facebookには「今日は○○さんのお誕生日です」と通知してくる機能があるが、あのシステムを作ったやつは誕生日を祝ってもらう喜びをまったくもってわかっちゃいない。
誕生日おめでとうと云われることがうれしいんじゃない。
ぼくみたいな人間の誕生日を覚えてくれていたことがうれしいんだ。
カレンダーを見て、ほんの一瞬でもぼくのことを思い出してくれたことがうれしいんだ。
facebookの全自動誕生日通知システムは、その喜びをぶちこわしにしてしまった。
誕生日おめでとうメールをもらっても「あーfacebookに云われたから義務的にやってくれてるのね」としか思えなくなってしまった。
こういう“便利な”機能が追加されていくと、近いうちに
「昨日Aさんが髪を切りました。今日会ったら『髪切った?』と云ってあげましょう」
「Bさんはダイエットに成功しました。『やせたんじゃない? きれいになったね』と云うべきです」
なんて指令がfacebookから届くようになる。
なんて“便利な”世の中なんだろう。だって誰もぼくのことをいちいち覚えていなくていいんだもの!
ぼくがどこに住んでいるのか、どんなものが好きなのか、どんな顔をしているか、最後に会ったのはいつだったか。いちいち覚える必要はない。必要に応じて検索して情報を取り出せばいいんだから。
「あぁ、寒いほど独りぼっちだ!」
そんなふうに世をはかなんで震えていたときに、久しぶりに会った旧友がぼくに云う。
「あれおまえ、髪の毛うすくなったんじゃない?」
ああ。
なんてことだ。
ぼくに関心を持ってくれている人がまだいたなんて。
ちがうんだ。
謝らないでくれ。
ぼくが泣いているのは傷ついたからじゃない。
うれしくて泣いてるんだ!
2015年4月30日木曜日
2015年4月29日水曜日
どこものこども
携帯ショップへ行く。
ショップのお姉さんが機種の説明をしてくれたのだが、彼女は携帯電話のことを「子」と呼ぶ。
「この子たちが通信速度が速い子たちです。
防水にこだわらないのであればこっちの子のほうがおすすめですねー」
みたいな感じで。
携帯ショップで働いているから携帯を我が子のように愛しているのだろうか。
おもしろかったので、心中ではばかにしながら、話をあわせてみた。
「じゃあこっちの子は新しい子たちですか?」
「そうなんですよ! 今年の冬に出た子たちです!」
「子」と呼んであげたのがよほど嬉しかったらしい。テンションが上がった。
でも結局機種変更はせずに帰る。
「子」と呼んでいたら、今使っている子を手放したくなくなってきたからだ。
ショップのお姉さんが機種の説明をしてくれたのだが、彼女は携帯電話のことを「子」と呼ぶ。
「この子たちが通信速度が速い子たちです。
防水にこだわらないのであればこっちの子のほうがおすすめですねー」
みたいな感じで。
携帯ショップで働いているから携帯を我が子のように愛しているのだろうか。
おもしろかったので、心中ではばかにしながら、話をあわせてみた。
「じゃあこっちの子は新しい子たちですか?」
「そうなんですよ! 今年の冬に出た子たちです!」
「子」と呼んであげたのがよほど嬉しかったらしい。テンションが上がった。
でも結局機種変更はせずに帰る。
「子」と呼んでいたら、今使っている子を手放したくなくなってきたからだ。
2015年4月28日火曜日
父が死ぬ日
5月の第2日曜日が母の日で、ゴールデンウィークに里帰りしたついでに、ちょっと早いけどと云って母親にプレゼント。
で、1ヶ月後の父の日。
まあ、たいがい忘れてるよね。
1ヶ月前に帰省したとこだから実家には帰らない。
母の日のときはデパートでもカーネーションの写真と一緒に母の日フェアなんつってやってるのに、父の日フェアは紳士服売場あたりでひっそりとやってるだけ。
忘れてるか、「思いだしたけどもうめんどくさいし忘れてたことにしとこう」のどっちか。
ぼくだけじゃなく、みんなも似たり寄ったりなのではないでしょうか。
ところで、敬老の日には老人の自殺が増えると聞いた。
テレビなんかで敬老の日特集をするので、子どもや孫に会えない年寄りはさらに孤独を感じて自殺しちゃうらしい。
なんて残酷な。
このままでは、父の日も敬老の日と同じように、父が死ぬ日になってしまう。
そこで提案なんだけど、母の日と父の日って、一緒の日にしちゃえばいいんじゃないでしょうか。
『親の日』としてくくっちゃって。
同じ日にしたって誰も困らない。父親も忘れられなくなるし、子どももプレゼントをいっぺんに贈れて助かる。『両親にディナーをプレゼント』なんて贈り物もできるようになるし。
おお、名案だあ。
でももし。
でももし。
これでも、父親だけプレゼントがもらえなかったとしたら。
そのときはもう笑って睡眠薬飲むしかないよね。
で、1ヶ月後の父の日。
まあ、たいがい忘れてるよね。
1ヶ月前に帰省したとこだから実家には帰らない。
母の日のときはデパートでもカーネーションの写真と一緒に母の日フェアなんつってやってるのに、父の日フェアは紳士服売場あたりでひっそりとやってるだけ。
忘れてるか、「思いだしたけどもうめんどくさいし忘れてたことにしとこう」のどっちか。
ぼくだけじゃなく、みんなも似たり寄ったりなのではないでしょうか。
ところで、敬老の日には老人の自殺が増えると聞いた。
テレビなんかで敬老の日特集をするので、子どもや孫に会えない年寄りはさらに孤独を感じて自殺しちゃうらしい。
なんて残酷な。
このままでは、父の日も敬老の日と同じように、父が死ぬ日になってしまう。
そこで提案なんだけど、母の日と父の日って、一緒の日にしちゃえばいいんじゃないでしょうか。
『親の日』としてくくっちゃって。
同じ日にしたって誰も困らない。父親も忘れられなくなるし、子どももプレゼントをいっぺんに贈れて助かる。『両親にディナーをプレゼント』なんて贈り物もできるようになるし。
おお、名案だあ。
でももし。
でももし。
これでも、父親だけプレゼントがもらえなかったとしたら。
そのときはもう笑って睡眠薬飲むしかないよね。
2015年4月27日月曜日
命名にまつわるふしぎな話
ちょっとふしぎな話。
姉がふたりめの子どもを妊娠したときのこと。
3歳の長女がはりきって「あたしが赤ちゃんの名前をつける!」と言いだした。
どうせ3歳児のつける名前だから『めろん』とか『ぷりん』程度だろう、と高をくくっていた姉夫婦だったが、長女が言ったのは「ふうかちゃんにする!」。
「あれ……。意外といい名前だね……。古くさくないし、かといって斬新すぎるわけでもないし、音もきれいだし……」となった。
ふしぎだったのは『ふうか』という名前がどこから来たのかわからないこと。
長女が通う保育園に『ふうか』という名前の子はおらず、知り合いにもいない。芸能人やアニメのキャラクターや絵本の登場人物でも聞いたことがない。
なぜ3歳の子が『ふうか』という的確な名前を思いついたのか、まったく謎なのだ。
信仰心のない姉夫婦でも、さすがにこれはなにかのお告げなのかもしれないと思い、名前は『ふうか』にしようということになった。
『風香』にしようか『楓華』にしようか、と具体的に話が進んだところで、おなかの赤ちゃんが男の子だと判明。
結局『ふうか』はお蔵入りとなった。
神秘的なようで、なかなか現実は神秘的に事が進まないものだ。
2015年4月26日日曜日
おお宇宙はロマン
地球上にいる菌の数は、人間の何兆倍にもなるという。
ってことはよ。
「○○星に生命の可能性!」とか「宇宙にはロマンがある」とかいってる人がいるけど、人間が他の星の生物に出会ったとしても、99.99%以上、その生物は菌なわけ。
さらにはその未知の菌が人間にとって有害である可能性も、ファーストコンタクトの相手が知的生命体である可能性よりずっと高い。そいつによって人間がばたばたと死んでいく可能性も。
きっと人類は宇宙開発によって滅亡する。
この予言を、人類の次に地球上に繁栄する種族のために書き残そう。
おお。
宇宙にはロマンがある。
ってことはよ。
「○○星に生命の可能性!」とか「宇宙にはロマンがある」とかいってる人がいるけど、人間が他の星の生物に出会ったとしても、99.99%以上、その生物は菌なわけ。
さらにはその未知の菌が人間にとって有害である可能性も、ファーストコンタクトの相手が知的生命体である可能性よりずっと高い。そいつによって人間がばたばたと死んでいく可能性も。
きっと人類は宇宙開発によって滅亡する。
この予言を、人類の次に地球上に繁栄する種族のために書き残そう。
おお。
宇宙にはロマンがある。
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