2020年8月31日月曜日

【読書感想文】登場人物全員警戒心ゼロ / 矢口敦子『償い』

償い

矢口 敦子

内容(e-honより)
36歳の医師・日高は子供の病死と妻の自殺で絶望し、ホームレスになった。流れ着いた郊外の街で、社会的弱者を狙った連続殺人事件が起き、日高はある刑事の依頼で「探偵」となる。やがて彼は、かつて自分が命を救った15歳の少年が犯人ではないかと疑い始めるが…。絶望を抱えて生きる二人の魂が救われることはあるのか?感動の長篇ミステリ。

何がイヤって、「初対面の人間にデリケートな話をべらべらしゃべるミステリ」ほどイヤなものはない。

ストーリーを進めなくちゃいけないのはわかるが、だからってどいつもこいつもべらべらべらべらしゃべりすぎだ。

刑事がホームレスに捜査中の事件を相談し、中学生がホームレスに哲学的議論をふっかけ、主婦が名刺も持たない自称フリーライター(実態はホームレス)にご近所のうわさ話をし、夫が逮捕された妻が「夫と留置所で一緒だった」と名乗るホームレスを家に入れてコーヒーをふるまう。

どうなってんの。
登場人物全員自制心も警戒心もゼロなの。みんな泥酔してんの。だからおしゃべりを止められないの。
百歩譲って中学生や主婦は「百人に一人ぐらいはそんな人もいるかも」と許しても、捜査情報を漏らす刑事は懲戒処分待ったなしでしょ。



小説だから偶然や奇跡が発生するのはしかたがない。
ミステリなんて基本的に「めったに起こらないことが起こった場面」を切り取ったものだから、ある程度のご都合主義はあってもいいとおもう。

とはいえ。
『償い』はひどい。

小さな街で立て続けに不審死が発生する……ってのはいいよ。
そういう設定だからね。
大きなほらはおもしろい小説に必要不可欠だ。

ただ、ちっちゃい嘘(あまりに都合のいい偶然)が多いんだよね。

犬も歩けば棒に当たる的な。
主人公がちょっと歩けばすぐに事件の関係者に出くわす。

たまたま会った人が被害者の親戚だった、たまたま入った店の向かい側に容疑者の妻が入っていくのが見えた、たまたま昔の自分を知っている人だった、たまたま会った中学生がかつて自分が命を救った子だった……。

一度や二度なら「まあフィクションに目くじらを立てるのもな」と看過できても、それが五度も六度も起こると「もういいかげんにしろよ……」とうんざりする。

もはや謎解きはどうでもいい。
「はい次はどんな“たまたま”を起こしてくれるんですか」としかおもえなくなってくる。


『ジョジョの奇妙な冒険』の偉大な発明のひとつは、スタンド(幽波紋)という視覚化された超能力だが、なによりすばらしいのは「スタンド使いはひかれあう」という設定をつけくわえたことだ(後付けっぽい感じもあるが)。

この設定があるだけで、“たまたま”が頻発しても「スタンド使いはひかれあうからね」で済ませることができる。

『償い』もこういう設定を最初につけておけばよかったのにね。
過去に心の傷を負った人たち同士がひかれあう世界の物語です、って。


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2020年8月28日金曜日

見ず知らずの子に本を買ってあげたくなった話


本屋に行ったら、四歳ぐらいの子どもが絵本を手にして「これ買って」と言っていて、一緒にいたおとうさんが「あかんあかん、どうせ読まへんやろ」と言っていた。

まったく見ず知らずの親子だったけど、
「おっちゃんが買ってあげるよ」
と言いたくなった。

本の一冊ぐらい買ってあげればいいじゃない。
せっかく子どもが読む気になってるのに。
本を読む習慣をつけておいて悪いことはあんまりないぜ。
お金がないならぼくが出してあげるからさあ。
だから本を読みたがっている子どもの希望をへしおらないであげてくれよ。

と言いたかったのをぐっとこらえた。

直後、そのおとうさんが
「そんな絵本みたいなんじゃなくて、もっと字の多い本読めよ」
と言うのを聞いたときは、
「おまえがその芽をつぶしてるんやろが!」
とぶん殴りたくなった。じっさいぶん殴って気を失ったところを本棚の下のストッカーの中に押し込んだ。めでたしめでたし。


2020年8月27日木曜日

なりふりかまわぬ大統領


『国家はなぜ衰退するのか』という本にこんなエピソードが載っていた。
 二〇〇〇年一月、ジンバブエのハラレ。一部国有のジンバブエ銀行(通称ジンバンク)が運営する国営宝くじの抽選会で、司会者のファロット・チャワワは当選くじを引く役を任されていた。一九九九年一二月の時点で同行の口座に五〇〇〇ジンバブエ・ドル以上を預金していた顧客全員に、この宝くじに当たる可能性があった。くじを引いたチャワワはあぜんとした。銀行の公式声明によれば、「司会のファロット・チャワワは、わが目を疑った。一〇万ジンバブエ・ドルの当たりくじが手渡されると、そこにはR・G・ムガベ大統領閣下と記されていた」からだ。
 ロバート・ムガベ大統領は一九八〇年以来、あらゆる手段を駆使し、たいがい鉄拳によってジンバブエを統治してきた。その大統領が、国民一人あたりの年収の五倍に相当する一〇万ジンバブエ・ドルの賞金を当てたのだ。ジンバブエ銀行によれば、抽選の対象となる何千人もの顧客のなかからムガベ氏の名が引き当てられたという。なんと運のいい男だろう! 言うまでもないが、大統領は本当にそんな金を必要としていたわけではない。何しろ自分と閣僚たちの給与を最高で二〇〇パーセント引き上げるという大盤振る舞いをしたばかりだったからだ。
 宝くじは、ジンバブエの収奪的制度を物語るほんの一例にすぎない。腐敗とも呼べるこうした例は、ジンバブエの制度に巣くう病理の一症状にすぎない。ムガベが望めば宝くじさえ当てられるという事実は、彼がジンバブエ国内の諸事にどれだけ支配力を振るっているかを物語り、この国の収奪的制度のひどさを世界に示した。
大統領が権力をふりかざして宝くじに不正当選してしまう国……。

ジンバブエ国民には申し訳ないけど笑っちゃうな。
当事者からしたら悲劇でしかないけど……。

ムガベ大統領が何をおもって宝くじの当選者を自分にしたのかわからないけど、ばかすぎる。
私腹を肥やしたいならいくらでももっといい方法があるだろうに。ここまで国民の反感を買わずに済む方法が(じっさいそういう方法もやってるんだろうけど)。

他人に便宜を図るために宝くじを当選させてやった、ならまだわかるんだけど。
本邦にも友だちのために国有地を安く売却させる便宜を図った政治家がいるし。

でも、ばかすぎてかえって許せるような気もする。
恥も外聞も気にせずそこまでやられたらもう「んもう、しょうがねえなあ、あいつは」と笑うしかない。

新人文学賞の応募作品を募集しておいて芸能人の書いたどうしようもない小説を「これが大賞です!」というような姑息な真似よりはよっぽど潔いとおもうぜ(いつまで言い続けるんだ)。

2020年8月26日水曜日

鈍感なわたくし


十年ぐらい前に自分が書いたブログを読んでいたら
「繊細だなー」
とおもった。

昔のぼくは、些細なことに感情を動かされている。
ちっちゃなことに腹を立て、もの悲しさを感じ、おもしろさを見つけている。
それはつまり、ぼくが昔よりずっと鈍感になったということだ。

思春期のころ、世の中のおっさんおばさんを見て「なんて無神経なんだ」と嫌悪を感じていたが、その無神経なおっさんに自分がなっている。

昔より、心を動かされることが減った。
「まいっか」で済まされることが増えた。
自分としては生きやすくなったのでいいことなんだけど、他人から見たらあつかましいおっさんがひとり増えたのでよくないことなんだろう。

感受性が鈍くなったのは年齢のせいもあるし、子どもと暮らしているせいでもある。

幼児なんてバナナの皮を自分でむきたかったという理由で大声で泣き叫び、お風呂に入りたくなかったのにといって風呂から出た後までずっとめそめそしている。
時間も場所も状況も気にせず怒りくるう。かとおもうと信じられないぐらいあっさりと機嫌を取りもどしてけたけた笑う。

こんなめまぐるしく感情を変える生き物にあわせていちいち心を動かしていたら、たちまち発狂してしまう。

だからだろう。感情のシャッターをすばやく閉じられるようになった。

ああこれはめんどくさいことになりそうだとおもったらすみやかにシャッターを下ろす。
沖縄の人が台風に慣れているように、ぼくも近くを通りすぎる感情の暴風雨に慣れてしまった。
すばやくシャッターを下ろして、なるべく外のことは考えずにぼんやり過ごす。
妻も同じようにシャッターを下ろしているので、子どもが泣き叫んでいる隣で妻と窓の外を眺めながら
「今年は冷夏なんて言ってたけど最初だけだったね」「ふたを開けたらぜんぜん猛暑だよね。毎年だまされてる気がする」
なんてのんきな会話を交わしている。

ああ、こうして世の中のおっさんおばさんは図太く無神経になってゆくんだな。
人が不機嫌そうにしていてもいちいち気に病んだりせずに
「なんか怒ってはるわー。おーこわ」
「眠いんやろかねー。腹立つんやったら寝たらええのに」
とやり過ごせるようになるんだな。

そうやって感覚が鈍磨していること自体に関しても「まあ感覚が鈍ればつらいことも感じにくくなるからええわ」ぐらいにしかおもえない。
十代のぼくが聞いたら、己が鈍感になることにめちゃくちゃ怒るだろうな。

すまんすまん十代のぼくよ、でもまあしゃあないやん、そない怒るんやったらはよ寝たほうがええよ。

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2020年8月25日火曜日

【読書感想文】宗教の家の子 / 今村 夏子『星の子』

星の子

今村 夏子

内容(e-honより)
林ちひろは、中学3年生。出生直後から病弱だったちひろを救いたい一心で、両親は「あやしい宗教」にのめり込んでいき、その信仰は少しずつ家族のかたちを歪めていく…。野間文芸新人賞を受賞し、本屋大賞にもノミネートされた著者の代表作。

物心ついたときから親が宗教にハマった家庭で育ったちひろ。

本人はその家庭しか知らないので当然のように受け入れているが、「入信する前」を知る姉や、そうでない家庭を知る叔父はなんとかちひろを「宗教から救いだす」ことを試みる。

だが両親は聞く耳を持たず、ちひろも家を出ることを考えもしない……。


ぼくの両親は無宗教だったが、学校のクラスメイトには「宗教の家の子」がいた。

そんな子らは“家庭の事情”でいろんな楽しみから距離を置いていた。

彼らは土日に遊べなかったり、クリスマス会に参加できなかったり、部活に入れなかったりした。

高学年ぐらいになるとだんだんわかってくる。どうやらシューキョーのせいらしい。親がシューキョーをやっていると、いやおうなく子どももそれにつきあわされるらしい。

ぼくらからすると、彼らは「かわいそう」だった。

ちょうどそのころオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった。

それまで以上にシューキョーは「やばいもの」になった。


彼らはどんな気持ちだったんだろう。

大人になって、彼らが入信していた(というかさせられていた)宗教の教義を知った。
終末がやってきたときに信じている者は救われる、信じていないものは滅びる。この世には人々を堕落させようとする悪魔がたくさんいる。悪魔はあの手この手で信者を誘惑する。遊びに誘ったり漫画やゲームをちらつかせたりする。その悪魔の誘いに乗ってはいけない……。

だいたいそんな教義らしかった(ぼくの解釈では)。

その教義を知って、とてもいやな気持ちになった。

ぼくは悪魔だとおもわれていたのか……。

ぼくは彼らをかわいそうとおもっていたが、彼らもまたぼくらのことを「悪魔の誘いに乗って堕落したかわいそうな人間」とおもっていたのか……。

彼らがその教義を信じていたのかどうかわからない。
ぼくらのことを悪魔とおもっていたのか、かわいそうとおもっていたのか、うらやましいとおもっていたのか。

彼らがどんな気持ちを持っていたのか。

知りたいような、知りたくないような……。




『星の子』を読んで、ひさしぶりに「宗教の家の子」のことを思いだした。

彼らは自らの置かれた境遇のことをどうおもっていたんだろう。

はかなんでいたんだろうか。それとも自分たちこそが救われていて他の家の子を悪魔と見下していたんだろうか。

どっちでもなければいいな、とおもう。
『星の子』のちひろのように、あるがままに受け入れていたらいいな。
自分の家が他と違うことは認めつつも、とりたてて幸せでも不幸でもないとおもっていたらいいな。

ああいう子って将来どうなるんだろう。

ぼくはひとり知っている。
「宗教の家の子」だったNくんは、今は居酒屋の店長をやっている。ぼくも一度飲みに行った。その店の親子丼はぼくが今までに食べた中でいちばんうまかった。

あんなにうまい親子丼を作れるんだから、彼はきっと今は“ふつう”の人生を歩んでいるんだろうとおもう。


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