2021年6月7日月曜日

【読書感想文】中学生の気持ちを思いだす / 津村 記久子『まともな家の子供はいない』

まともな家の子供はいない

津村 記久子

内容(e-honより)
気分屋で無気力な父親が、セキコは大嫌いだった。彼がいる家にはいたくない。塾の宿題は重く、母親はうざく、妹はテキトー。1週間以上ある長い盆休みをいったいどう過ごせばいいのか。怒れる中学3年生のひと夏を描く表題作のほか、セキコの同級生いつみの物語「サバイブ」を収録。14歳の目から見た不穏な日常から、大人と子供それぞれの事情と心情が浮かび上がる。

 中学生女子の日常を描いた小説。
 家にいづらくて図書館に行ったり、あまり親しくない同級生に塾の宿題を写させてもらったり、男子の尾行をする友人につきあったり、特に何が起きるわけでもないが、おもしろかった。
 中学三年生の夏ってこんな感じだったなあ。けだるいしむかつくことだらけだし特に大人には腹が立ってばかり。何かしないといけないような気もするし、でも何にもなれないし。

 スガシカオの『奇跡』という歌がよく似合う小説だ。何か起こりそうな予感だけがあって何も起こらない。




 タイトルの通り、『まともな家の子供はいない』に出てくる大人はみんな問題を抱えている。不倫、買い物中毒、失業、別居、子どもへの無関心……。
 でも問題といえば問題だけど、大人からすると「まあそんなこともあるよね」という程度の問題だ。わりとよく聞く話だもん。
 他人事であれば些細な問題。でも子どもからすると、親の失業や不倫は大問題だ。自分の人生が大きく揺らいでしまう。だけどどうすることもできない。

 中学生って、いちばん親に対する目が厳しくなる時期だよね。
 小学生とちがって親のダメなところとかいろいろ見えてくるしさ。といって「家を出る」とか「自分でバイトする」とかの選択肢はないしさ。何をするにも、最後は親にお伺いを立てなければならない。
 高校生ぐらいだったら「卒業して実家を出るまでの辛抱」と耐えられるかもしれないけど、中学生からしたら親元を離れられるまでは途方もなく長い。

 それに高校生ぐらいだと「教師も親も自分らとたいして変わらない人間なんだからおかしなところもだめなところもあるさ」とおもえるようになってくるんだけどね。
 中学生にとっては、親や教師は立派な人間でいてほしいという願望と、親も教師はだめなやつだという現実の両方が存在する。だから大人が許せない。




 あとさ、自分が中学生のときはそんなこと想像もしなかったけど、今自分が親になっておもうのは
「親も十数年やってたら疲れてくる」
ってこと。

 ぼくはまだ親になって八年ぐらいだけどさ。でも新人親の頃に比べるといろいろとだらけてきている。
 たとえば親になったときは「子どもの前で極力スマホは使わないようにしよう」っておもってたんだよね。子どもをほったらかしでスマホに興じてる親を蔑んでた。
 で、実際必要なとき以外は子どもの前ではさわらなかった。ゲームをしたり娯楽の動画を観たりなんてもってのほか。
 でも今は子どもの前でスマホを見ちゃう。ゲームをすることもある。ああ、だめな親だ。

 そんな感じで「こういう親になろう」という決意は、時とともにどんどんくずれてゆく。子どもの前で不機嫌になってしまったり、よく確かめもせずに叱ったり、ごろごろだらだらしてしまう。

 ちゃんとした親をやりつづけるのもしんどいんだよな。
 だから子どもが中学生になったときにはもっとダメな親になってるとおもう。自分が嫌悪してた大人になるとおもう。

 それに、まだうちの娘は七歳だから「おとうさんあそぼー!」と言ってくれるし、「買い物に行くけどいっしょに行く?」と訊いたら二回に一回ぐらいはついてきてくれる。
 なついてくれるからこっちもいい父親であろうとするけど、反抗期を迎えて口も聞いてくれなくなったら、こっちも人間だから「立派な父親でいる」モチベーションも低下するだろう。

 おもいかえせば中学生のとき、親が離婚した同級生が何人もいた。うちの親は離婚しなかったが、当時はしょっちゅう喧嘩していた(今は仲がいい)。

 子どもが親に依存しているように、親もけっこう子どもに依存しているんだよね。だから子どもが離れていったら親もよりどころを失う。
 だから子どもが中学生ぐらいになると親も離婚したり不倫したりするんじゃないかな。中学生のときはそんなこと想像だにしなかったけど。
 ぼくも気をつけねば。




 この小説を読んでておもいだしたんだけど、中学生のとき、毎月親からおこづかいをもらうのが嫌だったなあ。
 もちろんこづかいはほしいんだけど。でも、毎月1日はこづかいの日って決まってるんだけど、父親は1日にくれないんだよね。忘れてるのかそれともわざと忘れてるふりをしてるのか。だからこっちから「おこづかいちょうだい」と言わないといけない。
 それがすごく恥ずかしかった。
「保護者と被保護者」という立場を否が応でもつきつけられるわけじゃない。おこづかいをあげる側ともらう側なんだから。「おい、こづかい」なんて言うわけにはいかない。
 だから日頃どれだけ「父親なんてうっとうしいぜ」「おれはひとりでも生きていけるぜ」「親となんか口も聞かねえぜ」ってスタンスを気取ってても(不良ではなかったけど)、毎月1日だけは「おこづかいちょうだい」とおねだりする息子にならないといけない。それが嫌だった。
「こうありたい」自分と「この程度の」自分のギャップをまざまざと見せつけられる日だったんだよね。毎月1日は。




 この物語自体がおもしろいというより、「自分が中学生だったときの気持ち」を思いだしたり「自分が中学生の親になったときの気持ち」を想像したりさせてくれる小説だった。

 こういう小説もいいよね。いろんな感情を引き起こすトリガーとなる小説。


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中高生の居場所をつくるな



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2021年6月4日金曜日

【読書感想文】クズ男に甘い / 東野 圭吾『恋のゴンドラ』

恋のゴンドラ

東野 圭吾

内容(e-honより)
都内で働く広太は、合コンで知り合った桃美とスノボ旅行へ。ところがゴンドラに同乗してきた女性グループの一人は、なんと同棲中の婚約者だった。ゴーグルとマスクで顔を隠し、果たして山頂までバレずに済むのか。やがて真冬のゲレンデを舞台に、幾人もの男女を巻き込み、衝撃の愛憎劇へと発展していく。文庫特別編「ニアミス」を収録。

 東野圭吾作品で「衝撃の愛憎劇」なんて書いてあるから、てっきり殺人事件に発展するのかとおもったらそんなことはなかった。

 基本的にはラブコメだ。でも人によってはサスペンスとおもうかもしれない。
 あらすじに書いてある通り、浮気がばれそうになる男の話だ。
 シチュエーションコメディとしてはおもしろいけど、この「浮気がばれるかばれないか」で一冊引っ張るのは無理があるのではないかとおもっていたら、この話はあっさり終わってしまう。短篇集だったのだ。

 とはいえ連作短篇集で、ここの短篇はそれぞれリンクしている。ある短篇の脇役が次の話の主人公になる……という感じ。
 このへんの構成はすごくうまい。
 まあリアリティはないんだけど。偶然が続きすぎて、どんだけ世間狭いねんって感じで。

 とはいえ、求められるリアリティなんてテーマによってずいぶん変わってくるとおもうんだよね。
『恋のゴンドラ』みたいなポップなラブコメの場合、そこまでリアリティを追求しなくていいとおもう。
 本格ミステリでこれだったら怒るけどね。




 しかし『夜明けの街で』を読んだときもおもったけど、東野圭吾さんはダメな男に甘いよね。ダメな男というか、クズな男というか。浮気をしちゃう男に対する処遇が甘い。

 浮気をした男はそれなりにしっぺ返しを食らうけど、それがすごく軽い。
 こっぴどく怒られて終わり、ぐらいなのだ。それでクズ男を許してしまう。
 女性作家だったらもっとひどい目に遭わすとおもうんじゃないかな。尻の毛までむしりとるぐらいにさ。

 登場人物への処遇の方法に、作者の恋愛観が表れるような気がするな。


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2021年6月3日木曜日

【読書感想文】最後にいきなりカツ丼出されるような / 桐野 夏生『夜の谷を行く』

夜の谷を行く

桐野 夏生

内容(e-honより)
山岳ベースで行われた連合赤軍の「総括」と称する凄惨なリンチにより、十二人の仲間が次々に死んだ。アジトから逃げ出し、警察に逮捕されたメンバーの西田啓子は五年間の服役を終え、人目を忍んで慎ましく暮らしていた。しかし、ある日突然、元同志の熊谷から連絡が入り、決別したはずの過去に直面させられる。連合赤軍事件をめぐるもう一つの真実に「光」をあてた渾身の長編小説!

 はじめにことわっておくと、山岳ベース事件(凄惨な事件なので苦手な人は閲覧注意)を知らない人には何が何だかわからない小説だとおもう。

 山岳ベース事件の生き残りの四十年後を書いた小説だが、事件に関する説明はこの本には書かれていない。事件の内容を知っていることを前提に書かれているので、この本を読む前にWikipediaでもいいから事件の概要を知っておくことをお勧めする。




 山岳ベース事件にはなぜか惹きつけられる。
 事件はぼくが生まれるより前の事件だが、知れば知るほど「特殊な状況に置かれた人間がいかに異常なふるまいをするか」ということをまざまざと見せつけてくれる。
 『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』のDVDも買った。フィクションだとわかっていても身の毛がよだつほどの生々しさを感じた。
 人間ってこんなにかんたんに狂えるのか。思考能力はこんなにたやすく奪われてしまうのか。

 ちなみに、「山岳ベース」よりもその後の「あさま山荘事件」のほうが有名だが、あれは追いつめられた人間が人質をとって立てこもっただけなので異常性は感じない。
 「山岳ベース」事件は怖い。
 人間が潜在的に持っている残酷性をはっきりとつきつけられるので怖い。人間って集団になるとこんな残酷なことをやれるのか。三十人近くいて誰も止めないのか……。

 もし自分が山岳ベース事件の場にいたらどうしていただろう……という考えを拭い去ることができない。戦ったり逃げたりできただろうか。殺されていただろうか。それとも、殺す側にまわっていただろうか。

 自分がどうしていたかはわからない。
 ただ「おれは絶対その場にいてもリンチには加担しなかった」というやつだけは信用できないとおもう。真っ先にリンチに加担するのはそういうやつだ。きっと。


 少し前に清水潔『「南京事件」を調査せよ』という本を読んだ。
 南京大虐殺と山岳ベース事件は似ているとおもう。命令されれば(場合によってははっきりと命令されなくても)、人間はどこまでも残虐になれる。特別に凶暴な人でなくても、ごくふつうの人がかんたんに他人を殺してしまう。




『夜の谷を行く』は、山岳ベース事件の生き残りである西田啓子(架空の人物だがおそらくモデルはいる)を主人公にした小説だ。
 舞台は二〇一一年。東日本大震災の前後。
 西田啓子は指導部ではなかったもののリンチに加担したため服役し、学習塾講師を経て、今ではひとりで暮らしている。ジムに通うのと焼酎を飲むのが好きな、老婆の静かな暮らしだ。
 しかし彼女の生活に四十年前の事件はずっとついてまわる。親戚の縁を切られ、唯一付き合いのある妹とは四十年たった今も事件をめぐって諍いが絶えない。姪の結婚にも啓子の過去が影響を及ぼす。

 彼女は「あの事件はすべてまちがいだった」とおもっているわけではない。もちろんすべてを肯定しているわけではないし、誤ちを犯したことは認めている。とはいえ、すべてが誤りだったとおもっているわけでもない。しかたなかったことや、正しいこともあったとおもっている。

 このへんの心の動きがすごくリアルだ。
 人間って、そんなにかんたんに過去の自分を全否定できるものじゃない。
 戦争に行って戦った人が、終戦後に「あの戦争はすべてまちがいでした」と言われても全面的に受け入れられたわけじゃなかっただろう。まちがいもあったけど、彼らが国や家族を守るために戦いに挑んだことまでもが誤りだったと受け入れられた人は少なかったんじゃないだろうか。

 山岳ベース事件は、外にいた人からしたら
「なんでそんなことしたんだ」
「自分だったらぜったいにそんなばかなことはしない」
と言いたくなることばかりだ。

 でも当事者である西田啓子にはそうおもえない。過去に対して線を引いてきれいさっぱり忘れることができない。
「間違いだったとされていることをしてしまった」とはおもっているが、「間違ったことをしてしまった」とはおもっていない。

「心からの反省」だとか「過去を悔やんでの改心」なんてしたことがあるだろうか。
 ぼくはほとんどない。
「もっとうまく立ちまわればよかった」ぐらいのことは考えるが、「あのとき自分はなんであんなばかなことをしてしまったんだろう」とまではおもわない。それをしてしまうと今の自分の存在が揺らいでしまうから。

 裁判所や刑務所で改悛の意志とかいうけど、あんなの噓っぱちだよね。まあ一パーセントぐらいは本気で改悛する人もいるのかもしれないが、ほとんどは「へたこいた」ぐらいにしかおもっていないとおもう。




 この小説、わりと平坦に話が進んでいくんだけど最後に大きなどんでん返しがある。
 たしかにびっくりしたんだけど、そういう小説だとおもってなかったのでかえって肩透かしを食らったような気になる。
「ははあ、元連合赤軍メンバーの心情を静かにつづる小説なんだな」とおもっていたら最後の最後で急にミステリになるというか。
 コース料理でスープと前菜と魚と肉を味わって「そろそろデザートかな」とおもってたら、突然カツ丼が運ばれてくるような。
  えっ、あっ、いや、たしかにカツ丼好きですしすごくおいしそうなカツ丼ですけど、今はそんなの求めてないんですけど。


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2021年6月2日水曜日

【読書感想文】全漫画中最高の1コマ / つの丸『モンモンモン 8巻』

モンモンモン 8巻

つの丸

内容(e-honより)
モンモンたちを追いかけてきたくまチョン&チャラ子を加え、世界一周の旅は続く! 砂漠、大海原、芸術の都に西部の荒野。やっと日本に帰りつくはずが、モンモン兄弟がたどり着いたのは…なんと北極! 雪と氷の世界をサバイヴして、ぶじ故郷の土を踏むことはできるのか!? ハイパーモンキーギャグ、ここに堂々の完結!!

『モンモンモン』の8巻について語る。

 なぜ8巻なのか。
 それは8巻には『モンモンモン』の最終話が収録されており、そして『モンモンモン』の最終話『原崎山に4番目の陽が昇る!!の巻』こそ週刊少年ジャンプのあらゆる漫画の中でもっともすぐれた最終回だとぼくがおもうからだ(いうほどたくさん読んでるわけじゃないけど)。

 だが『モンモンモン』の最終話のすばらしさはあまり知られていない。
 作者のつの丸といえば、『モンモンモン』の次回作である『みどりのマキバオー』のほうが圧倒的に有名だし(アニメ化もされた)、連載当時にジャンプを読んでいた人でも『モンモンモン』の最終回を知らない人は多い。なぜなら、『モンモンモン』の最終回はジャンプ誌上に載らなかったから。

『モンモンモン』は話半ばでジャンプ連載を打ち切られ、単行本刊行時に書き下ろしとしていくつかの話が追加された(ちなみに終盤も決してそのおもしろさは衰えてないとぼくはおもう)。最終話『原崎山に4番目の陽が昇る!!の巻』は書き下ろし作品だ。だからジャンプを毎週読んでいた人でも、単行本を手に取っていないかぎり最終話の内容は知らないわけだ。




 8巻の話をする前に、もう少し『モンモンモン』全体の話をしよう。

『モンモンモン』はチンチンやうんこやおならがたくさん出てくる下品なギャグ漫画だ。主人公は(猿とはいえ)チンチン丸出しでいつも鼻をほじりながらおならをしている。ここまで下品な主人公もそういない。
 前半は過激な暴力シーンも多かった。下ネタ、暴力、悪ふざけ。PTAが嫌いなものだらけだった(エロはない)。

 だが同時に、作品全体を強烈な「兄弟愛」「家族愛」が貫いていた。

 主人公・モンモンはかなり身勝手なキャラクターだ。傍若無人で気配りは皆無。そんな性格だから弟であるモンチャック(こちらは常識的なキャラ)に迷惑をかけつづける。だがモンモンは「兄貴として弟を守る」という姿勢だけは崩さない。結果的にモンチャックを困らせることになろうとも。

 ここに感じるのはほとんど「母性」だ。

 モンモンにとって弟・モンチャックは常に庇護する対象でありつづける。モンチャックのほうが頭もいいし世渡りもうまいが、モンモンはモンチャックに嫉妬や負い目を感じることはない。理由はない。母が母であるがゆえに子を愛するように、モンモンはモンチャックを守りつづける。
 モンモンはモンチャックの兄貴というより母なのだ(中盤で実母モンローと再会するが、モンローの存在感は薄い。再開後もモンチャックにとっての母はモンモンといえる)。

「ピント外れな愛情を注いでくる兄貴」は、『モンモンモン』を支えるギャグのひとつとなっている。岡田あーみん『お父さんは心配性』のお父さんと同じ構図だ(ただしあのお父さんの愛情には嫉妬も含まれているのでどこか生々しい。『モンモンモン』のほうがより純粋な愛情といえる)。




 さて、そんなモンモンの「母性」がギャグとしてではなく、シリアスに描かれるシーンが作品を通じて一箇所ある。それが最終話『原崎山に4番目の陽が昇る!!の巻』だ。ふう。やっとここに話が戻ってきた。

 ネタバレになるが、海に落ちたモンチャックを、モンモンは身を挺して守ろうとする。おならを吸いながら弟を助けようとするこのシーンは、くだらないギャグと自己犠牲精神とが融合したすばらしいシーンだ。

 で、この行動がすっごく自然なのだ。
 ふつうに考えたら「他人のために命を賭ける」って異常な行動じゃん。フィクションだったらよくあることだけど、でもどっか嘘くさい。1巻の第1話で、めちゃくちゃ強いはずのキャラが知り合い程度の少年のために片腕捨てたら「なんでだよ」ってなるわけじゃない(シャンクスのこととは言ってません)。
 だけどモンモンの場合は、最初っから最後までずっとモンチャックを守るために動いてるんだよね。だってそこには「母性」があるから。損得や、防衛本能すら超越した「母性」で動いてるから。
 それがずっと描かれてるから、命を賭けて弟を守ろうとするモンモンの行動はすごく自然だ。むしろこれ以外の行動をとることは考えられない。

 自分の命も危ないのに助けにきた兄・モンモンにモンチャックは問う。「自分も泳げないくせになんで助けにきたのさ!」と(記憶だけで書いてるので細かい言い回しはちがうかも)。
 それに対してモンモンは答える。「おれはおまえの……兄貴だからだ!」(この台詞ははっきり覚えている)と。

 この台詞がすごい。質問に対する論理的な答えになっていない。だがこれ以外の答えはないし、この台詞でモンチャックはすべてを理解するし、読者も納得する。なぜなら母性とはそういうものだから。




 さて。
 モンモンとモンチャックがどうなったかはここでは明かさない。
 なぜなら、最終巻・最終話の最後のコマを読めばすべてがわかるからだ。

 このラストシーンがほんとうに美しい。
 うんこちんこおならはなくその汚いギャグ漫画をやってきたのは、このシーンのためのフリだったのではないかとおもうぐらいオシャレなエンディングだ。
 数々の伏線が最後の1コマでぴたっとはまり、数年間の出来事がすべて読者の前に提示される。たった1コマで。
 ああ、あの酒場の占いはこれだったのか、くまちょんのあの態度はこういうわけか、チャラ子のあの台詞はそういうことか。

「ラスト数行のどんでん返し系」の小説はいくつも読んだが、いまだに『モンモンモン』を上回るものには出会っていない。あれほど1コマで様々な感情を喚起させる漫画にも出会ったことがない。


 この感情を味わうために、多くの人に『モンモンモン』の最終巻の最終話の最後のコマを見てほしい。もちろんこれだけ見てもわからないから、1巻から読んでほしい。
 1巻とか絵も汚くて内容も下品でギャグもいまいちでほんとにどうしようもない漫画だけど、そこをなんとか辛抱してつきあってほしい。


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2021年6月1日火曜日

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