2015年6月5日金曜日

オチを先にいっちゃう

以下、作品の結末に関する重要なネタバレがあります。

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タイトル:耳なし芳一




 

2015年6月4日木曜日

山本昌の完封勝利

新しい携帯電話で
「やまも」まで入力すると、
検索候補に
「山本」よりも先に「山本昌」が出てきた。

すごいなさすが大投手。
山本はかなり多い苗字なのに、たったひとりで他の全・山本を上回るなんて。

2015年6月3日水曜日

守るアプリ

胸に入れていたスマートフォンが、銃弾と凶刃からぼくの命を守ってくれた。

入れててよかった防弾アプリ!!

2015年6月2日火曜日

バレエダンサーかAV女優

特技と呼べるものがあるとしたらただひとつ、身体が柔らかいことだけだ。

前屈で手のひらを地面にべったりつけることができるし、脚を180度開脚して胸を地につけることができる。

たまにこの特技を人前で披露することがある(ズボンのお尻が破けるのでゆったりしたズボンのときだけだが)。
たいていの人は「うわっ、すごい!」といった驚きの反応を見せてくれるが、中には、
「で、それが何の役に立つの?」
なんて言葉を吐いたりする。

自分でやろうともせずに他人を否定することはたやすい。
深く考えもせずに「何の役に立つの?」なんて言う人間には、こう言ってやりたい。

「そう、何の役にも立たないんですよ」


 本当に、少しも役にも立たない。まじでまじで。
『金田一少年の事件簿』に、ズボンのポケットに入っていたほこりを使って火をつけるシーンがあった。
だからぼくの身体が柔らかいことは、ポケットのほこりよりも役に立たない。身体が柔らかくても火はつかない。

もしぼくが体操選手やバレエダンサーだったら、身体が柔らかいことはプラスにはたらいただろう。
また、もしぼくがAV女優だったなら、そういうジャンルの作品に出演することができて、仕事につながっただろう(女性の方には信じられないかもしれないが、ほんとにAVには『軟体もの』というジャンルが存在するのだ)。

でもぼくの柔軟性は1円にもならない。
こないだ整体師と話したときに
「ぼく、すごく身体が柔らかいんですよ。でも何の役にも立たないんですけどね」
と云ってみたら
「でしょうね」
と一蹴された。
人体を知りつくした整体師から太鼓判を押されるほどの役立たずなのだ。


しかしぼくはまだ、この柔らかさを活かすことをあきらめたわけではない。
あきらめてはいけない。
『SLAM DUNK』の安西先生も言っているではないか。
「シュート2万本です」と(そっちかい)。

ある種の鳥は、羽の色鮮やかさで異性を惹きつけるかどうかが決まるという。
またある種の昆虫は、大きな声で鳴く個体に魅力を感じるのだという。

だからぼくは期待する。
死んだ後、身体の柔らかいやつほどモテる生き物にうまれかわることを。

そのためには、この柔軟性を死後の世界へと引き継がなければならない。


だからお願いです。ぼくが死んだら脚を180度開脚した状態で棺おけに入れてください!

ぼくは柔軟性を墓場まで持っていくつもりなんです!

2015年6月1日月曜日

教師の呼称

中高生の頃、教師のことを(本人がいないところで)どう呼んでいたか。

・好きな教師、尊敬できる教師
→さん付け、または愛称

・嫌いな教師、軽蔑する教師
→呼び捨て、または蔑称

・どちらでもない教師、よく知らない教師
→○○先生

ぼくの場合はおおむねこんな感じだった。

つまり、「先生」という呼び方は敬称だとされているけれど、実際には単なる記号でしかなかった。
「民衆」とか「外人さん」とかと同じように、顔の見えない人を指す言葉なのだ。

       
だから「先生」と呼ばれたからといって、誇らしく思ったり、照れくさく感じたりする必要はない。
「あなたという個人には興味がありません」と言われているだけなのだから。