2016年2月7日日曜日

【ふまじめな考察】妖怪の意味について考える

妖怪の「意味」について考えてみる。

妖怪が実際に存在するとしても、想像の産物だとしても、妖怪を思い描いて他人に伝承するときには、その人の意図が介入する。
人は事実をそのまま伝えることが苦手だから、必ず「解釈」や「願望」や「恐怖」が投影されているはずだ。


■ こなきじじい
ものの本によると、山の中で赤子に化けて泣き、旅人がおんぶをすると石のように重くなり、ときには旅人を死に至らしめる妖怪だという。
旅人の親切心につけこんだずいぶん非道な妖怪だが、これも「意味」を考えれば理解できる。
かつてはどの家も貧しかったから、口減らしのために赤子を捨てることもあったにちがいない。だが、捨てられている赤子がかわいそうだからといって連れてかえっていたら、家計を圧迫することになり、場合によっては一家全員が食っていけなくなる。
「捨てられている赤子はかわいそうだけど、拾ってやるわけにはいかない」という慚愧の想いが、「あれはこなきじじいだから拾わなくてもかまわない」といって自己を正当化するための妖怪を創りだしたのではないだろうか。


■ ぬりかべ
ものの本によると、歩いていると目の前に突然大きな壁が現れ、通せんぼをするのだとか。それがぬりかべで、押しても引いても先に進めなくなってしまうらしい。
これはやはり、君子危うきに近寄らず、というような意味がこめられているのだと思う。
人生においてさまざまな試練(=壁)が立ちはだかることがある。そんなときは無理に乗り越えたりせず、早々に諦めて引き返すべきだという教えだろう。
昔は、試練に挑戦する者の大半が命を落としていただろうから。


■ あかなめ
ものの本によると、風呂にたまった垢をなめる妖怪だという。


この妖怪は「風呂はきれいに掃除しましょう」という教訓によって生みだされたものだと考えられる。

現代人であるぼくらは「風呂をきれいにしてないとカビが生えるよ」と聞かされているが、それと同じようなものだ。

なにしろカビを見たことはあるが、実際にカビが悪さをするところは目にしたことがない。
カビはおなかをこわしたり病気になったりする原因だとされているが、はたしてほんとうだろうか。

「カビが生えてるパンを食べたからおなかをこわしたんだよ」
「目に砂が入ったのは砂かけばばあのしわざだよ」
いったいどれほどのちがいがあるのだろう。

カビやウイルスや複雑な家庭事情は、人に害を与えるとされている、現代の妖怪だといえるね。

2016年2月5日金曜日

【ふまじめな考察】女性が速球派投手になる日

女の人が髪を切ったことには、まあ気がつかない。

そもそも女の散髪前後の変化率ときたらマジカル頭脳パワーのまちがいさがし頭脳指数200の問題かってぐらい些細なもんだから、ストーカーでもないかぎり気がつくわけがない。
そんな類い希なる注意力持ってたらとっくに青山剛昌にマンガ化してもらっとるわ!

そんなわけだから、女が髪を切ろうが彼氏との縁を切ろうが、さっぱりわからない。
でも世の中には女性の微妙な変化にいともカンタンに気づく男がいる。
すぐ「化粧品変えた?」とか「新しいカバンだね」とか言っちゃう男。

あーやだやだ。

まあだいたいいけ好かない男ですよ、そういう手合いは。
そんでうらやましいわけですよ、正味な話。
だってね。モテるもん、細かいところに目がいくマメな男は。

そりゃそうだよね。
自分に興味をもたれて悪い気はしないよね。

ぼくなんか、自慢じゃないけど会社で毎日顔をあわせている人がパーマあてたことにも気がつかなかったからね。
ある日帰宅したら妻がスプーンおばさんみたいに縮んじゃってたとしてもしばらく気づかない可能性あるよね。あれそんなサイズだったっけ、まいっか先に寝るわ、なんつって。



そんなぼくだけど、女性を見ていて唯一気づく変化がある。
それは「太った」ということ。
よく会う人だろうと、久しぶりに会った人だろうと、なぜかこれだけはわかる。
「あ、あの人太ったな」

どうして太ったことだけわかるんだろう。
はじめは、ぼくが女の人の身体ばかりエロい眼で見ているからかなと思った。
でも、不思議なことに痩せたことはわからない。
人間だから太ることもあれば痩せることもあるだろうに、ぼくが気づくのは太ったときだけ。
どうして痩せたことには気がつかないんだろう。あんなにエロい眼で身体を見ているのに。

太ったことに気づくのだってひとつの才能だけど、問題はそれを披露する場がないってこと。
なぜなら、聡明なぼくは知っているから。
「最近太ったでしょ」は、言わないほうがいいやつだってことを。

そんなわけで、女性の膨張に気づいても口には出さないことにしている。
胸の内でそっと「あ、太ったな」と思うだけ。

だけど。

言いたい。
せっかく気がついたんだもの。
“細かいところに目がいくマメな男”になってみたい。

言ったらどうなるんだろ。
やっぱり嫌われちゃうんだろうな。
だけど案外「気づいた?よく見てくれてんのねー」なんて喜ばれたりして。

言っちゃまずい。でも言いたい。
ずっと葛藤していたのだが、最近ひょんなことから答えが見つかった。



同僚のマナベくんが、隣の席のミサトさんにこう云ったのだ。
「こないだ1年くらい前の写真見てたんですけど、ミサトさん痩せてましたねー!」

横で聞いていたぼくは、思わずあっと声をあげそうになった。

これはやばいのでは……。

そっとミサトさんの顔色を伺うと、案の定顔がひきつっている。
一方のマナベくんはというと、まったく悪びれる様子がない。
むしろ、良いこと言った!ぐらいの表情だ。
どうやら彼は褒め言葉のつもりで「痩せてましたね」と発したらしい。

ぼくは叫びたかった。

マナベくんっ!
それたぶんあかんやつやで!
褒めてるようで実は今のミサトさんを貶めてるで!


 
ぼくには、マナベくんの発言を嗤うことができない。
だってぼくも、状況によっては同じような失言をしてしまいそうだから。

そしてマナベくんの貴い犠牲により、ぼくは学んだ。
やはり、女性に対して体重のことをあれこれ言うべきではない。
そういうのは、ジローラモか光源氏に任せておくべきことで、ぼくやマナベくんみたいな気の利かない男が体重の話題に触れるのは、イスラム国に行ってコーランについての見解を述べるぐらい危なっかしいことなのだ。

やはり「太ったね」と口にするのはやめて、「速球派投手っぽくなってきましたね」ぐらいの言い回しにとどめておくことにしよう。


2016年2月4日木曜日

【エッセイ】伝説2世

ヒポグリフという生物がいるんだとか。
といっても実在しているわけではなく、伝説上の生物なんだとか。

調べてみると、グリフォンと馬の間に生まれた生き物がヒポグリフなんだとか。
グリフォンってなんじゃいと思って調べてみると、鷲の頭と羽を持ち、獅子の胴体を持つという伝説の生き物なんだとか。

想像上の生き物から生まれた想像上の生き物……。
想像が過ぎる……。
もうオリジナルほとんど残ってないじゃないか……。


この感覚、どこかで味わったことがある。

あれだ。
ペルーの元大統領がフジモリさんだと聞いて親近感を覚えたけど、よくよく聞いたら日系3世で本人は日本語もまったく知らないって知ったときの感覚だ。


2016年2月3日水曜日

【エッセイ】20%のよこしまな感情

同僚の女性が言っていた。
「わたしが前いた会社、結婚してる男の人はみんな愛人がいたんですよ」

翌日、また別の人から聞いた。
「こないだテレビでやってたんですけど、80パーセント以上の既婚男性が不倫をしたことがあるんですって」

なんてこった。
こうしちゃおれん。

恥ずかしながら、ぼくには愛人がいない。ただのひとりも。
いってみればチェリー。チェリー・ハズバンド。

知らない間に自分が『出遅れている20パーセント』に入っていたなんて。周りに流されがちな日本人のひとりとして、このムーヴメントにはぜひとも乗っておきたいところ。
お金ならある! 月に4,000円までなら出す!

今からでも遅くはない。やなせたかしが『アンパンマン』を発表したのは50歳のときだもん。
やなせ先生、勇気をありがとう!

しかし愛人ってどうやって募集するんだろう。
80パーセントの既婚男性はどうやって募集したんだろう。
街ゆく女性に「ねえ君、愛人にならない?」と声をかけるとか?
そんないかがわしいこと、人見知りのぼくにはできない。

どっかに求人広告を載せるのかな。
リクルートあたりが愛人情報専門のフリーペーパーとか出して駅に置いてそうだな。
それともあれかな。
『Oggi』『25ans』みたいな満たされない女が読んでそうな雑誌にそういうコーナーがあるのかな。ぼくが知らないだけで。


誰か、愛人を紹介してくれる人を紹介してください!

2016年2月2日火曜日

【エッセイ】オール・フォア・お茶漬け

予兆はいくつもあった。

周囲の居酒屋がどこも満席なのにその店だけ空いていたし、さほど客が多いわけでもないのにおしぼりを持ってくるのがやけに遅かったし、やっと現れた店員はものすごく愛想が悪くて化粧の濃いねえちゃんだったし。

「なんかこの店やばそうだな」
ぼくと友人はひそひそと話した。
しかし席に着いてしまった以上は注文せずに店を出るわけにはいかない。それに腹もへっている。
「一杯だけ飲んで、次の店に行こうか」

ということで我々は、ビールを一杯ずつとフライドポテトとお茶漬けを頼んだ。
最小限のつまみと、ふつうは締めに頼むお茶漬けをいきなり注文するという、早期撤退ムードを全面に出したオーダーだ。
これなら大丈夫だろうと我々は思った。
この注文なら、どんな店だろうとまちがいない。

ところが。
ときに現実は、想像をはるかに凌いでくるものだと我々は思い知らされた。

まずビールがぬるかった。
まあこれぐらいは想像の範囲内だ。
付き出しの枝豆が、冷凍していたのだろう、水っぽい。
これもたまにあることだ。

次に、フライドポテトがしょっぱすぎた。
このへんで「思っていた以上にやばい店だな……」と、ぼくらはささやきあっていた。
「冷凍食品をレンジでチンしただけでももっとおいしいけどな」
いつもならなんでもうまいうまいと云って食べる友人が、首をかしげた。

そして。
お茶漬けがまずかった。

ぼくは、腹立たしさを通りこして、思わず笑ってしまった。
ちょっとした感動さえおぼえた。

だって。だって。
お茶漬けがまずいんだよ?

みなさんに訊きたい。
みなさんは生まれてこのかた「まずいお茶漬け」を食べたことありますか!?

ないでしょう?
そうでしょう。そりゃそうでしょう。
だってお茶漬けだもの。
ご飯にお茶をかけるだけだもの。
ご飯はあったかくてもいいし、冷えててもそれはそれでうまい。
かけるお茶だって、熱くてもぬるくても成立する。
それがお茶漬けという料理だ。
まずくなりようがない。
失敗のしようがない(せいぜいお茶をこぼすぐらいだ)。

ところが。
ぼくらが食べたお茶漬けはまずかったのだ。
奇跡としか言いようがない。

勝手にわさびはお茶に溶かれてるし、しかもわさび多すぎだし、お茶っ葉がぷかぷか浮いてるし、ご飯は芯が残ってるし、お茶はこぼれてるし(失敗の基本もちゃんと押さえてる)、ふた口と食べられるような代物ではなかった。

お茶漬けのすべての要素が、失敗という目標に向かって一丸となっている。
すごい。
ワンフォアオール、オールフォアワン。
ノーサイド(お茶とわさびの垣根がなさすぎるという意味で)。

現代技術の粋を集めてまずいお茶漬けを作りました、というようなハイスペックなまずいお茶漬けなのだ。
日本の技術って、もうこんなところまで進んでいたのか……!