2022年6月17日金曜日

【漫才】将棋のルール


「将棋をやってみたいとおもうんだけどさ」

「いいじゃん」

「でもルールがなにひとつわかんないんだよね」

「あー。まあ最初はちょっとむずかしいかもな。でもすぐおぼえるよ」

「将棋のルールわかるの?」

「わかるよ」

「全部?」

「全部? ん、まあ、全部……わかるよ」

「じゃあ聞くけど、ごはんっていつ注文すんの?」

「ごはん?」

「ほら、棋士が対局するときってお昼ごはん食べたりするんでしょ。あれってどのタイミングで注文するの? 誰かが訊きに来るの? それともこっちから『そろそろ注文いいですか』って言うの?」

「えっ、えっ、ちょっと待って。プロ棋士の対局の話?」

「そうだよ」

「いや、将棋のルールっていうから、駒の動かし方とかそういうのかとおもったんだけど」

「そんなのは本読めばすぐわかるじゃん。今知りたいのはごはんの注文に関するルール」

「それはルールじゃないでしょ」

「じゃあルール無用で注文していいわけ? 板前呼んで十万円ぐらいする寿司のコースを握らせてもいいわけ? 対局やってる横でマグロの解体させてもいいわけ?」

「いやさすがにそれはだめでしょ」

「ほら、だったらルールがあるんだよ。将棋のルールは全部知ってるんでしょ。いつ注文するのか教えてよ」

「いやおれがおもってたのは盤上のルールだったんだけど……。まあ、十一時ぐらいに主催者が訊きに来るんじゃない? おひる何にしますかって」

「何頼んでもいいの?」

「いや……さすがにマグロの解体ショーやられたらまずいから……。あ、そうだ、メニューがあるんだよきっと。和食、洋食、中華それぞれのお店の。その中から選ぶんだ。だからいちばん高くてもうな重(上)の五千円とかだろうね

「棋士はいつお金払うの? 注文するとき? それともごはんが届いてから?」

「えっと……どっちでもないとおもう。対局中に財布出してるの見たことないもん。トーナメントのときは主催者持ちかな。将棋以外のことに頭使わせたら悪いし」

「ふだんの対局のときは?」

「どうしてるんだろ。あれかな、将棋協会とかが立て替えておいて、給料払うときにその分差し引いて振りこんでるとかかな」

「でも労働基準法第二十四条に賃金の全額払いの原則があるから貸付金との相殺は禁じられてるんじゃなかったっけ」

「なんだよ妙にくわしいな。将棋のルールは知らないくせに」

「法学部だから」

「めんどくせえなあ。じゃあ対局が終わってから請求してるんじゃないの」

「あのさ、テレビで観たことあるんだけど、棋士って対局中におやつも食べるでしょ」

「ああ、食べてるね。ものすごく頭使うから、甘いものがほしくなるらしいよ」

「おやつを持ち込んで食べるんだってね」

「そうそう。誰が何食べたかとかもけっこう注目されてるよね」

「あれは何持ち込んでもいいの」

「まあだいたいいいんじゃない。そりゃパティシエを持ち込んで作らせるとかはだめだろうけど」

「たとえばお汁粉とか」

「ぜんぜんいいでしょ。甘いし、冬なんかはあったまるだろうし」

「お汁粉の湯気で対局相手のメガネが曇らせる作戦」

「そううまくいくかね。そんなの一瞬でしょ」

「いつまでもメガネが曇るように、煮えたぎったお汁粉を……」

「そんな熱いの自分も食えないじゃん」

「食うときははフーフーして冷ますから大丈夫。あ、待てよ。フーフーしたら二歩で反則負けか」

「くだらねえな。将棋のルールなにひとつ知らないって言ってたくせに、二歩は知ってんのかよ」

「おまえこそ将棋のルールぜんぶ知ってるっていってたくせにぜんぜん知らないじゃないか」

「おれが言ってるのは将棋のルール。さっきからおまえが訊いてきてるのは棋士のルールじゃないか」

「じゃあ将棋のルールについて質問するよ。新しい駒を考えたときはどこに申請したらいいの?」

「……は?」

「だからさ、おれが新しい駒を考えたとするでしょ」

「なに言ってんの?」

「たとえばね、土竜(もぐら)って駒を考案したとするよ。相手の駒や自分の駒の下をくぐって前に進めるやつ」

「だからさっきからなに言ってんの

「これを正式に採用してもらいたいとおもったら、どういう手続きで日本将棋連盟に申請したらいいの? 決まった書式とかあるの? どこで申請書のPDFファイルをダウンロードしたらいいの? 採用された場合の権利関係はどうなるの? 発案者にはいくら入ってくるの?」

「ちょっ、ちょっと待って。ないから。新しい駒が採用されることなんかないから」

「ないの?」

「ないよ」

「えええ……。じゃあおれはなんのために三年もかけたんだ……」

「新しい駒考えてたのかよ」

「数百種類も考えたのに……」

「それもはや将棋じゃなくてポケモンバトルだろ」

「じゃあさ、また別の質問」

「もうやだよ。ぜんぜん将棋のルールの質問じゃないじゃない」

「次で最後だから。次こそちゃんとした質問」

「……わかったよ。最後な」

「ありがとう。じゃあ最後の質問。もしも将棋の駒が寿司ネタだとしたら、それぞれの駒はどの寿司ネタに該当するとおもいますか? また、どの順番で食べるのが正解だとおもいますか?」

「どこが将棋のルールなんだよ!!」




2022年6月15日水曜日

【読書感想文】乙一『平面いぬ。』 / 無駄だらけのようで無駄がない

平面いぬ。

乙一

内容(e-honより)
「わたしは腕に犬を飼っている―」ちょっとした気まぐれから、謎の中国人彫師に彫ってもらった犬の刺青。「ポッキー」と名づけたその刺青がある日突然、動き出し…。肌に棲む犬と少女の不思議な共同生活を描く表題作ほか、その目を見た者を、石に変えてしまうという魔物の伝承を巡る怪異譚「石ノ目」など、天才・乙一のファンタジー・ホラー四編を収録する傑作短編集。

『石ノ目』『はじめ』『BLUE』『平面いぬ。』のファンタジー四篇を収録。

 どれも奇妙な味わいの話だ。


『石ノ目』は、目を見ると石化してしまう女にまつわる話。メデューサみたいなやつね。遭難してある家に迷いこんだ主人公たち。そこには精巧な石人形たちと、決して顔を見せようとしない女がいた。主人公は、石人形の中からかつて行方不明になった母親をさがすが……。

 終始不気味な雰囲気が漂う話だが終盤はおもわぬ展開を見せる。話の持っていきかたに無駄がなくて、小説巧者という感じだ。


『はじめ』の主人公は男子小学生。先生に怒られないための言い訳として〝はじめ〟という架空の女の子を考えだしたところ、主人公とその友だちにだけははじめの声が聞こえるようになる。
 幻なのに主人公たちを助けたり成長したりする〝はじめ〟。幻の友だちとの友情、そして別れを丁寧に描いていて、幻なのにほろ苦い青春小説になっているのが妙な感覚だ。「幻の友だち」だけでなく「謎の地下通路」というもう一エッセンス加わっているのがいい。
 ところで、「~だったんだ」をくりかえす変わった文体なのでこれがなにかを表しているのかとおもったら、特に意味がなかった。


『BLUE』はぬいぐるみたちの心中や行動を描いた短篇。『トイ・ストーリー』のようだが、もっとビターな味わい。出てくるぬいぐるみも人間もあまり性格のいい連中じゃない。
 ダークな世界を描いていて個人的にはいちばん好きだったが、着地はちょっと安易なお涙ちょうだいだった。


『平面いぬ。』は、腕に入れた刺青の犬が意識を持って行動するようになった少女の話。身体の一部が自我を持つというアイデアは昔からよくあって、落語『こぶ弁慶』、『ブラック・ジャック』の『人面瘡』、星新一『かわいいポーリー』など、そこまで目新しいテーマではない。ただしそこに「家族が次々に余命宣告される」という要素を加えることで緊張感のある展開になっている。ちょっとしたオチもあり、これまたうまい小説。無駄だらけのようで無駄がない。




 どれも派手さはないけれど、しみじみと味わいのある小説で、しかも構成がうまい。これを二十歳ぐらいで書いているってのがすごいなあ。


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2022年6月14日火曜日

いちぶんがく その13

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。




まずはエロ。

(半藤 一利『B面昭和史 1926-1945』より)





「あんたらに復讐する権利がある」

(深谷 忠記『審判』より)




「50カ国全てから、<国民主権>や<公共>という非効率な概念が、やっと取り払われるんです」

(堤 未果『政府はもう嘘をつけない』より)





そのため、従来型の生物たちはばたばたと滅んでいったのです。

(藤岡 換太郎『海はどうしてできたのか 壮大なスケールの地球進化史』より)




彼にとって、世界とは、ゴキブリの活字で埋まった新聞紙にすぎなかった。

(三島 由紀夫『命売ります』より)





自然科学の世界でも、自分の意見に固執しすぎると、悪魔に首を取られるかもしれない。

(花井 哲郎『カイミジンコに聞いたこと』より)




卒業式がどこかへ飛んでいく。

(朝井 リョウ『少女は卒業しない』より)





私は亡くなった友人と出会い直したのだ。

(中島 岳志『自分ごとの政治学』より)




ジョージは生まれてはじめて阿呆になったような気がした。

(アーサー・C・クラーク(著) 福島 正実(訳)『幼年期の終り』より)





チーズの表面はダニの糞や脱皮殻の層でおおわれ、それをとりのぞいてみると、無数のダニがうごめいているのが見えます。

(青木 淳一『ダニにまつわる話』より)




 その他のいちぶんがく


2022年6月13日月曜日

【読書感想文】『夢のズッコケ修学旅行』『ズッコケ三人組の未来報告』『ズッコケ三人組対怪盗X』

  中年にとってはなつかしいズッコケ三人組シリーズを今さら読んだ感想を書くシリーズ第九弾。

 今回は24・25・26作目の感想。


『夢のズッコケ修学旅行』(1991年)

 三人組を含む花山第二小学校の六年生は一泊二日の修学旅行に出かける……。

 あらすじを書くと、ほんとにこれだけで終わってしまう。ほんとに修学旅行の思い出なんだよな。もちろんちょっとした事件が起きるのだが、どれもささやか。他校の子といざこざを起こしたり、銀山で銀鉱石を拾ったり、女子の下着を見てしまったり、旅先で不良にからまれたり、女子の部屋に行ってみたり、就寝後に異性の話で盛り上がったり……。

 小学生からしたら印象に残るイベントかもしれないが、全部「まあそんなこともあるだろうね」レベルなのだ。ズッコケシリーズ屈指の何も起こらなさだ。

 でもまあそこが修学旅行らしいといえば修学旅行らしい。修学旅行ってそんなものだもんね。

 旅行の醍醐味って、予定通りにいかないことじゃない。予定していた電車に乗れなかったり、道に迷ったり、お金をだましとられたり、危険な目に遭ったり。そのときはたいへんでも、終わってみればそうしたトラブルがいい思い出になったりする(もちろん無事に帰れたら、だけど)。
 でも修学旅行って先生たちが入念に計画して万難を排しているから、まずイレギュラーなことは起こらない。そりゃあこっそり抜け出すやつとか無茶してけがするやつとかはいるけど、それすらも想定内だ。どの学校でもだいたい毎年起こっていることだ。だから小説にしてもつまらない。

 まだ旅行記としておもしろければいいのだが、それも失敗している。せっかく山陰地方の名所旧跡について文字数を割いて説明しているのに、なぜか岩屋銀山だの南雲大社だのと架空の名前にしているのですべてが台無し。石見銀山、出雲大社、宍道湖……と書けばいいのに。有名な観光名所なんだからまったく伏せる必要ないとおもうのだが。

 架空の場所を周っている、架空の小学校の、とりたてて変わったことも起こらない修学旅行。そりゃおもしろくないわ。


 今作がシリーズの他の作品と毛色が異なるのは、性的な描写がかなり多いこと。といっても女子のパンツを見たり、引率の先生のブラジャーがちらりと見えたり、女子に抱きつかれたりぐらいでごくごくささやかなものなのだが、今までのズッコケシリーズにそうした描写が皆無だったことをおもえば「急にどうしちゃったの?」という気になる。男子のリアルな生態を書くのはいいけど、前作までと急にキャラが変わるので違和感が強い。性に関心のあった小学生当時ですら「いやズッコケシリーズにそういうの求めてないから」とおもった記憶がある。

〝児童文学では性の話をしない〟というタブーに挑戦したかったのかもしれないが、だとしても唐突なんだよね。そもそもハチベエが「誰でもいいからガールフレンドがほしい」とおもうところからして無理がある。ませてる小学生でもせいぜい「好きなあの子を彼女にしたい」だろう。大学生ならいざしらず、「誰でもいいから」と手当たり次第に女の子に声をかけるのはもはやリアリティのかけらもない。



『ズッコケ三人組の未来報告』(1992年)

 二十年後の未来に開けるため、タイムカプセルを埋めた六年一組の生徒たち。
 それから二十年後。タイムカプセルを開けるために集まった面々。だが六年一組のタイムカプセルだけがなくなっていることに気づき……。


 これをはじめて読んだときの感想はおぼえている。「あれ? 期待してたのに……」

 たしかに気になる。三人組がどんな大人になるのか。どんな仕事をするのか。誰と結婚するのか。
 でも、答えを知ってしまったらつまらない。あれこれ想像をはたらかせていたときのほうがずっとおもしろかった。

 そりゃそうだ。未来なんて知ってしまったらつまらない。だってたいていの場合想像を下回ってるんだもの。クラス一おもしろかったあいつも、めちゃくちゃサッカーがうまかったあいつも、ナンバーワン美少女だったあいつも、いつも悪ぶっていたあいつも、大人になってみれば意外と平凡な人生を送っているものだ。あるいは消息不明になっているか。
 そりゃあ中には会社をおこして社長になったり、芸能関係の道に進んだやつもいるやつもいるけど、それだって「まああいつはあいつでたいへんそうだよな。華やかなことばっかりじゃないだろうし」みたいな感じで、知ってしまえば存外つまらない。

 こういうのって読者が勝手に想像するから楽しいんだよな。作者が「未来はこうです」と提示してしまっちゃあつまらない。一応ラストに〝夢オチ〟というどうしようもない逃げ道を作って「未来はわかりませんよ」というエクスキューズを用意してはいるが、これだけ長々と書いておいて「これは本当の未来とは別ですよ」はさすがに通らないだろう。実際、後の『ズッコケ中年三人組』でほぼ実現しているわけだし。

 この作品はないほうがよかったな。今後の作品にも悪影響を与えてしまう。荒井陽子や安藤惠子が出てくるたびに「こいつらはハカセやハチベエといい仲になるんだよな」という気持ちで見てしまう。


 ストーリーはよく練られている。単に未来の三人組を描くだけでなく、「タイムカプセルが消えた」「なぜかミドリ市で公演をするアメリカの謎のロック・スター」「死んだ同級生・長嶋」といったフックをいくつも用意して謎解きものに仕上げている。

 とはいえ、長嶋くんというキャラクターの少年時代がまったく描かれていないので、「長嶋はいったいどうなったのか?」という謎を提示されてもまったく関心が持てない。田代信彦とか中森晋助ぐらいに活躍したことのあるキャラクターならまだ興味が持てるんだけど。知らんやつが死のうが生きてようがどうでもいいからなあ。

 つまらない、というほどではないのだけれど、シリーズの中の一作として見たら完全に失敗作だったとおもう。シリーズ全体の設定をぶち壊しにしてしまったという意味で。『トイ・ストーリー4』みたいなもんだね。



『ズッコケ三人組対怪盗X』(1992年)

 世間を騒がす大泥棒・怪盗Xから三人組の後輩の家に犯行予告状が届いた。見事にXの企みに気づいて犯行を阻止した三人だったが、Xは逃走。三人組は再びX逮捕に向けて行動するが逆に捕えられてしまい……。


 王道探偵小説。

 これまでにも『ぼくらはズッコケ探偵団』『こちらズッコケ探偵事務所』『ズッコケ三人組の推理教室』と推理ものはあったけど、書かれている事件が「殺人事件(探偵団)」→「誘拐事件(探偵事務所)」→「猫の誘拐(推理教室)」→「大怪盗による犯行予告」と回を追うごとに幼稚化していっているぞ。

 怪盗ものは、ルパンや怪人二十面相やパーマンの怪人千面相でさんざんやりつくされていてイメージもできあがっているので、怪盗ものと聞くと「那須正幹先生もずいぶん守りに入ったな」とおもってしまう。

 じっさい、変装の名人だったり、世間を騒がす大胆な犯行だったり、ポンコツすぎる警察の裏をかく逃走劇だったり、怪盗Xもこれまでの怪盗とさしてやっていることは変わらない。

 もちろん読者である子どもは入れ替わっているので、必ずしも新しいことをやらなくてもいいとはおもうが、ズッコケ三人組らしさがあまり出ていない。特にハカセが怪人二十面相シリーズにおける小林少年のような「ただ賢いだけの少年」になってしまっていて、ミスやドジを踏まない。

 これは怪盗ものの宿命だよね。どうしても「怪盗があっという方法で盗みをはたらく」→「主人公が見破って追いつめる」→「警察がドジって取り逃がす」という流れになるので、主人公側から積極的に動くことができず、怪盗の動きを受けて後を追う形になる。おまけに主人公側はミスもできない。必然「与えられた問題に対して正解を出す」のくりかえしになってしまう。これでは主人公が輝かない。テストで百点をとるだけの主人公の何がおもしろいのか。

 そう、この巻の主人公は怪盗Xである。ハカセは単なる脇役にすぎず、モーちゃんやハチベエはその助手に近い。モーちゃんはまだ単独行動をとるシーンがあるが、ハチベエにいたっては「父親がXの変装を見破ったことをハカセ伝える」役割に甘んじている。

 ということで、ズッコケ三人組シリーズの一作として読むとものたりない本作だが、作品自体の出来は決して悪くない。二転三転するXとの攻防だけでなく、Xを荒唐無稽な超人にせず「Xとその部下が過去に勤めていた会社が倒産したらしい」「Xには妻子がいるらしい」といった生身の人間としての情報を出しているところ、それでいてすべての情報は明かさずに謎をもたせていること、そしてX逮捕で大団円……かとおもいきや脱走をにおわせるラストなど、単なる怪盗ものとして終わらせず、深みのある物語に仕立てている。

 まだ読んでいないけれど、この後に『ズッコケ怪盗Xの再挑戦』『ズッコケ怪盗X最後の戦い』と続くらしいので、三部作の一作目としては決して悪くない、いやむしろおもしろい部類に入る作品だとおもう。


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2022年6月10日金曜日

【読書感想文】エマニュエル=サエズ ガブリエル=ズックマン『つくられた格差 不公平税制が生んだ所得の不平等』 / なぜ民主主義は金持ちだけを優遇するのか

つくられた格差

不公平税制が生んだ所得の不平等

エマニュエル・サエズ(著) ガブリエル・ズックマン(著)
山田 美明(訳)

内容(e-honより)
富裕層はますます富み、中間層や貧困層はより貧しくなる真の理由とは?ピケティの共同研究者による衝撃の研究結果。史上最高レベルの不平等はどのように生まれたのか?最高税率が高ければ格差は縮小し、経済も成長する。富裕層の租税回避を防ぐ方法。

 近年の税制がいかに富裕層を優遇しており、その結果格差がどれだけ拡大しているか、そしてどう是正すべきかを書いた本。

 扱っているのは基本的にアメリカの話だが、日本も似た状況になっているのでことごとくうなずかされる。




 アメリカでは、上位1パーセントの所得が国民所得の20%以上を占めている。貧富の差は拡大するばかり。

 本来なら富の再分配をするのが税の役目なのに、高額所得者の所得税は下がる一方。おまけに租税回避が横行しており、税による再分配はちっとも機能していない。

現在ではほとんどの社会階層が、所得の二五~三〇パーセントを税金として国庫に納めている。ただし超富裕層だけは例外的に、二〇パーセントほどしか納めていない。アメリカの税制はほぼ均等税と言えるが、最富裕層だけ逆進的なのである。アメリカはヨーロッパ諸国ほど多額の税金を徴収していないかもしれないが少なくとも累進的ではあるという主張があるが、これは間違っている。

 なんと、高額所得者の税率が高くないどころか、逆に低くなっているのだ。金持ちほど税率が低い。

 どう考えたっておかしい。貧乏人から年収の三十パーセントを持っていくのと、億万長者から収入の三十パーセントを持っていくのでは、前者の痛みのほうがはるかに大きい。なのに同じ割合にするどころか、逆に貧しい人からのとる率を高くするのは理不尽だ。


 この本には、アメリカにおける税引前所得の年間成長率の表がある。

 1946年~1980年の間。どの階層も年平均2.0%ぐらいの率で成長していた。

 ところが1980年~2018年の間では様相は一変する。成長率が年平均1.4%に下がり、さらに9割の国民の成長率は1.4%を下回った。平均を上回っているのは富裕層だけで、特に上位1パーセントの富裕層は大きく成長した。さらに上位0.1%の富裕層の年平均成長率は320%、上位0.01%は430%、そして最上位0.001%(2300人)は600%となった。

 富める者はますます富み、その一方で労働者階級の所得はほとんど増えていない。つまり「金持ちが潤えば、自然に富がこぼれ落ちて経済全体が成長する」という『トリクルダウン理論』は真っ赤な嘘だったのだ。




 上位1%の金持ちはますます潤い、残りの99%との差は開く一方。日本もアメリカほどではないにせよ、同じような状況だ。どうしてこんなことが起こるのだろう。

 いや、ニホンザルの社会ならわかる。力の強いものがすべてをぶんどる社会であれば、そういうことも起こるだろう。

 だがアメリカも日本も民主主義国家だ。金持ちも貧乏人も同じ一票を持っている。それなのになぜ、「1%の金持ちに優しい法律を作ってあげる政治家」を選んでしまうのだろう。

 じつにふしぎだ。民主主義が機能していれば、格差はゼロにはならないにせよ、少なくとも半数以上は得をするような制度を選ぶんじゃないだろうか。


 だが、アメリカや日本だけでなく、世界中で「高所得者に対する税金はどんどん下がっていく」傾向が見られる。

 その原因は、高所得者による〝租税逃れ〟にある。

 一九八六年税制改革法は、累進課税が廃れていく過程を如実に示している。累進課税は、有権者の意思により否定され、民主的な手続きを経て廃れていくわけではない。累進課税が大幅に後退する事例をいくつも検討してみると、そこに一つのパターンがあることがわかる。まずは租税回避が爆発的に増え、次いで政府が富裕層への課税は無理だとあきらめ、その税率を引き下げるのである。この負のスパイラルを理解することが、税制の歴史を理解し、将来的に公平な税制を構築していくための鍵となる。


 所得の大半が個人所得の対象になっていない、様々な租税回避策によって法人税の支払いを免れている(法人税の低い国外にペーパーカンパニーを設立して株式や債券をそこに移す)、所得税の税率が低い(資本所得に対する税率は低い)などにより、高所得者ほど租税を回避しようとしている。GAFAのような国際的大企業が(その利益に比べれば)まったくと言っていいほど税金を納めていないことは有名な話だ。

 そもそも、労働に対する税よりもキャピタルゲイン(投資による利益)にかかる税のほうが安いってのが意味わからん。誰がどう考えたって、労働によって得た金よりも不労所得のほうに高い税率かけるべきだろう。


 『つくられた格差』では、高所得者や大企業が税金から逃れるためにあの手この手を使っている手口が紹介されている。もちろん租税回避策にも金はかかる。だから貧しい者には同じ手が使えない。でも金持ちや大企業からしたら、多くの弁護士や税理士を雇っても十分おつりがくる。結果的に金持ちほど納める税率が低くなるという〝税の逆進性〟が起こる。




 本書では、対抗措置の案も提言されている。詳しくはこの本を読んでほしいけど、各国政府が本気を出せば租税回避の大部分は防ぐことができる。

 筆者は〝国民所得税〟なるシンプルな税制を提案する。

 〝国民所得税〟はあらゆる所得にかかる税だ。労働所得と企業所得と利子所得すべて。もちろんキャピタルゲインにも。当然ながら累進税(高所得者ほど税率が高くなる)である。

 国民所得税を導入すると、こんな世界が可能になる。アメリカでその税収を使えば、国民全員に医療や育児を提供できる。公立大学への助成金の増加などにより、高等教育を受ける機会も均等化できる。アメリカでは現在、高等教育を受ける機会に大きな格差がある。(中略)アメリカ以外の国でも、国民所得税を導入すれば、給与税や付加価値税を減らし、税制の逆進性を和らげることができる。
 たとえば、アメリカで税率六パーセントの国民所得税を導入し、さらに富裕層への課税を強化すれば、国民所得のおよそ一〇パーセント分に相当する税収が得られる。そのうちの六パーセント分を医療に、一パーセント分を育児に、〇・五パーセント分を高等教育にまわせば、二一世紀にふさわしい社会制度を確立できる。残りの税収は、現在労働者階級を苦しめている売上税(およびトランブ関税)の廃止に使えばいい。

 ちょっと絵に描いた餅のような気もするしここまでうまくはいかないとおもうが、それでも今よりずっと格差は縮むことだろう。

 ぜひとも租税回避している金持ちからきっちり金をとってほしい。税金が増えれば教育や医療や福祉が充実するんだもの、ぼくのとられる税が増えたって文句言わないぜ。

 まあ経団連みたいなところに手なずけられている政治家はやろうともおもわないだろうけど。




 租税逃れをしている金持ちや企業からしっかり金をとることは「胸がすっとする」以外にもメリットがある(もちろんすっとするのが最大のメリットだが)。

 資産家や大企業の経営者は「成功者から高い税をとれば成功への意欲が失われる」なんてことを言うが、それを裏付けるデータはまったくない(もちろん共産主義国のように100%とられるならば意欲はなくなるだろうが)。トリクルダウンも嘘だった。

 このように、無数の評論家が大衆に信じ込ませようとしている内容とは裏腹に、法人税の負担が労働者に転嫁されることは経済学的に「証明」されていない。もし本当に、法人税の負担が労働者にのしかかるのなら、世界中の労働組合が法人税の削減を政府に懇願していることだろう。実際のところ、高い法人税のために一般労働者が苦しんでいるという見解を誰よりも積極的に支持しているのは、裕福な株主たちなのだ。たとえば、二〇一八年のアメリカ中間選挙の際には、コーク兄弟(それぞれ五〇〇億ドルもの資産を所有している)の支援するロビー団体が二〇〇〇万ドルもの資金を費やし、トランプ大統領の法人税引き下げにより賃金が上がると有権者に訴える運動を展開している。同様に、労働税の負担が資本に転嫁されることも、経済学的に証明されていない。長期的に見れば、資本税の負担は資本所有者が、労働税の負担は労働者が背負うことになる。貧困層に課される税により富裕層が苦しむことはないように、富裕層に課される税により貧困層が苦しむこともない。

 話はむしろ逆で、富の集中はイノベーションを妨げる。

 富は力になる。極端な富の集中は極端な力の集中を生む。政府の政策に影響を与える力、競争を阻害する力、イデオロギーを形成する力、それらが一つになって、自分に有利になるよう所得の分配を操作する力になる。その力は、市場でも政府でもメディアでも発揮される。これこそが、一部の人間が英大な富を所有するとほかの人の手に渡る富が減る中心的な理由である。現在の超富裕層の所得は、社会のほかの階層を犠牲にして成り立っている。ジョン・アスターやアンドリュー・カーネギー、ジョン・ロックフェラーなど、金びか時代の実業家が「悪徳資本家」と呼ばれているのは、そのためだ。
 現在、アップルや、アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス、ウォルマートを経営するウォルトン一族は何をしているだろう? 自分たちの財産や地位を守ることばかりしている。たとえば、新規参入企業を、脅威的な存在になる前に買収している。競合企業や規制当局、内国歳入庁と争っている。新聞社を買収している。英大な富を蓄積した人々がいつでもどこでもしていることだ。アップルやアマゾン、ウォルマートの創業者はみな、多大なイノベーションを成し遂げ、新たな製品やサービスを生み出してきた。なかには、いまだイノベーションを追求している創業者もいる。だがその後継者たちは、会社の現在の地位を守ることに汲々とするばかりであり、今後そこから偉大なイノベーションが生まれるとは思えない。

 富が集中すれば、その金で新たなイノベーションに挑戦するよりも、競合のイノベーションを妨害しようとする。当然のことだ。

 家康が天下統一を成し遂げて鎖国政策を敷いた江戸時代。徳川家からどんなイノベーションが生まれただろうか? 諸国大名が力を持つのを妨げる政策ばかりとっていたではないか。




 ぼくが金持ちじゃないからってのもあるけど、富める者がますます富める社会はよろしくない。どんな分野でも同じ、山の成長に欠かせないのは広い裾野だ。野球のうまい小学生九人を集めて、その子らだけに最高の環境を与えて練習させれば最高のチームができるかというと、そんなことはない。

歴史の教訓に従えば、万人の成功に投資する国が豊かになるという事実は今後も変わらないだろう。

 スティーブ・ジョブズはビジネスの世界に革新をもたらしたが、もしも彼が今の時代に会社をつくったとしたら、GAFAのような(アップルはないからGFAか)巨大企業につぶされずにアップル社は大成功していただろうか。どう考えたって無理だろう。


 金持ちから税金をたっぷりふんだくるのは大企業の飼い犬でない政治家にぜひがんばってもらうとして、国民の意識も変わるべきだとぼくはおもう。

 脱税は当然だし、ペーパーカンパニーを作ったりタックスヘイブンを利用しての租税回避はもっと厳しく糾弾すべきだとおもうんだよね。

 テレビでもネットニュースでも不倫した有名人を叩いたりしてるけど、家族以外は何の被害も受けていない不倫と異なり、税金逃れは全国民が被害者なわけだ。

 違法でなくても道義的に許されることではない。税金を減らすためにペーパーカンパニーを作るやつは、救急車を一年間に百回呼ぶやつと同じぐらい市民の敵だ。

 税金ドロボーってのは公務員や政治家のことじゃなくて、租税回避をするやつやそれを手伝う税理士や会計士のことだ。租税回避をするやつは義務から逃れているわけだから、それに応じて権利も減らしてあげないといけない。病院も警察も消防も後回しの対応でいい。どんどんぶんなぐっていこう。

 まずはふるさと納税の返礼品制度をつくったやつを樹から逆さ吊りにするところからだな!


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