2017年11月20日月曜日

苦痛を回避できるようになったら/小出もと貴『アイリウム』【読書感想】


『アイリウム』

小出もと貴

内容(Amazonより)
1錠飲めば1日分の記憶を飛ばすことができる薬、アイリウム。薬が効きはじめると、他人から見れば意識もあり普段通りの生活をしているように見えて、その間の記憶がまったくなくなってしまう。つまり、嫌な思いをする出来事の前に飲んでおけば、その事を思い出すことなく日常生活が送れるのだ。記憶を薬でコントロールできるようになった時、その人の生はどんな彩りになるのか…。

「薬が効きはじめると、他人から見れば意識もあり普段通りの生活をしているように見えて、その間の記憶がまったくなくなってしまう薬、アイリウム」をめぐる短篇漫画集。
映画監督の卵、兵士、ロックンローラー、ママ友、ホストなどがアイリウムを使い、アイリウムに翻弄される姿が描かれている。

アイデアはおもしろいのだが、設定の雑さが気になってしまう。
薬の効き方に個人差がまったくないこととか、大量服薬したら1錠あたりの効き目が落ちるのではなくなぜか増幅することとか、記憶がすっとぶという超ヤバい薬なのに法的にぜんぜん規制されていないこととか。いくらなんでも甘すぎるだろう。
いやSFでがっちがちに整合性を求めるのは野暮だとわかってるけど。でも中途半端にこの薬ができた経緯とか設定しているから、だったらほかの矛盾点にも納得のいく説明をつけろよな、と思ってしまう。もっと上手に嘘をついてくれ。できないんだったら星新一みたいに「こんな薬ができました」ぐらいにして非リアリティに徹したらいいのに。



「1日分の記憶が消える薬」はできないだろうけど、「嫌なことを感じなくなる薬」はそのうちできるんじゃないだろうか。苦痛、悲しみ、怒りなどを感じる脳の部位を麻痺させる薬。いってみたら精神的な麻酔薬だね。
兵士とか死刑執行人とかが「嫌だけどやらなきゃいけないこと」をするときにあらかじめ飲んでおくと、ストレスを感じたりPTSDになったりしない。仕事で謝りにいかなきゃいけないときとか、恋人と別れ話をするときとかにも使える。

苦痛を回避できるようになったらどうなるんだろうなあ。とってもハッピーな生活が待っているのだろうか。
しかし苦痛を感じないというのはブレーキが効かなくなることでもあるわけで、みんなが精神的麻薬を使ったら社会の秩序は崩壊するかもね。ポジティブな人って周囲に迷惑かけまくりだったりするもんね。世の中って「怒られるのが嫌だから」「捕まりたくないから」とかで成り立っているところも大きいもんなあ。

って考えると、薬学が進歩してもぼくらが嫌なことから逃れられる日は来ないかな。
嫌なこととは一生付き合っていくしかないか。嫌だけど。



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2017年11月19日日曜日

お菓子問題のソリューション


とうとうこの日がきた。 会社のデスクの上から2番目の引き出しをお菓子入れにしてるんだけど、今日、引き出しが閉まらなくなってしまった。お菓子の入れすぎだ。

数えてみたら引き出しには17種類のお菓子が入っていた。
定番のキットカット、ミルキー、LOOKチョコ、ダース、チェルシー、チロルチョコから、ピスタチオ、みたらし餅やトマト飴まで。Blendyのコーヒーと紅茶もあるし、しかも机の上にはみかんが6つ置いてある。
どう考えても備えすぎだ。
大地震が起きて帰宅難民になっても、2週間くらいは食いつないでいけそうだ。

こう書くとぼくが仕事中ずっとお菓子ばかり食べている人みたいだが、そんなことはない。
ぼくが飲み食いしている正味の時間は、勤務時間の8分の1、つまり1時間くらいだ。
では、たったの1時間しか食べていないのにどうして引き出しがいっぱいになるのか。
それは食べる分以上に買ってしまうからだ。

ぼくの実家では、みんなそれほどお菓子を食べるわけじゃないのに常に数種類のお菓子が置いてあった。急な来客に対応するためだろうか(急な来客なんてないのだが)。
だからだろうか、お菓子のストックがなくなると不安になる。
読書好きの人ならわかると思うが、常に未読の本が手元にないと居ても立っても居られない。あの感覚だ。

いくら甘いものが好きだといってもそうたくさんは食べられない。
でもお菓子は買いたくなる。
人にあげればいいのだと思って、ことあるごとに同僚にお菓子をあげるようにしている。
とはいえあまり頻繁にやっていると、引き出し内がお菓子だらけの人だと思われそうで恥ずかしい。与えすぎて懐かれても困るし。

この引き出しに小人が棲みついてくれないかな。 ときどきお菓子を食べてもいいから、ぼくが居眠りをしている間に仕事をやっといてくれるってのがいちばんいいソリューションなんだけど。


2017年11月18日土曜日

高級食パンが教えてくれた残念な真実


職場の近くに、行列のできる食パン屋さんがある。
「高級生食パン」と店には書いてある。いつも人が並んでいるのだからよほどおいしいのだろう。

ずっと気になっていたのだが行列が嫌いなので買ったことがなかった。
ところがある日、店の前を通りかかるとたまたま行列がゼロだった。これはチャンスと中に入ってみた。どうやら閉店間際のようだ。
「まだパンありますか」と訊くと、店員のお姉さんは言う。

「一斤のパンは売り切れてしまったんです。でも二斤を半分にしたものならまだありますが」

???

一斤はない、しかし二斤を半分にしたものはある。
ぼくの頭は混乱した。二斤を半分にしたものは一斤じゃないのか。わけがわからない。こんなに混乱したのは高校の化学の授業で「1モルの二酸化炭素の中には1モルの炭素原子と2モルの酸素原子があります」と習ったとき以来だ。
どういうことだ。一斤という単位はモルのようなものなのか。一斤のパンは何モルのイースト菌に相当するんだ。

パニックのあまり「うわああああ」と声を上げる寸前で、見かねた店員さんが説明してくれた。
「一斤用の型と、二斤用の型があるんです。一斤用の型で焼くと周囲すべてに焼き後がつくんですが、二斤用のパンを半分にしたものには焼き後のない面があります」

ふむ。正直よくわかんなかったが、とりあえずわかったような顔でうなずいた。化学の先生が一生懸命モルの説明をしてくれた後に「長々と説明してくれたのはありがたいですがさっぱりわかりませんでした」と言う勇気がなくてあいまいにうなずいた高二の夏と同じように。

一斤四百円もした。たけぇ、と声に出しそうになった。これ買うんだったらベンツ買えるじゃん、と思った。どんなベンツだ。
しかし今さら「持ちあわせがないのでやめときます」とは言えずに、なけなしの四百円をはたいて高級食パンを購入した。





翌朝、食べてみた。焼かずにそのままちぎってお召しあがりくださいと書いてあったので、ほんとはトーストしてバターとハチミツをたっぷり塗って食べたかったのだが、言われるがままにそのまま食べてみた。

ふうん、まあふつうの食パンよりはおいしいね。うん、そのまま食べても苦にならない。ぜんぜん食べられるな……。

ここで気がついた。

ぼくは食パンが嫌いなんだ。

おまえは今まで食ったパンの枚数を覚えているかと問われても困ってしまうぐらい多くの食パンを食べてきたけど、そしてずっと気がつかなかったけど、ぼくは食パンが嫌いだったんだ。
ジャムを塗ったりハチミツをつけたりチーズを乗せて焼いたりしてごまかしていたけど、そもそも食パンが好きじゃなかったんだということに三十数年生きてきてはじめて気がついた。
マイナスからスタートしているから、「めちゃくちゃおいしい食パン」を食べても「これなら苦にならない」ぐらいの残念な感想しか出てこない。いやほんとはすごくおいしいんだと思う。じっさい、妻はおいしいおいしいと言いながらほおばっていたし。
でも妻はパン好きで、ふつうの食パンを+50ぐらいで食べているから高級食パンを食べて+95ぐらいの喜びを味わうことができる。でもぼくはふつうの食パンを-30ぐらいに設定しているから高級食パンを食べても+15ぐらいにしか感じられない。

「うん、まあいけるね」なんて言いながらも、我慢できずに途中からハチミツを塗って食べてしまった。
パンをつくった人にはほんとに申し訳ないと思う。新鮮なマグロの大トロをシーチキンにしてマヨネーズとあえて食べちゃうぐらいもったいない食べ方だと思う。
だからというわけじゃないけれど、これだけは言わせてほしい。高級食パン、四百円もするだけあって、ふわふわもちもちのすばらしいパンだった。ほんとにおいしかったよ(主にハチミツが)。


2017年11月17日金曜日

ロフトのある部屋


ロフトのある部屋に住んでいたことがある。
そう、部屋の中に急な階段があって、部屋内二階みたいな小さいスペースがあるアレ。


不動産屋に連れていかれてロフトを見た瞬間、即決した。

駅から遠かったけど、マンションの前はつぶれたラブホテルだったけど、そのつぶれたラブホテルは近くの外国人パブの寮になっていて南米人のおねえさんたちがやかましかったけど、「ロフトがあるのに住まない理由はない!」と思って即決した。

その部屋にはロフトはあるけど洗面所がなかった。
なんでなかったんだろう。風呂はあるのに洗面所はない。トイレの中に手洗いスペースはついているのに洗面所はない。今考えてもふしぎだ。
吉田戦車『伝染るんです』という漫画に、隠されていた洗面所を発見して「うちにも洗面所があったんだ!」と大喜びする家族が出てくる。ぼくも「どこかに洗面所が隠れてるんじゃないだろうか」と探しまわったけど、やっぱりなかった。
決して狭い部屋ではなかった。ロフトもあったし。廊下もあったし。なのに洗面所だけがなかった。
廊下のドアを開けると、そこが浴室だった。不動産屋と内見に行ったときはなんとも思わなかったけど、引っ越してきた日の晩に風呂に入ろうとして「あれ? どこで服脱いだらいいんだ?」と困惑してしまった。
まあひとり暮らしだからいいかと思って廊下で服を脱いだけど、すごく背徳的な気分になった。あと風呂から出たらそこが廊下なわけで、ぼくはあまり身体を拭かずに風呂から出る人間なので廊下がびしょびしょになった。
洗面所がないからひげを剃るのは風呂場だった。健康とか愛する家族とか失ってはじめてそのありがたさに気づくものっていくつかあるけど、洗面所もそのひとつだと気づいた。すごく不便だった。

しかしその不便さを補って余りあるのがロフトの存在だった。
だってロフトだもの。隠れ家感すごくない? ひとり暮らしなのに誰から隠れるんだよって冷静に考えたら思うけど冷静さなんかロフトの前ではひとたまりもないよね。

引っ越した当日、さっそくロフトに布団を持ってあがって寝た。
ベッドもあったがだんぜんロフトのほうが魅力的だ。
おまけにロフトの上には天窓があった!
布団にあおむけになると、目の前に星空が広がっているのだ。最高じゃないか。もっとも裸眼だと星なんかちっとも見えないぐらい視力が悪いのだけれど。
「もしこの天窓から誰かが顔をのぞかせたら超こわいな」と思ったらめちゃくちゃ怖くなったので、それは考えないことにした。



引っ越して一週間ぐらいすると、完全にロフトを持てあますようになった。

なにしろ不便なのだ。
ロフトの上にはコンセントがなかった。テレビとかパソコンとか充電器とか、電化製品を持ちこめないのだ。

はじめはロフトの上に布団を敷いて寝ていたが、トイレに行きたくなったときに急な階段を降りるのは面倒だった。またシーツを洗ったり布団を干したりするたびに階段を昇り降りするのもたいへんだった。すぐにベッドで寝るようになった。

書斎にしようかと思ったが、ロフトの上は薄暗く、夜の読書に適していなかった。電気スタンドを持って上がってからコンセントがないことを思いだし、すごすごとスタンドを片手に階段を降りた。

物置きにしようかと思ったけど、ぼくの趣味と呼べるのは読書ぐらいだ。本がいっぱい詰まった重い段ボールを抱えてはしごを上がるのは危険きわまりない。おまけに先述したようにそこそこ広い部屋だったので、わざわざロフトに上げなくても階下に十分本を置くスペースがあった。

また、ロフトの上にある天窓を開けると風が通りぬけてすこぶる気持ちよかったのだが、すぐに天窓から大量の虫が入ってくることに気がついた。天窓には網戸がなかったのだ。
生ごみに群がる小バエを掃除機で吸いながら、二度と天窓を開けるものかと心に誓った。

そんなわけでロフトは引っ越しのときに使った段ボール置き場となり、天窓を開けることもなく、ひと月もしないうちにぼくはロフトに昇らなくなり、階段は無用の長物となった(それどころかときどき足の小指をぶつける凶器と化した)。

それからぼくはロフトと階段を見ると憎々しい気持ちになるのでなるべく見ないようにして(だから小指をぶつけたのかもしれない)、洗面所のない部屋で小バエと戦いながら暮らした(天窓を閉めてもどこからか小バエが入ってきたのだ)。
外国人パブのおねえさんたちが露出の多い服でうろうろしていること以外にいいところはない部屋にうんざりして、仕事を辞めたこともあり、わずか四カ月でロフトのある部屋を引きはらった。

たぶん二度とロフトのある部屋に住むことはないだろう。


2017年11月16日木曜日

1970年頃の人々の不安/手塚 治虫『空気の底』【読書感想】


『空気の底』

手塚 治虫

【目次】
ジョーを訪ねた男
野郎と断崖
グランドメサの決闘
うろこが崎
夜の声
そこに穴があった
カメレオン
猫の血
わが谷は未知なりき
暗い窓の女
カタストロフ・イン・ザ・ダーク
電話
ロバンナよ
ふたりは空気の底に
手塚治虫中期の短篇集。
これらの作品が発表されたのは1968~1970年。この3年間に起こった事件を調べてみると、3億円事件、学生運動による東大入試中止、人類初の月面着陸、大阪万博、よど号ハイジャック……。なんとまあ盛りだくさん。超濃密な3年間だね。
今ぼくが「昭和」という言葉から漠然とイメージするのはこのあたりの時代だな。高度経済成長で勢いがあり、公害や安保闘争といった社会のひずみが表面化した時代でもある。

で、そんな時代の空気を色濃く反映した、グロテスクで虚無的な内容の短篇が集まっている。
ベトナム戦争帰還兵と黒人差別を絡めた『ジョーを訪ねた男』、田舎の村に伝わる伝説と公害病をつなげた『うろこが崎』、東京に核爆弾が落とされる『猫の血』、人類最後の生き残りの恋愛を描いた『ふたりは空気の底に』など、なんとも救いのないショートショートが並んでいる。オチは鋭くないが、じわっとした不快感・不安感が広がる。

1970年頃の人々の不安を表しているんだろうな。
冷戦まっただなかで、いつ核戦争がはじまるかわからない世界情勢。公害や環境問題が問題視され、科学の進歩の先にあるのが希望ではなく絶望ではないかと気づきはじめた時代。それが手塚治虫の漫画ににじみ出ている。

こうした不安は今でも解消されていないけど、たぶん50年前よりはずっと軽減されている。
今でもあちこちで戦争は起こっているけど、世界中を巻きこむ大国同士の核戦争はたぶんしばらく起こらないだろう(とぼくらは思っている)。
エネルギー不足や環境問題は依然としてあるけれどひところよりは状況が改善しているし、きっとどこかの賢い人が解決してくれるだろう(と思っている)。

今のぼくたちが抱えている不安は「貧困への不安」じゃないだろうか。
50年前、それなりの会社に勤めていて、子どもにも恵まれた人は「将来自分が貧困生活を送るかもしれない」という不安はどれぐらい感じていたんだろう。想像するしかないけど、ほとんど感じていなかったんじゃないだろうか。暮らしは右肩上がりで良くなっていくし、年金はあるし、困ったら子どもが助けてくれる。そんな思いが強かったはずだ。
今それと同じように将来に対して楽観視している人はほとんどいない。会社勤めでも、そこそこの貯金があっても、年金に加入していても、子どもがいても、その不安は拭えない。
若者が減って老人が増えて人口が減っていくという人類が経験したことのない時代に直面して、ぼくらは貧困生活に転落しないかと不安でいっぱいだ。



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