2024年11月21日木曜日

【読書感想文】大島 新 他『なぜ君は総理大臣になれないのか』 / 政治家になるのはおかしい人だけ

なぜ君は総理大臣になれないのか

大島新  『なぜ君』制作班

内容(e-honより)
人間は失敗する。政治家も失敗する。しかし失敗を認めて苦悩する政治家は少ない。より良い社会をつくろうと苦悩する人間は、権力を握れるのだろうか。コロナ禍の只中で異例のヒットを記録した小川淳也の17年を追ったドキュメンタリーそのシナリオを完全収録!

 2020年に『なぜ君は総理大臣になれないのか』という映画が公開され、ドキュメンタリー映画としては異例の3万人以上を動員し、さらには各種動画配信サービスでも公開されて大きな話題となった。

 わりと政治には関心を持っているぼくとしては「これは観ておいたほうがよさそうだな」とおもったものの、なにぶん長い映像作品を観るのが苦手で、ここ十年ぼくが映画を観るときはたいてい子どもと一緒だ。子どもが興味を持つテーマではないので「いつか退屈で退屈で死にそうになったら観ようかな……」リストに入ったままになっていた。

 そんな『なぜ君は総理大臣になれないのか』の書籍版があるということを知ったので、読んでみた。映画のシナリオ(って書いてるけどドキュメンタリー映画でシナリオって言っちゃうと筋書きがあるみたいにおもえるので「書き起こし」のほうがいいのでは?)を収録し、かつ映画に関する対談やコラムを掲載したものだ。


 映画を書き起こしで読むことにはメリットとデメリットがある。デメリットとしては、あたりまえだけど映像がないこと。語っている言葉以外の表情やしぐさや周囲の雰囲気がほとんどわからないこと。

 メリットは、映像がないこと。これはデメリットでもあるがデメリットでもある。特に今作のような政治を扱ったものであれば余計に。

 我々は、語られている内容だけでなく(ときにはそれ以上に)「誰が語っているか」を重視する。それも、顔の造形だとか着ているスーツだとかのような、本人の信頼性とは無関係の要素に大きく左右される。あの政治家やあの政治家が人気があったのは、他の政治家よりも見た目が良かったからだ。

 だからこそ『なぜ君は総理大臣になれないのか』をテキストだけで読むことには意味がある。

 読んだ感想としては、「この小川淳也さんという人はいいことを言っている。だが発現を読むかぎりでは群を抜いてすばらしいというほどではない。そのわりにはこの映画を観た人からは小川淳也さんはすごく高く評価されている。ということはきっと小川淳也さんは見た目が良くて話し方も誠実そうに見えるんだろう」だった。映像は正しくない情報も伝えてしまう。



 いやもちろん小川さんはすばらしい人なんだよ。少なくとも『なぜ君は総理大臣になれないのか』で描かれる小川さんは。

小川「何事もやっぱりゼロか100かじゃないんですよね。何事も51対49。でも結論は、出てきた結論は、ゼロか1に見えるんですよね。51対49で決まってることが。だから……」
大島「なるほど」
小川「政治っていうのは、やっぱり、勝った51が、よく言うんですよ。勝った51がどれだけ残りの49を背負うかと。勝った51が勝った51のために政治をしてるんですよ、いま」

 これってあたりまえのことだよね。代議制における議員は全国民を代表している。中学校でも習うことだ。

 でもこれをほんとうに理解している国会議員がどれだけいるだろうか。まだ選挙で落ちた議員や野党議員は「負けたほうの意見も尊重しろ!」とおもっているかもしれないが、少なくとも与党議員の中には「負けた議員に投票した人たちの思いも背負って政治をしなければ」と考えている人はいないんじゃないだろうか。野党議員だって、自分たちが与党になったらそんな気持ちは忘れてしまうとおもう。小川淳也さんには、この気持ちをずっと忘れないでいてもらいたい。


 ぼくは小川淳也さんひとりに日本政治の未来を託すつもりはない。

 小川さんは今は立派なことを言っているが、この先どうなるかはわからない。今は腐った政治をしているあいつだってあいつだって、はじめて立候補したときは立派な信念を持っていたんじゃないだろうか。

 人は必ず変わる。どんな人だって道を踏み外すことはある。だから「小川淳也さんが総理大臣になれば日本は良くなる!」と考えている人がいるとすれば、それは大間違いだ。そんな人がたくさんいる限り政治は良くならない。どの党が政権をとるかとか、誰が総理大臣になるかなんてのは、小さな問題だ。我々は絶えず政治をコントロールしつづけれなければならない。




 この本を読んでいておもうのは「まともな人は政治家になれないし、総理大臣になれない」ということ。

 小川淳也さんの妻・明子さんに話を聞いているところ。

大島「娘たちは政治家になるのも嫌だけど、政治家の妻になるのも嫌だって」
明子「ああ、だろうね。はははははははは」
明子・八代田「(同時に)そりゃそうだよねえ」
明子「私もねえ、嫌だなあ。ははは。
 でもほんとねえ、これだけのことがあるって知ってたら、もうちょっと躊躇したね。たぶんね」
八代田「確かに、知らんもんね」
明子「分からないからね、知らないからね。まあ、やれるだけやろうみたいな感じで始まったけど。まあね、仕方ないっすね。ははははは」
大島「もう仕方ないよね」
明子「もう仕方ない」

 小川さんの妻も娘も、選挙に協力してくれている。選挙事務所に詰めて仕事をして、一緒に街頭に立つこともある。そんな人でも「政治家になりたくない」「政治家の妻になりたくない」と語る。それがふつうの感覚だ。ぼくだっていやだ。自分の家族が出馬するのもいやだし、落選するのもいやだし、当選するのもいやだ。市議だろうが市長だろうが代議士だろうが総理大臣だろうがいやだ。だってまちがいなくふつうの生活が奪われるんだもん。娘が皇室に入るのと同じくらいいやだ。

 何かやらかせば叩かれて、やらかさなくても非難されて、うまくやっていても周囲の人からは「政治家だからうまいことやってるんでしょうね」とおもわれる。ろくなことない。お金はそこそこ多く入ってくるけど、出ていくお金も多くて手元にはぜんぜん残らないと聞く。だいたい残ったところで立場上派手には使えないだろう。

 まともな人は政治家になんてなりたくない。どう考えたって報酬が労力に見合わない。政治家としてうまくやっていく才覚のある人なら、ビジネスの世界ではずっと多くのお金を稼げるだろう。非難されることも少ないし、自由に使える。どう考えたってそっちのほうがいい。みんな政治家なんてやりたくないからこそ代議制というシステムがあるのだろう。


 小川さんも語っているけど、政治家になる人なんておかしい人だけだ。または政治家の家に生まれ育った人。もちろんそれもおかしい人だ。

 小川さんだっておかしい。自分や家族の幸せを考えるなら、官僚を続けるか、ビジネスをやったほうがずっといい。

井手 僕はいろいろな政治家の方と接する機会があって、じつは、小川さんみたいに真っ直ぐな人がたくさんいるんだということを知っています。地方議員さんもそう。みなさんのまわりで一生懸命に汗をかいて頑張ってる人、大勢いますよ。それなのに政治に関わるとか、政治家を褒める、応援するってことがみなさんにとっては異様にハードルが高い。
 そう、この「敷居の高さ」がいやなんです。映画を観て強く感じるのは、あそこまで家族を巻き込んで、「選挙ってここまでやんなきゃいけないの?」っていうこと。
 僕、よく「選挙に出ろ」って言われるんですよ。昨日も朝イチで滋賀県に行って、地方議員さんを相手に講演して来たんです。終わった後にバーッと並ばれて、「先生、選挙出られませんか?」って言われちゃうわけですよ。「いやです」「いやです」って断るんですけど(笑)。
 それは第一に思想的なものだけど、それ以前に、うちには子どもが4人いて、生活のこと考えるとまずムリですよね。だって、この社会は僕が慶應大学の教授職)を辞めないと認めてくれないもの。慶應の先生をやりながら選挙に出た時点でもう、「背水の陣じゃないだろ」「あいつ、腰かけだ」って叩かれるでしょう。(会場に向かって)みなさんだって叩くでしょ?
 何もかも投げ捨てて、家族巻き込んで、娘も連れ合いも泣かして、ってやらないと政治家になれないという、恐ろしい現実がある。
 現実の政治に関わるのはもの凄くしんどい。でも、「じゃあ傍観してていいのか」と言うと、みんなそりゃいかんと思ってる。ここの突破口が見えて来ないんですよね。
大島 う~ん、わかりますね、それは。
 私は政治家と言ったら小川さんだけを知っているぐらいの感じで、あとはまあ、テレビ業界にいますので、報道の記者とかから個々の政治家の評判を聞くぐらいでしかないんですけれど、やっぱり、「なぜ私たちは君のような人を総理大臣にすることができないのか」ということも考えているんですね。「君のような人」というのは、必ずしも小川さんでなくてもいいのですが、井手先生もおっしゃられた、「ちゃんと真っ当で誠実で一生懸命やっている人」もいると。それは自民党にもいるかもしれないし、共産党にもいるかもしれない。
 でもやっぱり、既得権益もそうなんですけれども、そういった人たちを阻んでいるものがあるんですよね。選挙の問題も凄く大きくて、恐らく安倍さんとか麻生さんは、地元に1回も帰らなくても勝つわけじゃないですか。そういう政治家が一定数いるという状況の中で、野党の、特にバックボーンも何もない人たちは家族を巻き込んで、あそこまで辛い思いをさせてと言うか.......。

 選挙に出たいけど家族に猛反対されて出馬をあきらめる人も多いという。選挙に出るために離婚する人もいるそうだ。よほどの強い信念(というよりは妄執)を持っているか、議員であることからよほどの私益が得られる人だけだろう。

 おかしい人たちの中からまだマシなおかしい人を選ぶ場、それが選挙だ。




 さらに政治家になってからも、まともな人は党内で出世できない。

 鮫島浩さんの文章より。

 政党や内閣の重要ポストを歴任すると、「この人はいずれ党首となって、さらには総理大臣となるかもしれない」と期待する人が世の中に増え、政治献金も集まってきます。その資金を元手に「子分」の政治活動を支援したり、選挙を応援したりして、さらに「子分」を増やしていくのです。そして、いざ党首選挙となると、「派閥」の「子分」たちは「親分」が勝つように懸命に応援します。もちろん「親分」の政治理念や政策に共鳴して応援する「子分」もいますが、たいがいは「親分」が党首になって自分が重要ポストに抜擢される「見返り」を期待して応援するのです。資金力を増した「親分」から政治資金を援助してもらうことを期待して応援する「子分」もいます。かつて民主党代表を務めた小沢一郎氏は豊かな資金力大勢の「子分」を抱えていることで有名でした。民主党政権で総理大臣を担った鳩山由紀夫氏、菅直人氏、野田佳彦氏の3人も自らが率いる「派閥」を持ち、多くの「子分」がいました。
 もう、わかりますね。党首選に勝つためには、多くの国会議員を「子分」として従え、応援してもらわなければなりません。そのために数々の重要ポストを歴任して知名度や資金力をアップさせ、「子分」の人事や資金の面倒をみて、仲間を増やしていかなければならないのです。だから国会議員たちは連日のように仲間とともに「夜の街に繰り出して結束を固め、さらに仲間を増やすことを目指して昼夜、勧誘に励んでいるのです。そうして多くの国会議員たちに支えられる「強い政治基盤」をつくらなければ、党首選挙に勝つことはできません。党首にならなければ総理大臣にもなれません。まずは党内で「子分」を増やさなければ総理大臣への道のりは険しいのです。
 小川議員は幹事長や政調会長などの重職を担ったことはありません。資金力もさしてありません。その結果、小川議員を党首に担ごうとする「子分」はほとんどいません。それが厳しい現実です。本人が告白しているように「夜の街」も苦手です。仲間を増やすための「飲み会」もほとんどしません。そのうえ「フェアな政治」を掲げているため、仮に小川議員が党首になっても「仲間」を優遇する人事をしてくれるとは限りません。どんなに小川議員の人気が国民の間で急上昇しても、小川議員を党首に担ぐことにメリットを感じる国会議員の仲間が極めて少ないのです。

 たくさん金を集めて、自分の言うことを聞く「子分」には便宜を図ってやって、金を出した組織にも見返りを与えてやって、それによってより多くの金と子分を集めて……ということをやらないと党内でえらくなれない。

 構造的にそうなっている。国会での評決なんてほぼ記名投票だからね。信念に従って投票した議員は造反者なんて呼ばれて犯人探しをされるからね。


 つくづく異常な世界だよ、政界って。

 でも、そうやって距離を置いていたらますます政界が異常な世界になって、まともな人との距離が広がってゆき、二世三世と業界の利益代表者と異常者だけの世界になってしまう。

 だから何度も書いているけど、議員の数を増やしたらいいとおもうんだよね。「議員の数を減らせ!」って人もいるけどその逆。百倍にしたらいい。その代わり、給与も権限も百分の一。仕事の量も百分の一だから、兼業でもできる。会社員だって主婦だってフリーターだって片手間でできる。議会に集まる必要もないし。

 国会議員が何万人もいたら変に注目もされないので負担なくやれる。市議だって何千人、県議だって何千人。立候補だけでたりなければ裁判員みたいに抽選で選べばいい(これはやけくそで言ってるわけではなく「くじ引き民主主義」といういたってまじめな案だ。実現して成果を上げている国もある)。

 議員の重みを軽くしようぜ。PTA役員と同じぐらいに!


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