2019年12月31日火曜日

【読書感想文】フィクションの検察はかっこいい / 伊兼 源太郎『巨悪』

巨悪

伊兼 源太郎

内容(e-honより)
東京地検特捜部の検事・中澤源吾と特捜部機動捜査班の事務官・城島毅。高校時代野球部のダブルエースだった二人は、ある事件をきっかけに「検察」の道を選ぶ。二人の前に立ちはだかる、政治家、企業、秘密機関―「消えた二兆円」。真相に辿り着く過程で明らかになる現代の「巨悪」の正体とは。元新聞記者の著者渾身の検察ミステリー巨編。
元新聞記者の小説だけあって、文章が硬っくるしくて読みにくかった。
そんなにちゃんと書かなくていいよ、適当にはしょってくれていいよと言いたくなる。
すごくちゃんと調べてしっかり構想立てて一生懸命書いてるんだろうなーと伝わってくる(もちろんそれはマイナス)。司馬遼太郎かよ。

小説としてはあんまり好きじゃなかった。登場人物がやたらと多くて、説明が事細かで、とにかくまだるっこしい。
主人公ふたりの背景にあるものも、「ああよくある悲しい過去ね」としかおもえなかった。

この半分の分量だったらスピーディーで楽しめただろうなあ。
 復興予算は東日本大震災発生の二ヵ月後、瓦礫処理費用などに第一次補正予算の四兆円が計上され、さらに第二次補正予算で約二兆円、十一月には第三次補正予算の約九兆円が加算されている。財源は半分以上が所得税や法人税、個人住民税などで、主に国民への増税で賄われている。今後三十年近く続く増税を、誰もが「復興のためなら」と受け入れたのは記憶に新しい。
 それにもかかわらず、当初は被災地以外にもその復興予算が投じられた。特に生活再建の本格的な予算として位置づけられた第三次補正予算では、九兆円という大枠が決められると、各省庁が競い合って要求を出し、それを積み上げる形で中身が作られ、いわば、予算の奪い合いが公然と行われた。
 各庁の予算要求の根拠は、政府が作成した復興基本方針だ。その冒頭に掲げられた理念は「被災地における社会経済の再生や生活の再建に国の総力を挙げて取り組み、活力ある日本全体の再生を図る」という立派な一文。このうち、『活力ある日本全体の再生』という文言によって、被災地以外にも復興予算投入が可能になった。
 当時の第三次補正予算で組まれた約五百事業のうち、四分の一が被災地とは無関係の事業だったと現在判明している。例えば、法務省は北海道と川崎の刑務所で職業訓練を拡充するために、文部科学省は今や跡形もない旧国立競技場の補修費に、農林水産省は反捕鯨団体の対策などに大金を使用している。
ノンフィクションだったらめちゃくちゃおもしろいんだろうけどなあ。復興予算について調べてみたくなった。

告発っぽいネタもあるんだけど、自由共和党とか民自党とか言われてもなあ。フィクションだからしょうがないんだろうけど、たぶんモデルもいるんだろうけど。これが実名だったら最高なんだけど。
「検事さん。なにゆえ過去の特捜部では都合の悪い証拠を隠したり、調書を捻じ曲げたりしたんですか」
「簡単に言うと、それができるからでしょう」
「怖い話だ」
「ええ。できるからといって何でもやっていいわけではないのに、それを忘れてしまった検事が複数いた。これは特捜部だけでなく、誰もが陥りかねない問題です。私が言うのも妙ですが、国民全体が特捜部の不祥事を反面教師にすべきでしょう」
 自分の吐いた台詞が中澤の胸に重たく響いた。海老名が幕を下ろすように結論づける。「政治家も特捜部も、お互い責任重大ですな」
この小説の検察はかっこいい。小説の検察
実際の検察組織の中にも巨悪に挑もうとがんばっている人がちょっとはいるんだろう。と、おもいたい。

とはいえ税金で支援者を接待して、あからさまに証拠を隠蔽していることが誰の目にも明らかな政権を今も放置している以上、現実の検察はまるごとダメ組織と言わざるをえないよねえ。悲しいことに。

【関連記事】

【読書感想文】 瀬木 比呂志・清水 潔『裁判所の正体』

【読書感想文】ここに描かれていることが現実になる/青木 俊『潔白』



 その他の読書感想文はこちら


2019年12月27日金曜日

2019年に読んだ本 マイ・ベスト12

2019年に読んだ本は100冊ぐらい。その中のベスト12。

なるべくいろんなジャンルから選出。でも今年はノンフィクション多め。
順位はつけずに、読んだ順に紹介。

ハリエット・アン ジェイコブズ『ある奴隷少女に起こった出来事』


感想はこちら

アメリカの奴隷制度のことを歴史の教科書を読んで知っていた……つもりになっていた。 でもぜんぜん知らなかったのだと教えてくれた本。

本当の奴隷の生活を知った今となっては軽々しく「まるで奴隷のようだ」なんて使う気になれない。
ごくふつうの社会人であり家庭人であった人が奴隷に対してはとんでもなく残忍な仕打ちをする。人間は(おそらくぼく自身も)置かれた環境によってこんなにも残酷になれるのかと背筋が凍った。


文部省『民主主義』

感想はこちら

昭和二十三年に文部省(現在の文科省)が中高生に向けて刊行した教科書の復刻版。

現在、政府与党はルールをねじまげ、隠蔽を重ね、民主主義をぶっ壊そうとしている。こうなる未来を予見していたかのような官僚の言葉。

当時の官僚は立派だったんだなあ。今の腐敗しきっている政府に手を貸している官僚は全員これを読んで反省しろ。反省しないやつは社会のゴミクズだからすぐ現世から卒業しろ。いやほんとに。


小畑 千尋『オンチは誰がつくるのか』

感想はこちら

長年、オンチであることをコンプレックスに感じていたぼくは、この本を読んで救われた。

音楽の先生ってみんな子どもの頃から苦労せずに音程をとれた人だから、オンチの人の気持ちがわからないんだよね。そしてちゃんとした指導もしない。 「音がずれてるよ」と言うだけ。どうやったら正しい音がとれるのか、具体的な方法は何一つ示さない。
ぼくは今でもオンチだけど、オンチとはどういう状態なのか、どういうトレーニングをすれば克服できるのかがわかっただけでもずいぶん気持ちが楽になった。


西村 賢太『二度はゆけぬ町の地図』

感想はこちら

ほぼ著者の実体験であろう私小説。
見事なまでのクズっぷりでかえってすがすがしいぐらい。自分が家賃をためこんだくせに、家賃を催促する大家を逆恨みして殺意を抱いたり。ラスコリーニコフかよ。

しかしこの本を読んでいると「己の中の北町寛多」に否が応でも向き合わされる。怠惰で、嫉妬深くて、小ずるくて、身勝手きわまりない自分に。おもしろいけどつらい。


トレヴァー・ノートン『世にも奇妙な人体実験の歴史』

感想はこちら

真実を明らかにするために、自らの健康や、ときには命をも賭けた人たちの記録。
毒物を口にしたり、病原菌を体内に入れたり、爆破実験に参加したり、食べ物を持たずに漂流したり、安全性がまったく保障されないまま深海に潜ったり気球で空を飛んだり……。
クレイジーの一言に尽きる。

が、そんなクレイジーたちのおかげで今の我々の安全で快適な生活がある。いろんな意味で「ようやるわ」と言いたくなった。


トーマス・トウェイツ『ゼロからトースターを作ってみた結果』

感想はこちら

トースターをゼロから作るために、鉱山に行って鉄鉱石を拾い、じゃがいものでんぷんからプラスチックを作ろうとし(これは失敗したけど)、銅の含有量の多い水を電気分解して銅をとりだし、辺境の山でマイカ(雲母)を採取する。

もう説明不要。ただただおもしろい。


福島 香織『ウイグル人に何が起きているのか』

感想はこちら

ウイグル人たちがどんな残酷な目に遭っているか、のレポート。

もうすぐ世界一の経済大国になろうかという国(しかも国連の常任理事国)の中でこんなことが起こっているとはにわかに信じがたい。21世紀の世の中で。

そしていちばんの問題は、(日本も含めて)ほとんどの国がウイグル問題を知りながら見て見ぬふりを決めこんでいるということ。なぜなら中国が軍事的にも経済的にも大国だから。
対岸の火事じゃないよ、ほんとに。



フィリップ・E・テトロック&ダン・ガードナー『超予測力』

感想はこちら

「Yes/No」で答えられる質問を出したところ、大半の人の正答率はチンパンジーといっしょ、つまり50%前後だった。
ところが明らかに高い正解率を出す人たちがいる。

自分の正しさを常に疑う、思想信条に従って予測しない、過去の予測の検証をくりかえす、こういう人たちの未来予測は的中しやすい。
……つまりほとんどの政治家やコメンテーターたちとは正反対の人たちだよね。


島 泰三『はだかの起原』

感想はこちら

「なぜ人類は体毛に覆われていないのか」というお話。
保温、保湿、防水、外からの攻撃を守るなど様々なメリットのある毛。なのに人類にはない。
謎を解き明かすためにいろんな仮説をつぶしていく過程はすごく刺激的だった。

……そしてそれ以上に刺激的だったのが、著者の悪口。他の研究者のことをけちょんけちょんに書いている。主張はもちろん人間性まで全否定。

主張のおもしろさと悪口のおもしろさで合わせ技一本の入賞。


今村 夏子『こちらあみ子』

感想はこちら

とにかくすごい小説。圧倒された。

「好きじゃ」
「殺す」
の応酬のすごみたるや。
別世界の住人とおもっていた人の人生を追体験させてくれた。


デーヴ=グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』

感想はこちら

いいニュースと悪いニュースがある。
戦場における人間の行動を調査したところ、ほとんどの人間は敵を殺そうとしないことがわかった。人間は基本的に人を殺したくないのだ。それが戦うべき敵であっても。これがいいニュース。

悪いニュースは「人を殺したくない」という気持ちを取り払うために、軍があの手この手で兵士を教育(というかほぼ洗脳)していること。その取り組みは効果を上げて、近代の戦争では大半の兵士が躊躇なく引き金をひけるようになっているらしい。


ビル=ブライソン『人類が知っていることすべての短い歴史』

感想はこちら

こんな重厚な本が文庫で1,700円ぐらいで買えるなんて! 全科学をぎゅっとまとめた本だからね。森羅万象が1,700円。安すぎる。

文章は軽妙かつユーモラスでおもしろい。中学生ぐらいで読んでいたらもっと勉強を好きになっていたんじゃないかなあ。


来年もおもしろい本に出会えますように……。


【関連記事】

2018年に読んだ本 マイ・ベスト12

2017年に読んだ本 マイ・ベスト12



 その他の読書感想文はこちら


2019年12月26日木曜日

【読書感想文】森羅万象1,700円 / ビル=ブライソン『人類が知っていることすべての短い歴史』

人類が知っていることすべての短い歴史

ビル=ブライソン (著)  楡井 浩一 (訳)

内容(e-honより)
こんな本が小学生時代にあれば…。宿題やテストのためだけに丸暗記した、あの用語や数字が、たっぷりのユーモアとともにいきいきと蘇る。ビッグバンの秘密から、あらゆる物質を形作る原子の成り立ち、地球の誕生、生命の発生、そして人類の登場まで―。科学を退屈から救い出した隠れた名著が待望の文庫化。137億年を1000ページで学ぶ、前代未聞の“宇宙史”、ここに登場。

宇宙はどうやってできたか、地球の大きさはどれぐらいか、地球の年齢は何歳か、原子や素粒子の世界はどんな法則で動いているのか、地震や噴火は予想できるのか、生命はどうやって誕生したのか、人類はどう進化してきたのか。
そして、それらの謎を解き明かすために科学者たちがどのような取り組みを続けてきたのか。

といったことを上下巻二冊に収めている。文庫にしては分量はちょっと多いが、それ以上に内容は重厚。全二十巻の本を読んだぐらいの読みごたえがあった。
それでいて、文章は軽妙かつユーモラスでおもしろい。いやあ、いい本だ。ほんとに中学生ぐらいで読んでいたらもっと勉強を好きになっていたんじゃないかなあ。
 というわけで、無から、わたしたちの宇宙は始まる。
 目のくらむようなただ一回の脈動、言葉では表現できない速さと広がりを伴う栄光の一瞬を経て、特異点は天空に容積を、概念ではとらえられない空間を獲得する。この強烈な最初の一秒(多くの宇宙学者がその詳細に分け入ろうとしてキャリアを捧げる)で、重力が、そして物理法則を支配するほかのすべての力が作られる。一分足らずで宇宙はとてつもない大きさに広がり、さらに高速で成長を続けていく。大量の熱が生まれた後、百億度まで下がり核反応を引き起こすのに十分な温度に達して、比較的軽い元素──おもに水素とヘリウム、それに少量(原子一億個につき一個)のリチウム──が発生する。三分後には、現在、存在する、もしくは今後、存在が確認される、あらゆる物質の九八パーセントがすでに生成されている。宇宙の誕生だ。そこはこの上ない不可思議さと愉快な可能性を秘めた場所。そして美しい場所だ。しかもサンドウィッチをこしらえるぐらいの時間でできあがる。
最初の宇宙誕生の説明でもう強烈なパンチを喰らう。
一秒で重力が作られる。数分で(サンドウィッチをこしらえるぐらいの時間で)宇宙のあらゆる物質のほとんどが誕生する。
この文章を読むだけでくらくらする。

「宇宙はどうやってできたのか」なんて、もう人間が一生かけても追求しきれないテーマじゃない。
それがこれだけの文章に凝縮されてるんだよ。密度がすごい。ブラックホールか。

ぼくは宇宙にロマンを感じない人間なんだけど、次から次にくりだされるとんでもないスケールの話を読んでいるとただただ圧倒されて、まるで宇宙空間に連れていかれたような気分になる。



読めば読むほど、地球ができて、生物が誕生して、哺乳類が生まれて、そこからヒトへと進化して、絶滅せずに生き残って、こうして文明を築いているのってほんとに奇跡の連続なのだとしみじみおもう。
生まれてきたことに感謝、生きているだけですばらしいとクサいことを言いたくなる。
 一九七八年、マイケル・ハートなる宇宙物理学者が計算を行ない、地球が今よりほんの一パーセント太陽から離れるか、五パーセント接近しているかしていたら、居住不可能だったと結論づけた。ごく狭い幅であり、実際、それは狭すぎた。以来、計算の精度が上がって、もう少しゆるやかな数値五パーセント近づき、一五パーセント遠ざかるあたりまでが精確な居住可能圏とされた――になったが、それでも、狭い地帯には違いない。
 どのくらい狭いか理解するためには、金星を見るといい。金星は、地球より四千万キロ太陽に近いだけだ。その熱が到達する時間差は、わずかに二分。大きさと構成要素において、金星は地球に非常に似ている。が、軌道における小さな違いがあらゆる違いにつながった。太陽系ができて間もないころ、金星は地球よりほんの少し暖かいだけで、おそらく海洋も有していたらしい。しかし、その数度の余分の熱のため、表面の水を保つことができなくなり、環境に悲惨な影響がもたらされた。水が蒸発して、水素原子が宇宙に逃げ、酸素原子は炭素と結びついて、温室効果ガスである二酸化炭素の濃いガス体を形成する。金星は息ができなくなった。わたしと同年代の人なら、金星のこんもりした雲の下には生物が潜んでいるかもしれない、もしかしたら、熱帯植物だって茂っているかもしれないと天文学者たちが期待した時代のことを思い出すだろうが、今では、わたしたちが常識的に考えつくどんな生物にも、きびしすぎる環境であることがわかっている。
地球が生物の棲める環境になったのはすごい確率の偶然が重なった結果だけど、しかし宇宙はそんな奇跡が十分起こりうるぐらい広大なのだ。
銀河には1000億から4000億ぐらいの星があり、そんな銀河が他にも1400億ぐらいあるそうなのだ。うへー。

ってことで、理論上は宇宙のどこかには地球の他にも生物が誕生する星はちょこちょこあるみたい。
とはいえ光に近い速さで移動したとしても寿命がつきる前にたどりつける距離にはまずいない。
ということで「宇宙人がいるか?」という問いに対する答えは、「たぶんいるけど地球人が遭遇する可能性はほぼない」だ。ロマンはあるけど会えなかったらいても意味ないよなー。



かなり平易な文章で書かれているので「科学系の本を読むのが好き」レベルのぼくでもわかりやすかったのだが、量子力学のくだりだけはまったく理解不能だった。
いや書いてあることはわかるんだけど。でもまったく納得ができない。
 要するに、相反する前提にもとづいていながら同じ結果をもたらすふたつの理論が、物理学界に登場したのだ。これはありえない状況だった。
 最終的には、一九二七年、ハイゼンベルクが画期的な折衷案を思いつき、量子力学として知られるようになる新たな規律を生み出した。その中心にある“ハイゼンベルクの不確定性原理”によると、電子は粒子なのだが、波に置き換えて描写することも可能な粒子だという。理論構築の中心に据えられた不確定性とは、電子が空間を抜けて動く際にとる経路か、ある瞬間に電子が存在する場所か、どちらかを知ることは可能でも、その両方を知ることは不可能とする理論だ。一方を計測しようと試みれば、どうしても他方を妨害してしまう。この問題は、単にもっと精密な機器があれば解決するというわけではない。それは、宇宙の不変の特性なのだ。
 つまり事実上、電子が特定の瞬間に存在する場所は、けっして予測できない。できるのは、存在する見込みの高い場所を列挙することだけだ。ある意味で、デニス・オーヴァバイが述べたように、電子は確認できるまで存在しないと言ってもいい。あるいは少し見かたを変えて、電子は確認できるまで「どこにでも存在すると同時に、とこにも存在しない」と考えるべきかもしれない。
電子は規律ある法則に基づいて動いているのに、その場所を予測できないというのだ。それは現時点での観測技術や理論が未成熟だからというわけではなく、もう絶対に不可能。

ん? そんなことってあるか? 法則がわかれば電子がどこにあるかは理論上特定できるはずじゃないの? と素人はおもうんだけど。

物理学者のファインマンは「小さな世界の物質は、大きな世界の物質とはまるで異なる動きをする」との言葉を残したらしい。
微小な世界のための量子論と広大な宇宙のための相対性理論はまったく別個の体系で動いている。相対性理論は素粒子のレベルにはまったく影響を及ぼさない。だと。

なんで? 「家庭の決まりと国家の法律は完全に独立していて、国家の法律は家庭の決まりに一切影響を及ぼさない」だったら明らかにおかしいじゃん。家庭のルールが法律にまったく影響を受けないわけないじゃない。内包されてるんだから。
……とおもっちゃうぐらいに素人なので、ここは何遍読んでも納得できない。



いやほんとどこをとってもおもしろい。
宇宙も原子も地球の構造も生物の進化も細胞も全部おもしろい。
 しかし、いったん進化が軌道に乗ると、哺乳類は驚異的な――ときには、不合理なまでの勢いで―発展を遂げた。一時は、犀(さい)の大きさのモルモットだの、二階建て家屋の大きさの犀だのが存在していた。捕食連鎖に空白が生じると必ず、哺乳類が(文字通り)身を起こしてその空白を埋めた。南米に移住した大昔のアライグマ科動物は、捕食連鎖の空白を発見して、熊ほどの体型と獰猛性を備えた生物へと進化した。鳥類も、不釣合いなほど繁栄した。数百万年ものあいだ、北米で最も獰猛な生物は、タイタニスという肉食の飛べない巨鳥だったと考えられている。この巨鳥が史上最高に恐ろしい鳥だったことは間違いない。体長は約三メートル、体重は三百六十キロ以上あり、気に入らない相手の首を楽々と食いちぎれるほどのくちばしを持っていた。この科の生物は、周囲を脅かしながら五千万年生き延びたが、それでも、一九六三年にフロリダ州で骨が発見されるまで、その存在についてはまったく知られていなかった。
こんなことがさらっと書いてあるけど、夢が膨らむよね。
サイの大きさのモルモット、クマみたいにでかくて凶暴なアライグマ、360kgの身体で相手を食いちぎる巨長……。
ほとんどSFの世界だ。人間が想像するような生物はだいたい過去に存在したんじゃないかと思わされる。
「5つの眼がある生物」なんてのもいたらしい。こんなのも空想の範疇をを超えてるよね。ぼくらが空想できるのはせいぜい三つ目とか偶数個の眼を持つ生物ぐらいだもんね。なんで半端な5個なんだよ。


随所に散りばめられている科学者たちの逸話も楽しい。
 シャップにも増してつきに見放されていたのがギョーム・ル・ジャンティーユだ。この天文学者の経験については、ティモシー・フェリスが著書『銀河の時代──宇宙論博物誌』に鮮やかにまとめている。ル・ジャンティーユは金星の通過をインドから観測するために、フランスを一年前に出発したのだが、いろいろな支障が生じて、太陽面通過の当日にはまだ海の上にいた──揺れる船上では、ぐらつかずに計測できる見込みなどないから、最悪の観測地点といえた。
 ル・ジャンティーユはめげずにそのままインドの土を踏み、現地で次の一七六九年の金星通過を待った。準備期間が八年あったので、第一級の観測台を建て、機器を幾度もテストし、万全の準備態勢で二度めの金星通過の日を迎えた。一七六九年六月四日の朝、目覚めたときは晴天だった。ところが、ちょうど金星が太陽の前を横切り始めたころ、ひとひらの雲がするすると太陽を覆ったかと思うと、ほぼ通過時間の三時間十四分七秒のあいだじゅう、そこに居坐ったのだった。
 落胆を胸に、ル・ジャンティーユは機器を荷造りし、最寄りの港に向かったが、途中で赤痢にかかって一年近くも臥せってしまう。まだ衰弱している体にむち打って、それでもようやく船に乗り込んだ。船はアフリカ沖でハリケーンにぶつかり、すんでのところで遭難しそうになる。やっとのことで帰り着き、家を出てから十一年半、何も達成できないままに戻ってみると、留守のあいだに彼が死んだと決めつけた親戚たちが、土地財産をすべて山分けしたあとだった。

金星の太陽面通過を観測するためにフランスからインドに行ったらいろんな不運に恵まれて帰るまでに11年半(しかも悪天候のため観測できず)、帰ったら財産がなくなっていた……。

ひー。なんてかわいそうな人なんだ。この人の生涯だけで一冊の本になる。
トレヴァー・ノートン『世にも奇妙な人体実験の歴史』を思いだした。いつの世にも、科学のために命も生活も家族も名誉も財産も犠牲にする人たちがいるんだなあ。
彼らをばかだと嗤うのはかんたんだけど、彼らの献身がなければ科学の発展はなかったのだ。



長くなりすぎたのでこのへんにしとくけど、
「カンブリア爆発で生物が爆発的に誕生したわけではない(カンブリア紀に化石化しやすい体になっただけ)」
とか
「カメが地球上で覇権をとりそうになった」
とか、紹介したいことはいっぱいある。

でも書ききれないからこの本を読んでとしか言いようがない。
こんな重厚な本が文庫で1,700円ぐらいで買えるなんて! 全科学をぎゅっとまとめた本だからね。森羅万象が1,700円。安すぎる。

最後まで読んだ後に『人類が知っていることすべての短い歴史』というタイトルを改めて見ると、つくづく我々は自分たちの棲むこの世界のことをわかっているようでぜんぜんわかっていないんだなあと感じ入る。


【関連記事】

未来が到来するのが楽しみになる一冊/ミチオ・カク『2100年の科学ライフ』

【読書感想文】偉大なるバカに感謝 / トレヴァー・ノートン『世にも奇妙な人体実験の歴史』

【読書感想文】原爆開発は理系の合宿/R.P.ファインマン『ご冗談でしょう、ファインマンさん』



 その他の読書感想文はこちら


2019年12月25日水曜日

寝具の魅力

娘たちとの遊び。

よく娘たちと寝室であそぶ。
ぼくに課せられた使命は、妻が料理をしている間、キッチンに次女(一歳)を近づけないこと。
包丁、火、熱湯、熱々のグリル、落ちた食べ物。そういったものから、なんでもさわりたい、なんでも食べたい年頃の次女を遠ざけることが求められている。
そこで、キッチンから遠い寝室で遊ぶことになる。

最近よくやるのは、布団とマットを組み合わせてすべりだいやテントやトンネルや船をつくるという遊びだ。
長女(六歳)はもちろん大はしゃぎだし、最近すべりだいをすべれるようになった次女も楽しんでいる。よたよたしながら坂(マット)をのぼり、すべりだい(マット)をすべり、テント(マット)に出入りし、トンネル(マット)をくぐり、船(マット)の上で歓喜の声をあげる。もうぜいぜいはあはあ言いながら遊んでいる。
あとは、ぼくが娘たちを布団の上に放りなげたり、マットの坂道に乗せて転がしたり、どったんばったん遊んでいる。



ぼくも子どもの頃、寝室で遊ぶのが好きだった。
一歳上の姉と、ベッドをトランポリンにしたり、枕を投げたり、布団の上で逆立ちをしたり、押し入れに入ったりして遊んでいた。
子どもはみんな寝室で遊ぶのが好きだ。

寝具というのは特別な魅力がある。
寝具を見ていると、ついつい飛びこみたくなる。どったんばったん遊びたくなる。

子どもだけでない。大人も同じだ。
家具売場のベッドを見るとついつい乗りたくなる。じっさいに腰をかける人も多い。さすがに飛び乗ったりする大人はまずいないが、本音はみんなやりたいはずだ。ぼくもやりたい。ウォーターベッドなんかたまらん。あんなとこにダイブしたらめちゃくちゃ愉しいだろうな。ぽよんぽよん弾んでみたいな。

ぼくが大金持ちになったら、でっかい部屋にキングサイズのベッドを三つ並べて、その上にとびきり弾力のあるマットとふかふかの布団を敷いてぴょんぴょん跳びはねるんだー!

あと押し入れの中に電灯と本とパソコンを持ちこんで秘密の書斎もつくるんだー!(それは今でもやろうとおもえばできる)


2019年12月24日火曜日

14 ÷ 4 =?


「いちご14個を家族4人で分けます。1人あたりのいちごは何個でしょう」

算数だったら正解は
「3あまり2」
「3.5」
「3と1/2」
のいずれかになる。

が。
現実にはたぶんそのどれでもない。

「1人が3個ずつ食べてからじゃんけんをして、勝った2人がもう1個ずつ食べる」
「おかあさんが『2個でいいわ』と言ったので、残りの3人が4個ずつ食べる」
みたいなことになる。

算数だと「3あまり2」だけど、現実にはまずいちごはあまらない。
「平等を期すために3個ずつ食べて、余った2個は捨てよう」とはならない。
「2つはナイフで2等分して、3.5個ずつ食べよう」ともならない。
みかんなら分割するかもしれないけど、イチゴを分割して食べる家庭はほとんどない。


だから同じ「14 ÷ 4 =?」という問題であっても、

「長さ14メートルのロープで1辺1メートルの正方形を囲うといくつ囲える?」
の場合は
「3個囲って2メートル余る」から
答えは「3あまり2」で、

「14個のみかんを四つ子が分けると1人いくつ?」
だったら
「1人3個ずつ。残る2つは2等分」だから
答えは「3.5」になるし、

「いちご14個をおとうさん、おかあさん、子ども2人で分けるとき、子どもはいくつ食べられる?」
なら
「両親、またはおかあさんが遠慮するだろうから子どもは4個食べられる」で
「4」が正解だよね。