沈黙の春
レイチェル・カーソン(著) 青樹 簗一(訳)
環境問題について語る上で避けては通れない古典的作品。初出は1962年。今もって最も有名な環境問題の本といってもいい。
(学生時代に英語の問題集に載っていたのでごく一部だけは読んだことがあった気がするが)刊行から60年以上たって、今さらながら読んでみた。
今さら『沈黙の春』を手に取ったきっかけのひとつが、ポール・A・オフィット『禍いの科学 正義が愚行に変わるとき』に『沈黙の春』の引き起こした被害が書いてあったからだ。
『禍いの科学』によれば、『沈黙の春』が有機塩素系の農薬であるDDTの環境への悪影響を主張した結果、世界的にDDTの使用が禁止された。だがDDTはマラリアなどの疾病を抑えるためのきわめて効果的な薬だった。DDTが禁止された結果、ほぼ根絶できていたマラリアは再流行し、結果として5000万人がマラリアで命を落とした。そのほとんどは5才未満の子どもだった。
ことわっておくと、『沈黙の春』にはDDTなどの化学農薬や殺虫剤をすべて使用禁止にせよとは書いていない。ただ、環境に与える害を述べ、不適切な使用、過度の使用に対して警鐘を鳴らしただけだ。
だが、おそらくこの本は大きな反響を呼んでしまった。結果、カーソンが書いた以上に(カーソンはマラリア予防でのDDTの使用禁止は訴えていない)DDTは敵視され、過度に制限されてしまった。言ってみれば、科学肥料や殺虫剤のバカな使い方を批判したら、別のバカが過剰に反応してしまったというところだ。
「とにかく殺虫剤をばらまいて環境を破壊する人間」と「すべての農薬や殺虫剤を敵視してむやみに禁止させようとする環境保護主義者」は、主張こそ反対ではあるが思考はきわめて近いところにある。どちらも実験や観測を軽視して感情のために行動し、己の行動を顧みないという点が一緒だ。
環境問題にかぎらず、あらゆる問題がそうだよね。政治的極右と極左とか、エネルギー問題とか、両端にいる人たちって実はけっこう似た者同士なんだよね。バカ同士仲良くしなよ、と言いたくなる。
『沈黙の春』は(おそらく著者の想定以上に)大きな反響を引き起こした。ちょうど、虫を殺すためだけに殺虫剤を使ったのに、他の虫や鳥や魚や獣まで殺してしまったように。
『沈黙の春』が過剰な反応を引き起こしたのは、刊行されたタイミング(科学の進歩によるひずみが表面化してきたころ)が良かったのもあるだろうし、カーソン氏の文章がうますぎるのもあるとおもう。情景を想起させる力が強いし、よくできたストーリーは人間の感情に訴えかけてくる。
読んでいると「このままじゃだめだ。なんとかしないと」という気になってくる。60年後の日本人にすら強く訴えかけてくるのだから、当時の人々はより強い危機感を抱いたことだろう。
多くの客観的な数字やグラフを並びたてるよりも、一行の詩のほうがはるかに力強く人間の心を動かしてしまう。
『沈黙の春』はそこそこのページ数があるが書かれている内容はシンプルで、だいたい同じことのくりかえしだ。
害虫を殺すために殺虫剤を使っているが、その薬は他の生物も攻撃する。他の虫、魚、鳥、場合によっては獣やヒトも。直接害を及ぼすこともあるし、間接的に(殺虫剤を浴びた虫を食べることなどで)健康被害を受けることもある。
また、狙った害虫だけを殺せたとしても、それがさらなる悪い結果を生むこともある。害虫が激減 → その害虫を食べていた虫や魚や鳥がエサ不足で減る → 捕食者がいなくなったことで再び害虫が増える(しかも薬品に対する耐性をつけている)、ということも起こる。
生態系は無数の生物が複雑にからまりあって構成されているので、ピンポイントで「この生物だけを絶滅させる」「この生物だけを増やす」ということができない。何かが増減すれば、必ず他の生物も影響を受ける。
そのあたりは納得できる。殺虫剤の農薬の過剰な使用は良くない。その通りだとおもう。
ただ同意できないのは、終章『べつの道』で著者が提唱する化学薬品の代わりとなる手法。
要するに、ある種の虫を減らしたいのであれば、その虫の天敵となる菌、虫、鳥などを連れてきて、捕食(または病気に感染)させよ、というのが著者の主張だ。
いやあ……。それはそれでだめでしょ……。
外来種とかさんざん問題になってるし、沖縄でハブ退治のためにマングースを連れてきたらマングースがハブ以外の生物を食べて害獣化しちゃったなんて例もあるし、うまくターゲットとなる虫を減らせたとしてもどこにどんな影響が出るかわからない。
60年後の世界から批判するのはずるいけどさ。でも化学薬品はダメで外来種ならいいというのは、やっぱり近視眼的だ。生態系は複雑で影響を予想できないのとちゃうかったんかい。
環境問題ってつきつめていけば最後は「人間がすべての文明を捨てて原始的な生活をするしかない。子どもや働き盛りの人がばたばた死んでもそれはそれでしかたない」になっちゃうから、どこかで許容するしかないんだよね。農薬を使わないほうがいいといったって、農薬なしで今の人口を支えられないのもまた事実なわけで。
まるで環境問題に“正解”があって、その“正解”を著者が知っているような書き方がきになったな。研究者として誠実な態度ではない。ま、だからこそ大きな反響を呼んだんだろうけど。世間は「Aが正しそうだがBの可能性もあるしCも否定できない」という人よりも、「Aが正解! 絶対A! 他はだめ!」っていう単純な人に扇動されてしまうものだから。
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