2024年4月2日火曜日

【読書感想文】ジョージー・ヴォーゲル『女の子はいつも秘密語でしゃべってる』 / 女の子のおしゃべりのような本

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女の子はいつも秘密語でしゃべってる

ジョージー・ヴォーゲル(著)  木村 博江(訳)

内容(e-honより)
女の子はみんな、親友になんでも打ち明ける。そうやっておしゃべりしながら、悩みも苦労も乗り越えていく。べつに悩みがなくてもおしゃべりする。だってわくわくするし、楽しいから!女の子の言うことは、文字通りの意味とは限らない。でも、女どうしならわかりあえる。それって女の子の「秘密語」だから―。女の子独特のおしゃべりや言葉づかいの秘密を初めて明かし、女性にとっておしゃべりがいかに大切かを説く、ユニークな本。


「女性がどんな目的でどんなときにどんな話をしているか」について書いた本。

 ちゃんとした学術書を多く出している草思社の刊行なので研究報告をまとめた本かとおもって手に取ったのだが、そんなことなくて、「私の周りの女性はこんなふうに語ってるわ」「私の場合はこうだった」というエッセイ的な内容がほとんど。

 事実よりも感情を重視、サンプル数が少なくて偏っている、女について語っているのにそれと比較すべき男についてはまるで調べてない、とりとめのない話が続いて明確な結論はなくふわっと着地する……。

 つまりこの本自体が“女性のおしゃべり”っぽい内容になっている。身をもって女性のおしゃべりはこういうものですと示してくれているのかも……。



 一般的に、女の子はおしゃべりが好きだ。

 十代どころか、三歳ぐらいでもう男女には差がある。保育園の子をよく見ると、言語の習得は圧倒的に女の子のほうが早い。言葉を話し出すのも早いし、男の子が単語で話しているのに女の子はもう大人みたいな話し方をしている(もっともこれは単に大人の口真似をしているだけだ。女の子のほうが真似が好き&上手なのだ)。うちの五歳児は、ひとりでシルバニアファミリーで遊んでいるときもずっとしゃべっている。声色を変えたりしながら一人何役も演じている。一人二役で喧嘩までしている。

 女の子は早くから女同士のお喋りの大切さをさとるようだ。十代の女の子の大半が、大好きなことのひとつに「お喋り」をあげている。「座ってただお喋りするのが好きなの」という答え方が多いと、ヴィヴィアン・グリフィスは書いている(『思春期の少女とその友人たち』)。まるで、生産的ではない悪いことをしているかのような言い方だ。
 この年代ですでに、私たちはお喋りはよくないことだと学びとっている。学校が女の子のお喋りに批判的な見方をするため、いっそうこの傾向が強まるとグリフィスは言う。「教室で女の子がもっともよく叱られる原因が、笑うこと、そして喋ることだ。そしてお喋りだというだけで、十代の女の子は男の子にくらべてばかだと思われてしまう」と彼女は書いている。「女の子のお喋りに対する批判は、たんにそれだけにとどまらず、フェミニストの研究者が指摘するように、女同士のお喋りへの根深い蔑視とつながっている」

「そしてお喋りだというだけで、十代の女の子は男の子にくらべてばかだと思われてしまう」はたしかにそうだよなあ。雄弁は銀、沈黙は金というように、ずっとしゃべっている人よりも寡黙な人のほうが深く物事を考えているように見えてしまう。

 じっさいはそんなこともなくて、言語的なアウトプットをすることで学びが深まる分野と、そうじゃない分野があるんだろうけど(たとえばおしゃべりをしながら数学の複雑な問題を解くのは難しいとおもう)。




 人との付き合い方も男女で異なる(傾向にある)。

 女同士は、おたがいに対等でいたがる。個性はそれぞれちがっても立場は対等、というわけだ。それでこそ私たちは、おたがいの運命や問題や体験に共感できる。ハイスクール時代と同じように、私たちは仲間に入りたいのだ。異質な者は仲間からはみだす。見捨てられてひとりになるのは、恐ろしい。
 そこで私たちは、友だちの悩みを聞いても本音は伏せ、彼女の意向を支持し、自分の体験とはそぐわなくても彼女の見方に合わせる。それで友だちは自分が愛されていると感じ、お返しに私たちを愛してくれる。そこには競争はいっさいなし。競争は自分と相手とのあいだに差をつけ、対等な立場を破ることだ。

 女性同士が話しているのを見ると、十歳ぐらい歳が離れていても互いにタメ口でしゃべっているのをよく見る。男同士だとまずそんなことはない。たとえどんなに親しくなったって、十歳上の男性に対してタメ口で話しかけたらムッとさせるのではないだろうか。

 十歳上の人になれなれしく話している女性は、男性から見ると「失礼だ」と映るかもしれない。でもそっちのほうが人との距離は縮められる。

 少し前に、ビールのCMで「保育園で顔をあわせるお父さん同士がぜんぜん言葉を交わさないけどお互いに理解しあわっている」という状況が描かれていて、「そうそう、こんな感じ!」と話題になっていた。

 ぼくも毎日保育園の送り迎えを担当しているのでよく顔をあわせるお父さんがいるけど、あいさつぐらいしか交わさない(よそのお母さんともだけど)。保育園でお母さん同士がおしゃべりをしている、というのはよく見るけど、お父さん同士が必要最小限以上のおしゃべりをしているのはまず見ない。

 まだ親しくなってない人にぐいぐいと話しかけることができる人がうらやましい。男でもいないでもないけど、女のほうが圧倒的に多い(男のぐいぐいは警戒されるしね)。




 これからはビジネスの世界でも女性的なやり方が主流になっていくだろうと著者は書く。

 インターネットの『ヘルス・スカウト・ニュース・リポーター』の中で、コレット・ブーシェはある研究結果を紹介し、「女性は男性とはちがう権力の木を上るが、同じようにてっぺんまで行く」と書いている。その研究では、男性が状況を与えられるとすぐに上に立とうとするのに対し、女性は慎重にまず仲間をつくり、その力を借りて最終的に支配力を握ることがわかった。
 この研究結果はボストンのノースイースタン大学で、男女各五八人を対象におこなった実験にもとづいている。被験者は、同性同士の四、五人のグループに分けられた。グループは一週間あいだをおいて二度顔を合わせ、子育てにかんする問題を話しあった。そのようすはビデオに撮られ、毎回集まりが終わったあとで、参加者に個別のインタビューがおこなわれた。質問の内容はグループのメンバーについてで、誰がいちばんよく話したと思うか、誰がいちばんなんでもよく知っていると思うか、などだった。
 男性ばかりのグループでは、一回目の集まりですぐにリーダーが決まり、ほかの男性は序列めいたものをつくってその下に従った。かたや女性ばかりのグループでは、べつの構成力が働いた。「一回目の集まりでは、はっきりとリーダー的な存在は決まらなかった」と実際に研究をおこなったマリアン・シュミッド・マストは述べている。「男性グループと異なり、女性グループでは参加者全員のあいだで平等に力が分配された。全員がだいたい同じていどに話し、同じていどに話をさえぎられた」二回目の集まりでは、前回よりおたがいに打ち解けて協力態勢がつくられ、女性の各グループにリーダーができた。
 昔から男性は支配的な傾向が強いと考えられている。そして実験でも男性ははっきりと優位な姿勢をとりたがった。かたや女性は無頓着で、最初からすべてを支配したがるようなところはなく、グループの参加者全員が平等に意見を述べられるようにした。
 だが、「まず立ち止まって考える」方式のほうが実りが大きい場合もある。自分のまわりの人びとと知りあい、理解しあえると同時に、自分がリーダーになるとき助けてくれそうな仲間をつくることができるからだ。

 男性はわかりやすい役職・ポジションを欲しがるのに対し、女性は上に立つことを好まない。ただし上には立たないが慎重に仲間を増やしていき、自分の立場を強固なものにする。だから後に上に立った際にも地盤ができているのでやりやすい。

「新たに管理職についた人が、自分の手腕を見せつけるために前任者のやりかたを破壊して、部下との信頼関係もできていないのでむちゃくちゃにしてしまう」というシチュエーションがよくあるが(企業でもあるし、知名度のみで知事や市長になった人もよくやる)、あれは男性的な行動だね。あれをやって組織が良くなることはまずないので、女性式のほうがいいよね。

 パワハラやセクハラなど“男性的”なやりかたのまずさが多く露呈してきている昨今だからこそ(“男性的”というのはイコール男性の、ということではない。宝塚音楽学校でのパワハラのような例もある)、今後はビジネスの分野でも「女性らしいやりかた」が主流になってくるかもしれないね。 


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