2016年10月4日火曜日

【エッセイ】放屁の文化史

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突然だが、ぼくが生まれ育った家庭では
「放屁は黙殺」という掟があった。

一家団欒の席において誰かがことに及んだ(つまり音の出る屁を放った)場合、家族の誰もそのことに言及しない。
顔色ひとつ変えずに、会話を続けるのが鉄則である。

とはいえ、掛け軸に「放屁は黙殺」としたためた書が床の間に飾ってあるわけではない。

家族会議が開かれて三日三晩話し合って
「やはり放屁については言及しないこととしよう」
という議決を出したわけでもなく、いつの間にかなんとなく決まった不文律だ。


もちろん基本的には我慢する。
それでも人間なんだから、おならの一発や二発、うっかり出てしまうことはある。
事を大げさにするほどのことでもあるまい。そっと目を閉じて(というより耳と鼻を閉じて)、なかったことにするのが大人のたしなみだろう。
これが、(話し合ったわけではないけどおそらく)うちの実家の共通認識である。


どこの家でもそうなのだと思っていた。
ところが最近判明したのだが、どうも各家庭によってそのへんの処遇についてはまちまちであるらしい。


ぼくの妻。
彼女の生まれ育った家庭においては、そもそも「おならは御法度」であるらしい。
だから万にひとつもおならをするようなことがあってはならないし、よしんばその禁を破った場合は速やかに頭を下げてその場にいる者の許しを乞わなければならないのだという。

たとえば、会話中にぼくがうっかり放屁をしてしまう。
ぼくは三十年来の習慣に従い、なにくわぬ顔で話を続ける。
このとき、ぼくの親族であれば、やはり聞かなかったことにして会話を続行してくれる。

しかし妻は許さない。
アゲハチョウの幼虫には外敵を追い払うために顔みたいな模様がついているけど、ちょうどあれぐらいの怖い顔をしてぼくを睨みつける。
その表情の変化に気づかないふりをして会話を続けるぼく。
すると彼女はとうとう、口に出して夫の不始末を咎める。

「ごめんなさいは?」

これがぼくには理解できない。
なぜそっとしておいてくれないのか。

いうなれば、ぼくの実家は『恥の文化』。
放屁をしても、誰も何も言わなければしなかったのと同じだから、恥ずかしくない。
和をもって貴しとなす日本古来のやりか
ただ。

一方、妻が説くのは『罪の文化』。
放屁はそれ自体が罪だから、周囲の反応には関係なく償わなければならないと主張する西洋文化だ。


はたしてどちらが正しいのか。
ぼくは、旧友のSくんに相談してみた。

彼は云った。
「おれの実家は事前申請制を採用してる」


なんと、彼が生まれ育った家では、おならが出そうになったら
「もうすぐ出る!」と宣言して、家族が心の準備を整えてから出すのだという。

彼の家ではおならをすること自体は罪ではないが、黙っておならをしてそれが明るみに出た場合にはじめて非難を浴びるのだという。
「黙っておならしたの誰?」と。

Sくんにはたいへん美人なお姉さんがいるが、そのお姉さんもやはり宣言してからなさっていたそうだ。


なんと。
新たなルールが見つかった。
例えるならば、戦国文化であろうか。
戦国武将のように「やあやあ我こそは……」と名乗りを上げてから出陣しないと卑怯者と見なされる、たいへん勇ましい文化だ。

いろんな家庭があるものだ。



ところでこのSくん、今では結婚して二人暮らしだ。
「今も宣言してるの?」
と尋ねると、彼は首を振った。
「おならをしたら奥さんにめちゃくちゃ怒られる。事前申請しても、後から謝ってもだめ。そもそもおならをしたらだめだって言われる。『たとえ私が留守にしているときでもだめ』だってさ」


高らかに名乗りを挙げて刀を振り回していたのも、今は昔。
もう今は武士の時代ではないのかもしれないな……。
剣の道に悩む宮本武蔵の顔が、寂しそうに笑うSくんにだぶって見えた。


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