2022年3月24日木曜日

【コント】勝負

「やんのか」

「あ? やんのかコラ」

「おお、やったろやないか。先に言っとくけど、負けたらおまえらのメンバーからひとり差しだせよ」

「おうええぞ。その代わり、こっちが勝ったらひとり連れていくからな」

「誰連れていく気やねん」

「あいつじゃ」

「あいつって誰やねん」

「ちょっと待っとけ。こっちの仲間と話し合うから」

「おうええぞ」



「よっしゃ、決まった」

「おう、こっちも決まった」

「おまえ、こっちに来い」

「あ? おまえこそこっち来いや」

「勝負すんぞ」


~~~~~~~~~~~


「かーってうれしい はないちもんめ♪」

「まけーてくやしい はないちもんめ♪」



2022年3月23日水曜日

【読書感想文】藤田 知也『郵政腐敗 日本型組織の失敗学』

郵政腐敗

日本型組織の失敗学

藤田 知也

内容(e-honより)
日本郵政グループは、二〇二一年に郵便事業の創業から一五〇年を迎えた。従業員四〇万人を超える巨大組織は「腐敗の構造」にはまって抜け出せずにいる。近年では、かんぽ生命の不正販売、内部通報制度の機能不全、ゆうちょ銀行の不正引き出しと投信販売不正、NHKへの報道弾圧、総務事務次官からの情報漏洩と癒着など、数多の不祥事が発覚した。一連の事象の底流にあるのは、問題があっても矮小化し、見て見ぬフリをする究極の「事なかれ主義」だ―。スルガ銀行や商工中央金庫による大規模な不正事件など、金融業界の不祥事を追及してきた朝日新聞の記者が、巨大グループの実態にメスを入れる。

 日本郵政は、郵政民営化を受けて2006年に設立された巨大企業グループだ。主に、日本郵便、ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険からなる。

 2018年、NHKの『クローズアップ現代+』が、かんぽ生命保険が不正な契約をくりかえしおこなっていることを報道した。当然ながら被害者の声に基づくものだったが、かんぽ生命側は改めるどころか報道を否定してあろうことかNHKに抗議をおこない、圧力をかける(後に番組の内容は正しかったことが判明する)。その後の調査で、かんぽ生命は10万件以上の不正契約をおこなっていたことが明らかになった。

 日本郵政グルーブが2019年7月以降に調査した過去5年分の契約には、次のようなものが含まれていた。

・不必要な保険料上昇
  新旧契約の保障内容が同じで、保険料が上がっている=約2万件
・不合理な乗り換え
  乗り換えの必要がなく、特約の変更などで対応できた=約2万5千件
・引き受け謝絶
  旧契約を解約後、病歴などの理由で新契約加入が拒まれた=約1万9千件
・保険金支払い謝絶
  乗り換え後の新契約時の告知義務違反で、保険金が払われなかった=約3千件

 こうしたことが明らかになっても、「顧客が納得した上での契約変更なので問題ない」という言い訳に終始したり(誰が好きこのんで不利になる契約に切り替えるんだ)、個人の問題として処理したり、ごまかしを続けた。

 そりゃあ日本郵政は巨大組織だから一定数おかしなことをする職員が混ざるのはしかたない。とはいえ10万件以上の不正な契約が起こっていたら誰がどう見ても組織の在り方に問題がある。

『郵政腐敗』は、日本郵政がおこなっていた不正、そしてその後の対応を事細かに調べ上げた渾身のルポルタージュ。いい本だった。そして読んでいてため息しか出ない。日本郵政の腐敗っぷり、そしてそれを守ろうとする政府のダメダメっぷりに。




 不正や失敗はどの組織にでも起こりうることだが、日本郵政が特にまずいのはその後の対応だ。

 日本郵政グループでは、坂部の事例でもわかるように、客観的にみて不正の疑いが濃い場合でさえ、郵便局員がしらを切って否認すれば、「シロ(無実」とみなす運用がなされていた。これは「自認主義」と呼ばれ、保険勧誘に限らない傾向とみられる。そうした前例を目の当たりにすれば、現場で不正がバレそうになっても、まずは否認しようと考えるのが自然な原理だ。
 保険会社は、法令違反があれば金融庁に届け出ることを保険業法で義務づけられている。しかし、かんぼが不正と認定さえしなければ、届け出る必要はない。自認主義は、かんぼや日本郵便にとって都合のいい対処法だったに違いない。
 不正と認めることには極めて後ろ向きである一方で、顧客から強く抗議されると、「配慮が足りなかった」などと口実をつけ、保険料を返すハードルは低くしていた。「合意解除」や「無効」と呼ばれる手法を駆使し、契約はなかったことにすると同時に、顧客には口外しないよう約束もさせていた。じつに抜け目のないやり方ではないか。

 もはやオレオレ詐欺集団だよね。年寄りに付け入って金を騙しとり、不正を指摘されても「金さえ返せば文句はないだろ」という態度。

 なまじっか「郵便局」というブランドがあるのがよくないんだろうね。郵便局なら変なことはしないだろう、という信用があるから。「郵便局」の名前は剥奪したほうがいいんじゃないのかね。

 不正に関与したとして懲戒処分を受けた現場の郵便局員数は、2020年11月30日時点で1173人。懲戒解雇は25人、停職が13人で、残りは減給、戒告、訓戒などだ。
 一方、懲戒処分された局員の上司への処分は499人。ほぼ全員が「実態把握が不十分」「指導が不十分」といった処分理由で、訓戒や注意といった軽めの処分で済んだ。日本郵便の説明では、数人が「パワハラ」やその関連で停職や減給などの処分を受けたが、部下の不正を「知っていた」と認めた上司はゼロ。翌月に1人だけ認めた郵便局長が現れたというが、処分を受けたほぼ全員が「不正があるとは知らなかった」と主張していることになる。
 郵政グループはこれとは別に、日本郵便・かんぽの両社長を含む本支社幹部378人の処分を2020年7月に発表した。両社の担当幹部339人は戒告などの懲戒処分、執行役員39人は厳重注意・報酬減額の処分とした。こちらも「実態把握の遅れ」や「対応の不十分さ」が処分理由で、「まさか不正が横行しているとは思わなかった」という前提は同じだ。
 特別調査委員会のアンケートで、不正を自白した郵便局員の7割が「上司も知っていた」と訴えたことと比べても、処分の前提となる〝事実〟が間違っているのではないか。

 10万件の不正があったのに、上司は誰ひとり「部下の不正を知らなかった」。そんなわけあるかい。直属の上司が責任をとらない。当然ながらもっと上の上司は責任を素知らぬ顔。

 不正を隠す、不正を指摘した人を守るどころか逆に罰する、下に詰め腹を切らせて上は逃げおおせる。日本政府がよくやるやつだ。内閣がこれをやるのを何度見たことか。

 この本を読む限り、日本郵政が今後立ち直ることは二度とないだろうなとおもう。自浄作用があればこんなことにはなってないのだから。ここまで隅々まで腐敗した組織は、もはや誰かの努力によって立て直すことはできない。柱も屋根も壁も全部が腐っている家は、一度解体して再建築するしかない。たぶん誰がトップになったって無理だろう。打つ手としたら、政府・公共機関が半数以上を所有している株を全部手放すことしかないんじゃない? そしたらつぶれるだろうけど、それが唯一の解決法だとおもう。東電もそうだけど、国に支えてもらえるかぎりはなんともならないだろう。


 特に日本的なのは、立場が上の奴ほど責任をとらないこと、組織が大きくなるほど責任を取らないことだ。

 ふつうに考えれば末端の悪さよりも上層部の悪さのほうがより悪質だし、巨大組織の不正のほうが影響が大きい分より大きな問題だ。

 だが小さな会社であればつぶれるような不正であっても、郵政や電力会社のような巨大機関であればなぜか国から助けてもらう。国が積極的に不正を赦しているわけだ。年寄りから騙しとった日本郵政も、嘘をついてずさんな原発運営をしてきた東京電力も、法律を守らない電通も、「この会社をつぶすと替えがきかない」という理由で軽い罰で済ませてどんどん国の仕事をまわしてあげる。替えがきかないような大事な仕事であれば、なおさらのこと不正機関にやらせるのではなく他の組織に仕事を回さないといけないのに。

 これぞまさに「日本型組織の失敗学」。日本の組織のダメなところが全部出たような失敗例だ。といっても他の国の組織の特徴なんてよく知らないんだけど。

 とりあえず郵便局に金を預けるのはぜったいにやめとこう。


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2022年3月22日火曜日

【読書感想文】芹澤 健介『コンビニ外国人』

コンビニ外国人

芹澤 健介

内容(e-honより)
全国の大手コンビニで働く外国人店員はすでに四万人超。実にスタッフ二十人に一人の割合だ。ある者は東大に通いながら、ある者は八人で共同生活をしながら―彼らはなぜ来日し、何を夢見るのか?「移民不可」にもかかわらず、世界第五位の「外国人労働者流入国」に日本がなったカラクリとは?日本語学校の危険な闇とは?丹念な取材で知られざる隣人たちの切ない現実と向き合った入魂のルポルタージュ。


 コロナ禍で減ったが、少し前はコンビニで働く外国人をよく見た。というより、ぼくの住んでいる大阪市だと外国人店員のほうが多いぐらいだったかもしれない。

 そんな「コンビニで働く外国人」を切り口に、日本で生活・労働をおこなう外国人の現状や問題点について調べたルポルタージュ。

 もっともこの本の刊行が2018年で、コロナ前とコロナ後ではすっかり社会が様変わりしてしまったので今とはちがう面もちらほらあるけどね。




 コロナ禍で数が減ったとはいえ、今の日本には外国人労働者が大勢いる。彼らなくしては社会が成り立たないといってもいい。

 たとえば、早朝のコンビニでおにぎりをひとつ買うとしよう。具は「いくら」でも「おかか」でも何でもいい。その物流行程を逆回転で想像してみてほしい。
 おにぎりを買ったレジのスタッフは外国人のようだ。
 その数時間前、工場から運ばれてきたおにぎりを検品して棚に並べたのも別の外国人スタッフだ。
 さらに数時間前、おにぎりの製造工場で働いていたのも六~七割が外国人。日本語がほとんど話せない彼らをまとめ、工場長や各部署のリーダーからその日の業務内容などを伝えるスタッフも別の会社から派遣された外国人通訳である。
 そして、「いくら」や「おかか」や「のり」の加工工場でも多くの技能実習生が働いている。
 さらにその先の、米農家やカツオ漁船でも技能実習生が働いている可能性は高い。


 ぼくは移民受け入れに賛成だ。どんどん受け入れたらいい。というか、今の日本は「移民受け入れますか? それとも社会崩壊を選びますか?」という二択の状況なのだ。賛成も反対もない。

 それでも「日本は単民族国家」ファンタジーを信じている人々にとっては、移民はなかなか受け入れがたいものらしい。現実と空想の区別がつかないアホとしかおもえないのだが、問題はそのアホどもが政治的に大きな力を持っていることだ。

 というわけで「アホどもの眼をなんとかごまかしつつ、移民を受け入れる政策」が必要になる。

 しかし、これまで見てきたように、事実として日本で働く外国人の数は増えている。外国人の流入者数を見れば、すでに二〇一四年の時点で、経済協力開発機構(OECD)に加盟する三十四カ国(当時)のうち日本は世界第五位の「移民流入国」だという報告もある。
 にもかかわらず、政府は「移民」を認めていない。
 政府の方針をわかりやすくいえば、「移民」は断じて認めないが外国人が日本に住んで働くのはOK、むしろ積極的に人手不足を補っていきたい、ということだ。
 むしろ外国人に人手不足を補ってもらうための制度は多く、政府はこれまで「EPA(経済パートナーシップ協定=経済連携協定)による看護師・介護福祉士の受け入れ」や「外国人技能実習制度」、「高度外国人材ポイント制」、「国家戦略特区による外国人の受け入れ」、「留学生三十万人計画」といったプロジェクトを押し進めてきた。 

 移民を受け入れないと社会が破綻する。でもアレな人向けには、移民は受け入れていないことにしない。

 そこで、「出稼ぎ労働者を留学生として受け入れる」「外国人技能実習制度という名目で実質的に移民を受け入れる」という嘘をつく。実態は変えずに名前だけ変える。なんとも日本政府らしいこずるい発想だ。

 そもそもが嘘からスタートしているから、ごまかしが横行する。「稼げるよと言って外国人を集めてるのにいざ日本に来てみたらおもうほど就労できない」「技能実習制度なのに母国に持ち帰るようなスキルが身につかない」となり、ツケを被るのは日本に来た外国人だ。

 韓国は移民を積極的に受け入れ、政府が入国やら就業状況やらをきちんと管理しているそうだ。はじめから「移民」ということにすればきちんとチェックできるけど、日本は嘘で集めているから、外国人が働きつづけようとしたら「逃げて不法移民として働く」「犯罪に手を染める」しか道がなくなる。政府が犯罪者を生みだしているのだ。

 とはいえ、日本にいる外国人の数は増えているのに、外国人の犯罪件数は減っているそうだ。一部の人が持っている「外国人が犯罪をする」というイメージは過去のものになりつつある。まあもともとファンタジーなんだけど。




 日本にいる外国人は優秀だ。アルバイトをしている外国人を見ているとつくづくそうおもう。自分が外国のコンビニで働けるかと考えたら、彼らがどれだけすごいことをしていたかと思い知らされる。

 とはいえ、接客の仕事の中ではコンビニは外国人にとってかんたんなほうだそうだ。たしかに仕事の内容は多いけど、客に対して話す言葉はある程度決まっている。「袋はいりますか」とか「お箸はおつけしますか」とかいくつか覚えればだいたい済みそうだもんね(宅配便とか振込とかはたいへんそうだけど)。

 だが正社員として就職する道はまだまだ険しい。

 日本の就職活動は独特だ。
 留学生に聞くと、「エントリーシートを日本語で手書きで書くのはすごく大変」だし、「SPI(新卒採用の適性テスト)が難しすぎるし、面接のときの言葉遣いも難しい」という。
 NODEではこうした留学生の意見を汲み上げ、採用する側にも伝えていくという。しかし、このように留学生の立場になって就職支援をしてくれる会社はきわめて稀だろう。実際、ASEAN人材の採用支援に特化した会社は日本で唯一ということだ。
 説明会に来ていたタイ人留学生の言葉が印象的だった。「日本で就職するのは本当にたいへん。スーツも靴も高かった。説明会に行く交通費も高いです。日本で働きたいという希望はありますが、日本のシステムのなかで自分が働くことができるかすこし心配です」

 政府は「留学生三十万人計画」を押し進めている一方、留学生の就職のケアまでは行っていない。将来も日本で働きたいという希望者をみすみす国に帰してしまっている。
 本来は国家レベルでのトータルな対処が必要なのではないだろうか。

 あーあ。もったいないなあ。くだらない慣習で優秀な人材を逃しているなあ。まあ外国人にかぎった話じゃないけど。

 採用担当者や経営者の話を聞くことがあるけど、いまだに「採ってやる」みたいな意識の人が多いからね。若い人はどんどん少なくなってるのに。まだ「たくさんいる中からちょっとでも悪いところを探してふるい落とす」感覚なんだよね。育てる気がない。




「コンビニで働く外国人を切り口に日本にいる外国人の問題を読み解く」切り口はおもしろかったけど、後半はコンビニとほとんど関係なかったのが残念。

 あと気になったのが、「二〇三五年には三人に一人が高齢者という超高齢化社会になる」という記述。この認識は遅すぎ。「超高齢社会」の定義は人口の21%以上が高齢者である社会。日本が超高齢社会になったのは2007年だ。2035年には超超超高齢社会ぐらいじゃないかな。


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2022年3月21日月曜日

インデックス型記憶と映像型記憶

 多くの読書好きと同様、ぼくも小説を書いてみたことがある。

 そして多くの人と同様、すぐに挫折した。


 書けない理由はいろいろあるけど、特にだめなのが風景描写だった。

 考えてみれば、自分が小説を読むときも風景や事物の描写はほとんど読み飛ばしている。車がどんな色でどんなデザイン、登場人物が何を身につけているか、まるで興味がないのだ。

 そりゃあ「貧乏人なのに高級車に乗っている」とか「現代人なのにちょんまげをしている」なら目を止める。それらはきっとストーリー展開に影響を及ぼす情報だからだ。
 ただ、金持ちが高級そうなスーツを着ているとか、成功者が瀟洒な邸宅に住んでいるとか、探偵がよれよれのトレンチコートに身を包んでいるとかはどうでもいい。


 もちろん、そういった描写が小説を奥行きのあるものにしていることはわかる。「金持ちの男」と書くよりも、乗っている車や身に着けているものを描写することで裕福さを伝えるほうが、ずっとリアリティのあるものになることも理解できる。

 ただ、ぼくが個人的に興味があるのが〝情報〟なのだ。

 5W(いつ、どこで、誰が、誰に、何を)には興味があるが、1H(どんなふうに)にはあまり関心がないのだ。

 関心がない。だから書けない。


 小説にかぎった話ではない。

 誰かの話を五分聞いた後に
「どんな話をしていたか、かいつまんで説明してください」
と言われたら、難なくできる。

 でも、
「今の人がどんな服を着ていたか説明してください」とか
「さっきの人はどんな声でしたか」
と訊かれたら、まるで答えられないだろう。それらはぼくにとってまったく興味のない情報だからだ。


 ところが、世の中には逆の人もいる。たとえばぼくの妻がそうだ。

 いっしょに映画を観たりすると、ディティールを驚くほどよくおぼえている。誰がどんな服を着ていたとか、どんな音が聞こえていたかとか、ディティールをよくおぼえている。台詞を一字一句正確に再現できたりもする。

 しかし彼女は要約が苦手だ。
 彼女が観た映画のストーリーを説明してくれることがあるが、すごくわかりづらい。本筋と関係のない些細な情報が多いのだ。「黄色い服を着た人が……」なんて言うので「この情報が後で何かにつながるのだな」とおもって聞いていたら、ぜんぜん関係なかったりする。


 おもうに、情報の整理のしかたが異なるのだろう。

 ぼくは、情報を加工しながら記憶する。得た情報のうち、自分にとって重要だとおもったものだけをインデックス(目録)化して脳に入れる。だから関心のないことはまったく記憶にない。その代わり、はじめから情報を整理しているので要約はすんなりできる。

 妻はというと、見たり聞いたりした情報をそのまま脳に格納しているのだろう。録画型だ。だから細部までおぼえている。その代わり索引をつくっていないので「かいつまんで説明する」が苦手だ。

 世の中の人の記憶のしかたは、だいたいこの「インデックス型」と「録画型」に分かれるんじゃないだろうか。ま、中には「そのまんま記憶するけど整理もできる人」や「どっちもできない人(断片的にぐちゃぐちゃにしか記憶できない人)」もいるんだろうけど。


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2022年3月18日金曜日

万引き小学生

 小学校のとき、同じクラスにAという女の子がいた。Aは四年生ぐらいで転入してきて、卒業と同時ぐらいに転校していった。目を惹くような外見でもなく、話しかけたら返事をするぐらいの活発さで、これといって印象に残るような子ではなかった。Aは眼鏡をかけていたのでぼくは「おとなしい子」という印象を持っていた。小学生にとっては「眼鏡をかけている女子=おとなしい」なのだ。ばかだなあ。


 それはそうと、Aが転校していってから一年ぐらいたったときのこと。
 中学生になっていたぼくは、Aと仲の良かったIという女の子としゃべっていた。どういう流れだったかは忘れたけど、Aの話になった。

 Iが言った。

「知ってる? Aって万引き常習者だったんやで」

 ぼくは驚いた。えっ。だってAだよ。眼鏡かけてたんだよ(まだ「眼鏡=まじめ」とおもってる)。

「あの子、毎日のように万引きしててんで。Aの弟も万引きしてたし。親から万引きしてこいって言われて」

「まさか」

 まさかAが、と言えるほどAのことを知っていたわけではない。
 ぼくがその話を信じられなかったのは、Aが、というよりそもそも「そんな親がいるわけがない」とおもったからだ。

 人の親が、我が子に向かって「万引きしてきなさい」と命じるはずがない。
 中学生のぼくは本気でそうおもっていた。

 まだピュアだったのだ。
 親は子に正しい道を教えるもの、そして眼鏡をかけている女の子はまじめ。当時のぼくはまだ純粋に信じていたのだった。


 だけど今は知っている。

 我が子に万引きを命じる親がいるということを。そして、眼鏡をかけている子がおとなしい子ばかりではないことを。


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