2015年11月19日木曜日

【エッセイ】一円たりない

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 レジから離れてから気がついた。
 お釣りが一円たりない。
 もう一度数える。
 まちがいない。

 心臓が高鳴る。
 ぼくは今、試されている。
 そう、こういうときにこそ真の人間性が試されるのだ。
 ここでいかにスマートに振る舞えるかが、ダンデーな大人か、あるいはしみったれた守銭奴かを決定づけるのだ。
 さあ、この危機的状況を打破できるのか。
 ペットボトルのキャップほどしかないぼくの人間としての器に、途方もなく大きな試練が注がれている。
 
 
 足りないのが百円だったなら話はかんたんだ。
 なぜなら、百円だったら堂々と云えるから。
 胸を張ってレジに戻り、「おつり百円たりなかったよ!」と大きな声で云えばいい。
 そこまで強く云われたらあの中国ですら尖閣諸島をあきらめんじゃね? ってぐらい声高らかにぼくの領有権を主張することができる。
 百円という大金だったなら。

 しかし。
 今ぼくの手元に足りないのは一円なのだ。
 都会では自殺する若者が増えているが、問題は一円たりないことなのだ。

 数万年前に我々の祖先が言語を獲得して以来、ありとあらゆるフレーズが人々の間を飛び交ってきた。
 その中でも、およそこんなにも情けないセリフはなかろう。
「一円たりないんですけど」
 九歳のときのことが頭によみがえる。
 あの日おつかいを頼まれたぼくは、会計を済ませた後、おつりが十円たりないことに気づいた。
 あわててレジに駆けもどり、店員のおねいさんに十円たりない旨を伝えた。
 そのときの不信感に満ちたおねいさんの顔が今でも忘れられない。
 ほんとにたりなかったの?
 そうやって十円多くせしめようって腹でしょ、小汚いガキンチョね。
 おてんと様は騙せても、このあたいの目は欺けないわよ。
 この桜吹雪が目に入らないの?
 おねいさんの瞳はそう云っていた(ような気がした)。
 結局、しぶしぶといった様子でおねいさんは十円玉を手渡してくれたのだが、疑われた(ような気がした)ことは、まだ少年だったぼくに深いショックを与えた。

 この出来事は、ぼくを卑屈な人間にした。
 それはつまり今ぼくが女にモテないのはあのおねいさんのせいであるということである。
 
 
 しかしもうあの頃とはちがうんだ。
 ぼくもいい大人になった。
 ネクタイだってしてるし、シャツの裾だってほとんどズボンの中にしまってる。
 こんな三十のおじさんが、たかが一円のために嘘をつくなんて誰も思いやしない。
 堂々と権利を主張すればいい。
 だめだ。
 考えすぎるな。
 あれこれ考えるほど、必死さが増す。
「あっ、えっ、ぼぼぼくのおおおつりがですね、たりなかったっていうか、あでも一円なんすけど、あっ、えっ、あやっぱいいです。すんませんすんません、うへへっ」
 こんなにかっちょ悪いことはない。

 こんなときぼくは思う。
 ああ、ぼくがばばあだったなら。
 もしぼくがばばあだったなら、
「ちょっとあんた一円たりないわよ何考えてんの!」
と、脊髄反射よりも早く云えるのに。

 また、こんなことも思う。
 ああ、ぼくが野口英世だったなら。
 留学費用を女遊びに使い込んだせいで渡米できなくなり、親切な人に泣きついて借りた金もまた夜の街で使い果たしてしまった野口英世だったなら。
 きっと一円たりないことなんて一秒たたないうちにきれいさっぱり忘れてしまえていただろうに。

 でも云わなきゃ。
 そうだ、一円が惜しいから云うわけじゃないんだ。
 閉店時に一円のレジ誤差が出るとお店の人が困るだろうから、教えてあげるだけなんだ。これは親切なんだ。
 よし、云おう。
 なるべく、なんでもない調子で。

 決意を固めたそのとき。
 店員さんが近づいてきた。
 ぼけっと突っ立っているぼくに、
「すみません、先ほどプリンを買われた方ですよね」
  「はあ」
「レジの前に一円落としていまして、お釣りを一円少なく渡していました。申し訳ありません」
 そう云って店員さんはぼくに一円玉を差し出した。
 なんだ。
 向こうから気づいたじゃないか。
 ぜんぜんぼくが気をもむ必要なんてなかったじゃないか。

 ぼくはダンデーな大人の余裕たっぷりに応じる。
「あっ、えっ。そそそそうですか。ぜんぜんぜんぜんききき気がつかなかったです。すんませんすんません、うへへっ」


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