格差は心を壊す
比較という呪縛
リチャード・ウィルキンソン(著) ケイト・ピケット(著)
川島睦保(訳)
タイトル通り、格差社会にどれほどのデメリットがあるかを示した本。
様々な統計を元に、格差がもたらす弊害を明らかにしている。
あたりまえだが、格差社会において下の階層(いわゆる負け組)は悲惨な思いをする。健康状態も悪いし、幸福度も下がる。そんなことはみんな知っている。意外なのは、上の階層(勝ち組)ですら、いい思いをするわけではないということだ。
同じような経済状況の国や地域同士を比べたところ、格差の大きい社会ほどすべての階層において地位に対する不安度や劣等感が高かったとのこと。
格差社会であれば貧しい人はみじめなおもいをするし、中流以上の人間も「いつ下層に転落するかわからない」と不安になることで幸福度が下がる。下層はもちろん、中層も上層も誰も得をしない。
幸福度だけではなく、格差の大きな社会ほど健康状態が悪化する、子どものいじめが増えるなどの様々な弊害があるという。
とにかく社会にとって悪いことばかりだ。
格差が広がれば犯罪の発生件数は増える。これは、貧しい人はもちろん、金持ちにとっても大きな損だ。防犯にコストを払わねばならないし、どれだけ金をかけたって百パーセント防ぐことはできない。
大きな格差のあるアメリカのような社会で持たざる者が持てるものに対して一矢報いようとおもったら、銃乱射事件を起こす、みたいなやりかたになってしまう。
どれだけ金を持ってても無差別殺人に巻き込まれたら意味がない。ほどほどに格差を小さくしておくのが、すべての人にとって得策だといえるだろう。
国家や州のような大きい単位だけでなく、会社、部署といった小さな単位でも格差は弊害を生むそうだ。
そりゃそうだよね。
二十年ぐらい前は「成果主義」という言葉が流行っていた。もう今ではほとんど聞かれなくなったところを見ると、うまくいかないことにやっとみんな気が付いたんだろう。
仕事によって給与に差をつけられて「この差を逆転できるようがんばって仕事をしよう」となる……わけがない。「なんでおれがこんな評価なんだよ。見る目のない上司の下でやってても無駄だから転職しよう」となるか「上司に気に入られれば給与が上がるのか。よし、利益を生むための行動じゃなくて上司に気に入られるための行動をしよう」となるかしかない。
成果主義がうまくいくとしたら、社員のあらゆる行動を四六時中見ることができ、それが何をもたらすかを完全に理解し、一切の私情を挟まずに評価できる全智全能の神が上司になるしかない(そして上司が全智全能であることを部下は知っていないといけない)。もちろん上司は神ではないから(もしくは上司が神であることを我々が知らないだけか)、成果主義はうまくいかない。足の引っ張り合いにもなるし。
ほんと、社員全員(理想を言えば経営者も)の給与を同額にして、業績が上がれば全員の給与を同じだけ上げます、ってのがいちばんモチベーションが上がるかもしれない。
「あいつは俺より仕事をしてないくせに同じ給料をもらってるなんておかしい!」ってなことを言いだすやつが、いちばん生産性を下げてるんだよな。
格差は心身の健康に影響するけど、重要なのは、絶対的な裕福さ(衣食住に困らないかとか、高等教育を受けられるかとか)よりも相対的な格差のほうが影響するということだ。
GDPが増えるとかそんなのは何の関係もない。市民にとって大事なのは「隣の人よりも著しく貧しくないか」なのだ。
人間は「地位が周囲より低いこと」にストレスを感じる。江戸時代の金持ちよりも今の生活保護家庭のほうが確実に(物質的には)いい暮らしをしているはずだが、強くストレスを感じるのは圧倒的に後者だ。
国の所得総額が一緒だとして、ごく一部の金持ちが多くの富を独占するよりも、みんなが等しく所得を得るほうが、どう考えても国の経済にとってはいい。消費も活性化されるし、治安も良くなる。福祉に使う税金も減る。貧しさに起因する病気が減れば医療費負担は減り、労働力は増える。納税額だって増える。いいことづくめだ。
ポル・ポトみたいな極端な平等主義は論外にしても、もっと平等になったほうがいい。たぶん、みんなうっすらわかっている。持たざるはもちろん、富裕層だって、政治家だって、きっとわかってる。もっと格差を小さくしたほうが社会全体にとってはプラスだと。
ダロン・アセモグル & ジェイムズ・A・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』によれば、自由な競争が阻害された社会ではイノベーションが起きづらく、国力が衰退するとある。どう考えたって格差が小さいほうがいい。
じゃあなんで格差縮小が実現しない(それどころか拡大する一方)のかというと、たぶんみんな不安なんだろう。他人を信用できないんだろうね。「不労所得、金融資産にたくさん税金をかけて、高所得者の所得税を引き上げて、相続税も高くして、課税逃れに対しては厳罰を科したほうがいい社会になる」ってみんなわかってはいるけど、でもそれをやったところで「俺以外の誰かは抜け穴を見つけていい思いをするんじゃないか」「うちの国がそれをやったところで他の国が金持ちを優遇して、金持ちや大企業はそっちに逃げちゃうんじゃないか」って疑心暗鬼になってしまい、結局格差を小さくできない。
みんなびびってるんだよな。どうせ大企業や金持ちは逃げないのにさ(国外に逃げる金持ちもいるんだろうがそういうやつはどっちみちあの手この手で税金の支払いから逃れるから関係ない)。
あと、格差を小さくするための最も効果的な方法は「税金による富の再配分」なんだけど、貧しい人ほど増税に反対するからなあ。税金が増えれば、貧しい人ほど得をするのに。
悪いのは税金をとられることじゃなくて、使われ方が不平等なのに、なぜかみんな税金をとられることには文句を言うくせに使われ方はあんまりチェックをしないんだよな。
ということで、格差の小さい社会になってほしいと心からおもう。とりあえず意図的な脱税や納税逃れの刑罰をもっともっと大きくするところから。だって税を納めないって国家に対する反逆でしょ。内乱罪なんだから、最大で死刑ぐらいの刑罰があってもおかしくないとおもうけどな。
罪が軽すぎるから「ばれても追加徴税ぐらいだったらやってみたほうがいいや」ってなっちゃうわけだし。最低でも懲役、ぐらいにしとけば意図的脱税をするやつはほとんどいなくなるとおもうけどな。脱税って社会の仕組みをぶっ壊そうとする行為なんだから殺人級の重罪にしてもいいとおもうけど。
主張自体には全面的にうなずける本だったのだが、参照されるデータがちょっと怪しかったのが残念。なんというか、データが恣意的に感じたんだよな。
いろんなグラフが出てくるんだけど、こっちの国別比較データでは日本がない。こっちのグラフからはアメリカが欠けている。……というように、グラフによって国の数がだいぶ違う。
事情があるのかもしれないけど、その事情を書いてないので「自分に都合のいい主張に持っていくために具合の悪いデータはわざと排除したのかな」とおもってしまう。これはよくないよー。
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