今尾 恵介
地図マニアである著者が、学校でおなじみの地図帳をもとに、あれこれと洞察をくわえた本。
これを読んでいて思いだしたんだけど、社会の授業中、ずっと地図帳を見ていた子がいたなあ。クラスに一人はいたんじゃないかとおもう。何がそんなに楽しくて地図帳を見てるんだろうとおもってたけど、たぶんこういうことを考えてたんだな。
ぼくは地図好きな子ではなかったけど、歳をとってから、地図って単なる場所を示すものではなくて、歴史だとか、経済だとか、人々の生活までが見えるものだとわかるようになり、ちょっとおもしろさを感じるようになってきた。
まだひとりで地図を見てにやにやするほどではないけどね。でも地図に詳しい人の解説を読むのは楽しい。
地図帳には、単なる地図だけでなく、いろんな図や表が載っていた。人口、土地面積、雨温図、名産品など。その中に言語分布地図もあった。どの地域がどの言語を使っているのかを示した図だ。
河川の流域図(どの川の水を利用しているかを地域ごとに区切った図)と言語分布地図が似ているのだ。
現代日本ではどこにいってもほぼ同じ言葉を使っているのでわかりづらいけど、かつては、山ひとつ越えたら使っている言葉もぜんぜん違ったのだろう。人の往来がほとんどないので、言葉も文化も独立していたのだ。一方、同じ川沿いの集落であれば、行き来も楽だったはず。交流が盛んであれば言語も近いものになるだろう。
川と言語に密接なつながりがあるなんて考えたこともなかったなあ。
過去の地図帳との読み比べ。
今から50年前には、有明海の大部分を埋め立てて淡水化するという途方もない計画が立てられていた。人口がどんどん増えて、このままじゃ農地が足りないと心配されていた時代。海を埋め立てて農地を増やそうとしていたのだ。
しかし地元漁師の反対や環境問題への懸念もあり、計画は難航。その間に日本の状況は大きく変わり、人口は減少へとシフトし、農地は足りないどころか余る状況になった。
それでも計画は止まらない。農地拡大だった目的が、いつのまにか防災目的にすりかわっている。
このへん、実に“らしい”話だ。大きな組織が動くと、いつのまにか手段が目的になってしまう。ひとつの「手段」だった干拓事業が「目的」になってしまい、とりまく状況が変わっても計画を止めることができず、後付けで理由をつけては無理やり続行する。
オリンピックや万博と同じだ。経済振興とかの理由をつけて招致するのに、経済にプラスどころか大幅マイナスだとわかっても「開催」自体が目的になってしまっているので火の車となっても止められない。
大規模プロジェクトって始めるよりもやめるほうがずっと難しいし知恵を要するよね。
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