2022年2月16日水曜日

【読書感想文】早坂 隆『幻の甲子園 ~昭和十七年の夏 戦時下の球児たち~』

幻の甲子園

昭和十七年の夏 戦時下の球児たち

早坂 隆

内容(e-honより)
昭和十七年夏の甲子園大会は、朝日主催から文部省主催に変更。さらに、戦意高揚のため特異な戦時ルールが適用され、「選手」としてではなく「選士」として出場することを余儀なくされた。そして、大会後は「兵士」として戦場へ向かった多くの球児たちの引き裂かれた青春の虚実を描くノンフィクション大作。

 高校野球選手権大会(いわゆる「夏の甲子園」)が昭和十六~二十年の間は「戦争のため中止」となっていたことは有名な話だ。
 だが、昭和十七年に朝日新聞社主催ではなく、文部省主催で甲子園で野球の大会がおこなわれたことはあまり知られていない。ぼくはいっとき高校野球の本や雑誌を買い集めていた高校野球フリークだったが、昭和十七年大会のことは知らなかった。高校野球選手権大会ではないため、公式の記録には残っていないのだ。

 昭和十六年大会は戦火拡大のため中止(選抜大会は開催)。翌十七年大会も中止となるかとおもわれたが、「大日本学徒体育振興大会」という名前の大会がおこなわれることになり、その中の一種目として甲子園球場で野球大会が開催されることになったのだ。

 戦前からの中等野球、戦後の高校野球という長い歴史の中で、この昭和十七年の大会だけが「国」による主催である。正式名称は、本来、名乗るべき「第二十八回大会」ではなく、「第一回全国中等学校体育大会野球大会」と銘打たれた。朝日新聞社の記録は今も「昭和十六~二十年 戦争で中止」となっている。
 昭和十七年の大会が「幻の甲子園」と呼ばれる所以である。




 戦時下、さらには国の主催ということでそれまでの選手権大会とは異なる部分もあったという。

 大会前には、主催者側から「選士注意事項」なる書類が各校に配られた。それによると、打者は投手の投球をよけてはならない」とある。「突撃精神に反することはいけない」ということであった。
 さらに、選手交代も認められないとされた。ルールとして違反者への罰則規定があるわけではなかったが、先発メンバー同士が相互に守備位置を入れ替わることは認められても、ベンチの控え選手と交代することは、原則として禁ずるという制約であった。例外として、立つことができないほどの怪我をした場合は認められるが、そうでない限り、選手交代は禁止だというのである。「選手は最後まで死力を尽くして戦え」ということであった。このような規則はもちろん、従来の大会には存在しなかった「新ルール」である。

 戦時中ならではのルールだ。死力を尽くして戦え。

 この交代禁止ルールのせいで、二回戦の仙台一中ー広島商では両チームあわせて四十四の四死球、十対二十八というひどい試合になっている。気の毒に。投げている方も、守っている方も、観ている方もうんざりだっただろう。誰も得しない。

 さらに準決勝の第二試合が雨天中止になったせいで(死力尽くさないとあかんのに雨降ったら試合やめるんかい)、翌日の午前中に準決勝の再試合、勝ったチームがその日の午後に決勝戦というむちゃくちゃな日程になっている。片方だけダブルヘッダー、しかもそのチームのエースは肩を負傷したまま投げている。

 こんな無謀なことやってるんだもん、そりゃ戦争にも負けるわ。

 また、ユニフォームの英語表記なども禁止されたという。

 ちなみに、「戦時中は『ストライク』は『よし』、『ボール』は『だめ』と言いかえた」という話が教科書にも載っているのでよく知られているが、あれは職業野球(プロ野球)の話で、この昭和十七年大会ではふつうにストライク、ボールといった言葉を使っていたそうだ。




  戦争中なので、当然ながら選手たちもその周囲の人たちも野球に専念できたわけではない。

 昭和十七年、エースの離脱という危機に直面しながらも、福岡工業は地方予選を勝ち進んだ。しかし、大事な地区予選の決勝戦の前には、さらなる衝撃がチームを襲った。監督の中島のもとに、召集令状が届いたのである。
「決勝戦の時、監督は頭を丸刈りにして、大きな鞄を持ってベンチ入りしていました。決勝戦を見届けてから、そのまま入隊の準備のために故郷に帰るということでした」

 このため福岡工業は、大会本番では監督不在で戦うことになったそうだ。容赦ない。

 また、甲子園球場に来ていた観客が場内放送で徴兵されたことを告げられ、周囲の観客が拍手で見送るシーンがあったこともこの本で書かれている。




 高校野球ファンなら、戦前の甲子園には満州や朝鮮や台湾からも代表校が参加していたことを知っているだろう。
 幻の十七年大会にも台湾代表が出場していた。台湾代表・台北工。 彼らは台湾大会を勝ち抜いたが、甲子園大会に出場するかどうか、つまり本土に行くかどうかでひと悶着あったという。

 昭和十七年、東シナ海や台湾海峡、沖縄近海といった水域には、すでに米軍の潜水艦が出没している。「内台航路」も、紛れもない戦場と言えた。
 米軍は軍艦だけでなく、民間の船でも容赦なく攻撃していた。そういった状況を受けて、学校側からは、
「出場を取りやめた方がいいのではないか」
という声が上がった。校長の二瓶醇も、生徒たちから犠牲者を出すわけにはいかず、躊躇せざるを得なかった。しかし、野球部としては、容易に呑める話ではない。
「死んでも本望だ」
 部員たちは口々にそう話し合ったという。
 そこで学校側は、甲子園メンバーの十四名に対し「親の承諾書」の提出を求めることにした。万が一の時の責任の所在を、学校側から各家族へと転嫁させるためであった。学校側としても、生徒たちの思いを実現させたいという気持ちは十分にあり、そんな中で下したギリギリの判断だったと言える。

 大げさでもなんでもなく、まさに命がけの参加だ。

 しかし、「死んでも本望だ」という言葉にはむなしさを感じてしまう。もちろん選手たちは本心からそうおもっていたのだろう。死ぬ危険があっても甲子園に行きたい、と。

 2020年の選手権大会もコロナ禍のため中止になったが、あのときの選手だってほぼ全員が「感染したとしてもやりたい」とおもっただろう。

 部外者からすると「命のほうが大事だろ」とおもうけど、十代の若者からしたら「全人生を投げうってでも出場したい」なんだろう。どちらが正しいとはいえない。

 ただ、「甲子園に出られるなら死んでも本望だ」も、「特攻隊で命を捨てる」も、その気持ちはほとんど変わらないようにおもう。

 若者が「死んでも本望だ」という気持ちを持つのはしかたないが、やっぱり全力で止めるのが周囲の大人の責務じゃないかとおもう。どれだけ恨まれても。

 この本には「親の承諾書」の提出を拒んだ父親がひとりだけいたことが書かれているが、その父親こそほんとに思慮深くて勇気のある人だとおもう(まあその人も周囲に説得されて結局承諾書にサインしてしまうんだけど)。




 この本には「幻の甲子園」の後の選手たちの人生も書かれている。その後の運命はばらばらだ。出征して命を落とした人、シベリア抑留された人、無事に生還してプロ野球選手になった人。出征したおかげで命を落とした人もいれば、出征したおかげで被爆を免れた広島商の選手も出てくる。

 彼らの命運を分けたのは、才能でも努力でも意志でもない。運、それだけだ。誕生日が数日遅かった、徴兵検査のときに野球ファンだった人が便宜を図ってくれた。そんな些細なことで命を救われている。


 まさに死と隣り合わせ。そんな時代だったにもかかわらず、いや、そんな時代だったからこそ、人々は野球に打ちこんでいた。いつ死ぬかわからない。死を回避する方法などない。そういう時代にこそ娯楽は必要なのだろう。選手だけでなく観客にとっても。

 戦争と比べられるようなものではないが、コロナ禍の今の状況も当時と似ている部分がある。誰が感染するかわからない、もはや努力だけでは防ぎきれない、感染対策を理由に様々な娯楽イベントが中止になっている。

 子どもたちを観ていると、気の毒になあとおもう。
 うちの長女は小学校に入ったときからコロナ禍だったので、各種イベントは中止または縮小があたりまえ。友人宅との行き来もない。こないだ、『ちびまる子ちゃん』の家庭訪問のエピソードを観て「家庭訪問なんかあるんや」とつぶやいていた。存在すら知らないのだ。

 知らなければまだいいが、中高生や大学生はかわいそうだ。数々の楽しいイベントが中止。

 学校は勉強をする場だが、勉強だけする場ではない。命を守るのは重要だが、それと同じくらい楽しいことも大事だとおもう。

 今は「学生は我慢を強いられるのもしかたない、経済活動はストップさせるな」になっているが、本当は逆にすべきじゃないかね。「命の危険があっても遊びたい」人はいっぱいいても、「命の危険があっても仕事をしたい」人はそんなに多くないんだから。




 いい本だったけど、個人的にいらないとおもったのは試合展開の詳細。

 選手交代ができないせいでこんなプレーが生まれた、みたいな「戦時中の大会ならでは」のエピソードはおもしろいんだけど、何回にどっちの高校が送りバントで二塁までランナーを進めるも無得点に終わった、なんていう八十年前の野球の試合の内容はどうでもいいです。試合内容自体は戦時中だろうと平和な時代だろうとあんまり変わらないからね。

 「戦時中におこなわれた幻の甲子園の舞台裏」というコンセプトはすごくおもしろかったし、丁寧な取材をしていることも伝わってくるんだけどね。


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2022年2月14日月曜日

【読書感想文】『ズッコケ時間漂流記』『花のズッコケ児童会長』『ズッコケ恐怖体験』

  中年にとってはなつかしいズッコケ三人組シリーズを今さら読み返した感想を書くシリーズ第四弾。

 今回は6・11・14作目の感想。

(1~3作目の感想はこちら、4・5・7作目の感想はこちら、8~10作目の感想はこちら


『ズッコケ時間漂流記』(1982年)

 今回の舞台は、過去。子ども向けの物語の舞台として定番だね。音楽準備室の鏡が過去とつながるトンネルになっており、三人は江戸時代にタイムスリップしてしまう。そこで出会ったのは平賀源内。三人は源内に未来から来たことを証明するが……。

 江戸の風俗などよく調べて書かれているなという気にはなるが、物語としてはややこぢんまりとしている。江戸にタイムスリップといっても二日だけだし、特に何をするわけでもなく戻る方法を探してうろうろしていただけ。
 ピンチを脱出したのも自分たちの活躍ではなく、ただ助けてもらっただけ。せっかくのSFなのに地に足がつきすぎているきらいがある。

 とはいえゴム飛行機を作って江戸の空に飛ばすところは痛快。きっと誰しも「過去に行ったら現代の知識でちやほやされるにちがいない」と考えるだろうが、いざ江戸時代に行っても困ってしまうだろう。現代人の持つスキルや知識なんて、現代の道具がなければほとんど何の役にも立たないわけで。

 三人もその問題に直面する。テレビやコンピュータの存在を知っているが、それを作ることはもちろん、原理を説明することすらできない。ゴム飛行機を作れただけでも上出来だろう(もっともハカセが三輪車の絵を描いて平賀源内をうならせているが、大八車もあった時代の人が三輪車の絵を見ただけでそこまで感心するだろうか?)。

 今作の主人公はなんといってもハカセ。関ヶ原の合戦の年号ぐらいは歴史に詳しい子なら覚えているかもしれないが、田沼意次の功績とか鎖国が解かれた年とかを(いくら前日に歴史の本を読んだからといって)記憶しているのはすごい。
 歴史好きの小学生はけっこういるけど、たいていは戦国武将とか新撰組とかで、天下泰平の江戸時代に詳しい子はめずらしい。ぼくが小学生のときなんか、水戸黄門と遠山の金さんしか知らなかったぜ。

 この物語の中で、平賀源内が殺人を犯してしまうのだが、史実でも平賀源内は殺人を犯して投獄→獄中死してるんだそうだ。小学生のときは知らなかったけど、このへんはちゃんと史実に基づいてるんだなあ。虚実交えたストーリーテリング、見事。

 ところで、この物語のキーパーソンである若林先生は「原子爆弾で死に絶えた若林家の血を後世に残すために江戸時代から二十世紀に行く」という設定だが、ズッコケシリーズで原子爆弾が出てくる作品は実はほとんどない。

『それいけズッコケ三人組』の『立石山城探検記』、『あやうしズッコケ探検隊』、『ズッコケ財宝調査隊』などでは戦争の影が描かれるのだが、原子爆弾については触れられない。
 三人組が住むミドリ市のモデルは広島市らしいので、原爆についての話題があまり出てこないのはちょっと意外な気がする。
 被爆経験者でもあった那須正幹氏にとって、原爆は小説の題材にするにはあまりに生々しかったのだろうか、と考えてしまう。
 まあそこまでたいそうなものではなく、原爆を出してしまうと「ミドリ市」が架空の町にならなくなるからってだけかもしれない。



『花のズッコケ児童会長』(1985年)

  津久田少年に喧嘩で負けたハチベエが、児童会長選挙で復讐を誓う
→ クラスの荒井陽子をかつぎだして後援会を結成。順調にメンバーを増やす
→ 後援会の選挙違反が明るみに出て陽子が出馬を辞退。メンバーが離れる
→ ハチベエが出馬を決意。はたして結果は……

と、起承転結がはっきりした作品。

 ブレイク・スナイダー『SAVE THE CAT の法則』という本( → 感想 )に、成功する脚本の構成パターンが紹介されている。
 悩み→ターニングポイント→お楽しみ→迫り来る悪い奴ら→すべてを失って→第二ターニングポイント→フィナーレ といったストーリーの定型が紹介されているのだが、『花のズッコケ児童会長』はまさにその王道パターン。


 ひさしぶりに読んで、改めておもう。名作だなあ。

 ぼくが小説を読んではじめて涙を流したのはこの作品じゃないかな。今回は娘に読んであげたのでさすがに泣かなかったけど、やっぱり涙を流しそうになった。

 今作のキーパーソンはふたり。スポーツ万能、特に柔道が強く、背も高くて顔もかっこいい、勉強もよくできる津久田少年。そして、運動が苦手で、引っ込み思案で、口下手な皆本少年。
 津久田少年には、皆本少年の気持ちがわからない。津久田少年だって何もせずに柔道ができるようになったわけじゃない。努力に努力を重ねて柔道が強くなったのだ。その自信があるからこそ、努力をしないやつが許せない。

 今でいうネオリベラリズムといったほうがいいだろうか。自由な競争を尊重し、公的機関による市場介入は最小限にする。極端にいえば、「負けたやつは努力が足りなかったのだからそいつが悪い」である。

 学校現場でもどっちかというとその考えが主流かもしれない。「がんばればなんでもできる」と教えることは、そのまま「失敗したやつはがんばりが足りなかったのだ」につながる。学校ではあまり「がんばってもどうにもならないこともある。生まれつき決まっていることも多い」とは教えない。

 だが、モーちゃんやハカセは津久田少年のネオリベラリズムに疑問を呈する。

「ぼく、モーちゃんのいいたいこと、すこしわかるな。つまり、モーちゃんは、児童会長になるひとは、勉強のできるひともできないひとも、力の強いひとも弱いひとも、みんなの気持ちがよくわかるひとがいいって、いってるんだと思うんだ。これは、ようするに、民主主義の問題だと思うよ。」
「民主主義? モーちゃん、いつから、そんな高級なこと考えるようになったんだ?」
 ハチベエが、目玉をむいた。
「べつにとくべつなことじゃないさ。民主主義って、みんなの意見をよくきいて、それにしたがうっていうことなんだから。」
「それが児童会長と、なんの関係があるんだ。」
「児童会長も、おなじことだよ。学校の子どもたち、みんなの意見を、じっくりきいて、それにしたがってくれなきゃあ。それも、とくに弱い立場のひとの意見をね。津久田くんは、正義館の子の意見や、スポーツの好きな子の意見は尊重するかもしれないけど、それいがいの子の意見を、ちゃんときいてくれるかなあ。」
(中略)
「問題は、心だよ。あの子は、たしかにたくましい花山っ子だよね。だから、たくましくない子や、たくましくなろうとしても、なれない子や、そんなにたくましくなろうと思わない子のことなんて、てんで相手にしないんじゃないかな。」

 この感覚、わからない人には一生わからないだろう。一億総活躍社会、なんていう人間には理解できないだろうな。活躍できない人や、活躍したくない人の心情は。

 そういう政治家がいたっていいとはおもうけど、あまりにも多すぎる。政治家になるのって99.9%は成功者なんだよね。家が金持ちで、勉強ができて、学歴が高くて、仕事で成功した人。努力できる人。だからそうでない人にはなかなか寄り添ってくれない。

 いっそ裁判員制度みたいに全国民から無作為に選んだほうがよっぽどマシになるかもしれない。

 話がそれた。そんなわけで、弱者として描かれる皆本くんにとって、いじめられているところを助けにきたハチベエは正義のヒーローである。だが、べつにハチベエはいいことをしたわけじゃない。ムカついたから喧嘩を売りにいっただけで、皆本くんを助けようなんて気はさらさらなかった。

 これがいい。ハチベエが人助けをしたりしたら、嘘くさいもの。己の欲望のままに行動したら、結果的に救われた子がいた。それでいい。「誰かのためにたたかう」なんて偽善だよ。


「ハチベエの児童会長選出馬」以外にも見どころの多い作品だ。

 ひとつは、女子との交流。放課後や休日に男子も女子も集まって、児童会長選挙に向けての作戦を練っている。こういうシーンはこれまでのズッコケシリーズではほとんど見られなかった(例外は『それいけズッコケ三人組』の『立石山城探検記』ぐらい)。
『探偵団』や『事件記者』でも女子は出てくるが、そこでの女子はあくまで〝敵〟だった。

 そう、昔の男子小学生にとって女子は〝別世界の住人〟もしくは〝敵〟だった。ぼくも、小学生のときに女子と協力して何かをした記憶がほとんどない。でも、だからこそたまに女子といっしょに何かをするときはテンション上がったものだ。劇の練習とか誰かの誕生日会とかで休みの日に女子と集まったときはわくわくしたなあ。

 ズッコケ三人組が女子と(一時的にではあるが)手を組むようになったのは、時代の変化のせいかな。あるいは女子の読者が増えたから、というもっと直接的な理由かもしれない。この作品以後、『株式会社』や『文化祭事件』など女子が味方になる作品が出てくる。

 しかし「陽子はかわい子ちゃんだから票が集まるはず」とか「かわいければ男子からの票が入るかもしれないが、あの顔では無理だろう」といった、今の時代の児童文学なら完全アウトな発言が随所に出てくるのは昭和だなあ。


 他にも、ハカセがアメリカ大統領選挙にも精通しているところを披露したり、事前運動を回避するために後援会を組織するといった本物の政治家さながらの悪知恵をはたらかせたり、組織が大きくなるにつれて末端が腐敗していってコントロールが効かなくなる様子を描いていたり、細部まで手を抜いていない。

 長いお話だとどうしても中だるみの部分が生まれる。それはズッコケシリーズも例外ではない。だけどこの作品に関してはどこをとってもおもしろい。めまぐるしく話が動くので退屈する暇がない。

 大人になって読んでも、子どものときとまったく同じように楽しめた。本当にすばらしい児童文学ってこういうもんだよな。



『ズッコケ恐怖体験』(1986年)

 ハカセのおじいちゃんの家に遊びに行った三人。ハチベエは不気味な老婆から「おたかの亡霊を呼び寄せた」と告げられ、さらに肝試しで道に迷った際に奇妙なな体験をする。
 町の人々は急に三人に対してよそよそしくなり、追いかえされるようにして家に帰ることに。だが家に帰った後も奇妙な現象は続き……。


 小学生向け物語の定番ジャンル「怪談」。書店の児童書コーナーを見ると、けっこうなスペースが怪談本に割かれている。

 ズッコケシリーズでも既に『ズッコケ心霊学入門』という作品があるが、あれは心霊写真という入口ではあったが、結果的には心理学や超能力の領域の話になり、しかも三人組がいない間に事件が解決してしまうという、怪談話を期待していた読者には肩透かしを食らわせる展開だった。

 その反省を踏まえてか、『ズッコケ恐怖体験』ではきちんと幽霊を登場させている。

 とはいえ、単に「はい幽霊出ましたよーこわいですねー」としないところが、さすがは那須正幹先生。冒頭からあやしい人物を登場させるなど周到に雰囲気づくりをおこない(まあその人は優しいおじさんなんだけど)、幽霊の正体を細かく設定し、幕末の長州征討の話にからめるなど虚実まじえて見事にもっともらしいほら話をつくりあげている。大人が読んでも、なるほどとおもわせる話運びで、子どもだましにしないところがいい。

 小学生のときにも読んだはずだが、細かい設定はほとんどおぼえていない。幕末の説明のあたりは読み飛ばしていたんだろうな。

 話としてはよく練られているが、怖いかというとあまり怖くはない。これは、幽霊の正体であるおたかさんという人物、死に至った背景、おたかさんの心残り、他の誰でもなくハチベエが憑りつかれた理由などがきちんと説明されているからだろう。結局、怖いという感情は「わからない」と表裏一体なのだ。わかってしまえば怖くない。その証拠に、幽霊嫌いの娘(八歳)も怖がらずに聞いていた。

 怪談としては失敗かもしれないが、幕末の悲劇として読めばよくできている。いわゆる子ども向けの怪談というより、落語や講談に出てくる怪談話に近い。

 ただ、児童文学として読むとはっきりいってつまらない。自然に憑りつかれて自然に解決してしまったのだから、三人組の活躍といえるようなものは皆無。『ズッコケ心霊学入門』と同じだ。

 もっと知恵や勇気や行動で困難を打開していく話が読みたいな。


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【読書感想文】『それいけズッコケ三人組』『ぼくらはズッコケ探偵団』『ズッコケ㊙大作戦』



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2022年2月10日木曜日

【コント】不動産屋

「いらっしゃいませ」

「あの、物件探してほしいんですけど。急ぎで」

「承知しました。ではまずご希望の条件をお伺いできますか」

「トイレのある部屋!」

「はっはっは。今はたいていの部屋にトイレがついてますよ。逆に共用トイレの部屋を探すほうがむずかしいぐらいで。ほかに条件は」

「いや特には」

「場所はどのあたりをご希望でしょうか」

「なるべく近くがいいです」

「駅からですか」

「いや、ここから」

「ここから? お勤め先がこの近くとかですか」

「いやそういうわけじゃないんですけど。ねえ、早く紹介してもらえませんか」

「他に条件は……」

「ないです。とにかくトイレのある部屋ならどこでもいいんで!」

「そう言われても、条件がゆるすぎて逆に見つからないんですよね……」

「ああ! 早く! 早く!」

「あのー。もしかしてですけど、お客様」

「なに?」

「ひょっとして、今トイレを我慢されてるんでしょうか」

「そうですよ! だから早くトイレのある部屋を探してって言ってるんです!」

「やっぱり……。あのお客様、でしたら物件探しではなく、『トイレ貸して』とおっしゃっていただければ事務所のお手洗いをお貸しできますんで」

「え? そうなの!? もっと早く言ってよ! あっ、あっ、あっ……」

「えっ」

「……」

「ひょっとしてお客様……」

「あの……。やっぱり、トイレとお風呂のある部屋探してもらえますか……

「やっぱりもらしてるじゃないですか!」



2022年2月9日水曜日

子どものアンガーマネジメント

 長女はかんしゃく持ちだ。怒ると手が付けられなくなる。

 長女が一歳のときに撮った動画がある。
 積み木をふたつ重ねて押す娘。押すうちに、上に乗せた積み木がぽろりと落ちる。すると娘は「ぎゃー!」と泣いて床につっぷす。
 しばらくするとまた挑戦する。ふたつ重ねた積み木を押す。上に乗せた積み木が落ちる。また泣き叫ぶ。

 そのときは「ああおもうようにいかなくて怒ってるのか。かわいいな」とおもっていた。のんきに動画撮影をしていた。


 長女が二歳になった。世間一般にいう〝イヤイヤ期〟突入である。うわさには聞いていたが、すごかった。

 とにかく何をするのもイヤ、歩くのもイヤ、だっこされるのもイヤ、ベビーカーに乗るのもイヤ、置いていかれるのもイヤ、その場にいるのもイヤ、どないせいっちゅうねんとおもうが、イヤイヤ期とはそういうものらしい。機嫌を損ねると座りこんで泣きわめき、どうすることもできない。腹が減っているから怒るのだろうと食べ物やジュースで釣っても動こうとしない。怒ること火のごとし、動かざること山のごとしである。

 まあイヤイヤ期だからな、とおもっていたが、三歳になっても四歳になってもかんしゃくを起こす。さすがに回数は減ったが、それでも一度怒りだすと、何を言っても耳を貸さなくなる。怒りが怒りを呼んで、どんどん燃え盛る。
 他人を叩いたりものを壊したりといったことはほとんどないのが救いだが、一度機嫌を損ねると手が付けられなくなる。

 この頃にようやく気付いた。「あれ、他の子はここまでひどくないぞ」と。

 もちろん他の子も怒ることはあるが、うちの娘ほど長時間引きずらない。家の中ではどうだか知らないが、少なくとも外で遊んでいるときはほどほどのところで怒りを鎮めている。うちの娘だけが持続的な怒りを持っている。SDGsな怒りだ。
 しかも回数が多い。他の子の三倍ぐらい怒っている。


 小学生になっても、怒って怒ってすべてを台無しにしてしまうことがある。

 一年生のとき。登校前に「鍵盤ハーモニカを持って行かなきゃいけないのにちょうどいいかばんがない!」と怒りだした。
 こちらが「ちょっとはみだすけどこのかばんでいいじゃない」「紙袋ならあるけど」「袋に入れずにそのまま持っていけば」「それも嫌ならもう持って行かなきゃいいじゃない」とあれこれ案を出すも、すべて却下される。
 〝この鍵盤ハーモニカがぴったし入る布製のかばん〟を用意するまでこの怒りは鎮まらないのだ。むりー。
 たまたまリモートワークだったこともあって「だったら好きにしたら」と放っておいたら、まんまと学校に遅刻した。

 二年生になっても同じようなことがあった。登校直前になって「宿題のプリントがない」と言いだした。家を出る時間がせまっていたので「今日は忘れましたって先生に言って、明日持っていきなよ」と言っても聞く耳持たず。強引に家から連れ出そうとしたがてこでも動かず。結局、妻が仕事を休むことにし、一日家にいることになった。

 冷静に考えたら「鍵盤ハーモニカを忘れることと、学校に遅刻すること」「宿題のプリントを忘れることとと、学校をさぼること」のどっちがマシかは明らかだ。でも怒りだすとそういう判断ができなくなってしまう。


 娘が怒りだしたとき、ぼくは妥協しない。「怒ると要求が通る」とおもわせたくないからだ。
 だから娘が怒りだすと、譲歩するどころか逆にこちらの要求を吊り上げる。

 たとえば「本を読んで」という娘と、「今日はもう遅いから明日」のぼくが対立する。娘が怒鳴る。ぼくは「じゃあ明後日」と言う。娘はもっと怒って叫ぶ。ぼくは「じゃあ三日後」と言う。

 これを何度かやっていたら怒らなくなるかとおもったが、娘はぜんぜん学ばない。怒れば怒るほど不利になるのに、それでも怒る。なんてアホなんだ。犬のほうが賢いぞ。


 まあ子どもだからな、とおもっていたのだが、次女の姿を見ているうちに心配になってきた。次女は長女とちがって怒りが長期化しないのだ。
 もちろんかんしゃくを起こすことはあるが、数分で収まる。怒りだすと一切の譲歩を拒絶する長女と違い、次女は怒りながらも損得の計算をしているようで「ジュース飲む?」と訊くとあっさり譲歩してくれる。「Aは叶わなかったけど同等以上のBが手に入ったから良しとする」という判断をしてくれるのだ。長女はそれができない。


 おいおいどうなってるんだ。八歳の長女よりも三歳の次女の方がよっぽど感情のコントロールができてるぞ。

 子どもなんで怒りのコントロールができないのは当然かとおもっていたが(ぼくもかんしゃくを起こしやすい子どもだったので)、次女と比べると長女は感情のコントロールがへたすぎる。怒りをぶちまけたっていいことなんてひとつもない。うまくコントロールさせてやらなきゃあ。


 というわけで、名越康文氏監修の『もうふりまわされない! 怒り・イライラ』という本を買った。
 以前、名越康文さんの人の対談を聴きに行ったことがある。落ち着いたしゃべりかたをする精神科医だ。いかにも感情のコントロールがうまそうな人だった。

 この本は、子ども向けに「怒りとはなんなのか。なぜ人は怒るのか。怒りを落ち着かせるにはどうしたらいいか」を説明してくれている。アンガーマネジメントというやつだ。大人が読んでも「なるほどね」とおもう箇所もいくつか。

 特にシンプルですぐ実践できそうだったのが「腹が立ったら6秒かけてゆっくり深呼吸をする。深く吸って、ゆっくり吐く。爆発的な怒りは6秒までしか持続しないので、6秒立つと気持ちが落ち着いて冷静に話せるようになる」というものだ。

 これはいいとおもい、さっそく長女といっしょにこの本を読み、
「(長女)が怒ってるなーとおもったらおとうさんが『6秒深呼吸して』と言うから、そしたらゆっくり深呼吸して」
と伝えて練習をした。

 さあこれで大丈夫。


 数日後、長女が「丸付けして」と持ってきた漢字のプリントを採点していたら、「なんで×なん。あってるやんか!」と怒りだした。
 いよいよアンガーマネジメント術を使うべきときだとおもい「あっ、6秒深呼吸して」と言った。

 すると長女は「怒ってない! 怒ってないのになんで深呼吸すんのよ!」とますます怒りだした。

 えええ……。怒ってますやん……。

「まあまあ。まず深呼吸して。それから話そう」

「いやだ! 深呼吸の前に話す!」


ということで結局、6秒深呼吸術を使ってくれませんでした。

 アンガーマネジメントを使うためにはまず怒りを鎮める必要があるな……。


2022年2月8日火曜日

夜の学校

 たいへんまじめな高校生だったので、在学中に酒を飲んだことは二度しかなかった。なんてまじめなんだ。

 今の高校生はどうだか知らないが、ぼくが高校生だった二十数年前はまだまだ未成年の飲酒に対して社会全体がゆるく、コンビニでも年齢確認なしで酒が買えた時代だ。そりゃ飲むだろう。

「文化祭の打ち上げで○○先輩がファミレスでビールを飲んだのがばれて停学になった」という話も聞いた。近所のファミレスで飲むほうも飲むほうだし、明らかな高校生集団にビールを提供する店も店だ。まあとにかくそういう時代だったのだ。なのに二度しか飲まなかったというのは、えらいというほかない。あっぱれ。


 一度目は三年生の夏休み。友人三人と、夜中の小学校に忍びこんで缶チューハイをほんの少しだけ飲んだ。

(そのときの顛末は以前にも書いた。→ 死体遺棄気分の夏 )


 二度目は三年生の大晦日。ホームセンターでどきどきしながら缶チューハイを買い、高台にある小学校にしのびこんだ。テラスで寒さにふるえながら年を越した。寒すぎてまったく酔わなかった。

 酒を飲んだのは二度とも小学校だ。人が来ないので見つかりにくい、金がなくても行ける、少々大きな声を出しても大丈夫、という条件を満たしてくれるのは夜の学校ぐらいしかないのだ。

 これはぼくらだけではない。同級生の女の子は夜の中学校のプールで泳いでいて警察に怒られたと言っていたし、やはり別の友人は夜の高校の体育館で煌々と灯りをつけてバスケットボールをやっていたら警察に追い回されて走って逃げて転んだところを捕まった。

 田舎の高校生が人目を忍んで行くところといえば学校ぐらいしかないのだ。この支配から卒業するために行く場所が学校しかないというのは、なんとも皮肉なものだ。きっと尾崎豊が夜の校舎で窓ガラスを壊してまわったのも、教育制度に対する反抗心と言うよりは「他に行くところがなかった」が近いんじゃないだろうか。