだろう。「こう考えたほうがよりよく生きられますよね」ぐらいの考え方だとおもう。

 昔、エホバの証人の信者が、命を救うために輸血をした医師に対して訴訟を起こした事件があった。大きな話題となったが、それが大きな話題となるということは、それが特異な思想だったからだ。

 大半の人は、信仰を持っていたとしても、信仰と科学は分けて考えている。でもアメリカには信仰で科学を上書きしている人が多いらしい。



「アメリカ人の多くが進化論ではなく創造論を信じている。人類と恐竜が同時代に生きていたとおもっている」と知ると「アホなんだな」とおもうかもしれない。

 が、どうやらそういうわけでもないらしい。


 知能が高く、かつ、十分な知識もある人でも、「人間の活動が地球温暖化を引き起こしているという話は陰謀だ!」と信じている人が多くいるという。

 それは、知性や、科学に対する知識よりも、党派性のほうが強い影響を持つから。

 具体的にいえば共和党支持であれば、温暖化に関する知識の多い人ほど「地球温暖化陰謀論」に傾き、逆に民主党支持者は温暖化に関する知識が多いほど「地球温暖化は人間の活動が引き起こした」と考えているらしい。

 お互いに「あいつらは知識が足りないからまちがった情報を信じているのだ。理解が深まればおれたちの考えに同意するに違いない」と信じている。ところが実際は逆で、知識が増えれば増えるほど溝は深まっていくのだ。


 ショッキングだったのは、銃規制の場合だ。政治的な思いに応じて結果が異なったのだ。銃規制に前向きな民主党支持者の場合、銃規制が効果を上げて犯罪が減ったとする想定の問題に取り組んだグループでは、計算能力が高い人ほど正答率が上がった。自分の思いを確認できる計算は、きっと楽しかったに違いない。「やっぱりそうだよな」といった感じだ。
 一方、銃規制のために逆に犯罪が増えたとする想定の問題、つまり自分の思い(銃規制をすると犯罪が減る)と異なる想定の問題に取り組んだ民主党支持者では、計算能力が高い人でも正答率は上がらなかった。
 政治的な思いが計算能力を奪っているのだ。銃を持つ権利を重視して銃規制に反対の姿勢を取る共和党支持者の場合でも、この傾向が確認できた。
 銃規制が効果を上げて犯罪が減ったとする想定の問題に参加した共和党支持者は、計算能力が高い人でも正答率がそれほど上がらなかったのだ。問題で示されたデータが、「銃規制すると犯罪が増える」という自分の思いに合わないからだろう。一方、銃規制のために犯罪が増えたとする想定の問題、つまり自分の思いとデータが一致した問題に取り組んだ共和党支持者では、計算能力が高くなるにつれて正答率が上がった。

「自分の信条と異なるデータ」を見せられて、計算問題を出題されると、なんと正答率が下がるという。「こんなはずはない」という思いが計算能力を狂わせるのだろう。

 単純な計算ですら、党派性の影響を受けて揺らいでしまうのだ。まして「総合的にどちらが正しいか判断する」なんて問題では、党派性で目がくらんで正確に判断できなくなるのは明らかだろう。


 政治家が、自分の推し進めている政策を批判されたときによく、「丁寧に説明して理解を深めていきたい」と口にするじゃない。

 反対する側としては「いやいや、理解していないから反対しているわけじゃなくて、理解しているからこそ反対してるんだよ」とおもう。万博の良さを知らないから反対しているわけじゃなくて、知った上でそれを上回る万博の悪さを知っているから反対しているんだよ、と。

 ぼくは政治家の「丁寧に説明して理解を深めていきたい」はその場しのぎの言い訳だとおもっていたんだけど、あれは本気で信じているんだろうなあ。本気で「反対するやつは理解が足りないから反対しているのだ」とおもっているのだ。どうしようもねえな。



 タイトルの通り、人は科学的に判断するのが苦手らしい。

 知能が足りないとか、知識が足りないとかいう理由もないではないが、それより「科学よりも感情や好き嫌いや思想信条を優先させてしまうから」らしい。だから科学者であってもよく間違える。いや、むしろ科学を生業にしている人のほうが、正誤が自身の人生の評価に直結する分、まちがいやすいかもしれない。


 この本には、地球温暖化対策で石炭の使用量が減り、仕事がなくなって困っていた鉱山労働者たちが地球温暖化を否定するトランプを支持した、なんて話も出てくる。こういうのはわかりやすい。その“科学”がまかり通ると自分が困る。だから“科学”を否定してしまう。

 己の損得が科学的な目を曇らせてしまう。それはまだわかる。誰しも陥る罠だ。

 ただ問題は、「科学が苦手」ではなく「科学を悪用する人」もいることだ。

 地球温暖化の科学を認めれば、温室効果ガスを抑えるための政府の規制強化を受け入れることになりかねない。だから、「地球温暖化は起きているかもしれないけれど、人間の影響かどうかはわからない」「地球温暖化が進んだらシロクマは困るだろうが、私たちには関係ない」などと言って、地球温暖化の研究者の見解に異議を差し挟んでいる。
 地球温暖化へのそうした異議を、ヘイホーさんは「本当の意図を隠す煙幕だ」と指摘した。戦場で味方の動きなどを隠す人工的な煙が煙幕だが、ヘイホーさんがいう煙幕は、懐疑派の人たちが「規制が嫌い」という本当の意図を隠すために使う、目くらましのようなものだ。「規制が嫌いだから」とそのまま言うと、わがままなだけと思われるので、「地球温暖化の科学は疑わしい」という「煙幕」を使っているという構図だ。
 だから、煙幕を真正面から受け止めてデータや事実を積み上げて説得しても、議論は空回りになるだけなのだろう。

 人々の経済活動が地球温暖化を引き起こしているとなると、活動が規制されてしまい、儲けが減る。だから「温暖化は陰謀だ」と主張する。

 タバコ業者が「タバコが健康に悪いという決定的なデータはない」と言い逃れをおこない(ほんとはデータがあるのに)、タバコに対する規制を先延ばしにする。

 公害問題が明らかになっても、原因物質を排出している企業が「この物質が原因だという決定的な証拠がない」と言い(たとえどんなに可能性が高くても)、対策を遅らせる。

 原発推進しないと利益が得られない人が「原発は絶対に安全だ」と嘘をつき、強引に稼働させようとする。

 その手の、意図的に誤った結論に誘導しようとする人に対しては、そもそも科学的な議論が成り立たない。なぜならその人や会社にとっては結論が決まっているのだから。どうあっても「だったら二酸化炭素排出の規制を強化しよう」「いったん原発の稼働は見送ろう」という結論に至るつもりはないのだから。だからあるはずのリスクをゼロに見積もってしまう。


「科学は苦手」はアメリカだけではなく、どの国にもあてはまることなんだろうね。ぼくも気をつけねば。


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2024年4月16日火曜日

【読書感想文】奥田 英朗『噂の女』 / 癒着システムの町

噂の女

奥田 英朗

内容(e-honより)
「侮ったら、それが恐ろしい女で」。高校までは、ごく地味。短大時代に潜在能力を開花させる。手練手管と肉体を使い、事務員を振り出しに玉の輿婚をなしとげ、高級クラブのママにまでのし上がった、糸井美幸。彼女の道行きにはいつも黒い噂がつきまとい―。その街では毎夜、男女の愛と欲望が渦巻いていた。ダークネスと悲哀、笑いが弾ける、ノンストップ・エンタテインメント!

 最初の章である『中古車販売店の女』を読み終えた時点での感想は、「奥田英朗作品にしてはつまらないな」だった。

 同僚が中古車を買ったらすぐ故障した。クレームをつけにいくのに付き添いで中古車販売店に行ったら、学生時代の同級生の女がいた。学生時代は地味で目立たない女の子だったのに、やたら肉感的で男好きのするタイプになっていた。昔の同級生に詳しい話を聞くと、中古車販売店社長の愛人をやっているという噂も流れてきた――。

 という話。タイトル通りの「噂の女」で、「田舎にちょっと派手でミステリアスな女がいると暇な人たちの噂のタネになるよね」という話。しかし噂は噂でしかないので、小説の題材としては弱すぎるよな……。




 という印象だったのだが、二篇目、三篇目と読んでいくうちに印象が変わってきた。

 連作短篇集になっていて、登場人物は毎回変わるのだが、噂になっている“糸井美幸”という女だけは共通している。

 そして次第に明らかになってゆく“糸井美幸”の正体。最初は中古車販売店の従業員や雀荘のアルバイトだったのに、主婦になり、高級クラブのママになり、檀家総代になり、大きな金や権力を動かすようになる。

 どうやら社長の愛人らしい、どっかの社長と結婚したらしい、その社長が風呂で死んで遺産を相続したと聞いた、睡眠薬を入手しているようだ、県会議員の愛人なんだそうだ、寺の住職が糸井美幸にそそのかされているらしい……。

 ひとつひとつは単なる噂でも、積み重なっていくと信憑性が増してくる。ただし糸井美幸本人の内面は一切語られない。そもそもほとんどの人は「噂」「属性」で糸井美幸を判断し、彼女自身と向き合おうとしていない。

 はたして糸井美幸は噂通りの悪女なのだろうか。それとも噂は噂でしかないのか。

 このあたりの書き方が実にスリリング。最後まで糸井美幸自身の内面がつまびらかにされないのも、余韻を持たせてくれていい。




 この小説、糸井美幸という女も魅力的なのだが、舞台である岐阜の地方都市の書き方が実にリアルでいい。作者の出身地だけあって、方言まじりの会話も活き活きしている。


 なにがいいって、無関係の人間から見るとこの町が「どうしようもない町」なんだよね。

 中小企業は社長が会社の金を私的に流用して税金をごまかし、そこの社員はやる気をなくしてサボり経費をちょろまかす。失業者は失業保険を不正受給してパチンコ屋に入りびたり、公務員は知人から賄賂をもらって公団住宅の入居権を斡旋する。資産家の家族は遺産をめぐって対立し、ろくな働き口がないシングルマザーは半ば売春の商売をする。土建屋は談合をし、役所の職員は談合を見逃すかわりに甘い天下り先を手に入れる。寺の住職は色仕掛けにころっと騙され、刑事は市民そっちのけで派閥争いに明け暮れる……。

 ほんと、どうしようもない。しがらみ、汚職、利権、天下り、裏金など不正がはびこっており、ほとんどの人間が「こういうものだ」とおもって受け入れている。

「うちもアカン。あやうくお茶ひくところやった。十時になって団体客が来たけど、中央署の警察官の送別会の流れ。もう最悪」
「うそー。可哀想」
「警察官やとあかんの?」博美が聞いた。
「当たり前やないの。平塚さん、知らんの。警察なんかやくざより性質が悪いわ。体は触るわ、威張り散らすわ――」
「そうそう。それに店も大赤字やし」
「なんで赤字になるの」
「警察はどんだけ飲み食いしても一人三千円。この界隈の昔からの決まりごと。ママに聞いたら、店を開いたとき、飲食店組合の上の人が来て、警察とは持ちつ持たれつやでそうしてくれって強制やあらへんけど、いろいろな付き合いを考えると、アンタの店もそうしたほうがええよって言われたんやと。そんなもん脅しやないの」
 博美は彼女たちの打ち明け話に驚いた。世の中に裏はつきものだが、実際に知ると唖然とする。「まあ、その代わり、駐車違反は見逃してもらうけど」
 仲間の建設会社の社長が、役人の再就職受け入れを渋るようなことを言い出したので、日頃親しくしている同業者団体「躍進連合会」のメンバーでその会社に押しかけ、説得にあたることにした。
 躍進連合会とは、名目上は親睦団体ということになっているが、内情は公共事業に携わる地元建設業界の談合組織である。だから説得というより、詰問に近かった。業界のしきたりを破ってどうするつもりだ、というわけである。
 県庁及び市役所の建設部や水道部の退職者を、定年時の役職に応じて四百万円から七百万円の年収で五年間雇用するというのが、会の決まりだった。幹事役は連合会の理事で、もちろん役所側にも斡旋係がいる。談合と天下りが世間で批判されて久しいが、地方は基本的に昔と変わらない。地縁血縁の社会に競争はそぐわないのである。
 幹部が異動する際には餞別を集めるのが、警察のしきたりだった。中でも署長が交代するときは、地域の商工会や飲食店組合が「栄転祝い」を包むのが慣例化していて、その合計金額は数百万円と言われている。署長はおいしいポストなのだ。
 通常は、地元とのつながりが深い地域課や生活安全課が、企業や商店組合を回って集めていた。やくざのミカジメ料とどこがちがうのかと、最初は尚之も驚いたが、今は感覚が麻痺して違和感も消えた。組織のやることに疑問を抱かないのが、警官の出世の早道なのである。

 もちろん小説なので、すべてがほんとにあるかどうかはわからない。

 でも、どっかにはあるんだろうな。少なくとも過去にはまちがいなくあった。

 しがらみや癒着がはびこっているのは地方だけではない。都市にだってある。でも、まだ都市には「不正に手を染めずに生きていく道」がある。

 けれど若い人が減っているような地方で金持ちになるには、権力者にうまくとりいって、ときには不正に手を染めて、もらえるチャンスがある金は不正なやりかたでももらう……という道しかないんだろうなという気がする。だってそういうシステムができあがってるんだから。システムから離れて大っぴらにやっていくことはできない。目立つとシステムの中にいる人たちにつぶされてしまうから。

 しがらみや癒着を前提にしたシステムが嫌いな人は都会に出ていくから、余計に地方のしがらみシステムは強固なものになる。

 『噂の女』の糸井美幸という女は(たぶん)とんでもなない悪女だが、これはこれで適者生存というか、癒着が前提となっている地方都市で何も持たない女がのしあがろうとおもったらこういう方法を選ぶしかないよなあ。まじめに働いている者が報われる社会じゃないんだもの。


「みんなのお金をなんとかしてうまくかすめとる」というシステムで、全体が発展することはない。国体をやろうがオリンピックをやろうが万博をやろうが、それは本来別の誰かがもらうはずだった金をかすめているだけなので全体が潤うことはない。そして地方経済は衰退し、若い人は流出していき、減った利権を守るためにますます不正が横行し……。

 そりゃあ衰退するわな。地方の衰退、国家の衰退の原因がここに詰まっている気がする。

 ま、もちろんそれだけじゃないんだけど。人口減が最大の要因であることはまちがいないんだけど。でも、人口が減っている中で「じゃあいらないところは切ってもっとコンパクトに効率的にやっていきましょう」とできない理由もまた、ここにあるんだよな。

 

 こういう「コネや賄賂や談合や天下りや癒着や便宜がなくなると困る!」って人が世の中にはいっぱいいるんだもの、そりゃあ国政も腐敗しますわなあ。


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