2022年3月31日木曜日

讃辞のおやつ

 人を褒めるのが苦手だ。

 本当にすごいとおもっていても、
「なんかおべんちゃら使ってるようでかっこわるいよな」
「『すごいですねー』って、上から褒めてるように受け取られるんじゃないかな」
「嘘くさいとおもわれそう」
とあれこれ考えてしまって、なかなか褒められない。

 本当におもっていても褒められないのだから、いわんや「おもってもいないのに社交辞令で褒める」なんてとうてい無理だ。


 その一方で、自分が褒められるとうれしいものだ。たとえお世辞が半分、いや百パーセントだとしても、「すごいですね」「頭いいですね」「おもしろいこと言いますね」と言われるとやっぱり悪い気はしない。

 だったら他人のことも褒めてやりゃあいいのに、と我が事ながらおもう。社交辞令だって、嘘くさくったって、褒められて悪い気はしないものなのだから。


 とはいえ、子ども相手なら素直に褒められる。

 たとえば三歳の娘がぬりえを見せてくれたとき。
「はみだしまくりだし、色づかいもむちゃくちゃだし、色調も汚いし、ひどいもんだな」と心の中ではおもうけど、それでも「うわーすごい! 上手だねー!」と褒めてあげる。照れも恥じらいもなく、全力で褒められる(さすがによその人がいる前ではやらないけど)。


 なぜ子ども相手なら全力で褒められるのか。

 それは、最初に挙げた「褒めるのをためらってしまう理由」を、子ども相手なら気にしなくていいからだ。


  おべんちゃら使ってるようでかっこ悪い

→ おべんちゃらではなく褒めて自信をつけさせる教育である。


  上から褒めてるように受け取られるんじゃないかな

→ そりゃそうだろ。三歳児相手に上から褒めて何がおかしい。


  嘘くさいとおもわれそう

→ 三歳児はそこまで見抜けない。


 てらいもなく褒められる。

 ということで、子どもをしきりに褒めていたら、大人相手にもちょっとは褒められるようになってきた。「すごいですね」「すばらしい」などと。何事も慣れだ。褒めるのが苦手な人は、子どもを育てたりペットを飼ったりするといいかもしれない。

 そういやアメリカ人はとにかく人を褒めるイメージがある。すぐにぐれーととかわんだほーとかまーべらすとか言う印象だ。あくまでイメージだけど。

 もしかして彼らは、周囲の人間をみんなガキんちょだとおもっているのかもしれない。



2022年3月30日水曜日

筋トレ発電

 フィットネスジムで発電できるようにしたらいいとおもう。

 ジムってものすごく無駄じゃん。エネルギーの無駄。なんせエネルギーを無駄にするためにみんな通ってるわけだもん。カロリー(=エネルギー)を消費するのが目的。

 SDGsだなんだと言われている時代に、こんなエネルギーの無駄遣いが許されていいのか! いいわけない。


 そこで発電ですよ。

 あいつらがバーベルを持ち上げたり、なんかがちゃがちゃやる器械を動かしたりするたびに、ちょっとずつ蓄電する。

 わかってる。そんなことしたって、得られる電力は微々たるものだ。たぶんジムに置いてある自動販売機分の電力量すらまかなえない。

 でも、問題は電力量じゃない。自分の行動によって何かを得た、という達成感だ。

 筋トレやってるほうだって身が入るとおもうんだよね。成果があったほうが。
「この運動をすれば〇cal消費」よりも、「本日のあなたのがんばりで電子レンジ10秒分の電力が得られました」とか「電気シェーバー30秒分まであとひとがんばりです」とかのわかりやすい指標があったほうがぜったいにいいとおもう。イメージしやすいもん。

 そして、必死に汗を流しても得られる電力量がわずかであることを思い知れば、「電気を大切に」という気持ちも自然と湧いてくるはずだ。

 使わないときは照明をこまめに消そう、アイドリングストップだ。なんせスクワット〇回分なんだもん。


 メリットは「発電できる」「省エネ意識が高まる」だけでない。

「あー今日ジム行くのだるいなー。あ、そうだ。テレビをいつもより五分早く消そう。これでジムでトレーニングしたのと同じ量のエネルギーを節約できたことになるわー」
という、〝自分への言い訳〟をひねりだしやすくなるのだ。



2022年3月29日火曜日

親孝行をしたくなるわけ

 月並みな話だけど、自分が親になって「親孝行しなきゃな」とおもうようになった。

 今できるいちばんの親孝行は孫の顔を見せること。
 なるべく、娘たちを連れて実家に帰ったりジジババと孫の食事会を開いたりしている(コロナでやりづらくなったけど)。


 ところで、「親孝行をしなきゃ」という心理はなぜ生じるのだろう。

 ぼくらが生きる目的は遺伝子を残すことだが、遺伝子を残すためであれば親に親切にしてもあまり意味がない。
 そのリソースを子育てに向けたほうがいい。自分の子や甥姪を大事にした方がいい(実兄・実姉の子の遺伝子は1/4が自分と同じだ)。

 しかし歳をとると親孝行をしたくなる。
 この心理はなんなんだろ。


 もちろん「親になってわかる、親の苦労」というのはある。

 でも、わかったところでもうどうしようもない。今さらぼくが孝行息子になったところで、さんざん苦労をかけた事実は変えられない。

 もっと早くに夜泣きをやめて、食べ物をわざとこぼすのをやめて、電車で大きな声で叫ぶのをやめて、家を出る前にどの服もいやだと言って泣きわめくのをやめて、自分の散らかした分だけでも自分で片付けて、学校に親が呼び出されるようなことをやめればよかったんだろうけど、もう遅い。全部やっちゃった。

 三十代のぼくはもう夜泣きをしないし、電車で大声で叫ばないし、食べ物はときどきこぼすけど自分で拾うし、部屋は汚いけどその汚さを甘受しているから親に掃除してもらうことはないし、職場で同僚とつかみあいの喧嘩をして親が呼び出されたことも今のところはない。
 だけどこれは親孝行じゃない。あたりまえのことだ。

 親の苦労を理解したところで、母の日や父の日に贈り物をしたところで、親の苦労はなかったことにならない。


「親孝行をしなきゃな」の背景にあるのは、罪悪感なのだろうか。

 さんざん迷惑をかけたうしろめたさがあるから、罪滅ぼしのために親孝行をしたくなるのだろうか。

 ちょっとは当たってるかもしれないけど、ちがう気もする。だったらもっと早く親孝行したくなりそうなものだ。子どもが生まれたこととは関係なく。


 うーん。

 子どもが生まれてから特に親孝行の意識が芽生えたということは、これは
「自分が将来親孝行されたいから、親孝行する」
じゃないだろうか。


 将来、子どもに見捨てられたくない。

 金銭的支援をしてほしいとか介護してほしいとまではおもわないけど、子や孫と良好な関係を築いていたい。何かあったときは助けあえる関係でいたい。死ぬときはできたら看取ってもらいたい。死んだ後もときどき思い出してもらいたい。

 だから、ぼくが親孝行をするのは、子どもに対して「親孝行のお手本」を見せているからだとおもう。
 我が子が将来親になったとき、おじいちゃん(つまりぼく)にはこう接するんだよ、という規範を示すために今、親孝行をしているのだ。

 そう、今ぼくは三十年後に〝親孝行〟を受け取るために、こつこつと〝親孝行貯金〟の積み立てをしているのだ。



2022年3月28日月曜日

【読書感想文】堤 未果『政府はもう嘘をつけない』 ~おもしろい話は要注意~

政府はもう嘘をつけない

堤 未果

内容(e-honより)
パナマ文書のチラ見せで強欲マネーゲームは最終章へ。「大統領選」「憲法改正」「監視社会」「保育に介護に若者世代」。全てがビジネスにされる今、嘘を見破り未来を取り戻す秘策を気鋭の国際ジャーナリストが明かす。


 次々に明かされる「意外な真実」。おもしろい、たしかにおもしろい。だが……。

 ぼくの頭の中で警鐘が鳴り響く。おもしろすぎる話は要注意だぞ、と。

 そういう目で見ると、この人の話はかなりあやしい。いや、大筋は事実なんだとおもう。でも細かいところを調べていないのが伝わってくる。


 この本に書かれている話は、ほとんどが伝聞だ。おまけに出典があやしい話も多い。〇〇はこう語る、みたいなたったひとりの証言をさも事実かのように書いてたり。たったひとりの証言でもあればまだマシなほうで、匿名の人物のコメントをもって「この裏のカラクリはこうなっている」と断じていたりする。

 そりゃあ取材源を秘密にしなきゃいけない事情はあるのだろうが、裏をとっていない話をそのまま鵜呑みにはできない。

 複数の人に話を聴いたり、立場の異なる人の意見を紹介したりはしていない。だが、この本をおもしろくしている。

 知に対して謙虚な姿勢をとっている本はおもしろくない。
「こんな意見もあります。それとは反対にこんな意見もあります。また別の〇〇だという人もいます。未来は△△になるという人もいますがもちろん未来のことは誰にもわかりません」
 こんな本はぜんぜんおもしろくない。
 堤未果氏や橘玲氏のように「〇〇は□□だ! なぜなら△△がこう言っているからだ!」とすぱっと断じたほうが読んでいて明快でおもしろい。橋下徹氏のような人が相変わらずメディアでもてはやされているのも同じ理由だ。不正確なことでも言い切ってくれる人、誤りを検証するよりも次々に目新しい説を呈示してくれる人のほうがおもしろいからだ。


 ことわっておくが、ぼくは堤未果氏の姿勢を批判しているわけではない。論文ならまだしも、知識の浅い人たちが手に取る新書、おまけにページ数も限られている。だったら深い考察や丁寧な検証よりも、キャッチーな言葉や断言でまずは興味を持ってもらうほうがいいかもしれない。

 だからこの本に向き合う姿勢としては、眉に唾をつけながら「こんな意見もあるんだ。他の人はどう考えてるんだろう」と考えるきっかけにするのがちょうどいい。

 実際ぼくもこの本をきっかけにアイスランドが経済破綻から立ち直った経緯について興味を持った。

 ただ問題なのは、この本に書かれているのは伝聞が多いので参考文献が少ないこと。せっかく興味を持ってもここから深掘りしにくいんだよなあ……。

 



 この本に限らず、堤未果氏が伝えているメッセージは一貫している。

 金の流れを見ろ、だ。
 ほんとに悪いのは政治家や官僚や経営者なのか? その裏で糸を引いているのは? 99%の人の暮らしぶりが悪くなる政策が推し進められるのは誰のためか?

 政治を批判する人は多いが、投資家を批判する人は少ない。政治を本当に動かしているのは政治家ではなく、彼らに資金を提供している連中ではないのか?

 彼らはやがて、資本主義が正常に機能する条件である「競争原理」を免れるための、素晴らしい抜け穴を発見した。
〈フェアに競争するよりも、規制する側に気前よくカネをつぎこみ、「政治」という投資商品を買うほうが、はるかに楽で効率が良いではないか〉
 政治家への献金額と企業ロビイストの数を大幅に増やし、規制は弱め、企業利益を拡大する法律をどんどん成立させるのだ。たっぷり献金した候補者が当選した暁には、自社の幹部を政権の中に入れさせ、法案設計チームや政府の諮問会議の重要メンバーに押しこんでゆく。任期を終えた政治家は企業ロビイストとして、元政府高官は取締役などの幹部として、優良条件で自社に迎え入れればよい。

 これはアメリカの話だが、当然ながらアメリカに限った話ではない。もちろん日本も同じだ。いや、もっとひどいかもしれない。

 国会議員に金を渡していいなりにすれば、都合の良い法律を作れる。法律を作れるということは、ゲームのルールを好き勝手に操作できるということだ。ルールを好きに変えてもいいサッカーをやるようなものだ。負けるはずがない。

 リーマンショックが起きた連中も、無茶なローンを推し進めた銀行の面々は結局責任をとらなかった。「Too big to fail(大きすぎて潰せない)」という屁理屈で、責任をとるどころか国から救済してもらった。もちろん、救済を決めたのは財界から資金提供を受けている議員たちだ。

 自分の作ったルールでゲームをやって勝った連中が「我々が勝ったのは実力のおかげだ。勝者はすべてを手に入れる権利がある」と言っているのが新自由主義だ。ええなあ。ぼくもそんな楽なゲームで勝利してでかい顔してみたいぜ。




 それから5年後の2015年5月。
 調査報道ジャーナリストのアンドリュー・ペレスとデイビッド・シロタの2人によって、ヒラリー・クリントン国務長官時代、彼女の財団にサウジアラビアから1000万ドル(約10億円)が寄付されていた事実が報道された。
 さらに、世界最大軍用機メーカーであり米国最大の輸出企業であるボーイング社からも武器輸出契約が締結される2カ月前に、10万ドル(約9000万円)というダイナミックな額の寄付金が振り込まれている。
 世界一の軍事大国であるアメリカ政府そのものが、超優良グローバル投資商品として想像を超えた価値を持っているのだと、ペレスは言う。
「サウジだけではありません。ヒラリーが国務長官だった時期、カタールやウクライナ、クウェートにアラブ首長国連邦など、20の外国政府が同財団に巨額の寄付をしています。その見返りに国務省が承認した武器輸出の総額は1650億ドル(約6兆5000億円)ですから、ものすごいリターンですよね。
 軍需産業だけじゃない、医療に保険に金融に石油、食料に農薬に遺伝子組み換え種子にハイテク産業……」

 2016年のアメリカ大統領選でドナルド・トランプ氏が勝利したとき、「あんな強欲そうな差別主義者を選ぶなんてアメリカ国民はアホなのか」とおもった。でも、こういった事情を知れば、また別の見え方が浮かび上がってくる。バラク・オバマもヒラリー・クリントンも財界から多額の寄付を受けていた。国民の味方のような顔をして清廉潔白なことを口では言うが、当選したら資金を援助してくれた金持ちのための政治をする。だったら、身銭を切って圧倒的に少ない資金で選挙活動をしているトランプのほうがアメリカのための政治をしてくれるんじゃないだろうか。多くの人がそう考えてもふしぎではない。ぼくも、『政府はもう嘘をつけない』を読んで「たしかにクリントンよりもトランプのほうがマシかも……」と考えた。

 なにしろ、大統領選でヒラリー・クリントンに献金された総額は1億8800万ドル、ドナルド・トランプは利益団体からの献金は拒否していたため献金は約2700万ドルだったそうだ。この数字だけ見れば、ドナルド・トランプのほうがよほど信頼できる人間に見える(それでもぼくはあの人を信頼できないけど)。




 日本の政治が悪いのは官僚が牛耳っているからだ、と言われていた。ほんの十年前までそんな話を聞いた。政治家が変わっても官僚は変わらない。官僚の力が強いからダメなんだと。

 ところが……。

 村上議員の言う「公務員法改正」(2014年4月の第186回国会で成立)は、約600人の省庁幹部人事を一元管理する「内閣人事局」を発足させ、これにより官僚幹部の人事には、全て首相官邸の意向が反映される仕組みになった。
 中央官庁の官僚にとって、出世競争の最終目標はトップである事務次官の椅子を得ることだ。通常は同期の中で事務次官になれるのは一人だけなので、横一列の中で皆が「あの(一番優秀な)人がなるだろう」と暗黙のうちに共有するという。
 ここに目をつけた賢い安倍政権は、早速、法律を変えて「最終人事権」を手に入れる。
 すると、どうだろう。それまでは皆が一番優秀だと認める一人が事務次官の座を手に入れるのが当たり前だった官僚たちの目の前で、全く新しい〈出世レース〉のゴングが鳴り響いたのだ。
〈もしかしたら、二番手の自分にも可能性があるかもしれない〉
 だが、そこには条件がつく。
〈人事権を握る官邸に気に入られれば〉
 TPPや税制など幅広い分析を続ける経済評論家の三橋貴明氏は、官邸が〈人事権〉を握ったことで、官庁内の空気は180度変わったと指摘する。
「これが全てを変えてしまいました。それまで官邸が進めるTPPや農協改革に反対していた一部の農水官僚たちまでが、手のひらを返したように推進に回ってしまったのです」

 官僚の力が弱くなってどうなったか。もっとひどくなった。官邸におもねって黒を白と言う人間ばかりが重宝されるようになった。

 大事なものはなくなってから気づく。「誰がやっても同じ」は日本の政治の欠点ではなく、長所だったのだと。憲法も知らない人間が総理大臣になったとき、誰も止める人間がいなくなるのだと。


 ぼくも昔は「政治システムは悪いことだらけだ。変えないと」と信じていた。

 だが、ここ二十数年政治を見てきて、ドラスティックに変えたものがことごとく悪い結果を引き起こしたのを目にした。長く使われているシステムは、たとえ不合理に見えたとしてもそれなりに有用なものなのだ。もちろん時代にあわせて微修正をくわえていく必要はあるが、大幅な改革は99%悪い結果を引き起こす。
 そりゃそうだ。修正に修正を重ねてきた現行制度と、誰かが頭の中でおもいついた改革案のどっちがいいかなんて、「現チャンピオン」と「デビュー戦のボクサー」が戦うようなものなのだから。

 どんな政治家がいいのか、どんな政治システムがいいのかなんてのは人類にとって永遠の課題だが、「劇的な改革を主張する人間を信用してはいけない」ってことだけは間違いない真実だ。一新とか改革とか維新とかは耳障りがいい言葉を並べる人ね。


【関連記事】

【読書感想文】「今だけ、カネだけ、自分だけ」の国家戦略 / 堤 未果『日本が売られる』

【読書感想文】少年Hにならないために / 堤 未果 中島 岳志 大澤 真幸 高橋 源一郎『NHK100分de名著 メディアと私たち』



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2022年3月25日金曜日

オリジナルのトランプゲーム

 娘といっしょに考案したトランプゲーム。




【準備】

・基本は2人対戦。3~4人でもできるが、駆け引き要素が薄れてしまうのでおすすめは2人。

・各スートの1~6のトランプ合計24枚をシャッフルし、表向きに6×4に並べる。

・各スートのキングを裏返しにし、1枚ずつ選ぶ。自分だけがこっそり見て、伏せておく。


【進行】

・6×4に並べたトランプから1枚選び、タテヨコに隣り合うカードに重ねてゆく。


例) 上段右から2番目のAを、右の4に重ねたところ。

 A  3  4  5  A  4 
 2  4  5  6  6  2 
 A  2  4  5  3  3 
 2  A  6  3  5  6 

 ↓

 A  3  4  5     A 
 2  4  5  6  6  2 
 A  2  4  5  3  3 
 2  A  6  3  5  6 

 

・これを交互にくりかえす。すでに重なっているカードを動かすときは、すべてのカードもいっぺんに動かす。

・重ねられるのは、1つ隣のカードにだけ。下の図のようになっている場合、右上のAはもう動かすことができない。

 A  3  4  5     A 
 2  4  5  6  2    
 A  2  4  5  3  3 
 2  A  6  3  5  6 

・動かせるカードがなくなったら終了。


【得点計算】

(最終の形)

   ♠A         ♡A 
       ♢5      
    ♡5          
 ♢A   ♠3      ♠3 

・重なっている枚数が得点となる。得点は、いちばん上のカードのスートのキングの持ち主に与えられる。
 右上のハートは2枚重なっているので、ハートのキングの持ち主に2点が与えられる。

・さらにボーナスとして、重なっているカードの中にいちばん上のカードと同じスートがあれば、そのカードに書かれている数字がプラスされる。
 ハートのAの下にハートの4があれば、2点(枚数得点)+4点(ボーナス)で、6点となる。いちばん上のカードはボーナスの対象外。

・合計得点の多いほうが勝ち。
 20点とればまず勝てる。両者低調なら10点ぐらいで勝つこともある。




 某カードゲームのルールを読んだとき、「これならトランプで代用できるな」とおもい若干修正を加えた。

 八歳の娘と何度かやったが、なかなかおもしろい。ぼくの勝率は6割ぐらい。
 子ども相手に本気でやってもいい勝負になる。(ぼくが子どもとゲームをするときのポリシーとして『ハンディをつけるのはいいがわざと負けることはしない』というのがある)

 このゲームで勝つために必要なことは、

・相手のスートを見抜き、相手が得点をとるのを妨害する

・相手に気づかれぬよう、さりげなく自分の得点を増やす

である。
 序盤に自分のスートを見抜かれてしまうと、もう勝ち目がない。

 なので、慣れてくると前半はわざと自分のものではないスートに得点をとらせるなど、相手を攪乱するための動きが必要になる。ところが、相手を欺くために自分のではないスートに得点を与えたところそれが相手のスートだった、なんて悲劇も起こりうる。こうなると、相手の得点は増えるし欺くこともできないし、いいことなしだ。

 そこで、裏の裏をかいてあえて目立つように得点をとりにいく……なんて戦略も生まれる。駆け引きやハッタリが重要となる。


 運も多少は影響するが、「相手のスート」以外の情報はすべて開示されているので、運の要素は小さい。「いかに相手の心理を読むか」で勝負は決まる。

 ポーカーよりもずっと駆け引きの要素が大きいので、心理戦が好きな人なら楽しめるゲームだとおもいます。