山はどうしてできるのか
ダイナミックな地球科学入門
藤岡 換太郎
同じ著者の『海はどうしてできたのか ~壮大なスケールの地球進化史~』がめっぽうおもしろかったので読んでみたのだが、これは難解だったなあ……。『海はどうしてできたのか』はテンポよく読めたのに、『山はどうしてできるのか』はまるで教科書を読んでいるようだった。同じ人が書いているとはおもえないぐらいにちがう。ぼくが地学苦手だったから、ってのもあるけど。
特に中盤は、「山はどうしてできるのか」ではなく「山はどうしてできるのか、と昔は考えられていたのか」の話が延々と続く。これがつまらない。地学を体系立てて学びたい人にはいいかもしれないが、「ざっとわかればいいや」ぐらいの人間にとっては「今では否定されている昔の誤った学説」なんかどうでもいいんだよー。
世界で一番高い山は?
そう、エベレスト(チョモランマ)だ。標高8,849m。標高というのは、海から見た高さだ。
ただし、他の測り方をすれば世界一はエベレストではない。
ふもとからの高さを測るなら、周辺の海底から9,000mも突き出ているマウナケアが世界一、地球の中心からの直線距離ではチンボラソ山が世界一位になる。
ぼくがマウナケアやチンボラソの関係者なら「エベレストはずるい!」と言い張っているところだ。
前々から山を「標高(海抜)」でランク付けするのはずるいとおもってたんだよなあ。富士山は標高3,776mだけど、富士山に登る人はみんな海から登りはじめるわけじゃない。登山口から登りはじめる。富士山の登山口はいくつかあるけど、そこがすでに標高2,000~3,000mぐらいだ。そこから登って「3,776mの山を制覇したぞ!」ってのはインチキだ。それが許されるのならマラソンのゴール手前からスタートしてゴールテープを切ってもいいことになる。
ぼくは神戸にある六甲山に登ったことがある。標高931mだ。だが六甲山は海のすぐそばだ。ぼくが登りはじめた阪急芦屋川駅は海と高さがあまり変わらない場所。つまり900mぐらいの高さを登ったことになる。一方、標高1,100mの登山口から標高2,000mの山に登っても、登った高さは同じだ。なのに後者のほうがすごいとおもわれる。登山業界では「〇m級の山を制覇した!」という言い方がまかりとおっている。
そりゃあ高度が高ければ空気が薄くなったり寒くなったりもするだろうけど、それにしたって、自分の足で登ったわけでもない高さを勘定に入れるのはずるい。
石の名前とかプレートの名前とかむずかしいことはよくわからなかったけど、山がどのようにできるか(というか地球上でプレートがどのように動くか)についてはなんとなく理解できた。
我々はつい世界の地形が普遍的なものだと考えてしまうけれど、地球の一生から考えると今の大陸や山の形はほんのひとときのもので、大陸の形も山の形も刻々(長いスパンで見たときの刻々)と変わるのだ。
ヒマラヤ山脈だってかつては海だったそうだ。
日本列島はひとつのさざれ石、地球全体もひとつのさざれ石。いくつかの小石が集まって大きな石を作っているだけ。
なんともスケールの大きな話だ。
想像すらおいつかないぐらいの大きなスケールの話を読むのは、凝り固まった頭をほぐしてくれるようでなかなか気持ちがいい。
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