奥田 英朗
最初の章である『中古車販売店の女』を読み終えた時点での感想は、「奥田英朗作品にしてはつまらないな」だった。
同僚が中古車を買ったらすぐ故障した。クレームをつけにいくのに付き添いで中古車販売店に行ったら、学生時代の同級生の女がいた。学生時代は地味で目立たない女の子だったのに、やたら肉感的で男好きのするタイプになっていた。昔の同級生に詳しい話を聞くと、中古車販売店社長の愛人をやっているという噂も流れてきた――。
という話。タイトル通りの「噂の女」で、「田舎にちょっと派手でミステリアスな女がいると暇な人たちの噂のタネになるよね」という話。しかし噂は噂でしかないので、小説の題材としては弱すぎるよな……。
という印象だったのだが、二篇目、三篇目と読んでいくうちに印象が変わってきた。
連作短篇集になっていて、登場人物は毎回変わるのだが、噂になっている“糸井美幸”という女だけは共通している。
そして次第に明らかになってゆく“糸井美幸”の正体。最初は中古車販売店の従業員や雀荘のアルバイトだったのに、主婦になり、高級クラブのママになり、檀家総代になり、大きな金や権力を動かすようになる。
どうやら社長の愛人らしい、どっかの社長と結婚したらしい、その社長が風呂で死んで遺産を相続したと聞いた、睡眠薬を入手しているようだ、県会議員の愛人なんだそうだ、寺の住職が糸井美幸にそそのかされているらしい……。
ひとつひとつは単なる噂でも、積み重なっていくと信憑性が増してくる。ただし糸井美幸本人の内面は一切語られない。そもそもほとんどの人は「噂」「属性」で糸井美幸を判断し、彼女自身と向き合おうとしていない。
はたして糸井美幸は噂通りの悪女なのだろうか。それとも噂は噂でしかないのか。
このあたりの書き方が実にスリリング。最後まで糸井美幸自身の内面がつまびらかにされないのも、余韻を持たせてくれていい。
この小説、糸井美幸という女も魅力的なのだが、舞台である岐阜の地方都市の書き方が実にリアルでいい。作者の出身地だけあって、方言まじりの会話も活き活きしている。
なにがいいって、無関係の人間から見るとこの町が「どうしようもない町」なんだよね。
中小企業は社長が会社の金を私的に流用して税金をごまかし、そこの社員はやる気をなくしてサボり経費をちょろまかす。失業者は失業保険を不正受給してパチンコ屋に入りびたり、公務員は知人から賄賂をもらって公団住宅の入居権を斡旋する。資産家の家族は遺産をめぐって対立し、ろくな働き口がないシングルマザーは半ば売春の商売をする。土建屋は談合をし、役所の職員は談合を見逃すかわりに甘い天下り先を手に入れる。寺の住職は色仕掛けにころっと騙され、刑事は市民そっちのけで派閥争いに明け暮れる……。
ほんと、どうしようもない。しがらみ、汚職、利権、天下り、裏金など不正がはびこっており、ほとんどの人間が「こういうものだ」とおもって受け入れている。
もちろん小説なので、すべてがほんとにあるかどうかはわからない。
でも、どっかにはあるんだろうな。少なくとも過去にはまちがいなくあった。
しがらみや癒着がはびこっているのは地方だけではない。都市にだってある。でも、まだ都市には「不正に手を染めずに生きていく道」がある。
けれど若い人が減っているような地方で金持ちになるには、権力者にうまくとりいって、ときには不正に手を染めて、もらえるチャンスがある金は不正なやりかたでももらう……という道しかないんだろうなという気がする。だってそういうシステムができあがってるんだから。システムから離れて大っぴらにやっていくことはできない。目立つとシステムの中にいる人たちにつぶされてしまうから。
しがらみや癒着を前提にしたシステムが嫌いな人は都会に出ていくから、余計に地方のしがらみシステムは強固なものになる。
『噂の女』の糸井美幸という女は(たぶん)とんでもなない悪女だが、これはこれで適者生存というか、癒着が前提となっている地方都市で何も持たない女がのしあがろうとおもったらこういう方法を選ぶしかないよなあ。まじめに働いている者が報われる社会じゃないんだもの。
「みんなのお金をなんとかしてうまくかすめとる」というシステムで、全体が発展することはない。国体をやろうがオリンピックをやろうが万博をやろうが、それは本来別の誰かがもらうはずだった金をかすめているだけなので全体が潤うことはない。そして地方経済は衰退し、若い人は流出していき、減った利権を守るためにますます不正が横行し……。
そりゃあ衰退するわな。地方の衰退、国家の衰退の原因がここに詰まっている気がする。
ま、もちろんそれだけじゃないんだけど。人口減が最大の要因であることはまちがいないんだけど。でも、人口が減っている中で「じゃあいらないところは切ってもっとコンパクトに効率的にやっていきましょう」とできない理由もまた、ここにあるんだよな。
こういう「コネや賄賂や談合や天下りや癒着や便宜がなくなると困る!」って人が世の中にはいっぱいいるんだもの、そりゃあ国政も腐敗しますわなあ。
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