2016年9月13日火曜日

【エッセイ】うちの雲孫を紹介します

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子どもの子どもは孫。
孫の子は曾孫(ひまご)。
曾孫の子は玄孫(やしゃご)、その子は来孫(らいそん)、以下、昆孫(こんそん)、仍孫(じょうそん)、雲孫(うんそん)と続くらしい。

ほう……。

それ、いつ使うの……?



曾孫はわかる。

玄孫もわかる。

20歳で子どもを生んで、その子がまた20歳で子どもを生んで、その子がまた……というのをくりかえしていくと、80歳で玄孫ができる計算になる。

うん、ぜんぜんありうる。

その調子でいくと、100歳で来孫が誕生。
そして120歳で昆孫。

だいぶ厳しいが、理論上はありうる。


ここまでが、同じ時代に生きることのできる限界だ。

仍孫や雲孫には、生きて会うことは不可能だ(冷凍睡眠でもすればべつだが)。


ぜったいに会うことのない孫の孫の孫の孫のことを話題にする機会があるでしょうか?

いや、ない。

あなたはこれまでの人生において、雲孫のことを考えたことがあっただろうか?

「おれの雲孫、どんな顔してんだろ? おれに似てんのかな?」
とか考えたことがあっただろうか?

ないだろう。

考えるまでもない。
雲孫はあなたの顔にはぜんぜん似ていない。
だって256分の1しかあなたの血をひいてないんだもの。

256分の1というと、日本全体の面積に占める、栃木県日光市の割合ぐらいだ。
日本と日光市、ぜんぜん似てない。
似ざる、言わざる、聞かざるだ。




断言してもいい。
仍孫とか雲孫なんて言葉、誰も使わない。

ぼくらに残された時間にはかぎりがある。
存在するかどうかもわからない子孫のことを考えるひまがあるなら、今、周囲にいる人たちに気を配ってあげてほしい。

これはとても大事なことだから、このことは雲孫の代まで語り継いでいきたいと思う。


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