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2023年10月31日火曜日

小ネタ3

嘘略語

 バーの店員、略してバーテン


放送禁止用語

 エッチな言葉とかより「心頭滅却すれば火もまた涼し」とか「お客様は神様です」みたいな間違った考えを植えつけようとする言葉の方を放送禁止用語にしたほうがいい。


インドの国旗

 


 インドの国旗の上部の黄色っぽい部分の色の名前は「サフラン」だそうだ。サフランといえばカレーに使う香辛料。どんだけカレーが好きなんだ、インド人。いっそ片方をカレー色にして、もう片方をナンの色にしたらいいのに。

 しかしインド人はインド人で、
「えっ、ごはんと梅干しを日の丸弁当っていうの。弁当にちなんで国旗をつくるなんてどんだけ梅干しとご飯が好きなんだ、日本人」
とおもっているかもしれない。


スーパーマンのマント

 スーパーマンはマントをつけているが、飛ぶためにマントはまったく必要ない。むしろじゃまだ。枝とかにひっかかりそうだし。

 あれは飛ぶためではなく飛んでいることを視覚化するためだろう。空に浮いている人の絵を見ても、飛んでいるのか空中で静止しているのかわかりにくい。でもマントが一方向にたなびいていたら飛んでいることがわかる(もしくは強風の中で静止しているか)。



2023年10月30日月曜日

一斉掃除

 世の中には「みんなで一斉に掃除をしないと意味がない」とおもっている人がいるらしい。


 朝、オフィス街を歩いていると、たまに「社員が外に出てきてごみ拾いをしているをしている会社」を見かける。一社ではないので、「社員にごみ拾いをさせることでいいことがある!」みたいな思想が世の中にはびこっているらしい。

 といって毎朝やっているわけではない。たとえば、ぼくがよく見るO社の場合、毎月一日だけ(一日が休日のときは翌日)社員が外に出てゴミ拾いをやっている。

 その思想自体にはもちろん反対しない。が、ふしぎなのは社員が一斉にやっていることだ。


 みんなでほうきやちりとりを持ってごみを拾っている。だがオフィス街にはそんなにごみが落ちていない。オフィス街にいるのはたいてい常識人なので喫煙者以外はゴミのポイ捨てをしないし(タバコが人を狂わせることがよくわかる)、行政もちゃんと仕事をしているので、さほどごみは落ちていない。

 そこにO社の社員数十人が出てきても、たいして拾うものがない。見るからに手持ちぶさたで、みんな目を皿のようにして必死にわずかなごみを探している。

「もし今ぼくがごみをばらまいたら、この人たちは非難するどころか『ごみを捨ててくれてありがとう!』と感謝してポップコーンを撒かれた鳩のように群がってくるんだろうな」なんてことを考えてしまう。


 ふつうに考えたら、六十人がみんなで一斉に一日だけ掃除をするよりも、社員を三人ずつの二十のグループに分け(月の営業日を二十日とする)、今日はこのグループ、明日はこのグループ、と交代でやるほうが効率がいいに決まっている。

 ごみが出るペースは毎日ほとんど変わらないのだから。月初だけきれいにするより毎日きれいにしたほうがいい。

 グループ分けをしても、社員にとって「月に一回だけごみ拾いをする」ことは変わらない。

 しかも六十人が一斉に掃除をすると掃除道具も人数分いるが、三人ずつでやれば掃除道具も三つで済む。

 どう考えても、「六十人が一斉に同じ日にごみ拾いをする」より「日替わりで三人ずつが掃除をする」のほうがいい。

 O社は一流企業である。そこで働いている人たちは頭のいい人なんだから、ほとんどの人はそれに気づいているだろう。

 でもそれをやらない。効率よりも、一斉に掃除をすることのほうがが大事と考えている人がいるのだ。



 ぼくが以前働いていた会社にもいた。

 その会社では「始業十分前になったらそれぞれ自分のデスクの周りを雑巾で拭く」というルールがあった(始業時間前に命じている時点で法令違反なのだがこの際それは置いておく)。

 十分前になるとみんなが雑巾を持って洗面所に行くのですごく込みあう。雑巾洗い待ちの長い行列ができることになる。

 ある日、ぼくは始業二十分前に掃除を終わらせ、みんなが雑巾洗い待ちの長い行列をつくっている間、PCに向かって仕事をしていた。

 すると上司が言う。

「おい、掃除の時間だぞ」

「はい、さっき終わらせました」

「そういうことじゃないだろ」


 えっ、そういうことじゃないの!?

 やらずに注意されるとか、みんなより遅くて怒られるとかなら理解できる。だが、みんなより先に掃除に取り掛かって誰よりも早く終わらせて、それが原因で怒られるとはおもわなかった。なんなら「おお、もう終わらせたのか。早いな」と褒められるんじゃないかとすらおもっていた。


 ということで、効率化とか成果とかより「みんなが一斉に掃除をすること」を重視する人はけっこういる。

 いいですか、みなさん、先に金持ちになってはいけませんよ。みんなで一斉に貧しくなることに意味があるんですよ。


2023年10月27日金曜日

小ネタ2

コナンの映画のみたいなジブリアニメのタイトル

『崖の上の半魚人(ポニョ)』

『風の谷の青衣女(ナウシカ)』


『崖の上のポニョ』『風の谷のナウシカ』に続くジブリアニメのタイトル

『山の上のオクラ』


臨時定休日

 とある店のシャッターに「本日は臨時定休日とさせていただきます」と貼ってあった。

 臨時なのに定休とはこれいかに。

 ありがちな間違いだ。じっさい、"臨時定休日"で検索するとたくさんの店舗のお知らせがひっかかった。

 しかし「ふだんは月曜日が定休日だが、店主が通院することになったため急遽、当分の間は火曜日も休むことにした」だったら、火曜日のほうは臨時定休日と呼んでいいかもしれない。


世界一長い川

 Bing AIに「世界一長い川は?」と尋ねたら、「1位がアマゾン川(6,992km)で、2位がナイル川(6,853km)です」との答えが返ってきた。

 あれ? たしか中学校時代に「世界一長い川はナイル川」と習ったはずだぞ?(流域面積1位がアマゾン川と習った)

 で、いろいろ調べてみると、サイトによって情報がちがう(2023年9月25日時点)。

 Wikipediaではナイル川(6,650km)、アマゾン川(6,516km)でナイル川の勝ち。

 他のサイトもいくつか見たが、まちまちだった。特にアマゾン川の長さはサイトによってちがう。

 どうも、アマゾン川は熱帯雨林の中を通っているので河口から最も遠い源流がどこかはっきりしないらしく、調査が進むにつれて新しい源流が見つかることがあり、ちょっとずつ長さが伸びているのだという。7,000kmを超えているという説もあるという。

 ふうん。もう決着がついているのかとおもったら、現在もなお競っているのだ。

 ちなみに、長江が6,380km、ミシシッピ・ミズーリ・レッドロック川は5,969km。アフリカ、南米、ユーラシア、北米と四つの大陸にある川がどれも6,000km~6,500kmぐらいの長さにあるのがおもしろい。もっと大きく差がついてもよさそうなのに。川の限界がそれぐらいなんだろうか。

 ちなみに南極大陸で最長の川はオニックス川といい、その長さは約40kmだそうだ。一級河川になれるかどうか、というレベルだ(一級河川かどうかを決めるのは住民にとっての重要性などで長さで決まるわけではない)。


2023年10月19日木曜日

毎日身長を測る娘

 四歳の次女の身長を測った。

 家の壁に背中をつけさせて、壁に鉛筆で線を引いて、身長を測ってやる。

「すごいねー。百十センチになったよ。大きくなったねー」

と言うと、うれしそうにしていた。


 翌日、次女は「せ、はかって!」とお願いしてきた。

「えっ、昨日測ったじゃない」

「はかって!」

 もう一度計ってやる。もちろん昨日と変わらない。誤差の範囲だ。

 しかし次女は目を輝かせて「おおきくなった?」と聞いてくる。


 すごい。毎日大きくなると思ってるのだ。

 いや、あながちまちがいではない。じっさいに毎日大きくなってるのだ。だって一ヶ月に一センチのペースで大きくなってるんだもの。完全に成長が止まってしまったぼくとはちがう。

 昨日できなかったことが今日にはできるようになっている。先週までできなかったことが今週はできるようになっている。一年前と比べると、できることに雲泥の差がある。

「おおきくなった?」は、毎日成長しているからこその自信に裏付けられているのだ。



2023年10月18日水曜日

子どものころ怖かったもの


しゃぼん液

 しゃぼん玉遊びをするときに母が洗剤でしゃぼん液をつくってくれたのだが、“しゃぼん液は飲み物ではない”と伝えるために母は「これ飲んだら死ぬよ!」と言っていた。

 幼いぼくはそれを真に受け、しゃぼん液が逆流して口に入ってしまったときは「さっき飲んでしまったかもしれない。このまま死ぬんだろうか」と恐怖にかられた。

 

海外の迷子

 九歳のとき、家族で香港に旅行した。ぼくにとっては生まれて初めての海外旅行だった。

“ひとりで勝手な行動をしないように”と伝えるために、母はぼくを「ここは日本じゃないからね。ここで迷子になったらもう一生日本に帰れないよ!」と脅した。

 親とはぐれてしまったらもう二度と会えない、日本にも帰れない、この言葉も通じない未知の国で生きていかないといけないのか、と恐ろしくなった。満州引き上げ時の残留孤児のように。

 旅行中ずっと怖かった。


踏切の溝

 幼いころ、踏切を渡るときに母に言われた。

「ここに電車が通るための溝があいてるでしょ。昔、ここに足が挟まった子がいて、抜けなくてもがいてるうちに電車が来て、ひかれて死んじゃったっていう事件があったの。だからここにはぜったいに足を入れちゃだめ」

 脅しのための作り話か、ほんとにあった出来事なのかわからなかったが、とにかく怖かった。ぜったいに足を入れたらだめだとおもい、溝の近くに足を置くことすら怖かった。

 そのせいで、ぜったいに溝にはまらないぐらい足が大きくなった今でも、踏切を渡るときは大股で溝をまたいでいる。

※ ちなみに今調べたら、1982年5月8日に東北本線踏切溝挟まれ事故という事故が起こっている。ぼくが母から脅されたのが1980年代後半なのでほぼまちがいなくこの事故を指していたのだろう)。その事故の後、挟まることがないよう踏切の溝にはゴムが設置されたとか。



 結局、子どものころに怖かったのは「母の脅し」に尽きる。



2023年10月10日火曜日

管理職の残業は無能の証

 大竹 文雄『競争と公平感 市場経済の本当のメリット』にあった話。

 岡山大学の奥平寛子准教授と私は、子どもの頃夏休みの宿題をいつやっていたかを先延ばし行動の指標にして、それと長時間労働との関係を統計的に調べてみた。そうすると、管理職については、夏休みの宿題を最後のほうにしていた人ほど、週六〇時間以上の長時間労働をしている傾向があることが確認できた。もし、仕事を引き受けすぎて長時間労働をしているのであれば、そういう人たちは所得が高かったり、昇進しているはずであるが、残念ながらそのような傾向は確認できなかった。つまり、管理職の長時間労働の一部は、仕事を先延ばしした結果、勤務時間内に仕事が終わらず、残業をしている可能性が高い。そうだとすれば、残業をしにくい環境にすることで、人々は所定の勤務時間内で仕事をせざるを得ないようになって、生産性も上昇することになる可能性が高い。

 そうかそうか。なんともうれしいデータだ。

 つまり、遅くまで残業している管理職は、人より多く仕事をこなしているわけではなく、単に定時内に仕事を終えられないから遅くまで残っているのだ。つまり管理職の残業は無能の証。

 そりゃそうだ。管理職ともなれば、ある程度自分のペースで業務を進めることができる。仕組みやスケジュールを組むことも管理職の仕事だからだ。にもかかわらずいつまでも仕事を終えられないのは、能力が低いからだろう。

 思い返せば、ぼくが接してきた残業大好き管理職のみなさんもそういうタイプだった。いわゆる「無能な働き者」タイプ。いちばん迷惑な存在だ。


 しかし、世の中には、仕事ができて、かつ仕事が大好きで、長時間労働をものともしない体力があるバケモノみたいな人もごくまれにではあるが存在する。

 ま、そういう人は自分で起業するほうがいいとわかっているので、さっさと会社を辞めたりするんだけどね。


【関連記事】

【読書感想文】大竹 文雄『競争と公平感 市場経済の本当のメリット』 / 自由競争も弱者救済も嫌いな国民


2023年10月5日木曜日

テストステロンと大相撲を結ぶもの

 大竹 文雄『競争と公平感 市場経済の本当のメリット』という本に、こんな話が紹介されていた。

「男性ホルモンであるテストストロンという物質が多く分泌される人ほど、手の人差し指に比べて薬指が長い傾向にある。テストストロンは筋肉量や瞬間的な判断力をもたらすので、優れたスポーツ選手は人差し指よりも薬指が長い傾向にあるはずだ」

という説があった。

 この説を証明するために、スポーツ選手たちの指の長さを測りたい。だが多くのアスリートたちに会って指の長さを測らせてくれというのはかんたんではないし、また現役選手の場合は評価がむずかしい。今は大した選手ではなくてもこれから大成するかもしれないからだ。また、何をもって優れた選手とするかもむずかしい。陸上競技などであれば記録で単純に比べられるが、球技などの場合はひとつの指標で優劣を比べにくい。


 できるだけ多くの選手の、さらにはできれば引退した選手の指の長さを測る手段はないものか……と考えた著者がたどりついた方法がこちら。

 私が思いついたのは、大相撲である。大相撲の力士なら、色紙に手形を押す慣行がある。神社に昔の力士の手形が奉納されていることも多い。そこで、大阪大学大学院の田宮梨絵さんと共同で、力士の手形を集めるプロジェクトをはじめた。東京・両国の国技館にある相撲博物館には力士の手形が収集されている。江戸時代の第四代横綱・谷風の手形からあるということだ。戦後の幕内力士については、原則的に全員の手形があって、平成以降は、十両力士の手形もある。そこで、相撲博物館にお願いして、最高位が十両、前頭下位、関脇、大関、横綱であった力士を選んで、色紙や掛け軸に押された手形の写真を撮らせていただいた。全部で二二〇人分である。そのうち指先と指の付け根が鮮明に移っている手形は約一〇〇枚だったので、そのデータを分析した。
  結果は、予想どおり十両や前頭下位で引退した力士よりも、横綱や大関といった上位に昇進した力士のほうが、平均的には薬指が人差し指より相対的に長く、その差は統計的にも有意であることが明らかになった。瞬間的な判断力を必要とする職種では、テストステロンの量が重要な資質として機能するようだ。
 すでに紹介したように、女性ホルモンが競争を好まないことと関係しているのと同様、男性ホルモンは、競争を好むということとも関係があるかもしれない。


 なるほどなあ。

 たしかに大相撲の力士はしょっちゅう手形を押すから、指の長さを調べる資料には事欠かない。手形なので引退した力士のデータもとれる。

 また、たとえば野球であれば打率、長打率、出塁率、OPS、本塁打数、盗塁数、勝率、防御率、奪三振数、セーブ数、失策率などいろんな指標があるけど、相撲の場合は基本的に勝ち負けだけなので成績もデータとして扱いやすい。

「人差し指と薬指の長さの比」と成績の相関を調べるには、大相撲ほど適した競技もないわけだ。


 おもしろいね。これまで何万枚という力士の手形がとられただろうけど、誰一人それが後世の研究資料になるなんておもってなかっただろうね。

 本の本筋とはあまり関係ないんだけど、こういう逸話を知っておもわずにやりとしてしまうのは読書の楽しみのひとつだ。


【関連記事】

【読書感想文】大竹 文雄『競争と公平感 市場経済の本当のメリット』 / 自由競争も弱者救済も嫌いな国民


2023年9月22日金曜日

胃カメラ上手

 はじめて胃カメラをやった。

 これまで健康診断ではバリウム検査をやっていたのだが、あのゲップを我慢しながらぐるぐる回される刑罰(としかおもえない)や、その後の下剤や、その後のバリウムかちかち石膏ウンコなどが嫌になったので、今年は胃カメラにしてみたのだ。


 胃カメラは痛いよ、苦しいよ、と聞かされていたのでびびりながら検査を受けてみた。

 結論からいうと、胃カメラ検査は、楽しかった。


 まず看護師さんがよかった。

 年齢は六十歳ぐらい、小太りをやや超えて中太りぐらい、声がでかくて元気のいいおばちゃん、つまり「ザ・ベテラン看護師さん」タイプだ。

 ふだんは若い女性に鼻の下をのばしてしまうぼくだけど、こと看護師さんと鍋釜に関しては古いほうがいい。きっとこのおばちゃん看護師は、あらゆる死線をくぐってきた百戦錬磨の老兵にちがいない。安心して胃を任せられる。


 そして、胃カメラ担当の医師が妙に陽気な人だった。なんだかわからないけど、胃カメラを入れることを楽しんでいるというタイプだった。

 この人がぼくの鼻に胃カメラを押しこみながら「はい奥に入っていくよ~、ちょっと力入ってるね~、おっと力抜けたね、いいよ、上手だよ~、はい、食道とおりま~す、それから胃、まもなく十二指腸が見えてきま~す、もうまもなくいちばん奥に達しますよ~」とハイテンションでガイドをしてくれるのだ。まるで観光バスのバスガイド。もしくは遊園地のアトラクションのナビゲーター。これから楽しいイベントが待ち受けているかのように胃カメラの旅を盛り上げてくれるのだ。

 じっさい、なんだか楽しくなってくる。眼の前にはモニターが置かれていて、胃カメラがぼくの体内を旅する様子が確認できる。ドラえもんのエピソードで、ママの大事な指輪を飲み込んでしまったしずかちゃんの体内に小さくなったドラえもんとのび太が入っていくというエピソードがあるが、それをおもいだす。USJとかのアトラクションで『ミクロの決死圏』として胃カメラ検査をやってもいいかもしれない。


 もちろん鼻にチューブをつっこまれるのは痛かったし人前でよだれをだらだら垂らすのは人間の尊厳を失わしめるものではあったが、苦痛を上回るワクワクドキドキをナビゲーター医師が与えてくれた。

 あの医者に個人的ノーベル医学生理学賞を贈呈したい。



2023年9月11日月曜日

名前三題

 呼ばれ方

 名字が平凡+下の名前がちょっとめずらしくて呼びやすい響き、ということで学生時代はずっと下の名前で呼ばれていた。

 自分がそうだったのであまり気づかなかったのだが、「みんなから下の名前で呼ばれている人」や「みんなから同じあだなで呼ばれている人」って、人見知りする人からすると困る存在だったりする。

 あんまり親しくないクラスメイト(仮に鈴木イチローとしよう)を呼ぶとき、「鈴木」や「鈴木くん」はわりとすんなり呼べるが、はじめて「イチロー」と話しかけるのはちょっと勇気がいる。「自分ぐらいの関係性でイチロー呼ばわりしていいのだろうか。なれなれしいやつとおもわれないだろうか」と考えてしまう。かといってみんながイチローって呼んでるのに自分だけ鈴木くんっていうのも妙によそよそしい感じがするよな、とあれこれ考えてしまい、結局「なあ」「ねえ」みたいに熟年夫婦みたいな呼びかけをしてしまう。

「みんなから下の名前で呼ばれている人」「みんなから同じあだなで呼ばれている人」はビギナー向けではない。中級者以上にとっては親しみやすいのだが。



ファーストネーム

 海外企業のウェブサービスなんかを使うと、フォームで「First Name」「Family Name」を記入することを求められる。

 そのたびに「First Name って名字と名前どっちだっけ?」となる。「ええと、Family Name は家族の名前だから名字だな」あるいは「ええと、Firstだから先で、英米だと下の名前が先だから、下の名前か」と考えてやっと答えにたどりつく。

 First も Family も両方 F ではじまるからややこしいのだ。ぱっと見て違う単語にしてほしい。

 また「Family Name」ではなく「Last Name」のときもあり、どっちかに統一してほしい。

 でもきっと漢字圏以外の人間も同じようなことをおもっているだろうな。「開ける」「閉める」が正反対の意味なのになんで似てるんだよ! とか、「買」と「売」は逆の意味なのにどうしてどっちも「バイ」と読ませるんだよ! とか、「名字」と「苗字」と「姓」のどれかに統一しろよ! とか。日本人でもおもう。



名前のうちの名前のほう

 姓と名を区別して言いたいとき、姓のほうは「姓」「名字」と言えばいいが、名(姓じゃないほう)だけを指す適切な呼び方がない。「名前」も「名」も、姓を含む意味のことがあるからだ。しかたなく「下の名前」と、どうも歯切れの悪い呼び方をしている。さっきから何度も「下の名前」と書いているが、そのたびにもっといい言い回しはないものかとおもう。「オノ・ヨーコの夫の下の名前」と言われても、レノンなのかジョンなのかよくわからない。

 一語でずばっと言い表す言葉はないものか。「下の名前」と「下の“を”(あるいはむずかしいほうの“を”」はいいかげんなんとかしてほしい。

 上位の概念(姓+名)と下位の概念(姓を含まない名)がどちらも「名前」なのがよくない。

 ついでにいえば「ごはん」「飯」もそうだ。上位の概念(食事)と下位の概念(米を炊いたもの)がどちらも同じ呼び名である。さらに「ごはんにする」「飯にする」と動詞化したりもする。「白飯」という呼び名もあるが、それだと炊き込みご飯が含まれない。

 ちなみにこれは個人的な感覚だが、炊き込みご飯や赤飯や牛丼の下の部分は「ごはん」だが、チャーハンやパエリアは(下位の概念としての)「ごはん」という感じがしない。ごはんではあるがごはんではない。



2023年9月6日水曜日

こばかにされる教師たち

 中学校でも嫌われている先生はいたが、高校になるとそれがちょっと変わった。

 嫌うんじゃなくてこばかにするようになった。


 言ってみれば、中学時代の嫌われている先生は陰で「ヤマシタのやつ、むかつくよなー」って言われる感じだったのが、高校でこばかにされる先生は「ヒデコちゃんがまたとんちんかんなこと言ってたよ。かわいそうに」みたいな扱いだった。

 中学では、嫌われながらも一応目上の存在だったのが、高校では明らかに格下になっていた。

 こばかにするようになって、「あの先生むかつく」という感覚はあまりなくなった。なぜなら格下だから。

 ナメクジがいるじゃん。ナメクジが好きな人はあんまりいないとおもうんだよね。でもナメクジにむかつくことってまずないでしょ。なぜなら圧倒的に格下だから。ゴキブリみたいに素早く動いたりもしないし、蚊みたいに刺してきたりもしないし。人間様が負ける要素がひとつもない。だから、嫌だなとはおもうけど、おびえたり憎んだりはしない。高校においてこばかにされる教師はそんな存在だった。ナメクジに例えるのはさすがに失礼だけど。


 また、中学校では「怖い先生」が嫌われることが多かったけど、高校に入ると嫌われるタイプが変わった。

 そこそこの進学校だったこともあってか「頭のいい先生」「教えかたがうまい先生」が生徒から敬意を持たれていて、そうでない先生がこばかにされてた。

 体育教師なんかはその典型だった。もちろん敬意を持たれている体育教師もいたが、それは「生徒に対して対等に近い立場で関わろうとする教師」で、軍隊の上官のような態度で接してくる教師は例外なくこばかにされていた。

 高校生ともなれば、肉体的な強さでは大人に負けていない。教師が過度な体罰をできないこともわかっているので、大声を出すタイプの教師はそんなに怖くない。むしろ「理性をコントロールできないあわれなやつ」としてこばかにされる。

 こばかにしていることが伝わるのだろう、体育教師のほうはなんとかして優位に立とうと理不尽に怒る。理不尽に怒ることで「理性的に会話ができないあわれな大人」としてますますこばかにされる。


「こいつは自分より数段頭が悪いくせにいばってるな」ということがわかってしまい、こばかにするようになるのだ。

 そう、ちょうどレベルの低いポケモントレーナーの言うことをポケモンが聞かないのとおんなじで。



2023年8月29日火曜日

天文学的な数字

 すごく大きな数字を「天文学的な数字」というのであれば、

 すごく小さな数字は「分子生物学的な数字」というべきだし、

 0と1だけであれば「情報工学的な数字」と呼べるし、

 〝50万円以下〟のような幅を持たせた数字は「法学的な数字」といってしかるべきだし、

 定義が一意に定まっていない数字は「形而上学的な数字」と呼んでもいいし、

「建築学的な数字」は0がなくて-1階の次が1階になっていて、

「歴史学的な数字」でもやはり0がなくてA.D.1年の前年がB.C.1年になっていて、

「栄養学的な数字」はcalとkcalが頻繁にごっちゃにされて、

「服飾学的な数字」ではメーカーごとに自分の好きな数字をLサイズと見なしてよくて、

「宗教学的な数字」は各宗教団体が発表している信者数の合計が人口を大きく超えているから100%が1じゃない、

ということが統計学的な数字からは言える。


2023年8月8日火曜日

慣れない土地に行ったときに乗るバスのむずかしいところ


・ひとつの行き先に対してルートがいくつもあることがある。
 電車の場合は、多くて二つ(環状線)。


・大きめの駅だと、10個以上の路線が出ていたりする。さらに乗り場もばらばらだったりする。目的地に行く路線を見つけるのに一苦労。


・「〇〇方面××行き」でも土地勘がないとわかりにくいのに、「213系統」のような無機質な名前の路線にいたってはまったくのお手上げ。


・整理券を取らないといけない路線とそうでない路線がある。同じ路線でも、どの停留所から乗るかによって変わったりする。


・交通系ICカードが使えたり使えなかったり。使えるところでも、乗車時にタッチしないといけなかったりそうでなかったり。


・お釣りが出ないことが多い。事前に両替をしろと言うくせに、走行中は立つなと無理難題を言う。


・「お釣りは出ません」と書いているくせに、嫌がらせのように290円なんて料金設定。


・停留所名が似ている。「〇〇台1丁目」→「〇〇台2丁目」→「〇〇台3丁目」など。


・「あと停留所5つで目的地だな」とおもっていたら、乗降客がいない停留所を飛ばしたりするので油断がならない。


・「次おります」ボタンを押すときに、押したがっている子どもがいないか確認してから押さなくてはならない。


・行きと帰りで停留所の場所が違う。


・そうかとおもうと、停留所が片側にしかない場合もある(循環バスなど)。


・乗車時、すぐ座ることを要求される。電車の場合は乗る前に車内の様子が見えるので「あのへんが空いているな」とわかるが、バスの場合乗る前には混雑具合が見えないので乗車後一瞬でどこに座るかを判断しなくてはならない。


・降車時、「料金を支払う」「階段を降りる」「外に出て安全確認」「後ろの人のじゃまにならないように速やかに移動」という動作を連続でおこなう必要がある。


 これらすべてにまごつかない人は、バス八段。


2023年7月28日金曜日

牧場のここがヤバい

 某牧場について調べていると、「〇〇牧場のここがヤバい!3つのヤバいこと」という記事が見つかった。

 読んでみると、「1.広すぎてヤバい!」「2.動物との距離が近すぎてヤバい!」と書かれており、あーなるほど、悪口を言っているように見せて耳目を集めて実は褒めたたえるタイプの記事ね、とおもいながら読んでいたら「3.元経営者が大麻栽培で逮捕されていてヤバい!」とあった。

 急転直下でほんまにヤバいネタくるんかい!



2023年7月27日木曜日

道の訊き方訊かれ方

 歩いていたら、若い女性から「○○駅はあっちであってますか」と尋ねられた。

 若い女性から声をかけられるなんて何かの勧誘以外に経験がないのでとっさに勧誘かとおもって無視しようしてしまい、その後「あっ、道訊かれてる、ちゃんと答えないと、わっ、なんていおう」とすっかりあわててしまい、結局「あ、はい、あっちであってます!」と相手の言葉をオウム返しにしただけだった。


 ぼくはふだん道を訊かれない。訊かれることもあるが、変なタイミングのときだけだ。

 中国に行ったときはなぜか中国人からよく道を訊かれた。なんで外国人に訊くねん! Tシャツにサンダルとかで歩いてたから現地の人っぽかったのかなあ。

 旅先で訊かれることも多い。逆に、見知った道ではほとんど訊かれない。知ってる道では歩くのが速いからかもしれない。旅先だときょろきょろしながらゆっくり歩くので、隙が多くて声をかけやすいんだろう。

 数年前、はじめて行く土地だったのでスマホのアプリで地図を見ながら歩いていたら若い男性から「すみません、〇〇って店知ってますか?」と尋ねられた。なんで地図見ながら歩いてるやつが土地勘あるとおもうんだよ!


 そんなわけで、家の近所では道を訊かれることがめったにない。だから道を訊かれて動転してしまった。

 たぶんぼくが妻子と歩いてたからだろう。「妻子と歩いているからそこそこまともな人」と判断されたにちがいない。ありがたいかぎりだ。逆にいうと、一人で歩いているときは不審者だということだ。

 あわてて「あ、はい、あっちであってます!」と答えた後、ああしまったなあ、もっと上手に説明できたなあ、と後悔した。

「この道をまっすぐ行くと、信号を二つほど超えたあたりでファミリーマートが見えますので、そこを右手に入ったらすぐ駅ですよ」と言ってあげればよかったなあ。落ち着いたらうまく説明できるんだけどなあ。でもとっさに訊かれたからなあ。


 自分の答え方が悪かったと反省すると同時に、道を訊いてきたあの女性の訊き方も悪かったんじゃないか? とおもう。

 開口一番「○○駅はあっちであってますか」だぜ。

 こっちは見知らぬ人に話しかけられただけでびっくりしてるのに、いきなり本題に入らないでほしい。

 ちゃんと「あのすみません」「ちょっと道を訊きたいんですけど」とクッションを置いてほしい。そしたらこっちも「今から道を訊かれるんだな」と心の準備ができるから。

 理想を言えば、話しかける前に、「きょろきょろする」「困った顔でこちらを見て目をあわせる」というステップもほしい。

 きょろきょろして、困った顔でこちらを見て目を合わせて、「あのすみません」と声をかけて、「ちょっと道を訊きたいんですけど」とこれから話すことのテーマを提示して、しかるべきのちに「○○駅はあっちであってますか」と訊いてほしい。

 それが道尋ね道というものだ。


2023年7月24日月曜日

将来なりたい職業は公務員

「小学生が将来なりたい職業」あるいは「親が子どもになってほしい職業」ってあるじゃない。

 定番だと野球選手とか、最近だとYouTuberとか。

 あれを見るたびに気になるのが、職業の分類がめちゃくちゃなこと。


「野球選手」「医師」「警察官」「保育士」みたいなのに混ざって「公務員」「会社員」「社長」みたいなのがある。

 いやそれ職業なのか? [職業]というより、[雇用形態]じゃないか?


 さらに気になるのが、ランキングのうちかなりの職業が重複していること。かなりの職業が「公務員」や「会社員」に含まれている。

「警察官」や「消防士」はもちろん公務員だし、「教師」「保育士」「看護師」も「公務員」が多い。

 項目に「公務員」があるのに「看護師」を選んでいる人は、私立病院の看護師を希望しているってことだよね。それだったら「公務員」に対するものとして「団体職員」のほうがふさわしくない?

 それとも自営? 自営の看護師? なにそれ、ブラックジャックみたいにモグリで採血するフリーの凄腕看護師?


「パイロット」「パティシエ」「薬剤師」なんかも会社員や団体職員が多い。

 いやおれは組織に属さない孤高の薬剤師として生きていくんだ、って人も中にはいるかもしれませんね。食っていけるといいですね。ぼくだったらそんな人に薬を処方してもらいたくないですけど。


 ってわけで、「公務員」「会社員」にあわせてランキングを作り直したら、

1位:会社員(正社員)

2位:自営業

3位:公務員(正規)

4位:会社役員

5位:団体職員

6位:契約社員

7位:パート・アルバイト

8位:派遣社員

9位:公務員(非正規・嘱託)

10位:無職(扶養)


 みたいなランキングになるんじゃないかな。いやあ、夢があるねえ。



2023年6月27日火曜日

眼が大きいんで人よりごみが眼に入りやすくて困るんですよ

 「わたし、眼が大きいんで人よりごみが眼に入りやすくて困るんですよ~」
って言ってる人がいたんだけど、嘘つけ! それはただの「眼が大きい」自慢だろ!


 なぜなら、そいつはたしかに眼が大きいんだけど、そいつは「眼が大きい人間のごみが眼に入りやすさ」しか知らないはずだ。

 眼が小さい人間の人生を送ったことがないんだから、人よりごみが入りやすいかどうかはわからないはずだ!!


 それを言っていいのは、眼を大きくする美容整形手術をしたやつだけだ!



2023年5月31日水曜日

側転の因数分解

 九歳の長女が「体育の授業で側転をやらなきゃいけないのにぜんぜんできない」と言う。

 やってみてもらうと、たしかにぜんぜんできない。からっきしだ。

 どこがダメかというと、足が上がっていない。側転は足を真上に上げなきゃいけないのに、長女の足は腰の高さぐらいまでしか上がっていない。惜しいとこにすら達してない。これではいくら側転を練習してもだめだろう。もっと根本のところに原因がありそうだ。


 まず足を上げる練習をしなきゃだめだよね、ということで調べてみると「カエルジャンプ」なる練習がいいらしい。

 両手を床につき、ジャンプして両足を上げる練習だ。足と足でタンタンと二回拍手(拍足?)ができるようになるといいと書いてある。

 で、長女にカエルジャンプをしてもらったのだがまったく足が上がらない。四歳の次女のほうがはるかに高く足を上げている。

 恐怖心があるからおもいっきり飛べないのかなとおもい、身体を支えてやる。「どんなに跳んでも支えてるのでひっくりかえらないよ」と伝えるが、それでもまったく跳べない。どうやらびびってるわけではなく、単純に地面を蹴るが足りないらしい。


 地面を蹴る力を鍛えるにはどうしたらいいんだろう、と調べてみると、「壁に向かって倒立をするといい」とある。

 やってもらう。案の定、まったくできない。

 まずはうまくいくイメージをつかんでもらおうとおもい補助をしてやるが、それでも倒立ができない。腕で身体は支えられるのに、お尻が落ちてしまうのだ。

 腕の力が足りないわけではなく、足を上げる力が足りないらしい。


 倒立ができないときは、後ろを向いて(つまり壁のほうに顔を向けて)倒立をするといいそうだ。

 が、やはりできない。エビぞりみたいな恰好になってしまう。長女はバレエをやっていて身体が柔らかいのだが、それがマイナスにはたらいているのか、変にそりかえった格好になる。

 ぼくが両手両足を床につけ、「このまま後ろに下がっていき、足を壁にくっつけるだけだよ」と教える。

 するとここで衝撃的な事実が判明。

 なんと長女は両手両足歩きができないのだ。


 え? なぜ?

 走ったり鉄棒をしたり縄跳びをしたり踊ったりは人並み以上にできるから、そんなに運動神経が悪いわけではないとおもうのだが、なぜか「両手両足を床につけて歩く」動作だけができない。すぐにぺちゃんとつぶれてしまう。

 ぜんぜんむずかしい動作じゃない。四歳の次女はかんたんにできている。

 長女は体幹が異常に弱いらしい。


 ということで、

  側転ができない

   ↓

  なぜなら足が上がらないから

   ↓

  なぜなら地面を蹴る力が弱いから

   ↓

  なぜなら足を上げようとするとお尻が落ちてしまうから

   ↓

  なぜなら両手両足歩きができないから

   ↓

  なぜなら体幹が弱いから


 逆算をしていくことで原因らしきものは突き止められた。

 さあ、あとは体幹トレーニングをして両手両足歩きをできるようにして……。

 ……ううむ、先は長そうだ。



 しかし、お手本を見せるためにぼくがじっさいに何度も側転をやってみせて気づいたんだけど、これ、ジャンプ力必要か?

 検索すると「カエルジャンプの練習をしましょう」とか「手をついて横に跳んでみましょう」とか言われるんだけど、ぼくが側転をするときはほとんどジャンプなんかしていない。

 じゃあどうやって回っているかというと、重心移動だ。

 両手を挙げて、勢いよく左に動かす。右足をおもいっきり上げる。すると、重心が左に移動する。その勢いで勝手に左足が持ち上がる。あとは慣性で勝手に回る。そんな感じだ。

 今まで意識したことなかったけど、改めて自分の身体がどうなっているか考えてみると、ほとんどジャンプをしていない。わずかに地面を蹴っているけど、それよりも重心移動の力で回っている。

 側転にジャンプ力って必要なのかな? 慣れてきたらジャンプ力なしでも回れるけど最初は必要なのかな?



2023年5月25日木曜日

コンパだか

 大学のとき、サークルの大きめの飲み会があったのにくせ毛の友人が合コンに行くからという理由で参加せずに、そのときに先輩が言い放った

「まったく、コンパだか天パだか知らないけど、参加しないとかふざけてるよな」

という台詞がすごくよかったのでいつか使ってやろうとおもっているのだが、それから二十年たつがいまだ機会がない。


2023年5月23日火曜日

親に似てしまった子

 九歳の長女。

 両親のどっちに似ているかというと、迷わず父親似だと答える。つまりぼく似。

 外見の話ではない。性格や趣味嗜好がぼくに似ている。それも、悪いところが似てしまった。


片付けができない

 まったく持って片付けができない。脱いだら脱ぎっぱなし。パジャマも靴下も床に落ちてる。「片づけて」と言うとしぶしぶ洗濯かごへと持っていくが、言われないとやらない。

 タンスは機能していない。なぜなら着替えを探すときに服を全部床にひっぱりだして、そのままにしておくから。毎回服の山の中から今日着る服を探してる。「片づけて」と言うとしぶしぶ(以下略)。

 勉強机はありとあらゆるものが山積みになっている。引き出しは全部開きっぱなし。なぜなら引き出しの上にも物が積み重なっていて閉まらないから。

 ごみを捨てない。勉強机の周りからいつのものかわからないお菓子の袋が出てくる。ごみを食卓の上に置いたままにしている。あえてそのままにしてみるが、まったく気にすることなく食事をしている。


 とにかく片付けができない。これはもう何かの病気なんじゃないかとおもう。もしくは悪い魔法使いの呪いか。

 宿題は毎日ちゃんとやるし、習っているピアノもちゃんと練習しているし、親から見てもまじめな子だとおもう。なのに片付けだけがまったくダメ。「誰かが片付けてくれるとおもってる」わけではない。そもそも「どれだけ部屋が汚くてもまったく気にならない」から片付けなきゃいけないという発想自体がないのだ。


 おもえば、ぼくも掃除ができなかった(ぼくは宿題もできなかったしふまじめだったけど)。

 子どもの頃は母親から毎日のように「片付けて」「たまには掃除しなさい」と言われていたが、99%聞き流していた。自主的に片付けをしたことなんてほぼない。

 一応、友人が家に来るときぐらいは片付けをした。でもそもそも「許容できる部屋の汚さ」が人とだいぶちがうので、ぼくが「きれいになった!」とおもっている部屋は他人から見たらすごく汚い部屋だったとおもう。


 今でも片付けは苦手だ。できない、と言ってもいい。さすがにごみはすぐ捨てるが「また後で使うもの」を片付けることができない。また使うんだから出しっぱなしにしとけばいいじゃん、とおもってしまう。

 さすがに職場でも家でも共有スペースはきれいに使うよう心掛けているが、自分の机まわりはぐっちゃぐちゃだ。


食べ方が汚い

 食べているものをぽろぽろこぼす。食事の後、机の下を見るとぼくの椅子の下と長女の椅子の下だけすごく汚い。次女もこぼすが、まあこれは四歳児なのでしかたがない。四歳児とぼくが同じくらい食べ物をこぼす。で、それに輪をかけて長女がこぼす。ほんとに汚い。誰に似たんだ。そう、ぼくだ。

 昔からずっと「おまえ、よくこぼすな」と言われてきた。改まった席での食事などでは大丈夫なのだが、食べながらテレビを観ていたり、話が盛り上がったり、本を読んでいたりするともうだめだ(本を読みながら食べなきゃいいのだが)。どんどんこぼす。楽しい飲み会のときなんかはアルコールも手伝ってぼくのお皿のまわりは食べかすやこぼれた醤油だらけだ。

 片付けと同じで、そもそも「こぼさないようにしよう」という意識が低いのだ。飲み物はこぼしたらたいへんだけど、食べ物はちょっとぐらいこぼしてもしょうがないや、とおもっているんだとおもう。

 中国の食堂に行ったとき「殻や骨など食べかすは床に落としていい」というルールだった。なぜか食事マナーだけはぼくは中国人の血を引いているようだ(長女にも受け継がれている)。


音痴

 まったく音感がない。音の高低がわからない。というか気にしていないらしい。

 長女が三~四歳のときに歌っているのを聞いて「下手だけどこの年齢だからこんなもんか」とおもっていたのだが、長女の保育園の友だちが歌っているのを聞いて愕然とした。ちゃんと音程をとれているのだ。長女がへたなのは年齢のせいではなかったらしい。

 ぼくもド音痴だ。自分が音痴であることに中学生ぐらいまで気づかなかったぐらい音痴。友人から「おまえ音痴やなー」と言われ、まさかそんなはずはとおもい、自分の歌を録音して聴いてみて衝撃を受けた。なんつーひどい歌……。というか歌なのか。念仏よりも高低がない。

 小畑千尋『オンチは誰がつくるのか』という本によれば、幼いころからのトレーニングでだいぶマシになるらしい。だがぼくも音痴なのでトレーニングができない。そこで絶対音感のある妻にこの本を渡して「直してあげて!」と言ったのだが「小さい頃はそんなもんよ」ととりあってくれなかった。音痴じゃない人には、音痴になることのつらさがわからないのだ。

 ということで長女は今も歌がへただ。ずっとピアノを習っているのに歌がへた。それとこれとはべつらしい。今はよくても、中高生ぐらいで友だちとカラオケとか行くようになったらつらいおもいをするんだろうな……。だけどぼくにはどうすることもできないんだ。音の高低がわからないから。


理屈っぽい

 ああいえばこういう。注意をされたときに、理屈をつけて言い逃れしようとしたり、極端な例を挙げて反論してきたり、他人のミスはねちねちと責めたてたり……。いちいち理屈っぽい。

 ぼくも小学生のときはそんな子だった。担任教師から「おまえはへりくつばっかりや」と言われた。

 最近、とある有名人が論破王だとかなんだとか言われているらしいが、あんな感じだ。つまり嫌なやつである。

 ガキのころは「相手を言い負かしたら勝ち」とおもっているが、歳を重ねると「場を収める」「わざと負けてやる」「適当にあしらってやりすごす」ことが大事な局面のほうがずっと多いことに気づく。いちいち理屈で反論してもいいことなんてまるでない。

 人の振り見て我が振り直せということわざがつくづく身に染みる。娘がへりくつをこねくりまわしたり、枝葉末節を捕まえて揚げ足をとったりしているのを聞いていると、我が子ながらなんて憎らしいんだろうとおもう。ぼくの両親や担任の教師も同じ思いをしていたのだろう。

 子は親を移す鏡なんていうが、醜いところをデフォルメして映す鏡だ。悪意のこもった似顔絵に近いかもしれない。




2023年5月18日木曜日

レトロニムと生爪

 携帯電話ができたので、それまで単に「電話」と呼ばれていたものが「固定電話」と呼ばれるようになった。

 それはわかる。

 じゃあ「生爪」の「生」ってなんなんだろう。

 今は付け爪とかあるけど、たぶん付け爪ができる前から「生爪」という言葉はあったはず。


 なんでわざわざ「生」をつけたんだろう。

 生じゃない爪って、茹でガニの爪ぐらいしかおもいつかない。そんなのは例外なんだから、そっちを「茹で爪」と呼べば済む話だ。わざわざ我々の手足についているほうを「生爪」と呼ぶ必要はない。

 だいたい、「生爪」と「茹で爪」を区別しなくちゃいけない状況なんかある?

 

 電話はわかるよ。

「今晩、電話するね」

「え? どっち? 家の電話? それともこの持ち運びできるほう?」

ってなるから、「固定電話」「携帯電話」という区別ができた。


 寿司もわかる。

「なんだよ、寿司をごちそうしてくれるって言うから目の前で職人が握ってくれるやつだとおもったのに皿が周回するタイプのほうかよ!」

ってなるから、「回転寿司」「回らない寿司」という呼び方ができた。


 爪はどうだろう。

「なんだよ、爪を食べたっていうから人間の爪かとおもったらカニの爪かよ!」とはならない。

「爪がはがれて痛そうっていうから心配したのにおまえの爪じゃなくて茹でたカニの爪かい!」ともならない。

 わざわざ「生爪」「茹で爪」なんて言わなくても、前後の文脈でどっちかわかる。



 どういう経緯でわざわざ「生爪」という言葉ができたんだろう。

「生脚(ストッキングなどを履いていない脚)」は新しい言葉なのに、「生爪」は古い。なぜだ。

 他に、身体の部位で「生」がつくものはあるだろうか。

「生脳」とかだいぶ気持ち悪い。

「生眼」「生足」「生手」は、「裸眼」「裸足」「素手」だな。これらは衣類で覆うことがあるからわかる。

「生肉」「生レバー」は……。これは人体には使わないな。

「生乳」は……。加熱処理していない乳のことです。誰だ、エロいことを考えたのは!