同僚にA田さんという未婚女性がいる。
そこそこの美人なのだが、常に「彼氏が欲しい」と嘆いている。
「誰か紹介して。収入があって借金と前科がない人」と。
そんなA田女史と話していたときのこと。
ぼくが自分でハンカチにアイロンをあてるという話をすると「えー!キモい」と云われた。
「マメすぎる。女の子みたい」だというのだ。
これには驚いた。マメなんて云われたのははじめただ。
自慢じゃないが、ぼくほどガサツな人間はいないと思っている。
嘘だと思うなら、ぼくを自宅に招待してデニッシュを食べさせてみるといい。足下にこぼれまくったデニッシュにうんざりしてカーペットを買い替えるだろうから。
「じゃあA田さんはハンカチにアイロンあてないんですか」
「あたし? あたしはハンカチ持ってない」
「えー!? じゃあトイレに行ったときはどうしてるんですか」
「ジェットの力で吹き飛ばしてもらう」
「ハンドドライヤーがないトイレもあるでしょ」
「そういうときは服でごしごしするしかないよね」
「男子小学生か」
「だってね。女の人の服にはポケットがないの。だからカバンにハンカチを入れるでしょ。手を洗ったあとに濡れた手でカバンの中をあちこちさぐるでしょ。カバンの中がびしょびしょになっちゃうでしょ。ほら」
「ほら、じゃないですよ。あちこちさぐらなくてもハンカチくらいすぐ出せるでしょ」
「あたしのカバンの中はものがぐちゃぐちゃに入ってるからすぐに出てこないの!」
「……」
ここでA田さん、ひらめいた。
「あ、そっか! ものが多いわりにカバンが小さいからぐちゃぐちゃになるのか! 大きなカバンを買えばいいんだな」
「いやたぶんそういう問題じゃな……」
「あー解決したー!」
「……」
ぼくは自分のことを相当ガサツな人間だと思っていたが、まだまだひよっこだということを思い知らされた。
ちなみにA田女史の最近の悩みは
「食べ物じゃない物もついつい冷蔵庫に入れてしまうので、食べ物の入るスペースがなくなってきた」ことだそうだ。
2015年8月20日木曜日
2015年8月19日水曜日
彼氏と彼女の問題
友人に彼女ができた。
「どうなん? うまくいってるの?」
と聞くと、
「うーん……。まあいろいろたいへんやな……」
と、微妙な反応。
「どうしたん?」
「彼女、ちょっと難しいところがあるっていうかさ……」
「たとえば?」
「潔癖症気味でさ、手をつなぐのも抵抗があるみたいなんだよね……」
「そっか。それはたいへんやなー」
「あとすごい猫舌なんだよね……」
「それはべつにええやろ」
「どうなん? うまくいってるの?」
と聞くと、
「うーん……。まあいろいろたいへんやな……」
と、微妙な反応。
「どうしたん?」
「彼女、ちょっと難しいところがあるっていうかさ……」
「たとえば?」
「潔癖症気味でさ、手をつなぐのも抵抗があるみたいなんだよね……」
「そっか。それはたいへんやなー」
「あとすごい猫舌なんだよね……」
「それはべつにええやろ」
2015年8月18日火曜日
【読書感想】首藤 瓜於『脳男』
『脳男』
首藤 瓜於
この“心を持たない男”、何かに似ているなと思ったら『羊たちの沈黙』のレクター博士だ。図抜けた知能、常軌を逸した行動、法の枠を軽々と飛び越える独自の倫理観、そして悪人(凡人の価値観に照らせば)なのになぜか憎めない存在。
まちがいなくレクター博士の影響を大きく受けているに違いない。実際、この脳男というキャラクターは魅力的だ。
にもかかわらず『脳男』が『羊たち』に比べて小粒な印象を受けるのは、 キャラクターの造形にページをかけすぎた結果、肝心の脳男の活躍が少なすぎるからだ。
前半は脳男の説明に終始してしまい、 いよいよその能力を発揮するのは物語が八割すぎてから。やっと脳男に魅力を感じたころには物語が終わっている。おまけに説明に時間をかけすぎたことで、脳男の“得体の知れなさ”は薄れてしまっている。人が誰かに興味を持つのは「わからないから」なのに、脳男は説明されすぎている。
とはいえ、“心を持たない男”という存在はすばらしい発明で、現実味のない会話、やたらと凝りすぎたために読みづらくなってしまっている固有名詞などの欠点をさしひいても十分に読む人を惹きつける。
同じキャラクターが出てくる『指し手の顔』という続編があるらしいが、どうもこの『脳男』はその作品のためのプロローグになってしまったという印象。
謎解きの妙やカタルシスは得られないが、もやっとした不快な読後感はクセになりそう。
ま、説明が長くて疲れてしまったので当分続編は読まんけど。
その他の読書感想文はこちら
2015年8月17日月曜日
2015年8月16日日曜日
妻の熱と夫の行動 その2
妻に続いて娘も高熱を出したので、妻を家に残し、娘を近くのクリニックに連れていった。
担当のお医者さんがびっくりするぐらい若くてきれいな女医先生だったので、ぼくはただちに
『妻が若い男をつくって出ていってしまい、幼い娘と残されたあわれな中年男』
を演じることにした。
美人先生の同情を誘うためである。
幸い、娘はただの風邪だった。
家に帰るとちょうどお昼どきだったので、昼ご飯はかんたんに済まそうと思い、うどんを二人前茹でた。
さあうどんを食おうと箸を手にした。
ふと、背後に人の気配を感じる。
振り向くと、後ろに妻が立っていた。
ぼくはたいへん驚いた。
なにに驚いたかって、なんとぼくはその瞬間、
自 分 に 妻 が い る こ と を 完 全 に 忘 れ て い た の だ 。
自分でも信じられないことだが『妻に逃げられた中年男』を演じているうちに、すっかり役に入りこんでしまい、ずっと前から娘と二人暮らしだったような気がしていたのだ。
千の仮面を持つ少女である北島マヤがはじめてベスの役を演じたとき、舞台が終わってからもしばらく自分がベスであるような感覚に陥っていた。
ベスの仮面を急には脱ぐことができなかったからだ。
ぼくの場合もちょうど同じで、役に入ったままになっていた。
おそろしい子!
結婚して3年以上経つにもかかわらず。
ぼくは病気で寝ている妻の存在を忘れ、まったく無意識に自分と娘の分だけのうどんを茹でていたのである。
己の行動にぞっとした。
そして、妻の分のうどんを茹でなかった夫に対して妻が与える刑罰を想像して、さらにもう一度ぞっとした。
しかしすぐさま機転を利かせ、
「うどん茹でたから食べや。あ、いいよいいよ。
ぼくは冷蔵庫の残り物でええから」
と『よくできた夫』の仮面を咄嗟にかぶってみせたのは、今シーズン最高のファインプレーといっていいだろう。
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