「もしもし」
「桂川だな」
「そうですが」
「単刀直入にいこう。おまえの息子をあずかった」
「おまえ……なんて卑劣な……」
「こっちの要求はシンプルだ。現金で一億円用意しろ。受け渡し手段は後で連絡する」
「そんなこと急に言われても……」
「おっと、用意できないとは言わねえよな。金庫にたんまりあるのをこっちは知ってんだ」
「……」
「わかってるとはおもうが、誰にも知らせるんじゃねえぞ。じゃなきゃ息子の命は保証しない」
「おまえには人の心がないのか」
「これは取引だ。ビジネスライクにいこうぜ。それがあんたのやりかただろ? へっへっへ」
「……わかった。ビジネスライクにいきましょう」
「?」
「こちらの希望条件をお伝えします。本日中に息子を我が家まで無事に送り届けること。息子の無事を確認したら、息子を預かってくれた謝礼として現金で十万円手渡します。領収書は不要です」
「は?」
「半日のベビーシッター代としては十分すぎる額かと見ています。食費や交通費など、息子の面倒をみるのに要した経費は別途請求してくれればお支払いします」
「ちょっと待て、ふざけんな。なんだ十万円って。こっちは一億円要求してんだ」
「一億円は呑めません。どうしてもというのであれば他をあたってください。十万円なら捻出可能です」
「おまえ息子がかわいくないのか」
「ビジネスライクにいきましょう」
「は?」
「よくお考えください。
そちらが今日中に息子を連れてきてくだされば、十万円が手に入るわけです。こちらは警察には知らせません。
ですが連れてきていただかなければこちらとしても警察権力に頼らざるをえません。九分九厘そちらは逮捕されるでしょう。仮に逃げおおせたとしてもずっとおびえて暮らすことになるでしょう。もちろん一億円は手に入りません」
「……」
「ビジネスライクにお考えください。どちらが利益を生むか」
「……おまえが約束を守るという保証は?」
「もちろん契約書を取り交わします。フリーメールを用意してくだされば、そこに捺印済みの契約書のPDFファイルをお送りします。そちらは捺印して返送してください」
「そうするとこちらの氏名住所が知られてしまう」
「そのときにはもう契約成立です。契約書はそちらの手元にもあるわけですから。こちらが支払わなければ契約不履行で管轄裁判所に申し出てくださってもかまいません」
「しかし一億円のはずが……。苦労して計画してきたのに……」
「『コンコルド効果』という言葉をご存じでしょうか」
「なんだそれは」
「それまで投資してきた時間や労力を惜しむあまり、利益を生まないとわかっていても撤退を決断できない心理のことです。
計画を実行しようが中止しようが、これまでに投下したコストは返ってきません。だったら未来だけに目を向け、どう行動するのが利益を最大化するかを考えたほうが得だとおもいませんか」
「たしかに……」
「過去は変えられませんが、未来は変えられるんですよ」
「いい言葉だな……いえ、いい言葉ですね……」
「おわかりいただいたようでなによりです」
「ではこちら側のタスクとして、さっそくフリーメールをご用意させていただきます」
「こちらは現金のご用意に取りかからせていただきます」
「それでは、今後とも引き続きよろしくお願いいたします」
「何卒よろしくお願いいたします」
2020年6月30日火曜日
2020年6月29日月曜日
ラテン語きどり
学者ってやたらとラテン語使いたがるじゃない。
動植物の学名とか。恐竜の名前とか。
ラテン語なんて今や誰も使ってないのに。
なんだよ、きどっちゃって。
あれでしょ。
自分は教養があるぜって言いたいんでしょ。
庶民とは違うんだぜって言いたいんでしょ。
とはいえじつはラテン語なんて知らないからこそこそラテン語辞典引いて、まるではじめから知ってましたけどなにか? みたいな顔で発表してるんでしょ。
まったく、素直じゃないんだから。
……とおもってたら。
更科 功『絶滅の人類史』にこんなことが書かれていた。
あー……。
なるほど……。
たしかに言葉って移りかわるものだもんね。
昔の「をかし」と今の「おかしい」はちがう意味だもんね。
そっかそっか。
死んだ言葉には死んだ言葉なりの使い道があるのか。
そっかー。
きどってたんじゃなかったのね。
素直じゃないひねくれ者なのはぼくのほうでした。
ごめんなさい。
2020年6月26日金曜日
ツイートまとめ2019年12月
公園
ホームレスに出ていってもらうために公園より居心地のよい場所を提供するのではなく、公園を居心地悪くする行政。公園の目的とは。 https://t.co/CrV37cZsvL— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 1, 2019
憲法
憲法は「政府が暴走をはじめたときは国民がそれを止められるように」という前提で作られている。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 2, 2019
憲法を作った人たちもまさか、
「政府が暴走しても、そしてそれが明るみに出ても、不利益を被る国民のうちかなりの割合がそれを支持する」
なんて事態は想定していなかっただろうな。
きつね色
完璧なこんがりきつね色のオムレツをつくる方法。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 2, 2019
①まず動物園に行ってきつねの写真を何百枚も撮ります。
ストレス
SNSとかで「俺は組織に縛られず自由な生き方してるからストレスを感じないぜ~」的なことを発信してる人を見ると、ああストレス溜まってるんだろうなあとおもう。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 2, 2019
無知と未知
そうか、世の中には自分の知らないことに出会うことを「恥」ととらえる人間がいるのか。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 3, 2019
そういう人にとって、新しい本を読むのはつらいだろうな。「自分の知らないこと」ばかりをつきつけられるわけだから。
本を読まない人や、同じような本ばかり読む人は「恥」を避けているのかもしれないな。
かけ算の順序
「カレー レシピ」で検索— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 4, 2019
↓
かけ算の順序を気にするGoogle
「もしかして: レシピ カレー」
You
空港で訪日外国人つかまえて「なんで日本に来たの?」と質問する番組をつくろうと言いだした人は、— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 4, 2019
コンビニに入るたびに
「ねえなんで数あるコンビニの中からうちを選んでくれたの? 何買うつもり? 君が買い物するとこ見てていい?」
って質問攻めにされてほしい。
ミニマム
へえ。「余計なものは持たないミニマム生活」って言ってんのにSNSのアカウントは持ってるんですねー。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 4, 2019
なぞなぞ
さかさにすると静かになるものな〜んだ?— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 5, 2019
答え:うちの一歳児
社長
あるWebサービスがサーバー落ちしたとき、運営会社の社長がTwitterで— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 6, 2019
「ご迷惑おかけしてます!」「原因調査中です!」「全力で取り組んでおります!」
ってひっきりなしに投稿してて、社長が自ら復旧作業にあたるわけではないとは知りつつも、うるせえTwitterやってんじゃねえよと腹が立ちました。
におう
「におう」って自動詞でもあり他動詞でもあるな。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 6, 2019
「私は足をにおう」なら他動詞だし、「このパンツはにおう」なら自動詞。
薬物
ラッパーとかDJとかが薬物使用で逮捕されると、ああよかったちゃんと世界はぼくのイメージと近い軌道で動いているなとちょっと安心する。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 6, 2019
てへっ
一歳児がわざとお茶をこぼすので「ダメ!」と叱ったら、— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 6, 2019
手のひらを後頭部にあてて首をかしげながら舌を出したので
「うわっ! 『てへっ』だ! 漫画でしか見たことないやつ! はじめて見た!」
と大興奮してしまった。
突き詰める
「環境保護の思想は、突き詰めれば『人類は滅亡したほうがいい』になるから危険だ」— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 14, 2019
と言ってる人がいたんだけど、なんで突き詰めんだよ。誰も突き詰めろなんて言ってねえよ。
困ってる人に1万円寄付する人は、全財産寄付するまで突き詰めなくちゃいけないのかよ。
当たり馬券
それよりは「今はまだわからないけど当たるかもしれない」未出走馬に賭けるほうがまだ当たる可能性があるとおもうんだよね。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 20, 2019
とはいえ三十歳ぐらいになると未確定要素は少なくなるので、どっちにしろ歳をとると厳しいよねという身もふたもない話。
自由民主党
自由民主党はほんとに自由と民主主義が嫌いなんだなあ。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 20, 2019
世論調査
初めて世論調査の電話がかかってきた!— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 21, 2019
一度回答してみたかったのだが、出かける直前にかかってきたのと、
「それでは質問を開始します。まずあなたの性別を教えてください。男性なら……」
を聞いてこれ全部回答するのにどんだけ時間かかんねんと思って電話を切った。
あれ回答するの難しいよ!
ロベカル
ロベルト・カルロス「まあロベカル的には〜」— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 21, 2019
トラウマ
これあれだ。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 24, 2019
「ドラえもんは耳をかじられたからネズミが苦手」とおんなじだ。 https://t.co/yDDiLNXxUC
句
一歳が— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 24, 2019
スーツに抱きつき
つけし洟
ペイ
ハンターハンターでキルアが2回目のハンター試験受けるとき、試験官が「ん~~~~お前ら殴り合うか? 5人ぶっ倒したらオレのところへ来い」って言うけど、— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 26, 2019
キャッシュレス決済しようにも〇〇ペイがありすぎてどれ選んだらいいのかわからないぼくもそんな気持ち。 pic.twitter.com/FldzTpyxfS
正邪
正社員の対義語は邪社員。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 26, 2019
隠滅
娘が「サンタさんにお菓子あげる!」って言って枕元にお菓子置いて寝たので、プレゼント置くついでにお菓子もらって食べた。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 26, 2019
お菓子のごみをごみ箱に捨てたら翌朝娘に見つかるおそれがあるので、コートのポケットに隠して翌朝駅のごみ箱に捨てた。殺人犯が凶器を処分するときの気持ち。
無限のファンタジー!
楽しい迷惑メール届いた。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 26, 2019
「あなたは大きな変態です。無限のファンタジー!」
「はい、はい。それはすでに始まっています!」
「私に怒らないでください、誰もが自分の仕事をしています。お別れ。」
こんな文章を書けるようになりたいなあ(なりたくない)。 pic.twitter.com/dz9DLZgzOg
洞窟
「この洞窟に入って生きて帰った者はいない……」— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 27, 2019
「死んで帰った人はいるんですか」
「ああ」
「死んでるのにどうやって帰ってきたんですか?」
「他の人間が死体を回収しにいったのだ」
「回収しに行った人は生きて帰ってきたんですよね?」
「その質問をして生きて帰ったやつはいない……」
シェアハウス
「シェアハウスに住むようなタイプの人って苦手だな」とおもってる人ばっかりが住むシェアハウスがあれば住んでみたい。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 27, 2019
コッシー
椅子界の頂点に君臨するコッシー pic.twitter.com/8LT4L7MBLA— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) December 30, 2019
2020年6月25日木曜日
しゃぼん液の恐怖
公園にいた親子。
おねえちゃん(四歳ぐらい)がしゃぼん玉を飛ばしている。
その横には一歳ぐらいの男の子。
とつぜん、男の子が火が付いたように泣きだした。
しゃぼん液の容器を手にしている。
どうやらしゃぼん液をおもいきり飲んでしまったらしい。
しかしおとうさんは悠然としている。
「おー。しゃぼん液飲んじゃったのかー。それはあんまり栄養ないぞー」
なんてのんきなことを言っている。
まあしゃぼん液なんて決して身体にいいものではないだろうが、かといって大あわてするほどのものでもない。
ということはわかっている。
わかっているのだが。
ぼくの心臓はばくばくしている。
なぜならぼくは子どものころにしゃぼん玉あそびをするとき、母親から
「それ飲んだら死ぬよ!」
と脅されていたからだ。
うちの母親はことあるごとに「死ぬよ!」と息子を脅していた。
「道路に飛びだしたら死ぬよ!」とか「勝手に火を使ったら死ぬよ!」とか。
まあそれはあながち嘘でもない。
道路に飛びだしたり火遊びをしたりして命を落とす子どももいるのだから。
また「死」は子ども心にもこわいので、その脅しはちゃんと効果があった。
「道路に飛びだしたらタイミングが悪ければ車にひかれて、打ちどころが悪ければ命を落とすこともあるよ」
よりも
「死ぬよ」
のほうがずっと効果がある。
しかしそれに味を占めたのか、「はよ寝ないと死ぬよ!」とか「ほこりまみれの部屋で生活してたら死ぬよ!」とか「死ぬよ」を乱用するようになり、その使用頻度に反比例して脅し効果も薄れていった。
だが幼いころに言われた「しゃぼん玉の液飲んだら死ぬよ!」という言葉は、ぼくの心の奥底に恐怖心といっしょに深く刻まれたままだ。
五歳ぐらいのときだったとおもうが、うっかりしゃぼん液を少しだけ飲んでしまい、号泣しながら
「おかあさん! しゃぼん玉の液飲んじゃった!」
と母のもとにかけつけた記憶がある。
あのときは本気で命の危険を感じたのだ。
いまでもしゃぼん液はこわい。
もちろん理屈ではそんなはずないとわかっている。
しゃぼん液なんて界面活性剤さえあればつくれると。しょせんは石鹸や洗剤だと。
石鹸にしても洗剤にしても多少は口に入ることを想定してつくられているのだからよほど大量に飲用しなければどうってことないと。
だいたい本当に危険なものだったら子どものおもちゃにするわけがないと。
わかっているが、だからといって心の奥底に染みついた恐怖心が薄れるわけではない。
罰なんてあたらないとわかっていてもお地蔵さんを蹴ることができないのといっしょで、ぼくはいまでもしゃぼん液を口に入れるのがこわい。
息子がしゃぼん液を飲んだというのに悠然としているおとうさんの傍らで、ぼくはおろおろしている。
救急車呼んだほうがいいんじゃないでしょうか。
胃洗浄とかしてもらったほうがいいんじゃないでしょうか。
よそのおとうさんに、言いたくて仕方がない。
おねえちゃん(四歳ぐらい)がしゃぼん玉を飛ばしている。
その横には一歳ぐらいの男の子。
とつぜん、男の子が火が付いたように泣きだした。
しゃぼん液の容器を手にしている。
どうやらしゃぼん液をおもいきり飲んでしまったらしい。
しかしおとうさんは悠然としている。
「おー。しゃぼん液飲んじゃったのかー。それはあんまり栄養ないぞー」
なんてのんきなことを言っている。
まあしゃぼん液なんて決して身体にいいものではないだろうが、かといって大あわてするほどのものでもない。
ということはわかっている。
わかっているのだが。
ぼくの心臓はばくばくしている。
なぜならぼくは子どものころにしゃぼん玉あそびをするとき、母親から
「それ飲んだら死ぬよ!」
と脅されていたからだ。
うちの母親はことあるごとに「死ぬよ!」と息子を脅していた。
「道路に飛びだしたら死ぬよ!」とか「勝手に火を使ったら死ぬよ!」とか。
まあそれはあながち嘘でもない。
道路に飛びだしたり火遊びをしたりして命を落とす子どももいるのだから。
また「死」は子ども心にもこわいので、その脅しはちゃんと効果があった。
「道路に飛びだしたらタイミングが悪ければ車にひかれて、打ちどころが悪ければ命を落とすこともあるよ」
よりも
「死ぬよ」
のほうがずっと効果がある。
しかしそれに味を占めたのか、「はよ寝ないと死ぬよ!」とか「ほこりまみれの部屋で生活してたら死ぬよ!」とか「死ぬよ」を乱用するようになり、その使用頻度に反比例して脅し効果も薄れていった。
だが幼いころに言われた「しゃぼん玉の液飲んだら死ぬよ!」という言葉は、ぼくの心の奥底に恐怖心といっしょに深く刻まれたままだ。
五歳ぐらいのときだったとおもうが、うっかりしゃぼん液を少しだけ飲んでしまい、号泣しながら
「おかあさん! しゃぼん玉の液飲んじゃった!」
と母のもとにかけつけた記憶がある。
あのときは本気で命の危険を感じたのだ。
いまでもしゃぼん液はこわい。
もちろん理屈ではそんなはずないとわかっている。
しゃぼん液なんて界面活性剤さえあればつくれると。しょせんは石鹸や洗剤だと。
石鹸にしても洗剤にしても多少は口に入ることを想定してつくられているのだからよほど大量に飲用しなければどうってことないと。
だいたい本当に危険なものだったら子どものおもちゃにするわけがないと。
わかっているが、だからといって心の奥底に染みついた恐怖心が薄れるわけではない。
罰なんてあたらないとわかっていてもお地蔵さんを蹴ることができないのといっしょで、ぼくはいまでもしゃぼん液を口に入れるのがこわい。
息子がしゃぼん液を飲んだというのに悠然としているおとうさんの傍らで、ぼくはおろおろしている。
救急車呼んだほうがいいんじゃないでしょうか。
胃洗浄とかしてもらったほうがいいんじゃないでしょうか。
せめて救急安心センター事業(#7119)に電話して相談したほうがいいんじゃないでしょうか。
よそのおとうさんに、言いたくて仕方がない。
2020年6月24日水曜日
【読書感想文】叙述トリックものとして有名になりすぎたせいで / 筒井 康隆『ロートレック荘事件』
ロートレック荘事件
筒井 康隆
<ネタバレあり>
叙述トリックものの話になると必ずといっていいほど名前の挙がる『ロートレック荘事件』。
正直、その前評判と“叙述トリック”という前提知識のせいで、「期待外れ」というのが正直な感想だ。
叙述トリックミステリというやつをいくつも読んできた。
ナントカラブとかナントカの季節とかナントカ男とかナントカにいたるナントカとか。
その後で『ロートレック荘事件』を読むと、「なんでこれが評価高いんだ?」とふしぎにおもう。
とはいえそれは今だからこその感想であり、発表当時(1990年)には『ロートレック荘事件』のトリックはたいへん斬新だったのだろう。
(さっき一部だけ挙げた叙述トリックミステリたちも『ロートレック荘事件』以後の作品だ)
ということで、ミステリ史を語る上では欠かせない作品なんだろうけど(そしてそれを書いたのがSF作家の筒井康隆氏というところがまたすごい)、残念ながら2020年のミステリファンを納得させられる作品ではない。
叙述トリックを読んだことのある読者なら、けっこう早い段階でタネがわかっちゃうんだよね。
一人称小説、同じ人物に対する呼び名が変わる(苗字で呼ばれたり下の名前で呼ばれたり「画伯」と呼ばれたりする)、誰の発言か明記されていない台詞が多い、そろっていない章タイトルなど、あからさまにあやしいことだらけ。
これで「この“おれ”とこの“おれ”は同一人物ではないな」と気づかないわけがない。
それだけでも2020年の読者にとっては野暮ったいのに、さらにクサいのがタネ明かしパート。
「ほらほら。じつはこれも伏線だったんやで」
「ここの記述は〇〇とおもったやろ? じつは××やねんで」
「ここは語り手が入れ替わっていたんでしたー。どやっ」
みたいな説明がくどくどと続く。
これがもう寒くて見ていられない。
昨今は「たった一行ですべてをひっくりかえす」みたいなスマートなミステリがたくさんあるからなあ。
まあこの泥臭さも筒井康隆氏らしいといえばらしいんだけど。
ミステリ作家ではない人のミステリ、って感じだな。
ってことで、ミステリとしてはイマイチ(あくまで今読むと、の話ね)。
でも小説としてはけっこう好きだった。
犯人が判明してからの、ラストの意外な事実とやるせないエンディングはしびれた。
身体障碍者ならではの卑屈さ、かわいさあまって憎さ百倍といった複雑な心境などは、表現のタブーに挑戦しつづけてきた筒井康隆氏ならでは。
障碍者を犯人に据える、しかも犯行動機にも障碍が深くかかわってくる……となると書くのに腰が引けてしまいそうなものだけど、ネガティブな部分をしっかり書ききっているのはさすが。
あと、いとこ同士の「他人でありながら一心同体に近い関係」という設定もうまいね。
この関係だからこそ、「相手のことを我が事のように書く」ミスリードが不自然でない。
とはいえ、「いとこが自分から離れるのがイヤだから」という理由でいとこと結婚しそうな女性を殺していくのはさすがに動機として無理があるやろ……。
無限に殺しつづけなあかんやん……。
いとこのほうも、いくら贖罪の気持ちがあっても自分の婚約者を殺した人物をかばおうという気になるだろうか……。
ということで、叙述トリックものとして有名になりすぎてしまったこともあって犯人当てミステリとして読むと賞味期限切れ感は否めないけど、心情の揺れや人間関係を描いた小説としては今読んでも十分楽しめる小説でした。
あ、随所に掲載されているロートレックの絵画がなにかのカギかとおもったら、ぜんぜんそんなことなかった。
小説にわざわざ絵を載せるんだからぜったい意味があるとおもうじゃないか……。
なんだったんだあれは……。
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