くじ引きしませんか?
デモクラシーからサバイバルまで
瀧川 裕英 岡﨑 晴輝 古田 徹也
坂井 豊貴 飯田 高
最近「くじ引き民主主義」という考え方がちょっとだけ注目を集めている。
くじ引き民主主義とはその名の通り、くじ引きで代表者を決める制度だ。ランダムに選ばれた有権者が国会議員となる制度。いってみれば裁判員制度の代議士版。
そんな無茶な、とおもうかもしれない。ぼくもはじめて聞いたときはそうおもった。でたらめに選んだ人間を国会議員にするなんて。決して今の国会議員が優秀とはおもわないけど、少なくともランダムに集めた人よりはマシだろう。僅差だけど。
だが、くじで代表を選ぶのは古代ギリシャなどでも取り入れられており、メリットも多い制度として昨今改めて注目されているというのだ。国内外の自治体などで導入され、成果も上げているという。
くじで代表を選ぶことのメリットとしては、
- 様々な人が議員に選ばれ、多様性を政策に反映しやすい
- 少数派の意見も政策に反映される可能性が高まる
- 政党、派閥、支援団体、利権のしがらみを受けにくい
- 一般市民の政治への関心が高まる
- 贈賄が起きにくい(票を買っても当選できるとは限らないので)
などだ。おお、いいじゃないか。
もちろんデメリットもある。
ま、このデメリットのうち「有権者に対する説明責任が果たされにくくなる」に関してはだいぶあやしいけどね。現在、投票で選ばれた政治家が説明責任を果たしているとはおもえないので。
「政策を誤ったときの責任の所在が不明瞭になる」ってのも指摘されてるけど、それも今だって誰も責任をとらないので同じだ。汚職にまみれて大赤字になった東京オリンピック誘致の責任を誰かとりましたっけ?
よく考えてみたら、投票をして多数派が政権をとる、ってずいぶん乱暴な話だよね。小選挙区制みたいなゴミカス制度だと、現状有権者の二割か三割ぐらいの票をとれば当選できる。有権者の二割か三割ぐらいにしか支持されていない政党が、七割ぐらいの議席を得ることもある。むちゃくちゃ雑な制度だ。
その雑さを当の議員たちが理解して謙虚にふるまっているならまだしも、「これが民意だ」なんてうそぶいている輩までいる。無知のふりをした邪悪か、それとも単なるバカなのかわからないが。
代表者をくじ引きを選ぶことにはメリットもデメリットもある。投票制と同じように。
ということで、選挙制と抽選制の併用を掲げる研究者が多いようだ。たとえば、衆議院はこれまで通り投票で選ぶことにして、参議院のほうは抽選で幅広い人材を集める、とか。
これはいいね。親が政治家でなくても、金持ちでなくても、知名度がなくても、党のいいなりにならなくても、国会議員になるチャンスがある。これこそ民主主義国家だよね。
今の参議院なんか何のためにあるのかわからないし、大きく選出方法を変えたほうがいいんじゃないかな。
やべー奴が議員になってしまう可能性はあるけど、それは投票制でも同じだし、数パーセントぐらいはやべー奴がいたっていいかもしれない。現実の世の中を反映していて。
抽選で議員を選ぶことは、一部の特権階級議員の暴走を止めることにつながるかもしれない。
選挙ではあたりまえのように多数決が使われているけど、多数決ってぜんぜんいいことないんだよね。
「小学校で使うからバカでもわかりやすい」「数を数えればいいだけなので集計が楽」ぐらいしかメリットがない。
民意を反映させる上でぜんぜんいいシステムじゃないのに、あまりにも使われすぎている。
同性婚や夫婦別姓選択制や基地問題や原発建設地問題のように「少数者にとっては深刻なテーマだが、多数の者にとってはとるにたらないこと」が、多数決だとないがしろにされがちだ。
多数決を前提とした選挙制度だと、マイノリティにとっての重要課題がずっと後回しにされてしまう。人間誰しも、ある分野ではマイノリティになるのに。
「多数派の傲慢」を打ち破るくじ引き投票制、ぜひ導入してみてほしい。
ただ問題は、多数決で選ばれた今の政治家が変えたがらないだろうことなんだよな。地盤やコネクションや票田がぜんぶ無駄になっちゃうもんな。特に参議院議員にとっては既得権益を手放すことになる。
とりあえず小学校での「なんかあったら多数決」を変えるとこからかな。
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