2026年8月18日火曜日

【読書感想文】中谷内 一也『リスク心理学 危機対応から心の本質を理解する』 / リスクをあるがままに恐れるのはむずかしい

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リスク心理学

危機対応から心の本質を理解する

中谷内 一也

内容(e-honより)
人間には危機に対応する心のしくみが備わっている。しかし、そのしくみにはどうやら一癖あるらしい。感情と合理性の衝突、リスク評価の基準など、さまざまな事例を元に最新の研究成果を紹介。

 人々はどのようにリスクをとらえ、どのように恐れる(または恐れない)かを心理学者が解説した本。ちくまプリマ―新書なので平易な内容。



 身の周りにはたくさんリスクがある。当然ながら我々はリスクを恐れて避けようとするわけだが、正しく避けているわけではない。

 たとえば飛行機に乗るよりも自転車のほうがずっと死亡率が高いのに(飛行機事故による死傷者は年間ゼロに近いが自転車は死亡者だけでも500人以上)、多くの人は自転車に乗るよりも飛行機に乗るときに恐怖を感じる。

 それは認知バイアス(思考の偏り)が生じるからだ。 

 たとえば飛行機事故のほうが大きなニュースになって記憶に残りやすいから(利用可能性ヒューリスティック)、自転車のほうが日常的に利用するから(正常性バイアス)、自分でコントロールするものはリスクを低く見積もってしまうから(制御の錯覚)、といったバイアスにより、自転車よりも飛行機を恐れてしまうのだ。


 数年前に新型コロナウイルスが流行し始めた頃、「変な恐れかた」をしている人をたくさん見た(ぼくもその一人だ)。感染症対策として仕事で他人に会うのは避けるのに飲み会には行く人、感染者が全国で数人しかいなかった初期には大騒ぎしていたのに数万人になったときは大きな話題にしなくなった人(これはほとんどの人がそうだろう)、マスクを一応つけてはいるけど鼻や口を出していた人。みんながよくわかんない行動をとっていた。

 アホな人たちだけではない。賢いはずの人たちですらリスクを正しく見積もることができずに右往左往していた。日本政府ですらそうだった。たとえば最初の緊急事態宣言が発令されたのは2020年4月7日。その頃の1日の新規感染者数は全国で300人程度。今にしておもうと「あわてすぎ。もうちょっと落ち着け」と言いたくなる。でも当時は大真面目だったのだ(政府の人間が賢いかどうかはさておき)。

 リスクをありのままに評価することがいかにむずかしいかがわかる。



「特定可能な犠牲者効果」について。

 犯罪とは真逆の話ですが、顔や名前など個人を特定できる情報とともに、ある個人の苦境が伝えられると助けてあげたいという気持ちが強まり、実際多くの援助が寄せられることがわかっています。これは「特定可能な犠牲者効果(Identifiable Victim効果)」と呼ばれています。統計的に何十万人もの人々が飢餓に直面しているとか、何千人もの人が内戦により避難生活を強いられている、と伝えられるよりも、個人にフォーカスした事例情報は受け手の気持ちに強いインパクトを与え、援助行動を引き出しやすくなります。

「戦争で1万人が死にました」と書くよりも、たった1人の手記のほうがずっと人々の胸を打ち心を動かすことがある。顔も知らない1万人よりも、顔を知っているだけの1人のほうが大きな価値を持ってしまうのだ。

 ぼくはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に定期的に寄附をしているのでときどき会報が届くのだが、そこにはデータよりも「難民となった少年のエピソード」みたいなものに多くのページが割かれている。人を動かすのはデータよりもエピソードだと知っているからだろう。

 それはそれでいい面もあるのだが(自分の家族よりも地球の裏側のことを心配していたら生活が成り立たない)、たとえば政治家のように大局的にものを見ないといけない人はエピソードに釣られないようにしてほしい。


 以前、高校生がいじめを苦に自殺した直後に、とある大臣が「この反省を活かすために各学校はいじめ対策のやり方を見直してほしい」と語っていた。

 冗談じゃない。たしかに不幸な事件だが、たった1件のケースを元に全国的な方針がころころと変わったら現場はやっていられない。仮に「全国的に見れば自殺者が減っている」という状況であれば、現在の方針を大きく変えないほうがいいだろう。政治家は一般人やワイドショーのコメンテーターみたいにそのときの感情で動いてはいけない。


 またこれは、本来統計的に判断を下すべき人がストーリーを持ち出してきたときは要注意、ということでもある。

 政治家が「このような事件がありました。対策をしなければなりません」なんて語りだしたときは、有権者を誤った方向に誘導しようとしている可能性が高いと見ていいだろう。数字で説得できないからストーリーの力に頼るのだ。 



 人は、人工的なものよりも天然のもののほうが身体に良いと思いこんでしまうバイアスも持っている。

 自然への介入が悪いこと、という直観が“天然の方が良い”ヒューリスティックを支え、さまざまな領域で「自然=善、人為的介入=悪」という判断を導くのは興味深いことです。なぜなら、人為的介入は、もともと自然の脅威から人を守るために行われてきたからです。
 多くの技術は、本来、リスク削減を目的として開発されてきましたが、いまやその技術が取りのぞくべきハザードとしてみなされる局面が増えてきたのです。例えば、農薬は病気や虫によって作物の収穫が落ち込むことを避けるために開発されました。食品保存料も、冷蔵技術が不十分な中、食物の腐敗を防いで健康リスクを抑えることに貢献してきました。けれども、現在ではむしろ農薬や食品添加物の利用が削減すべきハザードとみなされています。

(“天然の方が良い”ヒューリスティックとはなんとも野暮ったいネーミングだが、英語の"natural-is-better heuristic"をそのまんま訳したらしい)

 これはおもしろいね。だって本来、人工的なもののほうがいいはずじゃない。天然のままだと利用しにくいから人の手を入れてるわけで。自然のものは雑菌だらけだし傷みやすい。

 だから昔は人工的なもの=いいもの、だったはず。いつから“天然の方が良い”になったんだろう。公害とか環境破壊とかが言われだしたころだろうか。だとしたら“天然の方が良い”ヒューリスティックはせいぜいここ数十年のものだろう。

 たしかに公害とか健康被害を引き起こすような科学技術もあるけど、少なくとも今使われている技術の大半は「天然よりいい(メリットが大きい)」はずなのに。


 オーガニック野菜をありがたがる人って「化学肥料を使わずに育てた野菜」をそれ以外の野菜と比べているようで、ほんとは「化学肥料を使わずに育てた野菜の中の上位ひとにぎり」しか見ていないんだよね。

「塾に通って難関校に入った人」と「塾に通わずに難関校に入った人」を比べて、「塾なんか行かなくていい!」って言ってるようなもの。「塾に通わずに難関校に入れなかった人」の姿は見えてない。



 人がついついやってしまいがちな「思考のクセ」について軽く学べる本でした。


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