2024年6月16日日曜日

【読書感想文】スティーヴン・オッペンハイマー『人類の足跡10万年全史』 / 30年前の人類も宇宙旅行ができた

人類の足跡10万年全史

スティーヴン・オッペンハイマー(著)  仲村明子(訳)

内容(e-honより)
現生人類はアフリカで生まれた。一度は絶滅しかかったわれわれの祖先は、やがてアフリカを旅立つ。だがその旅立ちはたった一度しか成功しなかったという。なぜか?そしてアジアへ、オーストラリアへ、ヨーロッパへ、アメリカへ。人類は驚くべき速度で世界各地へ拡がっていった。気候の激変、火山の大噴火、海水面の大変動、さまざまな危機を乗り越えて―一体いかにして、どの道を通って、われわれは今ここにいるのか?その足跡はいかなる形でわれわれに受け継がれているのか?遺伝子に刻まれた人類の壮大な歴史を読み解き、化石記録と気候学からその足どりを追う!人類史の常識を覆す画期的な書。

 人類がアフリカで誕生した後、どのように世界に広がっていったのかを、考古学的、遺伝的証拠から解き明かした本。

 とても丁寧……なのはいいけど、丁寧すぎる。はっきりいって門外漢には難解すぎた。まだ結論だけ書いてくれりゃいいんだけど、「Aという説もある。これはこうこうこういう理由で賛同しがたい。B説はこのような理由でもっともらしいが、かくかくしかじかの証拠により信憑性が低い。一方のCにはこのような証拠があり……」と延々書いてくださるので、読んでいて眠くなってしまう。

 ううむ、こっちは一緒に研究をしたいわけじゃなくて結論だけ読んで「へーそうなんだー」とばかみたいにつぶやきたいだけなのに。


「人類がアフリカを出たのはいつか」の話はおもしろかった。

 アフリカを出たといったってユーラシア大陸と陸続きになってるんだからかんたんに出られるじゃんとおもうのは今の感覚で、数万年前の人類にとって、そして当時の環境では、アフリカを出るというのはいくつもの偶然が重ならないとなり遂げられない難事業だったそうだ。

 アフリカは、地上を歩くさまざまな人類が生まれた場所である。この遠大で隔離された自然の実験室は、砂漠と緑とのはてしない循環のなかで人類をつくりあげてきた。サハラ以南のアフリカに見られるサバンナと森林のパッチワークは、事実上、環境によってつくられる二組の通路によって他の世界から隔離されている。この二〇〇万年のあいだ、それらの通路は家畜をいれる巨大な囲いのような働きをし、いくつかの門が交互に開いたり閉じたりしてきた。一方の門が開いているとき、もう一方はたいてい閉じていた。一方は北へ向かい、サハラからレバント、ヨーロッパへとつづいていた。もう一方の東への門は、紅海の入り口からイエメン、オマーン、そしてインドへとつづいていた。どちらの門が開くかは氷河作用の周期によって決まり、それによって、人類を含む哺乳動物がアフリカから移動するとき、北のヨーロッパへ行くか、東のアジアへ行くかが決まった。
 今日、アフリカとユーラシア大陸をつなぐ通路は一つしか残っていない。つまり北のシナイ半島だ。サハラとシナイを通ってその他の世界へつながるこの通路は、ふだんは極度に乾燥した砂漠だが、地球の軌道と極軸の傾きの変動により、短い温暖期が生じたときにだけ開く。地質年代におけるこのつかのまの出来事は、太陽の熱が極地を溶かし、それにつづいて地球が暖かく湿潤になるおよそ一〇万年ごとに起こる。サハラ、シナイ、そしてオーストラリアの砂漠に湖ができ、緑が生い茂り、短い地質年代の春に花が咲きそろう。しかしこの暖かい期間はごく短いもので、北アフリカの天候の門は移住者たちにとっては死の罠となることもあった。

 アフリカ大陸から外に出るには北と東の出口があったが、砂漠によって閉ざされていた。地球規模での気候変動によりごくわずかな期間だけ(といっても数千年規模だが)サハラが歩いて通行できるようになる。

 その間隙をついてアフリカを脱出した人類は、一部は海沿いを東に進んでインド、インドネシア、オーストラリアへと渡り、一部は北に分かれて東アジアやロシアとアラスカの間のベーリング海峡を渡って(これまた一時は陸続きになっていたため)北アメリカ大陸、そして南アメリカ大陸へと移動した。また一部はインドあたりから北西に進んでヨーロッパへと渡った。

 このように人類はずっとずっと旅をして、世界中に広まった。何万年もかけて。

 大航海時代に世界を舞台に冒険をしたがったとか、アメリカ人がフロンティアスピリッツを持っているだとか言われているけど、その時代の人間にかぎらず、人類はずっと未知なる場所を探して旅をしつづけてきたんだね。もっといえば、人間にかぎらず、他の動物や植物だってそうやって居住地を広げてきた(あるいは失敗して絶滅してきた)んだけど。


  少し前に読んだ三井 誠『人類進化の700万年』にも書いてあったが(タイトル似てるなー)、人間の個々の能力というのは数万年前と比べて高くなっているわけではない、どちらかといえば劣っている可能性が高いそうだ。筋力や持久力はもちろんのこと、知能でさえも。

 マクブレアティとブルックスの描くシナリオでは、行動の現代人性を特徴づける諸要素はすべて、アフリカの中期石器時代までたどることができる。これは三〇万年前に技術的なビッグバンがあったことを意味するのではない。彼らの証拠が強調するのは、そこから人類の技術の加速があったということで、初めはゆっくりと、それから速度を増していった。早期の進歩はそれぞれが小さなものでゆっくりと現れたが、世代にわたり多くの知識がさまざまな利益として伝えられ蓄積されはじめると、文化的な進化は遺伝的な進化をはるかに追い越すようになっていった。見方を変えれば、もしほんとうに三〇万年前に文化的な進化が遺伝的な進化に取って代わったなら、わたしたちと彼らとのちがいはただの文化的な相違ということになり、旧ホモ・サピエンスが今日わたしたちのあいだに生きていれば、彼らには人を月に送れるだけの知的能力が十分にあるということだ。

 ついつい今の自分たちが人類史上最も賢いとおもってしまうけれど、我々の科学力が高いのは先人たちが残した膨大な知識の蓄積の上に立っているからであって、今生きている人類がゼロから発見したことなんてほとんどない。

 何度読んでもついつい「今の人類がいちばん賢い」と勘違いしてしまうので、これは胸に刻んでおかねば。


 この本、「ヨーロッパ人は自分たちが人類進化のいちばん最終形態であり最も優秀だとおもってるがそんなことはないぜ」みたいな論調にすごくページが割かれてるんだよね。

 いやいやべつにヨーロッパ人がいちばん賢いなんておもってないぜ、誰と闘ってるんだよ、とおもうけど、実際のところ「人類が最後に到達したのがヨーロッパで、だから最も優秀なのだ」とする考え方がかつてあり、今でも(特にヨーロッパに)根強く残っているのだそうだ。

 ま、どこの国にもいるよね。自分たちがいちばん優秀だ! って人が。自分自身ではなく自分が属している民族にしか誇りを持てない人が。


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