2022年12月15日木曜日

【読書感想文】石野 径一郎『ひめゆりの塔』 / ばか死

このエントリーをはてなブックマークに追加

ひめゆりの塔

石野 径一郎

内容(e-honより)
太平洋戦争末期の沖縄戦。女子師範と第一高女の女学生ばかりで、ひめゆり部隊が結成された。野戦病院を出発し、砲撃の中を米須の洞窟へと向かった彼女たちの九十日。慕われた先生も、かけがえのない親友も、妹も…。死の行進を強いられ、戦場に散った青春への愛惜が胸に迫る名作。

 太平洋戦争時の沖縄戦を舞台にした小説。1950年刊行なので、まだまだ戦争の傷痕も生々しい時期に書かれたもの。

 はっきり言うと、読みづらい。文体が古いのもあるけど、話があっちこっちに移動するし、状況や登場人物の説明も十分でない。なんとなく「たぶんこういうことが起こってるんだろうな」という感じで読んでいた。

 事実があまりにも過酷だと、フィクションがあ事実に力負けしてしまうからね。あまりに現実離れした現実は、かえって小説にするのがむずかしいのかもしれない。



『ひめゆりの塔』では、日本とアメリカの戦いだけでなく、沖縄と本土、市民と軍の闘いも描かれる。

「だいぶ前の話でしょう? ――ぼくもきいている。根も葉もないにきまっているが、沖縄に対する偏見はたしかにあるからね。軍の残虐な要求をいれない硬骨漢がいると、これとそれとが結びついて、反軍思想ということにでっちあげられてしまうんだ。おれの知っている○○文理大出身のやつが、方々に人魂のような灯がゆれて、海上の潜水艦と何か合い図をしているように見えたよ、といっていた。そんなでたらめが悪質のデマになるんだ。そやつなんか、有名な山影治正、ほら右翼の歌人がいるだろう? あれの一味なんだそうだ。どの種類の人間が非人間的な目をもち、現実をまげてものをいっているか、おのずから明らかではないか。しかし歴史を見ると、いつの世でもこういう便乗の徒がいて、自分一個の売名や利益のためにデマを作ったり善良な国民を食いものにしているんだな」

 沖縄の人たちの前で「これが本土だったらたいへんなことだ」「沖縄でまだよかった」と吹聴する軍人。軍の無茶な要求に素直に従わなければスパイ扱いされる。

 このときだけでない。そもそも沖縄が激戦地になったのは、本土を守るための盾にされたから。戦争が終わってからも沖縄はアメリカ領にされ、本土復帰してからも基地だらけ。ずっとずっと不遇を強いられている。

 これだけひどい目に遭ったら、なんなら他の地域よりも優遇されてもいいぐらいだとおもうのだが、今でも冷遇されている。「軍の残虐な要求をいれない硬骨漢がいると、これとそれとが結びついて、反軍思想ということにでっちあげられてしまうんだ。」なんて、今でも通じる言葉だ。近所に外国基地があることに反対するだけで反日だなんだと言われるんだから。どっちかっていったら、外国基地の存在を疑問なく受け入れるほうが愛国心に欠けるんじゃねえのか?




 小さい子供をつれた人の苦労ははたでは見るに忍びないものがあった。昼間の最も危険なときにも幼児は壕をはいだすので、乳飲み子をもった母親たちはひどい睡眠不足と過労におちいる。真也があわてて待避した壕の中でも三家族が避難していた。その子供が、雨の晴れまに赤トンボが目の前をスイスイとび回っているのに迷わされ、ふらりと出ていき、飛行機に狙撃された。老婆は血だらけになって死んだ孫にぽろをかけ、こわばった顔を押しつけてかきくどいていた。生きている自分にこごとをいっているようでもあった。生きて苦しむより死んで安楽をえたい老婆の気持ちもわかるが、一匹のトンボにふらふらと手をだす子供に強いショックをうけた。平和な赤トンボがなつかしいのだ。

 こういうのは、近代戦が生んだ悲劇だ。

 昔の、刀や槍を振りまわしていた時代の戦いであれば、トンボを追いかけている子どもを殺すことはあまりなかったんじゃないだろうか。よく知らないけど。

 デーヴ=グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』によれば、戦闘に巻き込まれた兵士の大半は「武器を使わない」のだそうだ。殺さなければ自分が死ぬかもしれない、そんな状況に置かれても敵を撃たない兵士のほうが多いそうだ。発砲するのは銃を持っている兵士の20%ぐらい。さらにその大半は威嚇射撃をするので、敵めがけて撃つ兵士は2~3%しかいないという。戦争は意外に人を殺人者にしないのだ。

 が、これはあくまで「相手の顔を見なければいけない状況」での話。敵との距離が離れれば離れるほど殺人は容易になるのだそうだ。

 アメリカ兵がトンボを追いかけている幼児を狙撃できたのは、それが飛行機からの空襲だったからだろう。もしも銃を構えて向き合っている状況だったら、もっといえば銃がなくて剣やナイフしか持っていない状況だったなら、99%の人間にはトンボを追いかけている幼児を殺すことなんてできないはずだ。そうおもいたい。


 多くの人が死んだのは、武器の発達により「相手の顔を見ずに殺せるようになった」からであり、そしてこれこそが二度の世界大戦で戦闘が長期化した理由じゃないだろうか。

 ほとんどの市民や末端の兵士にとって、命を賭けて戦うことってそんなにメリットがないじゃない。へたすりゃ死ぬし、眼前の闘いに勝利したって得るものは大してない。急に戦場に送りこまれたとしたら、さっさと降伏するのが最適解だろう。ぼくならそうする。上官がそれを許さないなら、上官を後ろから撃って降伏する。

 戦中の人たちがかんたんに降伏しなかったのは、教育とか時代の風潮とかもあるだろうけど、「既に多くの人が殺されていたから」じゃなかろうか。

 自分の子どもや親兄弟や恋人や友人を殺されていたとしたら。それでもあっさり「降伏しまーす。ぼくだけは助けてくださーい」と言えるだろうか。


  武器の進化により殺される人が増える
→ 残された人たちは戦う決意を強める
→ 戦いが激化
→ ますます死ぬ人が増え、ますます士気が上がる

というスパイラルに陥った。それが二度の世界大戦なんじゃないだろうか(その後の朝鮮戦争とかベトナム戦争とかもそうだけど)。

 核兵器禁止とかじゃなくて、飛び道具禁止ぐらいにしないと大勢が死ぬ戦争はなくならないだろうね。やるならちゃんと覚悟を持って相手の臓物が切れる感覚をその手で味わいながら殺さないとね(だめです)。




 もう完全に勝敗が決した後、壕にこもった市民や兵士に米軍が降伏を呼びかけるシーン。

 人声がした! 英語らしい。米軍だ! 彼らはついにこの洞窟に気がついたのか。一同は声をのみ、神経を耳に集めた。全身に、じっとり汗を感じた。生徒たちの胸は文字通り早鐘を打った。方方で歯をガチガチ鳴らしている。軍医・看護婦・衛生兵にいたるまでおびえに変わりはない。しばらくすると舌のまわりかねた日本語が聞こえてきた。
「でてこい、でてこい、殺さない、恐れないででてこい。水、タバコ、ごちそう、なんでもあります」
 生徒たちは動揺した。兵隊も看護婦もそわそわしだした。カナは意を決して立ちあがった。
「みなさん、最後の救いです。出ましょう。さ、出ましょう。これが、おそらく最後の――」といったときに、カナはガーンという音を後頭部に感じた。彼女は眼前がまっ暗になり、どろぐつの散乱している上へ倒れて気がとおくなった。そこには狂気のような老軍医がやせ細った両手のこぶしを頭の上にかざしてわなわなとふるわせ、仁王立ちに立ちはだかっていた。落ちつきをみせたいのと恥をさらすまいとして、懸命にみえをきっているのだが興奮で口がきけないようである。彼は略帽を脱いでカナにたたきつけたが手もとが狂い、帽子はたあいなく暗やみに消えていった。
「こんなやつが、大和魂にどろを塗るんだ。日本軍人は生きて捕虜になるより死をえらぶのだ。日本人なら子供でも知っている。それをヤマトダマシイというんだ。敵のデマにだまされて生き恥をさらすことがどんなものだか、君たちは知らないのか? 壕からでて彼らの前に出てみるがよい。お前たちのからだはどうなると思う? お前たちは玉のような純潔をすて、処女をすててまで生き延びようというのか。玉砕をきらいかわらとなって命をまっとうしたいのか?よろしい妾婦畜生の道に落ちてもかまわんと欲するやつは、出ていけ! さあ、でていけ!」
 叫ぶほど老軍医の小さいごま塩頭や孤独の顔が貧寒として見えた。水を打ったように静まったあたりの空気をふるわせてすすり泣きが聞こえ、カナのそばにはミトが小さくなってふるえている。カナの信念は老軍医によって大地にたたきつけられた。またもや、拡声器の声が洞窟の中へ流れてきた。
「この穴にはだれもいませんね。いたらでてきてください。早くしないと火器で大掃蕩をはじめるがいいですか? はじめてもよいですか?」

 はあ、くっだらない。くだらない死だ。犬死に。これを「祖国を守るための貴い犠牲」なんて言う輩の気が知れない。貴い犠牲どころか、何の価値もない無駄死にだ。まったく死ぬ必要のない状況での玉砕(笑)。

 こんなのをあがめたてまつってはいけない。英霊じゃない。ばか死だ。ばかすぎる。「昔の日本人はこんなにばかだったんだよ」って笑いものにしなきゃいけない。「そして今でもこのばか行為を貴い犠牲だとおもってるばかがいるんだよ。いつの時代にもばかはいるねえ」と笑いものにしなきゃいけない。




 読んでいておもうのは、つくづく戦争に巻き込まれた市民にとっては勝ちも負けもないんだなってこと。負ければもちろん悲惨だし、勝ったところで得るものより失うもののほうが大きい。

 市民や戦地に行く兵士にとってみれば、戦争に巻き込まれた時点で負け、もっといえば参戦を決めた政治家を選んだ時点で負けなんだろうな。


【関連記事】

【読書感想文】語らないことで語る / ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』

【読書感想文】人間も捨てたもんじゃない / デーヴ=グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』



 その他の読書感想文はこちら


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿