2023年9月27日水曜日

【読書感想文】吉村 昭 『関東大震災』

関東大震災

吉村 昭 

内容(e-honより)
大正12年9月1日、午前11時58分、大激震が関東地方を襲った。建物の倒壊、直後に発生した大火災は東京・横浜を包囲し、夥しい死者を出した。さらに、未曽有の天災は人心の混乱を呼び、様々な流言が飛び交って深刻な社会事件を誘発していく―。二十万の命を奪った大災害を克明に描きだした菊池寛賞受賞作。

 今からちょうど百年前に関東地方を襲った大地震。

 その直前、地震発生当日、そしてその後の関東の様子を描いたノンフィクション。




 大正12年9月1日午前11時58分に発生した大地震により、東京大学地震学教室の地震計の針が一本残らず飛び散り、すべて壊れてしまったという。ああいうのってだいぶ余裕を持たせて作ってるはずなのに。

 当時の建物は木造や石造りで耐震強度も低かったので、地震による揺れで多くの命が失われた。

 が、関東大震災の被害の多くは揺れが収まった後に発生した。

 地震発生後、附近の人々は続々と被服廠跡に避難してきた。かれらは、家財を周囲に立てて、その中に家族がゴザなどをしいて寄り集っていた。
 地震が正午前であったので、遅い昼食をとる者もあって広大な空地に避難できた安堵の色がかれらの表情に濃く浮んでいた。
 そのうちに近くの町に火災が起りはじめ黒煙もあがったが、不安を感じる者はいなかった。難者の数は時を追うにしたがって激増し、やがて敷地内は人と家財で身動きできぬほどになった。町々が徐々に焼きはらわれて、被服廠跡にも火が迫った。そして、火の粉が一斉に空地にふりかかりはじめると、一瞬、家財や荷物が激しく燃え出した。
 たちまち空地は、大混乱におちいった。人々は、炎を避けようと走るが、ひしめき合う人の体にぶつかり合い、倒れた者の上に多くの人々がのしかかる。
 炎は、地を這うように走り、人々は衣服を焼かれ倒れた。その中を右に左に人々は走ったが、焼死体を踏むと体がむれているためか、腹部が破れ内臓がほとばしった。
 そのうちに、烈風が起り、それは大旋風に化した。初めのうちは、トタンや布団が舞い上っていたが、またたく間に家財や人も巻き上げられはじめた。
 大和久まつさん(当時十八歳)は、眼前に老婆を背負った男がそのまま空中に飛び上るのを見たし、荷を積んだ馬車が馬とともに回転しながら舞い上るのも見た。

 これは……この世の地獄だな……。

 この被服廠跡では、35,000人ほどが死んだという。しかもこの人たちは地震で助かった人たち。地震で助かり、被服廠跡という広大な避難所に逃げてきて、一息ついていたところを火災旋風に襲われたのだ。

 地震で倒壊した建物の下敷きになって死亡するのは、ある意味しかたがない。不運でしかない。しかし、地震後に発生した火災による死については、正しい知識があれば防ぐことができたかもしれない。

 たとえば、火災の原因のひとつが避難者が持ち出した家財道具だったという。

 よく「地震が起きても家財道具を取りに家に戻ってはいけない」という。それは倒壊のおそれのある建物に入るのが危険というだけでなく、家財道具はそれ自体が危険を招くからだ。

 先に書いた被服廠跡でも、避難者が運びこんだ家財道具に火が付き、それが火災旋風の原因になったという(他に、当時の人が髪につけていた鬢付け油もよく燃えたそうだ)。

 また、家財道具が川を越えての延焼の引き金になったという。

 もともと河川は、広い道路や高架鉄道線路などと同じように火の流れを阻止する防火線の役目をもっていたが、その上に架かった橋が焼けることによって対岸へ火はのびた。
 神田区の俎橋や月島の相生橋は、燃えた舟が橋の下に流れてきて焼けたが、それは特殊な例で、大半が避難者のもつ荷物に引火して焼け落ちたのである。
 地震につぐ火災で、人々は炎に追われて道路を逃げまどった。と同時に、それは家財の大移動でもあった。
 当時の避難地の写真を見ると、どのようにして運び出したのかと思われるほど大きな荷物を背負った人の姿が数多く見える。馬車、大八車にも荷が満載され、人々は荷物の間に埋もれていた。辛うじて持ち出した家財の焼失を恐れるのは当然の人情だが、それらが道路、空地、橋梁などをおおい、その多量の荷物が燃え上って多くの焼死者を生むことになったのである。
 道路、橋梁が家財で充満したために、人々は逃げ場を失い、消防隊もその活動をさまたげられた。関東大震災の東京市における悲劇は、避難者の持ち出した家財によるものであったと断言していい。

 家財道具が燃え、その火が橋に移り、さらには対岸まで移って焼いたという。財産を守ろうとした行為がその人物だけでなく街まで焼き尽くしてしまうのだ。おそろしい。


 そういえば、数年前の大雪のとき、ノーマルタイヤで出勤しようとした人が途中で身動きとれなくなり車を置いて出勤 → 放置された車が道をふさいで緊急車両が通れなくなったという事件があった。

 自分の都合で動いた人が周囲に甚大な迷惑をかけてしまう。それでも自分だけはいいだろうと動いてしまう。人間の本性は百年たってもたいして変わらない。




 この本の中でいちばん多くのページが割かれているのが、地震直後に広がったデマ、特に「朝鮮人が日本人を襲っている、家から物資を掠奪している、井戸に毒を投げた」の類のデマだ。

 火のない所に煙は立たぬというが、後から検証しても、まったくといっていいほど「地震に乗じて朝鮮人が犯罪行為をした」という証拠は見つからなかったそうだ。

 いや、一応デマの原因となったような事件はあった。が、それをおこなったのは日本人だった。

 山口は、物資の調達が結局掠奪以外にないことをさとり、団員の中から体力に恵まれた者を選び出して決死隊と称させた。これらの男たちは、ただ騒擾のみを好む者たちばかりであった。いくつかの決死隊が編成され、山口は、かれらに赤い布を左腕に巻きつけさせ赤い布を竿にしばりつけさせて、物資の掠奪を指令した。
 かれらは、日本刀、竹槍、鉄棒、銃器などを手に横浜市内の類焼をまぬがれた商店や外人宅などを襲い、凶器をかざして食糧、酒類、金銭等をおどしとって歩いた。その強奪行動は、九月一日午後四時頃から同月四日午後二時頃まで十七回にわたって繰り返された。
 この山口正憲を主謀者とする強盗団の横行は、自然に他の不良分子に影響をあたえた。かれらは単独で、または親しい者を誘って集団で一般民家に押し入り、掠奪をほしいままにした。つまり横浜市内外は、地震と大火に致命的な打撃を受けると同時に強盗団の横行する地にもなったのだ。一般市民は、恐怖におののいた。かれらは、赤い腕章をつけ赤旗をかざした男たちが集団を組んで人家を襲うのを眼にし、凶器で庶民を威嚇するのを見た。市民には、それらの集団がどのような人物によって編成されているのか理解することは出来なかった。
 そうした不穏な空気の中で、「朝鮮人放火す」という風説が本牧町を発生源に流れてきただれの口からともなく町々を横行する強盗団が朝鮮人ではないかという臆測が生れた。
 日本人と朝鮮人は、同じ東洋民族として顔も体つきも酷似しているというよりは全く同一と言っていい。一般市民は、その臆測にたちまち同調した。そして、強盗団の行為はすべて朝鮮人によるものとして解され、朝鮮人の強盗、強姦、殺人、投毒などの流言としてふくれ上ったのだ。また朝鮮人土木関係労働者が二、三百名来襲の風説も、凶器を手に集団で掠奪行為を繰り返した日本人たちを朝鮮人と錯覚したことによって起ったものであった。

 地震後、火事場泥棒を働いたり、食糧や金品を掠奪したり、詐欺をしたりする者が多くいたという(日本人だ)。その話と、当時多くの日本人がうっすらと持っていた「虐げている朝鮮人に復讐されるんじゃないか」という不安が結びつき、朝鮮人が残虐な行為をしているというデマとなりあっという間に広がった。

 地震発生直後は警察や政府までがそのデマを広めることに加担した。後に虚偽の情報だとわかってからは警察や政府がデマの打ち消しにつとめたが、いったん広まったデマはいっこうに消えず、数万人の朝鮮人が殺される、朝鮮人とまちがわれた日本人が殺される、朝鮮人を捕まえない警察が襲われる、など大混乱に陥った。

 一度デマが広まってしまうと、デマをばらまいた本人にも止められなくなってしまうのだ。

 この光景は、今でもよく見られる。いや、今のほうが多いかもしれない。一度誤った情報が流れてしまうと、当人がいくら訂正してもいつまでも修正されない。平凡な事実よりも、ショッキングなデマのほうが広めたくなるから。

 地震発生後の混乱の様子を読んでいておもうのは、百年前の人も、現代人も、たいして変わらないなってこと。今、大地震や大火災が発生したら多くの人がデマに飛びつくだろう。東日本大震災のときも新型コロナウイルス騒動のときもそうだった。不確かな情報に右往左往していた。ぼくも含めて。




 ちなみに、このデマによる大混乱はその後の新聞報道にも影響を与えたようで……。

 大地震発生後新聞報道は、たしかに重大な過失をおかした。その朝鮮人来襲に関する記事は、庶民を恐怖におとしいれ、多くの虐殺事件の発生もうながした。その結果、記事原稿の検閲も受けねばならなくなったのだ。
 しかし、それは同時に新聞の最大の存在意義である報道の自由を失うことにもつながった。記事原稿は、治安維持を乱す恐れのあるものを発表禁止にするという条項によって、内務省の手で徹底的な発禁と削除を受けた。
 政府機関は、一つの有力な武器をにぎったも同然であった。政府の好ましくないと思われる事実を、記事検閲によって隠蔽することも可能になったのだ。

 新聞がデマの拡散に加担したことで、政府機関による記事原稿の検閲を許すこととなった。「新聞はデマを拡めるから治安維持のために検閲してもいい」という大義名分を与えちゃったわけだ。

 その後、戦争が激化するにつれて新聞報道に対する検閲が厳しくなり、政府や軍にとって都合の悪いことが書けなくなったのはご存じの通り。

 もしかすると、関東大震災によるデマ拡大がなければ、新聞のチェック機能がもうちょっとはたらいて、その後の破滅的な戦争ももうちょっとマシな展開をたどっていたのかもしれないなあ。


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阪神大震災の記憶



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2023年9月26日火曜日

小ネタ

憶測

 まったく知らないけど、なでしこジャパンは11人中9人は兄がいるとおもう。

 裏付けはまったくないけど、女の子がサッカーをはじめるきっかけは「兄が習っているサッカー教室に連れていかれて」が圧倒的に多いにちがいない。


教科書に載ってないこと

 「教科書に載ってないこと」は、「教科書に載ってること」を身につけてないやつほど知りたがる。


タレント候補

「タレント候補」とは、タレントが候補者になったものではなく、タレントになるかもしれない人のことである。同様に、あわぶくになるかもしれない人が「泡沫候補」である。


十二年に一度

Q. 十二年に一度、使用頻度が急増する四字熟語は?

A. 猪突猛進




2023年9月22日金曜日

胃カメラ上手

 はじめて胃カメラをやった。

 これまで健康診断ではバリウム検査をやっていたのだが、あのゲップを我慢しながらぐるぐる回される刑罰(としかおもえない)や、その後の下剤や、その後のバリウムかちかち石膏ウンコなどが嫌になったので、今年は胃カメラにしてみたのだ。


 胃カメラは痛いよ、苦しいよ、と聞かされていたのでびびりながら検査を受けてみた。

 結論からいうと、胃カメラ検査は、楽しかった。


 まず看護師さんがよかった。

 年齢は六十歳ぐらい、小太りをやや超えて中太りぐらい、声がでかくて元気のいいおばちゃん、つまり「ザ・ベテラン看護師さん」タイプだ。

 ふだんは若い女性に鼻の下をのばしてしまうぼくだけど、こと看護師さんと鍋釜に関しては古いほうがいい。きっとこのおばちゃん看護師は、あらゆる死線をくぐってきた百戦錬磨の老兵にちがいない。安心して胃を任せられる。


 そして、胃カメラ担当の医師が妙に陽気な人だった。なんだかわからないけど、胃カメラを入れることを楽しんでいるというタイプだった。

 この人がぼくの鼻に胃カメラを押しこみながら「はい奥に入っていくよ~、ちょっと力入ってるね~、おっと力抜けたね、いいよ、上手だよ~、はい、食道とおりま~す、それから胃、まもなく十二指腸が見えてきま~す、もうまもなくいちばん奥に達しますよ~」とハイテンションでガイドをしてくれるのだ。まるで観光バスのバスガイド。もしくは遊園地のアトラクションのナビゲーター。これから楽しいイベントが待ち受けているかのように胃カメラの旅を盛り上げてくれるのだ。

 じっさい、なんだか楽しくなってくる。眼の前にはモニターが置かれていて、胃カメラがぼくの体内を旅する様子が確認できる。ドラえもんのエピソードで、ママの大事な指輪を飲み込んでしまったしずかちゃんの体内に小さくなったドラえもんとのび太が入っていくというエピソードがあるが、それをおもいだす。USJとかのアトラクションで『ミクロの決死圏』として胃カメラ検査をやってもいいかもしれない。


 もちろん鼻にチューブをつっこまれるのは痛かったし人前でよだれをだらだら垂らすのは人間の尊厳を失わしめるものではあったが、苦痛を上回るワクワクドキドキをナビゲーター医師が与えてくれた。

 あの医者に個人的ノーベル医学生理学賞を贈呈したい。



2023年9月21日木曜日

G

「助けて! 部屋にアレが出たの!」

 「アレ?」

「ほら、Gよ、G! 口にするのもイヤな虫!」

 「ガ? ギンヤンマ? グンタイアリ? ゲンゴロウ?」

「そうじゃなくて、ほら、ゴで始まるやつ! でもゴミムシでもなくて、ゴマダラチョウでもなくて、ゴマダラカミキリでもなくて、ゴマシジミでもゴマダラベニコケガでもゴマフリドクガでもゴマフシロキバガでもゴンズイノフクレアブラムシでもない、チャバネとかワモンとかモリチャバネとかヒメチャバネとかの種類がある、網翅類の昆虫!」

 「そんなに詳しいのに名前を呼ぶのもイヤなんだ」


2023年9月15日金曜日

【読書感想文】小笠原 淳『見えない不祥事 北海道の警察官は、ひき逃げしてもクビにならない』 / 取材は〇だけど

見えない不祥事

北海道の警察官は、ひき逃げしてもクビにならない

小笠原 淳

内容(Amazonより)
全国で警察不祥事が相次ぐ中、骨太の報道記者がその隠蔽体質を暴露していく。北海道警察に公文書の開示請求を行い、それを発表してきた著者の書き下ろし。『週刊現代』(17年3月)や『文藝春秋』(17年4月)でも取り上げられ、注目の著者。サブタイトルの、「北海道の警察官は、ひき逃げしてもクビにならない」は、取材の過程で遭遇した事件によるもの。

 ルポルタージュはこれまで数多く読んできたけど、これはその中でもダントツでひどい文章の本だった。

 北海道警の隠蔽体質を追った本なのだが、合間合間にどうでもいい記述が並んでいて読みにくいことこの上ない。取材の間に著者が何を食ったとか、どの店に行ったとか、店の様子はどうだったとか、どれだけ酒を飲んだかとか、資料を集めた日の天気がどうだったとか、くそどうでもいい情報がちりばめられている。しかもまったくおもしろくないし。こっちは道警のことを知りたいだけで、記者にはまったく興味がないんだけど。

 あげく、自分の癖はペン回しだと語りだし、ペン回しのやり方について細かく描写しだしたときは「これはいったい何を読まさせられてるんだ……」と本を置きたくなった。

 ルポの合間に取材過程についての情報を入れる手法、ちょっとぐらいならリアリティや臨場感を高めてくれて効果的なんだけど。でもこの本はやりすぎ。なんなら著者の日記の間にルポがはさまってるぐらい。

 取材の内容はよかっただけに、文章がとにかく残念。ふだん記者として自分のことを書けない分、自分について書きたいという気持ちが爆発しちゃったのかなあ。



 不要な文章が多すぎたのでとばしとばし読んだのだけど、中身はわりと骨のあるルポルタージュだった。地道な取材、惜しまぬ努力、人の懐に入る技術。取材力は高いようだ。

2017年8月現在、北海道では道職員の「懲戒処分」を原則全件公表しているが、警察職員のみは唯一それを逃れ、多くのケースを封印することが許されている。さらに、懲戒処分に至らない「監督上の措置」といわれる内部処理があり、この対象となる不祥事は懲戒の6倍から7倍に上っているが、これらに至ってはそもそも公表を想定されていない。日常的に事件・事故の容疑者や被害者の個人情報を発信している役所が、自分たちの不祥事に限っては頑なに発表を拒み続けているのだ。

 ひき逃げ、横領、窃盗、詐欺、証拠隠滅、未成年者への猥褻行為……。北海道警では数々の不祥事が起こっているが、その多くが懲戒処分ではなく「監督上の措置」となっている。さらに事件は記者クラブに公表されず、情報公開請求をした人に対しても所属や氏名を隠してしぶしぶ公開する……。

 とにかく身内に甘いのが北海道警だ。もはや犯罪者集団だ。


 なぜ情報公開をしないのかと求められた北海道警は、人物が特定されることで当人のみならず家族までが悪意のある嫌がらせに遭う危険性があるからだ、と回答する。

 それ自体は決しておかしくない。犯罪事件の加害者にだって人権はある。

 が、問題は、なにかやらかしたのが警察官でなければ氏名や住所や職業を道警は平気で公開することだ。

 目の前の『メモ』を手に、私は委員全員を見まわしながら訴えた。
「この当事者が捕まってどういう処分になったのかは、知らないです。裁判になったのか、あるいは責任能力がないというので保護されたのか......。わからないですが、いずれ責任をとるわけですね。そういう人が、たとえばこれから先、「就職しよう』とか、『お母さんと一緒にまた別の場所に住もう』となった時に、自分の名前であるとか住所とかがこうやって拡散されたままだったら、当然そういう権利を失うというか、不自由な暮らしになるだろうと。実際この人の名前をインターネットに打ち込むと、今でも検索できてしまう。事件がわかってしまう」
 気のせいかもしれないが、委員の1人が小さく頷いたように見えた。
「ここで言いたいのは『逆じゃないか』と。警察というのは、一般の道民に較べて非常に大きな権限を持ってるわけですね。法律に基づいて人を捜査したりとか、家宅捜索とか差し押さえとか。たいへん大きな権限を持って仕事にあたってる以上は、仕事に対する責任も普通の人以上にあるんじゃないか。だから、そういう人たちの個人情報を出して一般の道民の情報を隠すのであればわかりますが、やっていることは逆なんです」

 他人には厳しく身内には甘い。典型的なダメ組織だ。


 ふつうの感覚は逆だろう。暴力を含め民間人以上に強い権限を持つ警察官の不祥事は、民間人よりも厳しく罰し、法や規則に背く行為があれば広く公開しなければならない。

 ところが道警はその逆をする。


 以前、稲葉 圭昭『恥さらし』という本を読んだ(→ 感想)。北海道警の現職警察官が暴力団と手を組み、麻薬の密輸を手助けしたり、罪を見逃したり、逆に範囲を持っていなかった市民に罪を押し付けたりしたというとんでもない事件だ。

 こんなひどい警察官がいたのか……と読んでいておそろしくなったのだが(その警察官が著者なので書かれていることはまず真実と見てまちがいないだろう)、もっとおそろしかったのはその事件が明るみに出た後の道警の対応だ。

 なんと、当時の上司や幹部たちはそろいもそろって知らぬ顔をして、罪をひとりに押し付けたのだ(ひとりは自殺している)。あたりまえだが、警察官たったひとりでそれだけのことができるはずがない。上司たちも知っていたはず、百歩譲っても「あいつはおかしい」と気づいていたはずだ。

 が、彼らはそろいもそろって「隠し通す」道を選んだ。他の警察官も、裁判所も、それを許した。

 そのとき、きちんと事件の全貌を暴いていたなら、その後の不祥事隠蔽体質はもうちょっとマシになっていたかもしれない。




 北海道警と聞いておもいだすのはヤジポイ事件(Wikipedia 第25回参議院議員通常選挙#首相演説での聴衆排除)だ。一部の政党に対するヤジだけを通例を超えて厳しく取り締まる、という北海道警の姿勢が招いた事件。

 ああいうことをしたのも、権力者にしっぽを振らないといけないようなことをしているからなんだろう。だって法に従ってまっとうに仕事をしていたら、わざわざ政府にこびへつらう必要がないもの。後ろ暗いところがあるから必要以上に権力者におもねるのだろう。


 警察官や裁判官みたいに「正義の番人」をやっている人たちはきっと正義感が強いのだろう、となんとなくおもってしまう。

 でもそれは逆で、正義という後ろ盾があるほうが人は不正に走りやすい。

 正義のデモをしたり、市民のための政治をしたり、動物や地球環境を守ろうとしたりする人が不正に手を染めるのはよくある話だ。それは正義というお題目があるから。

 ダン・アリエリー『ずる 噓とごまかしの行動経済学』によれば、人は自分のためよりも他人のためにやるほうが悪事をしやすくなるらしい。「チームのため」「会社のため」「政党のため」とおもうと、言い訳がしやすくなるから。

「外国に行って好きなだけそこの人たちを殺してきてもいいですよ」といってもたいていの人は実行しないだろうが、「祖国、愛する家族を守るためにともに戦おう!」という“正義”があれば会ったこともない人を殺すことができる。

 また、他人の悪事を目撃した後は不正に走りやすくなるという。

 それでいうと、警察官という職業はかなり不正に向かいやすい職業だ。警察官個々人に問題があるというより(そういう人もいるが)、どちらかといえば構造的な問題だ。であれば、過去の不祥事を積極的に公開するなど不正を防ぐための制度設計が必要になる。不正に向き合うことは改善のための第一歩で必要不可欠なものだから

 しかし……。

 残念ながら北海道警にそれをする気は今なおなさそうだ。


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【読書感想文】正しい人間でいたいけどずるもしたい / ダン・アリエリー『ずる 噓とごまかしの行動経済学』



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