「人に迷惑をかけるな」と言ってはいけない
坪田 信貴
元塾講師である著者による子育て論。
多くの子育て書がそうであるように、自分の観測範囲で「短期的にうまくいった事例」を集めて紹介しているだけで、科学的再現性は乏しい。
なんで子育ての本を書く人ってみんな「うちはこれでうまくいきました」レベルの話を、唯一の正解であるかのように語るんだろうな。「赤いシャツを着ていったら競馬で勝ちました」ぐらいの話なのに。
タイトルにもなっている、「人に迷惑をかけるな」と言ってはいけないという話。
まあ部分的にはうなずけるかな。
ぼく自身、他人に相談したり頼ったりするのが苦手なので、「もっと若いうちは特に他人に甘えて生きたらよかったな」とおもう。完璧であろうとするよりも、だめなところをさらけ出すやつのほうがかわいいもんね。特に若い子だと。
とはいえ「他人に迷惑をかけるな」ってのもいろいろあって、「道に迷ってしまったので人に尋ねる」ぐらいならぜんぜんいいけど、「小学生がレストランででかい声を出して走りまわる」だったら「人に迷惑をかけるな」と言ったほうがいい。
現実にはその間にいろんな段階があって、どこに「迷惑をかけていいか」のラインを引くかはケースバイケースなので、正しくは「『人に迷惑をかけるな』と言ってはいけない状況もある」ぐらいかな。乱暴に本のタイトルにしていい話ではないかな。
親として悩むことの多い、お金について。
「ほしいものはお小遣いを貯めて買いなさい」と言ってはいけない、という話。
たしかになあ。「高いから買えない、安いから買う」という単純な話ではないよな。
生物が好きな子がいい顕微鏡を買ってほしいと言ってきたら少々高くても買ってやりたいけど、くだらないガチャガチャをやりたいと言われたら「自分のお小遣いで買いなさい」と言いたい。
ぼくが高校生のとき。辞書を読むのが好きなので、広辞苑を欲しかった。いちばん分厚いやつ。たしか当時二万円ぐらいした。高かったので誕生日プレゼントで買ってもらったんだけど、今にしておもうと、誕生日じゃなくても「広辞苑買ってほしいんだけど」と言えば買ってもらえたんじゃないかとおもう。ぼくが親だったら買ってあげる。
「ガチャガチャやりたい!」「だめ!」とか「友だちとボーリング行きたい」「自分のおこづかいから出しなさい」みたいなやりとりの結果「自分の好きなもののために親はお金を出してくれない」とおもいこんでたけど、「博物館行きたい」とか「プログラミングの勉強したいから安いやつでいいからパソコン欲しい」とかだったら十分特別予算がついてた可能性があるんだよな。今ならわかる。
親の気持ちとしては「ものによっては高くても買ってあげるけど、ものによっては安くても買ってあげない」なので、これを子どもに伝えていきたい。
最初に書いたように「うちの場合はこうしたらたまたまうまくいきました」レベルの話が並んでいるんだけど、いちばん共感できたのは「親は完璧であろうとしないほうがいい。ダメなところのある親のほうがむしろしっかりした子に育つ」というとこ。
そうね。だからこの手の本もあんまり真剣にとらえなくていい。ぱぱっと飛ばし読みして、うなずけるところだけをつまんで「オッケー、自分のやりかたで大丈夫」とおもうぐらいでいい。ぼくはそういう読み方をしました。
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