2016年6月17日金曜日

【エッセイ】この餃子のタレ、届け!

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どうして歌詞は己を実物よりよく見せようとするんだろ、ってあたしは思う。

「一生君を愛しつづけるよ」
「つらいことがあってもがんばればいつか報われるさ」
みたいなのが完全に嘘ではないんだろと思う。
たしかに本気でそう思っている部分もあるんだろね。

だけどそれだけではないよね。
あたしたちはもっとくだらないことを考えてる。
餃子を買ったときについてくるタレがかなりの確率で手につくんだけど、タレ袋の形状はもっと改良の余地があるんじゃないかとか。

作詞をする人はそういうことを伝えたいと思わないんだろうか。己の内面に対して誠実であろうと思わないんだろうか。梶井基次郎のように内に秘めたる感情を有り体に吐露しようと思わないんだろうか。

あたしは「この思い、餃子のタレメーカーに届け!」といつも思ってるんだけど。
そういう真実の歌詞をみんなつくってほしい。



でも。
いくら歌詞に真実味があってほしいとはいえ、「いい女とやりてえぜ」みたいなのはつまらない。
文学性がないんだもの。

「言われてみたらたしかにそんな思いが自分の中にもあるー!」
と言いたくなるような、心のせまい隙間に指をつっこんで溜まったほこりを掻きだすような歌詞が聴きたい。



あたしがこれまでに「これこそ真実の歌詞だ!」と思ったのは、二度だけだ。


一度は斉藤和義『君の顔が好きだ』を聴いたとき。

「君の顔が好きだ 君の髪が好きだ 朝も昼も夜も切なさに酔って胸痛めてる自分もいい」

なんて素直な歌詞なんだろうと思った。
ちょうどあたしも切なさに酔って胸痛めてたから。そんな自分に恋していたから。


もう一曲はユニコーンの『大迷惑』。

「お金なんかはちょっとでいいのだー!」

それまでのストーリー性のある歌詞が、ラストのこの咆哮に見事に結集される様は、ドラマチックですらあった。
オーケストラの演奏とあわさって、壮大な物語に感じられた。

なんという真実味。
お金なんていらないよといえば嘘になるし、金が欲しいというのは本当だけどそれがすべてではない。
そう、お金なんかはちょっとでいいのだ。

ぜひ、声に出したい日本語として国語の教科書に載せてもらいたい。

(この曲が発表されたのがバブルまっただなかの1989年だというのがまたすごい)



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