2017年4月17日月曜日

書店が衰退しない可能性もあった

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とある本に「人は、自分が通ってきた道に厳しい」という言葉があった。
妊婦や子育て世代に対していちばん厳しいのは、少し前にそれを経験した40代女性なのだとか。

ぼくは本屋で働いていたので、本屋には厳しい。出版業界に厳しい。
「このままじゃAmazonにやられて町の本屋がつぶれる!」なんて声を耳にすると「つぶれるのもしょうがないよね」と思う。
  • 目当ての本があるかどうかわからない
  • 注文してもいつ入荷するのかわからない
  • 傷んでいることが多い
こういう欠点があると、本好きな人ほどリアル書店を離れてAmazonに行きたくなる。

リアル店舗のメリットしては「立ち読みできる」ぐらいだけど、たいていの書店では漫画は立ち読みできないし、今ではオンラインである程度内容が確認できることが多い。


こうした問題が改善されることはないだろうし、Amazonはどんどん進化していくだろうから、リアル書店がつぶれていくのは避けられない。

それ自体は誰が悪いわけでもない。
どんな商売だっていつかは新しいものにとって代わられる。
Amazonが存在しなかったとしても、別の何かが書店を衰退させただけだろう。

ただ、ぼくは思う。
衰退するにしても、もう少しうまくやれなかったのか、と。

アマゾンと斜陽




とことんダメだった取次システム


今、本屋の抱える問題の多くは、取次というシステムに起因するものだ。

ご存じの方もいるだろうが、通常、出版社から書店に直接本が送られてくることはない。
取次と呼ばれる会社(日販とかトーハンとか聞いたことがあるかもしれない)が必ず間に入る。
出版社は取次に本を送り、取次が書店に本を送る。お金の流れはこの逆だ。

数万の出版社が数十万の書店にそれぞれ本を送っていたら、どう考えたって効率が悪い。
中継点を挟んだほうがうまくいく。だから取次システム自体には何の問題もない。

ただ、この取次が「おまえら仕事する気あんのか?」と言いたくなるような雑な仕事をしていた。そこに大きな問題がある。

※ ぼくは書店員として某取次1社としか取引をしていなかったので、たまたまその会社がひどかっただけかもしれない。またぼくが書店にいたのは5年くらい前までなので、今は状況が変わっているかもしれない。


まずわかりやすいところでいうと、本の輸送状態がひどかった。
取次から書店には段ボールやビニールに入って本が送られてくるのだが、本がぐんにゃり曲がっているなんてのはざらで、ひどいときはカバーが大きく破れたりしていた。
もちろんトラックで揺られながら運ぶのだから多少の破損が出るのはいたしかたない。だが、段ボールの中で本を縦に詰められてその上に別の本が乗せられていたりするのだ。誰が見たって本が破損するってわかるだろうに。
野菜なんかとちがって、本はみんな同じ形をしている。判型の違いこそあれ、ふつうに考えて箱詰めすればそうそう破損することはない。
なのによほど時間がないのか、縦横斜めに本が詰められて運ばれてくるのだ(本を斜めに箱詰めするなんて頭おかしいとしか思えなくない?)。

お客さんから「今度発売の〇〇っていう本を予約したいんだけど」と言われ「あ、ちょうど1冊入荷します!」と答えたのに、その1冊が入荷時に破損していた、なんてこともあった。
楽しみに本を買いに来たお客さんに対して「すみません、すぐに取り寄せますので……」と頭を下げたものの、「だったら他の店で探すのでいいです」と言われて、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。ぼくがあのお客さんの立場だったら「もうこの店は利用しない」と思うだろう。

本なんて、立ち読みをされたってそうそう傷まない。
破損は、取次から書店に入ってくる段階での発生が圧倒的に多かった。



それから、他の業界の人からはびっくりされるのだけれど、
「新刊本が発売日に何冊入ってくるかは書店側では決められず、取次が一方的に決める」
「しかもそれがわかるのが2~3日前」
というルールもあった。
これは取次が悪いわけじゃなくて出版社がギリギリまで部数を決めないせいらしいんだけど。

たとえば村上春樹の新作小説が発売される、ということになる。
発売前に、お客さんから「予約したいんです」と言われる。
わざわざ予約してくれるなんて、本屋からするとすごくありがたいお客さんだ。こういうお客さんを大事にしたい。
でも。
断らざるをえない。「すみません、予約は受けられないんです……」。
なぜなら何冊入荷するかわからないから。
「発売日に入荷しない可能性もありますけど、それでもよろしければ……」
「だったらいいです」
あたりまえだ。確実に手に入らなくて、何のための予約だ。


新刊本だけじゃない。
取次はまったく在庫の管理ができていなかった。
取次にどの本が何冊あるか、誰も把握していないのだ。倉庫に見にいって「あー1冊だけあるねー」、みたいな感じなのだ(ぼくは取次倉庫に行ってじっさいにそういう現場を見た)。
出版社から何冊入荷して、各書店に何冊納品して、何冊返品されて、何冊廃棄処理されて、というデータはすべて存在するはずなのだから、あとはそれをデータベース化して、各書店員が確認できるようにすればいいだけなのに、それをしていなかった。
昭和時代の話じゃないよ、2010年頃の話だよ。小学生でもパソコン使ってる時代の話だよ。
今はシステム化されてるのかもしれないけどね(ぼくの勘では今もないと思う)。


そのデータベースがないから、本の注文は「とりあえず注文してみる」だった。
お客さんから「〇〇という本を取り寄せてほしいんだけど」と言われる。
出版社に電話をする(わあ、アナログ!)。
「〇〇という本を取り寄せたいんですけど」「承知しました。では取次経由で送ります」
そして出版社から取次経由で書店へ入荷。この間、約10日。Amazonなら? 即日配送、翌日到着。

それでもまだ、ある場合はいい。でも出版社に在庫がない場合もある。
でもひょっとしたら取次にはあるかもしれない → データベースがないからとりあえず注文する → 数日後「ありませんでした」という返事が来る → お客さんに謝罪の電話 → お怒りの言葉「何日も待たせて、結局ありませんってどういうことだよ。はじめからAmazonで買えばよかった!」
ごもっとも。書店員のぼくもそう思ってました。


こんなことは一書店員の愚痴レベルで、書店が滅びゆく原因の一部でしかない。
だけど、何かが終わるときはその要因はひとつじゃない。こうしたことの積み重ねが、書店をつぶすのだと思う。




本は消えない。文化も衰退しない。


取次の悪口ばかり書いたけど、もちろん書店もダメだった。何も変えようとせず、旧来のシステムに必死にしがみついていた。
ぼくが働いていた書店はぼくが辞めた1年後につぶれた。責任はぼくにもある。

「このやり方、今の時代にあわないから変えたほうがいいよね」
と、たぶんみんなが思っていた。
同時に「でもどうせ変えられないだろうけど」とも。

でも、Amazonは変えた。
在庫を管理してユーザーにもリアルタイムで確認できるようにし、適正な仕入れをおこない、送品方法も改善した(10年前はAmazonから送られてくる本は傷んだり曲がったりしていることが多かった。今はまずない)。

取次と書店が経営努力不足により、Amazonに負けた。ただそれだけ。
「町の本屋がなくなると文化が衰退する」なんて声もあるが、そんなことはない。レコード屋はなくなってMDもなくなったけど音楽文化は衰退していない。
新聞は衰退しているが、人々がニュースサイトやアプリでニュースを目にする機会は昔より増えた。

書店が消えゆくのは、必然だ。
でも、Amazonに負けない方法はあったと思う。

たとえば、すべての出版社と取次が共同でAmazonみたいなWEBサイトを作っていたら。
書店員がPOPを書く時間を、そのサイトの改善に費やしていたら。
そこで注文したら自宅近くの書店に翌日届くシステムを作っていたら。
返品リスクがないわけだから再販制度を捨ててもっと安く売っていたら。
個別配送しなくていい分、Amazonよりも安く売っていたら――。

本屋は衰退するどころか成長していたんじゃないだろうか。
もちろんこんな案は完全に後出しジャンケンだし、歴史が100回くりかえしたとしても起こりえないだろう。
だけど、取次や本屋がAmazonに勝つチャンスはゼロではなかった。だけど、そのチャンスをものにできなくて負けた。
それだけは言っておきたい。



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