2021年7月16日金曜日

【読書感想文】平凡な悲劇 / ジャック・ドワイヨン『ポネット』

ポネット

ジャック・ドワイヨン(著)
青林 霞(訳) 寺尾 次郎(訳)

内容(e-honより)
交通事故で母を失った四歳の少女ポネット。突然のことに、ポネットは母の死が理解できない。叔母の家に預けられ、従姉弟たちと一緒に生活するが、ポネットはその遊びの輪にも加わらず、独り草原で母を待ち続ける。そしてベッドの中でお祈りを繰り返す。「神さま、どうかもう一度、ママに会わせて下さい…」四歳の少女が自分の言葉と感覚で死というものをひたむきに理解しようとする姿。静謐で真摯な思索に満ちた、珠玉の物語。

 1996年公開のフランス映画の原作だそうだ。
 交通事故で母親を亡くした四歳の少女ポネットの心の動きを描いた物語。

 ぼくも親として、「自分が死んだらこの子たちはどうなるだろう」「妻が死んだら……」「ぼくと妻がそろって死んだら……」と考える。
 ただ結論としては「どうしようもない」としか言いようがない。生命保険には入ってるし、祖父母は健康だし、ぼくの姉や妻の妹もいるから、まあ最低限の暮らしは送れるだろう。悲しむのは悲しむだろうけど、その心配をしてもどうしようもない。悲しまないようにすることなんてできないし、悲しまなかったらそれはそれでぼくがつらいし(死んでるからつらさも感じないけど)。


 ぼくは幸いにしてまだ親の死を経験していないけど、親の死、とりわけ母親の死というのは身を切られるほどつらいものあることは容易に想像がつく。
 ぼくの父は、父親(ぼくの祖父)が亡くなったときの葬儀では泣いていなかったが、母親(ぼくの祖母)の葬儀では号泣していた。
 この感覚、なんとなくわかる。ぼくの父はべつに父親に対して情がなかったわけではないとおもう。父にも母にも情は感じていたはずだ。だが情の質が根本的にちがうのだとおもう。
 理屈の上では父親も母親も同じく血がつながっている。でも母親は父親よりもずっと特別な存在だ。なにしろかつては自分と文字通り一体化していたのだから。

 だから、祖母が亡くなってもまったく泣かなかったぼくも「母親を亡くした父親の気持ち」を想像して涙が出た。


 穂村弘さんが『世界中が夕焼け』という本の中で、こんなことを書いていた。

でも、そうはいっても、実際、経済的に自立したり、母親とは別の異性の愛情を勝ち得たあとも、母親のその無償の愛情というのは閉まらない蛇口のような感じで、やっぱりどこかにあるんだよね。この世のどこかに自分に無償の愛を垂れ流している壊れた蛇口みたいなものがあるということ。それは嫌悪の対象でもあるんだけど、唯一無二の無反省な愛情でね。それが母親が死ぬとなくなるんですよ。この世のどこかに泉のように湧いていた無償の愛情が、ついに止まったという。

 もういいおじさんになった穂村氏でさえ、母親をなくしたときは他では決して埋められない喪失感を味わったという。それぐらい母親の「愛」はとほうもない。傍から見ているとたまにぞっとするぐらいに。

 おじさんですら号泣する出来事なんだから、四歳である ポネットが母親を亡くす、しかも何の予兆もなく交通事故である日突然に、というのはとうてい受け入れられる出来事ではないだろう。
 我が子(二歳)を見ていてもおもう。幼い子にとって母親は「最愛の人」どころの存在ではない。ほとんど我が身の一部なのだから。




 かわいそうではあるが、『ポネット』は退屈な物語だった。
「こんなに幼くして母親を亡くすなんてかわいそうに」と子を持つ父親として同情はしたけど「とはいえ一定の確率で起こりうることだし、つらいけど時間をかけて乗りこえていくしかないよなあ」とおもう。そしてポネットもしばらくは母の死を受け入れられないがちょっとずつ新しい生活に慣れてゆく。 

 あらすじとしては「母親を亡くした四歳のポネットちゃんはなかなか現実を受け入れられませんでしたが、いとことの会話や寄宿舎での新しい生活を通して徐々に現実を受け入れてゆくのでした」というだけの話で、毎日世界のどこかで起こっている出来事だ。個人としては悲劇だがマクロでみれば「よくある話」だ。申し訳ないけど。

 映画で観ればまたちがった感想があったのかもしれないけど、小説としては平凡すぎてまったくおもしろみに欠けるものだった。あとポネットを放置して現実逃避する父親がひどすぎる。


【関連記事】

【読書感想文】「壊れた蛇口」の必要性 / 穂村 弘・山田 航『世界中が夕焼け』



 その他の読書感想文はこちら


2021年7月15日木曜日

【読書感想文】SF入門に最適な短篇集 / 柞刈 湯葉『人間たちの話』

人間たちの話

柞刈 湯葉

内容(e-honより)
どんな時代でも、惑星でも、世界線でも、最もSF的な動物は人間であるのかもしれない…。火星の新生命を調査する人間の科学者が出会った、もうひとつの新しい命との交流を描く表題作。太陽系外縁部で人間の店主が営業する“消化管があるやつは全員客”の繁盛記「宇宙ラーメン重油味」。人間が人間をハッピーに管理する進化型ディストピアの悲喜劇「たのしい超監視社会」、ほか全6篇収録。稀才・柞刈湯葉の初SF短篇集。


 SF短篇集。




『冬の時代』

 ザ・SFという感じの作品。氷河期が訪れて日本中が凍りついた世界。そこを旅するふたりの少年。
 ディティールの緻密さとかは感心するけど、正直この手のSFは食傷。「○○が起こった後の世界」って定番中の定番だからな。よほど新しい仕掛けがないときつい。

 椎名誠SFの『水域』や『アド・バード』に似てるなーとおもってたら、作者本人の解説によると『水域』を意識して書いたものらしい。なるほどね。




『たのしい超監視社会』

 おもしろかった。
 オーウェル『一九八四年』のオマージュ。
『一九八四年』で書かれるのはオセアニア、ユーラシア、イースタシアという三つの国に分割された世界で、作品の舞台はオセアニア。『たのしい超監視社会』は(おそらく)同じ世界のイースタシアを舞台にした小説。

 イースタシアもオセアニアと同じように独裁者が統治する監視社会なのだが、ここに暮らす若者には悲壮感はない。なぜなら彼らは物心ついたときから監視社会で暮らしていて、他の世界を知らないから。さらに日々の暮らしは少しずつ良くなっているので、社会に対する不満はさほど持っていない。

 今の中国の若者がこんな感じに見えるよね。そもそも民主主義を知らないから民主主義がないことを不自由とすらおもわない。政治的な自由はないが経済成長しているから特に不満はない。そんなふうに見える。もちろん内心はわからないけど……。

 区役所の正面壁には歴代総統の肖像画が並んでいる。オールバックで白髪交じりの初代、その息子で癖っ毛の二代目、その息子で在任中の三代目。総統が逝去すると最も優れた党員を後継に選ぶ党則になっているが、今のところ公正な選考の末に、前総統の息子が選出されている。
 儒教文化の根強いイースタシアでは祖先を敬うことが通例で、肖像画においても父を上回ることは許されない。このため二代目の肖像画は初代の半分、三代目はそのまた半分となっている。等比級数の総和は有限であるため、たとえ千代続いても肖像画を飾るスペースは足りる。この方式が国家体制の永続性を体現していると言える。

 ディストピア小説でありながら、タイトルの通り主人公たちは楽しそう。
 まあ今の我々だって、別の時代・社会の人間からしたら「この時代の日本人はぜんぜん自由じゃないのにそのわりには何も考えずに楽しくやっていたんだなあ」と見えるかもしれないね。




『人間の話』

 これはいちばん好きだった。

 地球上の生物は元をたどればみんな同じ系譜の上にいる。もともとは共通の祖先から枝分かれしたのだから。
 だからこそ孤独を感じる。他の星にまったく別の経路で発生した種を追い求める。

 ……という一風変わった主人公が、親に捨てられた子ども(甥)を引き取り育てることになる。
「地球外生命体」と「親に捨てられた子」がどうつながるのかとおもったら……。なるほど、こうリンクするのかー。感心した。
 ひとりの人間の境遇を「地球上の生物すべて」に重ねあわせる。なんて壮大な発想なんだ。

 小説を読む楽しさのひとつって「自分とはまったく価値観のちがう人の思考に触れる」ところだとおもう。もちろん小説だから実在の人物の思考ではないわけだけど、よくできた小説は「すげえ変わってるけどこんなふうに考える人もこの世のどっかにひとりぐらいはいるんだろうな」とおもわせてくれる。
 この小説はまさにそんな物語だった。




『宇宙ラーメン重油味』

 タイトル通り、SFコント風の作品。
 〝消化管があるやつは全員客〟を合言葉に、宇宙のありとあらゆる生物(地球人の感覚でいえばとても生物とはおもえないようなのも含む)にラーメンを提供する店の奮闘を描く。
 はたして重油にシリコンや重金属をつけたものをラーメンなのかという疑問はさておき。

 ばかばかしい描写はおもしろいのだが、説明に終始しているのが残念。これに起伏の富んだストーリーがあればなあ。




『記念日』

 ある日突然ワンルームの室内に巨大な岩が出現する……というストーリー。
 マグリットの『記念日』という絵に触発されて書かれたものらしい。

 これも出オチ感がある。室内に岩が出現したところがピークで、これといった展開はない。「習作」って感じの短篇だった。




『No reaction』

 生まれたときから透明人間である主人公の日々をつづった小説。

 反作用は受けるが作用は与えることができない、という設定は新しい。しかし野暮なことをいうけど、生まれたときから透明人間だったら交通事故とかですぐ死んじゃうだろうな。

 透明人間に性欲というのは無用だ。少なくとも透明人間の男が不透明な女の子と交わって子孫を残すことはできない。無用なはずだが、きっちり存在する。まったく厄介なことだ。
 不要な機能がある理由というのはだいたい、他の目的で作られたものを急ごしらえに転用したせいだ。もともと生物種というのは女がメインで、男というのは女と女の遺伝子の交換を媒介するための運び屋にすぎない。だから男の体は女をベースにちょっと下半身をいじっただけの手抜き製品で、使いもしない乳首が残ってるのはそのためだ。
 このことから類推するに、おそらく透明人間というのは不透明と独立に生まれたものではなく、不透明がなんらかの原因で透明化して生じたものだと思われる。そうでなければこんなにも形が似ているはずがないし、透明人間に不要な性欲が備わっているはずもなく、布団もかけずに眠っているマキノにベタベタ触れている理由もない。

 こういう細かい設定を丁寧に書いているので無茶な設定でありながら妙な説得力がある。ほらをまき散らして煙に巻くのがうまいのは作家としてすぐれた資質だ。

 しかし「食事をどうしているか」が一切書かれていないのが気になる。作用を与えることができないのなら咀嚼も消化もできないわけだが……。
 触れていないということは、作者もうまい言い逃れをおもいつかなかったのかな。「食事をしなくても生きられる」だったら透明人間じゃなく幽霊になってしまうしなあ。
 移動方法や性欲や学習については細かく説明しているのだから、食事についてもうまい説明を与えてほしかったな。惜しい。




 豊富な科学知識に裏づけられた本格的なSFでありながら、どの作品も重たすぎず、肩の力を抜いて読める。
 とっつきやすくて、けれども奥が深い。SF入門に最適な短篇集じゃないでしょうか。


【関連記事】

【読書感想】ジョージ・オーウェル『一九八四年』

【読書感想文】ザ・SF / 伴名 練『なめらかな世界と、その敵』



 その他の読書感想文はこちら


2021年7月13日火曜日

ツイートまとめ 2021年2月



2021年ミャンマークーデター

堂々とパクリ

twenty-four

元号

注射禁止

スポンサー

爆発する僕のアムール

皇族

四股名

スポーツ

由来

イシシかノシシ

初心者

2021年7月12日月曜日

【読書感想文】サイコパスは医師に向いているのか / 遠藤 周作『真昼の悪魔』

真昼の悪魔

遠藤 周作

内容(e-honより)
患者の謎の失踪、寝たきり老人への劇薬入り点滴…大学生・難波が入院した関東女子医大附属病院では、奇怪な事件が続発した。背後には、無邪気な微笑の裏で陰湿な悪を求める女医の黒い影があった。めだたぬ埃のように忍び込んだ“悪魔”に憑かれ、どんな罪を犯しても痛みを覚えぬ虚ろな心を持ち、背徳的な恋愛に身を委ねる美貌の女―現代人の内面の深い闇を描く医療ミステリー。

「サイコパス」という言葉が人口に膾炙するようになったのはせいぜいここ十年ぐらいの話だが、「良心を持たない人」を題材にした小説は古くからある。
 有名なところではトマス・ハリス『羊たちの沈黙』。貴志 祐介『悪の教典』や手塚 治虫『MW』もそうだ。宮部 みゆき『模倣犯』の真犯人もそんな人物だった。
 人は、悪を悪ともおもわない人物を題材にしたピカレスク小説に惹きつけられるらしい。




『真昼の悪魔』もそんな小説のひとつだ。
 主人公である女医は、他人に対する共感を決定的に欠いている。「何が悪いことなのか」は知識としては持っているが、心では善悪の区別を持っていない。だから「悪いこと」「かわいそう」「気の毒」といったことは彼女の行動を抑制する材料にはならない。

 高い知能と生まれもった美貌でカモフラージュしながら、知恵遅れの少年に少女を殺させようとしたり、入院患者で人体実験をおこなったりする女医。
 彼女の目的はもちろん金や復讐ではなく、といって快楽でもない。人を傷つけても快楽を感じないことを知っていて、それでも傷つける。たいした理由もなく。
 彼女がおこなうのは悪のための悪。殺人に快楽をおぼえるシリアルキラーのほうがまだ理解可能かもしれない(どっちもイヤだけど)。

 主人公はかなりいかれた人物だが、読んでいてあまりうすら寒さは感じない。というのも、彼女の攻撃の矛先は中盤以降、難波という入院患者に向かうから。
 女医は、難波が彼女の正体を暴こうとしていることに気づき、それを阻止するためあの手この手で難波を精神病患者扱いする。この対決が『真昼の悪魔』のハイライトなのだが、正直いってこのあたりの女医の行動はおそろしくない。なぜなら〝保身〟という明確な目的があるから。
 少女を殺そうとしていたときは目的もなくほとんど興味本位で(その興味すら薄い)行動していたのに、難波に対する攻撃は「自分の立場を守るため」という明確な目的がある。目的があるから理解できる。「自分も同じ立場に置かれたら似た行動をとるかもしれない」とおもわされる。理解できるものはこわくない。

 サスペンス感を出すのであれば、徹頭徹尾理解不能な人間として描いてほしかった。




 ところでこの小説には、
「女医が入院中の老婆に無断で人体実験を施し、その結果実験が成功して多くの人命を救える治療法を発見する」
というエピソードが出てくる。

 これは医学の抱える矛盾を端的に表している。
 有名なトロッコ問題(暴走したトロッコを放置すれば三人が死ぬ。切り替えスイッチを入れれば別の一人が死ぬ。切り替えるのは正しい行いか? という問題)にも似ている。
 百人を救うために一人の命を危険にさらすことは悪なのか。これは決して万人が納得のいく答えを出せない問題だ。

 自身もクリスチャンである遠藤周作氏は、作中に出てくる神父に「神さまも百人のために一人を見捨てになさらないのです」と言わせている。
 宗教家としてはそう答えるしかないだろうな、という回答だ。なぜなら明確な基準で善悪を決められるようになったら宗教がいらなくなるから。

 とはいえ現実には「数で命の価値を量る」方向に世の中は動いている。一人の犠牲で一万人を救う方法があるのなら、現代医学はそれを放ってはおかないだろう。
 善悪の判断はいったん棚上げして、結果的に多くの人命を救うために多少の犠牲はやむをえないという方針で医学は進歩してきた。

 医学に犠牲がつきものである以上、『真昼の悪魔』に出てくるタイプの共感性を欠いた人物というのは医師としては有能なんじゃないかとおもう。医師がありとあらゆる患者に心からの同情をおぼえていたら仕事にならないだろうし。
 ちょっとぐらいは「人の気持ちがわからない」人物のほうが医師には向いているのかもしれない。政治家も。




 ところでこの小説、ミステリ要素もある。四人の女医が出てくるけどそのうちの誰が「良心を持たない女性」なのかが終盤まではわからない。
 ただ、ミステリとしてはぜんぜんおもしろくない。四人の女医がみんな没個性なので「四人のうち誰でもいいわ」って感じなんだよね。謎解きがどうとかいう以前に、そもそも謎に興味が持てない。

「四人の女医」という設定がまったく生きていない。テーマはおもしろかったのだからむりにミステリ風味にせずに女医は一人でよかったんじゃないかなあ。


【関連記事】

【読書感想文】貴志 祐介 『悪の教典』

【読書感想文】悪の努力家 / 高木 彬光『白昼の死角』



 その他の読書感想文はこちら


2021年7月9日金曜日

頭の大きなロボット

 星新一氏の『頭の大きなロボット』というショートショート作品がある。
 文庫『未来いそっぷ』に収録されている。

 あらすじはこうだ(以下ネタバレ)。