2018年2月17日土曜日

ブログ、よろしおすねや


個人ブログって好き。書くのも好きだし、読むのも好き。

でも悲しいことにブログを書いてる人は少なくなってる。

ブログがいちばん流行ったのって2005年頃ですかね。日常的にインターネットやってる人の半分くらいの人はブログ持ってたんじゃないかって印象。高すぎるかな。でもそれぐらいの印象。じっさい、二割以上はやってたんじゃないでしょうかね。

その後mixiとかTwitterとかFacebookとかが流行って、もっと手軽にものを発信できるSNSにみんな移行していった。

ぼくが昔読んでいたブログはほとんど残っていない。でももっと読みたい。「これは!」と思うブログをRSSリーダーに入れて(こういうのやってる人も今はあんまりいないんだろうなあ)読んでいるのに、いつしか更新されなくなってしまう。悲しい。


もっとみんな書いてよ。

好きなブログがいくつかあるけど、その大半はほとんど更新していない。

一時は毎日のように書いていた人も、今ではほとんど書いてない。

だから書いてくれ。書くのが嫌いな人にまで書けとは言わないけど、書くのが好きな人は書いてくれ。

なんで書くのをやめちゃったの?




おもしろい文章が書けない


って言わはりますけど。そんなんよろしおすねや。

おもしろくなくていいんですよ。こっちは個人ブログにそんなにおもしろいものを求めてないから。

おもしろいものは金出して本買って読むから。

そんなにおもしろくない体験をしていない人のそんなにおもしろくない文章。それが読みたいんだよ。

片思い中の相手がブログ書いてたらぜったい読むでしょ。どんなにクソくだらないこと書いてても、熱心に読むでしょ。三回読み返すでしょ。

ぼくがブログを読みにいくのは、それを書いてる人が好きだから。おもしろくなくても美しい文章じゃなくても、好きな人が書いた文章は読みたい。

今日カレー食ったうまかったみたいな話でいいから、書いてくれ。




読んでくれる人が少ない


年賀状っておもしろくないじゃない。でもみんな読むでしょ。

年賀状嫌いな人は多いけど、それって書くのがめんどくさいだけで、読むのはみんな好きでしょ。

知人から自分宛てに届いた年賀状、読まずに捨てる人います?
いたら怖えから二度と近づかないでくれ。自分宛てに届いた年賀状読まないくせにこんなブログ読みに来てる人がいたら狂ってるとしか思えない。

そんなに親しくない人から来た年賀状、どうせ大したこと書いてないってわかってても一応読むよね。

自分宛てに書かれているから。


だから読者数は多くなくていい。むしろぼくは読者が少なそうなブログを読みたい。

「ぼくが読まなきゃ」って気持ちになるから。自分宛てに書かれているような気がするから。

一年書いて読者数ゼロだったらさすがにやめたほうがいいけど、ひとりでもいるんだったら書いてくれ。

読者数の少ないブログを読みたい人間もいるんだよ。



書いてて手ごたえがない


それはごめん。

ぼくも欠かさず読んでいるブログがいくつかあるけど、いちいちコメントしたりトラックバックしたりしない。ほんとごめんって。

反響ないとモチベーション下がるよね。でも読んでるから。アクセス数1が大反響だと思ってくれ。「あーおもしろかった」って思ってるから。コメントつけたり拡散したりしてないけど。でもまた新しい記事書いたら読みに行くから。


反響なんてあっても疲れない?

ぼくがブログを好きなのは、反響があんまりないからってのもある。

SNSって気軽に「いいね!」がつけられるじゃない。あれ、たしかにうれしいけどそれに振り回されるんだよね。「いいね!」の数に一喜一憂しちゃう。

よく考えたらぼくは書きたいことを書いてるだけで、それに点数をつけてほしいわけじゃない。

「いいね!」はいらないからまた次の記事を読みに来てほしい。

読者数がひとり以上いることがなによりの反響だと思えば、やめる理由にはならない。




このブログなんて、目を見張るようなことも書いてないし読者数も少ないし反響もほとんどないけど、それでも三年間毎日のように書いている。

なにをモチベーションにやってるかって言ったら、自分という熱狂的ファンがいるから。ときどき自分の過去記事を読み返して「やっぱりぼくの書く文章っておもしろいなあ」と思えるから。

書くことのおもしろさは知っているよね。自分の書いたものを読んでもらううれしさは知っているよね。

だったらすぐ書かんかい。放置しているブログを今日から再開せんかい。はよ。


2018年2月16日金曜日

捏造記憶


ぼくのいちばん古い記憶は、「二歳の誕生日を家族に祝ってもらっている」というものだ。

「バースデーケーキを前にして、両親や姉がぼくの誕生日を祝っている」という映像が自分史上最古のものだが、この映像の中にぼくの姿もある。

おかしい。自分の記憶なのに、自分の姿がある。幽体離脱をして外から自分の姿を見ていたのだろうか。

これは、もっと大きくなって見せられた写真をもとに、捏造した記憶だろう。



「二歳のときに入院していた」という記憶もある。

これは事実だ。姉と自転車の二人乗りをしていて、転んで左ひじの骨を折ったのだ。

入院中のあるとき、赤い飴玉を渡された。飴玉をなめていると、それが睡眠薬だったらしく、眠りに落ちてしまった。目が覚めたら手術が終わっていた。


……とずっと思っていたのだが、あるとき母にその話をしたら「そんなわけないじゃない」と言われた。

たしかに二歳の子どもに睡眠薬を飲ませるなんてあぶない。ふつうは全身麻酔をするだろう。また飴玉を睡眠薬にしたら、寝たときにのどに詰まる危険性がある。

よく考えたらいろいろとおかしい。

しかしこれは写真もないし、どこから「赤い飴玉の睡眠薬」という発想が出てきたのか、謎だ。

しかし最近、『ひとまねこざるびょういんへいく』という絵本を見ていると、おさるのジョージが病院で赤い薬をなめて寝てしまうというシーンがあった。

この本、うちにもあった。母に訊くと「あんたが入院していたときに買ったのよ」とのことだった。

なるほど、これだったのか。どうやらおさるの記憶と自分の記憶がごっちゃになっていたらしい。



自分の記憶って、けっこうあてにならないもんだな。

二歳のときだから、ってのもあるけど、もしかしたら二十歳ぐらいの記憶も半分くらい後から捏造しているかもしれない。


2018年2月15日木曜日

ママは猟奇的


ときどき母と本の交換をする。「これ、おもしろかったよ」と自分が読んだ本を交換するのだ。

母はミステリやサスペンスが好きなので、こないだ清水潔『殺人犯はそこにいる』を贈った。
「ノンフィクションだけど、そこらのミステリ小説よりずっと手に汗握る展開だった」と。



一ヶ月後、母に尋ねた。
「『殺人犯はそこにいる』、読んだ? すごい本やったやろ?」

すると母は「途中で読むのやめちゃった」と言う。

「えー!? なんで? あの本を途中でやめられる? ぼくは中盤から一気に読んだけどな」

「いや、ノンフィクションとしてはすごくいい本だと思う。
 でも、孫ができてから、ちっちゃい子がひどい目に遭う話は読めなくなったのよね。
 うちの孫がこんな目に遭ったらと思うとつらすぎて……」

と。

母の変わりように驚いてしまった。

あんなにサスペンスやホラーが好きだった母が。学生時代から『雨月物語』を愛読し、猟奇的な殺人事件もののミステリばかり読んでいた母が。

人間、歳をとると変わるんだねえ。


しかしなによりショックだったのは、「孫ができてからちっちゃい子がひどい目に遭う話はつらすぎて読めない」と言う母が、ぼくが子どものときはそんなことを一言も言っておらず、残虐な物語もよく読んでいたこと。

我が子はええんかい。



2018年2月14日水曜日

【読書感想】桂 米朝『上方落語 桂米朝コレクション〈一〉 四季折々』

『上方落語 桂米朝コレクション〈一〉
四季折々』

桂 米朝

内容(e-honより)
斯界の第一人者で、人間国宝でもある桂米朝演じる上方落語の世界。本人による解説を付し、江戸落語とはひと味もふた味も違う噺を堪能していただく。第一巻「四季折々」は、今はもう失われてしまった季節感、のどやかさの感じられる落語を集める。

落語を聴くのが好きでよく落語を聴きながら寝るのだけど(すぐに眠れるのでおすすめ)、落語を読むのも好きだ。中学校の図書館で落語全集借りて読んでたなあ。

落語は聴くだけではわかりにくいことも多い。読んでから聴くことで理解しやすくなる。邪道といわれるかもしれないけど、読むこともおすすめしたい。


桂米朝さんは噺家としてももちろんだけど、なにより研究者として超一流。
落語の噺って昔は口伝で受け継いでいたから、噺家たちがやらなくなるとすぐに途絶えちゃう。
米朝さんは古い落語を探しまわり、音源があればそれを蒐集し、音源がなければいろんな人から聞いてまわって噺を再現し、それを自分でも高座にかけて後世に残した。さらにこうやってテキストとしても残したわけで、米朝さんが上方落語界に残した功績はとんでもなく大きい。米朝さんがいなければまちがいなく今の上方落語はなかった。
そりゃあ人間国宝にもなるね。

ぼくが米朝さんの噺をはじめて聴いたのは小学生のとき。母が「近くで桂米朝一門会やるから行こう。平日だから学校休んでいいよ」って行って、連れていかれた。
そこで落語のおもしろさを知って、『米朝落語全集』のカセットテープを買ってもらい、夜な夜な聴いていた。

大人になってからは寄席にも行っていろんな噺家の落語を聴いたけど、最高峰から入ってしまったので他の噺家の落語を聴いてもいまいち楽しめず、やはり米朝落語ばかり聴いてしまう。
聴きやすい、品がある、幅が広い、ということでどれだけ聴いても飽きない。

米朝さんは亡くなってしまったのでもう生の噺は聴けないけれど、『桂米朝コレクション』を読んでいると米朝さんの語り口が聞こえてくる気がする。


けんげしゃ茶屋


"けんげしゃ"とは"縁起を気にする人"の意味らしい。
これは読むほうが理解できるな。解説なしでこの噺を聴いたらわからない点だらけだろう。

縁起を気にする人の家に行って、わざと縁起の悪いことばかり言っていやがらせをする、という内容で、ちょっと悪ふざけが過ぎるなという印象。
それでもこれが笑いになるわけだから、人間って昔から俗悪なものが好きなんだなあ。「テレビのバラエティ番組はいじめの構造と一緒」みたいな批判がされるけど、落語にもこういう噺はあるわけで、今も昔もみんな人の嫌がることが好きなんだよ。


 正月丁稚


正月の挨拶まわりに出かけた丁稚が縁起の悪いこと、余計なことばかり言うという噺。
『けんげしゃ茶屋』と似ているけど、嫌なことを言うのが金持ちの旦那ではなく丁稚の子どもなのでこっちのほうが罪がない。
正月の商家の様子や正月行事(門松、おせち、正月用の箸など)の由来がよくわかる噺なので、これは学問的にも後世に残したほうがいい噺だね。


 池田の猪買い


上方落語には「東の旅」「西の旅」「南の旅」「北の旅」という旅ネタシリーズがあり、この噺は稀少な「北の旅」に分類される。
昔の旅といえば東の旅(お伊勢参り)が主流で、わざわざ北に行くことなんてほとんどなかったんだろうね。北といっても池田ってそんなに北じゃないんだけど(現在の行政区分では大阪市のふたつ隣が池田市)。
それぐらいの距離だから、交通機関のなかった昔ですら一泊で行ける距離(がんばれば日帰りでも行けない距離じゃないと思う)。それぐらい北には行かなかったんだろうね。
ま、これは現代でも同じだけどね。大阪の中心地に住んでる人はあんまり北に行かない。

この噺、いきなり「猪が淋病に効くらしいから買いに行く」というド下ネタな導入で、今ではこのくだりは改変されて語られることが多いらしい。そりゃそうだ。
だからこそこうやってテキストに残しておく価値がある。

左へ曲ってちょっと行くと、淀屋橋という橋があるやろ、淀屋橋を渡って大江橋を渡る、と、お初天神という天神さんがあるな。あそこの北門のところに、紅卯というすし屋の看板が見えたあるそれが目印や、そこから一本道まっすぐその道を上がって行きゃええのや、北へ北へと上がって行く、十三の渡し、三国の渡しと、渡しを二つ越える。服部の天神さんというお宮があるな、それを尻目にころして行くと岡町、岡町を抜けたら池田、池田の、街中で聞いてもわからんな、山の手へかかって山漁師の六太夫さんちゅうて聞いたら大阪まで聞こえたある猪撃ちの名人や

と、池田への行きかたを説明するくだりがあるんだけど、ここに出てくる地名、今も全部そのまま残っている。あれは昔からあるのかーと大阪の住人としてはそれだけで楽しめる。お初天神も服部天神もあるしね。さすがに寿司屋と渡しはなくなったけど。

落語って町人のものだから基本的に町中しか出てこないんだけど、これはめずらしくお百姓さんや猟師も出てくる噺でもあって新鮮。個人的に好きな噺。


 貧乏花見


江戸落語では『長屋の花見』という題で語られるが、元々は上方の噺。とにかくばかばかしくて何も考えずに笑えるご陽気なネタ。
上方落語は「ハメモノ」と呼ばれる三味線や鳴り物を使うので、陽気な噺は上方式のほうが聴いてて楽しい。

貧乏長屋の連中がおかずを持ち寄って(ひどいものばかりだが)花見にくりだし、「おさけ」の代わりに「お茶け」を飲み、大暴れするという内容。
笑いどころの多い前半に比べて後半はトーンダウンする上に他人に迷惑をかけるという内容なので、今は途中で終わらせることが多いんだそうな。


 百年目


米朝さんがしきりに「むつかしい(「難しい」の関西弁)噺」と書いているけど、複雑な心中描写が主題となっているのでたしかに演じるのは難しそうだ。

丁稚に小言ばかり言っている厳格な番頭さんがじつは遊び好きで、派手に芸者を引き連れて花見をしているとばったり店の旦那と出くわしてしまう。クビを言い渡されるのではないかとひやひやしていたが旦那から優しい対応をしてもらう――という噺。

人間の多面性がよく描かれていて、人情味もあっていい噺。くりかえし聴くほどにその良さがわかる。これは若い噺家にはなかなか語れないだろうね。
現代の会社にそのまま置き換えても通ずる噺だ。


 愛宕山


大阪でしくじって京都に行かざるをえなくなった幇間(太鼓持ち)が、旦那さんについて愛宕山に登る、という噺。
「大阪出身の幇間が京都人の旦那についている」という設定がいい。

関西の人ならわかると思うけど、今でも京都と大阪の人って互いに相手を下に見ているところがある。大阪は「こっちは商売の中心や」というプライドがあるし、京都は京都で「大阪もんは雅なものを理解できしまへん」と思っている。このへんの感覚は21世紀でもあまり変わっていない。
愛宕山の前半には大阪VS京都の微妙な意地の張り合いがあらわれていて、関西人としてはとてもおもしろい。

ただし前半は当時の金持ち衆の遠出の様子が丁寧に描かれているのに対し、後半は「番傘を開いて谷底へと飛び降りる」「長襦袢を引き裂いてつくった紐を伝って戻ってくる」というめちゃくちゃなストーリー。特に「旦那が小判を谷底へばらまく」というのは、下品で京都人らしくない。
後半はあんまり好きじゃないな。


 千両みかん


商家の若旦那が「夏にみかんを食べたい」と思うあまり寝込んでしまい、番頭がみかんを求めて奔走する噺。ちょっと設定に無理がある。特に年中みかんを食べられるようになった現代においては、自然に設定に入りこめない。

「みかんを持って番頭さんがばっくれる」というサゲはおもしろいのだが、「あんなに若旦那のために苦労していた番頭さんがそんなことするかね」という気がするし、それだったら千両持って逃げるだろうとも思う。いろいろと粗が目立つ噺だ。


 蛇含草


『天狗裁き』とならんで、ぼくがいちばん好きな落語。
星新一のショートショートが好きだからこういう秀逸なサゲの噺が大好きだ。

餅を腹いっぱい食べて苦しくなった男が「うわがみが人間を呑んだ後におなかをすっきりさせるために食べる」といわれている蛇含草を食べたところ――という噺(これだけでも勘のいいひとならオチがわかるだろう)。

切れ味のいいサゲが注目されがちだけど、餅を食べるシーンでの意地の張り合い、腹いっぱいになって苦しんでいてもまだ餅を食べようとする男の卑しさなど、落語らしい人間の浅ましさが描かれているのもいい。


まめだ


これは小学生のときに買ってもらったカセットテープに収録されていたので、何度もくりかえし聴いた。
古くからある噺だと思っていたけど、新作落語なんだね(といっても1966年作だけど)。

膏薬を売って生計を立てている売れない歌舞伎役者。ある日いたずらをする狸を地面に叩きつけてから、膏薬が一日にひとつずつなくなっていくことに気づく……というストーリー。
笑いどころは少ない上に、あまり罪のない狸を殺してしまうかわいそうな噺なので、演者の腕がないとただただ残酷な噺になってしまいそうだ。
サゲの「狸の仲間から、ぎょうさん香典が届いたがな」も、笑えるというよりしんみりしてしまう。


 かけとり


大晦日にツケの請求がやってくるので、相手の好きなものを並べ立ててうまく追いかえす――という噺。

よくできているんだけど、時事ネタなどわかりづらいくだりが多すぎる。力士の名前とか、芝居風の言い回しとか。サゲも、聴くだけだったら意味不明だろう。

ツケで買って月末、年末にまとめて払うという「かけとり」の風習もなくなったし、近いうちに消えゆく落語かもしれないな。


 風の神送り


「風の神送り」とは、インフルエンザなどが流行ったときに「風(風邪)の神様に見立てた人形を川に流す」という風習のこと。明治に入って廃れたそうだ。
こういう何から何まで今とは違う風習を扱った落語は、かえってわかりやすい。まったくべつの世界の話として聴けるから。

話の主軸は、風の神送りをするためにカンパを募る、というくだり。吝嗇な金持ちに悪態をついたり、流行り病のおかげで稼げているやぶ医者が出ししぶったり、さまざまな人間模様が描かれていて興味深い。
特に金持ちのお妾さんと一緒に風呂に入る描写(当時の風呂は混浴だった)は新鮮でおもしろかった。そういえば上方落語には風呂が出てくる噺が少ないな。江戸落語にはけっこうあるみたいなんだけど。

サゲにも使われている「弱身につけこむ風邪の神」ということわざは、まともな医学がなかった当時にしては的確。
ぼくもブラック企業に勤めていて慢性的な睡眠不足だったときはしょっちゅう風邪ひいてたなあ。結局、風邪の予防には十分な睡眠がいちばん効果だよね。「どうしても休めないあなたに」なんて云って風邪薬の宣伝してる現代より、昔の人のほうが正しく理解していたのかもね。


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2018年2月13日火曜日

卵どろぼう


オヴィラプトルという恐竜がいる。名前は「卵どろぼう」という意味だ。


最初に化石が発見されたときにそばに卵の化石もあったため、卵を盗んで食べる恐竜にちがいないと思われてこんな名前になった。

ところが後の調査で、オヴィラプトルの近くにあった卵の中にはオヴィラプトルの子どもがいたことがわかった。つまり彼らは卵を盗んでいたのではなく、自分の卵を温めていたのだ。

しかし「卵どろぼう」の名で定着してしまった彼らは、今もそのまま「オヴィラプトル」という卵どろぼう呼ばわりされている。

ひどい冤罪だ。冤罪が明らかになった今をもってなお、彼らの汚名は雪がれていない。


オヴィラプトル濡れ衣問題は、法治国家の限界を表しているようにも見える。

「疑わしきは罰せず」の原則が無視され、"容疑者"になっただけで犯人扱いされてしまう現実。

法に定まった罰以上に社会的な制裁を課されてしまう実情。

一度汚名を着せられたら、それが濡れ衣であっても永遠に拭えない社会。

こうした社会の危険性に対し、数千万年の時を超えて「卵どろぼう」が警鐘を鳴らしている。