2019年5月31日金曜日

【ショートショート】社会貢献ポイント


国民の社会貢献度が厳密に計測できるようになった。

国民のありとあらゆるデータは国家によって管理されている。数万ものパラメータを解析することで、個人の歩む人生、周囲に与える影響が相当な精度で予見できるようになったのだ。

SCP(社会貢献ポイント)と呼ばれるその数値は最大100のスコアで表される。
90を超えるような傑出した人物はそうそういない。ほとんどは30から70ぐらいに収まる。
ごくまれに、0を下回る人物がいる。社会にとって特に危険度が高いとされる人物だ。過去30年間に0を下回った人間は20人ほどだが、その大半が殺人犯、それも生涯のうちに複数の人間を殺害した凶悪犯だ。残りは「これから大量殺人を犯すであろう」人物だ。

SCPは暗号化されて厳重に管理されており、個人が知ることはできない。
いってみればSCPとは「人の価値」をポイント化することであり、それがかんたんに公表されれば人権が脅かされるというのがその理由だ。
犯罪者であろうとこれは変わらない。
SCPとはあくまで社会の全体的な変化をとらえるために考案された指標であり、国民に優劣をつけるためのものではない。国民一人あたりの国内総生産には意味があるが、自分ひとりの生産額は知らないのと同じだ。


ところが、ある若手国会議員がインターネット番組の対談でおこなった発言により風向きが変わる。

「人権はたしかに必要なものです。ですが他の人の幸福を犠牲にしてまで守らなければならないものでしょうか。
 たったひとりの独裁者によって数万人の命が奪われることもあります。それでも独裁者の生命は守られなければならないものでしょうか。
 SCPが著しく低い人間、いってみれば社会にとって有害である人間。これをあらかじめ社会から排除することの何がいけないのでしょうか。
 洪水が起きてからダムを建設しますか? 火事が起きてから消防訓練をおこないますか? それと同じです。人を殺してから裁くのでは遅すぎます。SCPによって殺す前に裁くことができるようになったのです。これからの時代、犯罪は捜査するものではなく、予防するものになるのです!」

議員の長身と甘いマスクが与えるスマートな印象、自信ありげにふりかざされるトレードマークの扇子、わかりやすい語り口、そして誰もが心のなかに隠していた本音をむきだしにしたその主張は、観ている者の心をとらえた。
この動画は何千万回と再生され、好意的な反応が多数を占めた。

新時代の功利主義は閉塞的な時代の空気にマッチして受け入れられた。
超高齢社会、先の見えない不況、拡がる一方の格差。追い詰められた者たちによる自己破壊的な殺人事件も増えていた。

罪のない市民を狙った凶悪犯罪に胸を痛めていた優しい市民、生産性の低い労働者はいらないとおもっている経営者、悪質なクレーマーに悩まされている従業員、認知症の老人の介護に疲れはてたヘルパー、時間稼ぎとしかおもえない野党の質問にうんざりしていた与党議員。
立場を超えて賛成の声が上がった。

もちろん反対派や慎重派も存在したが、彼らの声は説得力に乏しかった。
きれいごとだけでは世の中は良くならない、犯罪者の味方をするやつは自分が犯罪者予備軍だからだ、反対するなら代案を出せ。そうした意見の前には沈黙するしかなかった。

SCPが著しく低い人物、すなわち社会にとって著しく有害であるとされる人物を処分する法案、通称SCP法が国会を通過するまでに何年もかからなかった。

「この法案は善良な市民にとってはもちろん、処分されるSCPの低い人にとってもまた福音となるはずです」
今やすっかり党の重鎮となった議員は、優雅に扇子を振りながらカメラの前で微笑んだ。
「彼らは言ってみれば未来の犯罪者。罪を犯して後ろ指を指され家族に迷惑をかけながら死刑になるよりも、罪を犯す前に潔く身を隠すほうがずっといいと思いませんか?」
カメラの向こうの犯罪者を説得するようにこう述べた。

「もちろん運用は慎重におこないますよ。まずはSCPが0未満のお方、つまり大量殺人犯予備軍ですね。この人たちに社会から退場していただくことになります。さすがに彼らを守れという人はいないでしょう」



法案が施行され、最初の[退場者]が決定した。
[退場者]のSCPは-2758。歴代ワーストの数値だ。
数千人の命を奪う人物、という計算になる。

[退場者]の身柄は速やかに拘束された。

「そんなわけがない。何かのまちがいだ!」
当然[退場者]は抵抗したが、SCPの測定にまちがいが起こらないことは国会審議中に十分に検証されたことだ。決定は絶対に覆らない。

「おれは社会を良くするために……」
絶叫は途中で途絶えた。
自由を奪われた[退場者]の手から扇子がこぼれ落ちた。


2019年5月30日木曜日

結婚たからくじ


既婚者の友人K(男)。
同世代の平均以上の収入があり、家事育児もこなし、性格は穏やか、酒もタバコもギャンブルも女遊びもギャンブルもやらない。

男のぼくから見ても、いい夫だとおもう。

とある集まりで、Kの妻が未婚女性たちから
「どうやったらKくんみたいな人を見つけられるの」
と訊かれていた。

Kの妻は笑ってごまかしていたけど、ぼくは知っている。

Kが無職でやさぐれていたときから、ふたりが付きあっていたことを。

二十代前半のKは収入はなく、気むずかしく、しょっちゅう飲みあるいていた。
それが十年たって、その間にいろんな変化があって、Kは「いい夫」になったのだ。
その変化をつくったものは、K自身であり、のちにKの妻となった彼女だ。

Kは最初から「いい夫になりそうな男」だったわけではない。
K夫妻が「いい夫」をつくりあげたのだ。


「どうやったらKくんみたいな人を見つけられるの」
という質問をした女たちには、ぼくが代わりに答えてあげよう。

「宝くじの結果が出た後で、一億円の当選くじを買えるとおもう?」と。


2019年5月29日水曜日

黙ってついてゆくやつ


Kは中学時代からの友人。
住んでいるところも仕事もぜんぜんちがうけれど、今でも年に数回は会う。

Kはよくなにかのイベントに誘ってくれる。
それも変わったイベントばかり。

「フランス文学者と精神科医のトークイベントがあるんだけど行かへん?」とか
「昭和歌謡のライブがあるんだけど」とか
「ドヤ街の立ち飲み屋にいってみないか」とか
「ちんどん屋のイベントがあるんやって」とか
「キリスト教の牧師とバーベキューをすることになったから来ない?」とか。

ぼくからすると、まったく興味のないジャンルばかりだ。
でも、他の予定がないかぎりは断らないようにしている。
興味がないジャンルだからこそ、誘われるとうれしい。Kに誘われなければぜったいに知らなかった世界だ。

たのしいことばかりではない。
ちんどん屋のイベントは退屈だった。二度と行かないとおもう。
でもそれがわかっただけでも収穫だ。行ってみなければ、自分はちんどん屋をみてもすぐに飽きるということを知らないままだっただろう。

歳をとると、新しいことに挑戦する意欲が衰える。
慣れ親しんだことをやっているほうが楽だし、新しいことをやるときでも失敗しないように十分調べてからやる。事前に他人の口コミや評価もかんたんに手に入るようになったし。

でもKの誘いに乗るときは、そういうことを何も考えない。
下調べもしない。
ぼくは黙ってついてゆく。
これがたのしい。


KはKで、ぼくのことを「人数があわないときや誰かにドタキャンされたときに誘えばたいていついてきてくれるやつ」として重宝しているらしい。

今後も「黙ってついてゆくやつ」でありつづけたいとおもう。


2019年5月28日火曜日

ダンゴムシ来襲


娘(五歳)と、その友だちSちゃん、Sちゃんの妹Kちゃんといっしょに公園に行った。

Kちゃんがダンゴムシを見つけてつかまえた。
おねえちゃんのSちゃんがうらやましくなったらしく、
「ねえまるぶた(ぼくは保育園児たちからまるぶたと呼ばれている)、ダンゴムシさがして」
とおねだりされた。
若い女性からおねだりされたらノーとはいえない。

Sちゃんといっしょに茂みに入り、「岩の隙間とか落ち葉の下とかにダンゴムシはいるよ」と教え、何匹かつかまえた。

すると、娘が怒りだした。
「Sちゃんにだけダンゴムシをとってあげてずるい!」

いやずるいって君、ダンゴムシやで……。

しょうがないので娘にもダンゴムシの取り方を教える。すると今度はKちゃんが
「Kちゃんもダンゴムシもっといっぱいほしい!」
と泣きだし……。

ダンゴムシをめぐる女の闘い。
しかたなく、なだめすかしながら子どもたちといっしょにダンゴムシを収集した。

しかしアレだね。
ダンゴムシ集めってかんたんだね。

ダンゴムシ集めって虫の採集の中でもいちばんビギナー向けじゃないですか。
こんな捕獲しやすい虫いないでしょ。
どこにでもいるし、歩くのは遅いし、飛ばないし、刺さないし、くさい汁とかも出さないし、硬いから少々乱暴につかんでも平気だし、触感もあまりキモくないし。
虫採集RPGがあったら、フィールドに出て最初に遭遇する虫。昆虫採集界のスライム。
もはや子どもに獲られるために生きているといっても言いすぎではない(いやさすがにそれは言いすぎた)。

ほいほい捕まえてたら、ぜんぶで六十匹ぐらいになった。うへえ。
バケツいっぱいのダンゴムシ。六十匹ってことは足は千本ぐらい。うへえ。

子どもたちはそれを「家で飼いたい!」という。

ぼくも昔はいろんな虫を飼っていたが、とっくにそのころの少年の心は捨ててしまった。虫とは暮らしたくない。

だがこれも教育、とおもい娘に
「三匹だけやで。元気なやつ選び」
と云う。

一方、SちゃんとKちゃんは「ぜんぶ持ってかえる!」と云う。
おいおい。まじかよ。
どうします? と、彼女たちのおばあちゃんを見る(彼女たちは近所に住むおばあちゃんといっしょに公園に来ていた)。

おばあちゃんは「そう。逃げないように気をつけて連れてかえるんやで」とあっさりした返事。
おばあちゃん、自分の家じゃないからって……。
SちゃんとKちゃんのおかあさん、かわいそうに。五十匹以上のダンゴムシが家にやってくるなんて……。



そんなわけでうちにダンゴムシ三匹がやってきた。
虫かごに土と落ち葉と石を入れ、霧吹きで湿り気を与え、餌として野菜くずを入れてやる。
ダンゴムシにはもったいないほどの好待遇だ。

翌朝、娘に
「ダンゴムシ元気かな?」と言ったら
娘「ダンゴムシがどうしたの?」
ぼく「ほら、昨日捕まえたじゃない」
娘「あー。そうだった」
と言ってあわてて虫かごを見にいった。もう忘れとる!

野菜くずがそのまま残っているのを見て
娘「ぜんぜん食べてないやん」
ぼく「昨日入れたとこだもん。ダンゴムシは小さいからすぐにはなくならないよ」
娘「ふーん。つまんない」
とのこと。もう飽きとる!

2019年5月27日月曜日

未開部族だったぼくら


「最近の大学生は二十歳になるまで飲酒禁止。ばれたら停学」
という話を聞いた。

へえ厳しい時代になったねえ、とおもったけど、よく考えたら昔が異常だったのだ。

若い人からしたら信じられないかもしれないけど、ぼくが学生の頃は「大学に入学したら酒を飲まなきゃいけない」時代だった。
「飲んでもいい」じゃない。
「飲まなきゃいけない」だった。

入学式の茶話会、学部の新歓コンパ、サークルの説明会、バイトの歓迎会……。
とにかく飲まされた。
十八歳でも十九歳でも飲めない体質でも関係なかった。
二十歳を超えた先輩、教授、バイトの店長などの"大人"は誰も止めなかった。"大人"が音頭をとって飲ませていた。

つくづく異常な時代だった。
そんなに大昔じゃない。十五年ぐらい前の話だ。


当然ながら死ぬやつもいた。
急性アルコール中毒になったり、酔って交通事故を起こしたり、けがをしたりけがをさせたり。
野蛮な時代だった。なにしろ当時の日本人は未開部族だったのだ。


それが、法律にしたがって二十歳で解禁という風潮になりつつある。
いい時代になったとつくづくおもう。

「十八歳で飲みはじめる」と「二十歳で飲みはじめる」は、危険性がぜんぜんちがうんじゃないかとおもう。

十八歳だと「大学でもバイト先でもサークル内でもいちばん下っ端」ということが多いだろう。
ほんとは飲みたくないとおもっていても、勧められたら断りにくい立場だ。

二十歳であれば中堅ポジション。ノーと言いやすい。

しかも十八歳から二十歳まで「酒を飲まずにコンパに参加する」という二年間を経ている。
飲酒が人にどういう影響を与えるのかを冷静に観察することができる。
これは大きい。
ぼくは大学に入ってほぼはじめて「たちの悪い酔っ払い」を目の当たりにした。周囲に酒癖の悪い人間はいなかったから。
「たちの悪い酔っ払い」を観察しておくことは、いざ自分が飲むときのブレーキとして機能するだろう。

「二十歳になるまで飲酒禁止」ルールを厳密に適用することで飲酒による事故やトラブルは大きく減るだろうな。知らんけど。