2016年4月10日日曜日

【エッセイ】入浴裁判


二十歳ぐらいのころ、肺に穴が開いて入院したことがある。

片方の肺には穴が開いたがもう片方は無事だった。
咳は出たが熱も痛みもなく、さほど苦しい思いはしなかった。
ただ、肺から漏れた空気が胸の中にたまってしまうのを防ぐために胸にチューブをつながれたのだが、これは不自由した。

チューブの先は小さなポリタンクにつながっており、どこへ行くにもポリタンクと一緒に移動しなければならない。
立ったり歩いたりするときは常にポリタンクを支えていないとはずれそうなので、片手が使えないのは不便だった。



そんなとき、若い看護師さんが訊いてきた。
「お風呂どうされますか?」

「あー。片手が使えないしチューブにつながってるから身体を洗うのがたいへんそうですよねー。シャワーで汗を流すぐらいにしときます」

「よかったら身体洗うの手伝いましょうか?」


えっ!?

思わぬ一言に、ぼくの頭は真っ白になってしまった。
なにしろ若い女性から「身体を洗いましょうか?」なんて、二十歳のころのぼくは、一度も言われたことがなかったのだから。
ていうか今もない。


身体を洗ってもらうということは、ここここれはつまり、いいいいいっしょにお風呂に入るってことですよね!
ということはつまり、ななななんらかの過ちが起こってしまってもいいいいいいたしかたないということですよね!

なんらかの過ちが起こったとしても、
「被告乙がかのような行動にいたってしまったのは当人の責に帰すべき事由には該当しない」
ってな判例が下るやつですよね、裁判長!


という考えももちろん脳裏をよぎったのだが、ぼくはすっかりびびってしまって
「裸を見られる。恥ずかしい」
ということを先に考えてしまい、
「いや、ひとりで大丈夫です!」
と即答してしまったのだ(実際にはそのコンマ数秒のうちにものすごい妄想をくりひろげていたわけだが)。


ああもうほんとあの瞬間に戻れるなら、自分をこちょばしてやりたい(やっぱりわが身はかわいいから殴ったりはできない)。

合法的に、ほぼ初対面の素人女性といっしょにお風呂に入れるチャンスだったのに!

次にこんなチャンスがくるのはきっと八十を過ぎてからだぞ、おい!

2016年4月7日木曜日

【エッセイ】レーシック手術のにおい

何年か前にレーシック手術をした。
無事に成功して、メガネなしではトイレにも行けなかったぼくが、今では裸眼で生活している。


メガネやコンタクトレンズから解放されると、ちょっとしたことがすごくありがたい。

メガネはほんと不便だ。
小雨で傘がないときに、メガネが濡れるのを防ぐためにうつむいて歩かなきゃいけない。
寒い日に暖房の利いた屋内に入ると曇って何も見えなくなる。
メガネが曇るからマスクがつけられない。花粉症なのに。
コンタクトレンズは眼がかゆいし。
美容師から「これぐらいでどうでしょう?」と聞かれても鏡に写った自分がまったく見えないから適当にうなずくしかない。

ほんと不便。

しかし、今挙げたことはどれも些細な問題だ。
ぼくが視力が悪いことでいちばん不便を感じたのは、せっかくプールに行っても水着の女性がまったく見えないということだった。


しかしそんな悲劇からは、レーシック手術によって解放された。
今は裸眼で車の運転もできるし、もちろんプールでもばっちりよく見える。

手術代として十数万円かかったが、手術をしてほんとうに良かったと思う。

でも。
ぼくは、他人に「レーシック手術いいよ」と勧めたことは一度もない。
自分がやって良かったが、人にはおすすめしない。

なぜなら。
手術のとき、レーザーで眼球を焼くから。
自分の眼球が焼けるこげくさいにおいを嗅ぐことになるから。
焼けた眼球に目薬をさしたときに、熱々のフライパンに水を落としたときと同じ「ジュワッ!」という音を己の瞳から聞くことになるから。

あれはほんと怖かった。
ほんとあれでぼくの寿命が5年は縮んだと思うから、他人には勧めない。

2016年4月6日水曜日

【読書感想文】筒井康隆 『旅のラゴス』

内容(「BOOK」データベースより)

北から南へ、そして南から北へ。突然高度な文明を失った代償として、人びとが超能力を獲得しだした「この世界」で、ひたすら旅を続ける男ラゴス。集団転移、壁抜けなどの体験を繰り返し、二度も奴隷の身に落とされながら、生涯をかけて旅をするラゴスの目的は何か?異空間と異時間がクロスする不思議な物語世界に人間の一生と文明の消長をかっちりと構築した爽快な連作長編。

久しぶりに読んだなあ、筒井康隆。
中学生のときにはよく読んだのだけれど、初期の暴力的で疾走感のあるSFから、難解で思索的な“文学”になったのに辟易していつしか手に取らなくなった。

で、10年ぶりぐらいに読んだのだけれど『旅のラゴス』はおもしろかった。
そして筒井康隆らしくない小説だった。
というと筒井康隆がおもしろくないみたいだけど、そういうことではないよ。

一般的に小説家を形容する言葉といえば「文豪」だったり「巨匠」だったり「天才」だったり「女王」だったりするけど、筒井康隆の場合は「奇才」もしくは「鬼才」だ。
それだけ独自路線を突き進んできたということなんだろうけど、どうも「奇才」がひとり歩きしているきらいがある。
ファンは筒井康隆に「奇才」らしい小説を期待して、筒井康隆もまたそれに応えようとして実験的な小説を次々に生み出していった。
その結果、コアなファン以外はどんどん取り残されていき、一部の熱狂的ファンだけに支えられる作家になってしまったように思う。


『旅のラゴス』の話に戻るけど、いい小説でした。
つまんない感想だけど、「いい小説」としか言いようがない。いい小説ってのはそういうもんだね。

異世界を部隊にしたSFファンタジーなんだけど、細部まできっちり書き込まれている。かといって「こんな細かいとこまで考えてるんでっせ。どやっ!」という押しつけがましさはない。
登場人物には血肉が通っていて 、けれど必要以上に感情移入しすぎてもいない。
ほどほどに刺激的で、ほどほどに叙情的。
すべてがちょうどいい。

アイロニカルな視点もこめられていて、寓話としても楽しめる。

ただラストだけがちょっと不満。
あまりにも唐突に終わってしまうのが残念。

ま、裏を返せば、もっと読みたかったいい小説だったということでもあるんですが。


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2016年4月4日月曜日

【思いつき】五穀米がつん!

やめてくれ。
ラーメン屋で「コラーゲンたっぷりでヘルシー」とか書くのはやめてくれ。

こっちは不健康なうまいラーメンを食べたくてラーメン屋に来てるんだ。
健康を求めるならそもそもラーメン屋になんぞ来てないから。

健康の押しつけは暴力だと自覚してくれ。


そっちがその気なら、こっちだって、マクロビオティックなんたらの女子が好きそうな五穀米ランチに
「胃袋にがつんとくる濃厚な旨さ!」
って書いてやるからな!

2016年4月3日日曜日

【エッセイ】墓石転倒率


地震の震度を測るための指標のひとつに
「墓石がどれだけ倒れたか」
というものがあるらしい。

住居だと素材も構造も大きさも形状もまちまちだから、小さい揺れで倒れる家もあれば、大地震にも耐える家もある。
その点、墓だと日本中どこでもだいたい同じ素材・同じ大きさ・同じ形だから、揺れの比較がしやすい。
また、住居だと「これは半壊か全壊か微妙なところだな……」というケースもあって観測者によって判断が異なったりするが、墓石が倒れたかどうかは誰が見ても明らかなので、観測者によるぶれも小さいのだという。


なるほどー。
理にかなっている。
反論の余地もない。

しかし「墓をデータとして扱う」ってなんかふしぎな感覚だ。
ぼくは不謹慎な人間なので平気だが、やっぱり眉をひそめる人もいるんじゃないだろうか。

「墓石倒壊率67%でした」とか言うことに抵抗を感じるんじゃないか。
「東大合格率75%!」とか「お客様満足度97%!」みたいな扱いでいいのか。
ま、いいんだけど。



しょせん墓石なんてただの石の塊だとはわかってるけど、でもやっぱり、その下に埋まっている死人のことが頭によぎっちゃう。




えー、アルバイトのみなさん。
今日はお暑いなか、墓地までお越しいただいてありがとうございます。

わたくし、大学で地震の研究をしております。
その研究のため、みなさんには墓石の倒壊率を計測していただきたく思います。

右手のカウンターで、全部の墓石の数をかぞえてください。
左手のカウンターで、そのうち倒れている墓石の数をかぞえてください。
端までかぞえたら、私のところに数を報告してください。集計はこちらでやります。

以上です。
かんたんですね。
なにか質問はありますか?


はい、そこの方。

はあはあ、倒れてる墓石はどうしたらいいか、ですか。
それはそのままにしておいてください。
なんだかかわいそうな気もしますけどね。
今回はあくまで計測が目的なので。
へたにいじって、場所がおかしくなってもいけませんしね。


はい、あなた。

なるほど、隣のお墓にもたれかかっているお墓をカウントするかですか。
それは、倒れているものとしてカウントしてください。
死んでまで、誰かを支えようとする人もいるんですね。立派ですね。
ドミノだったら「なんで倒れないんだよ!」つってがっかりされちゃうやつですけどね。


はい、そこの方。質問どうぞ。

はあ。
地震で家が倒れて亡くなったの人のお墓が倒れた場合は、倒壊率200%になるんでしょうか、ですか。
そんなわけないでしょ。


はい、もう一度あなた。

地震で家が倒れた人の墓石が倒れて、その墓石の下敷きになって死んだ人の墓が倒れなかった場合はどうするか、ですか?

あなた、お墓の事情について考えすぎですよ。
ただ墓石が倒れているかどうかだけ気にしていたらいいんです。


はい、もう一度あなた。

はい?
墓石が倒れて、その下から死んだはずの人が息をふきかえして出てきた場合はそもそも墓と定義することはできないんじゃないか、ですか……?

その場合はですね……。
すぐに救急車を呼んでください!