模倣の殺意
中町信
この作品、『そして死が訪れる』というタイトルで乱歩賞への応募され、その後『模倣の殺意』と改題されて雑誌に掲載、単行本刊行時には『新人賞殺人事件』というタイトルになり、文庫化の際は『新人文学賞殺人事件』とまたタイトルが変わり、そして復刊の際には『模倣の殺意』に戻った、という複雑な経緯をたどっているそうだ。
つまり(いくらか手が加えられているとはいえ)ひとつの作品なのに、四つの題名を持っているわけだ。なんともややこしい。
最初に刊行されたのが1973年ということで、今読むと「うーん……当時は斬新だったのかもしれないけど……」となんとも微妙な出来栄えである。
トリックも強引だし、アリバイ工作も嘘くさすぎる。
「○時にちょうど時計台の前で撮ってもらった写真があります」とか
「○時には××にいました。ちょうどその時刻に知人に××に電話をかけるように依頼していたので証明できます」とか。
いやいやいや。
アリバイがどうとか以前に、それもう「私が犯人です」って言ってるようなもんじゃない。犯行時刻にたまたま時計台の前で撮った写真があるって……。
それから、トリックは賛否両論あるとおもうけど、ぼくは「否」だとおもう。これはフェアじゃない。
以下、そのトリックについて語る(ネタバレあります)。
(ここからネタバレ)
『模倣の殺意』のストーリーをかんたんに説明すると、坂井正夫という売れない作家が不審な死を遂げ、それを中田秋子という編集者と、津久見伸助というルポライターがそれぞれ追う。中田秋子のパートと津久見伸助のパートが交互に語られる。
『模倣の殺意』には、犯人が仕掛けたトリック(さっき挙げたアリバイ工作など)とは別に、〝著者から読者に仕掛けられたトリック〟がふたつある。
いわゆる叙述トリックというやつだ。
ひとつは、中田明子と津久見伸助が同時期に別行動をとっているように見えて、じつは中田秋子のパートが、津久見伸助のパートの一年前の出来事であるということだ。
これは(今となっては)めずらしい叙述トリックではない。というか定番といっていい。ぼくもすぐにそうじゃないかとおもった。
ミステリで別々の語り手による話が交互に進んでいく場合は、時間や空間が隔たれていることをまず疑ったほうがいい。
もうひとつのトリックは、中田明子が追っている坂井正夫と、津久見伸助が追う坂井正夫が、同姓同名の別人ということだ。
これはフェアじゃない。
前にもやっぱり〝同名の別人〟が出てくるミステリを読んで、同じことをおもった。ずるい。
いや、同姓同名を登場させるのが全部反則とはいわないが、同姓同名の人間がいることを早めに提示するとか、坂井正夫Bは坂井正夫Aになりすますために同じ名前を名乗ったとか、もう少しフェアな書き方があるだろう。
だってさ。それってミステリのルール以前に、小説のルールに違反してるじゃない。
「田中は家に帰った。その夜、田中は彼女を殺した」
って書いておいて、「じつははじめの〝田中〟と次の〝田中〟は別人でしたー!」っていうようなもんじゃない。そりゃないよ。
特にことわりがなければ、同じ名前が指す人物は同じものっていう暗黙のルールがあるじゃない。この、日本語の最低限のルールを破っておいて「トリックでしたー!」ってのはずるすぎる。それはトリックじゃなくてただの反則だ。
下村敦史『同姓同名』っていう同姓同名を扱ったミステリ小説があるらしいけど(読んだことはない)、同姓同名をミステリに使うならそんなふうに最初にことわらなきゃいけないとおもうよ。
しかもこの『模倣の殺意』、どっちも坂井正夫が出てくるんだけど、どっちも作家志望で、どっちも七月七日の七時に殺されるんだよ(一年ちがいだけど)。
強引すぎでしょ。
「だまされたー!」じゃなくて「著者と読者の間にある最低限の信頼関係を踏みにじられたー!」という気持ちしか湧いてこなかった。そりゃないぜ。
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