2024年8月7日水曜日

【読書感想文】下川 裕治『日本を降りる若者たち』 / 外こもりも今は昔

日本を降りる若者たち

下川 裕治

内容(e-honより)
日本で悩み続けたことがバカみたいいに思えてきた。バンコクをはじめ増え続ける「外こもり」。彼らがこの生き方を選んだ理由とは。

 2007年刊行。

 若者の意識や行動の変化をデータをもとに論じた本……みたいなタイトルだが、ぜんぜんそんなのではなくて、著者が親しくしている若者たちの姿を書いたエッセイのような本。

 それはそれでいいし、半径五十メートルの観測から見えてくる社会変化もあるのだが、エッセイに対して本格ノンフィクションのようなタイトルをつけないでほしいな。



 著者がこの本で取り上げているのは「外こもり」。外国に行って、仕事をするでもなく、あちこち旅をするでもなく、学校に行くでもなく、ただだらだらと過ごす人たちのことだ。

 もちろん彼らも潤沢にお金があるわけではないので、いくら物価の安い国でも仕事をせずに生活していればお金がなくなる。資金が尽きたら日本に帰って工場派遣などで稼ぎ、半年ほど日本で働いたらまた外国に渡って暮らす、という生活をしている人たちが多いそうだ。

 そんな人たちに選ばれやすいのが、タイ。治安が良く、物価が安く、気候風土も良い。またタイ人もそれほどあくせく働いていないので、人目を気にしなくて済む。そして似たような境遇の人たちが集まってくるから余計に居心地が良くなる。

 ジミー君は、カオサンのいいところは、「人と出会える街」といった。外こもり組は、日本にいたとき、ひきこもり傾向にあった人が多いが、彼らが口をそろえるのは、日本にいると人と出会えないということだった。三十歳近くにもなり、アルバイトがないときなど家にいたりすると、周りからはひきこもりじゃないのといわれ、つい家から出なくなってしまうのだという。結局は部屋にこもり、ネットの「2ちゃんねる」にはまったり、ゲームで遊ぶしかなくなるのだが、やがてそれにも飽きてしまう。そんな暮らしをしていると、日本では人に出会えないのだという。大学や高校の同級生たちは皆、働いているから忙しくて相手にもしてくれない。
 ところがカオサンに来ると、時間だけはあまるほどある人が多い。話し相手はすぐにみつかるのだという。そしてその多くが、日本という社会に生きづらさを感じている若者なのだから、ベーシックな部分で生き方を共有している。話が合うはずだった。日本から眺めれば、それは同病相憐れむ姿にも映るのかもしれないが、彼らにしたらそこはまさに桃源郷なのかもしれなかった。


 ぼくはタイには行ったことがないが、中国の桂林という街で一週間ちょっと「外こもり」をしていたことがある。

 学生時代、友人たちと中国旅行をした。計画では天津→北京→桂林と渡り、そこから鉄道でベトナムに入る予定だった。ところが鉄道の切符を買うことができず(ツテがないと長距離列車の切符を買うのが難しかった)、桂林で足止めを食らってしまった。ちょうど旅の疲れが出たところでもあり、また桂林は中国の中でも南方なせいか人々がのんびりしていたこともあり、このまま桂林に滞在しようということになった。

 桂林は中国南部の中では大きい街だが、それでも田舎町といったほうがいいぐらいの規模(今はどうか知らない)。二、三ある観光名所をまわってしまえば特にやることがなかった。

 だがそれが良かった。朝起きたら、ホテルで点心の朝食。ぶらぶらと散歩をし、ホテルに戻ってテレビでビリヤードやモータースポーツなどを観る。昼になったら近くの食堂に行って、汗をかきながら熱い丼飯を食う。商店街を冷やかし、またホテルに戻って昼寝をする。なんせ暑くて日中は活動する気になれないのだ。夕方になると涼しくなるので、人力タクシーに乗って少し遠くまで飯を食いに行く。小さな商店でアイスクリームを買い、夕涼みをしながら歩いてホテルまで戻る……。

 そんな生活を一週間ちょっと送った。最高だった。どんどん人間がだめになるのがわかる。しかし、暑い日中にクーラーの効いたホテルの部屋で昼寝をする気持ち良さったらない。労働や勉強なんてする気になれない。ホテル代、食費、あわせて一日三千円ぐらいだったろうか。

 幸か不幸か我々にはビザの期限があり、所持金が減っていく財布もあり、また日程の決まっている帰りの船のチケットもあった。至福の日々は一週間ほどで終わりを告げ、我々は桂林を後にした。


 あの最高な日々を知っているので、「外こもり」をする人の気持ちもわかる。海外で何もしない生活を送っていると、旅人の無責任さと、住民の居心地の良さのいいとこどりをできるんだよね。ずっとぬるま湯に漬かっているような気分。最高!




 ……とはいえ。心地のいいぬるま湯もいつかは冷めてしまう。

「いつかお金が尽きる」「歳をとっても同じような生活は続けることはできない」「こうしているうちにとれる選択肢はどんどん少なくなっていく」という不安はいつまでも残るだろう。かつて無職だったぼくにはわかる。

 外こもり組の中には、海外在留経験を活かして仕事を探す人もいるようだが、そうかんたんではないらしい。

 バンコクで発行されている日本語フリーペーパーの社長は、スタッフの採用にひとつの基準を設けていた。
 「これまで二十代後半から四十代半ばまでの応募がありましたね。まず書類を出してもらってます。志望動機のところに、『学生時代にタイを旅行してすごく楽しくて」なんて書いてある人とは面接しません。面接になって、アロハシャツでやってくるような人もだめ。タイでの仕事を誤解してるんです。仕事は仕事。基本的に日本と変わりません。面接はバンコクでやります。わざわざ来てもらうわけですから、その前にメールでいろいろ聞きます。いじわるな質問もする。だいたいそれでわかりますね。仕事をしようとしているのか、日本が嫌だからタイに住んでみようと思っているだけかどうかってことは」
 突き詰めていけば、日本で仕事がうまくいかない人は、海外で就職しても結局はどこかで躓いてしまうということらしい。

 うーん。

「日本で仕事がうまくいかない人は、海外で就職しても結局はどこかで躓いてしまう」か……。

 これ、残酷な言葉だけど真実なんだろうなあ。ステージを変えれば自分も輝けるんじゃないかとおもうけど、どの国にいても仕事は仕事。やることはそこまで変わらない。日本でうまく働けない人が海外でなら適応できるかというと、やっぱり難しいんだろう。Windowsを使いこなせない人がMacに変えたところで……みたいなことだよな。


 海外にいる人が自分の生活を日本の雑誌に寄稿してライターとして収入を得る、なんて〝成功例〟も書かれているけど、それで稼げるのはほんの一握りだろうし、ライターとして食っていけるぐらいになろうとおもったら他の人との付き合いだとか、嫌な仕事を引き受けなきゃいけないとか、結局は世渡り的な能力も必要になってくる。そういうのが嫌で海外に行ったのに……。

 結局どこにいたってゼロから金を稼ぐのは楽じゃないってことだ。つらいぜ。




  外こもり組は、そのあたりがわかった人たちなのかもしれなかった。いや、何回かタイと日本を往復するうちに、いまの場所に落ち着いてしまったということなのかもしれない。だから日本では、金を稼ぐだけに徹しようとする。それ以外の仕事のスタイルとか責任といったものは一切排除し、まるで工場のロボットのように体を動かすのだ。そういう働き方が、いちばん日本という国の流儀に染まることなく金を稼ぐ方法なのだろう。仕事の評価もせず、愚痴ひとついわない。そうしなければ、バンコクに戻ることだけを念じて仕事に打ち込めないのだ。
 死ぬつもりでカオサンに流れ着いたという日本人は、タイという国とタイ人に幻惑され、しだいに元気をとり戻していく。しかしそれは、タイという国が演出してくれる舞台で踊っているのにすぎない。どこかやっていけそうな気になって日本に帰ったとしても、待ち構えているのは、自分自身の心の均衡を狂わせ、弾き出そうとした不寛容な日本社会なのだ。


 この本で紹介されているのは、2000年代初頭の〝外こもり〟の生活。それから約20年。東南アジアの国々は当時より発展し、一方でその間日本の賃金はほぼ上がらず。円の価値は下がり、「日本で稼いで物価の安い国で暮らす」生活は楽なものではなくなっているはず。

〝外こもり〟の人たちは今、どうしているのだろうか。今も外こもりを続けているのか、それとも日本で別の生活をはじめたのか、はたまた生活が成り立たなくなっているのか……。

 20年後の現状を見てみたい気もするし、見るのが怖い気もする。


 昭和時代、「サラリーマンは気楽な稼業」という歌があった(聴いたことないけど)。はじめに就職したときは「これのどこが気楽やねん」とおもっていたけど、無職やフリーターや自営業みたいなものをやった挙げ句にサラリーマンをやっている今ならわかる。サラリーマンがいちばん気楽だ。

 組織で働くしんどさもあるけど、先が見えない不安に比べたらずっとずっと気楽なんだよな。その不安を楽しめる人もいるんだろうけど、ぼくはそうじゃないから。


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